報正寺通信
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2013年12月

聖典学習会のご案内

24日()朝・昼

朝9時半・昼2時半始 本堂裏部屋にて

学習聖典・無量寿経

住職自修  参加費無用

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい

 

無量寿経とは?

 

無量寿経は、おしゃか様が説かれたものではなく、おしゃか様が説かれたということにして、おしゃか様が亡くなられて後、およそ500年ごろ、無名の個人かグループで創作されたものらしいというのが、最近の定説のようです。

 

本来、仏教とは?

 

本来、仏教は、「縁起」という、考え方に基づいた生き方を示すものです。

縁起とは、すべてのものがつながりあって存在しているということです。

すべての者がつながりあって存在しているのだから、みんな自分中心ではいけない(無我)、みんなをいつくしもう(慈悲)、他者を助けよう(利他)、施し合おう(布施)という生き方を示します。

 

無量寿経創作のわけは?

 

ではなぜ、おしゃか様も説かれなかったものを、無名の人やグループが創作したのでしょうね。

以下は、私の推察です。

昔、おしゃか様が生きておられたインドでは、みんながみんな、真実の道を求めて出家、修行する人ばかりではありませんでした。

様々なしがらみの中で、ともかく生きて行くのが精いっぱいで、殺し殺され、奪い奪われ、差別し、差別され、さらには、老、病、死、死後への不安や、孤独や、罪の報いなどへの恐怖などで悩める人々がたくさんおられたと思われます。

こういう、不安やおそれにおののいておられる人々こそ導き救われなければならない。

と、そこで、これらの人々の不安やおそれを救い癒しながら、同時に、仏道に目覚めてもらおうということで、阿弥陀仏信仰、往生浄土信仰の経典がお釈迦様の説法として創作されたと推察するのです。

もちろん、勝手な物語ではありません。

いつも申します、「無我」「慈悲」「利他」「布施」といった仏教の原理を踏まえた物語です。

阿弥陀様の前身の法蔵菩薩の、「一切のものをみんなはぐくみ、導き、浄土に生まれさせて、仏に仕上げて、今度は、この迷いの世界に帰り来たらしめて、みんなをいつまでも、どこまでも救い導かせよう」という願心にもこの、「無我」「慈悲」「利他」「布施」の精神が表わしてあります。

 

阿弥陀仏、往生浄土信仰

 

この阿弥陀仏と浄土の教えによる信仰によって、多くの人々が、「アー、今まで知らなかった。

こんなに苦しくて、辛くて、不安で、誰も支えてくれるものがいない、孤独の悲哀の真っただ中にも、いや、私が生まれてからだけでなく、私が生まれる前から、私をいつまでも、どこまでもどんなことがあってもはぐくみ、抱き支え導いていてくださっているみ仏が阿弥陀様であったのか。

さらに、私に先立ってみ仏のお浄土に迎えられ、み仏となられた人達がみんなこぞって私をはぐくんでいてくださっていたのか。

私がどんなに悲嘆の中で人生を終えようとも、この私を抱いて、み仏の国である、浄土に迎えて、私を完全円満なみ仏にして下さり、そして、そのお浄土からこの世に残れる、苦悩のみんなを永遠に導き続けてあげられる身になれるとは、なんと、もったいなく有難いことであろうか。

よしっ、今がどんなに過酷な状況でも、この阿弥陀様に育まれていることを喜び、そして、今までのわがまま放題の生き方とは違って、これからは、阿弥陀様に喜ばれるような優しさや思いやりに満ちた生き方へと生き方を変えさせてもらおう。

不完全な凡夫であることには違いないけれど、過てば反省し、自分でできるところで努めさせてもらおう。

と、このように、信仰によって、多くの民衆があらゆる苦悩から癒し救われてゆかれたと考えられます。

 

現代の無量寿経の受け止め方

 

このように、今までは、阿弥陀仏が本当におられる、そして、このみ仏の慈悲に抱かれて、阿弥陀様のお浄土に参らせてもらうということも本当のこととして有難く信仰するということが説かれていました。

いや、今も、このような信仰の説き方が多いと思います。

ところが、現代は、阿弥陀様も、お浄土も本当にあるものとして信仰するという時代ではなくなっていますから、お浄土も阿弥陀様も、さっきの「無我」「慈悲」「利他」「布施」の究極の象徴表現としてうけとめ、私たちの生き方や、社会創造の原理としての「無我」「慈悲」「利他」「布施」として目覚めて実践してゆく道を学ぶ経典として受け止めてゆきたいと思っています。

教材は、「本願寺出版、現代語版、浄土三部経」を用います。

無い方には、コピーいたします。

いつものように、気楽に、休みながら、お茶をいただきながら学んでゆきましょう。

かたぐるしく思われずに、お誘いあっておいでください。

 

特定秘密保護法案

 

 これはマユツバモノではないでしょうか?

衆議院で、保守強行採決となり、参議院で審議中です。

 朝日新聞の12月2日報道の世論調査では、法案賛成は25%で、反対は50%といいます。

このように反対が半分というのは、国の秘密は大事だというもっともらしさの陰に、権力が横暴になると、どんどん、秘密が拡大解釈されて、とうとう、国民も、マスコミもまったく、政治状況が秘密にされて、暗黒の政治状況になる心配があるためと思われます。

この法案は、ことにアメリカとの軍事情報の秘密保全ということらしく、その他、外交、テロなどに特定の秘密を設けるというもののようです。

この法案は、この前、採決された、国家安全保障会議設置法案と同じ歩調のものと考えられます。

この法案は、安倍首相の、積極的平和主義に合うように、アメリカとの軍事同盟を強固にし、中国や、北朝鮮など諸外国との軍事緊張に対し、自衛隊にアメリカの海兵隊並みの力と機能を付け、軍事費も増やし、武器輸出3原則も緩め、専守防衛よりも武力行使が積極的にできるようにしょうとしているように思えます。

国民教育にも、愛国心を高め、教育方針に、権力の意向を注入し、権力の意向に沿った教科書を選定させようとしています。

かつての戦争を謝罪するのでは無く、戦死者にお詫びするのでもなく、英霊とたたえ、戦死者に感謝を捧げるために、どんなにアジア諸国から、「かつての戦争を賛美する靖国神社に参拝しないでほしい、靖国神社に参拝することは、あの侵略戦争を肯定し、反省しないということなのだから」と言われても、靖国神社に積極的に堂々と参拝するようにしょうとしていることにもつながっていると思えます。

これは、自民党改憲草案にもあるように、天皇を元首化し、憲法9条を変えて、自衛隊を国防軍にし、言論思想、表現、結社の自由などの基本的人権も、公益、公の秩序を乱さない限りにおいてゆるすというように、国家を批判することは、国家の秩序を乱し、国益に背くものとして許さないというように、憲法を変えようとしていることと同じ路線と思えます。

