*ハッピーエンドではないというか、幸村いないのは苦手な方、−強者の夢−へとうぞ。






  風花を
忍び草




  
  −飛天の夢−


 
   半蔵は兼ねてから決めていたとおり、月が消えるのを待って浜松へと戻った。

 足はすっかり回復していて、目も、元の通りだ。

 ただ、残された枷はしっかりはまっている。

 枷と取るべきだろうか?

 半蔵は自虐的に笑む。

  留守中も変わりなく、皆よくやっていた。

 家康にも心配させたことを詫び、鎖鎌が切っ掛けとなったことを告げた。

 「よくもどった、半蔵。・・・何かの形で、真田には礼をせねばな。」

 穏やかな主は半蔵を安心させた。




   あわただしい世の中となり、半蔵は再び影の間を行き交うようになった。

 家康の望む太平の世をつくるため、主の邪魔となるものはことごとく斬り捨てた、それが古き知り合いであろうとも。

 半端な情は、周りを巻き込む。

 漆黒の装束に身を包み、影の化身となった半蔵はそうして色々な者達に手を掛けていった。

 やがて武田信玄という大物の首を狩ることとなる。

 それでも、幸村の姿を見なかった。

 半蔵自身が忍びであり、騎馬や一般の兵士達とは違う道を行くせいかもしれない。

 ともあれ、半蔵が上田を離れてから初めて幸村と再会した時、幸村はすでに豊臣方の人間となっていて半蔵は変わらず徳川の影として死の鎌を奮っていた。

  


