間章−遠き落日 前
まるで叩きつけるように、雨音は強くなるばかりだった。 男は濡れ鼠になるのも気にせず、ただ歩いていた。 ふと何かを感じ辺りを見渡した。その視線の先に微かに屋根が見えた。 「・・・・」 そしてただ漠然とした予感を胸に、その方向に歩き出す。これは血の臭い。 しかし、これ程までにキツイ臭いを出すという事は、多くのものが死んだという事なのだろう。 そして、そこに辿りついた時、男はは眉をひそめる。 それはあまりにも凄惨な光景。 村中、至る所にある血の跡と打ち壊された住まい。そして無数の躯。 そんな物を見慣れていると思っていた男でさえ、この光景に顔をしかめる。 「一体何が・・・・」 思わず口から出た言葉に、思わず苦笑いをする。 何があったのかは、一目瞭然だ。 と、そのとき微かに動く何かを発見する。 見るとそこには、恐らくは十にも満たないであろう幼い子供がじっと立ち尽くしていた。 子供はただじっと、目の前にある無数の躯を見つめている。 「何を、している?」 男は何をしている訳でもないその子供に問い掛ける。 「考えてる・・・」 子供はは小さく答えた。意外な答えだった。 「何を考えている?」 なおも男は問う。 「生きるべきか、死ぬべきか・・・どちらが良いのか、考えている。」 年のころに似つかわしくない物言いに、顔をしかめた。 「何故?」 「今、俺は彼らの犠牲の上に生きている。みんな、俺に生きろと言った。」 「だったら、生きるべきでは無いのか?」 「だけど、今のままだと俺は物を乞い、残飯をあさり、盗みを働き、時には人に身を売いで生きてい かなければならない。そんな生き方をしてまで、果たして生きている価値があるのかが、どうしても 解らない・・・だから考えている。」 子供は、雨に濡れながらも顔色一つ変えずに淡々と語る。 『聡い子供だ・・・』 男は、ふいにそう思った。おそらくは、全てを失ったのだろう。普通なら絶望し命を絶つか、あるいは 復讐にその心を燃やす。しかし、この子供は・・・ 「俺と来るか・・・?」 唐突に男は言った。子供がようやくこちらを振り返る。 なんの感情も宿ってはいない顔だが、明らかに警戒しているのが見て取れる。 「なに。子供一人増えたところで一人ぐらいは養える。そこで答えを探せばいい。少なくとも物乞いも 残飯あさりも、盗みもせずに済む。」 薄く笑いながらそう言うと、その手を子供の前に差し出した。 「まあ・・・貧乏所帯だ。食うものもたいしたものはないし、掃除くらいはしてもらうぞ。」 そう言った男の言葉には何の含みも感じられない。 「どうだ、一緒に来るか?・・・」 再び問われた言葉に答えは無い。 「皆の墓を作りたい。少し待ってくれるなら・・・」 ぽつりと子供は言った。 「手伝おうか?」 男の申し出に子供は首を横に振る。 「自分でやる」 それ以上は言わせないとでも言うように、その場に座り込むと、子供は穴を掘り始める。男はその姿を 見て、そっとその場を離れた。 どれくらいの時がたったのだろう。 再び村に戻った時、男は少なからず驚いた。そこにあるおびただしい数の墓。あれから大して時間は経 たぬというのに、たった一人でこれだけの墓を作り上げたのだろうか。 見れば子供の手は、血でまみれていた。 その視線に気付いたのか、子供は言った。 「皆は命を失った。これくらいの痛みは痛みじゃない」 そんな子供に苦笑いして、男は手に持った花を差し出す。 「手向けだ・・・これくらいは良いだろう?」 ぶっきらぼうな男の言葉に、それでも 「ありがとう・・・」 と小さく呟いた。 「お前の名は・・・?」 男は問う。 「緋勇龍斗・・・」 「俺は犬神だ。犬神杜人だ。」 犬神に連れられ、村を後にする龍斗は、ふと後を振り返った。 そこにはすでに村の姿は見えず、それでもじっとその方向を見つめた。 「さよなら・・・」 小さく呟くと、すでに先を歩く犬神の後を追いかけた。 雨はいつの間にか止んでいた。 * 「・・・・・・」 「当時その子供が・・・龍斗がまだ八歳だった事は後で知った。以来六年間、俺がアイツを育てた。 そして、あいつが十四になった時あいつは、答えを見つけるといって、江戸を出た。それから二年後 に再会するまでは、二度と会うことは無いと思っていたが・・・」 言葉が出なかった。 特に龍閃組にとって、彼の過去はあまりにも壮絶だった。 天斗によって、彼の一族が滅んだという事実こそ知ってはいたが、八歳の子供は、目の前で繰り広げ られた光景をどんな想いで見つめていたのだろうか。 美里はふいに思い出す。 『あなたは・・・全てを無残に奪われた事が無いから、失った事がないから、そんな事がいえるんです。』 彼はあの時、どんな思いでその言葉を言ったのだろう。今になってそう思えた。やっと思った。 美里の実の両親は既に亡い。だが、それは美里自身がまだ赤子の時の出来事であり、彼女を育ててくれた 両親は、誰よりも美里を慈しんで育ててくれた。大切な友を得、信頼できる人たちに囲まれ。 実の両親でないとは知りながらも、自分が不幸だと思えた事はただの一度としてなかった。そう、恐らく 自分は幸せだったのだろう。 そんな美里の様子をちらりと横目で見て、犬神は再び思い出すように語る。 「二年後、あいつと再会したとき俺は聞いた。答えは見つかったのかと・・・アイツは言ったよ・・・」 『まだ解りません・・・でも生きたいと、最近そう思うようになりました。』 「たいした進歩だと思った。アイツは生きるべきか死ぬべきかがわからないというよりも、生きる為の答え を探しているように見えた。恐らく自分を生かす為に死んだ多くの者の為に、生きるべきなのだとは思って いたのだろうが、少なくとも生きる事を切望しているようには見えなかった。いや、むしろ死ぬ事を望んで いたのかもしれん・・・そんなアイツが生きたいと願った。いい変化だと思った。」 どこか穏やかな表情だと、誰もが思った。しかし、次の瞬間には彼の顔からは再び表情が消え去っていた。 「二度目の再会は、意外に早かったな。同じ場所だった。」 その言葉に、京梧が眉をひそめた。 「俺自身、その時は何が起こったのか理解できんかった。まあ、何があったのかはお前らの方が知っている だろうがな。そして、俺は再び同じ質問をしたよ。その時も『わからない』と言った。そして、自分は死ぬ べきだったのかもしれないと・・・そう言った。」 その瞬間京梧たちは息を飲んだ。 しかし犬神はそれ以上は何も語らず、言う事は終わったとでも言うように立ち上がる。 しかし去り際、思い出したように振り返りもせずに言う。 「あいつが死んだ事に後悔を抱いているなら、あまり気にする事は無いだろう。どうせ、あそこで死なずとも、 あと1年も生きられんかっただろうからな。」 「!!」 「器の役目は、龍脈を手に入れることでも、この世の覇者となることでもない・・・ただ、乱れた龍脈を静め る為だけに存在する。その命をもってな。それが、黄龍の器の真の役目だ。」 それだけ言うと、そのまま竜泉寺を後にする。 あとに残されたものは、ただ言葉も無くその姿を見送るしかなかった。
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