でも今、憲法を変えるには、衆、参両議院、3分の2以上必要で、参議院で取れないので、集団的自衛権を解釈によって、米軍とともに、武力行使できるように、法の番人といわれる内閣法制局長官を、集団的自衛権行使容認派の人に変えました。

そして、NHKの経営委員も、安倍首相に近い人を当てました。

そうすると、NHK報道も、安倍政権批判は無くなり、安倍政権寄りの報道になる可能性があります。

このように、衆議院でも、参議院でも過半数をとった安倍政権は、思うように政権を担おうとしていることがわかります。

 この秘密法案の前に、1985年、今から28年前、いわゆる、スパイ防止法案というのが国会で出され、廃案になったことがありました。

その当時、私も反対で、報正寺の本堂に、弁護士を招いて、講演会を開いたことがあります。

 大体、国家権力というものは、権力を自由に使って政治を支配し、都合の悪いことは国民に知らせないようにしょうとするものだろうと思います。

戦時中がそうでした。

ほとんど機密にして、国家に逆らうものは、小林多喜二のように虐殺されました。

アメリカも、内部告発によって明らかになったのですが、ドイツの首相の電話内容も盗聴するように仕組んでいましたね。

権力というものは、権力保持のため、諸外国の、あらゆる秘密を探り出し、自国の秘密は国民にも外国にも知られないようにしょうとするものなのでしょう。

 防衛上、秘密にしなければならないものはあるでしょう。

 でも権力が、勝手に、権力の悪政や、不正を隠し、それを探ろうとする者を処罰するということになると、それこそ、国民主権が侵害されて、権力主権ということになってしまいます。

この法案には、秘密を特定することに対する、第三者的に批判検討する機関の設置が明確に定められていません。

 何が、秘密にされたのか、それも秘密です。

さらに、国家の秘密を探ろうとして、相談したりすることも、共謀罪として処罰される事になっています。

しかもその処罰は、懲役、10年です。

ですから、機密を扱う公務員も、それを探ろうとする、マスコミや、私ら、国民も、懲役を食ってはかなわないので、及び腰になり、いよいよ、国民は目隠しをされるようになる懸念があります。

初めは30年を限度に公開に踏み切るということだったのに、今では、60年と延長され、しかも、特別7項目の事項は、秘密が延長出来、その中に、「政令で定める重要な情報」というのがあります。

すると、重要情報は、政府の方で勝手に、60年以上も、それこそ、永遠の秘密ということになり、その当時の政治を全て点検しょうにも点検できません。

やはりこういう、権力にとって、なんでも秘密にできる勝手さを残しており、

これは、国民の権力監視の目を封じる悪法で、撤回すべきものではないかと思えます。


2013年11月

秋法座のご案内

26日(火)夜〜28日(木)日中

  報恩講おとき日・・・28日(木)日中

日中9時半・夜7時半始

講師 広島市・圓光寺・谷川修真殿

お誘いあっておいでくださいませ

何のために生きている

 

 私の少年時代からの問いです。

 みんな大なり小なり、人生の喜怒哀楽の折に触れてふと何度も問う問題ではないかと思います。

 皆さんには、皆さんなりの思いがおありでしょう。

 この問題にこだわってみます。

 

アンパンマンのマーチから

 

「なんのために生まれて なにをして生きるのか

こたえられないなんて そんなのはいやだ!」

 「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ

わからないままおわる そんなのはいやだ!」

 

これは、最近、94歳で亡くなられた、「やなせ たかし」さんという人の作られた、(アンパンマンのマーチ)の中の一節です。

 やなせたかしさんは、子どもの時、車賃を落として、仕方なく長く長く歩いて、おなかがすいていた時、知り合いのおじさんから、アンパンをもらって助けられたことがあって、その時の経験が、あの、「アンパンマン」の絵本物語になったといいます。

 アンパンマンは、おなかのすいている人に自分の顔をちぎって与えて、おなかのすいている人を救ってあげる正義の味方らしいですね。

 私はその絵本をくわしく見たことがありません。

 でも、子供たちには、40年来のずいぶん長く人気のある絵本だそうですね。

 また、やなせさんは、戦争体験で空腹に苦しまれたそうです。

 戦争中は、戦争は正義だという、戦争中の正義がありましたが、戦後には、あの戦争は間違っていたということが戦後の正義になり、何が本当の正義かということで、戦後、考え込まれたといいます。

 そして、昔も今も、世界中どこでも変わらない、正義というものがあるとするなら、それは、自分が体験して、実感したように、おなかのすいている人に食べ物を上げて、喜んでもらえること、これは、いつでも、どこでも誰にも変わらない正義だというようなことに思い至られたようです。

 物語には、アンパンマンを妨害する、バイキンマンというのがいますが、しかし、アンパンマンはバイキンマンを吹き飛ばしても、決して、殺さないのです。

解説には、「空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。 かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。」とあり、

これらの点について「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」とあります。

 

アンパンマンのマーチ の心をぜひ・・・

 

「そうだ うれしいんだ  生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも

 

なんのために生まれて なにをして生きるのか

こたえられないなんて そんなのはいやだ!

 

今を生きることで 熱いこころ燃える  だから君はいくんだほほえんで

 

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン やさしい君は  いけ! みんなの夢まもるため

 

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ

わからないままおわる そんなのはいやだ!

忘れないで夢を こぼさないで涙  だから君はとぶんだどこまでも

 

そうだ おそれないで みんなのために  愛と勇気だけがともだちさ

ああ アンパンマンやさしい君は  いけ! みんなの夢まもるため

 

時ははやくすぎる 光る星は消える  だから君はいくんだほほえんで

 

そうだ うれしいんだ生きるよろこび  たとえ どんな敵があいてでも

ああ アンパンマンやさしい君は  いけ! みんなの夢まもるため」

 

限りなく広く深い阿弥陀如来の大慈悲の前に、無慈悲のわが身とわが世をいといつつ、でも、友、同朋にもねんごろに尊び合って生きようとされた親鸞様の報恩講を今年も迎えましたね。

 
2013年10月
 
聖典学習会のご案内 24日(木)朝・昼 朝9時半・昼2時半始  学習聖典・無量寿経 住職自修  参加費無用 聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。 どうぞ誘って気楽にご参加下さい
 
