夜走る自転車

   若い母親は赤ん坊と一緒に自転車で、夕暮れの街を走るのが好きだった。
   買い物帰りの彼女は、いつものようにベビーシートに我が子を乗せて家路へと急いでいた。
   母親は「早く帰って夕飯の支度をしなくちゃ」と言い、
   子供は「キャッキャッ」と笑った。
   そんな微笑ましい光景も、前方不注意の乗用車によってブレーキの間も無く潰えた。
   夕日染まる街にサイレンが鳴り響く。

   幸い彼女自身は全治三週間の怪我ですんだものの、幼児は即死であった。
  救急隊の到着した時には、その小さな体に何の力も宿ってはいなかった。

   我が子の死を知った彼女は錯乱し、暴れ、どんなに家族が哀願しようと、
  ベッドの上で桜田順子の「私の青い鳥」を熱唱する。
   そんな日々の中、半ば投げやりに赤ん坊の人形を与えると嘘のように落ち着き、
  今度は夜通し人形をあやし続けるようになった。
   夫が蒸発し両親も見舞いから足の遠のいた頃、ようやく彼女の頭も明るさを取り戻していった。
   結局、彼女に残されたものは、誰もいない家、人形、壊れかけの自転車、そして複数の常備薬。

   横倒しの冷蔵庫で、ガーデニングをするという啓示を受け取った彼女は、園芸用腐葉土を買うため
  自転車に乗った。ペダルをこいだ瞬間、どこからともなく赤ん坊の声がした。
   それは自転車の軋む音だった。
   あの事故以来、接合がおかしくなったのだろう、ペダルをこぐたびに 
  「キャッ、キャッ」と軋むのだ。
   彼女は嬉しさのあまり、急いでベビーシートに人形を乗せて走り出した。

   それから彼女は、赤ん坊の笑い声を軋ませながら夜の街を徘徊するようになった。
  このことはすぐに小学生や女子高生の間で噂になり、それを重くみたPTAは未成年の夜歩きを禁止した。
   しかし、狂った母親のサイクリングも終焉の日を迎える。
   個人タクシーの運転手が、幽霊と間違えて轢き殺してしまったのだ。

   だが、それでも暫らく息のあった彼女は
  「私の赤ちゃん、私の赤ちゃん」と、不安げに辺りをキョロキョロと見渡していたが、
  自転車と人形を見つけると安心した顔をして死んでしまった。

   その後、自転車と人形は引き取り手もないまま廃棄処分された。