Secret Desire

 

 

 

      一流のパイロットともなると、気持ちの切り替えもお手のもの。

      オンとオフの使い分けもスムーズにできて当然。

      今までそうやって生き延びてきた…筈だった。

 

     「まったくねぇ…」

 

      パイロット待機室――ロッカールーム――に自嘲めいた声が落ちる。

 

     「駆け出しのペーペーじゃあるまいし、何だってこう−――」

 

      悔しげに眉を顰めるのは、鷹の二つ名をもって讃えられるエースパイロット。

      どんな戦場からも生きて戻ってきた歴戦の勇士。

      それが今は深い溜息を吐き、ロッカールームのソファに身を投げ出して自嘲の笑みを浮かべ

     ている。

 

      妙に気分がざわついて落ち着かない。

      高揚とした気分が残ったまま、身の奥で燻る欲求を鎮める事ができないでいる。

      今日は付近の哨戒任務についただけ。しかもMSを操っていたのはごく短い時間に過ぎない。

      それなのに何時までもヘンに高まったテンションが下がってくれないのだ。

 

      確かに先日負傷して以来、久々の出撃ではあった。また、メンデルで受けた精神的ショック

     も思いのほか根が深く、かなり尾をひいていたかもしれない。

      しかし、幾らなんでも酷すぎるだろうと、ムウは再び深い息を吐く。

 

      こんな姿を他人に見せるわけにはいかない。

      軍を離れ階級など意味を成さないものになったとはいえ、まだまだ自分が上に立つものとし

     て皆の精神を支えているのだという自覚はあるし、何よりエースと呼ばれた男としてのプライ

     ドが許さない。

 

      だから今はロッカールームにひとり篭もりきり。

      いつもなら用があっても無くても、報告と称してわざわざブリッジまで出かけたりしたもの

     だが。

      本当は甘えたい。

      その柔らかな身体を思いっきり抱きしめたい。

      でも、できない。

      自分でも驚くほどに深く、真剣に想っているから。

      だからいましばし、此処でひとり嵐が過ぎるのを待とう。

 

      そうしてムウが三度溜息を漏らした、その時。

 

      ピピピピピッと、来訪者を告げる電子音が響いた。

      こんな時に誰だよと、内心で毒づきながら顔をあげたムウは、耳に届いた声に身体を強張ら

     せる。

 

     『ムウ』

 

      それは絶対に聞き違える事など無い声。

     今一番会いたくて、でも、一番会いたくない女性。

 

      きっと何時まで経ってもブリッジにあがって来ないのを心配して来たのだろうが、一応、無

     事に帰投した旨は通信――音声のみだったが――で伝えてあるので、わざわざ足を運ぶ必要な

     んて無い。

      それとも、意外と勘の鋭い――ただし他人の事に関してだけ――マリューのことだ。「会いた

     くない」という気持ちを感じ取ってしまったのだろうか。

      どちらにせよ、今顔をあわせるのはマズイ。

      しかし、下手にドアロック何ぞして締め出したりしたら心配をかけるだろうし。

      かといって、マリューを前にして平然と振舞える自信など、残念ながら無いと言わざるを得

     ない状況ではあるし…

 

      様々な思いが一瞬にして過ぎていく。

 

     けれど彼には逡巡する暇すら与えられなかった。

     何故ならムウが何かしらのアクションを起こす前に、マリューはさっさとドアを開けて、彼

     の前までやって来てしまったからだ。

 

     「やぁ、マリュー。どしたの? こんなとこまで」

 

     こうなったら仕方が無い。

     腹をくくって、努めて何気ない風を装いつつ、軽く壁を押した反動で部屋へ入ってくるマリ

     ューを迎える。

 

     「ちょうど休憩にはいる時間に貴方が帰ってきたんだけど、なかなかあがって来ないから…」

 

      マリューはいつもの綺麗な笑みを浮かべて、ソファに陣取ったままの彼を見下ろす。

 

     「たまにはわたしから誘うのも良いかな、と思って」

 

      心配になったとは言わないところが彼女の思いやりなのだろうか。

 

     「一緒にお茶でも飲みながら報告を聞くというのはどうかしら?」

 

      決して近すぎず、かといって余所余所しいほど遠くもなく、絶妙の距離を保って、マリュー

     が可愛らしく首を傾げながら微笑む。

 

     「あぁ、でも、お腹が空いてるというのなら食堂でも良いけど」

 

      無意識なのか、はたまたすべてを承知の上でなのか、実に絶妙な距離感を保ちつつ話すマリ

     ューに対して、ムウは内心で大いに焦っていた。

 

