抱きしめたのは会えなくなるからでもなく

どちらかが死ななければならないかも

ともに死ぬかもしれない運命だからでもなく

会ってしまったことを悔いてしまったのでもなく

ただ

寂しくなると思っただけだった



寂しいと、それだけを思ったから・・・・







−曼珠華−







 「・・・殺せ!」



青を纏った男は悔しげに睨み上げる。

その先には白馬に乗った、赤を纏った男。

感情を浮かばせない表情は流石と言えたものだろう。

幾人もの将を引き連れ、青の男を取り囲む。



「・・連れて行けっ!」



赤の男は馬首を翻す。

青の男は忌々しげにその後ろ姿を見ていた。





 青の男はまだ公子だった。

最初は適当な牢に放り込まれたが次の日はちょっとした部屋へと連れて行かれた。



「・・・魏と休戦協定を結んでいたのですが曹丕様へ伝えられる前に行動を起こされたため、我々はやむなく貴方を捕らえました。

ご無礼をお許しください。此度のことは、お父上でもあられる魏王殿へも報告済みでございます。」



見目麗しい男が腰を折り、恭しく述べた。

たしか、周瑜だと青の男は記憶していた。

なるほど、たしかに美周郎の名にふさわしい顔だと思う。



「・・・ならば暫くの間だの滞在を申し出ようか・・・。あいにくと遠征中であったから疲れている。ここからいきなり魏へ戻るのも骨だ。」

「かしこまりました、手配致します。専属の女官を付けます故、何なりとお申し付け下さい。」

「いいだろう。」

「城内は基本的に自由です。しかし一部、お解りかと思いますがお通り願えない箇所もござい増す故・・・・」

「心得ている。もう下がれ、私は少し散歩に出たい。・・・磯の空気という物を味わってみたいものだ・・・・・・。」



青の男はニヤリと笑い、周瑜は一瞬眉を顰めた。

しかし供手して出て行くと、そのまま真っ直ぐ主の元へと向かっていった。





 青の男は城を出て行った。

ぶらりと歩き、周囲を見回す。

なるほど、魏より華美でもなくどこか異文化を思わせる装飾、意匠。



「・・・海の民、か。」



男は海を知らなかった、ただ聞いたことがあるだけ。

やがて男は歩いている間に正面へとやってきた。

こうして振り返ってみると、なるほど、許昌のように大きすぎずになかなかよい城ではないか。

 彼は適当に人を捕まえると自分の乗っていた馬を連れてくるよう言う。

彼の愛馬はすぐにやってきた。

手入れも行き届いているし元気だった。

彼は馬に跨り、適当に駆けさせた。





 馬を駆りながら風が冷たくなってきたことを思う。

間もなく冬がやってくる。

そうなれば華北に住まう者として冬の対策を練っておかなければなるまい。

兵糧、雪対策、周囲の賊狩りや休戦協定、やらなければならないことは沢山出てくる。

それだけ雪害は多大なる影響をもたらす。

そして、一時の平穏でさえ、冬に訪れるのだ。

戦のない時間。



「ふん・・・。」



男は速度を上げて駆けていった。



 男は暫く駆け、海がまだ少し遠いことを知り引き返した。

そして城よりやや北の方へと向かう。

道中の道別れに見た丘陵地帯がのんびり過ごすのに丁度いいと思ったからだ。

彼は珍しく途中の商店で水と食料を買い、馬に水を与えてその丘陵地帯へとやってきた。

日はまだ暑いくらいだが風は冷たかった。

サ・・・と草を撫でるように駆けていくのが解る。

手綱を外し、馬を放す。

男は少し歩いた。



 たださくさくと男は歩いていた。

そして小さな丘を越えた先にはだだっ広い草原が広がっていた。

その広大さもさることながら、一面に咲いていたのは、紅い花だった。



「・・火華(ひばな)・・・。」



男は圧倒さにつぶやく。

まるで草原を燃やしている炎の如く咲いている華。

と、風に流され、何かが飛んできて男は反射的に掴んだ。

それは平べったい絹紐だった。

繊細な刺繍は持ち主がかなりの身分を持っている事を伺わせる。

誰か居るのか、と思えば赤と緑色に混じって異色のものがあった。

それは膝抱えて座ってはいるが、顔を埋めているため誰なのかは解らない。

ただ、長い赤毛が風に揺れていた。

この広い中原で赤毛を持つ男など、一人しかいない。

「・・・孫仲謀か・・・。」

男は呟いた。

紅い男はゆっくりと顔を上げる。

少し強くなった風に髪の毛が舞い、火華が揺れた。

青い男と紅い男はお互いを見て暫く無言だった。



 「・・・・・このようなところで不用心だな、孫呉の主よ。」



青い男は言った。



「ならば私からも言葉を返そうか・・・・・敵国のど真ん中で流石といえよう度胸をしているな。」



