影を手に入れる −子世代の話・4−
関平が荊州を納めている彼の父の使いで蜀の首都、成都に帰ってきているとき。
蜀漢皇帝劉玄徳が公子、阿斗様と燕人張飛の娘星彩、軍神関羽の息子関平は城の中庭にて談義に花を咲かせておりました。
今日はこれといってすることもなく(まだ若いので要職に着いていない、調練と鍛錬のみの生活)、もちよった果物でのどを潤わせながら話し込んでおりました。
「・・・確かに、そろそろものたりなくなってきたよなぁ。」
「そうなんだよ、平から雲長叔父上に寄せられる情報じゃちょっと遅いし、かといって星彩が翼徳叔父上や子龍殿に聞くのも
やっぱり限界があるんだ。」
「一人、増やさなくてはなりませんね。」
「だが私が暗愚を演じることに理解できる臣でないといかん。・・・丞相府にそんな人がいたかなぁ。」
「姜将軍は?」
「諸葛丞相の弟子だから、無理でしょうね。」
「ああ、つねに傍らにあるし彼自身も学を修めている最中だ。」
ここで阿斗はたわわに実ったブドウを一粒口へ放り込みました。
関平は自分の膝に顎を乗せ、星彩はちょっと周囲に気配を巡らせて誰もいないか探りを入れます。
従兄を守るために関平と、特に星彩は人の気配を探ることだけは父親達以上に鋭くなっていました。
「・・・馬岱殿は?」
「馬岱?・・・馬将軍の従弟の?」
「ええ、伯龍・・じゃない、阿斗様。丞相府付きの武将ですが、隠密でもあります。父上が以前そんなことを言っていました。」
「隠密かぁ、それはちょっとしらなかったなぁ。」
「拙者もしらなかったよ、星彩。」
「おそらく、知るものは少ないかと。」
3人は顔を見合わせます。
「・・・決まりか?」
「拙者は賛成。」
「私も。試す価値はあるかと。」
阿斗は大きく頷きました。
「よし、では二人に任せるよ、私が動くと面倒だからね。」
「・・・お任せください。」
「吉報を、待ってほしい。」
「ああ。」
頷く阿斗の表情がどこか切なく悲しげであると、星彩と関平は気づきましたがあえて気づかぬふりをしました。
成都城、城門付近。
一人の青年が袖から鉄球に長い紐を付けた武器を取り出すと、少し前を必死に走る男に向かってぶん投げました。
カーン!と兜に当たった小気味よい音と、直後にドシャッと倒れた音。
「はぁ・・はぁ・・若っ!!やっと捕まえました!!今日こそは、今日こそは執務をこなしてくださいっ!!
私には私の仕事があるのですっ!!」
「くっ・・やるな・・・岱っ!西涼の馬孟起を一撃にて仕留めるとは・・・。」
従兄であり五虎将の一人、馬超は後頭部をさすりながら言います。
「そんな涙目で言われても嬉しくありません。さ、とっとと戻ってください!!」
同時に馬超捕獲班が彼らに追いつき、主を雁字搦めに縛り上げるとどこかへと運び去っていきました。
「おのれー!!おぼえていろー!!岱ー!!」
そんな遠吠えがフェードアウトしたころ。
側の角に隠れて見ていた星彩と関平が姿を現しました。
「馬岱殿は・・・阿斗様をどう思われます?」
慎重に言葉を選んで、関平はいいました。
「・・降将たる私には答えることなど出来ませんよ、お二方。」
馬岱もまた、言葉を選んで答えました。
「では質問を変えます。・・・阿斗様に仕えて欲しいと頼んだら、貴方は了承しますか?」
今度は星彩が、すこし強めの口調で言いました。
「大丈夫、今は誰もいないから遠慮無く答えて。それは、阿斗様の願いでもあるから・・・。」
確かに気配を巡らせれば目立つ気配はありません。
馬岱はふと思ったことを、答えとして返しました。
「二人はどうやら阿斗様に仕えるべき人を捜しているようだね。私も遠慮無く言おう、未来の皇帝だから?
