みんな背中を押してくれる。

でも、正直言ってなにをどうしたらいいんだろう?

私は男で、相手も男。

正直言って、不毛だ。

まだ一度の口づけしか、恋仲の人間がする行為はしていない。

しかしそれ以上のことを望まれたら?

私は皇帝だ。

生娘ではない。

だからこそ、怖い。

私が私でなくなる気がする。

幻滅されたらどうしよう?

もし、拒絶されたら?


私は生きていけないだろう。

生温いことを言っているのだと解っている、私の身は、私だけの物ではない國の物でもあるのだから。


それでも、愛する人と共にいたいと思うのは、禁忌なのだろうか。





水の中で、愛を囁こう  




 呉国、揚子江。

建業城から少し離れるとその支流がある。

ここは警備も万端にしかれた呉の国主お抱えの別邸だ。

というよりは表向き商家の家となっているので変装した呉帝一行が来たところで誰も何も解らなかった。

こぢんまりとした屋敷と庭、離れから川へと続く渡り廊下。

川から聞こえてくるにぎやかな声。

それぞれがいつも城で着ているような重い衣装を脱ぎ、軽装で遊んでいるのだ。

川に飛び込む孫策と、それを見て笑う尚香。

木陰でなにやら読んでいる呂蒙に、木の上で眠る凌統。


 そんな彼らを屋敷の離れから見下ろす形で見ていたのが呉帝・孫権だった。

冠に皇帝の長衣姿ではないとはいえ、かっちりと着込んだ浅黄の袍は彼がただ者でないことをあたりに知らしめていた。

「・・・・ここまで来てやることがあるとはな。」

「仕方ありません。これで最後です。残りはお父君が代わりに政務に当たってくださるでしょう。」

「で、陸遜は戻るのだろう?」

「はい、周都督が待っていますので。それに、甘寧殿が今の内調整に入ります。」

「そうか。」

凌統の父凌操を討った甘寧と凌統の確執はまだまだ深い。

彼が居ない間、色々と考えるようだ。

「なんか、良い策が浮かぶと良いな。」

「そうですね。」

陸遜は二人と仲が良いだけ、少し悲しげな顔をして頬笑んだ。



 仕事が終わり、孫権は供も連れずに川へと向かった。

いつもは供にいる周泰も、今は川へ出ていた。

一人で執務がしたいと言って孫権が追い出したのだ。


 周泰は皆から少し外れた大きな石の上で釣りをしていた。

木漏れ日が、実に気持ちよい。

逍遥するのにとても向いているだろうと孫権は思った。


 孫権は声をかけるのにとまどった。

周泰は柔らかく淡い碧の上着に袴(ズボン)は黒という姿で、江賊時代彼がどんな恰好をしていたのかが伺える。

長いざんばらな黒髪を風に遊ばせ、うたた寝をしているようにも見えた。

と、固定していた竿が動く。

周泰はゆっくりと動き、一気に竿を引いた。

見事な魚が釣れている。

周泰が嬉しそうに頬笑んでいた。

見たことのない柔らかな笑みだった。

おもわず、見とれる。

あんな風に頬笑みかけて欲しいと、思う。

(浅ましい!!)