鬱陶しげに髪を掻き上げ、だるそうに碧眼で青い男を見上げた。


突風が吹く。


止んだとき、青い男は紅い男ののど元に隠し武器である細い刃物を突きつけていた。

左手で相手の首を捕らえ、右手がほんの少し動けばこの咲き乱れる火華以上に残酷で美しい光景がみれるだろうなと男は笑む。

孫権は抗うこともなく、ただうつろな碧い目で青い男を見ていた。



「・・・・不抜けに今平安を与えてやる気など毛頭無い。いつでも息の根を止めることが出来よう。」



「いいのか?私を殺さなくて。」



「いつでも出来る。」



「たいした自信だな・・。さすが、あの曹孟徳の跡継ぎだと言えような・・・・。」



「・・・・・。」



 青い男はその場に座った。

距離は多少あるが、紅い男の隣に座っている。

再び風は穏やかになり草原を撫でるように通り抜けていく。


空はたなびく雲と淡い青空があり、太陽の光は暖かくほんのりオレンジ色。

周りの風景もどこか色あせて、なんだか懐かしいような、何かちょこっと足りない喪失感というか、二人にはそんな感情が渦巻いていた。



青い男は紅い男を盗み見た。

ポヤッとした表情でどこをみるともなくボーっとしている。

立てた膝に顎を乗せ、その様子は顎髭が見えないせいか酷く幼い。



「・・・お前は何を思って戦場へ出るのだ?」



小さな、囁き声が青い男に問うた。

紅い男は前を向いたままだ。



「ふん・・・。父が可能と思っているのだ、私に出来ないはずがない。」

「・・・。」

「その問い、そのまま返そう。」

「・・・・・・・父や兄の志を継いだということもあるが、私はただ人々が笑って過ごせたら別になんだって良いのだ・・・。」

「それは孫呉の天下でなくともということか?」

「もちろん孫呉の天下というのは我ら孫家の確固たる道しるべだ。しかしな・・・・・・、時折思うのだ。道は、無理に分ける必要などなかったのではないかと。」

「なぜそうおもった?」

「なぜなら・・・・・、」



紅い男は緩慢な動作で青い男の方を向き、じっと、今はどこか空の色を映している剃刀色の瞳を見つめた。



「掲げる志の根底が同じだからだ・・・・。配下の勇壮な将達もそれを成せることは己の君主だけだと信じている。同じではないか、何も変わることはない。」

「おかしな事を言う。だが父に限って言えば無駄な血を多く流しているぞ?気に食わぬのではないか?」

「たしかにあの男は多くの血を流す方法をとる。だが、案外手っ取り早いのかも知れない。」

「ただその強大な力を手に入れたいだけではないか?」

「お前の父は何が自分たちを形成しているのかを知っている。民が居なければ地位の高い者は生きていくことすらできん。」

「・・・。」

「・・・・・曹丕殿、」

「なんだ。」



孫権は立ち上がり、曹丕を連れて少し歩いた。

紅い男が青い男を連れて行ったところは少し降ったところにある棚田を見下ろせる場所だった。

黄金色の世界が地平線まで広がっていて、人々が稲刈りをしていた。

今が戦乱の世だと誰が思うだろうか。

少なくともここにいる人々は日々の恩恵に感謝し、穏やかに過ごしている。

これこそが乱世の先にある我らの望む姿なのだ、曹丕はポツリと思う。



「私はな・・・この豊かな國を守りたいのだ、今はひたすらそう思う。」

「治世の才を持つ者らしい発言だな。」

「・・・確かに私は父や兄に比べ戦を得手とはしていない。戦のない時こそ私の持つ能力は発揮される。」

「・・・。」

「戦は人が沢山泣く故、あまりやりたくはないのだ。しかし、道はまだ遠い。泣き言など言うことなど出来ない。」

「・・それでも孫家の天下を望んで居るではないか。・・・何をどう言っても我らと変わらぬ。所詮血塗られた道だ。」

「・・・。」



曹丕はもと来た道をたどる。

孫権は後に続いた。



「だがな、そんな血塗られた道は早いところ終わらせたいものだな・・・そう思う。」



曹丕はふと呟く。
孫権がニヤリと笑った。



「意外だな、そんな言葉を覇王の息子の口から聞けるとは・・・。」

「ふん・・。」



てふてふと二人は会話を交わすこともなく、曹丕が先立って歩いていた。

時折孫権が立ち止まれば曹丕も立ち止まり、紅い男の気が済むまでそこに立っていた。

二人の距離はとても近かった。

手を伸ばせば余裕で届く距離。

そんな状況の中で孫権が地に開いた穴にけつまずき、不意に曹丕の腕を掴んだが彼は耐えきれず二人でひっくり返った。



 曹丕は体を起こした。

孫権を下敷きにしていたらしく、彼はピクリとも動かない。



