「どうしてこんな事になったんでしょう・・・」
桔梗は悲しげに呟いた。その場にいる誰もが同じように目を伏せる。
何故こんな事になったのか・・・それは天戒があの日からずっと考え続けていた事。
どれほど考えても結局答えは解らないままだった。
「若・・・嵐王が動き始めました。・・・やはり・・・」
九桐もまた、悲しみの宿ったままの瞳で言う。
「追う・・・」
小さく言うと、そのまま立ち上がり、嵐王の気配を辿る。
彼が行き着く先は解っていた。
ただ、そこに“彼”がいないだけで・・・
慙愧
時は少しだけ遡る・・・ 「おや、龍さん・・・」 支奴は扉を開けて静かに入ってくる人物の姿を見て、笑顔で言う。 「式神ですか?それとも科学について聞きたい事でも?」 しかし、そんな支奴の言葉に龍斗は何も答えない。 支奴はそれを別段気に止めることも無かった。 そう、彼は昔からそうなのだ。だが冷たく見える彼の心の奥に、ちゃんと感 情が隠されている事も知っている。 「あなたと・・・二人で話がしたかったから。」 そんな龍斗の言葉に、支奴は目を丸くする。 「嬉しい事を言ってくれますねぇ。・・・で何を話したいんですか?」 相変わらず笑みを絶やさぬままの支奴の表情は、しかし次の瞬間に凍りつく ことになる。 「あなたは・・・何故ここにいるんですか?」 一瞬何を言われたか理解する事が出来なかった。その直後に彼が言わんとし ていることを理解する。 しかし支奴は驚きを笑顔の裏に隠し、そらっとぼける。 「何を言っているんですか。あちきはここに住んでいるんだから、ここにい るのは当然のことでしょう?」 「では俺はあなたの事を何と呼べばいいのですか?」 これは化かし合いだと、支奴は思った。 しかし龍斗の方はといえば、そんな支奴の思惑など気にも留めていないよう で、ただ静かな瞳でこちらを見つめている。 ついに居た堪れなくなり、その視線を逸らす。 「これが・・・あなたの本当の望みなんですか?」 問い掛けてくる龍斗の言葉に、支奴は答えない。 答えることが出来なかった。 あの時、自分が護ると決めたものが無残に散っていく姿を、今でも忘れる事 が出来ない。取り返しがつかない事を・・・そう思った。 その後の事はよく憶えていない。だが次の瞬間支奴は驚いた。 まるで何事も無かったかのような、今までと変わらぬ風景が目の前にあった からだ。そして、時が戻ったのだという事に気付くまでしばしの時間を要し た。 「あちきは・・・」 答えぬ支奴に、龍斗は静かに口を開く。 「俺は、今度こそあの人を護ります。例え誰に罵られようと、責められよう とかまわない。俺はどんな事をしても彼を救います。俺はその為だけにここ にいるのですから。だから、今度こそ天戒が死ぬことは無い。」 支奴の瞳が見開かれる。 「龍さん・・・あちきは!」 しかし、そんな支奴の言葉を最後まで聞かず、龍斗はそっと立ち上がる。 「あなたは、科学の力があれば全てを救うことが出来るといいました。でも俺はそうは思わない。科学であろうが、外法であろうが・・・それを使うの は結局は人自身なのだから。その人がそれを誤った方向で使えば、結局は誰 一人救うことなんて出来やしない。この時代を変えることが出来るのは、科 学でも外法でも無い・・・人の心だと俺は思います。」 それだけ言うと、龍斗は支奴の部屋を後にした。 ただ支奴は苦しげな瞳で、たった今彼の去った扉を見つめていた。 * 支奴が龍斗の死を知ったのはその三日後の話。 あの火事の時に彼の姿が見えないのを怪訝に思いながらも、これだけの騒ぎ なのだから仕方が無いのだろうと思っていた。 その翌日見舞いのつもりで訪れた竜泉寺。 「おや、緋勇さんはどうしたんです?」 踏み荒らされたその場所を少し心配げに見つめながら京梧に尋ねた。 