思慕

 

 

 

星彩はその歩調を速めた。

姜維より姿の見えない劉禅を探して欲しいと請われすでにかなりの時が経過した。

しかし思い当たる場所は全て訪れたが何処にも劉禅の姿は見当たらなかった。

「まったく・・・一体何処に行かれたのかしら・・・」

そうぼやきながら、しかし星彩はふとした瞬間に言いようも無い不安に襲われる事がある。

ここ数年の間、劉禅の行動はおおよそ君主とは言いがたい行動ばかりで、そんな彼に対し暗君だの

愚鈍だの愚帝だのという陰口をたたくものが多くいる。

だが星彩にはどうしてもそれを嗜めることが出来なかった。

別に暴君という訳ではない。

だが政に一切関心を示さない彼を孔明の死後、必死になって諭す姜維の姿を星彩は何度目撃した事

か・・・

そんな劉禅を見るたびに、星彩はあの偉大な君主であった劉備を思い出さずに入られなかった。

せめて劉備がもう少しながく生きていたのなら・・・

いや、劉備だけではない。

もしも孔明があんなに早く逝かなければ。

もしもあの日関羽が殺されなければ。

・・・父が・・・せめて生きていてくれたら・・・

ふいに星彩はその歩みを止める。

彼らのことを思い出すとき、彼女は決まって彼のことを思い出す。

「関平・・・」

関平が父の関羽とともに殺されたと聞いた時、星彩はただ信じることが出来なかった。

もしかしたらあの頃から破綻は始まっていたのかもしれない。

「関平・・・どうして私を置いて・・・」

目を閉じれば、思い出すのは彼の輝かんばかりの笑顔。

そんな彼の顔を思い出すたびに、星彩の心はとても痛んだ。

 

 

 

 

 

 

「案外殿の本当の子供じゃなかったりしてな・・・」

そんな声が何処からか聞こえてきて、星彩は思わずギクリとする。

声のする方向をみると男が二人こそこそと話しているのが見えた。

確かあれは姜維の部下であったか・・・

男たちは星彩の存在には全く気付かぬままに話しつづける。

「ほら・・・例のさ・・・」

「ああ、長坂だろ。」

「そうそう、あの時趙将軍が別の子供と間違えてたりしてな。」

「ありうるよな」

星彩は動く事が出来なかった。

自分からみても劉備と劉禅の姿はあまりにも程遠く、彼らにとって劉禅が劉備の本当の子では

ないと思えても仕方の無いことなのだろう。

だからと言って・・・

「案外殿も自分の子じゃないって知っていたのかもしれないよな。でなきゃ自分の子供を地面

に投げつけたりはしないだろ。」

「考えてみりゃ関将軍や張将軍だって、義兄である殿の子供に結構冷たかったような気がするぜ。」

「まあそれが本当にしろ単なる憶測にしろ、今となりゃ趙将軍も余計な事をしたってことだよな。」

星彩は思わず走り出した。

これ以上は聞いていたくは無かった。

何時の頃からか流れ始めた噂。

星彩はそんな噂に決して耳を傾けた事は無かった。

しかし誰よりも尊敬していた父と同様に、心から敬愛していた人の名を聞いた時、星彩はどう

しても立ち去る事が出来なかった。

「どうして・・・」

ようやく立ち止まり、星彩は小さく呟く。

「どうして・・・こんな事に・・・。」

過ぎ去った過去を取り戻す事は出来ないけれど、星彩は問わずにはいられなかった。

「父上・・・関平・・・」

思い出すのはあの頃のことばかり。

「趙雲殿・・・」

小さくその名を呟いて星彩はようやく思いつく。

「そうか・・・今日は・・・」

もし自分の考えが間違っていなければ、劉禅はあそこにいるのかもしれない。

そう思いそのままきびすを返し、その場所へ向かった。

 

 

 

 

 

 

