必ず迎えに来るから。だから俺が戻るまで、決して此処からは出てくるな!」

小さな物入れに押し込まれた子供に、青年は言った。

「大丈夫だから!だから絶対に動くな。声も出してはいけない。」

いいな?というように、青年は目の前の幼子の頭に手をおく。子供は小さく頷いた。

その答えに満足し、彼はその扉を硬く閉じ、走り出した。

 

 

 

 

 

間章−遠き落日 前

 

 

 

 

 

 

死地へと赴こうとしているとは思えぬほどに穏やかな日だった。

天戒の配慮により、各々が様々な人たちへの別れを済ませ、そして再び竜泉寺へと集まりだす。

ようやく全員が集まった頃には既に日も高くなっていたが、この日ばかりは誰も何も言うことはなかった。

これが永遠の別れとなるかもしれない。

必ず戻ると心に決めてはいても、その可能性を否定は出来ない。

「じゃぁ・・・そろそろ行くか!」

妙に歯切れのいい京梧の言葉に、誰もが頷く。そして、立ち上がった時・・・

「よぉ・・・」

それはあまりに意外な人物であった。そこにいたのは犬神。

「なんだ、あんたが見送りってガラじゃねぇだろ・・・」

からかうような言葉に、犬神は答えない。

「しばらく時間をとれ」

有無を言わさぬ言葉に、京梧が思わず眉をひそめた。

「生憎、てめぇの為に割いてやる時間なんて、俺達には無いんでね」

そんな犬神の存在を無視しようと歩き出そうとする京梧。しかし、犬神は薄ら笑いを浮かべながら言った。

「お前達は、あいつの事をどれだけ知っている?」

思わず立ち止まった京梧が、犬神を見つめる。

「あいつって・・・誰だよ・・・」

それが誰のことを指すのか、なんとなく解ってはいたが、京梧はあえて尋ねた。

「龍斗の事に決まっているだろう。」

やや馬鹿にしたような物言いに、思わずむっとした表情を見せるが、あえて何も言い返さず、その場に再び

座った。

それに続くように、他の者も上げた腰を再び降ろす。

それを見届け、犬神もまたその場に座る。

「あいつの出自については・・・?」

そんな言葉に桔梗が考え込む。

「初めて会った時に、確か出雲の出だといっていたような・・・」

「そういえば、私も彼にあった時に聞いた気がします。・・・天斗さんは、一族は全て滅んだと・・・

言っていましけど。」

桔梗の言葉に、美里もようやく思い出したように言った。

「お前達、出雲と聞いて何を思い出す。」

なかなか確信に触れようとしない犬神を怪訝に思いながらも、京梧達は何も言わず考えた。

「出雲といや・・・蕎麦がうまいよな・・・」

その場にそぐわぬ京梧の言葉に、犬神はため息をつく。

「馬鹿かお前は・・・」

自分でも、馬鹿なことを言ったと思っただけに、京梧は何も言い返さない。

「時と場合を考えろ、馬鹿京梧!」

自分をねめつける小鈴に、京梧はぐぅのねも出なかった。

「出雲といえば・・・出雲大社がありますよね。」

考え込みながら美里が言う。そんな彼女の言葉を聞いて梅月が思い出すように呟く。

「八百万の神々が集まる地ともされているね・・・」

その時、梅月の脳裏に何かがひらめく。

「!!・・・土蜘蛛か!」

意を得たりと、犬神が笑う。そして、長い話が始まる。

 

 

 

 

 

 