前回の学習内容から
 
 「諸法の性を通り、衆生の相に達せり。
あきらかに諸国を了りて諸仏を供養し奉る。
その身を化現すること、なお電光の如し」
意訳では、
「すべてのものの本質を極め、すべての人々のありさまを知り尽くし、すべての世界のすがたを見とおしており、いたるところに身を現して様々な仏がたを供養するが、その速やかなことはちょうど稲妻のようである。」とあります。
これは、おしゃか様の説法を聞いている菩薩方とはこういう素晴らしい人たちであると、この菩薩のありかたを示しています。
 
菩薩は、全てのものの本質を極めている
 
菩薩とは、政治、経済、教育、福祉、思想、宗教などすべての問題の本質を極めているというのです。
菩薩の極めた真実の本質とは、「亡己利他」といって、自分を忘れて他者を利するというものです。
逆に、虚仮の本質とは、他者のことを忘れて、利己主義であるということですね。
ですから、政治、経済、教育、福祉、思想、宗教でも、自分を忘れて他者を利するものが、真実の政治、経済、教育、福祉、思想、宗教の本質であるということ。
そして、逆に、他者のことを忘れて、利己主義である政治、経済、教育、福祉、思想、宗教が虚仮の政治、経済、教育、福祉、思想、宗教の本質であるということになります。
日本の過去の侵略戦争や、慰安婦問題でも、誠実に向き合おうとしないものは、虚仮の政治、経済、教育、福祉、思想、宗教ということになります。
そういう過去の日本の侵略戦争を認めたくない教科書を採用しょうとするものも虚仮の政治、教育ということになるでしょう。
又、生活保護基準を引き下げ、解雇を容易にし、非正規雇用やサービス残業、過労で、会社はもうかっても、賃金上がらず、生活、貧富の格差が広がって一般庶民の生活は苦しくなるというのも、虚仮の政治、経済、福祉、ということになるでしょう。
同じように、このような苦悩の社会矛盾に対処できず、心の中だけの宗教も虚仮の宗教ということでしょう。
 
菩薩は、全ての人と世界を知り尽くす
 
次に、菩薩は、「すべての人々のありさまを知り尽くし、すべての世界のすがたを見とおしており」とあります。
これは、皇室の人々の選挙権も、職業、信教、居住の自由等も無いことも、アイヌの人々の、先住民族としての権利も、文化継承も抑圧されている状況も、被差別部落の人々、在日外国人の人々、
元ハンセン病の療養者の人々、知的、身体、精神しょうがいの人々、米軍基地の抑圧に忍従を強いられている沖縄の人々などすべての理不尽な状況に置かれている人々の苦悩や悲嘆のありさまをきちんと認識しているということですね。
また、シリアの体制派、反体制派の武力衝突のことも、宗教、部族対立の、自爆テロ、パレスチナ、イスラエルの紛争の現実も、飢餓、エイズなど、南北の格差の問題も、地球温暖化による、環境破壊も、
原発の被曝労働、猛毒の放射性廃棄物の永久管理の問題も、つまりは、富める者も、貧しきものも、ともに人間性を荒廃させている現実をきちっと把握できているというのですね。
次に、「いたるところに身を現して様々な仏がたを供養するが、その速やかなことはちょうど稲妻のようである。」とあります。
 
菩薩は即座に実践
 
菩薩は、このような人々や世界の苦悩や悲嘆や理不尽なことに居ても立ってもおられずに、稲光のように素早くその苦悩の現実に行って、「無我、慈悲、利他、布施」の行を行って、仏すなわち、「真実」にささげるのであると読めます。
菩薩とは、このように、仏の教えによって、真実に向って実践する人格です。
仏教徒のあるべき鏡です。
でも、私らは、しょせん、虚仮の凡夫でしかありませんが、親鸞様のように、わが身と我が世を厭いながら、でも、よりよき自分と世の中の在り方を願って生きられたらよいものだがと思うことです。
  こんなことを思いめぐらしながら学んでゆきます。
教材は、「本願寺出版、現代語版、浄土三部経」を用います。
無い方には、コピーいたします。
いつものように、気楽に、休みながら、お茶をいただきながら学んでゆきましょう。
かたぐるしく思われずに、お誘いあっておいでください。
 
暮らしとこころの相談会に参加
 
これは、4年前に、弁護士、司法書士、社会福祉士、医療ソーシャルワーカー、つくしの会(広島県クレサラ被害者の会)、広島県生活と健康を守る会・・・などが、貧困救済のため、設立された、反貧困ネットワーク広島が基になった相談会です。
私も少しばかりでも応援させてもらおうと設立当初からかかわらせてもらっています。
 去る9月10日、広島駅地下広場での相談会に応援に行かせてもらいました。
 3回目の参加でした。
 私は、おこがましいのですが、僧侶としてでも何か、相談事があれば応じさせてもらおうと思った次第です。
でも、相談コーナーは、弁護士、司法書士、社会福祉士、医療ソーシャルワーカーさんたち専門家で、私は、案内チラシをティッシュに入れたり、そのティッシュを往来の人に手渡すぐらいの手伝いです。
 相談場所の会場設営にも労力提供させてもらいました。
 相談専門家は10人ぐらい、私らのようなボランティアは、20人以上おられたでしょうか。
 
相談のあれこれ
 
 労働相談の専門家から、私に、仮避難、住居提供の依頼がありました。
 というのは、外国人、技能実習生等が、職場での不当処遇などで、路頭に迷い、相談に訪れた時、緊急避難所も満員でどこにも受け入れるところがない時に、報正寺の裏部屋でも貸してほしいという相談でした。
 また、僧服を着ている私を見つけて近づいてこられた方がありました。
 見るからに、ホームレス状態の人で、知的にも、精神にもしょうがいを抱えておられるように、その話される内容から察しました。
 自分は、九州出身で、浄土真宗だと言って、家の墓のことで悩んでいるというようなことを話されました。
内容は、十分把握できないような話しぶりですが、かなり長く聞かせてもらいました。
とても私に解決の答えを期待されているとは思えませんでしたが、ただ聞いてほしかったのであろうと思いました。
サービスのおにぎりなどが出されるのを楽しみに来ておられたのでしょう。
そのような状態の人が何人か集まって来ておられました。
私は、ほとんど3回ともこの会の案内のためのティッシュ配りをしました。
 駅前や地下のエスカレーターや階段の昇降口のところで、往来の人に手渡すわけです。
 私は、いいか悪いかわからないのですが、袈裟衣をつけてティッシュ配りをしました。
 普段着よりは少しでもお坊さんとして、信用されて?受け取ってもらえやしないかと思ったわけです。
 大体1時間?2時間ぐらいやります。
 「労働相談の案内です。どうぞー」などと声をかけながら配ります。
 その日は、1時間半ぐらいで200ばかり手渡したでしょうか。
 知らん顔の人もあれば、「なんなんだ」というようなけげんな顔を向ける方もあります。
年配の人の受け取りはいいのですが、若い人や、中高生などにはなかなか受け取ってもらえません。
「家に帰ってお父さんお母さんと読んでみて」などといってかなり強引に手渡すこともあります。
初めは気恥ずかしかったのですが、だんだん慣れてきました。
午後4時半からおむすび、みそ汁がホームレスの人などに出されます。
 
