風花を
忍び草




  
  −強者の夢−




  半蔵はいっていたとおり、月が一旦空から消えた夜に姿を消した。

 それは、本当にいきなりだった。

 まだ足もいまいち不自由で杖を突いて歩いていて。

 その日の夜も、隣り合って寝床を準備していたし前の日の夜は同衾していた。

 今日も今日とて琴をつま弾く半蔵にあわせて不慣れな唄を披露し、手練れたる半蔵の歌声も傍らにあった。

 夜とて、同じだろうとも。

 

  「これ以上何を望むのだ、真田幸村・・・。」

 半蔵が好んだ縁側に立ち、月のない星だけの空を見上げる。

 これ以上、望むものはない。

 幸村は布団をかたづけると雨どいを全て閉めた。

 半蔵が来る以前の誰も使われていない部屋へと戻せば、振り返ることなく襖を閉めた。

 己の部屋へ帰り、隠し扉を閉める。

 もう二度と、この部屋を使うことはない。

 幸村は隠し扉のからくりとぶち壊すと、半蔵が来る前と同じように己の部屋に布団を敷いた。



  幸村はそれから志を同じくした友人を得た。

 そして世の中が「大一大万大吉」となるように、義を貫くため、そしてもののふの意地を賭けてその槍を振るい続けた。

 半蔵のことは様々なことを聞いた。

 あの、嘗ての様子からは想像できないほどもとの力を取り戻していて、名をはせた将の首を狩っている、と。

 幸村も何度か近くまでは来たことがあるものの、騎馬と忍びでは行く道が違うのだろう、ほんとうに会うことはなかった。

 

  会うことがないまま、関ヶ原で最後の大勝負となった。

 幸村はもちろん石田三成を筆頭とする豊臣方の西軍として参戦。

 徳川方東軍を打ち破り、天下を一つとした。

 

