陰と −子世代の話・2−




  よく晴れた朝、鍛錬場に響くは少年と少女の声。
それぞれの親はそこを見下ろす城の渡り廊下から見ていた。
「・・・あまり才がないな、我が息子ながら。」
少年の父親は言った。
「でもよ、哥者(あにじゃ)。そのうちうまくなると思うぜ?上達はしたと思うしさぁ。」
少女の父であり少年の父親の義弟はかえす。
「・・・・やはり、跡目には相応しくないか・・・頭もあまりいい方ではないと聞いている。」
「まだ決めるのは早ぇんじゃねーのか?確かに星彩は武に長けてるけどよー・・・。」
少女は少年よりも遙かに強かった。
彼女は矛と盾を使う独特の戦い方をするがそれ以前に父親の才をよく受け継いでいた。
少年の父親は弱くはないが強い方でもない。
「・・・確かに翼徳の娘である星彩と比べるわけにもいかんだろうが・・大将たる身、自分の身は守れなければいかん。」
少年は剣を取り落とした。
少年の父親は眉をひそめ場を後にした。
義弟もついていく。

ぷっつりと気配が消えたときだった。

剣の扱いもままらなかった少年は、柄を握る手に力を込め、少女の矛を受け止めた。
ギィンッ!と金属同士の音がする。
「・・・このくらいにしておこうか、星彩。」
少年は言った。
少女は軽くうなずき、矛を引く。
「はい。しかし、今日は満足に鍛錬ができましたね・・・。」
怜悧な声はかすかな優しさを込めていった。
少年は頬笑む。
「ああよかった。いつも私が鍛錬するとなると父上は必ず見に来るからな、落ち着いて剣も奮えん。」
「また・・強くなられましたね。」
「そうかい?日々修行だからなっ!・・・じゃあ、水浴びでもしてこよう。星彩も、汗を流してな!」
「はい、では失礼します。」
少女の後ろ姿を見送った後、少年はその逆へと歩き出した。

少年の名は劉禅、字(あざな)はまだない。
ここ蜀漢の皇帝、劉玄徳の長男で幼名を阿斗という。
字がまだないため、幼名の阿斗と呼ぶ者も多数いるが幼なじみであり従兄妹である星彩と関平だけは別の呼び方で呼んでいた。
−伯龍(はくりゅう)、二人は物心着いたときから彼のことをそう呼んだ。

 夜。
夕食を食べ終わった頃、丞相・諸葛孔明が彼の部屋を訪れた。
先頃行った学力試験が思わしくなかったのだ。
彼は一通り、間違えたところを教えた。
しかし阿斗は頷き、「さすが孔明、とてもよくわかるの!」と軽く言って、その様子はまるであしらっているようにもとれた。
孔明はため息混じりに、
「貴方は第一子、跡継ぎになられるお方です。学ぶことは多々あるのですよ?」
涼しい声色に微かな呆れをこめて流麗な男は言った。

 それから少し経った頃。
星彩が扉をたたいた。
「結果が出たのか?」
彼女が部屋に入るなり彼はうれしそうに言った。
その表情は先ほどまでの少し間の抜けた幼い表情などかけらもない、孔明にも似た流麗なまなざしがあった。
「はい、問題なく、納めておられると感心しておりました。」
星彩は手にした簡を手渡し、そばの長いすに腰掛けた。
着ている長衣は、男物だ。
「あのくらいなら平気だ。それより平は?」
「明日には着く予定ですが、」
「もう着いてるぞ、星彩。」
振り返れば精悍な顔をした少年が扉の前に立っていた。
旅装束のままで、背には獲物の斬馬刀を背負っている。
「・・・早かったのね、関平。」
「ああ、誰にも見つからずに会いたかった。・・ご無沙汰してます、伯龍。」
「道中はどうだった?」
「一人旅故、拙者には楽な旅路だった。」
関平は笑んだ。
「さぁ、我ら3人が揃ったぞ。本当は飲み明かしたいところだが・・・あいにく年端がいかんな。」
それは楽しそうに伯龍は言う。
星彩は持ってきていた花かごにかぶせた布をとった。
「桃を持っております・・・いただきましょう。」
「これはありがたい!拙者、少々のどが渇いているから・・・。」
「では水を持ってこよう。星彩には桃を任せて、平は座って旅の疲れを少しでも癒せ。」
「すまない。」
3人だけの場では身分などない、ただ気心知れた従兄妹同士だった。
出かけに袖の異様に長い上掛けを羽織ると伯龍と呼ばれた阿斗は部屋を出て行った。

