散華

 

 

 

 

龍斗は小さくため息を付いた。

蜉蝣と黒蝿翁と言う謎の敵の出現より数ヶ月。結局の所、その所在すら全くわからぬままに、

一月近くがたっていた。

その日龍斗は天戒からの頼まれ事で、内藤新宿に来ていた。

訪れたのは織部神社。

以前に桔梗たちとそこの巫女である織部葛乃と会ったことはあったが、幸いにも彼女は留守に

しており、そこにいたのは面識の無い住職一人だった。

それでも、鉢合わせするのも不味いだろうと、急ぎ足に鬼哭村へ戻ろうと思った矢先に、龍斗

は聞き覚えのある声に呼び止められたのだ。

「あんた・・・鬼道衆だろ?あの九桐と一緒にいたもんな。」

挑発的に言うのは、確か蓬莱寺京梧といったか・・・

会ったのは確か九桐と一緒に花園稲荷に行ったとき。

その時の4人が今目の前にいる。

いくら闘ったことが無いとはいえ・・・九桐と一緒にいる時に会ったのだし、美里に至って

は村に来たこともあるのだ。

自分鬼道衆の一員である事は、彼らからすれば容易に想像がつくだろう。

そして、たとえ神社で葛乃に会わなくとも、街中で彼らに会う可能性が無い訳ではないことに、

ここにきてようやく気付く。

「だとしたら、どうしますか?」

龍斗はあえて冷静に言う。そんな物言いに、気分を害したようで、蓬莱寺は先ほどより険呑と

した口調になる。

「別に此処で事を構えようたぁ思っちゃいねぇ。ただし、あんたが鬼道衆の根城に案内して

れたらな。」

「行ってどうするのですか?」

彼らの考える事は何となく理解できたが、龍斗はあえて尋ねる。

「んなの、決まりきったことだろ。あの時は、鬼道衆の頭目をみすみす逃がす羽目になった

んだ。しかも、あれ以降あんたらの動きは全くねぇ。」

「そうだよ!罪の無い人を傷つけて、仲間すら鬼に変える。そんなアイツのやることをボク

達は許す訳にはいかないんだ!」

その背後で、髪の短い少女が声を荒げた。

そんな少女の言葉に龍斗は怪訝な顔をした。

「鬼に・・・変える・・・」

ポツリと呟かれた言葉を、蓬莱寺は聞き逃さなかったようだ。

「惚けるんじゃねぇ。御神槌や雹や泰山、それに火邑が鬼に変わったのは、あの鬼道衆の頭

目が渡したっていうあの変な珠のせいだって事を、俺たちが知らないとでも思っているのか!」

「・・・・・・」

蓬莱寺は怒りに満ちた声を聞きながら、龍斗はふと考え込む。

御神槌達が鬼に変わったと言う話を、龍斗自身は聞いた事はない。

彼らの口からもそんな事は語られなかった。

しかし、彼らが天戒から渡されたと思っているその珠の存在を龍斗は知っていた。

しかし、天戒自身はその珠を彼らに授けたことなど無いと言っていた。

何よりも天戒が、自分の仲間を鬼に変えるなどという所業をするはずが無いと言う事を龍斗

自身がよく理解している。

一月ほど前に現れた謎の敵。

もしかしたら彼らが関わっているのだろうか・・・

龍斗は何かしら不安を感じざるを得なかった。

胸を過ぎる不安と、予感。

一触即発という今の状況にもかかわらず、龍斗はその胸を思わずにぎりしめる。

 

 

 

 

 

 