彼が皇帝になると?」
「蜀に住まう民のため。阿斗様に仕えると言うことは、いずれそれにつながる。阿斗様は、すばらしい皇帝になるでしょう。」
「・・・拙者達の役目は阿斗様をお助けすること。阿斗様は故あって情報網を持たない。
拙者達だけでは限度があり阿斗様の命をねらう国内の敵に対応しきれないんだ。
まして、拙者も今は荊州に住まう身・・・。阿斗様が本性を隠している為、どうすることもできない。」
「そこで丞相府に仕える私が橋渡しをせよと?」
「いえ、阿斗様のために仕えて欲しいのです、かの人を守るために。」
星彩は、それは強い瞳で背の高い男を見上げました。
それは関平も同じです。
初陣をすませたとはいえ年端もいかぬ子供がここまで強い瞳を見せるものなのかと馬岱は思いました。
「貴方は隠密であり、暗器の達人です。私たち以上に、阿斗様のお力となれるはず。」
「もし馬岱殿が少しこの話を考えるというのでしたら、月が真上に昇った頃、誰にも見つからないように阿斗様の私室へお越しください。
気乗りしなければ他言無用。拙者達も、お待ちしております。」
「・・・重要なことを私に話して大丈夫だと思った理由は?」
「貴方は隠密です。話すべき事と話してはいけないことを、弁えているはず。」
星彩が微かな殺気をまとわせ釘を刺し、3人はバラバラに分かれました。
夜、月が真上に昇った頃。
星彩と関平は長いすに、阿斗は卓を挟んで向かいの椅子に座って書を読んでいました。
風もないのに明かりが一揺らぎ。
阿斗は顔を上げ、窓の前に置いてあるついたてに向かって声をかけました。
「来てくれて、嬉しく思う。馬岱殿。」
ついたての向こうから姿を現したのは、漆黒の服を着た馬岱その人でした。
「お招きに預かりました。」
「うん。」
立ち上がり、自分の方へ歩いてくる青年は間違いないく、公子である阿斗その人でした。
ただ眼光は鋭く、いつもの頭の弱そうな幼い表情は微塵も感じさせない威厳がありました。
「従兄君たる馬将軍は父上に使えている。そなたも、私に仕えてみないか?
私は故あって暗愚な不利を通さなければならない。それを理解できるかどうか問われるがな。」
馬岱は黄色い髪を覆っていた黒い布をほどきました。
そして一度供手し、答えました。
「なぜ暗愚なふりを?それよりも・・・私の知る阿斗様は一体・・・。」
「・・・賢すぎては疎まれるだけだ。私には義理の兄もいる。まだ太子は決まっていない。だからだ。
それでも身を守らなければならないし、国を支えなければならないのだ。
関平と星彩は本当によく付いてきてくれるわが愛する従弟妹だ。強いが、限界もある。
外の目も知りたいし、知っていても手が打てずに見過ごすしかできないようでは私も情けないのだ。」
「・・・・。」
「もちろん私は馬岱殿が仕えてくださるのなら、この3人以外の前では暗愚な不利を通さなければならない。
それを、理解できるかどうかも大切だ。」
「・・・・・・・・・・解りました。」
馬岱はひざまずき、顔を上げて主を、蒼い瞳で見上げます。
「身命を賭してお守りいたしましょう、阿斗様。私のこの力が必要とあらば、喜んで。それが蜀の未来につながるのならば!」
「ありがとう、馬岱殿。」
阿斗は膝をついたままの馬岱の肩にそっと触れました。
これ以後表向きは諸葛丞相付きでしたが、本来は劉禅の隠密としても彼は力を発揮していきます。
しかし非公式の任務なので、歴史の上にはほとんど姿を現しませんでしたが、斜陽となるその日まで彼は主に忠を尽くし、
若くして死んでしまう星彩と関平の分まで働くことになるのです。
−了−