広島城の建物

広島城に残る建物を紹介します。現在残る建物はすべて復元されたものです。

天守閣 てんしゅかく

北側から 南西から 南から(遠望) 東から
南から 南西下から 西から 南東から

天守閣は原爆で倒壊するまで残っていました。当時は国宝(今の制度と違うので、よく旧国宝と呼ばれている)でした。現在の天守閣は、広島復興大博覧会に際して復元されたもので、鉄筋コンクリートで昭和33年に昔の天守閣(大天守閣のみ)の建物の外観を復元した建物です。

天守閣は、お城の数え方で言うと、五層五階という呼び方です。これは、分かりやすく言うと、外から見た屋根の形も建物の中も五階という意味です。一見六階建てに見えますが、南側の、受付がある部分は、実は、天守閣の部分ではなく、明治時代までにあった小天守とを結ぶ渡廊下の残存物です。


ちなみに、小天守は、広島城の南と東に広がった空間(広場)がありますが、ここにありました。ここに、3階建ての小さい天守閣が建っていましたが、明治時代の初期に取り壊され、原爆で倒壊するときは、今とほぼ同じ部分しか残っていませんでした。

表御門 おもてごもん 二の丸復元建物

正面から見た表御門
(手前の橋は御門橋)
門の上部(門の真上)は入ることが出来ます。昔の工法がよく分かります。

二の丸の復元建物も、原爆によりすべて失われました。表御門は、戦前に写された写真や絵葉書が残っています。発掘成果の結果と、残された図面などを手がかりに復元されました。

平櫓 ひらやぐら 二の丸復元建物

二の丸南西部分の復元建物が平櫓です。

多聞櫓 たもんやぐら 二の丸復元建物

多聞櫓全体(南西から) 矢狭間(中央)と鉄砲狭間

平櫓と太鼓櫓を結ぶ渡り廊下を多聞櫓と呼んでいます。写真にあるとおり、途中に狭間(さま)と呼ばれる穴があり、内堀の外側(いわゆる三の丸)から攻めてくる敵を攻撃できる工夫がなされています。

太鼓櫓 たいこやぐら 二の丸復元建物

内堀の外から見た太鼓櫓 太鼓櫓1階から見た太鼓
(H16年の写真)

二の丸の復元建物の中では唯一、二階建ての建物で、多聞櫓の東端にあります。太鼓櫓といわれているとおり、昔は時間を知らせる太鼓が二階にあり、城門の開閉などにも使われていました。本来二階に昔の太鼓が復元されていますが、二階には立ち入りできないことから。現在では1階に移して展示されています。

二の丸復元建物は入城無料です。開館時間は4月〜9月が9時から17時30分、10月〜3月までが9時〜16時30分です。ただし、入ることが出来るのはそれぞれの閉館時間の30分前までになります。入城する際には靴を脱ぐ必要があります。

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