三、晴れた日の一コマ
よく晴れた日。
気温も心地よくカラッとしていて、風が吹けばほどよく冷たく心地よい。
目を閉じればすぐにでも穏やかな世界に入れそうなほど。
この縁側でこのままノンビリと目を閉じることができたら・・・・稲姫はそう思いつつ重いまぶたを開けました。
稲姫は浜松城のある一部屋にいて、夜のお召しまでをのんびり待っていました。
父親である忠勝はもうあがっていて、時間になれば呼びに来るとこういうことです。
今日は遠方の同盟国からお偉方が来て宴をノンビリと催す、というなんとも節約家である主家康の趣向とは逆のことをするわけですが
たまには生き抜きも必要、とおおよそ無礼講になるだろうとお祭り騒ぎにもなりかけていますから稲姫もまた武装姿ではなく、綺麗に着飾った姿でした。
しかし稲姫が稲姫たるゆえんを言えば、どんなにさわやかで初夏らしい菖蒲(萌葱と紅梅)の小袖とうちかけを来て菖蒲をあしらったかんざしを挿しても、
淡く綺麗な勿忘草色の袴を着てしまっていることでしょうか。
しかし面差しは父忠勝を思わせるところがあっても、こうして淑やかにしていれば母君を思わせるもの。
この姿を見れば誰もが「早く良き人を」と思うことでしょう(もっとも稲姫はまったく全然興味のないことでしたが)。
そこへやってきたのは古くから知る、父忠勝の友人でもあり徳川十六将の一端を担う一人で、その人は小袖袴の上から紫黒色の洋套を羽織った姿でした。
あら?確かに服部様がいらっしゃいましたと言われたのに。
稲姫は入ってきた男を見上げます。
よく見れば袴の裾も旅用の拗ね当てに隠れていて、小袖とは言っても筒袖に防具を付けた珍しい服装で。
ただ見慣れた顔があって、二筋の傷跡があるし、嗚呼この人は半蔵様なのね、とたたずまいをなおしました。
「・・・珍しい姿ですね、洋套など羽織られるとは。」
「九州の方へ流れていて帰城の挨拶に寄ったのだ。・・麻は涼しく、姿見も意外と隠してくれる故重宝してきたが・・・それは大阪までの話であったわ。
それより東では浮いた目で見られた故・・・。」
なにかあったのか、はぁ、とため息をつく半蔵。
洋套をはずし、付けている防具やらなにやらも全てその場で下ろす頃には元の半蔵が現れ、二人の間には冷たい井戸水が置かれました。
半蔵は少し襟元をゆるめ、風を通すために障子戸を一枚開けました。
「・・・・良い天気だ。」
「はい。」
「稲は、このまま上がるのか?」
「一応そのような手はずにはなっております。父上が呼びに参るのですが父曰く、日暮れ後であろうと。」
「そうであろう。少々話が長引いておるそうだ、ちょっと聞いたらな。」
「・・きっと父上には頭の痛いお話ですわ!父上は武で語る方がお得意ですからねっ!」
「違いない。」
日頃表情のほとんど変わらない半蔵がほんの少し、その顔に笑みを浮かべるのが稲姫は好きでした。
変な話「鬼」ではなく「人」であると安心するような・・・・なんだかそんな感じがするのです。
戦ではその顔を見せず、闇を飛び影として走る半蔵がこうして鎧を脱いで小袖袴に刀を帯び、洋套を羽織って町を歩くなど誰が想像できるだろう。
そう、この人は半蔵様、ではなく石見の守様なのだから・・・。
「稲?」
「あ、はいっ?!」
「・・・気がイッていたが・・・いかがした。」
「あ、べ、別にありません!い、稲はいつも通りにございますよ?」
わたわたといいわけをしてもこの聡い人には解ってしまう。
半蔵はそんな稲姫の心を見透かすかのようにじっと見つめ、安堵させるようにその肩を取りました。
「・・・拙者は拙者だ。鬼でもあり、人でもあろう。泣きもすれば笑いもする。・・・半蔵であり、石見の守正成でもある。」
「半蔵様も泣かれるのですか?」
稲姫は逆にきょとんとした顔で言いました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・半蔵様?」
なぜ黙ってしまったのだろう。
代わりに動作が止まってしまった半蔵に小首をかしげる稲姫。
「・・・はんぞうさまー?」
するとゆっくり半蔵の目線が稲姫に合わされました。
「・・まぁそのようなこともあろう。」
何を思い出したのか、すこーし頬を染めた半蔵を見て稲姫は何だか嬉しくなります。
半蔵が感情を表に出していると、いつも自分の事じゃないのに嬉しくなるのです。
にこ〜っ!と笑みを濃くした稲姫を見て「何を笑うておる。」と低くいう半蔵とにこにこしたままの稲姫。
天気は良く、風も上々。
ぽつりぽつりと、なにをでもなく話す二人は兄妹のようにも見え恋人同士にもみえるなどといっては、
忠勝様が泣きながら走ってくるだろうと稲姫の侍女はぽつりとそう思いながらもお茶とお菓子を用意します。
ある晴れた日。
いつもとは違う服に身を包めば、ただそれだけなのにお互いが気になって。
稲姫は半蔵の装いに見惚れていたなどとは言えず、半蔵もまたあのきょとん、とした稲姫が愛らしく見えた自分に驚いて黙ってしまったとは言えず。
それを知るのは、その時駆け抜けた一陣のそよ風だけ。