満月だった。

少し喧噪と離れたところで、その人は立っていた。

いくつかの将の首級を挙げていた忍びは本城への帰投途中にその姿を見つけ、誰もいないのを確認してから姿を現した。





逢瀬は、別れを呼ぶ時





 「真田・・・」

忍びは、何かを試すようにそっと呼ぶ。

しかし赤揃えの武士は何も答えなかった。

月の光は影すらも照らし出しているというのに、赤揃えの武士には遠い物らしい。

彼は、影の中を俯いていた。

半蔵は、ゆっくりと近づく。

「・・・死するか。」

忍びは口布を下げ、静かに言った。

ここでようやっと赤揃えの武士は忍びに近づき、

まるで思い人を抱き寄せるように、忍びの腰に腕を回して引き寄せた。

「・・・・半蔵・・。」

そっと耳元で、囁くように名を呼ぶ声は常の甘さなどなく、何処か苦しそうで。

半蔵は武士の腕に己の手を重ねた。

「幸村、」

「・・別れの時だ。」

「もう何度も繰り返した。」

「私はもう保たない。」

「・・。」

影に生きる忍びも今は月下で光を帯びていた。

それは酷く不思議な光景で、幸村は半蔵の結い紐を解くと夜風に髪を嬲らせた。

「・・・影も、同じ人なのだ・・。」

青年は満足そうに微笑む。







「・・・幸村、」

しかし何か言いかけた半蔵の口を幸村は己の口で塞いでしまった。

同時に締め付けられるほど抱きしめられていた半蔵だったが抗わず、同じように抱きしめ返してやる。

「・・・半蔵、」

幸村の、嫌に冷たい指が頬を滑る。

「・・・さらばだ。」

顔を上げればそこには誰もおらず、半蔵は口布を引き上げ、一気に手近の屋根まで跳躍するとそのまま本陣へと走っていった。




 本陣前は酷く静かだった。

沢山の兵が立ちつくしているという感じで、中央には赤揃えの鎧に身を包んだ誰かが倒れている。

半蔵がそこへ着いたのと同時に、主である家康がゆっくりとやってきた。

あたりの兵が引いていく。

 「よかったのか?」

家康は静かに尋ねた。

半蔵は、倒れた死体の横に膝を付く。

ほんの少し開かれた瞼を閉じてやり、そっと頭を撫でてやった。

「主の世が来たるまで後ろを向く暇はなし。それは、この者も周知故。」

「半蔵・・・。」

忍びは口布を下ろし、しっかりとした肉声で、

「失いし物は誰でもあり、皆が哀しみを持っている世。

その様な思いをせず暮らせる世を主が築くまで、誰を殺そうが、誰を失おうが思い返す暇は無し。」

「・・しかし、」

「此度の戦も、我らの勝利。主には、我らの行く先を見据えていて欲しい。

我らは主の思いを実現するまで止まることはない。」

半蔵は言い終わるのと同時に姿をかき消した。

同時に赤揃えの武士の死体もなかった。

「日の本一のもののふと、影、か・・。」

くるりと向きを変え、本陣へと歩みを進める家康。

小さくため息をつき、少し歩いて空を仰いだ。

「相容れぬ故、二人とも真っ直ぐ故、想い合ったのかのう・・・。」




それは天下が徳川にほぼ決まった夜のこと。

戦場を見下ろす城の屋根には、影が二つ。

一つは動かず、一つは大事そうに動かない影を抱きしめていた。

「黄泉路で待つがいい・・真田幸村。」

ぽつりと呟いた一言は、暗闇を歩く赤揃えの武士の歩みを確かに留めていた。