 「・・・伯龍はなぜあんな袖の長いのを着ているんだろう、星彩。」
荷物を下ろし、装備をはずしながら関平は訪ねた。
「・・・手が隠れると気弱に見えるし、だらしないから愚鈍にみえるだろうって。・・・半分おもしろがっているみたいだけど・・・。」
「彼らしいっちゃ彼らしいか。」
「そう思うわ。・・また腕を上げられた。」
「・・悔しいけどあれ以上腕を上げられると相手ができなくなるな。」
「ええ・・・でも、」
星彩の、桃の皮を剥く手が止まる。
「でも?」
「私も負けない・・・!」
「ああ、もちろん拙者だって!」
と、足音が二人分近づいてきた。
星彩と関平は扉の方を向く。
入ってきたのは阿斗と、今一人は父である劉備だった。
星彩と関平はあわてて立ち上がり、供手した。
 「おお関平!戻っていたのか、明日だとばかり思っていたのだが・・・。」
「此度は一人旅故、半日ほど到着が縮まりました。・・・・・・父上からです。」
関平はいそいそと荷物の中から太い簡を2本取り出し、差し出した。
「ありがとう。雲長は息災か?」
「はい。今のところ荊州は穏やかで、今年は豊作でした。」
「それはよい・・・。」
劉備は3人が団らんしようとしていたのを認めた。
星彩が桃を剥いていたのを見たからだ。
自分の息子も水差しと杯を持ち、旅から帰ったばかりの関平がいる。
「どうやら私はじゃまなようだな、阿斗。」
阿斗と呼ばれた少年は、うれしそうに頬笑んだ。
「明日の衣装はもう用意されていますのでご心配なさらぬよう!」
「ならばそれでよしとしよう。・・・では、おやすみ。」
『おやすみなさいませ。』
3人は供手して皇帝を見送った。

 「・・さて、いただこうか!」
「甘いにおいだなぁ。」
「甘いと評判ですから・・・。」

大人が干渉してこない世界で、少年少女たちは思い思いに語り合い、笑って夜を過ごした。


 翌日は簡単な祭礼のある日だった。
それは漢王朝より続くもので、ようは臣の身を引き締めるために帝が何か喝の入ることを言うのだ。

朝。
侍従が起にくるほんの少し前。
阿斗は衣装を前に腕を組んでいた。
「なんか足りないなぁ・・・。」
目の前に広げられた衣装は美しい翠色の着物に金の冠。
帯にも黄水晶の美しい帯留めがあって、少々華美だ、と思う。
「そうだ・・確か・・。」
寝台の床をひっくり返すと中は収納できるようになっていて、いくつかの箱が現れる。
一番平べったくて大きい箱を取り出すと、ふたを開けた。
「・・・おそらく、彼らもこれを着てくるはず。」
そこには梔子色(くちなしいろ)を基調とした一揃えが納められ、不似合いな剣が目を引いた。

女たちに一通り見繕ってもらった阿斗は、剣を履いた。
姿見には、梔子色の上衣に薄い緑の帯と直垂に淡い茶地に黄色い刺繍の施された袴を着た自分が移り、
父親と同じ長い耳で顔立ちもどこか似ていると自分で思う。
「そういえば父上もその武をひた隠しにされておられるな・・・。やはり腐っても親子か・・。」
金の冠に翠の顎紐のついたものを頭に乗せいるのがひどく滑稽な気がした。

