夕轟
殿の執務室は皇帝の執務室なだけあって華美で広い。
衛兵も多いが、人の出入りも多かった。
遠く、雷鳴が轟く。
時を告げる鐘が夕暮れを知らせる。
俺は立ち上がり、殿の側へ。
「殿・・そろそろお戻りのお時間です。」
恭しく供手する。
「おお、もうそんな時間か。」
殿は素直に立ち上がり、侍従達が残った書簡や竹簡を素早く纏める。
残りは夜仕上げ、明日それぞれの部署へ渡される。
周りの文官や衛兵達が君主の退出を供手して見送る。
そんな光景を横目に俺は主である孫権様と共に、私室へと向かった。
「ふぅ・・・。一日の内でこの部屋へ帰ってきたときこそ一番落ち着くものだ。凌統、」
「はい。」
「戦況は?」
「・・・すでに片づいています。帰投準備完了次第、建業へ戻られるでしょう。」
今ちょっとした小競り合いで河の方へ出ている何人か。
その中に本来殿の護衛である周泰さんが入っていた。
もっとも、総大将は孫策様だ。
別に事細かに気にしたって可笑しくはない。
しかし・・・俺にとっては少し複雑だった。
殿は冠を外して首をほぐし始めた。
「あ〜、随分と固いなぁ・・・。」
相当凝っているのだろう、骨のなる音がする。
「凌統・・・冠を・・受け取ってくれ・・。」
「あ、すいません。」
気が利かない俺。
手ずから受け取って、棚に置く。
殿は基本出来に側仕えを置かない。
全て一人でこなす。が、時折今みたいに頼んできたりもする。
周泰さんも・・・そうなんだろうな。
稲光が光った。
「おお、よく光るなぁ・・。兄上達は大丈夫だろうか・・・。」
野営地に雷が落ちることは稀にある。
心配そうに窓から外を見ている殿が、くるっと振り返った。
俺のずっと後ろにも窓はある。
光った稲光がそこから室内を通り、殿の目の中に封じ込められる。
刹那、碧い瞳が、宝玉のように閃いた。
「公積・・・、」
雷が、落ちる。
「はい・・・。」
字を呼ばないで下さいって。
「護衛の交代は?」
その男にしては高い声が、俺を消してしまう。
「あ、明日の明け方まで、ですけど・・・。」
「そうか・・。無理を言うな、公積。本当は、今の時刻からだったのだろ?」
昼間護衛に付くことはあまりない。
たまたま、空きがなかっただけだ。
だから、頼まれた。
本来は、今から、明日の日が昇るまで、だ。
また光った。
すぐ上で、光ったのだろう。
部屋全体、いや視界全体が白んだ。
地を裂く音がした。
城の外だろうが、落ちたのだろう。
「・・・寝ずの番は体に応える。だから、熟睡されては困るが、多少なら寝ても良い。私の執務時間にも付き合ってくれたのだ、退屈だったであろう?」
殿が、笑む。
魅惑的だった。
距離も近い。
手を伸ばせば、
簡単に触れる事が出来る。
なぜだろう。
なぜ男であるこの人に惹かれるのだろうか。
抱きしめて、その碧眼を飽くまで見つめていたい。
自分の姿だけを封じ込め、稲妻の如く光らせたい。
ああ、俺はどうなってしまったんだろう。
「それに私も武人だ、気に病むな。肝心なときにお前が動かぬでは困るからな・・・。」
「・・・寝ずの番なんて、戦場では当たり前でしょ・・?」
「戦場だけで良い、そのように無理をするのは・・・。分かったな?」
「・・・わかりました。」
「それでいい・・・。そこの長いすを使え。どうせ私は当分お前に背を見せるようになる。」
長いすの延長線上には殿の卓と座があり、残った簡もみなそこに置かれていた。
「着替えてくる。」
くるっと背を向け、奥の部屋へ。
寝所だ。
勿論、俺が入ることは出来ない。
「・・・俺は、どうなっちまったんだかな・・・・。」
周泰さんが、羨ましく思う。
絶対の信頼を持っていて懐刀で。
切っても切れない絆が確かにあるのだ。
何も言わなくても、あの二人は通じている。
羨ましいのか?公積よ。
「さぁな。」
また、光った。
少し遠くで雷が轟く。
同時に俺の心も落ち着いてきた。
「くっそ・・・。」
雷が止み、雨が降り出した頃。
平服に着替えた殿が出てきた。
「早く皆の顔が見たいな、公積。」
邪気のない笑顔だった。
「そうっすねぇ。もっとも、心配することなんか、ないでしょ。」
皮肉で隠す、小さく醜い嫉妬。
「またそういう。しかし・・・無事でこしたことはないのだ。そうだろ?」
うなずいて返す。
でも 貴方の会いたい人は・・・ 会いたい人は・・・
「周泰さんが、孫策様のお側にいたでしょうから、何の心配事もありませんって」
そう言えば、一瞬きょとんとした顔を見せた。
しかし、
「そうだとも!周泰は強いからなっ!!」
それは嬉しそうに、 満面の笑みで言った。
俺はどうしたいんだろう。
この満面の笑みを独り占めしたいのか?
「さて、続きに取りかかろう。」
卓につき背を向けた殿。
「・・・俺は、外廊下にいますよ、殿。殿の背中じゃ話し相手にはなりませんからねぇ。」
「まったくいらんことを言う・・。だが、しっかり頼んだぞ。」
「殿のお守りですからねぇ。」
「お守りいうなっ!!」
雨脚が強くなった。
この雨と一緒に 俺の思いってモンも流されちまったらいいだろうに。
轟にかき立てられた己の心が
雷のせいで感じた、ただ一瞬の出来事だったらよかったのに。
今は雨が降っている。
でも俺の中ではまだ雷が鳴っている。
−了ー
初!泰権←凌な読み物をお送り致しました。
同盟入ってるんだからかけよっ!!
いえ、やっと良いのが思い浮かんだのでね☆
まずは自覚編〜♪
凌統の雰囲気出ているでしょうか?
夕轟の意味は「恋情などが、夕暮れ時に心を騒がせること。」を指します。
周泰のことは尊敬していて仲も悪い訳じゃない凌統。
殿から絶対の信頼を得ている幼平に嫉妬というか、
粋すぎた羨望というか、そんなのが書きたかったんです・・。
でも、ちょっと恥ずかしかったな、書いてて。
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