「・・・抜かるなよ、消すのは楽じゃないんだ。」
「心得ています、お任せを。」


  足音が去り、再び静かな場となる。
見えぬ目で、寸分違わぬ位置を知る部屋の主は這うように部屋の縁側へと向かった。
そして、ほんのり感じる暖かい太陽の光を恋しがるように見上げ、息をついた。



風の人 


「・・・こんなになっても、骨が折れるとはなぁ〜。」
かぶった頭巾の下をポリポリ書きつつ、静かな、時折空を飛ぶ鳥の羽ばたきと囀りを楽しみながら部屋の主−大谷刑部−は何をするでもなく、じっとしていた。
「・・・天気はええもんだ。だが・・・嵐になるのー。」
張りのある声が間延びした口調で言うと、懐から鈴を取り出して鳴らす。
すると、先ほど出て行った男が入ってきた。
体躯もよく、袴裁きも上々。
ガラリと戸の開く音、荒くはないがしっかり聞こえる足音は自分の側で止まり、座る。
「お呼びでしょうか、殿。」
頭を下げる音まで、大谷刑部には聞こえている。
目腐れなどと侮って蔑んでいれば手に持っている杖で強かに殴られると有名な、白頭殿。
その名の由来である白い頭巾で目元以外を覆った彼は振り返ることなく言った。
「嵐になるなぁ。外にある物を片づけて、三成を急いで迎えに行ってくれ。どうせノンビリ向かってるだろうから家につく前にびしょぬれになるわ。」
「心得ました。」
「頼むぞー。」
それから立ち上がる衣の擦れる音がして、頭を下げたときの、空気を切る音が続く。
彼が去って、「・・急がせるんだったかな。」とぼやけばポツリポツリと雨が降ってきて、青空がみるみる墨を零したような暗雲に覆われていった。
「本降りにはもうちょっと時間があるな。」
白頭殿はぽつりとつぶやいた。


  屋敷の気配が変わる。
常にはない、華を思わせるものだ、そして長年見知った懐かしい感じがする。
足音は荒くないが、女のように楚々としたものでもなく歩幅もそう大きくはないところから、小柄で細身の体躯を持つと推測できる。
しかしこの独特の雰囲気は、彼しか持ちうることはできない。

スラリと戸が開かれる。
音もなく閉められ、先ほどの男よりも一歩側にその人は座った。

 「・・・・礼を言う、ずぶぬれにならなくてすんだ。」
「難儀になると思ったのでね、それに、暫くは降りそうだ。」
「嵐か?」
「いや、恐らくこのまま雨の天気に変わろうさ。」
「そうか。」
「・・・・・・久しぶりだな、三成。」
「そうだな、吉継。」

白頭殿は縁側から中へ入ると、客も後に続いた。

 「さぁて、三成、」
「なんだ。」
「おっぱじめることになるが、後悔はないよな?」
「・・・・俺の進む道はこれ以外にない。・・・決められた道だ。」
「それでいいのか?」
「お前こそ、向こうへいかなくてもいいのか?お前は亡き太閤殿下からもその腕を買われていただろう、向こうも喜ぼう。」
「皮肉か?」
「・・・・・。」
「この白頭様に何ができるってゆーんだ?」
「その頭の中身は変わらないだろうが。」
「見かけは変わろうともか?」
「そういう意味で言ったのではないっ!!」
「・・・・・・・・・・・・・言葉がすぎたな、許せ。」

 単調に交わす言葉に籠もるのは悲しさでも惨めさでもない、ただ、疲れ切った気配があるだけ。
この大切な、親友という言葉では収まりきらないほど大切な友人はどうなってしまうのだろうか。
豊臣の忠に生きようとする、この頑固で真っ直ぐな男を。
皆、見捨ててしまうのだろうか?
恩も義理もないと。
いや、それすらも邪魔される理由があるから皆離れてしまうのだ。
そして、それを知る三成はもう離れられなくなってしまった。
恩も義理も、全て豊臣から離れていった者達のも含めて彼が背負うこととなってしまったのだ。

 「随分、疲れているようだな・・・佐吉。」
「・・・ああ。」
ため息に乗せるようにはき出された肯定の言葉。
少し間があって、三成はそれとなく言った。
「体の方はどうだ。」
「・・・再発せず、と言っていいだろうさ。治るところは治ったし止まる所は止まった、酷くはなっていない。」
「そうか。」
「佐吉、」
「なんだ紀之介。」
「行けるところまで行こうな。」
「なんだ急に。」
「いやさ、ちょっと知っておいて欲しいなと思った。」
「・・・・当てにしている。」
「そうしてくれ。」