星彩が想像したとおり、劉禅はその場所にいた。

「お墓参りですか・・・そういえば今日は彼の命日ですからね。」

穏やかな声で話し掛ける星彩に、劉禅は静かに振り返った。

「お探ししました。劉禅様。」

そう言って微笑む星彩を劉禅は静かに見て、再びその墓標へと視線を戻した。

「子龍は、今の私の姿を見てなんというのであろうな。」

ポツリともれた劉禅の言葉に星彩は目を丸くする。

「もしも子龍が生きていたなら私は・・・」

星彩はようやく気付く。劉備でも孔明でも関羽でも父でもない。

劉禅にとっての破綻の始まりは、彼の死だったのかもしれない。

「子龍は私の・・・父であった。」

「え・・・」

劉禅の言葉に、星彩は耳を疑う。

しかしそんな星彩の驚きを他所に、劉禅はかすかに笑み再び口を開く。

「私の父であり・・・母であり・・・兄であり、師でもあった。」

ようやく星彩は劉禅の言わんとしていることに気付く。

それと同時に、自分が思わず考えた事に恥じ入るように顔を赤らめ俯いた。

そんな星彩を見て劉禅は笑う。

「私は父が嫌いだった。父も関羽も孔明も・・・そなたの父も・・・大嫌いであった。

・・・彼らは決して私を・・・私自身を見ようとはしてくれなかった。」

思わず星彩は劉禅の顔を見返す。

「かつて父は、曹操に追われた時、私と母を置いて一人で逃げ出したそうだ。妻を、子を忘れ

命からがらに逃げ出して、自分が安全な所に来てようやくわたし達のことを思い出したのだ。」

「それは・・・」

「その時母は自分の身が父の重荷になることを恐れ自ら命を絶ち・・・まだ物心もつかぬ私を

命がけで救ったのは、父ではなく子龍だった。」

どこか冷めた表情だと星彩は思った。

「だが父は私を連れて自らの元へと帰還した子龍をみて、思わず私を地面へと放り投げたそうだ。

子は何時でも成せるが、良将は得がたいといってな」

「何故その様な話を・・・」

少なくとも劉禅がその時のことを覚えている筈も無く、その様な話を彼の耳に入れるはずも無い。

そんな星彩の考えを察したのか、劉禅は

「噂というのは決して留まる事を知らぬ」

と呟いた。

「父にとっては、私は代用のきく存在だったのだ。私でなくとも良かったのだ。父にとって子供と

はいくらでも代えがいる程度の・・・」

「劉禅様・・・その様な事は・・・」

そんな星彩に、劉禅は自重気味た笑みを浮かべた。

「あるだろう。そして私がそれを知ったのは、まだ十になるかならないかの頃だったよ。」

星彩は目を見開いた。

「その時私は父にそれを問いただしに行った。だが父は私の言葉に耳を傾けようとすらしなかった。」

そう言って悲しげに目を伏せる劉禅に、星彩はかける言葉を見つける事が出来なかった。

「その時に子龍が言ってくれたのだ。」

 

『阿斗様は阿斗様です。私にとっても御父上にとっても、阿斗様はただ一人の存在です。代わり

などいる筈もございましょうか。』

 

まるで子が母を思うように穏やかな顔で、懐かしむように劉禅は目を閉じる。

「そう言って私を抱きしめてくれた。その時初めて、私は泣いた。声を上げて大声で泣き続けた。

そんな私が泣き止み、無き疲れて眠るまで、子龍は私を抱きしめ続けてくれた。人の温もりがこ

れ程に暖かなものである事を私はその時に始めて知った。その時から、子龍は私の父に・・・

母になったのだ。」

「・・・はい・・・」

「私は強くなりたかった。父のようになりたかったのだ。だが、誰も私に剣を教えてはくれなか

った。父も関羽も張飛も必要が無いと言ってな。そんな私に、僅かしかない休みのときに、こっ

そりと剣を教えてくれたのも彼だ。私は彼の背をみて育ったのだ。私が辛い時に、手を差し伸べ

てくれたのは子龍だけだったよ。」

そういって笑った劉禅の面差しは、間違いなく彼の父の似ていると、その時初めて星彩は思った。

 

