中学3年の終わり、あと残すは卒業式だけだという春休みのこと。

暖冬で雪が降らず、そのまま暖かくなっていた3月。

家族と祖父母の所へ行っていた宍戸の携帯がけたたましく鳴った。

着信は非通知で、音は警告音のようにピリピリと鳴り響く。

たいていは少し経てば切れるけども、見知った連中が非通知や公衆電話、家電からかけてくる時は呼び出しが長い。



電話は、跡部家からかけた滝だった。






−人形の館−






 跡部家の玄関まで宍戸は走ってきたが、大きな観音開きのドアの前で待っていたのは滝だった。

「待ってたよ、宍戸。」

「・・・滝・・・。」

肩で息をしている宍戸を彼は優しく中へと促した。

宍戸はドラムバッグを肩から提げていて、見知った執事が手を差し出して来たので渡した。

滝は相変わらず、赤みがかった髪をサラサラさせて宍戸を連れて階段を行く。

絵に描かれそうな完全なる洋館は少し湾曲した中央階段を持っていて、そこから2階の中央廊下に出る。

跡部屋敷は完全にL字になっていて、正面玄関の上、L字の長い方が本邸で短い方がメイドや執事で下宿希望の者が住んでいたり洗濯室があったり、

また食堂もあるという間取りになっていて、滝は2階の跡部家の住人が住む方へ静かに進む。

いつもは何人かのメイドとすれ違ったりするものだけども、今は誰の気配もない。

歩き慣れた廊下ですら酷く長く、暗い。

それでも滝はいつも通り、静かに足音もなく、そして話しかけてくることもなく歩いていた。


 滝は一番奥の扉の前で止まる。

角部屋で、部屋の主である跡部景吾はちょっとしたテラスになっているバルコニーと高い天井が気に入っていると豪語した部屋だ。

なので滝がノックもせずに背の高いドアを開ければ、日本でも外国でもない景色が広がっていた。

 跡部邸は他の日本家屋と同様、靴を脱ぐ屋敷だ。

なので宍戸も滝も、今は客用のスリッパを履いている。

けれども部屋の主は素足を好み、フローリングを敷いた床は勿論暖房を入れてテーブルセットやデスク周りのみ、足触りの良いモダンなラグを敷いていた。


「宍戸、」


滝がこちらをむいて、声を掛ける。

広いリビングの先は寝室があり、滝はその境界に立ってドアを開けて宍戸を呼ぶ。

宍戸が先に入れば、そよ、と風が頬を撫でてきた。


 跡部景吾の寝室は、ドアがあって、向こう側の壁に大きなベッドが置いてある。

その右角にシンプルな化粧台が置いてあり、ベッドの左隅には本棚、そしてリビングから繋がってはいるが跡部が後から区切ったバルコニーへと繋がっている。

ただ、酷く暗い。

今は日が逆にあるせいか、唯一の窓の役割もするバルコニーへのフランス窓は半面だけ開け放たれていて、繊細な織物のカーテンがそっと揺れていた。


影だ、宍戸は思った。

窓だけが明るいのに逆光で光は中へ差し込んでいない。

カーテンは光っているのに、その向こうは闇が広がっていた。

滝が宍戸の背を押す。

振り返ってみても、滝は顎で先へ行けと顎でしゃくるだけ。

伸びた髪を掻き上げ、宍戸はその闇へと向かう。



「ねぇ、宍戸・・・、」

滝はゆっくり進む宍戸の背に言う。

「僕、おかしいのかな・・・。」

向かう先には、誰かが居るようだった。

「だって・・・、」

直に座っていて、手足が投げ出されている。

「だって、」

誰かが壁にもたれて座り込んでいる。

「・・・・・・・・ふふふふ・・・。」

宍戸が屈み、その顔をよく見ようとのぞき込んだ。


滝の高笑いと、後ずさる宍戸があった。










 「ったく・・・お前笑いすぎだっての。」

「ごめんごめん、本当はそんなつもり無かったんだよ・・・。けどもあまりにも宍戸がドキドキしながら近づくのも相まって脅かしたくなったんだ。」

滝はケラケラ笑いながらいい、宍戸は出された紅茶を焼け飲みするように喉へ流す。

「でも、そないに綺麗やったんか?」

忍足は興味津々に二人を交互に見やり、そこへ岳人がやってきて。

「さて、役者は揃ったし、いこっか、宍戸?」

「だな、まあぁみて驚いてくれよ!」





こうして滝と宍戸は忍足、岳人を連れて再び跡部邸の門扉を潜るのです。





 跡部邸は忍足と岳人が生唾を飲むほど静まりかえっていました。

カギは何故か滝が所持していて、階段を上がっても廊下を歩いていても人の気配は全くない。

時間はもう夕暮れで、夕日が窓という窓から流れ込んでいる様は燃えているようにしか見えない。


 滝は跡部景吾の部屋にはいると、カーテンを閉めて明かりを入れました。

けれども寝室の方はカーテンを閉めて、沢山要所に置かれているシャンドルに灯を灯すにとどめます。

そして宍戸は鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌で、滝はその仕草だけでも機嫌が良いと解るほど。

