鼻炎

  「ぐじゅるぐじゅる、ずるずるずる」 男の鼻汁が響く。
  鼻孔から垂れ下がった粘液は肩怒らせて啜られて、
  腰の辺りで囁くのだが、吸えば吐くの故事の由。
  生ぬるい口臭と共に着床する。

  ちっちゃな頃から蓄膿で、十五でキャンプに呼ばれたよ。
  呼ばれはしたがそれだけで、一人、夜の森、薮蚊に囲まれて
  足下に広がる鼻溜まりを眺めていた。
  羽音に雑じっては届く同級生の歌声に鼻先を向けて彼は、
  黒々とした木々の背後で一本の火柱が空を焦がすのを見た。
  昆虫合唱隊を引き連れて、鼻音高く向かった先で、
  男はその巨大な木組みの炎、キャンプファイヤーを目前にした。
  突然、熱と赤外線と精霊が三位一体に押し寄せ、
  外鼻孔から蝶形骨洞を貫き姦通し、鼻水の分泌を休止せしめた。
  そして、不器用ながらも鼻歌でない本物の歌を歌うことが出来たのだ。
  その夜から彼は、町内中の枯れ草枯れ木、ちり紙答案、
  ノートに教科書制帽と、燃やせるものは全て燃やして
  豪勢なプライベートな焚き火を楽しむのだった。

  だがしかし、長年の経験と技術により、どれほど芸術的な焚き火を
  目にしても、彼と彼の鼻を満足させることが出来なくなっていた。
  鼻詰まりのどん詰まり、不感症になったのだ。
  気付けばダラダラドロドロと、欲求不満の鼻汁に
  足をすくわれ身悶えて、阿鼻叫喚の体と成る。

  三日後、男は炎上する納屋の前にいた。
  恵比須顔で眺める彼に、罪の意識や刑事罰を問うたところで、
  何の経済効果のあるものか。
  あさひ馬の徳用マッチ片手に男は、遊びとはいえない
  火遊びを繰り返すのだった。
  連続放火犯の新たな標的は、完成したばかりの町営住宅団地群。
  数千人が惰眠をむさぼる中、特に豪華な一軒家に火を放った。
  炎は新築家屋を次々と飲み込みながら、
  あっという間に巨大化し、サラリーマンも自営業者も
  扶養家族から愛人、ペットに至るまで、
  老若男女の区別なく、平等に貪欲に喰い尽くす。
  男はこの世の始まりで終わりのような
  キャンプファイヤーを前にして、やはり定番の
  あの歌を歌わずにおれない。

  「燃えろよ、燃えろよ、炎よ燃えろ。
   火の粉を巻き上げ、天まで届けー」

  体に炎の燃えうったのも気付かずに
  いつまでもいつまでも歌い続けるのだった。

  「ぐじゅるぐじゅる、ずるずるずる・・・」