「蜀と同盟を組む!?」
陸遜にとってそれは寝耳に水な話であった。
「正気ですか・・・?」
彼の驚きも当然だろうと周喩は思う。
手にした書簡から目を落としたまま頷く。
なにせ今回の同盟も、魏との戦いもほとんど諸葛亮の口車に乗せられたと
いっても過言ではないのだ。
周喩とてそれは承知している。
しかし今の呉にとって、最大の敵は魏であって蜀ではない。
いざとなれば、蜀など呉の国力を持ってすればつぶす事は簡単だ。
だが、魏はそうはいかない。
国力も兵力も魏の力は圧倒的なのだ。
「もう決めた事だ。」
言外に口をはさむな、と言い切られ陸遜は唇を噛んだ。
陸遜はそれに答える事無く部屋と飛び出そうとする。
「それから今殿の元へ蜀の使者が来ておられる。顔を出すように。」
去り際の周喩の言葉に、陸遜はカッとななる。
「誰が行くか!?」
それだけ言い残すとそのまま勢い良く走り出す。
「やれやれ・・・まだまだ子供だな・・・」
残された周喩は小さくため息を付くと、再び書簡に目を落とした。
*
一方周喩の執務室を飛び出した陸遜は、不機嫌きわまりない顔で回廊をずんずん
と歩いていた。
周喩の考えは解る。
自分だって馬鹿じゃない。
今の呉にとって目下最大の敵は魏であって蜀ではない。
だからと言って蜀の・・・諸葛亮の舌先三寸に踊らされるのは、はっきり言って
腹立たしい事この上ない。
だが、陸遜には発言権など無いのだ。
いくら周喩の後継者として育てられているとはいえ、今の立場は単なる見習に
過ぎない。
だからこそ余計に腹が立つのだ。
「あの〜・・・」
遠慮がちにかけられた声に、陸遜の額に青筋が浮かび上がる。
どんな人間にも、誰にも関わりたくない時間というのは存在するだろう。
陸遜にとってはまさに今がそうだった。
そういうときに声をかけられる事は、かけた人間にとっては不運でしかない。
普通は・・・
「うるさ・・・い・・・え・・・」
勢い良く振り返った陸遜に、その人物は驚いたように目を丸くした。
本当なら
『うるさい。話し掛けるな!!』
と叫ぶつもりであった陸遜は、毒気を抜かれたかのようにぽかんとする。
目の前にいる人物に見覚えは無い。
見覚えは無いが・・・
何も言わずに自分を見つめてくる陸遜に、その人物は困ったように首をかしげる。
「あの・・・」
「惚れた・・・」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。」
そう言って陸遜は微笑む。
その日陸遜は、生まれて初めて本当に一目ぼれなるものが存在すると言う事
を知るのだった。
*
先ほどまでの機嫌の悪さは何処へやら、天使のような笑みを浮かべて陸遜
はその人物に微笑みかける。
「で、何か御用ですか?」
突然の陸遜の変わりように、微かに首を傾げるも、その人物も陸遜の優しげ
な言葉に微かに笑う。
「はい。どうやら道に迷ったようで・・・出来ればご主君の所までご案内
いただければと思い・・・」
「奇遇ですね。私も今そこに向かう途中だったのですよ。よろしければ
ご一緒にどうですか」
もしもその場に周喩がいたら
「誰が行くか・・・とかなんとか言っていたくせに・・・」
などと突っ込むだろうが、幸いにも彼はこの場にはいない。
彼の人物といえば、陸遜の親切な言葉に、ただ単純に感謝しているようだ。
「所で貴方は?」
「あ、はい。蜀より諸葛亮殿のお供で参りました趙子龍と申します。」
丁寧に深々と頭を下げるその人物。
「へ・・・?」
(今蜀とか言ってませんでしたっけ・・・?)
ということは・・・・
「ああ、貴方でしたか。蜀からの使者というのは。申し遅れました。
私は陸伯言と申します。」
もしもここに周喩がいれば、
「さっきと全然態度が違うだろ、おいっ!」
とか突っ込む所だろうが、幸いにも彼はこの場にはいない。
兎にも角にも、これが陸遜にとっての運命の出会いであったのだ。
*
「遅かったですね趙将軍。」
「申し訳ありません。道に迷ってしまいました。」
孔明の言葉に、趙雲はのほほんと答える。
「・・・おや、そちらは?」
「貴方があの諸葛孔明殿ですか。お噂はかねがね伺っています。
私は陸遜。字は伯言と申します。」
「ああ・・・貴方が周喩殿の言われていた陸遜殿ですか。」
などと、二人して微笑み合ってはいるが、それを後ろから見ていた
孫権などは
(この二人、なんか怖い・・・)
とか思ったとか思わなかったとか・・・
「あ、そうだ。子龍殿。」
(いきなり字ときましたか・・・私ですら未だに字で呼ぶことすらかなわないというのに・・・)
「はい。なんでしょう?」
「ボクの妻になっていただけませんか?」
「すいませんが、私は蜀の人間ですから・・・」
「あ、大丈夫です。僕はそう言う事気にしませんから。」
後にいた孫権は
(そう言う問題じゃ無いだろう・・・)
と心の中で突っ込みを入れる。
「お待ちなさい。趙将軍は我が軍には無くてはならない存在。呉にくれて
やるわけにはいきません。」
あくまでも平常をたもって孔明が言う。
(突っ込む所が違うだろう・・・)
背後で再び孫権が突っ込む。あくまで心の中でだけ。
「貴方は黙っていてくれますか?これば僕と子龍殿の問題です。」
「これが黙っていられますか!そう言う事なら・・・子龍殿!」
「はい」
「私の妻になってください!!」
「あんた既に妻がいるだろ!」
(だからそう言う問題じゃ無いだろう・・・)
ここまで来ても心の中でだけ、孫権が突っ込む。
「大丈夫。一夫多妻制ですから。」
「僕は二人も妻を娶るつもりはありません。子龍殿一人だけです!」
「敵国の武将のくせに何をたわけた事を言っているんです!」
「同盟組んでんだから、敵国じゃありません!」
「こうなったら子龍殿に選んでもらいましょうか。」
「なるほど・・・それが一番良いですね。殿!」
「はいっ!」
「貴方が証人です!」
「解りました・・・」
君主の威厳は何処へやら、孫権が泣きそうな顔で頷いた。
「「で、子龍殿!」」
「はあ・・・」
「「貴方はどちらを選ぶんですか?」」
「あの・・・えっと・・・ごめんなさい」
まさかごめんなさいと来るとは思っていなかったので、陸遜も孔明も思わず呆気に取られる。
「私には他に想う方がおりますので・・・」
「「・・・・・」」
「じゃあそう言う事で・・・」
そういって頭を下げると、趙雲はそそくさとその場を立ち去る。
そんな彼の後姿を、陸遜も孔明も呆然と見つめ続けていた。
そしてそんな二人の姿を、孫権がどこか哀れみのこもった目で見つめていた。
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