岳人は忍足を見上げ、ジャケットの裾を引っ張りました。

吊られてこちらを見下ろしてくれる忍足もまた、引きつった顔を見せました。


 宍戸がベッドの向こう側へと向かい、滝がゆっくりと後に続きます。

忍足と岳人は入り口の前から動けずにいると、宍戸はやがて座り込みました。



「あー・・・やっぱ綺麗だよなぁ・・・。」

「極上のドールに相応しいよねぇ。」

「髪もさらっさらで、瞳も・・・あ〜舐めちゃいたいくらいキラキラだ・・・。」

「染み一つ無い肌に、泣きぼくろ・・・やはり完成された美だよ。」


宍戸は隣に抱き込むと、その髪に手櫛を入れ抱きかかえて頬を寄せます。

滝はその様子をニコニコ見ていましたが、一向にこちらへ来ない二人の方を向きます。


「二人ともそんなところにいないで見てみなよ、こんな極上品は世界中探してもないんだからね?」


どこか有無を言わせない感じがしたと二人は顔をもう一度見合わせたが、滝に従い後に続く。


「・・・お前らなに突っ立ってたんだ?おら、綺麗だろ?」


 それをみて岳人は隣の忍足の腕を強くひっつかみ忍足は思わず「うわっ!」と声を上げよろけてしまい、滝は二人を見ながらクスクスと笑っています。

ともあれなんとかそこを見てみると。

宍戸は人形の肩しなだれかかっていました。

青い目と茶金の髪、白い肌をもった少年の人形。

その顔は、紛れもなく彼らの友人の一人。


「ほら、景吾・・・綺麗だろ?」


二人が見たのは視点のないうつろな目をして壁に座り込んでいる跡部景吾、その人。





  「ったく・・・脅かしおって。」

「くそくそ宍戸ー!滝までー!」

「あっはははは!ごめんごめん!だからいっただろ?宍戸にも同じ事言われたよって。」


跡部の部屋のソファに4人は座っていました。

勝手知ったる冷蔵庫から思い思いにドリンクを取るとそれを片手に話を盛り上がらせます。


「てことは、要約するとこうか・・・。跡部、壊れる。」

「あの跡部がねぇ〜!」

「じゃあ岳人がその立場だったらどうする?」

「俺ぇ〜?家じゃありえねーけど侑士なんかなりそー!!」

「ぎゃははは!なんだかんだで似てるもんなーお前ら。」

「な、それは俺と跡部が似てるっちゅーことかっ!たいがいにせーよって言いたいとこやけど・・・・・・。」


と、忍足は隣の相方の頭を撫でます。


「けども・・・なんとのう、解るわぁ。跡部ほどの家やったら・・・俺もあないになってまうんやないか?」

「そーなのかー侑士ー。」


岳人はその手を取って、相方を見上げます。


「・・・跡部、高校進学決まってたんだよね。そこへ来ての移住は、確かに堪えたのかも。」

「けどもなぁ滝ぃ、跡部は日頃から自分の立場をよう解っとったわけやで?それにあの俺様のことや、宍戸をむりやり連れて行くっちゅーてもあんで?」

「うん、そうなんだよ。」

「跡部・・・・壊れちゃったんだなぁ。」


そこへ静かに宍戸がいいました。

それは何の感情もなく、すんなり3人の耳に入ってきました。


「跡部・・・・ああ、ほんっと激ダサだよなぁ、あの跡部が・・・。」

「宍戸・・?」

「だってさぁ岳人、あの俺様の跡部が・・・壊れるほど何を考えたってんだ?損得勘定、あいつが一番得意じゃねーの?」


 宍戸は落ちてきた長い前髪を耳に引っかけると立ち上がり、フラフラと寝室へ入っていきました。




 宍戸はその暗い部屋にはいると、まだキャンドルの日がたゆとう中を足音もなく歩き、跡部の傍らに座りました。

相変わらず、お人形。

紛れもなく彼は綺麗なお人形でした。

宍戸が髪を撫でても、頬に触れても、その唇にキスをしても、うつろに見える目玉をレロッと舐めても何の反応もしません。

ただほんのり暖かく、力無く置かれた手を握れば生きているのだと感じることが出来ました。


「・・けぇご・・・・ほんとうに、人形になっちまったのか・・・?・・・お前のことだから、ちょっと疲れてただけだとかいってくれないのか?」


宍戸は跡部の腕を自分の方に回らせ、その頭を自分の肩口に寄りかからせました。