 大広間にはすでに多くの人が集まっていた。
壇上にはすでに義理の兄である劉封が玉座の隣に控えている。
将なので武装していた。
「ん・・?阿斗、おまえ白か?」
「白ではありませぬ、これはー。」
「阿斗様、お声が高いですよ。すこしお控えください。」
割って入った声は孔明のもの。
二人の義兄弟はそこで会話をやめた。
「・・・私の言った衣装ではないようですが・・・阿斗様。」
冷ややかな目が少年を見下ろす。
本来臣下が君を見下ろすなどあってはならないことだが、阿斗は気づかぬふりをした。
「これ?あとからこちらの方がいいですよって言われたんだ。私もこの黄色みがかった白が気に入っておる。」
「・・・・。」
別にかまわないが、少し地味だと孔明は思う。
「それに、私はまだ太子ではないのだからきらびやかな格好をしなくてもいいだろうって。義兄君もいらっしゃるわけだしな。」
「!!」
暗愚な少年のここまでの思考力があったのか。
孔明は驚いた。
阿斗は、にぱっと笑う。
16才くらいになるはずが、えらく幼い笑みだ。
阿斗、星彩、関平と1・2才しか変わらない彼らの中で、もっとも阿斗の背が高く、もっとも幼く見える。
「・・・そうですか。」
孔明はそれだけいった。
そこへ星彩と関平が、星彩の父親である張飛とともにやってきた。
二人とも、見慣れない格好だった。
いや、孔明には見たことがあった。
巾をつけた姿はよく似ているからだ、関平は義父である関羽と同じような格好をしていたのだ。
着物の上に鎧をまとい、足は淡い茶色地の袴に脛当てを付けて広がりを押さえている。
着物の色は、間違いない。
「・・・梔子色。」
孔明はつぶやいた。
日向にいる彼らの白色はやや黄色みがかって見えたからだ。
星彩も同じような格好をしている、着物の上に胴当てと腰当て、拗ね当て、全て身につけ、武装していた。
そして隣に立つ、阿斗。
偶然だろうか?
3人とも似通った、いや同じ色の同じ着物を着ているなどとは。
「・・・阿斗様、」
「なんだ?孔明。」
「そのお召し物はいかがされたのですか?」
「これ〜?知らないよ、気がついたら持っていたんだ。・・・そういえば関平や星彩も同じような格好だねぇ。
なんだかうれしいなぁ。そういえば孔明、」
「はい。」
「梔子色には別名があるそうではないか、なんと言うんだ?」
確かに別名がある。
知っているはずが、孔明はすぐ思い出せなかった。
それよりも、この阿斗のことが気にかかる。
真意を探るように、少年の瞳をじっと見つめた。
「・・・・孔明?」
小首をかしげる阿斗。
何も見つからないと孔明は目を伏せ、小さく首を振った。
「確かに別名があると聞き及んではおりますが・・あいにく周知ではございませぬゆえ・・。」
「そうか、そちでもわからぬ事があるのだな!」
まだ祭礼までには時間がある。
阿斗は壇上から降りて二人の従兄妹の元へ走っていった。

 いったい何を話しているのだろうか。
孔明は見るともなく見ていた。
(・・・あのように何かを仕掛けたのでしょうか、それとも偶然でしょうか・・・。)
ふと梔子色の別名が気になった。
しかし、すぐに出てこない。
ひどく引っかかる。

と、阿斗が振り返り目があった。
そして、一瞬で、顔が豹変した。
どこまでも冴えた顔があり、ほんの一瞬、ニイッと口の端を広げたのだ。
そこへ、梔子色の別名が思考に飛び込んでくる。
「・・・謂わぬ色・・・・、謂わぬ色か・・・。」
元は梔子が口無しという字となり、口がないので転じて謂わぬ色ともいうことを思い出したのだ。
「・・つまり貴方は何も言わないのですね・・劉禅様。」
孔明は彼の才を一瞬で読み切った。
暗愚の皮をかぶった皇子。
今も袖を振り上げてきゃいきゃい言っている。
しかし彼は何も語らないだろう、従兄妹たるあの二人以外に、まして、親である帝にも。

阿斗が戻ってきた。
周りの臣達も各々、整列を始める。
壇上をあがる阿斗の剣が、孔明を横切るときに閃いた。
彼は一瞬驚いて目を開きそうになるが羽扇で表情を隠した。

なぜなら、かの皇子が履いていた剣は行方不明とされている曹魏の王、曹孟徳の妖剣・青スの剣(せいこうのけん)に間違いなかったからだ。

「・・・・・。」
孔明の額に、汗がにじむ。
阿斗は玉座の、孔明のいる位置とは逆に義兄と立っている。が、ふと目があった。
そして、それはまるで少女のように、咲(え)んだ。

*補足*
・今回の梔子色とは日本名です、色名だけは「中国でもそういうんだ〜」と真に受けないでくだされ!
・咲む・・・花がほころぶように頬笑むこと。
・伯龍・・・伯は長男を指すことより、長男龍(劉とかける)。創作なので注意。



−終−