「いいか、目を離してはならんぞ。」
周喩は歩哨に立つ2人にいいました。しかし二人の歩哨は何処か緊張したような面持ちです。
普通の部屋ですが扉はしっかり閉じられ、厳重に鍵がかけられていました。
「・・・宴の席が終わるまでだ!!がまんしろっ!!」
大きな声では部屋の中にいる人物に向かって言うとその場を後にしました。



−清算−



夜。
月はしらしらと天にある。
星は見えない。
祝宴を盛り上げるための篝火が沢山焚かれ、人の出入りも激しい。
聞こえてくるのは賑やかな声、煌びやかな衣装の衣擦れ、雅な楽。
切り取られたように静かな、かの部屋がある一角。

 呉主の父親である大殿・孫堅の敵である黄祖を討ったという祝宴が催されていた。
誰からも慕われていた孫堅・文台を偲んだこの宴席には今回の戦で降った将が始めて主となる孫権に目通りする場にもなることとなっている。

 「これが・・・呉の気風、ねぇ・・・。」
まるで品定めをするかのように宴席をぐるっと見回す一人の男がいた。
文官武官すべての者達が雅やかな長衣や薄い鎧を着ているにもかかわらず、まるで賊のような姿で、隠しもしない半身にはびっしりと入れ墨を施している。
ちりん・・・。
男が動けば、腰に付けた可愛いらしく鈴が音を立てた。
「そうだ。だから、お前もすぐに落ち着けるだろ、甘寧。」
隣に座った呂蒙はいった。
心なしか、そわそわしているように見えなくもない。
甘寧は気づいたが、とくに何も言わなかった。
「俺は、この国の将を討ってるんだぜ?ったく、変わった殿さんだよな、孫権様ってのはよ。」
「まぁそうだが、孫権様も亡き父君、兄君と共にとてもおおらかでいらっしゃる。
この乱世を行くためには昨日の敵は明日の友となることなどあたりまえのことだからなぁ。
それに、この国にいると俺のような武のみの暴れん坊でも、軍師見習いとなることができる。」
「なるほどなぁ・・・。」
呂蒙は先頃学を身につけ、その才を認められていた。
そして紆余曲折を経てこの甘寧を呉将として迎え入れるようにした者の一人でもあった。

「・・・孫仲謀様、周公瑾様おなりー!」

声高く、侍従が来訪を告げる。
当たりは静まり、皆衣を正し着座。
女中や手伝いに来ていた人々はいったん下がり、大広間には静寂があるのみ。

 圧巻すべきはその、変わり身の早さ。
さっきまでは賑やかにしていたのが、この耳に痛いまでの沈黙と変わる。
そして、入ってきたのは赤い衣に虎の意匠が成された長衣姿の呉主。
宴の席だからだろう、少し煌びやかな冠を頂き、虎の毛皮を腰に巻いて飾りとしている。
しかし、驚くべきはその表情だ。
甘寧にとっては一番驚くところだった。
自分と歳が変わらないはずが絶対の自信を浮かべている。
それは茶色い髪に、碧眼がだからであろうか。
とにかく他の者とは何処か違う雰囲気を持っていた。
 隣に控える男は噂でも耳にするに値するほどの美丈夫で、一瞬孫仲謀の妃かと思ったほどだ。
スラリとした背と、流れるような黒髪。
誰にも追随されぬ知謀をたたえた穏やかな表情と、何をも見逃さない眼差しが印象的だった。
始めて間近で目にした甘寧は圧倒された。


月が、雲に隠れようとする。
ゆっくりと、辺りが暗くなる。
風が出てきた。
篝火の灯が揺れている。


かの部屋には一人の少年が軟禁されていた。
かの部屋は少年の父親の執務室。
先の戦いで少年は敬愛する父親を亡くし、家督を継いだ。
真っ暗な部屋の中一人で床に転がっている。
風に乗って聞こえてくる賑やかな宴の音。
聞き間違えることのないかの鈴の音。