ガチガチに緊張したままだった気配が穏やかなものに変わる。
白頭はここでやっと、ほっとした。
佐吉と呼んでいた頃から期待され、利発な彼は期待に応えてきた。
今もまた、随一の忠義を貫かんとせんが・・・彼には気の毒だがこの先の道しるべは彼に慈悲を持っていない。
それはよく理解できていようし、また改めて言うほどの事でもないがそれでも道を変えるつもりはないだろう。

 「当てにしてくれ。俺はいつでもお前の後ろにいる。」
「ああ。」
「立つことがイマイチだからおぶって貰おうか、そしたら常に後ろだ。」
「俺より大きいお前をどう背負えという。」
「それでも随分痩せたからなぁ〜。お前の方ががっちりしているかもな。」
「・・・・・・・・。」
「・・・?」
「・・・・紀之介、」
「・・・・どうしたんだ、佐吉。」
「お前の命、俺にくれ。」
「・・・とっくに、お前のだ。」

白頭殿はふわりと笑む。
布で隠れているのにその表情は容易に想像ができ、また目が使えないはずがその焦点は寸分もずれていない。
見えないが、見えているように見えるのがこの白頭殿の特徴でもあった。
歩けないとされていながらもすっくと姿美しく立つこともある。

「紀之介、」
「どうした?」
「・・・・・。」

三成は指先以外布で巻かれた白頭の手を取った。

「・・・・湿りがなくなったな。」
「手は実はもういいんだ。何も巻かないで風に当てる方が肌にもいいそうなんだが・・・如何せん、見かけが悪すぎる。」
「・・・そうなのか。」
「指が落ちることはなかったのは幸いだったが・・・・・・。」

と、三成の手が動く。
それは間違いなく布をはずそうと動いていた。
しかし、白頭殿は止めようとは思わない、されるままにした。
そして右手が現れる。
変形した爪、青い病んだ痕、修復しようと何重にもなった皮膚。
しかし部分的には綺麗なままの所もあった。

「確かにな。見かけは悪いが、それ以外は至って普通だ。」
「そうかい?でもなー、見かけが悪いとそこばぁ〜っかりみんなが見てしまうからねぇ。」

それでも素肌に感じる、三成の手の感触。
久しぶりだと、思わず表情がほころぶ。
握り替えしてやれば、強く返してくる。

「ああ、顔は見ない方がいいぞ?」
「・・・。」
「・・・・佐吉?」

三成は何も言わず、反対の手の布をはずした。
こちらは右手よりもよっぽど綺麗だったが、一カ所だけ染みのようになった所があってなにか別の物に浸食されているのではないかと思ってしまう。
しかしそれ以外は至って普通、自分の手と何ら変わりもなかった。

「病自体は治ったんだよ、三成。」

白頭殿はぽつりといった。

「だからといって、目が光を取り戻すこともないし、内側をやられたから足ももう、二度と使えないし昔のように槍を振るうこともできない。」
「紀之介・・・。」
「俺にできることは、采配だけだ。お前の側にいてできることはない。」
「・・・・。」
「この命を、お前にくれてやること以外にな。」

そのとき、なんだか顔がすっきりした。
ふわりと手に落ちる布。

「あ・・・・、」
「・・・・。」
「お前、」

途端何かが抱きついてきた。
ひっくり返るほどではなかったが、思わず後ろによろけてしまう。
何とか立て直し、自分のあごの下あたりにある頭を撫でた。

「昔こうしたなぁ。」
「・・・・・・。」
「な、佐吉。」
「紀之介・・・。」
「うん?お前は人一倍突っ張るから爆発したときが恐いんだよなぁ。」

カラカラと笑いながらもその手はなだめるために動かされる。
子供に親がするごとく、頭を撫で、背を叩く。
しっかりと抱きしめてやり、その不安が取り除かれるまでそうしていた。

「まったく・・。ダメだって言ってるのに頭巾をとっちまうとは・・・。」

人相こそは辛うじて崩れていない物の、一度顔は崩れた。
自分の記憶にある顔は一番酷いときの物だったせいか、元々どんな顔をしていたのかなんて解らなくなっている。
それでも医者達は辛うじて人相は変わらずと言ったから信じてもいいだろう。
髪も抜けたがまぁ何とか維持できたし。
ただ、治ってからどこまで肌が修復できたのかは解らない。
不安だ。
醜いだけに。

