「半蔵、」

 「・・・・平八郎か。」

 「貴様の中ではいつまでたっても童か、拙者は。」

 「・・・何用。」

 「夜半来ぬか?」
 
 「・・・・。」

 「もう日も傾いたが登城してそのままではないか。どうだ、来ないか?」

 「・・・・承知。」

 「ここでまっておれ、拙者の用もすぐ終わる。」

 「・・・。」

 




  
 気むずかしいのか、気恥ずかしいのか (和楽題より、漣−小さな心の揺れや争いごとのたとえ−)






  回廊をずんずん歩く大男の背中を見送り、半蔵は手近の柱に寄りかかった。

 寄りかかってほんの数秒たって、なんだか気恥ずかしいような、こんなところに突っ立っているのもなんだか、と姿を消した。

 場所など明快なものでそのまま天井裏へ行ってしまっただけなのだが。

 何人かが再び回廊を歩いていく。
 

  半蔵が天井に引いて正解だったな、と思う頃に本田平八郎忠勝は戻ってきた。

 薄墨色の小袖と濃紺の袴に、風が冷たいせいか黒い羽織を着た姿だった。

 彼はまっすぐ歩いてきて、柱の前で止まった。

 そのまま上を見上げ、「降りてこぬか・・。」と少しあきれた感じで声をかける。

 影が降りてきて、半蔵が姿を現す。

 顔をさらし、髪を高いところで結い上げた傍目には若武者といった出で立ちだった。

 ただ服は筒袖に裾の狭い袴であり、腕とすねには変わらず防具をつけていた。

 いつ敵の忍に気づくかもわからぬ忍がゆえの、それが戦国においては正しい服装ではあるが忠勝は今一好きではない。

 自分も腰に刀を差してはいるがそう臨戦態勢というわけではないからだ、刀は正装の一部であり飾りの意味もある。

 色自体は忠勝と似ていたが、こちらはほんのり緑を含ませたような色合いだった。

 連れだって歩き始める。




  本城の門を出て、緩やかな下りを二人は歩く。

 すっかり夜も更け、明かりを手に歩く。

 風が大分冷たくなってきた。

 半蔵は何となく空を見上げ、満点の星空を感嘆するでもなく純粋に「潜入せねばなぁ」とどこかしらの城を思い浮かべていた。

 寒くなれば戦の足音は遠のく。

 その代わり情報合戦となり、合間には忍が暗躍する。

 半蔵たちの季節というわけだ。

 (この背とも、しばしの別れとなろうか・・・)