「この状況で考え事してるたぁ、余裕じゃねぇか!」

龍斗の様子に痺れを切らしたように、蓬莱寺が声を上げた。

その時になってようやく龍斗は再び蓬莱寺たちのほうを見た。

「で、どうなんだよ。案内するのか?」

あくまで挑発的に言う蓬莱寺の言葉。

「お断りします。」

静かに、しかしきっぱりとした口調で龍斗は言う。

蓬莱寺自身もその答えを予想していたようで、当然とばかりに笑みを浮かべた。

「だったら、無理にでも吐いてもらうしかねぇようだな。」

そんな蓬莱寺の言葉に、龍斗は考える。

彼らが自分に対して戦いを挑んでくるのは当然なのだろう。

彼らにとって自分は憎むべき敵なのだから。

簡単に負けるとは思わないが、四対一では明らかにこちらに分が悪い。

何よりも天戒を始めとして、九桐や桔梗、風祭たちも彼らにことごとく敗れているのだ。

ここは隙を見て逃走するのが最善と思えた。

彼らが構えるのと同時に、龍斗もまた構える。

その時、龍斗は自分の体に違和感を感じる。

先ほどまでは何ともなかったにもかかわらず、妙に息苦しさを感じた。

『これは一体・・・』

いつもに比べてどこと無く体も気だるい。

蓬莱寺達はすでに臨戦態勢になっている。おそらく今の状態では、ここから離脱したとし

もすぐに追いつかれるのは目に見えている。

だからと言って、今闘ったとしても勝てる自信が無かった。

しかし、彼らを鬼哭村へと連れて行くことも、その場所を言うのも出来ない相談なのだ。

ならば戦うしかない。

額から汗が滲み出る。

「いくぜ!」

言葉と同時に、蓬莱寺は龍斗に向かって切りかかってきた。

 

 

 

 

 

 

「強い・・・」

信じられないとでも言うように、僧侶―雄慶が言う。

その容姿からは、おおよそ戦いなれているとは到底思えない。しかし、四人を相手にして、

この緋勇龍斗と言う人物は一歩も引けを取らない。

もし一人で相手にしていたら、あっさりと敗れているのは自分かもしれないと思う。雄慶

は横目で蓬莱寺を見る。恐らく彼も同様の事を考えているのだろう。

その表情はどこか悔しげだった。

「やるじゃねぇか・・・」

かすかに荒い息で蓬莱寺が言った。

龍斗の方はと言えば、全く変わらぬ表情でこちらを見据えている。

いや、表情こそ変わらなかったが、内心龍斗はあせっていた。

すきあらば逃走しようと、彼らの攻撃を避けながらもその隙が出来るのを伺い続けていた

が、その機会は全く訪れない。

しかし、体力の限界が近いこともわかっている。

普段ならば、こうはならないにもかかわらず、なぜか今日に限っては体が思うように動か

ないのだ。

もしここで負けるようなことになったら・・・

迷わず自分は命を絶つだろう。

彼を護るためなら、この命が惜しいとは思わない。

『お前を護る・・・』

龍斗の脳裏に、天戒の言葉が過ぎる。

『もしここで俺が死んだら、天戒は自分を責めるのだろうか。』

それだけはどうしても避けたかったが、それ以上に彼らの―彼の居場所に幕府を踏み込ま

せるような真似だけはしたくは無い。

龍斗は諦めたようにその構えを解く。

そんな様子に蓬莱寺が勝ち誇ったように笑う。

「観念したようだな。」

しかし龍斗は、そんな彼の言葉に小さく笑むと、その心臓の位置に拳を当てる。

驚いたように声を上げたのは美里だった。

「緋勇さん!」

そんな美里に、龍斗は問い掛ける。

「答えは・・・見つかりましたか?」

「・・・!」

恐らくは、まだ迷っているのがその様子からはっきりと理解できる。

「・・・何故、簡単に命を絶とうとできるんですか?いくら大切なものの為とはいえ、

そんなのは間違っている・・・」

美里の言葉に、龍斗は穏やかに言う。

「俺は・・・帰りたいと思う。でも、ここで貴方達に負けて、幕府を彼らのところに

踏み込ませるくらいなら・・・彼を護れるなら・・・この命が惜しいとは思いません。」

龍斗の息がかすかに荒いのに美里は気付いたのだろうか。

しかしそんな龍斗の言葉に美里は悲しげに彼を見る。

彼の目には迷いは無い。その感情は諦めでも、自己犠牲とも違う。

「貴方にとって・・・彼はどういう存在なの?」

美里は、すがる様に問い掛けた。

「彼は・・・俺の全てです・・・」

搾り出すように龍斗は言う。

「俺は・・・天戒を護れるなら・・・例え彼を傷つけても・・・・」

そしてそのまま力尽きるように、その場に崩れ落ちた。

「!!」

美里は驚いて龍斗に駆け寄る。そして、命を絶った訳ではないと知って安堵した。同時

にその顔色の悪さを見てさらに驚く。

恐らくは、戦いの疲労ではなく・・・

「こんな体なのに、どうして・・・」

美里は悲しげに呟いた。

 

 

 

 

 

 

