座員プロフィール | ||||
洪 栄龍 | アドバイザー・ギター | 1947.10.07 |
あるコンサートの打ち上げ三次会のラーメン屋で隣に座り遭遇する。 「山上茂典とその一座」の演奏活動のアドバイザーとして大変お世話になっています。山上茂典3rdアルバム「明日もきっといいことがあるぞ!」の制作ではプロデューサーをお願いしました。そして、2003年3月28日の「山上茂典ソロコンサート」では、洪栄龍バンドとして第2部のステージでの伴奏で盛り上げてもらいました。 私の4thアルバムはギター1本でのシングアウトCDを作ろうと相談中です。 |
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広中 徹 | オカリナ・三線・ハーモニカ・コーラス | 1961.12.28 |
1980年国鉄入社。岩国通信区(電気技師)広島貨車区(貨物列車の車掌)広島車掌区(電車の車掌)中国JRバス(運転士)といろいろ転勤。 1989年、広中君が国鉄広島ナッパーズに入団して遭遇する。 でかい体から出るでかい声がいい。でかい体で吹くちっちゃなオカリナがいい。 コンサートツァーで感動的なステージの後の美味しい食事とお酒が楽しみなメンバーです。口癖は「生きていてよかった!」(食事の時) |
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高橋 仁 | ギター・マンドリン・ウクレレ・コーラス | 1962.04.30 |
1981年国鉄入社。ヘルメットのあごヒモの日焼け跡が残る保線区の仕事一筋の人生。 高校時代はハードロックでエレキギターをガンガン弾いていた。 1989年、高橋君が国鉄広島ナッパーズに入団して遭遇する。 洪栄龍氏から「外弟子」ということになり、がんばって精進しているギターリスト。 真面目で寡黙、しかし、酒を飲むとしゃべりが多くなります。ところが、いつのまにか静かに眠っている。 |
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田中 活 | ブルースハープ・コーラス(ピアノ・フルート) | 1955.04.21 |
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1974年国鉄入社。JR貨物、広島貨物ターミナル駅の操車係。貨物列車の入換え作業をしています。広島憲法集会ミュージカルの実行委員。家族は保育士の妻と二人の娘。 1979年、私がナッパーズに入団して遭遇する。 2007年に一座入り。日本のうたごえ祭典(奈良)のオリジナルコンサートでハーモニカデビュー。だんだんと鳴るようになってきました。 |
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平野由理 | シンガー・ | 17才年下 |
1988年、三原駅前のデパート「天満屋」屋上で開催された「子どもフェスティバル」で遭遇する。 中学生のロックバンドのシンガーでした。彼女のお母さんから「娘の音楽の先生になって下さい」と言われたのが始まりとなる。 ピート・シーガーに会いにニューヨークにいっしょに行ったり、「山上茂典とその一座」のステージではコーラスで応援してもらっている。 ギターも上手になり、ソロ活動もがんばっています。 |
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三上かすみ | フルート | 年下です |
13才からフルートを始める。学生時代は吹奏楽部、卒業後は陸上自衛隊第3音楽隊にフルーティストとして9年間所属。退職後はソロ活動を展開。 瀬野川学園の音楽活動で遭遇する。 自衛隊では味わえなかった音楽することの楽しさがいっぱいの音で応援してもらっています。 介護の職場でフルートでの音楽療法を研究中です。ステージでは音がずっと鳴っている楽器があると本当に助かります。 |
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神辺真希 | ピアノ | 年下です |
ピアノ教室の先生です。 真希ちゃんが国鉄広島ナッパーズの専属ピアニストとなり、遭遇する。 瀬野川学園の音楽活動のスタッフとしていっしょに演奏しています。 国鉄広島ナッパーズでの演奏活動を通じて「山上茂典とその一座」のステージを応援してもらっています。ピアニストはいろいろな人がいますが、「わぁー!どうしよう」と言いながら、本番はいい音で自分をしっかり主張しています。 |
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