「死んだ。あいつを・・・鬼道衆の頭目を護ろうとして」 その瞬間、目の前が真っ暗になるのを支奴は感じた。 京梧達への挨拶もそこそこに、その足ですぐに村に戻り、天戒の様子を見に 行く。 彼は何も覚えてはいないと思っていたが、恐らくはそれがきっかけだったの だろうか、全ての記憶を取り戻していたようだった。 ただ全てを拒絶するかのような、彼の後姿が自分の罪の証のように思えた。 「若・・・あなたのせいではありません。これは儂の罪です。」 そんな支奴―嵐王の言葉に天戒はそっと振り返った。恐らくは彼が何を言っ ているのかは理解していないだろう。 ただ、生気宿らぬその面が痛ましかった。 「罪は・・・償います。どんな事をしても・・・」 そっと頭を下げ、そのまま天戒の顔を見る事なく、その場を後にする。 そう、これは己の罪。 誰よりも忠誠を誓い、生涯をかけて護ると決めたその人に、けっして消えぬ 深い深い傷をつけた。 その人が、誰よりも大切に思っていた人を永遠に奪った。 『龍さん・・・すいません・・・・』 * 京梧たちは、その目を疑った。 今目の前にいる敵。 それは自分達が親しんだ、いつもどこかおどけた表情で自分達に語りかけて くれた人物。 「嘘でしょ・・・支奴サン・・・」 小鈴の声は震えていた。 「てめぇだって、江戸を護りたいと思ってたんじゃねぇのかっ!!」 そう叫ぶ京梧の言葉に、支奴は悲しげに言う。 「ずっと・・・あの方の為だけに生きると・・・そう決めていました。」 「それは、鬼道衆の頭目のことか?」 雄慶の言葉に、支奴は悲しげに頷いた。 「でも、あの方はあまりに優しすぎた。・・・あまりに優しすぎて復讐には 向かない人だ。この激動の時代を生き抜くには、若はあまりにも脆かった。 あの人では、きっと我らの悲願を果たすことは出来ない。ならば、あの人に 代わってあちきが、何かをするしかないと、そう思っていた。」 「だから、あんな奴に力を貸したっていうのかよっ!ずっと俺達を・・・自 分の仲間を全て裏切って!!」 京梧の瞳は怒りに満ちている。当然だろう。 「まあ・・・龍さん・・・緋勇さんだけは気付いていたようです。前に言われました。本当にそれが、あちきの望みなのかと・・・」 「え・・・」 「あの人は気付かせてくれた。科学の力だけでは何も変わらない。時代を変 えるのは、人の想いなんだと・・・あの人は、あちきにそれを教えてくれた んです。」 「支奴さん・・・」 「何故、あの時も今も!!あちきはあの人の心に気付く事が出来なかったん でしょう・・・もっと早く気付いていれば、きっとこんな事には・・・」 支奴の双眸からは涙が溢れていた。 もし自分が柳生に手を貸したりしなければ、仲間を信じる事が出来ていたな らあの悲劇は起こらなかったのだ。それ故にあの人が苦しみ、そして死ぬ事 もなかったのだ。 そして、誰よりも忠誠を誓った彼の人から、大切な人を奪った。 支奴はどうしても忘れることが出来ない。どんな時でも強く、そして自分達 を支えてくれた彼のあの後姿を。二十年という時間を共に生きて、あれほど までに悲しい後姿を、今まで見たことが無かった。 全て自分のせい。しかしどんなに悔やんでももう遅いのだ。 「出来ればあちきもあんた達と一緒に闘いたかった・・・でも・・・」 次の瞬間、支奴の体から放たれた光。それは京梧達がいままで幾度となく見 た光だった。あれは全て柳生の力だったのだとようやく悟った。 『目覚めよ――!!』 しかし支奴は、最後の力を振り絞り声をあげる。 「お願いです逃げてください・・・!あちきの心が残っているうちに・・・ あちきはもう・・・」 その意識が途切れる瞬間、支奴はその人を見た。彼はただ、悲しげな瞳で支 奴を見つめている。 