三、晴れた日の一コマ
よく晴れていた。
季節は春で、まだ桜が満開の季節。
少し風は強く冷たい。
何かと行事の多い季節であるが、そんな外庭の桜の木の下へ集合とは我が主ながら・・・・、と忠勝は思います。
夫人(婦人)同伴というからには奥方を連れるものではあるが、忠勝の伴侶は亡くなって久しい。
武将としても凛々しく頭角を現し始めた愛娘を連れての参加となり、今は控えの部屋から荷物などをおいて外庭へと歩いていました。
桜の木の下にはお茶の席が用意されていました。
酒の席は夜の話。
昼は茶を点て、たまには職人が腕によりを掛けた茶菓子で皆をもてなそうと主は浮き浮き気分であったなぁ、とぽつりと思います。
「そういえば父上、」
稲姫が見上げます。
随分美しくなったと思うがどこをどう、自分に似ているのかよくわからないなぁと忠勝は思いました。
周りからは『稲姫殿は美しくなられたが・・・・忠勝殿そっくりでもありますなぁ』などいわれるようでは・・・はて、嫁に出せるのだろうか。
しかし今はいくら凛々しく袴姿とは言え、淡い薄紫と桃色の小袖袴に金色の髪飾りで結い上げた姿はひいき目に見ても・・・・美童。
「・・・父上?聞いてらっしゃいます?」
「ああ、すまぬすまぬ。」
眉を引っ詰め、声を少し荒げた娘を落ち着かせ、忠勝はひとまずそのことを思考の箪笥にしまいました。
「今日は半蔵様、いらっしゃるのでしょうか。稲は秋以来半蔵様とお目に掛かっていません。」
「うむ・・、冬になれば忍は任務にはいるからなぁ。拙者もまた・・・会っておらぬ。戻ってきたとは聞いたが・・・。」
「左様ですか・・・。」
小さい頃からよく見知っているせいか稲姫は半蔵によく懐いています。
さりとて、忠勝もまた物寂しいもの。
しかし中庭にやってくればすでに家康公は桜の木の下にいて、桜の木を鑑賞していました。
ちらほらと徳川四将や十六将達も集まっていて思い思いに歓談したり桜を愛でたり、庭を散策したりしています(殆どが誰か女性を連れているので)。
その中で一人、藍色の美しい羽織袴姿の、一見すれば小姓かと思ってしまうような出で立ちの将が桜を見上げる家康公の傍らにいました。
白い結い紐と帯が冴え、稲姫と同じように横髪を多めに下ろして残りを高く結い上げています。
髪色のせいか、この天気のいい日の下でも肌は白っぽく、なんだか影をもっているような、そんな不思議な雰囲気の男でしたが、
忠勝は茶会が終わっても終ぞそれが誰であるのか解らずじまいでした(席も離れていたので)。
稲姫が一足先に屋敷へ帰ると言い残した後、忠勝は来たときに鑑賞できなかった桜の木を見上げていました。
とても立派で、八重の花びらをもっています。
そこへ人の気配がして振り返りました。
「・・・おぬしでも花を愛でる心意気があるのだな。」
「半蔵!」
紛れもなく声は半蔵の物でしたが、立っていたのは藍の上下を着た小姓のような男です。
「いや・・・半蔵だろうな・・・。なぜそのような格好を?」
傷を隠し、一見すると全くの別人にも見えましたがよくよく見れば半蔵に間違いありません。
髪型を変え、傷を隠して日頃着ないような着物を着ればここまで変わるものなのか、と忠勝は思います。
「何を言っている・・・。」
逆に半蔵としては心外だ、と言わんばかりの顔をしています。
「拙者は半蔵ではござらん・・・、石見守正成だ。石見守殿と呼ばれていただろうが。」
「・・・・・・正成?」
「ぼけたか、忠勝。」
手を腰に当て、あきれたようにため息をつく正成。
「服部石見守正成が拙者の名。・・・・久しくて忘れられたか・・・。」
「いや・・・その・・・・。」
満開の桜の木の下で大男がおたおたしていて、小柄な、遠目から見たら小姓のような男があきれたように立っている様は、ちょっと変。
それも、穏やかな青空の下で。
時折流れる風に乗ってまう花びらの中で。
すると正成はおもむろに手を頭に持っていき、髪を留めている金色の簪と結い紐をはずしました。
そして懐から懐紙を取り出すと顔を擦ります。
「・・・顔を拭うには不向き・・・。」
硬い紙で擦り、ちょっと赤くなった顔を上げれば二筋の傷跡、くっきり。
「・・・・・半蔵。」
「うむ。」
半蔵はいつも通りに髪を結い直し、改めて忠勝を見上ます。
「・・・久しいな、秋以来。」
「此度も、無事であったか。」
「当然。」
あっけらかんと言い放つつ、その絶対の自信に満ちた眼差し。
「お主も、息災のようだな忠勝。稲殿もな。」
「お主に会えぬと寂しがっておるわ・・・。」
「ご挨拶に、参ろう。」
「そうしてやってくれ。」
やがて日も傾いてきた頃。
東の方を向いて半蔵は小さくため息を一つ。
「・・そろそろ失礼する。」
半蔵はいいました。
「夜の宴には出ぬのか?」
「野暮仕事が入っておって・・・行かねばな。」
やれ面倒だと言わんばかりの顔で半蔵は忠勝に背を向けます。
珍しく姿を消さずに歩いて城へと戻ろうとする半蔵を忠勝は追います。
「・・・すぐ戻ろうな?」
「なにを・・・」
何を言ってる、と続くはずが続きませんでした。
夕焼けを背負った忠勝は物寂しげな顔を隠そうとしていなかったのです。
いつものハキのよい忠勝はどこへいったのでしょう、その姿は稲姫を思わせます。
やれやれ、と半蔵は首を左右に小さく振ってみせました。
そして一歩側に近づくと背伸びをしました。
忠勝も反射的に体をかがめます。
「・・・・夜半、起きておれ、参ろう。」
「!!!」
しかし体を起こせばそこには誰もいませんでした。
居たという影すらありません。
しかし忠勝は何事もなかったかのように城へと戻ると、あとはどうやって宴をさっさと出ようかと考えを巡らせるばかり。
そんな後ろ姿を半蔵はある一角から見ていました。
そして、いつもは険のこもった眉間をゆるめ、そのまま姿を消しました。
宴もたけなわ。
忠勝が退出を申し出ようとしたとき、家康公が手招きをしたので側へいきました。
そして、そっと耳打ちをしたのです。
「お主いつまでこの席にいるのだ?・・・半蔵が待っておろう?」
「!!!!!!!」
ほら、さっさといかぬか〜、と家康に追い立てられるようにして忠勝が屋敷へ帰れば、稲姫といい雰囲気の半蔵がいて。
思わず父親心にひびが入った忠勝はその後半蔵と稲姫に慰められるというか、諭されるというか、そんなちょっと惨めな感じになってしまいました。
「父上!いつまでも背をこちらにむけていないで!!いつもの覇気にみちた父上はどうしてしまわれたのですっ?!」
「・・・・・・いじけるな忠勝。」
このあと忠勝が槍を持って暴れたとか半蔵に伸されたとか、稲姫に矢で貼り付けにされたとかまことしやかな噂が翌日から出回ったのは言うまでもなく。
暖かい春の日。
戦の準備を始めるちょっとまえの、一コマ。