私のおごり、差別の思い知り
 
 ロングスカートや前掛けの薄汚れた老女がふらりふらりと歩いておられたので、ティッシュを渡しました。
 その人は汽車に乗られる様子もなく、駅の片隅に腰かけて座っておられました。
 私は、「ははあ、この人は、おにぎりをもらいに来られたのだな」と思いました。
 ティッシュが切れたので、そのかたのそばに行って隣に座り、「もうじき炊き出しがありますからね」などと申しますと、「わたしゃあ、口に合わんものは食べんのじゃ」などと申されました。
 その時私は、「はっ」としました。
 私は、身なりで、おむすびをもらいに来られた人と思い込んで、高いところから憐れんだような高ぶりをそのかたに注いでしまったのだとの気付きでした。
 そのかたは、私に、ばかにするなと怒られはしませんでしたが、何らかの恥じらいを感じられての語りであったのかと思いました。
 86歳といわれ、戦後、朝鮮から引き揚げてきたなどと話されました。
驚いたことに、朝鮮の人のひどい悪口を言われるのです。
 私はたまりかねて、でも良い人もおられたでしょうと聞きましたが、そりゃそうだとも申されませんでした。
 そして、「わたしゃあ、86年生きて来たから、人間の裏の裏までみんなわかる。みんなね、えらっそうなことを言うてる人がいるが、みんなこれよといって人指し指と親指を丸めて私に示されました。
 つまり、人間みんな金(欲)よと言われるのでしょう。
 「ぼんさんのあんたも同じでしょうが?」と問い詰められたように思いました。
 私は「ありがとうございました。」と退去しました。
 
2013年9月
 
秋彼岸法座のご案内 25日(水) 朝席・夜席 朝、9時半 夜、7時半始  仏法と人生と社会 住職自修
 
 
仏の国・浄土としての彼岸
 
 一年に二度の彼岸があります。
 春の彼岸と秋の彼岸です。
暑さ寒さも彼岸までという言葉があります。
 でも、春彼岸を過ぎても雪が降るときもありますし、秋彼岸過ぎても残暑の厳しい時もあります。
まあ大体、寒いといっても春の彼岸ごろには、寒さもやわらぎ、秋彼岸ごろには、暑さもやわらいでくるということですね。
 この彼岸とは、文字どおり、彼の岸、つまり、彼の憧れの世界と言えます。
寒い冬には、暖かい春が憧れの彼の岸になります。
また、暑い夏には、涼しい秋が憧れの彼の岸になります。
彼岸は、仏教の言葉で、仏の国、浄土を指しています。
 無量寿経には、この仏様の国、浄土が、いつも暑からず、寒からず、調和のとれた快い世界であると表現してあります。
仏の国、浄土といっても、どこか、宇宙に実在するというような世界ではありません。
いつも申します、自分中心でない、無我の世界、冷たくない、慈悲の世界、利己的でない、他者を助ける世界、奪い合いの世界ではない、施し合いの世界の象徴表現です。
 ですから、暑からず寒からずといっても、気温のことではなく、たぎる怒りや欲望の酷暑から解放され、他者への冷酷な寒さから解放され、優しさや、思いやりに満ちた調和のとれた快い世界や境涯であるということを象徴してあると考えられます。
 彼岸とは、このように、やさしさや思いやりに満ちた究極の平和と平等の憧れの彼の岸ですから、この憧れの彼の岸に対して、こちらの世界、つまり、此岸は、優しさや思いやりを失った、戦争と差別の冷酷な現実の世界ということになります。
 冷酷な煩悩の冬の季節から仏法への目覚めの開花の春の彼岸を思い、炎暑の煩悩の酷夏の季節から仏法の結実(成仏)、仏果への実りの秋彼岸を思います。
 
仏法への目覚めの信心としての彼岸
 
 大体、彼岸とは、先に述べましたように、仏の国、浄土ですが、この彼岸を、仏法への目覚めの信心に置き換えて考えてみたいと思います。
 というのは、親鸞様のうたに、「信心よろこぶその人を如来と等しと説きたもう、大信心は仏性なり、仏性すなわち如来なり」というのがあるからです。
 ここで、信心について明らかにしなければなりません。
信心とは、単に、阿弥陀様がおられることと、自分で、
信じ込み、そして、この阿弥陀さんにお任せして、安心しているというような、自分で思い込んで、信じ固めているような信仰ではありません。 
 そうではなくて、同じく、親鸞様のうたにあるのですが、「願力不思議の信心は、大菩提心なりければ、天地にみてる悪鬼神みなことごとくおそるなり」と、仏の、一切を救うという、願いのはたらきの、思議を超えた信心とは、大菩提心であるとあります。
菩提心とは、願作仏心、度衆生心ということです。
この願作仏心というのは、仏になることを願う心、つまり、自分が、優しさや思いやりの慈悲の完成者になりたいと願う心ということです。
次に度衆生心とは、衆生(生きとし生ける者)を度(助ける)こと、つまり、助けるといっても、その一番大事なことは、生きとし生ける者に、優しさや、思いやりの慈悲の最高の成仏を願う心を芽生えさせてあげられることであるということになります。
ですから、こういう、自他共に、優しさや、おもいやりの慈悲の最高の成仏への願いが芽生えた世界が信心の世界であるといわれています。
こういう信心であるがゆえに、天地に満ちる悪い鬼神もこぞって恐れ入ってこの信心を敬うのであると親鸞様はうたわれています。
始めのうたに戻りますと、こういう信心をよろこぶ人は、仏と全く同じではないが、仏と等しいといわれるのです。
驚きです。
 信心が喜ばれれば、凡夫、つまりただ人のままに、如来、つまり仏と等しいといわれるのですから。
等しいということは、同じということではありません。
 信心を喜ぶ人は、如来(仏)と同じではないが、同じほどに尊いと言っておられます。
 そして、こういう大いなる信心は、すなわち仏の本質であり、すなわち如来であるとうたわれています。
こういう仏法の目覚めの信心無き世界を此岸、そして、信心の目覚めの世界を彼岸と考えてみます。
こういう信心の芽生えが無い、無信心の此岸の世界と
は、たぎる怒りや欲望の暑さに汗だくになり、また、他者に冷酷な寒気を与えて当たり前で、慚愧というものも、求道心も無い世界といえるでしょう。
ところが、これに対して、信心の彼岸の世界とは、仏法から、無我、慈悲、利他、布施、優しさや、思いやりが何より大事であることに目覚めるようになり、慚愧によって、暑さ寒さの煩悩がやわらいでくる世界と考えることが出来ます。
ということは、春彼岸を過ぎても雪が降る寒い時もありますし、秋彼岸過ぎても残暑の厳しい時もありますが、でも、おいおいにしのぎよくなってくるように、いくら、信心を有難く思える身になっても、やはり暑さ寒さの煩悩に翻弄されるということはありますが、でも、おいおいに慚愧と共に穏やかな人間へと育てられてゆくということでしょうか。
 
