影と鹿の話




 影は言った。

「光があるからこそ影は生まれる。影は光が消えるとその存在はなくなってしまう。」

光は言った。

「光が消えることはない。ならば影も消えることないではないか。」と。

けれども影は少し目を細めていった。

「闇の中でも光はあるが、影は闇に帰る。」

光にはよくわからなかった。

影と闇。

似て非なる。

少なくとも影はそう思っているみたいで、だから光は言った。

「ならば拙者が在る限り、影は在るわけだな。」と。

影は酷く驚いた顔をしたが、自分を光だと言った男は確かに光だった。

武勇誉れ高い、武将。

守護神の別名を持ち、槍を持って戦場を駆ける徳川の光。

影は、口布の下であざけるように笑った。

けれども光には気づかれることなど無い。

「愉快なことを言う。」

「笑いどころではないぞ。」

「・・・・。」

影は笑ったわけではないが、明らかに口布の下では笑ったようだった。

けれども、今彼らの周りに広がるのは戦の跡ばかり。

折れた軍旗、持ち手の居ない捨て置かれた武器。

倒れた男達の残骸。

けれども影は、その手に槍を、腰には刀を下げていた。

その服装も飛ぶには邪魔そうな、鎧姿。

唯違うのは、仕込まれているだろう無数の暗器か。

藍塗りの柄、基部の見事な象嵌。

刃先は直槍、ただし、大きさは倍。

なんと獰猛な。なんと残忍な。

兜を頂き、けれども口布で覆うそのかんばせよ。


 戦場を影が駆ける。

けれどもあらゆるところで影は踊る。

だのにいざ戦場に出てみれば、影によく似たもののふが馬にまたがり駆けてくる。

一騎打ちにも秀でた武士は、落馬しても物ともしない、その恐怖。

光を装った影は、闇へと彼らを誘い、惑わす。


 「・・・石見の守殿、」

けれども忠勝は何とはなしにそう呼んだ。

すると一陣の風が駆け抜け、思わず腕手顔を覆う。

晴れるとそこには口布も顔の傷もない若武者が立っていた。

精悍で切れ長な眼差しはそらされることなく忠勝を見上げる。

眼差しに冷たい物はなく、とても熱く、猛々しい。

これが、徳川十六将の一人、服部石見の守正成その人だった。

勿論、忠勝は半蔵という名が代々の伊賀者頭領に継がれる名であることを知っている。

だから、なのか。

半蔵という二つ名は伊賀者が使えばいい。

己は同じ徳川の武将なのだから、彼の武将たる名を呼ぶものだとしていた。

服部殿、石見の守殿。

どちらかで呼んでいる気がする。

こうなってしまえばあの冷たい、影だの煙の末だのと言われている眼差しが幻影のよう。

死の宣告にも等しい艶のある低い声も幻聴のよう。

「本多殿は・・・まこと光であるのだな。」

そう、声すらも、はつらつとして。

確かに同じ声ではあるはずが。

表情すら、笑ったことが無いのかと思われるような冷めたものではない。

何にでも興味を持つ少年が同居しているような・・・。

声のせいであろうか?

 「本多殿、」

「うん?」

「殿軍という役目は、果たされました。」

「しかり。」

「拙者らも、戻りましょう。」

石見の守は辺りをぐるりと見回す。

死体だらけのこの野っぱら、そのおぼろげなところに二つの影を見つけ、甲高く指笛を鳴らす。

すると一頭が走り出し、もう一頭も吊られるように走り出した。


 「傷一つ無く、待避しておったな。」

石見の守は嬉しそうに愛馬の頬を撫で、馬はせがむように懐いていた。

何故嬉しそうだと解るのかと言えば、そのまとう雰囲気が明るいからだ、忠勝もだてに武士ではない。

そのくらいは気配で察することが出来る。

それに落馬したと聞いていたが、流石忍。

腐っても、忍だ。


 ああ、この男はどちらでありたかったのだろう。

己と同じ光か、それとも二つ名の通り人の姿をした影であるのか。

忠勝は愛馬の轡をとり、異常がないかを確かめる。

すると細い声がした。

何を言っているのかはよく聞き取れない、馬を挟んで向こう側にその声の主がいるからだ。

みやれば、忍が一人。

足軽の格好をしてはいたが、顔は知っていた。

「・・青山か。」

青山と呼ばれた忍は、その人好きそうな柔らかい面を忠勝に向け、頭を下げ、姿を消した。

「さぁて・・・・。」

石見の守はゆっくりと振り返る。

その姿は黒い炎に覆われていき、着ている物は全て灰に消えていった。

現れたのは顔に傷跡を持つ男。

忍装束に身を包み、その眼差しはいっそ人が殺せるほど鋭い。

これが、今し方まで話していた男とは思えない。

ただ、愛馬を撫でる仕草だけが同じだった。

影は、にんまり笑う。

「馬を頼む、後を付いてこよう。」

「・・・行くのか。」

「影は、光にはおおよそできぬことをするが生業。」

姿がぶれる。

呼び止めるために忠勝は思わず忍の名を呼んだ、半蔵、と。

顔を隠した忍は一瞬でその懐に現れ、そっと囁いた。

「どちらも所詮、拙者の謀り事よ・・・・。」

ザアッと風が駆け抜けていった。

もうそこには忠勝と馬が二頭いるだけ。

半蔵の着ていた鎧の灰すらなく、彼が居たことはまるで夢うつつのようだった。

ただ、忠勝の耳に響く、楽しそうな影の忍び笑い以外をのぞいては。
















−了−