  やれさて、と半蔵はため息をつく。

 関ヶ原の合戦でおそらくは足止めを食うだろうと思い、秀忠様は焦ってらっしゃるだろうと本隊から別行動をとっていたが、功を奏した。

 御次男と合流して真っ先に命がくだされる。

 「・・・半蔵、」

 「承知。」

 真田昌幸の首を取れ。

 来るべき時が来たと半蔵は思う。

 上田を落とせば後の悔恨にもならず徳川の安定した世が約束されるわけで。

 木立の中を枝伝いに半蔵は駈けた。

 共に駈けるは、青山虎之助と直属の配下達。

 半蔵の跳躍についてくる忍達は伊賀者の中でもかなり上位でなければ無理だ。

 「・・・・・さて、」

 半蔵は周囲に配下を集める。

 手で指示を出し、散開させる。

 虎之助だけは日の位置を見て時をはかり、半蔵の側へ来ると「お時間です」と囁いた。

 「・・・周りを頼む。」

 「承知。」

 半蔵は、一旦木立の上の方へと隠れる。

 虎之助は半蔵が消えた方を見上げ、かすかに眉をひそめて静かに目を閉じた。


  あれから半蔵は薬が手放せなくなっていた。

 朝と昼の日が傾きだした頃の2回ほど、薬をのまなければ目が利かなくなるのだ。

 相変わらず半蔵が追いかけていた者達は何者か解らないがしかし、半蔵が上田にいる間に壊滅させられたという噂が流れていた。

 おそらくは風魔が弄ったのだろうと半蔵はそう予想をたてていた。

 薬を飲んで、一息つく。

 それから下へ降りれば虎之助もまた散った。

 「・・行くか。」

 半蔵は上田城門へと向かう。




   手筈は簡単。

 半蔵の得意とする幻術と分身の術で上田本城の近くを混乱させ、本体である半蔵は城へと忍び込み幸村・昌幸の首をとること。

 補助には虎之助を始めとした直属の部下が7名、半蔵の分身体と共に今は行動しているが期を見て城へと潜入、両名の首を狙うことになっている。

 大分周囲がざわめきだつ。

 半蔵は、城へと入った。




  勝手知ったる城を駈ける。

 時折出てくる草の者や仕掛けを全て破壊し、奥の天守を目指す。

 別の道からは部下達が向かっているはずだった。

 そっちは、任せばいい。

 今のところ、一番城から遠い幻術しか破られていない。

 一番近くにいる虎之助はまだ己の分身と共に天守へと走り続けているようで彼らが一番近い。

 ならば天守へ向かうは、不要。

 半蔵は、一旦場外へ出るとある別棟へ向かった。




   戦の喧噪など聞こえないほど静まりかえった庭に半蔵は降り立った。

 もう、ずいぶんと来ていない。

 とても懐かしく思う自分に驚くが、その感情を消そうとは思わなかった。

 ただ素直に、目を細めた。

 自分の記憶にあるこの庭は、小さくても美しかった。

 冬だったせいもあり、枝と雪の白さが作り出す灰色の世界だったがなんだかそのときの自分には似合っていただろうと思う。
  
 今はすっかり秋の様相で、それは見事な紅葉だった。

 燃えるような紅、橙、目をつぶすような黄色−。

 半蔵は、鎖鎌を腰に戻し、縁側へと歩く。

 雨樋は、開け放たれていて自分が嘗てここに座っていたのかと思うと嘘のようだった、いつも毛皮の敷物を敷いてこの柱に寄りかかっていたなどと。

 そっと柱に手を触れれば、後ろに気配がした。

 「・・・・おぬしに忍びの心得があるとはしらなんだ、真田幸村。」

 「忍び紛いだ、所詮私が使えるのは移動方法にすぎん。」

 幸村は間違いなく屋根からやってきた。

 その姿は紅揃えの武者姿ではなく、遠目で見れば草の者と誰もが思う格好だった。

 ただ、額当てだけ、そのまま。

 幸村の六文銭。

 「・・・・・半蔵、」

 絞り出すような、悲しい幸村の声が呼ぶ。

 半蔵は頭巾と顔を覆う口布を外した。

 そして、鎌を構える。

 「・・・・此度は、おぬしの首を狩りに参った。」

 「真田幸村の首、易々と渡すわけにはいかん。」

 「・・・・・・・。」

 半蔵の姿がぶれる。

 同時に幸村が一歩後ろへ飛び退く。

 すると、今し方まで幸村が立っていたところに半蔵が現れ、下から上へと鎌が走る。

 しかし、切り上げに感触がないと、再び半蔵は姿をかき消した。

 同時に幸村も同じ速度の世界に入る。

 時折武器同士が当たる乾いた音がするも、一定の時間が経てばそれも止んだ。

 