 何となく少し前を歩く広く、大きな背をみやる。

 幼少の頃より知る背中は懐かしい、ゆったりとした場を思いだせてくれる。

 ほうっとしたような、穏やかな。

 しかしそれではいけない。

 この穏やかな光の世界を維持させるために、影の者となったのだから。

 「そろそろか?」

 忠勝はちらりと半蔵の方をみた。

 少し足を速めて半蔵は隣につく。

 「・・・・まだだ。」

 「そうか。」

 「当てにはならぬ。」

 「そうであろう。」

 「・・・・・・忠勝?」

 「愚問。」

 それから二人は本多邸へ着くまで口をきかなかった。

 ただ時折半蔵は忠勝の方を盗み見てみた。

 しかし表情からは何もわからない。

 気配も静かで、かえって不安になる。

 少し顔をうつむかせては、恋しがるように月を見上げた。


 −あと二晩で、月は消える。

 この背は、再び己の前からなくなる。

 己の中からもいなくなる。

 思い出す間もなく、死ぬのであれば死ぬるであろう。

 だが、今はこうして前をゆく。

 幼少の頃から体の大きかった忠勝はいつも己の前を歩いていた。

 本人にその気はないのだろうが、忍の家の子故、他の子供らと比べて小さかった半蔵の前に気がついたらいるのだ。

  らしくない、と半蔵は思う。

 いい大人が、何を思うのだ、と。

 甘んじてはいけない。


 『影が光を恋しがる・・か?ククク・・・・・無駄なことを。』


 混沌の声がよみがえる。




  「半蔵、」

 忠勝の声に意識を戻せば、もう玄関先だった。

 家の者に灯を渡し、忠勝の後をついて行く。

 外廊下を歩きいつもの部屋へと通されれば、なんだか落ち着くのはなぜだろうと思う。

 戻っている間一度は必ずここにくる。

 のんびりと、何をするでもなく静かに酒を傾け、時折稲がやってくれば二人で楽器などをつま弾き、けだるげにも歌を吟じる。

 いや、理由などわかっているのだ、ここは忠勝が滅多に人を通さない完全な私室だから。

 忠勝の気配が染みついているから、気配に聡い忍はどこか安堵するのだ、まるでくるりと抱きしめられているかのようで。

 幼い頃の、あの懐かしい望郷がそのままあるのだと。

 ・・・顔に傷を負ってから、思考がよい方向へ向かないのは確かだった。

 傷を負う前は己がやれば、万事収まるとおもっていた、過信ほどに。

 顔だけではなく、体中にあのときは傷を負った。

 生きては戻れないかもしれないが敵地で死ぬわけにも行かない。

 目の前にあったものすべてをぶち壊してこの地へもどってきたのだ。


 酒はすでに用意されていて、しばらく二人で傾けた。




  「半蔵、」

 「なんだ。」

 「酒も入ったことだ、少しは落ち着いたか?」

 「・・・・・。」

 「都合が悪くなると黙るのは悪い癖だ。」

 「・・・・・。」

 黙る半蔵に忠勝は小さくため息をついた。

 酒を口に入れる。

 「・・・・月が消えれば、ゆくのだろう?」

 「ああ。」

 やはり、解っていたか。

 半蔵はぽつりと思う。

 「そうか・・・。」

 忠勝は杯をおろし、左手を伸ばした。

 その先には半蔵の顔があり、二人は一定距離離れているはずが、忠勝ともなればその距離は離れているといいがたい。

 半蔵の、傷跡にふれる。

 大きな手のひらが、慰撫するようにほほを撫でる。

 あまりの暖かさと、包容感に涙が出そうだった。

 緩いな、と半蔵は目を閉じた。

 忠勝はいつもこうだ、氷を溶かすように外側を溶かし、内側にある隠したものを見つけ出す。

 すべてをぐずぐずに溶かし、周りには誰もいない、ただ二人だけがあるように周りを見えなくしてしまう。

 忍であるが故己を隠すのは分けない。

 しかし、半蔵の完璧な隠形の術もかの男にはきかなかった。

 忍の子供らがかくれんぼの中で学ぶかの術ではあったが、混じって遊んでいたせいであろうか。

 そのころから忠勝が鬼となれば、ことごとく見破られていた。

 心が騒ぎ立つ。

 忠勝の手が離れた。

 「・・・・口に出したところで誰も聞いておらん、たまには口に出してみよ。」

 忠勝は酒をつぎ足しながらいう。

 「いわれなければ、拙者にも解らぬ。」

 「しかし、」

 「珍しく素で言い返しおったな、いい傾向だ。」

 「・・・・・・。」

 「その傷を負ってから、おまえはいよいよ無機質になった。本当に、影のようにな。」

 「ここではその必要がないのは重々承知しておる。しかし・・・性分だ。」

 「よういう。しかし表情は如実に変わっておるぞ?あとは、口に出すのみ。」

 「・・・・。」

 忠勝は少しだけ待った。

 目の前の半蔵は手に杯を持ったままだということも忘れたように止まったまま。

 伏せたまぶたでその表情はよくわからないが眉がかすかにゆがんでいた。

 肌が白すぎるせいか、紅く見える唇も男でありながら違和感がない。

 酒を入れたせいか、多少は血色がいいかな、と忠勝は思う。

 こう思うのも毎度毎度のこと。

 自分が手を出せば、きっとタガがはずれたように行動するに違いない。

 (影なんぞに半蔵を喰われてたまるか)