 

 

 

 

 

「星彩・・・」

ふいに名を呼ばれ、星彩は劉禅を見る。

「そなたは関平を・・・好いておったのだな。」

星彩は一瞬答えるべきかどうか躊躇する。

「はい・・・」

しかし決意したように静かに頷いた。

その言葉に劉禅は満足したように微笑んだ。

「私は・・・戦は嫌いだ。」

その視線を趙雲の墓標に移して劉禅はポツリと呟く。

「戦で死ぬは、多くの民だ。そのために悲しむのは、残された女子供ばかりだ。いくら大義の

為とはいえ、私は民が傷つくのを見たくは無い。だが姜維は言う。魏を攻めよと。父は言った。

義兄弟達の仇を討つ為に呉を攻めよと。私はもう、これ以上誰が傷つくのも見たくは無いとい

うのに・・・そなたのように、大切な者を奪われ悲しむものの姿を見たくはないというのに・・・」

「劉禅さま・・・」

「人が・・・一人で悲しむのは・・・見ていてとても辛い。私自身が一人の苦しみを、悲しみを

よく知っている。そなたも、わかるだろう。父を失い、関平を失ったそなたには。」

「はい。」

「だが、私には子龍がいた。子龍はどんな時も、私の前では優しく笑ってくれた。彼が泣いたの

を見たのは、ただ一度だけだ。」

「関羽が殺され、仇を討つと呉を攻めようとした父を止めようとした時に、父は「お前達などに

我ら兄弟の絆などわからぬ」と言った。良将は何にも変えがたいといったその口で・・・あの時

の子龍の後姿を私は忘れることが出来ない。私が傍に行くと、いつものように笑ってくれたが・・・

そしてあの戦いで、多くのものが死んだ。本来ならば死ぬはずの無い者達だった。」

「趙雲殿は・・・決して劉禅様を責めたりはしませんよ。なんと立派になられたことかと、きっ

と喜ばれています。」

そう言った星彩の言葉に、劉禅は悲しげに・・・しかし救われたように笑った。

「これ以上この国に住まうもの達を傷つけない為なら、私の首など魏にくれてやる。だが・・・

そなたは好きに生きるがいい。自分の道を見つけよ。こんな私と・・・蜀などと運命を共にする

事はない。」

星彩は驚愕する。

今まで幾度と無く聞いた劉禅に対する陰口。

だが、誰一人彼の思いを考えた事が会ったのだろうか。

これ程までに蜀の民の事を考えているというのに。

そう、自分ですら・・・彼の優しさを・・・孤独を考えた事は無かったのだ。

「お傍に・・・おります。」

星彩は言う。

星彩の言葉に劉禅は目を見開いた。

「例えこの先どのような事があっても、私だけは貴方の傍におります。」

劉禅の瞳から、一筋涙が零れ落ちた。

星彩もまた、そっと涙を流す。

そんな二人を慈しむかのように、暖かな風が二人を包んだ。

 

 

 

『父上、関平・・・趙雲殿。私は生きます。貴方たちのの分まで・・・強く・・・

この弱くて優しい人と共に・・・だからどうか私たちを見守ってください。』

 

 

 

 

 

 


玄徳ファンを敵に回す話第二段・・・。
好きなんです。いや、マジで・・・。

なのになんで嫌な役どころばかりになるんだ・・・(涙)
ちなみに誰がなんと言おうと平星です。禅星ではありません。

っつーか趙雲出番すらなし。それ以前に馬趙も孔趙も丕趙も書いていない気が・・・
長坂において趙雲が劉禅(阿斗)を連れ帰った時、劉備は子供を投げ捨てたといいますが・・・
それって趙雲の苦労が水の泡じゃん!とか思ったのは私だけではないはず・・・
もしそれを劉禅が知っていたら、とてもショックだと思います。
劉禅にとって父というのはどういう存在だったのでしょうか?
そして劉備にとって劉禅とはどういう存在だったのでしょうか?