福島原発・放射能高濃度汚染水の問題
 
 高濃度汚染水が毎日、400トンも海に流出しているといいます。
 さらに、汚染水をためたタンクからも水漏れがありました。
 これは2年前の3月11日の東日本大地震津波による、福島原発爆発事故以来、放射能に汚染された水が海に流れ続けているということです。
 そのために、海の底に生きる海底魚から、高濃度の放射能が出ています。
 放射能は、プランクトンに取り込まれ、そしてそれを小さな魚が食べ、さらにその小さな魚を大きな魚が食べ、やがて私ら人間が食べるようになっています。
こういうのを食物連鎖といいますが、そのたびに、放射能は濃縮されていくといいます。
つまり濃くなってゆくということですね。
東京電力は今年、3月15日、福島第1原発の港内で捕獲されたアイナメから1キロ当たり74万ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表しました。
食品基準値の7400倍で、原発事故後に捕獲された魚で最も高いといいます。
 今、食品規制では、1キロ当たり、100ベクレルですからね。
 京都大学の専門家、小出さんは、溶けた燃料は、原発を突き破って土に達していて、地下水は、汚染され、海に出ている可能性があるといっています。
そして、原発地下のコンクリートの施設は事故でひびが入って、放射能は漏れ、地下水は入ったりしているだろうと予想しています。
汚染水が海に流出しないように遮水壁を海側に作っていますが、地下水は、どんどん山側から出てきて、遮水壁を超えて海に出ていると、テレビのニュース解説でも言っていました。
小出さんは、もう、水ではだめだから、金属で、溶けた燃料を冷却する技術に移行すべきだ、そうでなければ世界中の海を汚染するほどに際限がないと言っています。
 
福島原発・放射能高濃度汚染水流出から太平洋の死滅
 
福島原発、放射能高濃度汚染水による、太平洋の終わりという驚くべき指摘です。
これは、知人から、重要なニュースとして知らされたインターネットからの紹介です。
ドイツ、キールの海洋研究所が、去年、7月6日に発表した福島第一原発からの放射能汚染水の海洋拡散シミュレーション(予測映像)にあります。
 3〜4年後には北米大陸西海岸すべてが高い濃度の汚染水で覆われることを示しています。
しかし、東電は、キール海洋研究所が前提にしていた数字より、ずっと高い濃度と、ずっと多い量の放射能汚染水が、原発事故直後から太平洋に流れ出していたことをこのたびの参議院選挙が終ってやっと認めました。
とすると、太平洋は、もっと早く放射能でおおわれるということになります。
日本の東電も経産官僚も、エネ庁も、安全委員会も、保安院も、文部科学省の官僚も、政治家も、御用学者も、経済界も、日本の原子力産業の中心にいた人々は、どこまで、全世界に対して、危機感や責任感を抱いているのかと案じます。
インターネットでは、「彼らがいかに無能で犯罪的な人間であるか、この大規模で止まらない汚染水漏出が完膚なきまでに証明した。 彼らは紛れもなく国家的、いや国際的な犯罪者です。」と批判しています。 政府の無関心を他所に、オリンピック招致についても「国が安全を保証できないところにオリンピックを呼び込むこと自体が不誠実だ。 日本はオリンピックを辞退すべきだ」、という意見が高まっているそうです。 海外から、日本に海洋汚染の損害賠償請求が起こされる懸念もあるといいます。
 
集団的自衛権の問題
 
これは、もし、米軍が世界の紛争で攻撃された時、日本は、同盟国として、アメリカを助けるために、一緒になってアメリカに軍事協力して戦争することができる権利というものでした。
今までは、それは出来ないこととなっていました。
ところが、安倍政権になって、この集団的自衛権というものを認めようとする動きになりました。
これは、安倍政権の、憲法9条を改定し、自衛隊を国防軍にして、戦争の出来る国づくりに向かう路線上にあるものとうかがえます。
そのために、法の番人と言われる、法制局長官を、今までの集団的自衛権を認めなかった長官に代わって、集団的自衛権を認める考えを持つ人物にすげ替えました。
小松一郎内閣法制局長官といいます。
小松一郎内閣法制局長官は、8月30日、時事通信のインタビューで、集団的自衛権の行使を可能にするための憲法解釈変更をめぐる政府内の議論に「内閣の重要機関として積極的に参加していく必要がある」と述べたようです。
また、政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が年内にも予定する報告書を踏まえ、主体的に関与する姿勢を示したといいます。
 互敬、互恵、和平、非戦の仏法からは、どんどん遠ざかっていくようで憂います。
 
2013年8月
 
盆会法座のご案内 17日(土)朝、夜 18日(日)朝、夜 初盆物故者・全戦没者追弔法要・・18日朝 朝、9時半・夜、7時半始 『仏法と人生と社会』  住職自修 本郷親和会共催
 
去る参議院議員選挙に思うこと
 
 選挙は、より良い国家社会を選ぶことですが、仏教徒にとっても無関係なものではありません。
 仏教徒にとって、より良い国家社会とは、いつも申しますように、無我、慈悲、利他、布施の究極の象徴としての、仏や仏国土(浄土)にかなう、平等で平和な国家社会ということになると思います。
このたびの選挙でも、どの候補者が、どの政党が、こういう、平等で平和な国家社会創造に向けた政策をより厳密に持っているかを問いながら、選挙に臨んだことですが、皆さん如何だったでしょうか。
 