ことん、と力無い頭を彼は撫で、キスを一度送ります。

すると、なんだか急にまぶたが重くなってきて宍戸は欠伸を一度しました。


「なんか眠ぃなぁ・・・。ちょっと・・・寝るか、起こしてくれるだろうし。」


宍戸はそのまま跡部と寄り添い合うかのような体制になると、静かに目を閉じてしまいました。





 「・・・そろそろかえろか・・。」

「ご飯作ろうか?」

「てか滝ぃ、ここん家の人は?」

「家の人?いないよ岳人。」

「いないって・・・・。」


滝の様子がおかしい。

岳人は隣の忍足を見上げましたが彼も警戒しているようでした。


「なぁ滝、ここ、ほんまに跡部ん家か?」

「クスクス・・・・どうしちゃったのさ、二人とも・・・。」


言いようのない暗がりが滝の後ろにある。

彼はただ、腕を組んでクスクス笑っていて。


「ああ、だめだよ宍戸ったら・・・。」


そういって目を細めて。

察しの良い岳人はそのままソファを飛び越えると寝室へと飛び込んでいき、忍足も後を追い掛けました。





「・・・宍戸・・・?」

「嘘やろ・・。」

「あーあ、やっぱり・・・。」



青ざめた忍足と岳人、やっぱりクスクス笑ってる滝。

二人の前にはとても綺麗な人形がありました。

一つは言わずと知れた跡部人形、そしてもう一つは綺麗な黒髪と瞳を持つ宍戸人形。

只違うことは、二人の手がしっかり繋がれていることと、二人が寄り添うように座っていること。



「ど、どういうことやっ!滝なんか知っとんやろっ!?」

「僕は何もしていないよ、宍戸が跡部に取り込まれちゃっただけ。」

「じゃあなんで跡部はあないになってるんやっ!」

「知らないよ、そんなの。僕は唯、悩みすぎたら人形になっちゃうよ?っていったんだ。」

「な・・・っ!」

「クスクスクス・・・・。」

「た、滝っ!お前・・・・。」


岳人は忍足の後ろから何とか声を上げます。

しかし彼は跡部と宍戸の前に膝を折ると二人の頭を撫でました。


「これでよかったの?本当に・・・。そこには君たちだけしか居ないよ?」


そっと語りかけるように滝は言いました。

するとどうでしょう。

宍戸人形は目を閉じました。

3人が見守る中、宍戸は何度か瞬きをすると3人をそれぞれ見やります。

最後に滝を見つめると、宍戸はうっとりと笑いました。


「滝、俺ここに住むから。」

「うんわかった。何かあったら言って?」

「サンキュー。」


宍戸はぽいっと立ち上がると大きくのびをします。

そして跡部人形の頬を撫でるとそっとすこしだけ開いている唇にキスをしました。

チュッと音を立てて、二度三度。

それから立ち上がると、言いました。


「大丈夫だぜ、あいつはすぐに戻ってくるからさ!俺が世話するし。」

「どういうことや宍戸!」

「まぁそう声荒げんなよな、忍足。」

「せやかて・・。」

「・・・景吾戻ってくる方法忘れちまったんだ。俺はみんなや家族がいるしすぐ思い出せた。

だから言ったんだ、俺が思い出させてやるから、早く戻ってこいって。俺はいつでも側にいるよって。」


すると人形はぎこちなく腕を上げ、宍戸の首元に手を掛けてゆっくりと引き寄せました。

そして、目を閉じることなく宍戸にキスを、それも深くキスをしたのです。







いつ頃からかこの洋館は人形の館と呼ばれるようになりました。

訪れる人は少なく、いつも同じ、見知った幾人か。

その館に住まうは艶やかな黒髪の人。

鋭利な面差しの彼はとても美しく、見る人の目を奪う。

けれどもそれは唯一人の物。

真っ直ぐ恐れを見せない眼孔も、そのすべらかな髪も。

時折館の窓辺には、それは見目麗しい人がのぞく。

日に輝く髪と、青い瞳の持ち主で。

この世の全てを我が手中におさめんとする気迫の持ち主だとか。

そんな彼らが楽しげに笑う姿は暫し見られました。

けれども青い瞳の男は表で目撃されたことはありません。


ここは人形の館。

黒髪の人が守るのは青い瞳の人形。

楽しげな二人分の笑い声が、時折この館からは聞こえてくるのです。









−END−