壱章

 

 

既に日が高くなってもおかしくは無い時間だった。

しかし、あたりは未だ暗闇に包まれている。

あれから三月。あの日から空に覆われた闇が晴れる事は無い。

 

この三ヶ月の間に、驚くほど事態は急変した。

はじめこそお互いの道を進むと決別した龍閃組と鬼道衆。

その龍閃組と鬼道衆が、一つの敵と戦う為に一時とはいえ手を組む事になる。

柳生宗嵩という、最大の敵を倒す為に。

柳生に利用されていた嵐王―支奴は、緋勇天斗から受けた傷から回復し目覚めた後、結局は奴に会った

のは一度だけで、自身はそれからのことを曖昧にしか覚えていないと語った。

彼が残した崑崙と言う言葉。

結局あれから何一つわからないままに時だけが無常に過ぎていく。

「しっかし、不思議な光景だよねぇ〜」

どこか楽しそうな、小鈴の声だった。

数ヶ月ほど前までは敵として戦っていた決して解りあえる日など来ないと思っていた。柳生と対峙した

ときですら、お互いの道が交わる事など無いと、一旦は決別したのだ。

しかしその二つが今は、この江戸を救うためにこうして集まっているのだ。

言われてみれば不思議な光景と言えるのだろう。

「確かにそうですね・・・」

と、美里が微笑む。

「俺たちが手を組めば天下をとることも夢ではないな」

あっけらかんと言う、九桐に美里は思わず顔をしかめる。

そんな様子に九桐がやや慌てながら、「自分達は穏やかに暮らせばいい」

と笑った。そう、数ヶ月前までであれば決してありえなかった光景。

しかし、そんな様子を見ていた桔梗は不快な顔で言う。

「別に・・・あたしは、あんた達と馴れ合うつもりなんて無いよ・・・」

思わずその場にいる龍閃組の誰もが目を見開く。

「たーさんが、それを望んでいると思ったから・・・あたしは、あの子に償うためにここにいるんだ。

あの子の為に・・・」

桔梗が唇をかみ締める。その手がぎゅっと握り締められる。誰もが思わず目を伏せた。

あたりを漂う気まずい空気。

それを察したのか桔梗は、小さくため息を付く。

「まあ、あたしもこういうのは嫌いじゃないけどね。」

と少し悲しげに微笑んだ。

「桔梗さん・・・」

どこか嬉しげな美里の声だった。

「げ・・・皆もう集まってるじゃねぇか・・・」

そして、あっけらかんとして現れた風祭が、九桐に「何故起こさないだ!」と、怒鳴りつける。

「お前が起きなかっただけだろ」

と事もなげに言う九桐に、風祭は言い返す言葉を失う。

そんな彼の様子に、ようやくその場の雰囲気が和む。

「そういえば、劉クンが言ってたよね。崑崙の居場所は何処だとかなんとか」

思い出したように、呟いた小鈴の言葉に京梧達はハッとなる。

もちろんそれが、柳生の言っていた崑崙と同じ物をさしているとは限らない。だが、清から来た

その少年が、崑崙について知っている可能性は否定できない。

「とりあえず、その劉という奴を探してみない事には始まらないな・・・」

そう言った天戒に誰もが頷き、とりあえず手分けして彼を探してみようという事に落ち着いた。

 

 

 

 

 

 

既に刻限は大幅に過ぎていた。

いつもなら時間に遅れたりなどしないであろう、天戒と九桐の二人は未だ姿を見せなかった。

「何か・・・あったのでしょうか・・・?」

不安げに美里が言う。

「探しに行った方が良くない?」

こちらも不安げに言う小鈴の言葉に頷き、京梧達はその場から走り出そうとする。しかし、それを

止めたのは先ほど美里と小鈴が見つけてきた劉だった。

心配なのは解るが、だからこそ今話を聞いておくべきだという劉の言葉に頷き、京梧達は天戒たちを

探すのを一旦諦め、劉の言葉に耳を傾けた。

 

 