投票率低さの原因
 
投票率は、6年前、前々回は58,64%、3年前、前回は57,92%で、今回はそれをさらに下回る、52,61%でした。
 年々投票率が下がっているということですし、有権者の約半数が投票していないということです。
 このわけは、高齢化にともなう、認知症、重病、しょうがい等、病院、施設入所で、投票困難者の増加、さらに、国外出国者の増加もあることでしょう。
 また、行方不明者、住所不定者となってしまったホームレスの人も増えているのではないかと思います。
 さらに、政治や国家社会ひいては、選挙などについて、思いめぐらすゆとりもないほどに疲弊しきった人たち、あるいは、「どうでもいい」と関心の薄い人たちがあるとすれば、その原因と責任を考えます。
 一言で言えば、福祉行政、公民教育の貧困ということに尽きるのではないでしょうか。
 憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という精神はいつも空文化されているように思いますから。
 何より、つくづく、今までの保守政権が、現憲法を誇りとせず、アメリカの押しつけなどと決めつけて、憲法改定を切望していたことからわかるように、国民に、小学校の時から厳密な、憲法の授業化がなされていなかったことが元凶と思えます。
 われわれ、仏教徒も、大衆に、願作仏心(究極の、無我、慈悲、といった真実の自己実現としての成仏を願う心)、度衆生心(他者をも同じく、真実の自己実現としての成仏を願う心を起こさしめて救おうとする心)の求道心なり、信心の伝道不毛という責任を考えます。
 
自民、公明党議席の過半数獲得
 
これは、政、官、業、保守勢力、そして、それを支持する大衆の、アベノミクス、経済効果へのさらなる期待と、民主党への不信のなせるものでしょう。
そして、脱原発、改(壊)憲反対勢力の思想浸透不足を思います。
 
共産党の躍進
 
これは、今までの保守政治に不信感があり、生活不満、不安のはけ口を、保守対極の共産党に託したということで、心から、資本主義よりも社会主義を望んだというものではないと思います。
 
自民、公明党政権の今後
 
大所帯になった自民は、そのうち、政権の座を巡って、派閥が生まれる可能性があります。
 その中で、ご承知のように、日本軍慰安婦問題や、靖国神社問題で、韓国や中国からの反発、さらにはアメリカからも注意されるように、かつての戦争を過ちであったとは認めたくないらしい、安倍政権の超保守派に対抗する、せめて穏健な派閥が大きくなることを期待したいものですが、これはあてにできません。
 安倍首相をはじめとする超保守派が今後、教育の愛国主義化、自民党改憲草案にある、憲法96条改定から、天皇元首化、9条改訂して、国防軍創設、20条改訂して、国家神道の復活、公「国家」益、公「国家」秩序に反するとして、権力批判の思想言論、結社の自由を奪い、基本的人権永久不可侵の97条削除など、権力への縛りをなくし、国民を縛る憲法へと改悪する状況をじわじわ進めてゆく懸念があります。
これを憂うる、草の根の大衆啓発運動・仏法の平和伝道をさらに広げなければならないと思います。
 気が付いた、われわれ民衆一人一人が、現憲法を再確認して、この「壊」憲思想に対して、憲法3原則の、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争の放棄」を訴え続けてゆかねばならないと思います。
 公明党は、仏教の政党として、9条改憲ではなく、護憲の原則を貫いてもらいたいものです。
 安倍首相など、超タカ派は、9条護憲の公明党を切り離し、民主、維新、みんなを攻略して、衆参3分の2を確保し、壊憲に突き進む懸念も十分あります。
 
二つの考え方
 
要は次のような二つの考え方の違いがあり、どちらがより多く支持されるかということになるでしょうか。
 一つは、「理想はどうあれ、しょせん現実は闘争だ、負けて何になる、勝ってこそ」というような考え方
もう一つは、「現実には闘争があろうが、理想を失って何になる、至難な中に、他者との互恵共存の道を探ってこそ」というような考え方
 
母、妻、長男を殺されて、なお、死刑廃止を
 
 去る7月13日、広島市で、韓国人、「高貞元」さん本人から感動の話を聞きました。
 高さんは10年前、10月、21人連続殺人犯によって母、妻、長男を虐殺されました。
天が崩れたようだ、犯人を引き裂いて殺したい等と思い、恨みと恐怖で眠れない日々が続いたようです。
後、カトリックの洗礼を受け、「愛、赦し」というようなことを考えられるようになります。
犯人が捕まって後、犯人の子供もかわいそうだと思い、罪を憎んで彼を赦し、自死しょうと思われました。
警察庁へ犯人の赦しの嘆願書も出されました。
二人の娘は赦す父を理解せず、疎遠になりました。
自死せず、愛と赦しに生きて行こうというような心の変化は不思議だったと言われました。
それまでは夢かうつつかという状態で、眠れなかったそうですが、赦してから心が軽くなり眠れるようになったと言われました。
犯人への赦しの面会を望みましたが、犯人から面会は断られ、犯人に手紙を送りました。
犯人からは「私はくだらない人間ですと謝罪があり、赦しはいりません。生きている限り悔い改めることを胸深く伝えたい」というような返事が返ってきました。
赦した後も、その心からは相変わらず苦しみが去らず、時には悪夢にうなされることもあるようです。
「私も人間だから『犯人を殺してやりたい』と思うことはある。しかし同じ方法で犯人を殺しても亡くなった人は帰らない。復讐が復讐を生む死刑に反対だ」との考えでした。「天上天下唯我独尊」とのお釈迦様の言葉を紹介され、万人の生命は同一、唯一と生命の尊重を訴えられました。
欲張らぬこと、非暴力、すべてを赦すということ、真の愛こそ赦しというようなことを話されました。
来る10月には、被害者遺族の子供の奨学財団を設立すると言われ、死刑廃止運動や、被害者家族自助グループ活動もしておられるようです。
表情には、どこか晴れぬ、悲しさが漂っているようでした。
カムサハムニダと感謝を申し、握手させていただきましたが、涙が滲みました。
 
 
2013年7月
 
 
聖典学習会のご案内 25日(木)朝・夜 朝9時半・夜7時半始  学習聖典・無量寿経 住職自修  参加費無用 聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。 どうぞ誘って気楽にご参加下さい
 
前回の学習内容から
 
 この無量寿経は、すでに過去一回学び終え、二度目の学習です。
まず、おしゃか様の説法の座に、本当は、おしゃか様が亡くなってから興る、大乗仏教の菩薩たちがいるという表現に、この経が事実記述ではなく、無名の経典作者等の創作であることがわかります。
 次に、この菩薩たちの生い立ちが説かれますが、母の右脇から生まれ、七歩歩むとか、王宮を出るとか、まことに、おしゃか様の生い立ちをなぞった創作であることがわかります。
 