   庭の、大きな木の下に二人は姿を現した。

 幸村は半蔵を抱きしめていて、半蔵は後ろに回した鎖鎌を幸村の背中に突き立てていた。

 けれども半蔵の両手はしっかりと幸村の体に回っている。

 握りしめる幸村の服には強く皺がよっていた。

 「・・・・ガハッ!」

 幸村が、嫌な咳をした。

 それもそうだ、肺に穴を開けているのだから、半蔵は何処か冷えた頭で思う。

 同時に幸村の膝が折れる。

 半蔵も引っ張られるように膝を突いた。

 そして、二人は額をあわせる。

 震える手で幸村は半蔵の頬を撫で、半蔵は微笑む幸村から目を離さない。

 幸村の霞む瞳は半蔵が微かに眉を顰めていることに気づいていた。

 それだけでも、嬉しい。

 幸村はそう思った。

 「・・・・どちらかが死んで、どちらかが生き延びても、秘めたる物は、同じ物。」

 半蔵が呟く。

 例え半蔵が死んで幸村が生きていても、幸村はその生を終えるまで半蔵という存在を消すことはできない。

 同じように、半蔵は幸村の存在を、これから背負っていかなければならない。

 其れを知っているのは、お互いだけなのだから。

 お互いだけ。

 それが、秘めた感情全てを物語っている。

 愛だ恋だ、惚れたはれたなどでは言い切れない。

 男同士である以前に、もうそんなことはとっくに超越してしまっていた。

 『お互いだけ』

 この言葉だけが、囁く睦言の全て・・・・・・。




  喧噪が近くなる。

 半蔵は幸村だったものをその場に下ろした。

 一見すれば安らかにも見える顔。

 幸村は眠っているような姿だった。

 「首は・・どうするべきか。」

 落とすなら、拙者の手がいいだろうか、と思う。

 「・・・・・終わったようですね。」

 「虎之助か。」

 よほど早く片を付けたのだろう、虎之助は己の分身と共に姿を現した。

 他の場所に飛ばした分身はとっくに消えているだろうが、同じく幻術を得意とする有能な腹心はまだ維持しているようだった。

 「こちらも終わりました。秀忠様が、家康様に早馬をとばしたところです。急ぎ、関ヶ原へ向かうとのよし。」

 「あいわかった。」

 半蔵は分身を解除する。

 「虎之助、」

 「はい。」

 「首をはねておけ。」

 「・・・・・・よろしいのですか?」

 「日の本一のもののふと家康公が賞賛した男だ、武士として扱ってやるが道理。負けた将は首級を挙げられる運命。」

 「承知。」

 「・・・体は、菩提のある寺へ埋葬しろ。折を見て、首も共に返す。」

 「重ねて承知。」

 半蔵は幸村の背に刺さったままの鎖鎌を抜いた。

 そして、庭やかつていた部屋を一瞥することなく、その姿をかき消した。




   半蔵はそれ以来、戦場にも、影の世界にも姿を現していない。

 譜代として登城はしていたが二度と鎌を持つことなく、もう一つの武器でもある槍を持つこともなく。

 後釜を育てることに専念し、要は現役を引退したのだ。

 其れを知っているのは家康と、徳川4将のみ。

 服部屋敷からも姿を消した半蔵は、実は江戸城の一室に住んでいた。

 そこは中庭の角にあって、何も知らない人が見れば庭師の小屋だろうと思うほどだった。

 見かけとは裏腹に茶室も構えたそこには時折主である家康がのんびりとやってきたり、顔の知れた将達が息抜きにやってくる。

 ただ半蔵自身はそこからでるとき、全く別の姿で外へと出ていたとか。



 


  雪の降る昼下がり。

 一人の男が大事そうに大きな風呂敷包みを持ってある寺を訪れた。

 僧侶は全てを心得ていて、丁寧にお茶を出して一息入れると男を境内の外れにある小さくて、でも立派な塚へと案内した。

 塚には誰もおらず、まだ降り始めの雪が駸々と空から降ってくるだけ。

 傘をさしたその人は、風呂敷を降ろすとその場にしゃがんだ。

 顔に趨った2本の凄まじい刀痕と、腰ほどもある長い髪。

 包みをほどけば、中からはさほど大きくもない木箱。
 
 供物を置く石の台に置いて、ポツリと話しかけた。



 
  「そう遅くならぬうちにやってきたぞ。首がなければ、黄泉でなじみに会うても解らぬだろうて。」

 もちろん答えるものなどいるはずもない。

 雪だけが、応答するかのように強くなるだけ。

 「・・・みな息災だ。今度の盆には、兄君も参られよう。」

 半蔵は、そのまま黙りこくった。




   愛だの恋だの、惚れたはれたはもう越えてしまった。

 男であろうが、忍びだろうが、年かさだろうが下だろうが。

 成る可くして成っただけ。
 
 それが当然のようで、それ以上なにも思うことなど無かった。

 この秘め事を知るのは、もういない。

 知っていたのは、この塚に眠る人。




  半蔵は、木箱を置いたまま去った。

 僧侶に木箱の埋葬を頼むと、二度とこの塚に来ることはなかった。



  風花を忍び草に。

 半蔵は江戸を守る鬼神として、その中庭の片隅にひっそりと住んでいる。







  −終幕−




 *この作品の題名や作中に出てくる「忍び草」の字ですがわざと「偲」この字を使いませんでした。
   意味は同じです。「思い出すためのよすがとなるものや事柄」をさします。