『龍さん・・・すみません・・・』 「支奴ぉぉぉ!!!」 その声が誰のものなのかすら、すでに支奴には分からなかった。 これが罰なのだ。 護り続けるべきものを、そして信頼してくれる人たちを裏切り続けた。 * 「無駄だ・・・お前も死ね・・・」 あまりに強大なその力になす術も無かった。柳生の巨大な剣が振り上げられ る。美里は思わず目を閉じる。せめて彼女だけは護ろうと支奴は必死で動こ うとするが、先ほどの変生の後遺症か体が思うように動かない。 「どけ・・・!」 何処か聞き覚えのある声だった。 次の瞬間現れたその姿に、美里はただ驚いた。 見紛うことの無い赤い髪。今目の前に立ちはだかる敵と同じ色。 なのに彼から発せられる雰囲気は、禍々しい気配を身に纏ったそのものとは あまりに違う。強さの中にも感じる、どこか穏やかなその気。 ただ敵としてみていたときには気付かなかった。 だからこそ“あの人”は彼に惹かれたのだろうか? そんな美里を一瞥すると、男―天戒は静かに言う。 「俺には・・・夢がある。誰もが穏やかに暮らせる日がくればいいという夢 が。そこには無益な戦も理不尽な法も無い。誰もが自分の生きたいように生 きる事が出来る・・・ずっとそれを夢見てきた。そして、いつかそんな日が 来るのだと、信じさせてくれた。それをあいつが俺に教えてくれたのだ。」 そして、天戒は目の前の敵を見据えた。その瞳には明らかに怒りが宿ってい る。 「そう・・・お前が現れなければ、俺達を導いたあいつのあの瞳を・・・そ の光を失う事も無かった。」 「・・・九角さん・・・」 「ふ・・・お前一人加わったところで一体何が出来ると言うのだ・・・」 あくまでも不遜に柳生が笑う。 「言っておくけど、鬼道衆は一人じゃないんだよ、知っているだろ?」 そこには桔梗の姿。続いて現れる九桐や風祭。そして今まで戦ってきたもの 達の姿。 形成は逆転したかに見えた。 しかし、そんな彼らを柳生はただ面白そうに見つめている。 この程度では、何も変わらない。まるでそう言っているようだった。 「お待ちください・・・」 まさに一触即発といった風を破ったのは、黒蝿翁だった。 彼は柳生に対して何か耳打ちをしている。その声は決して、美里達の所まで は届かなかったが、その言葉に納得したように、柳生は笑う。 「おもしろい・・・」 小さくほくそえむ。 「今日の所は見逃してやる。せいぜい束の間の生を楽しむ事だ。」 そしてその場を去ろうとした瞬間、思い出したように言う。 「お前達には俺を止める事は出来ぬ。その力を持ちしただ一人の存在は、既 にこの世には無いのだからな・・・お前達には本当に感謝しているぞ。」 「待ちやがれっ!!」 「俺に会いたくば、崑崙山に来るがいい。」 それだけを言い残し、柳生はその場から消え去った。 残された者たちは、ただ悔しげにその方向を見つめている。 ふいに、京梧が口を開いた。 「礼は言わない。俺はお前らに助けてもらったつもりはねぇ。」 そんな京梧に美里は驚いたように彼を見つめた。 「俺は・・・俺達は・・・俺達の護るべきもののために闘うだけだ・・・例 えあの柳生ってやつが、俺たちと鬼道衆。どちらにとっても倒すべき出来だ としても、俺は俺の信じるもののためだけに闘う。」 京梧は天戒たちのほうを見ることもせずに、静かに言う。 「お前らだってそうだろ。違うか?鬼道衆の大将さんよ・・・」 柳生の消え去った方向を見つめながら言う京梧の言葉に、天戒は答えない。 『俺が本当に護りたかったものは・・・もう何処にも無い』 その日、二つの刻はようやく一つに戻った。 しかしそれと同時に二度と取り戻せぬものもあるのだと、天戒達は理解して いた。そう、刻が重なっても、その腕から失われた大切なものを取り戻す事 は叶わないのだ。 二度と・・・・ |