孫権がそう思い、気配が鋭く変わったのを察知した周泰は振り返った。

手にしていた魚を川へ投げ、ふわりと風の如く孫権の目の前に現れた。

「孫権様・・・いかがなさいました?」

優しい低音が、主を気にかける。

「いや・・なんでもない。さすがに気配を察していたか・・。」

その気配が急に鋭くなったので周泰は驚き、駆け寄ったのだ。

しかしそれについてはもう何も言わなかった。

「綺麗なところだな・・・幼平。」

「御意。」

孫権はゆっくりと川岸に向かって歩き出した。

あまり岩がゴロゴロしておらず、すぐ水面に手を伸ばすことが出来る。

彼はその場にしゃがみ、手を水に浸した。

「水も清々しい・・・。」

孫権は下衣が濡れるのも構わず膝をつき、手酌で水を飲んだ。

周泰は孫権の川下で手を洗って、今はその様を静かに見ている。

何回か飲んでいるが、のみ零した水が彼の顎を伝う。

雫が太陽の光を受けて瞬く。

ゆっくりと目を開ける孫権の碧い瞳が、じっと周泰を映していた。

「・・・孫権様・・・。」

二人だけの場所で、周泰はかの人の頬に触れ顔を寄せる。

しかしかの人の顎に添えた自分の手は、拒絶された。

唇の触れ合う寸前で、止まる。

「・・・なぁ、幼平。」

「はい。」

「・・私は浅ましい。」

孫権はそういって、苦笑した。

少し自虐的だなと周泰は思う。

「お前がさっき、釣った魚を見て満足そうに頬笑んだのを見ていた。私は・・・そんな風に笑んで欲しいと思った。

同時に、私はたった一人のために心身を裂いてはならん身の上であることも思い知った。

呉を背負う者として、私は自分のためだけに考え動いてはならん。

私は望んではならん存在だ。全てを國のため、住まう民のために向けるよう運命(さだめ)られている。

これを犯しては、私は罪を背負うことにもなりかねないからだ。」

「・・・・孫権様、」

周泰はこれ以上自分を責めるようなことを言って欲しくなかった。

ずっと側にいて、好きあっていても今まで通り何も変わらないと信じていたからだ。

しかし好いた人は、呉帝だ。

「私が男であれ、女であれ、ただ一人の愛する者のために生きることも出来ない、望むことも出来ない。」

「違います・・・それは。」

「?」

「望んでも良いのです・・・叶えられるのは、俺だけだから・・・。」

「幼平・・・。」

「貴方が俺だけのために生きるなど、畏れ多いことでもあります。同時に、俺が貴方のために生きなければならないのです。

ただの護衛であったとしても、愛する人だから尚更のこと・・・・。」

「・・・・私には与えられる物が何もない。この心も、お前の物だけであったらいいのにと思う。しかし、それはかなわない。」

「俺の全ては、貴方だけの物です。」

「答えきることは出来ない。」

「その場だけだったとしても・・・・思いは通じます。」

「・・・。」

「泣かないで・・・。」

周泰はそっと、涙を拭って頬に口づけした。

「幼平・・・・。」

後から後から涙がこぼれてくる。

切なくて、愛しくて、どうして良いのか解らない。

ただ一人の存在だったらよかったのに。

しかしそれでは自分が今まで信じて欲した道を完全に否定してしまう。

誰もいない世界なら、私が皇帝じゃなかったら。

だが、私は帝位を頂き後悔はない。

自分の持つ才は、皇帝として望まれる治世の才だ。

愛していると伝えられたらいいのに。

でもきっと、私の身は耐えられないだろう。

心と、國への思いが、我が身を焼き尽くすだろう。

ああ、水がある。

誰にも聞かれないところでなら、きっと言える。


孫権は、川へ飛び込んでいた。

支流は山を挟み、濾過されているせいか透明だ。

水深も湖の如く深く、危険だ。


周泰は、大きく息を吸い、後を追った。


浅黄の着物が、青みがかった透明の世界に映える。

孫権は頬笑んでいた。

周泰の方へ腕を広げ、その手を男はつかみ引っ張った。

顔を引き寄せ、口づけをするとゆっくり息を吹き込んだ。

漏れた空気が泡となり、上へと上ってゆく。

まるで孫権自身が水に溶け泡となっているような錯覚を、周泰は覚えた。

孫権は、頬笑んだ。


『愛している』


彼は確かにそう言った。

周泰は愛しさでいっぱいだった。

強く抱きしめ、そのまま上へと急いだ。

早くしないと、孫権が水中に泡となって消えてしまう気がしたからだ。

(この方は、儚く、どこまでも真っ直ぐだ)

抱いたぬくもりを、周泰は離したくなかった。



 周泰は陸へ上がると少し歩き、木漏れ日の優しい木の下に主をそっと座らせた。

濡れた髪をどかし、呼吸を確かめる。

細いが、問題はない。

濡れた服も、寒くはないから起きたらすぐに屋敷へ連れ帰れば大丈夫だ。

「孫権様・・・」

そっと囁く。

濡れて一層赤みを増した髪が、ただ漠然と綺麗だった。



 孫権はそれから割とすぐ目を覚ました。

側には周泰が控えている。

自分は周泰の隣に座り、彼に寄りかかっていた。

周泰もまた、孫権をしっかりと腕の中へ納めている。

「・・・幼平、」

「お気づきですか・・・・大事ないですか?」

「ああ。すまないな・・・無茶をした。」

「二度目は、ごめんです。」

「勿論だ、二度としない。でも、嬉しかった・・・・すぐに追いかけてきてくれて・・・。」

嬉しそうに、周泰の胸にすがる。

周泰は、そっと髪を撫でた。


孫権が顔を上げる。

「・・・幼平。」

ねだるような、声。

周泰は、試すように軽く口づけをした。

主は逃げない。

次第に何度か軽い口づけを交わし、深くなる頃には主からも仕掛けられていた。