「・・・・・しっかりしろ。」


とりあえず声をかけた。

無反応だ。

しかし曹丕はこの時紅い男を殺そうなどと欠片も思わず、ただ純粋に紅い男の身を心配していた。

ひとまず俯せから仰向けの状態にする。

額を打ってしまったのだろうか、強く土がこびりついている。

半開きの口元に耳を近づけ呼吸を確認すれば、ゆっくりとした息づかいがあった。



「・・・ふん・・。」



 大事無いなら無理に起こす必要などない。

青い男は羽織っている外套を外すと紅い男の頭の下へ敷いた。


 曹丕は緑と赤のコントラストが美しい草原に座っていた。

その有り様はまさに異色、ただ一つの濃青色であり、ただ一人の魏人だった。





西北有浮雲(西北に浮雲あり)

亭亭如車蓋(亭亭として車蓋のごとし)

惜哉時不遇(惜しいかな、時に遇わず)

適々飄風会(たまたま飄風と会う)

吹我東南行(我を吹きて東南に行かしめ)

行行至呉会(行き行きて呉会に至る)

呉会非我郷(呉会は我が郷に非ず)

安得久留滞(安んぞ久しく留滞を得ん)

棄置勿復陳(棄置してまた陳ぶることなからん)

客子常畏人(客子は常に人を畏る)





 傍らから草のこすれる音がする。

孫権の意識が戻ったのか、顔を片手で覆っていた。



 「・・・大事無いか。」

「・・・・・ああ。」



細い声が答えた。



 「よい歌を謳うのだな・・・。」

「・・・・。」

「腐っても、曹家か。」

「・・・・。」



 青い男は何も言わなかった。

ただ自分を見ない男を見ていた。

ふいに振り返る。

孫権はその碧眼で相手の真意を探ろうと見つめた。

しかし、剃刀色の瞳は何も映していなかった。

ただ鋭い光を宿しているだけだった。

 青い男は動いた。

片手でそっと紅い男の視界を覆う。

紅い男は抗いもせずされるがまま。

男は傍らに咲いた火華の花を乱暴に摘んだ。

毒々しいほどの紅い花弁でそっとほほを撫でる。

孫権は一瞬ビクリとしたがそれからは動かなかった。

ただ息を呑み、緊張しているのがよく分かる。

紅を散らしたように変化する肌の色は青い男を視覚的に楽しませる。

彼は頬や首筋を細い花びらで、それも緩慢な動作でゆったりと撫でていった。

そして最後は唇に触れた。

暫く撫でていると、紅い男は視野をふさぐ青い男の手に触れた。

少し強く握る。



「・・・時折どうしていいのか解らなくなるのだ。このままで良いのか、歩いてきた道はこれでよかったのか。」

「気が移ろうようではまだまだだな。君主であるならもっと胸を張っているべきだろう。」

「解っているのだ。・・・それでも・・・、」

「・・・。」

「それでも私はできるかぎり血を流したくない。愛する者達をもう失いたくないのだ・・・。」

「・・・・・・・ならば私を殺せ。」



孫権はあまりの発言に握っていた曹丕の手をはたき降ろした。

碧眼は見る見る赤みを帯びていく。



「私が居る限り血は多く流れるだろう。」

「・・・それはおなじことだ。お前達にとってもそうであろう?・・・私を殺さなければ血はまだ多く流れる。」



孫権は顔をそむけた。

曹丕は無理矢理上を向かせ、そっと口づけをした。



「・・生きていれば得るものもあろう。」



距離ゼロの状態で青い男は囁いた。



「悲観するならいつでも私の手で殺してやろう。だが・・・どうせならもっと楽しませてくれ・・・。」



その笑みは蛇のようだった。

しかし冷徹なだけではないような気もした。



「生きているのだから・・・・楽しみもあろう?」



掠れるような笑いとともに、青い男は紅い男を覆っていった。

紅い男はどこか安堵したかのように、男の背を抱きしめた。

それは暖かく、拠り所を求められない君主である自分が見つけた唯一の場所な気がしてならなかった。





紅く妖しく美しい曼珠沙華。

毒を持つが煎じれば逆に薬ともなる魔性の華。

何が二人を動かしたのかは知れない。

ただその華は彼らを紅い霞の中へと隠し、外界からの一切を遮断するかのように狂い咲いていた。









西北の空に浮き雲が漂っている。

ひときわ空高くかかり、まるで車のかさのようだったが

惜しいことに折り合い悪しく、一陣のつむじ風にぶつかってしまった。

わたしもその浮き雲さながら、東南に吹き流されて、旅を重ねるうちに

とうとう呉・会稽の地に来てしまった。呉・会稽は我が故郷ではない。

どうして長くとどまっていられようか。ええい、ままよ。

今更愚痴はこぼすまい。漂泊する身いとって、いつも他人には気を許せないのだから。


− 雑詩   曹丕 −





−了−