  敗戦の将の中には伊賀を率いる忍びの姿もあった。

 しかし、服部半蔵ではなかった。

 服部党は一部を残し、徳川へ忠義を持つ者が多いため切腹や斬首を言い渡されている。

 それは、今幸村が前にしている穏和そうな青年も同じだった。

 幸村よりは年上で、でも半蔵よりは年若い。

 本当に人が殺せるのかと疑りたくなる柔らかな眼差しで、己を尋ねてきた幸村を迎えた。



  「ほんとうに、お久しぶりですね、真田殿。あの時以来ですか。」

 「・・青山殿。」

 「尋ねてこられた理由は、解っていますよ。」

 青年はお茶を点てる。

 処罰を言い渡されている忍び達は服部屋敷に軟禁されているのだ。

 幸村は、無骨とは思えぬ丁寧な動作で茶をいただいた。

 一息つく。

 「敗戦しましたゆえ、私が服部党の長として、徳川十六将と近しい者として腹を割くことになりました。・・・頭領も、ご存じでしょう。」

 「半蔵はどうしているのだ?噂すらなにも流れていない。関ヶ原にもいなかったではないか。」
 
 虎之助が悲しげに微笑む。

 「頭領は、半蔵様はずっと前に現役を引退しています。表向きには、もう死んでいることとなっているわけです。」

 「ちらと聞いたことがある。潜入した先で、風魔に殺されたとか・・・。」

 「はい。・・・流したのは、我らです。風魔も知っています。」

 「・・・・。」

 青山は目線を下げる。

 表情からは、何も読めない。

 「・・・頭領は、生きておられます。」

 声の高さを、少し低くした響かない声だった、注意深く聞いていないと聞き落としそうなほど。

 「本格的に西軍対東軍という図式になってきたあたりから頭領は体をこわされ、早々に姿を消すことを余儀なくされたのです。」

 「して、今はっ?」

 「今は、浜松にいます。嘗て我らがいた町にある、縁の者のところに。」

 「体をこわしたとは・・・・そんなに悪いのか?」

 「・・・・・。」

 虎之助は困った顔で苦笑して「さて・・・・どうしましょう。」といった。

 「ほんとは言わないで隠しておいて欲しかったそうです。けれども徳川の世は消えてしまい、私もまもなく黄泉へと一足早く旅立たなければ成りません。」

 「・・・・・。」

 この御仁はあっさりと己の死を受け入れている。

 幸村は驚くと同時に、尊敬にあたうる、と思う。

 「尋ねてみてください。私が紹介状を書きましょう。その浜松の家は、忍びの屋敷です。今回の件を受けて隠れるために潜んでいる者達が沢山居ますから。」




  それから浜松へと旅だった道中、青山をはじめとする伊賀者達の処分がなされたと風の噂でまわってきた。

 幸村は真田の家を継いだ。

 兄信之は死罪こそ免れたものの子どもはある程度育った後寺へと送られるし、信之自身も隠居と相成った。

 妻である小松姫は、父や育った徳川の皆皆を失い哀しみにこそ暮れたが今はもう真田の嫁なのだからと、子どもと夫と、隠居先でのんびり暮らしている。

  「幸村さま〜。」

 真田幸村が浜松に向かったと噂を聞いたくのいちが声を掛けた。

 町を、馬の轡をもって歩く主に忍び装束ではなく、小袖姿のくのいちが共に歩き出す。

 「くのいち、なんだか久しいな。」

 「あたし合戦でなかったんだもん。その後はずっと稲ちんのとこにいたんだ。」

 「今は?」

 「・・・・今はね、浜松のある商家にいるよ。」

 「お前もなのか?」

 「てことは幸村様、半蔵に会いに行くんだね。」

 「そうだが・・・。」

 くのいちが歩みを止め、幸村も止まった。

 らしくもない、笑顔だ。
 
 「あの商家はね、もともと半蔵が伊賀忍びの繋ぎ拠点として浜松に作ったの。半蔵屋敷の次に大きな本拠地ってわけ。

 だから自然と、行き場を無くした忍び達が集まるんだよ。」

 くのいちは「あたしもかにゃん♪」と軽い口調で言う。

 「みんな、長って呼んで慕ってるにゃん。」

 先行って、知らせてくるねん♪

 くのいちはそう言って姿を消した。

 ともあれ、半蔵は息災にしているようだ。

 しかしあれほど徳川の世を望み、家康に仕え、慕っていたはずが、こうもあっさりというか、後を追うことなく生きていられるのはちょっと意外に思う。

 何か思うところがあったのかも知れないし、はじめから、このつもりだったのかもしれない。

 半蔵とは表の無表情に、なお冴えた裏の顔を持っている男だ。




  商家は、何でも屋みたいなものだった。

 生活用具や調味料から反物、裏手には鍛冶屋もあるそうで敷地も広い。

 入り口で「御免」と声を上げれば白い頭の爺が出てきた。

 「これは真田様、お待ちしておりましたよ。」

 町人結いをした品の良さそうな、少し腰の曲がった爺が言う。

 「馬はこちらで預かりましょう。ささ、どうぞ。」

 


  表の店から一歩奥へと入れば静かな屋敷があった。

 庭を回廊するように廊下が造られ、天井も高い。

 明るいし、嫌みなく焚かれた香が趣を生み出す。

 「ここは、もともと武家屋敷ですね?」

 「ご明察で御座います。室町という名のご時世に作られたんですがいつしか幽霊屋敷となっておりましてねぇ。

 この周囲が城下としてにぎわっても変わらなかったのをまだずっと若かった、それこそ真田様とそう年の変わらない頭領がつくられたのです。」

 「どおりて広いわけだ。」

 爺は渡り廊下の前で足を止めた。

 廊下の下には小さな川が流れていて、亀が居るのを幸村は見つけた。

 「この先が、頭領のいらっしゃる離れです。・・・・くの、」

 「はいな。」

 呼べば、幸村の後ろに姿を現す。

 くのいちはにこにこした顔を幸村に向けた。

 「頼みますよ。」

 「は〜い。おまかせあれん♪あん、そうそう!じじ、店頭にお役人様がきてるわよん♪」

 「またかい・・・・。しつこいにもほどがあろうなぁ。・・・・幻術でもかけてみようか。」

 「何か問題でも?」

 「ん〜?この店ってすっごく大きいでしょ?だからね、こんど浜松を納めることになってるなんとかって人が狙ってるの〜。」

 「いえつぶそうとかそゆのじゃあないんですがねぇ。うちは早い話が忍び小屋みたいになってますから、どこぞの直属になると色々まずいんですよ。

 もっとも、興味ないですし商いの方が楽しいですからねぇ。」

 爺はそういうと「では、失礼。」と玄関へ戻っていった。




  くのいちは幸村を連れて離れへの小さな門をくぐった。

 その先にはまた玄関がある。

 くのいちはとたとたと上がっていくと奥間へ声を掛けた。

 「はんぞー、お客人〜!」

 しかし返答はない。

 本当にいるのだろうか?