「かつて古代大和朝廷は、政敵である出雲族をそう呼んだ。・・・・当時の大和朝廷はそうやって自分

達の意に添わぬ敵を賎族と蔑み、徹底的に追い詰め滅ぼしていった。奴らは、鬼だの土蜘蛛だの呼ばれ

てはいたが、人であった。だが、その伝承は今も、化け物の伝説となって残っている物も多い。結局の

所、鬼だのなんだのは、結局は人が作り上げた物に過ぎんのかもしれんな。そして、あいつはその一族

の末裔にあたるそうだ。」

その伝承は御伽噺の部類に入るほどに遠い話で、もちろん歴史が全て真実を語っているとは思わないが、

そんな過去の一族に自分達の姿を見ないわけには行かなかった。少なくとも自分達は幕府によって、そう

やって追い詰められていったのだ。だからこそ復讐を誓ったのだ。

「そして出雲族は、目立った戦の伝承も残ってはおらぬように、大和朝廷に決して従わずとも、積極的に

逆らおうともしなかったそうだ。しかしその追撃の手が緩む事は無く、やがて彼らは朝廷に追い詰められ

ながら、次第に人の踏み入れぬ未踏の地へと落ち延びていった。そうなっても決して戦おうとしなかった

のだ。彼らには、自分たちの命を賭しても護るべき存在があったからな。その存在を闘うことで失う訳に

はいかなかったのだ。」

「護るもの?」

訳が解らないというように首をかしげる京梧達に、犬神は薄く笑う。

「出雲族は一般的にそう呼ばれているだけで、もう一つの呼び名があった。黄龍の末裔というな・・・」

「!!!」

その言葉に誰もが驚きを隠す事が出来なかった。

そう、自分達は今からその黄龍の―龍脈の力を手に入れんとする、柳生と闘う為に富士へと赴こうとして

いるのだ。

「その黄龍の末裔たる一族の中でも類稀なる氣を持つ者と、そしてその末裔の中に生まれる菩薩眼の女が

結ばれた時、黄龍の器が生まれるという。」

その瞬間誰もが息を呑む。そして、彼らの視線が美里へと集まる。

「じゃあ、たーさんの母親も菩薩眼だったってことかい?」

「え?・・・でも変じゃない?菩薩眼は一人しか生まれないって・・・」

桔梗の言葉に、小鈴が不思議そうな声をあげる。九桐たちも同様だった。

確か龍斗は美里よりも年が下のはず。ならば彼の母親が菩薩眼であるなど、ありえないのだ。しかし、そ

んな彼らの様子を見て犬神は笑った。

「そう、普通はそうだろう。だが、出雲族に限っては例外なのだ。つまり、たとえ美里藍が資格ある男と

結ばれても、決して黄龍の器は生まれない。器を産み落とす事が出来るのは、黄龍の末裔たる菩薩眼の女

だけだからだ。そして、器を産み落としたと同時に、その女は死ぬ。」

「・・・・」

「本来なら、お前達の言う菩薩眼が子を産んでも死ぬ事は無い。菩薩眼の女が子を産んで死ぬのは、その

子供が器であった時だけだ。」

「でも、実際静姫は子供を生んで亡くなったって・・・」

「その娘は幕府によって十年以上も幽閉されて過ごしたのだろう。外に出る事も許されず、満足な食事も

与えられず、自由に動く事も出来ず。そんな者が二人も子を成せば、命を縮めるのは当然だろう。第一、

その伝承で言えば、静という女に二人も子を産むことが出来るはずはないだろう。」

犬神の言葉に、誰もが納得せざるを得なかった。つまり二つの伝承がいつかは交わり、次第に黄龍の伝承だ

けが薄れ、覇者のもとに現れるという菩薩眼の伝承だけが、残ったという事だろう。いや、その覇者と呼べ

る存在こそが黄龍の器のことなのだろうが・・・もしかしたら、それは出雲族が意図的に流した伝承なのか

もしれない。黄龍の器を護るために。

「そして、出雲族は出雲の山奥でひっそりと、誰に知られる事も無く、静かに生き延びてきた。そして、今

から八年前に、何者かの手によって滅んだ」

「・・・」

それは緋勇天斗が僅かに語った言葉とも一致していた。彼は結局殆ど語ることは無かった。そんな彼らを見

て犬神は小さく笑った。

「あの光景は今思い出しても地獄だったといえるだろう。俺は全てを見た訳ではない。見たのは事が全て終

えた後だったが、血に変色した土の色と、人の焦げた臭いと、無残に切り刻まれたあの様子にはゾッした。

そして、数え切れぬその躯の中で、アイツに会った・・・」

そして犬神は遠くを見つめたまま、語り始める。

 

 

 

 

 

 

外から聞こえる、怒号と悲鳴。

幼いその子供はそれらを聞きながら、ただじっと声も出さずに待っていた。

男が再びこの扉を開けてくれるのを信じて。

どれだけの時が経ったのだろう。

いつの間にか、辺りは静まり返っていた。しかし子供は決して動かなかった。戻ると言った男の言葉

を破るわけには行かない。

彼は、その男の事がとても好きだった。男は彼の異母兄だった。10歳近くも年の離れたその異母兄は、

早くに両親を無くした彼にとって、兄であると同時に、父のような存在でもあった。子供にとっては、

その男の言葉が全てだったのだ。

 

長い時が過ぎる。

果たしてどれだけの時間が経ったのだろうか。

それは既に何日も経っているかのようでもあり、まだほんの数刻しかたっていないかのようでもあった。

ついにその静寂に耐え切れなくなったのか、子供はようやく外に出る。

辺りはまるで何事も無かったように静まり返っていた。

辺りを見渡すが、其処には誰の姿も無い。

外を探した方がいいのかもしれないと、扉にそっと手をかけた。

その瞬間、凍りついた。

その扉には、まるで縫い付けられるように、心臓に刀を突き刺された女がいた。その女は、異母兄の母親だった。

生きているかのように目を見開いたまま、女は絶命していた。

思わず、そこから目をそらし外に飛び出る。しかしその目に映ったのは、あまりにも凄惨な光景だった。

あたり一面の血の海。そこに無造作に投げ捨てられた死体。

その一人一人を彼は、よく覚えていた。優しい人たちだった。

しかしその人たちに駆け寄る事も出来ず、そのままその場から走り出した。

「必ず迎えに来るから」

そう言った兄は、どこに居るのだろうか。その姿を探しながら、突然何かにつまづいて転んだ。

そこには、不自然に盛り上がった砂の山。

たった今つまづいた所からは、かすかな肌色が見えた。

そっと砂を払いのける。そこには自分とよく遊んだ同じ年頃の子供の姿。

恐らくは生き埋めにされたのだろう。

そしてその背後に、その子供たちを救い出そうとしたのか、背中から幾つもの剣を生やした村人の姿もある。

兄の姿は何処にも無かった。いや、兄に限らず何人かは顔もわからぬ程に焼け焦げた死体と化していたもの

や、無残に切り刻まれた者も多くおり、結局は誰かも解らぬ者たちの中にいるのだろうと、そう思った。

子供は呆然と目の前の光景を見つめ、立ち尽くした。

そしてそのまま決して動こうとはしなかった。