広島城北東

外郭の櫓台

広島城の外堀(東側)は、現在の地名のとおり、かつて八丁堀と呼ばれていました。現在は、路面電車の通る白島線の1本西の南北の道が、その外堀のおおよその位置と考えられています。(理由:明治時代末期に広島城外堀を埋め立てて、できた道路上を路面電車が通り、戦前は、この通りに白島線が通っていました。)この堀の途中に、城内からの出口にあたる門と土橋がありました。その門は京都への出口ということで、京口門と呼ばれていました。現在では、その門があったと考えられている場所が公園になっています。また、広島電鉄(6番)のバス停に「京口門」というバス停があります。

広島電鉄6番のバス停と、奥が京口門公園です。 広島城八丁堀外濠跡と記載されています。


外郭の櫓台

広島城の南側及び東側の外堀が合流する部分と考えられる場所に、碑が建っています。広島城八丁堀外濠跡と記載されています。相生通りは戦後拡張されていますが、相生通り内がおおよその外堀の位置と考えられています。
なお、紙屋町交差点の東西では、発掘調査が行なわれており、現在の道路と比較して、外堀の石垣列の位置の比較が出来ます。

写真は北から、相生通りに向かって撮影したもので、左奥には福屋百貨店の建物が建っています。 南から撮ったもの。さきほどの京口門は、この正面の道をまっすぐいった右手にある。この道路が外堀のおおよその位置と考えられているが、実際にはこの道路の左側の部分のようです。少し見にくいのですが、左側の歩行者用の信号の下に碑が写っています。

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