マイトンの冒険
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まいこ
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アースU


蓼科悟里は、ぼんやりとスクリーンに映る暗黒の世界を感じていた。
この小さな宇宙船で、地球を旅立ってから3万年は過ぎただろうか・・・
 4次元空間での航行は、距離を時間に置き換えたり、時間に距離を
代入しながら衝突を回避しているので、単純に3万年などと言うのは 正しくない。


母なる地球は、すでに膨張する太陽に飲み込まれてしまったであろう。
 が・・・ 確認する手段は何もない。
たとえ確認できたとしても、どうにもなるものではないのだ。

当時の地球は、太陽の活動が激しくなるにつれて気温が上昇し
地表面の気温はすでに200℃を超えていた。
当然、水は全て蒸発し動物も植物もその殆んどのものが死滅していた。


唯一人類は、地下1000メートル付近に大工場群を建設し、宇宙船を 造り続けた。
そして小さな宇宙船約200万艇に分乗し順次 地球から旅立ったのだ。



宇宙に一歩足を踏み入れれば、そこは未知の危険に遭遇する暗黒の世界だから、
多くの犠牲者が出るのは覚悟しなければならない。
数多くの小さな宇宙船に分乗したのは、たとえほんの一部であっても
地球人類が存続を賭けた究極の選択だった。

小さいとはいえ、円盤の直径は256m、高さは64mあり、 34000体を収容することが可能だった。
旅立つ人は、厳しい訓練の末、自ら幽腿分離して体は−40℃まで
急速冷凍され、棚にびっしりと収納された。 霊となった者は食事を取る必要はなく、質量は限りなくゼロに近いため
加減速の大きな重力に耐えることが可能であった。

しかし、思考能力は低く、また物体を動かすことはできないので
テレパシーの僅かなエネルギーで危険を回避するための運転操作をし なければならなかった。
それは宇宙船に組み込まれた、一部品のようにもおもえた。


巨大隕石が太陽に衝突したのは、悟里が11歳の2267年夏のことで あった。
 悟里の父雄一は地球連邦議会の日本代表として、本部が在るインド
北西部の街で家族と共に暮らしていた。
 巨大隕石といっても、月の半分位の大きさで、天文台で観測できる 程度の現象であり、
宇宙大好き少年の悟里自慢の天体望遠鏡では、
観測することはできなかった。

・・・  やがて人々から忘れ去られ、2年が過ぎた。

悟里は学校から帰ると、太陽観測をするのが日課となっていた。
望遠鏡を覗いていたら、いつもと違う、かすかに光る点をみつけた。
位置は、巨大隕石が衝突したあたりだった。

次の瞬間、悟里の全身を雷のような戦慄がはしった・・・

.                       つづく

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