空蝉

 

 

 

「玄徳兄さん、あのね私好きな人できたの!」

趙雲との話が終わり、尋ねてきた玄徳に美霞は輝かんばかりの笑顔で言う。

美霞の告白に玄徳は思わず目を丸くする。

 

『いつか私をお嫁さんにしてね』

 

美霞にそう言われたのは確か別れのとき、美霞が初めて自分の名を呼んだ時の事であったか。

もちろん玄徳はそれを嬉しく受け止めていたが、その時の美霞はまだ幼い子供で、恋というもの

すら理解していないであろうと言う事は良くわかっていた。

玄徳にとっては美霞は何よりも愛しい存在ではあったが、それは趙雲と同様にかけがえの無い家

族としてであり、何よりも護りたい妹としてなのだ。

いつかこの少女が大人になり、本当の恋をする事になれば・・・

その時は心からの祝福をしてやろうと玄徳は心に決めていた。

「そうか・・・それは良かったな。」

そう言って微笑む玄徳をみて美霞も嬉しそうに微笑む。

だが玄徳は、とても幸せそうに笑う美霞を見て、何故だが少し複雑だった。

(まるで・・・父親の気分だな・・・)

と、思い、しかし美霞が幸せならば別に良いか・・・等と考えていた。

「でもね、子龍兄さんは怒るの。・・・絶対にダメだって・・・」

唇を尖らせて美霞が言う。

そんな美霞の言葉に、玄徳は思わず苦笑いを浮かべずに入られない。

「それは仕方が無いだろう。今までずっと大切にしてきた妹に好きな男が出来たのだ。兄としては

複雑だろう。」

そこまで言って、玄徳はふと気になった。

「所で・・・美霞の好きな男というのは誰なんだ?」

途端に顔を赤らめて俯く美霞に、玄徳は破顔する。

自分の知らない所で、少女は少しずつ大人になっていくのだ。

「それがね・・・・・・」

そう言って玄徳に耳打ちするが、その名前を聞いた途端・・・

「それは・・・止めた方が良いんじゃないか・・・・」

やや引きつりながら、玄徳は言う。

「あ、玄徳兄さんまで!酷い!」

途端に頬を膨らませる美霞。

「いや・・・しかし・・・」

「だから言っただろう、玄徳も絶対に反対すると。」

やや不機嫌な顔で趙雲が美霞の部屋に入ってくる。

「大体、親子ほどに年も離れた上、妻子もいる男に惚れるほうがどうかしてるんだ。」

「兄さんってば、酷い!良いじゃない、別に私は正妻じゃなくたって良いもん!!」

美霞のとんでもない発言に趙雲は思わずカッとなる。

「その考えがそもそもおかしいって言ってるんだ!」

「良いじゃない!一夫多妻制なんだから!!」

「そう言う問題じゃないだろう!!」

「兄さんだって良い人だって言ってたじゃない!!」

「それはあくまでも主君としてだ!!」

自分に構わず大声で兄妹喧嘩を始めた二人を玄徳はややげんなりした表情で見つめた。

美霞が幸せならそれでいい、と確かに玄徳も思う。

だが、少なくともその人物が美霞を幸せにすることが出来るとは思わない。

確かに、少し前までの彼であれば・・・と玄徳は思う。

しかし、今の彼は・・・

玄徳は少女の幸せを誰よりも願っているからこそ、深くため息を吐くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

