送り火

 

 

 

 

 

 

先日までの喧噪が嘘のような、穏やかな日であった。

間もなく夏になろうと言うのに、その日はうだるような夏の暑さも無

く、また梅雨特有の鬱陶しさも無く。

まるで春の穏やかな日に舞い戻ったような1日だった。

「準備は出来たのかい?」

時諏佐が尋ねる。

「まだ、ほのかちゃんが・・・」

時諏佐の問いに美里が答える。

「そうかい・・・」

 

その日、龍泉寺の境内には多くのものが集まっていた。

龍閃組の面子だけではなく、瓦版屋の杏花。

御厨ら火盗改や真由をはじめとする、川原の住人たち。

特別に許可を貰い吉原から来たお凛。(噂に寄れば将軍じきじきに特例として許しが出たらしい)

将軍その人こそ、ここにはいないが勝海舟や松平容保、円空ら幕府の

もの達。

鍛冶屋の幼い兄弟や弁天堂の美弥までもがいた。

すべて、これまでの戦いで出会った者達ばかり。

普段ならば決してありえないような顔ぶれ。

唯一つ共通していたのは、誰もが沈痛な面持ちであることだった。

「本当に・・・燃やしてしまうのか?」

御厨が複雑な表情で、他のものには聞こえぬよう小さな声で時諏佐に問う。

「あの子の遺言でね・・・どんなことがあっても、自分の体を残さな

いで欲しいと・・・燃やして欲しいってね。」

どこか苦しげな表情で時諏佐は答える。

「何故・・・」

「さあね。恐らくあの子は、あたし達が知っている以上のことを知っ

ていたのかもしれないね。まあそれがなんだったのか、今更確かめる

術は無い。」

どこか遠くを見つめるように時諏佐は言う。

そんな彼女にそれ以上は何も言わず、御厨は中庭の中ほどにある棺を

見つめた。

出会ってから僅か数ヶ月。しかし、これ程までに自分の心に入り込ん

できたものは今までになかった。

不思議な少年だった。無表情で、言葉も少なかったが、彼の語る言葉

一つ一つが、御厨にとって忘れていたものを取り戻させるに十分なも

のだった。

もし彼と言う存在が無ければ、自分は迷ったままに、自身の誇りも何

も取り戻せなかったかもしれない。

御厨はそっと、彼に近づく。

そこに眠るその人は、本当に眠っているだけのようだと思う。

もしかしたら死んだというのは勘違いで、揺り動かせば目覚めるので

はないかという錯覚すら覚える。

そっと触れたその肌の冷たさだけが、既に彼が逝ってしまったという

事実を物語っていた。

 

「お前は・・・これで本当に良かったのか?・・・龍斗・・・」

 

 

 

 

 

 

「遅くなりました。」

荒い息で、ほのかが現れる。

「ごめんなさい。こんな日に遅れてしまって。」

心からすまなさそうに詫びるほのかに、時諏佐は優しく微笑んだ。

恐らく、誰よりも葛藤があったのは彼女に違いないのだ。

誰がその様な役目を、このような少女に背負わせたいと思うのか。

しかし、聖なる朱雀の炎を持つ彼女にしかこの役目は出来ないのだ。

ほのかは、少しこわばった表情でその方向を見つめた。

「じゃあ・・・そろそろ始めようか。」

時諏佐の言葉を合図に、皆がその場を下がり、ほのかが一歩進む。

「ちょっと待ってくれ。」

突然の静止の声は京梧だった。

時諏佐達は怪訝そうな顔で京梧を見つめる。

「別に燃やすなっていってんじゃねぇよ。ただ・・・」

そう言って小走りに走り出す。

誰もが遠巻きにその様子を見るが、一体何をしているのかは誰にも解

らなかった。

程なくして京梧は再び小走りで戻ってきた。

その手の中には、黒髪が一房握られている。

「他に・・・残せるものがねぇし。これぐらいは・・・戻してやりた

いだろ。あいつが還りたかった所に。」

その時、何処からかすすり泣きが上がる。

そして、京梧はそっと振り返る。

自身が殺したその人。

分かり合える日など来ないと思ったのはいつだったのか。

だが、そんな予感など無視しても、もっと歩み寄るべきだったのだろ

うか。

しかし、正直京梧は驚きを隠せなかった。

彼を荼毘に付すと言う知らせを何人かにはしたが、まさかこれ程まで

の多くの人が集まるとは思わなかった。

皆、常に傍にいた自分達以上に、彼を理解していたのだろうか。

「じゃあ・・・頼むよ。」

再びほのかに向かい、時諏佐が言った。

ほのかは一歩前に出て、静かに目を閉じた。

 

「わが身に宿りし聖なる朱雀の炎よ・・・」

 

次の瞬間には彼女の周りから炎が上がる。

それは瞬く間に、彼が眠る棺へと燃え移った。

はじめは小さなその炎は、一瞬にして大きく燃え上がる。

数日前に江戸を燃やした炎とは違い、彼を焼く炎はどこか美しく見え

た。

炎の勢いは留まる事無く、この調子でいけば数刻もすれば骨のかけら

一つ残さずに燃え尽きるのだろう。

京梧はその手のひらの中の髪をじっと見つめた。

『もし、また此処で会えたら、そん時は本当の仲間になろうな・・・

この新宿で・・・』

口には出さず、心の中で小さく呟く。

目の前で煌々と燃える炎は、彼を送る送り火のようにも見えた。

 

 

 

 

送り火 完