 忠勝は常日頃からそう思っていた。

 そして今日、行動に移すべきだ。

 このまま春先までほとんど戻らない半蔵を思えば、きっと完全に影と化して戻るだろう。

 それだけは許せない。

  忠勝は腕を伸ばした。

 半蔵の細い二の腕をつかみ、勢いよく引っ張って自分の両腕の中へ入れてしまった。

 そのまま小袖の袖で周囲から隔離してしまえば、半蔵の姿は半分消えてしまったようになった。

 かろうじて投げ出された足が見えるだけ。


  「・・・拙者のことを懐かしむようにみておろう?」

 低く、小声で言えば半蔵の肩が跳ねた。

 「寂しげに月を見上げては、己が行くべき日が近づいていることを知り、拙者の背をみて、何を思う?」

 半蔵が腕の中から逃げようとする。

 しかし、逃げるには頼りない力だった。

 あやすように背を撫でてやれば、襟元をつかむ手がある。

 布がきしむほど、強く握っていた。

 「正成、」

 「・・・・・・・わからぬ。」

 「わからぬとな?」

 「ただ・・・・居心地がよいのだ。」

 「そうか。」

 「安堵するのだ。・・・これではいけない、拙者は、影を渡る者故かような所にいては・・・・。」

 半蔵は顔を上げた。

 忠勝が遠慮なしに頭を抱えていたせいか、ただ簡単に結っていただけのひもが解ける。

 忠勝には顔を見せたくない半蔵がわざと何かしらの術で解いたようにも見えた。

 「ざわめく。」

 「ほう?」

 「落ち着かない。漣が・・・・・拙者を浸食していくのだ。」

 「則ち・・・?」

 「・・・・・・その・・・・・」

 「なんだ、ハキと申せ。」

 ゆったりとした言い回しとともに、半蔵の長い前髪を掻き上げてやる。

 そのときの半蔵はまるで猫が愛撫を受けているような、そんなことを彷彿とさせる顔だったがヒュッと表情が戻った。

 「拙者がいったところで、興も冷める。」

 「ここまで引っ張っておいてそれはなかろう!」

 「いや、帰る。邪魔したな、忠勝。」

 半蔵は先ほどとは全く、正反対な態度できびきびと立ち上がる。

 髪を耳に引っかけ、開け放してある縁側へ出ようとするのでこのままではものの数秒で姿をかき消してしまうだろう。

 忠勝は急ぎ立ち上がるとその小柄な体を捕まえた。

 「またぬか半蔵!」

 「自分でも気持ちが悪い!帰る!帰るのだ離せっ!!」

 「気持ち悪がるな!おまえだけだそんなこと思ってるのは!!」

 「離せ馬鹿力!大男!」

 「大男上等!懐から逃げて見せよっ!」

 押し問答とともに忠勝は暴れる魚のごとくその腕から逃げようとする半蔵を話すまいとし、半蔵はなんとか逃げようとしてもがいて藻掻いてどうしようもなかった。

 「童かおまえはっ!」

 「ガキで結構!離せ!!」

 

  あまりの騒動に顔を出したのは小袖姿の稲姫。

 庭からやってきた彼女がひょいと縁側を見やればまるで子供のようにどっすんばったんと転げ回っている父親と、見知った忍頭があった。

 「父上!何をやっておられるのです?これでは半蔵様が一歩的に押し潰されてしまいます!!・・・・ああっ!父上!半蔵様のお召し物が破れてっ!!

 稲は乱暴な父上など嫌いです!今宵は半蔵様に泊まっていただいてしっかりと謝りくださいませっ!!!」

 彼女は一通りまくし立ててるとスタスタと縁側に上がって、勝手知ったる忠勝の小袖を引っ張り出すと、父親をどかして半蔵の傍らで膝をついた。

 「明日にはお渡しできるよう繕っておきます!・・・今宵はもう寝るのみですし、相手も父上や私です。大きいですが、これを羽織ってお過ごしください。」

 そして手際よく半蔵の上下を脱がすと(いろいろ仕込んであったはずが)忠勝の小袖を着せて(着せるというかくるんで)去っていった。

 半蔵はといえば着ているよりも着られている状態という、忠勝の小袖を無理矢理着た姿で呆然と座り込んでいる。

 「・・・・は、半蔵?」

 忠勝がおそるおそる声をかける。

 半蔵は今だ我には返っていないようだったが何とか忠勝の方を向く。

 襟元がずるりと落ちた。

 手などは隠れているし、足も見えない。

 これが鬼半蔵とだれが知ろう?

 どこからみても父親の服を借りた子供だ。

 と、我に返った半蔵があわててずれ落ちた肩をあげる。

 半蔵としては忠勝の服という、忠勝のもう一つの気配のようなものを纏っているわけだから、正直心拍数があがっていた。

 でも、落ち着かないような、落ち着くような、そんな感じもする。

 すると忠勝が半蔵の帯を引っ張り(あまりが偉い長かったが)、再び腕に閉じこめた。

 「観念せよ、半蔵。」

 「・・・・滅。」

 「拙者は主に何を言われたところで受けて立つ。」

 「・・・・・・・。」

 半蔵は眉をひっつめ、少し口をとがらせて忠勝を見上げた。

 「拙者はな・・・・、」

 「うん?」

 「その・・・。」

 「なんだ。」

 「・・・・・・ただかつ、」

 声色が変わった。

 少しかすれたような、男の声じゃないみたいだった。

 半蔵は目を閉じ、何か意を決したような仕草を見せ、目を開ける。

 「・・・御免。」

 えっ?!と驚いた瞬間、体が反転した。

 忠勝は板の間の上で横になっていて、その上に半蔵がのしかかっていた。

 そして、こわごわと、半蔵の指が忠勝に触れた。

 忠勝も、意図を持って半蔵のほほを撫でる。

 その手が首裏へといき、細い首に手のひらをすっぽり回してしまうと、ぐいと引き寄せた。

 「・・後戻りはできぬぞ?」

 忠勝がささやく。

 「・・・・もとより承知。」

 半蔵が耳元でささやき返せば、くるりと位置が反転して。

 あとは半蔵が忠勝の首周りに両腕を絡ませ、二人は唇を重ねるというよりはお互い食い尽くさんばかり吸いにかかり、

 忠勝の手は不埒にも半蔵の着物を脱がせるためにはい回る。

 半蔵が甘い声を出せば、あとはずるずると誰にも言えぬ時間がやってくるだけと相成った。









翌朝。


 全裸で忠勝に抱きしめられるかのように床に入っていた半蔵は(いつの間にか布団の中だったが)なぜ、

 「ノスタルジックな、落ち着くような気持ちになる。人恋しいというのだろうか?」

 と言いにくかったから言いたくなかっただけなのにここまで来てしまったのかと我に返っていた。

 「・・・抜かった。」

 後ろから抱きすくめるようにされているため、身動きがとれない。

 しかし、日頃にはない暖かさを思えば、再び眠気もやってくるし昨晩のこともあって体はだるいしまだ寝たい。

 何とか体の向きを変えると、暖かい忠勝の胸元に寄りかかるようなちょうどいい場所を見つけ、再び目を閉じた。

 





−おわり−