      彼女の姿を眼にした途端、心臓の鼓動が跳ね上がった。

      ざわついた気持ちが抑えがたい衝動に摩り替わり、体内の熱が一気に上昇する。

      その声を聞けば、意識しないようにしていた欲望が努力虚しく膨れ上がり、どんどんと不穏

     な方向へと加速度を増して転げ落ちていく。

 

     「――お申し出はたいへん嬉しいんだけどね」

 

      何とかこの場を遣り過ごさなければ。

      思案しながら、努めて、必死なほどに努めて自然を装いつつ口を開いたムウだったが――

 

     「――っ!」

 

      これまで微妙な距離を保っていたマリューがついと一歩を踏み出し、手を伸ばしてムウの頬

     に触ろうとした。

      驚いたムウはビクリと大きく身体を震わせて、あろうことか、その手を払いのけてしまう。

      何せ、いま触れられるのはマズイ。

     触れられたら最後、絶対に歯止めが効かなくなるのは目に見えてるから。

      しかし、あまりに露骨過ぎる拒絶は最悪だった。

     マリューは呆然とした表情を浮かべ、払われた手のひらをどうしようもなく宙にさまよわせ

     ている。

 

      ふたりの間に気まずい空気が流れる。

 

     「あー、そのー…」

 

      引きつった笑みを張り付かせたまま、なんとかその場を取り繕うと思い巡らすムウであった

     が、あれだけ露骨な態度を取ってしまった後では成す術が見つからない。

 

     「ムウ?」

 

      柔らかに己が名を呼ぶ声に、もう痩せ我慢は出来ないと観念する。

 

     「ごめんなー、マリュー。俺、いまダメなんだよ」

 

      弱音を吐くのは死んでもゴメンだったが、彼女を傷つけてしまうことに比べたら、その方が

     よっぽどマシだ。

 

     「なんつーか、いま、気持ちの切り替えが上手くいかなくてさ。ひどく興奮してるんだ」

 

      色々なものが渦巻いていて制御が効かないのだと、心配そうに見つめるマリューの視線から

     顔をそむけながら素直に告白する。

 

     「こんな時にマリューに触られたりしたら、ヤバイ。マジ抑えが効かない」

 

      こうしている時でさえ下肢の熱が高まっていくのを感じるのを、顔を背けて相対しないこと

     によって辛うじて抑えつけながら話せば、

 

     「それはなに?」

 

      妙に冷静な声が返る。

      原因を知ったマリューは却って落ち着いてしまったようだ。

 

     「興奮のあまり見境のない獣になっちゃうってこと?」

     「うん。そゆこと」

 

      みっともないとか、情けないとか、そんなことは二の次。

      マリューを傷つけるくらいなら、自分のプライドなどゴミにも等しい。

 

     「今の俺って、はっきり言ってケダモノ以下かもしれないんだ。だから、な」

 

      誰も近寄らせないで欲しいんだ。

 

     「もちろん、マリューも」

 

      そう付け加えると、

 

     「あら、わたしは別に構わなくてよ?」

 

      やっぱり冷静な声が返ってくるから、ムウは慌ててマリューの方を振り返った。

 

     「俺がヤなの!」

 

      きっぱり言い切ってから、再びつい、と視線を外して、

 

     「マリューのことは本当に大事だから、だから、こんなふうにしたくはないんだ」

 

      ぼそりと呟きを落とすと、ふっとマリューが力なく笑う気配を感じた。

      だから、申し訳なくなって言葉を足した。

 

     「あぁ、大丈夫。独りでなんとかするから、先に行ってちょっと待っててくれる?」

 

      そんなには待たせないから一緒にお茶でも呑もうと約束を口にすると、

 

     「自分でどうにかするって、どうするの?」

     「そりゃ、手頃なグラビアかなにかをオカズにして一発…」

 

      淡々と訊ねられて、思わず男の生理現象について下世話な答えを返そうとしたムウは、そこ

     で慌てて口を噤んだ。

      普段から一言多いだの、デリカシーに欠けてるだのと言われている失言大魔王なムウではあ

     るが、ここでその本領を発揮して、これ以上呆れられたりしたら、マジで立つ瀬がない。

      心底慌てて、困った様子のムウに対して、マリューは艶然と微笑むと床を蹴り、ふたりの距

     離を一気に縮めた。

 

     「バカね」

 

      優しい声音と、頬を撫でる手のひらの感触に、ますます慌てるムウ。

 

     「マ、マリュー!?」

 

      だからヤバイんですってば、と、情けないほどに慌てて、身体を引き離そうとするムウの手

     を払いのけて、マリューは背けられた顔を自分の方へ引き寄せながら、覗き込むようにして強

     引に視線を合わせた。

 

