二、気になるあの子







  牛のような女だと思った。

 いつも突出して相手方の策にはまる。

 みごとな填りっぷりは莫迦を通り越して潔いほど。

 いや、やはり愚かであるか。

 誰かが行きその道をこじ開けなければ先へなど進めぬ。

 先に道が続いていると信じてやっている芸当なのであろうか。


 「いや、果てれば愚かなだけだ。」


  小太郎はその様子を屋根の上から見ていた。

 他に進入経路はない。
 
 女とて誇り高き本多忠勝の娘だ、犬死になど望まぬだろうしそんじょそこらの将達より余程腕が立つ。

 小隊を引き連れ、彼女はいつも走っていく。

 精鋭達はその道をこじ開け、勝利へと導く。

 
 「開けたか・・・つまらぬな。」


 しかしこれで麾下に加えた徳川軍は目に見えて優勢となった。


 「つまらぬつまらぬ。・・・勝手にやっておればよいわ・・・。」


 勝ちは見え、この場にいてもなんの面白いこともない。

 小太郎は風となって、その場から消えた。




  風魔小太郎が文字通り、風と共にふらりと舞い戻ってきたのはまだ宵の闇が濃くない逢魔が時だった。

 天守にふらりと現れ、目を閉じたままじっと立っていた。

 「・・・人など醜い生き物だ。」

 かすかな皺を眉間に寄せ、ふらりふらりと天守を降りる。

 足音一つ、風が一度もざわめき立つことなく彼は一番外にある庭へ降り立った。

  芝を敷き詰め、庭岩がぽつぽつある。

 四季を楽しませる木々や花が植えてあるその角からかすかな気配を感じた。

 本当に希薄で、忍であっても下忍程度では気づかないほどだった。


 「手練れの忍か・・・。」

 
 戯れに相手をしてやろうと、小太郎はわざと気配を殺すことなく歩く。

 しかし気配はみじんも動かない。

 変わらず希薄なまま。

 足音を立ててやれば武芸者なら気づくだろうにその気配もない。

 
 「・・・人にあらずや?」


 そして、人一人分ほどの距離までその角までやってきた。


 「・・・稲は、役立たずなどではありませんっ!!」


 歩みを止めると同時に影がよぎり、矢をつがえた女の姿が現れた。

 泣きはらした目に涙を沢山浮かべ、頬は赤く熟れたリンゴのようだった。

 悔しげに眉を顰め、矢を放つ。

 音速の矢は間違いなく、瞬時に小太郎の眉間を違えることなく狙っていた。

 そして、反り返る小太郎の半身。


 「・・・気が済んだか?人の子。」


 反り返ったまま倒れることのない小太郎と、交わされたのかと表情をゆがめる稲姫。

 しかし、小太郎が半身をゆっくり起こせば間違いなく矢を受けた後が額にはあって。

 稲姫はただただ目を見開いて驚愕し、そのままへたり込んでしまった。


 「私には、人を打ち抜く力もないというのですか・・・・。」


 ガクガクと体を震わせ、弱々しく言葉を紡ぐその姿。

 小太郎はなんとなしに見下ろしていた。

 矢は確かに小太郎の額に当たっていた。

 ただ反射的に手で受け止めたのだがあまりの意外さに完全には間に合わず、ほんの少しだけ食らってしまっただけだったのだ。

 気がつけば、矢尻は皮膚を貫く寸前だった。

 
 (面白い)

 
 小太郎はうっすら笑む。

 
 「そんなに人を打ち抜きたければ城下でその腕を存分にふるえばよい。」

 「そのような非道なことできるわけがありませんっ!!」


 ばっ!と顔を上げたその時の憤怒の顔。

 小太郎は隠すことなく満足そうににんまり笑った。

 
 「そうなのか?ただ人を射抜き殺めたいだけと聞こえたのだが・・・違うのか。」

 「私の矢は徳川が望む太平の世を築くためにあるのですっ!むやみやたらに放つものではありません!」

 「ククク・・・・できなければ役立たずであろう?」

 「・・・・・。」


 小太郎が言うと稲姫は愕然としたように顔を伏せ、時折その目の辺りを手で拭っているようで。

 
 「私・・は、役立たず・・などで・・は・・・・。」


 時折しゃくりあげながら稲姫は言った。

 そして続くのは、か細く泣くのをこらえる声。

 興味の失せた小太郎はそのまま姿を消してしまったが、なぜかすぐに戻ってきた。

 稲姫の前に膝をつき、伏せた顔を見ようと下からのぞこうとする(もちろん見えるわけもない)。

 
 「・・・・いつまで泣いておる。」


 誰もいなくなったと思っていたのに急に声がして稲姫は驚いた。

 驚いて顔を上げたらそこには見知った誰の顔でもなく、風魔小太郎がいたからだ。


 「私のような者にかまわず・・・。稲がただ強くなればよいだけのことですから。」

 「まだ力を求めるか・・・。」

 「私は本多の名を持つ者。父のためにも、主家康様のためにも・・・弱いことは許されないのです!」

 
 半分泣いてるような声でも、気丈に振る舞おうとするこの娘。

 さて、どうしてやろう、小太郎は思う。

 しかし気丈に、気丈にと振る舞おうとしてもその大きな目からは涙がどんどん流れるばかりで。

 それでも目をそらすことなく自分を睨むように見つめるそのまっすぐな瞳。

 
 「変わらぬまま、流れるままに身を任せてみよ。自ずと答えが見えよう。」

 
 何も言う気など無かったが、なにを励ましているのだ。

 小太郎の思いなど知るわけもなく、稲姫は返す。


 「流れるだけでは何も見えません。流れるだけであれば、稲は弓を取りませんでした。この年ですから、どこぞへ嫁いでいたことでしょう。」

 「ではお前が自分で選んだ道だ。そのなかで抗うのではなく、たゆとうてみてもいいのではないか?肩肘ばかり張らず、力を抜け。

 世は混沌、力んでいては、呑まれるが早まるのみ・・・・。」

 「・・・・。」

 「・・・・どうした?」

 「混沌から抜け出せる日は訪れるのでしょうか。」

 「ハハハハ、我が居る限りそれは無理だ。我自身が混沌・・・・この世に吹きすさぶ風なのだから。」


  小太郎はそのまま消えてしまった。

 それはまるで、じんわりとにじんで消えるように。

 遠くから聞こえる、己を呼ぶ名に稲姫は目を拭って立ち上がった。


 「肩肘張らず、たゆとう・・・。稲にできることを、ただやればよいだけ。」


 

  また牛が居る、と小太郎は思った。

 攻め落とさんとするとある城の屋根から彼は風をまとい、立っている。

 裏へ回り、そこから虚をつくのか彼女の役目であり、大役を任されたとみえる。


 「ククク・・・あの泣き虫がなぁ・・。」


  楽しげに目を細め、眼下を走る稲姫の部隊をみる。

 迅速で無駄のない移動、急襲に長けている証拠だろうか。


 「しかしなぁ、この先でも罠が敷いてあるぞ?さぁ・・・・どうする。」

  
 小太郎はゆっくりと様子を見ながら行動を始める。

 疾風の如く走る、風の姫君の元へ。