ただじっと空を見上げるその人物を見咎め、玄徳は静かに近づいた。

「良い天気だな・・・」

恐らくは気配で気付いていたのであろう。

玄徳が現れた事に、さして驚きもせずに、趙雲は会釈する。

そんな趙雲を見るたびに玄徳の心はいつも痛む。

嘗ての天真爛漫な明るい笑みを絶やす事の無かった少女は、もう何処にもいないのだと、

こんな時に玄徳は思い知らされる。

もちろんその本質が変わった訳ではないと言う事も解っているのだが、あの日から趙雲が

心から笑う事はなくなってしまったのだ。

「まだ・・・忘れられないのか・・・公孫殿の事を・・・」

玄徳の言葉に、趙雲はそっと目を伏せる。

「本当は・・・私はあの時死のうと思いました。兄が・・・伯珪さまが死んだ時に。

でも・・・伯珪さまは最期の時に言われた・・・生きろと・・・だから私は・・・」

「そうか・・・」

それっきり黙りこんだ趙雲に玄徳はかける言葉を見出す事は出来なかった。

「馬超の事・・・礼を言う。本来ならば私の役目であった・・・」

「いえ・・・」

目を伏せたまま顔を上げようとはしない趙雲に、玄徳の表情が陰る。

「儂は、そなたの幸せを誰よりも願っている。昔も今も・・・それだけは変わらない。

そして子龍も公孫殿もそれを願っているはずだ。」

「殿・・・私は・・・」

「昔のようには呼んではくれぬか?」

「お許し・・・下さい・・・」

それっきり黙りこくった趙雲を玄徳はただ悲しげに見つめる事しか出来なかった。

「もう行きます・・・」

ポツリと言って、立ち去ろうとする趙雲の姿に玄徳は居た堪れなくなる。

「美霞!!」

趙雲はビクリとして立ち止まるが決して振り返る事は無い。

「美霞は・・・死にました・・・」

ようやくそれだけ呟いて、振り返らぬままに趙雲は再び歩き出す。

「美霞・・・すまない・・・」

悔やむような玄徳の声だった。

「やはりな・・・」

突然の声に、玄徳は驚愕する。

「あんたの話を聞いてずっと違和感があったんだ・・・あんたの話の中では、趙子龍と

いう人物は少なくともアンタよりも年が上だ。だが、アイツがアンタよりも年上には見

えなかった。」

「馬・・・超・・・」

 

 

 

 

 

 

ここは人通りがあると、馬超が通されたのは玄徳の私室だった。

一国の君主とは思えぬほどの質素なつくりに、馬超はかすかに驚いた。

「馬超よ・・・この事は・・・」

「解ってるさ。だれかれ構わず言いふらす事ではない。」

馬超の答えに、玄徳は安堵したように息をつく。

「死んだのは・・・子龍であった。酷い傷を負ってはいたが美霞は何とか一命を取り留めた

のだ。そして美霞を連れ出そうと城を出ようとしていた所でアレを見つけた。既に息は無か

った。心の臓を剣で一突きにされ、そのまま息絶えていた。出来ればその遺体をせめて埋葬

してやればとも思いながらも、あの時美霞は一刻を争う状態であった為に、そのまま捨て置

いた・・・恐らくは子龍もそれを望んでいるであろうと思ったのだ・・・」

玄徳の顔からは深い苦渋が見て取れる。

なるほど・・・と馬超は思う。

「そう言うことだったんだな。子龍が・・・あんたの友がそして美霞が決して自分を許さな

いだろうと言ったのは・・・」

「そうだ・・・いくら子龍に頼まれていたとはいえ、儂は子龍を見捨てた。いくら美霞が望

んだとはいえ、子龍があれほど幸せを願っていた美霞を修羅の道へと引きずり込んだ。」

玄徳はその拳を握り締める。握り締めたままの拳から血が滴り落ちているのを、馬超はあえ

て見ないフリをした。

「アイツの想い人は・・・公孫伯珪か・・・」

「そうだ・・・子龍は・・・猛反対だったがな。なにせ親子ほどの年の差がある上に、妻子

までもあったのだからな。最も夫人は既に亡くなっておられたがな。」

「・・・・・・」

「公孫殿は・・・美霞を護るように息絶えておられた。いや、実際に護ったのだろう。だか

らこそ美霞は生きていたのだ。だからかもしれん。美霞が彼への想いに囚われたままなのは・・・」

そう言って玄徳は穏やかに笑う。

「儂はそなたならアレを救う事が出来ると思っておる。」

玄徳の意外な言葉に、馬超はかすかに目を見張った。

「いや・・・俺は・・・」

「子龍が、公孫殿が亡くなられてからアレがあんなに笑ったのは・・・初めてだよ。」

「え・・・」

一体何の事だ・・・と言おうとし、馬超はすぐさまそれが何の事か思いつく。

「見て・・・いたのか・・・」

やや顔を赤らめる馬超に、玄徳は何処か人の悪い笑みを浮かべた。

「儂は,
アレの・・・幸せを心から願っているよ。儂ではアレを救う事は出来なかった・・・だが、

そなたならあるいは・・・アレは・・・泣かぬのだ。」

「え?」

「子龍と、公孫殿が亡くなった時、アレは決して泣こうとはしなかった。まるで、抜け殻の

ように、ただ槍を揮いつづけるだけ。儂は・・・それが一番辛い。」

そう言って玄徳は穏やかに微笑んだ。

「美霞を・・・頼む・・・」

それだけ言うと、馬超の返事も聞かぬままに玄徳はその場を後にする。

馬超はただそれをじっと見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


え・・・?続くか、これ・・・?
いえ、続きません。実はいつか・・のラストとして当初ここまでのつもろいだったので。
一応あれはあれで完結しているので番外と言う事で。
気が向いたら馬趙のラブラブ(笑)も書いてみたいな。
っつーか、今のところ本当の意味で馬趙が無い気がする。