さすがに敵を自分達の住処に連れて行くのは躊躇われたのか、美里達は龍斗を医師の

良仁の元へと運んだ。

あれから数刻がたつが、彼は一向に目を覚まさない。

「あ、良仁先生・・・」

奥の部屋から、現れた良仁の姿に美里は立ち上がる。

「あの子は・・・君達の友人かね?」

そう問われて、一瞬のためらいを見せるが、美里は頷いた。

「・・・そうか・・・」

どこか険しい表情の良仁に美里は怪訝な顔をする。

「どうかしたのですか?」

そんな問いに、良仁は一瞬黙り、重い口を開いた。

「あの子は多分・・・もう長くは無いだろう。」

「!!!」

その言葉に、美里だけでなく蓬莱寺たちもまた驚愕した。

「長くは無いって・・・」

「まあ、もう少し詳しく診てみない事には何とも言えんが、せいぜい1年か・・・

とにかく、あれほどに生気の薄い者を見たことが無い。」

良仁の言葉に、美里が辛そうに目を伏せた。

「そんな・・・」

「すまんが、往診の時間なのでな。儂は外出するが、あの子の様子が少し落ち着いたら、

つれて帰ってやりなさい。」

それだけ言うと、良仁は部屋を後にする。

 

 

その時美里達は気配を感じた。

そう、一月前に出会った者の気配。

急いでその気配のする部屋へと向かう。そこには鬼道衆の頭目の姿。

その腕に抱かれるように、彼が眠っている。

「あまりに遅いので心配になって来てみたが・・・龍が世話をかけたようで・・・礼を言う。」

「待って!!」

そのまま立ち去ろうとする天戒に、美里は思わず声をかけた。

天戒は振り返りもせずに、立ち止まる。

美里は一瞬躊躇する。先ほど良仁から伝えられた言葉を、果たして言うべきなのだろうか。

「貴方にとってその人はどういう存在なの?」

良仁より伝えられた事を言う代わりに、美里は先ほど龍斗にしたのと同じ質問を天戒にした。

「俺の・・・命だ。」

「・・・」

迷うこと無くきっぱりと言い切る天戒。なんて強い想いなのだろうと美里は思う。それ

は龍斗にもいえることで。

しかし、天戒はそんな美里を一瞥すると、そのまま何も言わずに再び歩き出した。

美里も、そして蓬莱寺もその後姿を黙って見送った。

「追わぬのか?」

雄慶が問い掛ける。

「病人相手に戦いを仕掛けるほど、俺は落ちぶれちゃいねぇよ」

蓬莱寺がぶっきらぼうに言う。

そして、彼らが消えた方向をただじっと見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

龍斗が目を覚ますと、最初に目に入ったのは、心配げに自分を見つめる天戒の姿だった。

その後には、桔梗たちの姿もある。

「・・・おはようございます。」

起き上がって、小さく頭を下げる龍斗の姿に、誰もが思わず脱力する。

「てめぇ!言う事はそれだけか!」

声を荒げて言う風祭に、龍斗は少しだけ首をかしげる。

「もしかして・・・寝坊しましたか?」

どこかずれた龍斗の言葉に、風祭が再び脱力した。

「まったく、どれだけ心配したと思ってんだい!?」

桔梗も怒ったように言う。

しかし龍斗は相変わらず不思議そうに首をかしげている。

「憶えて・・・いないのか?」

そんな龍斗の様子に、天戒が尋ねた。

「何をですか?」

その様子は、偽りを言っているようには見えなかった。

「まあいい・・・」

そう言って優しげに微笑んだ。

そして、龍斗を探す為に街へ降りたときのことを思い出す。

そこで出会った男のことを。

 

 

 

「龍斗なら、そこの道を行ったところにある医師のところにいるぞ。お前らの敵と一緒にな。」

どこか不思議な気配を持つ男だと天戒は思う。

しかし、男はそれだけ言うとこれ以上用は無いというように、そのまま踵を返す。

しかし、ふいに歩みを止めて天戒に言う。

「あいつに伝えておけ。無理はするなと。」

「失礼だが、龍とはどういう・・・?」

しかし、天戒の問いに答えぬまま、男は言葉を続ける。

「ついでに、あいつを大事に思うなら、あまり目を離さぬことだ。あいつは護るものの

為なら、簡単に命を絶つぞ。元より、生に対して執着を持たぬやつだからな。」

そのまま歩き出す男の姿を見送ると、天戒は彼から伝えられた診療所へと急いだ。

 

 

 

そう、天戒は心に決めたのだ。

どんなことがあっても彼を護ると。

「お前のような者に言われるまでも無い。龍はどんなことがあっても護ってみせる。

たとえ、この命を引き換えにしてもな。」

自分に言い聞かせるように、天戒は小さく呟いた。