満月の夜に見た夢は







 日が落ちるのは早い。

6時には日が傾き出すため部活はそこで終了となる。

それからもろもろ、片付けと着替えをすませ帰路につく頃には6:30を回っていた。


 跡部はふと顔を上げて、窓から外を臨んだ。


「・・落ちるの、早まったな・・。」


もう少し部活の終了時間を早めた方がいいだろう。

一年生達に夜道は危険だ。

その提案を、書いている部誌の一番最後に書き加えると表紙を閉じ、ロッカーから着替えを取り出すとシャワー室へと入っていった。



部室にいるのは、彼一人。














 「あ・・・。」

シャワー室から出てきた跡部は髪を拭いている手を止めた。

フェイスタオルを頭にかぶった姿で、シャツは素肌に羽織っただけの全開で、ズボンもボタンは止まっていない。

そんな姿で、彼は一瞬動きを止めた。

部室のラグには、宍戸がいた。

肘乗せに寄りかかり、背もたれに頭を乗せて目を閉じている。

帰ったはずじゃねーのか?

跡部は眠る宍戸の足横、ちょっと空いたところに腰を下ろした。


普通眠っているときはあどけない表情になる、なんてよく言う。

よく言ったモンだ、と跡部は思う。

眠る宍戸のまぶたは確かに閉じているが眉はきりりと上がっているし目尻もどちらかと言えば上向きだ。

口元もゆるみがちだが・・きっちり引き結んでいるようにも見えるのは彼らしい。

髪も伸びた。

あの夏が終わり、自分達の引退も目の前。

後何回、こうして静かな宍戸を見ることができるだろうか。

高等部へストレートで上がるならこれは取り越し苦労。

ではあるが、自分の置かれた立場上、跡部はらしくない感情に浸りやすくなっている自分を冷静に客観視していた。





虫たちの奏でる音が、非現実感を煽る。

秋の夜長。

狭い部屋で、世界はそれだけだ。





 指の長いスラッとした手で、宍戸の前髪を撫でた。

そのまま頬の方へと降ろしていけば、むずがる様子もなく、むしろ頬を寄せてくる。

しかし、きっと眠りは深くなかったのだろう。

思いもしない感触にゆっくりと目を開けた。


「いけね・・・、ねむっちまった・・。」


本当に眠る気は無かったのだろう、不覚だったと眉を寄せた。


「遅くまで何してたんだ?」

「あー・・太郎から呼び出し。」

「何だと?」

「なんかな・・・、俺高等部進学決定にしてやるから、代わりに成績を今よりあげて定期でコーチするよう言われたんだ・・・。」

「ああ?・・俺たちん時にはそんな奴いなかっただろーが。」

「俺たちみたいにずば抜けたんがいねーから来年度の連中はしごかねーといけないらしいんだ・・・。

太郎はそうゆーのに俺向いてるってゆーからよー。」

「決定なのか?」

「いいやぁ〜今日初めて聞いた。」


宍戸はここであくびを一つ。

そこではたと動きを止めた。


「・・・おめー、寒くね?」

「あ?」

「格好、中途半端。」

「・・・・。」


跡部はごまかすように頭のタオルでまだぬれた髪を拭いてタオルを投げた。





 跡部が服装を整えている間に宍戸は窓へ寄った。

そこから空を見上げ、すぐに窓を開けた。


 「良い夜だな。」

「お前でも夜空を愛でる感性があるのか。」

「うっせぇ。」

「・・・十五夜だ。」

「そか。・・・じゃ、団子くわねーとな。」

「食い意地かよ。」

「健全な中坊だぜ?・・どっかのハイソなおぼっさまとはちげーんだよ。」


 宍戸は空を見上げたまま、跡部の方を向かなかった。

いつもならこのまま喧嘩にのってくるはずが月を見上げるだけでこうもおとなしくなるものだろうか。

跡部は宍戸の背後に立って同じように空を見上げた。

雲一つ無い。

真正面からライトを当てられて輝いているような、それほどまでに強い月光。

月と言えば穏やかな光を思わせるが、秋の月はどこか力強い。


 「宍戸、」

「あ?」