「・・・紀之介だ・・・。」
「え・・・。」
「思っているより綺麗に治っている。そりゃ、赤いままの所もあるが・・・崩れても居ない。」

どれだけ鏡が見たいと思っただろう。
ただ己の頬に触れる手は温かく、反射する己の皮膚もかわらなくあった。
恐る恐る自分で触れてみても、それはわかった。
ぐしゃっとした感触はみじんもない。

「・・・・・本当に、治ったんだな。」
「まぁ治るとは言われていたからな・・・。まだ若いから体力もあるだろうって。」

醜いとされる半身に巻かれた布を始め、全身の布を取り、小袖を羽織り直す。
肌と小袖の間を抜ける風が心地よい。

「あとは、再発しないように気を付けないとな。」
「足はもう治らないのか?」
「あ〜、内からやられたのは治らないらしい。肌は徐々にもうちょっとまともになると思うが・・・。」

 発病する前の姿に病後の紅い、影のような痕を付けたなじみの姿に三成は安堵した。
一時の姿は、本当に大変凄惨なものだったからだ。

「紀之介、」
「ん?」
「・・・・当てにしている。」
「俺でよければな。」
「お前以上の男など、いない。」
「それはお褒めにあずかりまして。」

風が穏やかに吹き抜ける。
紀之介がほほえむといつも風がふわりと紛れ込んでいた、と三成はふと思う。
紀之介の笑みに呼応するかのように、それは幼少の時から変わらないこと。
今も外からはほんのり冷たく心地よい風が吹き込んできている。
気持ちよさそうに小袖の襟をゆるめ、痕の残る肌に風を当てることができると笑った。

「佐吉、」
「なんだ。」
「・・・お前、笑わなくなったな。」
「・・・・。」
「目腐れが何を言うって思ったか?」
「そんなことはおもわん!しかし・・・・。」

言葉を濁す三成に向かって手招きをする。
本当にすぐ側までやって来た三成の肩に触れ、体の向きを変える。
抱き込みやすいようにすると左腕を腰に回して、引き寄せた。
三成は半身が使い物にならぬはずの男の力に驚くも、されるがままにした。
自由な右手は、三成の頬を探す。

「・・・堅い頬だ。」
「女と比べるな。」
「そうではない。・・・・こわばったような感じがするな。・・・表情を作る上での柔軟性がない。」
「・・・・。」
「そう拗ねるな。」

むにっとつねってやれば「ひゃめぬか・・・。」とひょうきんな声が言う。

「お前見えてるだろ。」
「いいや、光は辛うじて感じてるが・・・それ以外はわからぬ。」
「嘘だ。」
「あのなぁ。」
「見えていると評判だ。・・ちょっとまえに太閤殿下の前で病と見下されて杖で殴ったそうじゃないか。」
「・・・・・・そんなこともあったな。」
「あれはどうだ?」
「あれはまだ見えていた。」
「そうなのか。」
「・・・・・・・・。」
「まぁいいじゃないか。」
「お前は笑ってごまかす。」
「笑ってるのか?俺は。」
「ああ。」


 こんな風に言葉を交わし、話題が脱線して元に戻ったり黙ったりして。
外は雨だというのに、風は心地よい。
見えないと言うなじみの眼差しは、変わらず暖かい。
懐かしいと思えるほど、自分は疲れ切っているようだと三成は思う。
周りは敵だらけ。
躍起になったところで無駄だとわかり、何も言わなくなって周囲の者達も不信感を抱く。
悪循環だ。


 「思う道を行け。俺のようなのが、ちらほらいるはずだ。」
「・・・・。」
「どうせ後戻りなんかできないししたくないだろう?」
「当たり前だ、俺の存在意義がなくなる。恩を仇で返すことにもなろう。」
「・・まぁそれを言っちゃ俺やあいつらだって同じ事だがな。」


 不安が無いわけではない。
けど、そうだ、いつも風が側にいる。
三成は思う。
風は、


「・・風は、お前だったんだな。」


 白頭殿は笑みを消した。
三成の瞳をじっと見つめ、表情はない。
どこか冷えた目だ、それも内から病んだせいか、蒼くなった瞳で。
大きく目を伏せ、三成の顎をとらえるとその耳にささやいた。


「そう、俺は風だ。動けずとも、お前の側にいる。」


 慌てて三成が白頭殿から後ずされば、そこにはただただ恐いくらいの笑みを浮かべた大谷吉継がじぃっと三成を見つめていた。