魔界(巨悪)の解放としての経典
 
 さらに、この菩薩たちは、修行して、悟りを開き、その光明は、魔王の宮殿にまで及び、悪魔たちをみんな救うという表現になっています。
経典には、「その光明は数限りない仏の国々をくまなく照らし、すべての世界は様々に振動する。
この光明は魔界にまでおよび、魔王の宮殿をも揺り動かすのである。
そこで悪魔どもは皆恐れをなして、降伏して従わないものは無い。
このようにして世間の誤った教えを引き裂き、悪い考えを除き去り、様々な煩悩を打ち払い、むさぼりの堀を取り壊すのである。
正しい法の城を固く守って広く人々に法の門を開き、煩悩の穢れを洗い清め、広く仏の教えを説き述べて、人々を正しい悟りの道へ導きいれるのである。」となっています。
 ここに、経典作者等が、悪魔にたとえた、世間の権力、暴力、財力による巨悪者達の救済、すなわち、彼らの人格変革、浄化をこよなく願っていることを感じます。
それほどに、インド社会でも、巨悪による、民衆の苦悩の闇は深かったということでしょう。
日本では、生活格差を広げ、庶民の生活より、企業、私利私欲を優先し、戦争のできる国家づくりを是認する政、官、業、暴力団等を巨悪、魔界というのでしょう。
まことに、仏教は、この巨悪初め、この巨悪に支配され、さらに、巨悪を崇める、民衆への覚醒、自己変革、浄化を啓発する教えと受け止めることができます。
  こんなことを思いめぐらしながら学んでゆきます。
教材は、「本願寺出版、現代語版、浄土三部経」を用います。
無い方には、コピーいたします。
いつものように、気楽に、休みながら、お茶をいただきながら学んでゆきましょう。
かたぐるしく思われずに、お誘いあっておいで下さい。
 
自民党の憲法改正草案を考える
 
 御承知のように、来る参議院選挙では、憲法改定が重要な争点になっています。
 ことに、自民党は憲法を変えやすくするために、憲法96条を変えようとしています。
 各政党の中で、憲法改正草案を作ったのは、自民党のみです。
 引き続き、自民党の憲法草案を、仏教の慈悲・反戦、反差別の考え方に基づき、考えてみます。
 
憲法96条問題
 
 これは、憲法を変えることに対する条文です。
現憲法では、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」となっています。
ところが、自民党草案では、
第百条 「この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。
この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。」
とあり、国会の発議が、現憲法では3分の2以上なのに、自民党草案では、2分の1、つまり半分以上で発議できるようにするということです。
これはつまり、今までよりたやすく憲法を変えることができるようにするというものです。
これは自民党結党以来の使命として、今の憲法は、アメリカの押し付けだから、これを変えて、日本独自の憲法を作りたいということから出てきたものです。
特に、重要なのは、憲法9条を変えるということです。
現憲法9条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」という、いわゆる、不戦憲法といわれる、この憲法9条の「A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」を削除して、戦争のできる国家にするために、自衛隊を国防軍にするというのです。
 反戦平和を願う仏教徒として、この9条も96条も改憲を憂います。
 
憲法20条問題
 
このことについて、さる6月8日、朝日新聞に次のような投稿がありました。
 「自民改正案宗教者は考えを」と題して、
私の家は代々神道の信者で、結婚式も葬儀も神道の儀式で執り行う。
私は昨年発表された自民党の「日本国憲法改正草案」の第20条(信教の自由)3項が気になっている。
国などは「特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない」としながらも、「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」としている点だ。
 ただし書きの部分は、首相をはじめ閣僚などの靖国参拝を念頭に置いたものと思われる。
現行憲法の第20条3項では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」としており、首相や閣僚などの官職名を付しての靖国参拝や奉納は、憲法違反の疑いがある。
日本が朝鮮半島や旧満州に侵略した際、学校で日本語を教え教育勅語を唱えさせ、天皇を現人神とする神社神道を押し付けた。
韓国や中国がA級戦犯をも合祀する靖国神社への閣僚参拝に反発するのは当然だと思う。
神道が先の不幸な戦争に利用された事は事実であり、20条の改正には反対だ。
瀬戸内寂聴さんら宗教者による96条改正反対の集会があったが、自民党案20条3項に対する宗教者の意見を聞きたい。」というものでした。
私は、これは何としても意見を言っておかねばならないと思い早速投稿しました。
 
私の投稿文
 
「自民党憲法改正草案第20条3項への宗教者としての意見」と題して
「6月8日の声欄、毛塚さん所論への賛同です。
現憲法20条3項では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあり、厳密に、国家は宗教と結びついてはならないと読めます。
これは、戦時中、国家が神道と一体化し、国家神道によって、国家に神聖性を帯びさせ、国民に国家を崇めさせる、精神的統治の機能を果たし、侵略戦争を聖戦として突っ走ったことに対する反省から定められたものであったはずです。
ところが、自民党草案では、「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」と新たに付け加えようとしています。
この、もっともらしさの中に、自民党草案にある、国防軍の創設に見られるように、戦争のできる国家への移行が読み取れ、今後も戦争を聖戦と神聖化し、戦死者を英霊と崇め祀って追悼するのは、社会的儀礼、習俗とし、天皇、閣僚はじめ国民が靖国神社、護国神社等に戦死を賛美して参拝するのは当然とされようとすることに危惧し、20条改憲に反対です。」というものです。
これに対して、朝日新聞の記者が、私の文章を編集しなおしましたが、大意は違っていないので次のような文章で朝日新聞6月20日に載りました。
 
朝日新聞が載せた投稿記事
 
「自民党の憲法20条改正案に疑義を呈する投稿が8日に載った。
末尾に「宗教者の意見を聞きたい」とあった。
仏教徒として投稿者へ賛同の意見を述べさせてもらう。
憲法20条3項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とある。
戦時中に国家が神道と一体化し、侵略戦争を「聖戦」と見なしたことへの反省から生まれた条文だ。
ところが、自民党草案は「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」を追加するというのだ。
この表現には、「戦死者を英霊として靖国神社などに顕彰し天皇や閣僚が参拝することは、憲法に反しない社会的儀礼、習俗だ」と見なしたい意図が読み取れる。                  
自民党は一方で、国防軍の創設を目指している。20条が改正されたら、戦前と同様、戦争を聖戦化する結果になるだろう。
私も20条改憲には断固反対です。」というものです。
どこの国の権力者も、国民を精神的に支配するため、国家を崇めさせるよう、教育や、宗教によろうとするものだと思います。
教育によって、愛国心を高め、習俗的な宗教(日本では神道)によって、国家崇拝へと国政を権威づけ、戦争をも聖戦と神聖化しょうとするものと思います。
現憲法20条は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあります。
厳密に、国家と宗教は結びついてはならないことをうたっていると思います。
 


2013年6月
 
夏法座のご案内 29日(土)朝・夜 30日(日)朝・夜 朝9時半・夜7時半始  「仏法と人生と社会と」 住職自修   ご一緒に、仏法から、人生、社会の問題を問うてみましょう。 どうぞ誘ってご参詣下さい。
 