劉の言葉を聞きながら、京梧達は必死で考えていた。

『俺は崑崙山にいる・・・』

そういい残して去った柳生。劉によれば、崑崙山とは清にある霊峰だという。どう考えても、今の自

分達にそこへ向かう術は無い。

しかし、この日本もまた巨大な龍脈の上に存在するのだとも言った。だとすれば、柳生はこの国で事

を起こそうとしているのだろうか。

だが、どう考えてもこの国に崑崙と呼べるような山が存在するのだという事が理解できなかった。

劉の探す崑崙は、京梧達が目指す崑崙とは全く別のもの。

ならばこれから何を目指せばいいのだろうか。

八方塞がりだ。誰もが思う。

『誰にも俺を止める事など出来ない』

柳生はそう言った。だがやるしかないのだ。自分達の居場所を護る為に。

「なぁ・・・奴を止めることが出来る力を持った奴って、誰のことだろうな?」

ふいに劉が口にした言葉。

京梧達は思わず目を上げる。

『その力を持ちしただ一つの存在は、既にこの世には無いのだからな・・・お前達には本当に感謝している』

それは、自分達がそれをこの世から消したといっていたのだろうか。

ふいに過ぎる考え。

自分達が、それをしたというのならそれは・・・

「あ・・・九角さんが戻ったみたいだよ・・・あれ・・・九桐さんがいない?」

その時急ぎ足でこちらに駈けてくる天戒の姿を小鈴が見つける。

「何か慌ててるようですね・・・」

美里がやや安堵したように、しかし訝しげに言う。

「おい、九桐の奴はどうしたんだよ?」

ようやく合流した天戒に京梧は問い掛ける。

「やられた・・・」

疲労の色も隠せぬままに呟く天戒の言葉に、誰もが一瞬首をかしげた。

天戒の話によれば、飛鳥山へ行った二人は、一旦二手に分かれて情報収集をしようと言う事になった。

しかし、その途中九桐らしき者の叫び声を聞き駆けつけて見ると、そこには誰もおらず変わりに真っ二

つに折れた九桐の得物だけが残されていたというのだ。恐らく敵の手に落ちたと見て間違いないだろう。

少なくとも九桐の力は、誰もが認めるところ。

その彼が然したる抵抗も出来ぬままに、連れ去られたのであれば、それは柳生の手の者によると言う事

は明らかだった。しかも、相当の力を持っている。

「とにかく、九桐サンを助けなきゃ・・・!」

小鈴の言葉に、「わかってる」と京梧が頷いた時、ふいに女の声がした。

「もし・・・」

見たことの無い女だった。

しかし考えるよりも先に、女の口から連れ去られたという九桐がいるという話を聞き、京梧達は彼女の

後を追った。

その先に待ち受ける物など知りもせずに。

足早に歩きながら、女はニヤリと笑う。しかし、京梧達を先導して歩く彼女の後姿しか見えない彼らに

はその笑みを見る事は出来無かった。

 

 

 

 

 

 

悪い夢でも見ているようだと、誰もがそう思った。

九桐の居場所を知っていると言った女。

おおよそ、戦いとは全く関係ないと思われた、その女は自らを宮本武蔵だと名乗り、そしてその言葉に

偽りは無いように、恐るべき力で京梧たちに向かってきたのだ。

以前鬼道衆の前に現れた、服部半蔵と比べるまでも無く、安定しかつ強大な力。桧神美冬に降りた天海

の不安定な状況と比べても明らかに違うその違い。

辛くも武蔵を打ち負かすが、これで終わるはずが無いという天戒の言葉の通り、恐らく柳生は何の呵責

も持たずに、死せる大人たちを甦らせて、自分達に立ち向かわせてくるのだろう。

「悪夢でも見ているようだぜ・・・」

舌打ちしながら京梧が呟いた。

「どんな悪夢でも・・・それが夢であるのならいつか必ず覚める。しかしこれは紛れも無く、現実なのだ。」

そう言った天戒の言葉に、京梧は黙り込む。

「やるしかねぇだろ・・・」

京梧の言葉に、ふいに小鈴の顔が曇る。しかし、そんな彼女の様子には誰も気付かない。ただ、重苦し

い雰囲気だけがあたりを漂う。

そんな空気を察したのか真那が突然大きな声で笑いながら言う。

「うちらが力を合わせれば、大丈夫やろ!」

満面の笑みを浮かべて言う真那に、美里も笑う。

「そうですね・・・こんなときだからこそ、一致団結して立ち向かわなければいけない。そして、皆の

力が合わされば、きっと大丈夫です。」

その通りだとでも言うように、誰もが笑う。

しかし、そんな言葉を聞いても小鈴の顔だけが曇ったままだった。

「どうしたの、小鈴ちゃん?」

不思議そうに美里が問い掛ける。

「でも・・・ボクは自身ない・・・」

「けっ、お前らしくねぇな。いつもなら・・・」

京梧の言葉を最後まで聞かず、再び小鈴は先ほどよりも声を荒げて言う。

「そりゃあボクだって、どんな敵が現れたって、皆で力を合わせれば何とかなるって思ってる。

・・・でも、もし・・・」

小鈴がその手のひらを握り締める。

「もし、緋勇クンがボクたちの前に現れた時、ボクは戦える自身が無い・・・」

その瞬間、誰もが息を呑んだ。

それはあえて誰もが考えないようにしていた事。

三ヶ月前に緋勇天斗を目の前にした時ですら、彼らは動揺しまともに力を振るう事ができなかったのだ。

まして彼が去り際に口にした言葉・・・

「確かに、師匠の事は俺達のシコリだ。そして柳生がそれに気付かないはずが無い・・・だとしたら、

俺達にとってこれ以上の悪夢は無いな・・・」

そんな九桐の言葉に答える者はいなかった。

否、答える事が出来なかった。

そう、悪夢ならば必ず覚めるのだ。

しかしこれは現実。

決して覚めること無い、現実。