 ドキドキしながらも幸村はくのいちの行った方へ向かう。



  半蔵は一番奥の部屋にいた。

 先ほどの本宅とはまた違う庭が広がっている。

 ちょっと変わっているのはどこにでもある部屋の一角に絨毯を敷き、まだ珍しい机と椅子を置いていてそこに誰かが座っていた。

 静かに降ろされた長い髪は、女に見えなくもないが、傍らにはくのいちが立っている。

 「・・・・・これを、爺に渡してくれ。」

 「は〜い。」

 くのいちは「んじゃごゆっくり〜ん♪」といって部屋を出て行った。

 
 少しだけ、時が流れる。


  椅子に座った人は、ゆっくりと振り向いた。

 「なんだ、折角来たのに挨拶もへったくれもないのか?」

 その人は間違いなく服部半蔵だった。

 顔に趨る二本の刀痕、灰色の強い目。

 椅子から降り、机の横に引っかけていた杖を取ると突きながら入り口で突っ立ったままの幸村の方へ歩いてきた。

 「真田を継いだと聞いた。兄君も稲姫も息災であるとも。」

 「・・・死んだと聞いた・・・!」

 「当然だ、拙者が流した。」

 「何故?」

 「目は見えるが足はもうこれが精一杯だ。・・・あの合戦の話が出る前に拙者は青山に全権を任せて表から消えることにした。」

 「死んだかと・・・!」

 「拙者の役目は徳川の世をつくる助けをすること、家康様の影となること。

 表から引いても拙者は家康様の作る太平の世を維持するために服部党とは別の拠点を作る必要があった。・・・表は青山、裏は拙者。

 ・・・・・しかし、それもいまは用無しだ。」

 「・・・・。」

 「・・・・来い。」

 半蔵は隣の部屋へ入っていったので追いかけた幸村は、足を踏み入れた途端目を丸くして初めて見る光景に驚いた。

 別世界だ。

 「・・・元の持ち主は西洋被れだったらしい。足の悪い拙者には立ち座りの面倒な座敷より助かっているがな。」

 隣は絨毯の敷かれた広い板の間で、ふかふかの大きく長い椅子やテーブルが置かれていた。

 棚も、鏡も全てが西洋の物、噂に聞いた暖炉もある。

  半蔵は椅子に座って杖を傍らに立てかけ、突っ立ったままの幸村をにらみつけると「さっさと座れ」とうなった。

 「・・・・他に聞きたいことは?」

 半蔵はいつの間にか用意されていた暖かいカップに手慣れた様子で砂糖壺から砂糖を二杯入れ、匙で混ぜた。

 「ああ・・・体が悪かったときいたが・・・。」

 まだ呆気にとられた感のぬぐえない幸村が人1.5人分空けて半蔵の隣に座る。

 くのいちがいたら「しっかりしろよこの野郎v」と笑いながら背中を蹴り飛ばしていただろうな、とカップに口を付けながら半蔵は思った。

 「足がまたきかなくなった。拙者はもう飛べない。歩くためにも杖が必要、それだけだ。」

 「・・・・・。」

 幸村は、まだ混乱しているのか顔を俯かせた。

 半蔵はお茶を飲みながら暫くそんな幸村を見ていたが、幸村の前に置いてあるカップに砂糖を三杯いれてくるりとかき混ぜ、「飲め」といった。

 「飲め、甘くしてある。暖かいし、少し落ち着け。」

 「・・・・。」

 ゆっくりカップに口を付ける。

 ほわん、とした甘さが広がるが、後味はすっきりしていた。

 「これが西洋のお茶だ。紅いから、紅茶と我らは呼んでいる。」

 「紅茶・・・。」

 やっと頭が落ち着いてきた。

 ゆっくり半蔵をみやれば、あのときと変わらない半蔵がいる。

 それも、隣に。

 ただ違うのは、まっすぐ自分を見てくれていること。

 幸村の夢に出てくる半蔵はたいてい目が見えていなかった。

 そして、冷たい。

  

  幸村はカップをテーブルに戻した。

 そして、おずおずと腕を伸ばす。

 半蔵が下から手を差し出せば、強く握り返した。

 「・・・暖かい。」

 「生きているからな。」

 「半蔵、」

 「うん・・?」

 「また、来ても良いか?」

 「好きにしろ。」

 幸村が、嬉しそうに笑う。

 「・・・・・影であっても、日の下にいるではないか。」

 半蔵は何も言わない。

 繋がれた手を見ていて。

 そこから伝わる暖かさが、懐かしい。

 「幸村、」

 名を呼び、両手を少し上げれば浮かび上がるからだ。

 あのときと同じ、幸村は半蔵を抱えてそのまま縁側へ出た。

 「・・・・徳川の世ではないが、太平の世だ。」

 「うむ。」

 「共に歩めるのか?」

 「否。」

 「・・・。」

 「抱える物は互いに違いまた重要だ。もう来るなとは言わぬ。が、主も真田を継ぐ身。意味、解ろうな?」

 「・・・・・ああ。」

 幸村は抱える腕に力を込める。

 

   逢所月天心
  
   唯心ありき

   言葉無くとも

   成る可くして成る

   今は二人だけ



  半蔵が、詠う。

 

   逢所月天心
  
   唯心ありき

   言葉無くとも

   在るべくして在る

   今は二人だけ



  幸村が返す。

  全ては成る可くして成る。

  風花を忍び草に。

  成る可くして成り、在るべくして在る。

  








   −終幕−


 

 
*この作品の題名や作中に出てくる「忍び草」の字ですがわざと「偲」この字を使いませんでした。
   意味は同じです。「思い出すためのよすがとなるものや事柄」をさします。