広島城の歴史

広島城は、大まかに言って、毛利氏(約10年)、福島氏(約19年)、浅野氏(約250年)と近代(原爆投下まで)、現代(原爆投下後)に分かれます。

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年 表
年号 西暦                  
天正17 1589 毛利輝元、広島城築城の鍬(くわ)初め(起工式)を行う。
天正19 1591 毛利輝元、広島城に入城する。
文禄元 1592 豊臣秀吉、広島城を訪れ、城を賞賛する。
慶長4 1599 広島城の普請作事がおわる。
慶長5 1600 「関ヶ原の合戦」。毛利輝元、周防・長門2か国へ減封。
慶長5 1600 尾張清洲城主福島正則が安芸・備後へ移封。広島城主となる。
慶長6 1601 福島正則広島城に入城。家臣総動員で修築にとりかかる。
慶長14 1609  城内1、2個所の普請で家康の不興を買い、その部分破却。
元和元 1615 幕府、一国一城令・武家諸法度を発令。
元和3 1617 洪水により城郭に被害をうける。
元和5 1619 幕府、広島城の無断修築を理由に、福島氏を改易。
元和5 1619

幕府、浅野長晟を紀伊から安芸・備後(一部)へ移封。

元和6 1620 洪水で櫓石垣城廻り塀・堤に被害。
寛永元 1624 大地震により櫓・塀等崩れる。
承応2 1653 大風雨、洪水。櫓・城門・石垣に大被害を受ける。翌年にかけ修理。
元禄15 1702 大風雨、洪水。櫓・石垣などに大被害を受ける。
宝永4 1707 地震により城内に被害。
宝暦8 1758 広島城下で大火。櫓も類焼する。
文化 1811 堀埋まり場所の堀浚えを幕府に申請。
安政元 1854

地震により、外郭櫓ほか城内各所に被害

元治元 1864 第1次長州戦争
慶応2 1866 第2次長州戦争
慶応3 1867 大政奉還。
明治4 1871 廃藩置県。広島城本丸に、鎮西鎮台第一分営が設置される。
明治5 1872 広島城内の櫓、門の解体が始まる。
明治7 1874 本丸御殿が焼失。
明治8 1875 広島城内に練兵場が設置される。
明治27 1894 日清戦争に際し、城内に大本営が設置される。
明治44 1911 広島城外堀の埋立て工事が終了する。
昭和6 1931 天守閣が国宝に指定される。
昭和20 1945 原爆投下、天守閣など建築物が壊滅する。
昭和26 1951 「体育文化博覧会」のシンボルとして、仮設天守閣建設。
昭和33 1958 広島復興博覧会開催。天守閣が鉄筋コンクリートで外観復元。
平成元 1989 築城400年。天守閣内展示内容を一新。
平成6 1994 二の丸表御門・平櫓・多門櫓・太鼓櫓の復元が完成する。
平成9 1997 大河ドラマ「毛利元就」放映。毛利元就博覧会開催。
平成20 2008 天守閣再建50周年を迎える

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