2008/12/15

大きな衝撃に出会った方へ


 
                                         報正寺住職・城山大賢
 
合掌
心身ともに、ご体調いかがかと案じます。
経験のない私には、あなた様や、ご家族皆様の御衝撃、苦悩をおはかりすることは出来ません。
食事ものどを通られないのではないか、夜もよく眠られないのではないかと案じます。
ご家族の皆様もいかがかと案じます。
おせっかいかもしれませんが、心身の不調が長引くようでしたら、早めに医師に相談されたほうがよいように思われます。
心身の不調で、ことに睡眠不足が続きますとそれがこうじることが心配されますから。
思いますと
私も、あなたと同じめぐり合わせの縁があったならば、同じことであったと思います。
ただ、今まで、そういうめぐり合わせの縁が無かっただけのことです。
これから、めぐり合う縁次第ではどんなことになるかわかりません。
いくら自分を信じていても、めぐり合う縁次第ではどうなるかわからないのが凡夫というものと思います。
だから、決して、あなたや、あなたのご家族のことに限られただけのことでは無いように思います。
私のことでもあるのだと考えております。
今は、後悔には果てしがないほどにお悔やみのことと思います。
私等も、遭遇してしまったなら、この事実のまっただ中で、このどうしょうもないほどの後悔の中からも、でも、なお、前向いて生きてゆかれねばならないのですね。
経験の無い私には、私の観念の世界であり、しょせんひとごとでしかなく慙愧せざるを得ないのですが、考えさせられています。
どなたかが言っておられました。
『小さい出来事は、忘れ消えてゆく。
だが大きく深い、つらい出来事は、ずーっと、終世、大きく、深く、この私を育ててくれてゆく。』というものでした。
この『終世、大きく、深く、この私を育ててくれてゆく』という言葉に感動しました。
大きく、深い、つらい出来事は、押しつぶされるように感じることもあると思います。
でも、そのつらい出来事や、苦悩は、別の意味では、私を鍛え育ててくれているとうけとめられるのですね。
今まで、なんとも思わなかった日暮が突然引き裂かれたことは、その真っ只中に、
『何が人生で本当に大事なことなのか、どう生きるのが本当の生き方か、真にめざめよ、真に確かめよ』
と私を鍛え、育ててくれるものとして受け止められるということなのでしょうね。
山中鹿之助の言葉を思い出します。
『憂きことの、なおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん』というものでした。
『苦しいけれど、憂いや難題よ、何ぼでもやって来い、この難題こそが、ちっぽけではあっても限りある自分を試すことになるから。』
というような心意気と感じます。
私もこれから、どんな難題がやってくるかわかりません。
実際には、憂いや難題は嫌です。
でも先の『小さい出来事は、忘れ消えてゆく。
だが大きく深い、つらい出来事は、ずーっと、終世、大きく、深く、この私を育ててくれてゆく。』と言った人や、この山中鹿之助のように、憂い、難題を逃げるのではなく、自分が試される縁として、しっかりと受け止めたいと思います。
そして、終世、本当の自分、本当の生き方を求め続ける事を忘れたくないと思います。
自分勝手な思いをどうぞお許しください。
あなた様やご家族皆様は皆様なりに、もっと、ちゃんと受け止めておられることと思います。
合掌。
 


ホーム 阿弥陀仏の情的味わい 大事な人を失った方へ ひとり言 大きな衝撃に出会った方へ
気まぐれブログ つれづれに プロフィール 報正寺通信NO,8 報正寺通信NO,7
報正寺通信NO,6 通信NO,5 通信bS 通信NO,3 通信NO,2
通信NO,1 論述 リンク 行事案内 自己紹介

houshouji@hi.enjoy.ne.jpご意見・ご感想はこちら