「・・・・父上。」

寂しげにぽつりと呟く。
わき上がる忌々しさ。

少年は起きあがり、鍵を壊した。
不意を食らった二人の歩哨を倒し、走る。
途中、腰に差した短刀を確認した。


月が隠れた。
風が強くなった。


 「甘寧・・・、」
静かに孫権は言った。
彼は甘寧のすぐ側に座している。
「はい。」
「・・・気に病んでいるのだろう?今日は無礼講だ、遠慮無く申してみろ。」
杯を傾け、主は言った。
こうしてみると、自分と同じ年頃なのがうなずけた。
「しょうのない事だとは分かっているが・・あのような所にそなたのような武勇の持ち主がいるのも捨てはおけん。
今は乱世、有能な者は一人でも欲しい。それとも、私はお前のことを買いかぶりすぎていたか?」
杯を煽る呉主は、上機嫌だった。
「いえ・・こうして招いてくださったんです・・俺は俺の武を持って恩義に報いますよ・・。感謝もしています。
正直、あの黄祖は俺を下っ端扱いしてやがったんで・・・俺が元賊だから。」
「ここではあまり関係ない。お前以外にも元賊は多数いるが皆信用にたる者達ばかりだ。その点で遅れを感じることはないだろう、な周喩。」
主の少し後ろにいる周喩は穏やかに微笑みましたが、すぐ曇りました。
「しかし・・やっかいなことにずっと封をしておくわけには参りません、殿。」
「うむ・・凌統のことであろう?」
「・・凌統?」
甘寧が聞き返すと、孫権、周喩、呂蒙の3人に影が差しました。
「・・・お前が倒した我が軍の将を覚えているか?」
「ああ、先陣を切っていた・・・?」
「そうだ、あの人は凌操というのだが、」
戦はどちらが死ぬかで成り立っている。
配下武将を殺した自分を孫権と言う男は招いているわけだから彼ら上層部に問題があるわけではないようだ、と甘寧は悟る。
杯を一口。
「・・・私は父を殺されているから、あの者の気持ちは痛いほど分かる。」
孫権は言いました。
「どういうことだ?」
甘寧は、眉を顰めます。
答えたのは呂蒙でした。
「・・凌操には息子がおり、彼が凌家の家督を継いだ。凌家はこの呉郡に昔からある豪族の家だが・・。」
「で、そのぼっちゃんは、俺の首を狙ってるってわけか・・。」
「そうだ。しかし、この息子は腕が立つのだ。」
周喩は重い口調で言った。
「そなたを迎え入れるにあたり私たちはほとぼりが冷めるまでそなたらを引き合わすことが無いように手配したし、
これからもそうするつもりだ。しかし、思った以上に凌統の思いは深い・・・。」
父親の敵がのうのうと、まるで父親の後釜と言わんばかりに将となったのだ、いい気はしないだろう。
甘寧は複雑だった。

 兵士が来て、孫権と周喩に何かを伝えた。
周喩は残念そうに目を閉じ、孫権は一端その場を離れた。
呂蒙は心配そうに訪ねる。
「なにか・・あったので?」
「凌統が逃げた。」
「・・・なかなかやりますな。」
「悠長なことを言うな呂蒙。・・・私も失礼する、彼を捜し出さなくてはならん。呂蒙、」
「はっ、」
「頼んだぞ。」
「心得ております。」
「・・宴が終わるまでには戻ろう。」
周喩がそう言って、広間を後にしようと立ち上がったときだった。

「甘寧、覚悟ぉっ!!!!」

側にいた一人の女中が吼えた。
短刀を逆手に斬りつけてくる。
女が攻撃してきたと錯覚し、動揺したため最初の一撃は交わしきれなかった。
腕に一本の紅い筋が入る。
「・・・凌統?」
甘寧が、呟いた。
恨みでいっぱいの瞳。
怒りに震える手。
一瞬見ただけでは男か女か分からない、周到な化粧だった。
「・・・その首を貰うっ!」
お互い少し間合いを空け、機をうかがう。
しかし、少年も並の少年ではなかった。
広間にいる将達が動き出す前に、床を蹴った。
足技と、斬撃を交互に繰り出す。
獲物もない甘寧は、紙一重でよけ、蹴りは腕で防御した。