「上着着て、ついて来い。」


ブレザーのボタンを留めながら跡部は言った。

そして宍戸を退かし、窓枠に足をかけると手慣れた動作で外へ回る。

そのまま屋根に手を掛けてあがってしまった。

止める間もなく、階段を上がって行くみたいにごく自然な動作で上がっていった古なじみ。

我に返って急いで上着を羽織ると宍戸も同じように後を追った。









 氷帝学園は小高い丘の上にあるので周りに高い建物はない。

空を見上げれば邪魔な電線もないし、人工的な光の層も見えなかった。

ただ濃紺のビロードを思わせる雲一つ無い空があって、満月が輝いていた。

それはショーケースに鎮座する大きな宝石のようで、だとしたら月は永遠に現れない買い手を待つ大きな大きな至宝の宝玉なのだろうと。

買えないからこそ愛されて、焦がれる存在。





 「・・・・・とべ、跡部、」

「・・あん?」

「お前、よく屋根に上がってたのか?」

「・・・・。」


思考の縁にいた跡部の思考がゆっくりと現実に戻ってくる。

月から目を離し、月を背にする所に座った宍戸は自分を見ている、月ではなくて、己を。


「・・・・・髪、伸びたな。」

「あ・・・・?・・・おう。」


言われた方もちょっと意外がって、伸びた髪を掻き上げた。

宍戸の髪は、在る意味物差し代わりだった。

あの夏が始まる前に宍戸は髪を切った。

それから一回も鋏を入れていない。

そして今は、もう肩当たりまでとどくくらいまで髪は伸びている。

最近、レギュラー達は宍戸の髪に触れては夏を思い出し、引退の時期がすぐそこまで来ているのを噛みしめている。

それは跡部も同じ事。


「岳人がよ・・・、宍戸の髪が短かけりゃ夏のまんまなんだよなー、なんて変なこと言い出してさー、んなわけねーのに。」

「そーかよ。」


気持ちはわかる。

だからといって宍戸があの切ったままの長さを維持したとて季節は巡る。

無意味であるからこそ、懐かしんでしまう。


「・・・お前の髪が短かったら、か。」

「ああ・・・。」

「だがお前の髪は伸びた、そして制服もブレザーになったし、今日は十五夜だ。俺たちは、明日で引退する。」

「・・・・・ああ。」


宍戸は俯いた。


「・・連中には太郎に言われたこと話しておけ、いい起爆剤になるだろう。そのまま持ち上がるんならインハイ目指せ。」

「目指せって・・・お前は?」

「俺はまだ決定できねぇ。」

「でもお前がいねーと、」

「俺様が高等部へ上がれるんなら今以上にしごきあげてやる。だがな、今はどうなるか未定なんだ。・・・お前も俺の家のことは重々承知してるだろう、あん?」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」





 高等部へ上がって、3年になり今と同じメンバーでインハイ。

リアルに想像できるのは、確信しているからだろうかそれとも月が見せる幻影なんだろうか。

インハイはきっと、この夏戦った連中もいるだろう。

もう少し大人びた跡部が今以上のパフォーマンスをして、観客を沸かせる。

自分はどうだろうか。

長太郎がくるまではきっとシングルス。

長太郎が高等部にもしあがってくるならダブルスになるだろう。

自分はこのまま太郎に頼まれたことを承諾して、高等部・・・。

そうだな、テニスしたいし、勉強は勘弁だ。

今より成績を上げなくては行けないが受験勉強はいらない。





 「宍戸よぉ、」

「なに。」

「・・・お前の、思った通りになるだろーぜ。」

「んだよ、それ。」


にやりと、あまりにも強気に笑むもんだから宍戸は思わず拭いてしまった。


「なに、お前俺の思ったこと解んの?」

「てめぇ、俺を何様だと思ってんだ?」

「跡部様ってか?」


けらけらと笑う宍戸、どこか楽しそうな跡部。




さぁ、来年月を見上げるときは何人周りにいるだろうか。






−END−