仏教のしあわせ観
 
 結論から言うと、自分だけでなく、すべての人が、どんなに過酷な状況にあっても、優しさや思いやりのある自分と世の中を願って生きようとする自覚と姿勢が、慚愧と共に、消失することなく、臨終まで持続出来ているということではないかと思えます。
 また、よく言われる言葉ですが、「世の中に、一人でもふしあわせな人がある限り自分はしあわせとは言えない」という言葉です。
 これは、自分のしあわせは、世の中のすべての人がしあわせになってくださってこそだということですね。
「自利即利他」「自利利他円満」という仏教用語がそのことを物語っています。
 「自利」ということは、自分の利益、つまりは、自分のしあわせということは、すなわち、「利他」つまりは、他者の利益、すなわち、他者のしあわせということですね。
 しかも、自分のしあわせと、他者のしあわせとが差異なく平等で円満でなければ本当のしあわせとは言えないということになります。
 それはそうでしょうね、金銀財宝に囲まれてしあわせという王様と、今日の日の最低限の衣食住にかろうじて恵まれ、しあわせという庶民のしあわせに差異があっては、円満なしあわせということにはならないでしょう。
 このしあわせは、体調や、能力や家庭や財産や寿命や生活など物質的なものだけでなく、ことに、上記の自覚的精神の充足を言っていると思います。
 つまりは、いくら、身体や生活など物質的に恵まれていても、精神的な自覚が確立していないとしあわせとは言えないということですね。
 これは、もと、一国の王子であったおしゃかさんが、城を出て出家したというところにもうかがえます。
 又、さらに「亡己利他」という仏教用語があります。
 これは、自己を忘れて、つまり、自分のしあわせを忘れて他者を利する、すなわち、他者をしあわせにするということです。
 また、「自未得度先度他」という仏教用語があります。
 これも、自分が救われていないのに、つまり、自分がまだ、しあわせでないのに、まず、先に他者を救う、つまり自分より他者を先にしあわせにするという言葉です。
 こういう崇高な人格の究極の象徴表現が、菩薩、仏であり、こういう崇高な境涯、世界の究極の象徴表現が浄土といえます。
 さらには、仏とは、究極のしあわせな人格であり、浄土とは究極のしあわせな世界、境涯ということができます。
 
自民党の憲法改正草案を考える
 
 前月に引き続いて、このことを仏教の無我、慈悲といった平和、平等思想から考えてみます。
 
国際主義から国家主義への移行
 
今の憲法前文では「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とか、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」とか「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
とあり、全世界、協調の理想が格調高く掲げられていますが、自民党草案では、文章も簡略化され、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」とか「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とか
今まで無かった「領土等の保全等」として、「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」
という条項の新設などに、国家主義への移行を感じ、憂います。
 
今の憲法違反になるのでは
 
今の憲法には、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
とありますから、今の憲法は、国民主権、基本的人権、戦争放棄の精神を壊すものは、新しい憲法といえども排除すると読めます。
今の憲法9条では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。」
とありますが、自民党草案では、この「A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。」
を削除して、まったく新たに「(国防軍)我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」
と軍隊を持つことにしています。
ということは、まさしく、国の交戦権を認めるということ、すなわち戦争することができる国にするということになります。
これは、今の憲法の、「国民主権、基本的人権、戦争放棄の精神を壊すものは、新しい憲法といえども排除する」に相当することになり、この自民党草案そのものが、今の憲法からは排除されるべき憲法違反ということになりはしませんか。
 
憲法9条を護る私見
 
去る5月17日、朝日新聞に、山口の藤井さんが「護憲派、原則論より具体策を」と題して投稿されていたので、これは意見を言っておかねばなるまいと思い、次のように投稿しました。
500字前後の文字制限で、作文にちょっと苦労しました。
採用されませんでしたが、いつもの持論ですが紹介しておきます。
これは私なりの、人間性の原理に根差した仏教徒としての見解でもあります。
「もし他国が軍事侵略してきたら、現実には、安保条約で、日米が交戦するでしょうが、私はそのことに抗して、武力行使せず、侵略国、わが政府、国民市民、そして、国連、全世界の市民の良心にその侵略の非を訴え、非戦平和、協調、互恵の精神を訴え続けます。
反撃の報復合戦による、双国民の殺傷、損壊の増大を防ぎます。 
それとともに、この事態の双国の原因を探ります。
我が国に非があれば謝罪し、双方に言い分がれば、お互いに誠実に検証し、国際司法裁判所にもかけて協議による解決をはかります。
我が国に非のない、一方的な侵略なら、上記の如く、全世界の市民の良心に、ことに侵略国の市民の良心に訴え続けます。
それでも一方的に我が国が全滅させられても、非暴力不服従という精神に永遠に生きると覚悟します。
自衛隊を軍装解除の防災救援隊とし、国防は、海上保安庁に、日米安保解消、各国への和平、協調、互恵外交が紛争回避の鍵と考えます。」
 
天皇条項
 
 今の憲法の、「天皇は、日本国の象徴であり」を自民党草案では、「天皇は、日本国の元首であり」と格上げして変更し、さらに、「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。」
と、今の憲法には無かったものを新設します。
 ここに、国家権力による、戦前のような、天皇の政治利用による国民支配が感じられ、国家権力の権威化が謀られ、国民主権、民主主義が後退する懸念を感じます。
 
国民の責務
 
 これは、今の憲法には、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
 とあるのを自民党草案では、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」と表現が変わっています。
 これは、国民の自由とか、権利といっても節度があるということですが、今の憲法では、公共の福祉に反してはならないという表現になっています。
ところが、自民党草案では、公(国家)的な利益、公(国家)的な秩序に反してはならないというように、国家権力の定めた公益や、秩序に反してはならないということで、国家権力を批判する自由、思想、良心、表現、結社の自由等、国民の基本的人権の侵害が懸念されるところです。
 
基本的人権
 
これは今の憲法でも第二十一条に 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
とあるように、保証されていますが、自民党草案では、
「2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
というような今までにはなかった厳しい制限が、新しく新設されています。
 これは、国家権力を批判する思想や言論、宗教、集会、組織などが、国家権力によって、これは、国家の公益、に反し、国家の秩序を乱すと認定されると、活動が禁止され、基本的人権侵害の懸念があるということです。
 今の憲法には、「第十章 最高法規」として
「第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と基本的人権を現在、将来にわたって侵してはならない永久の権利としてうたってあるものを、自民党草案は、あろうことか削除しています。
 ここにも、本来憲法は、国家権力を縛るものであるのに、自民党草案は、これを壊して、国家権力が逆に国民を縛るものとなっているということを憂慮します。
 

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