二人にとっては長かった。
しかし側にいる呂蒙や周喩が動かぬわけがない。
周喩は腰の剣を甘寧に投げ渡し、呂蒙は凌統の背後に回った。
他の将も、ぐるりと囲む。

「おらぁっ!!」

周喩の剣で斜め下から凌統の剣撃を防ぐ。
思った通り、細い剣は折れた。
凌統が、着地する。
呂蒙が彼を捕まえようとするが、身軽な少年はするりと逃げた。
そして、足技を仕掛ける。
しかし、女中の長衣が災いして足を滑らせ、彼は平行感覚を失った。
そして繰り出していた甘寧の剣撃を喰らう。
峰打ちだったが、剣圧で凌統はそのまま吹っ飛ばされた。


広間には甘寧、凌統、呂蒙、周喩、孫権とその懐刀、周泰だけとなった。
あれだけ転がっていた酒瓶も卓もない。

 「・・・凌統、気持ちは分かるが・・・。」
「ならばあきらめて下さい殿っ!俺はこの男を許さないっ!それは貴方もお解りのはずだっ!!」
少年は、主に吼えた。
「しかし、状況が違う。黄祖は我ら呉の敵であったが、甘寧は、いわば仕える場所を間違っていたのだぞ?」
「それでも父上を殺したっ!!だったら戦しなきゃよかったんだっ!!俺は許せない!父上と同じように貴方の側にヤツがいるのがっ!!!」
「・・・・。」
「・・俺が父上のようになるんだからこんな男は必要ないんだっ!!!!」

言うが早いか、凌統は着物の裾を破りそのまま甘寧に向かって走った。
そして、足技を繰り出す。
裾を破ったせいか、キレを増した技に甘寧は驚く。
もう周りが留めようとも容赦なかった。
手を出すわけにもいかず甘寧は防御一点で耐える。
しかし殺気が籠もっているため、いつかは止めなければならない。
そう考え周泰が二人を吹っ飛ばそうと剣を構えた。

その時ピタッと、二人が止まったのだ。
甘寧は、何かを抱きしめているようだった。
大きな目を驚きでいっぱいに広げている凌統。
どうしたらいいのか分からない、複雑な面持ちの甘寧。

甘寧は、凌統を抱きしめていた。
まだ、あまり背も高くなく細い子どもが、自分の腕の中にいた。

「・・・・あやまれないんだ、ごめんな。」

甘寧は言った。

「・・俺はお前の親父を殺した。だが、俺はその時、お前の親父の仲間じゃなかった。
俺は、お前の親父を殺さなければ自分が殺されていたし、何もしなければそれはそれで、前仕えていたところに殺されただろう。」
「・・・・・。」
「戦、乱世、喧嘩。白黒ははっきりしているモンなんだ・・・。だが、今俺はお前の仲間となった。
お前が助けを必要としていれば俺は駆けつける、もしお前の親父が生きていて、やばくなってりゃ俺は飛んでいっただろう。
そんなもんなんだ、戦も喧嘩も、やる方には単純なんだよ・・・・。」
「・・・それでもっ!」
凌統は、暴れ出す。
甘寧は、腕に力を込めた。
「だからあやまれないんだっ!・・俺は悪いことをやったわけじゃねぇし、
お前にここで謝ったら二度と戦に出て敵を倒すことはできなくなるだろう。なぜかわかるか?
・・・殺すたびにあやまるわけにはいかねぇ。戦場に出てくる者にも、信念がある。」

「・・・・・・。」

分かっていた、そんなの。
戦には敵と味方しか存在しない。
昨日は敵であっても明日は見方であることなど日常茶飯事。
そんなことに構っていれば、戦場で生きて戻ることなどできやしない。

偶然敵だった時に、父上は負けた。
今は味方だから、関係ない。

殺さなければ、殺される。

「・・・わかって・・・いる・・・そんなこと・・・・。」

凌統の四肢から力が抜けた。
甘寧の肩に頭をもたれ、言った。

「それでも・・・お前は父上を殺したんだっ!」

掠れた声。
手は甘寧の腕を強く掴む。
少し甘寧が顔を顰めた。

「・・・簡単に・・許せるもんか・・っ!」

大好きな父上、もういない。
憧れていて、初陣の時にはその横に立っているはずだったのに。

「父上ぇ・・・。」

後にはすすり泣く声だけが、広間に残った。
甘寧はずっと、凌統の背を撫でていた。


空が白みだした。
風が止み、明るくなりだす。
月が、雲間からでてきた。
彼らの心を表しているようだと周喩は思った。







ブラウザは閉じるで。