     「ムウがそんなことをしたら、わたしは名前も知らないグラビアモデルにまで嫉妬しなくちゃ

     ならなくなるじゃない」

     「え?」

 

      思いもかけないマリューの言葉に吃驚するムウを尻目に、艶然とした笑みを浮かべたままの

     マリューは頬を撫でる手を滑らせて肩へと置く。その手つきがまた艶めかしくて、ムウの内の

     情熱を煽りたて、衝動が高まっていく。

 

     「わたしね、意外と独占欲の強い女みたいなのよ」

 

      ムウの下肢へどんどん熱が集中しつつある事に気付いているのかいないのか、マリューは挑

     発するような笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。

 

     「あなたのことなら何もかもわたしのものにしないと気が済まないの。ムウのケモノじみた欲

     望も何もかも、たとえ僅かな事でも他人に委ねるなんてイヤ」

 

      だから、と、マリューは続ける。

 

     「たとえ単なる欲望の処理のためとは言え、ムウが他の女に反応するなんて許せないの」

 

      判る?

 

      そう言って落とされたキスは噛み付くように激しくて。

      これまで受身なマリューしか知らなかったムウは、ただ驚くばかり。

 

     「このまま此処が良い? 艦長室へ行く? あぁ、それとも貴方の部屋の方が近いかしら?」

 

      耳元を吐息で擽られながら問いかけられて、一気に熱が高まる。

 

     「も、待てない。このままがいい…」

 

      くびれた腰を抱き寄せ、背中を撫で下ろしながら応えれば、

 

     「じゃ、ちょっと待ってて」

 

      耳朶を軽く甘噛みして痺れるような快感を与えるや、マリューが寄せていた身を引き離す。

      待てないと言ってるのにと、恨みがましくマリューの行動を見守っていると、彼女は壁の通

     信機器へと手を伸ばした。

     優美な指が動けば、ブゥンと軽い音を立てて「サウンドオンリー」の文字が小さなモニター

     ーに浮かび上がる。

 

     「あぁ、ノイマンくん?」

 

      繋いだ先はどうやらブリッジらしい。

 

     「いまパイロット待機室に居るから、何かあったらここへ回して」

 

      艦長なのだからして、マリューが自分の所在を明確にしておくのは当然だ。普段と違う場所

     に居るのならば尚更。

 

     『…パイロット待機室、ですか?』

     「そうよ」

 

      訊き返すノイマンに返した言葉は実に簡潔でそっけないものだったが、浮かんだ笑みは壮絶

     なまでに艶めかしくて、サウンドオンリーでよかったと思うムウ。

      もしも、今の彼女の表情を見る男が自分の他にも居るとしたら、嫉妬に狂ってしまうだろう

     から。

 

     『あのー…』

 

      そんなことを考えていると、モニターの向こうから躊躇いがちに声が続く。

 

     『―――ということは、もしかしてフラガ少佐もご一緒ですか?』

 

     その問いにムウは身体を一瞬強張らせたのだが、マリューはまったく気にした風でもなく

 

     「えぇ、そうよ」

 

     と、あっさりと応えた。

 

     「だから、そうね。なるべく邪魔はしないようにね」

 

      モニターの向こうで相手が息を飲む気配を感じた。

      むろん、ムウとて今のマリューの台詞には大いに驚かされたのだが。

 

     「どういう心境の変化?」

 

      通信を終えて戻ってきたマリューを広げた両腕で迎え入れながら訊ねれば、

 

     「別に。ただ悟っただけよ」

 

      実に簡潔な応えが返る。

 

     「どんなに否定しても、わたしが貴方を好きなのは事実だし、わたしの内に貴方を欲している

     部分があることもまた事実なんだもの」

 

      言いながら、抱き寄せられるままにムウの手に身を預けるマリュー。

 

     「そして、躊躇ったり迷ったりするほど時間がないってこともね」

 

      柔らかな身体を抱きしめたムウが慣れた手つきで、しかしどこかもどかしげに軍服を緩め、

     素肌をまさぐるのに任せて、マリューは甘く湿った吐息を漏らしながら、白い喉を大きく仰け

     反らせた。

 

     「限られた時間は有効に使わなくちゃ、ね」

 

      とさりと音がして、背中がソファに押し付けられたことを知る。

     軽く閉じていた目蓋を開いたマリューは、首筋から胸元へと口唇を這わせるムウの少しくす

     んだ金の頭を愛おしそうに撫でると、細い指を差し入れて髪の毛を絡め取り襟足を弄ぶ。

 

     「要するに覚悟を決めたってこと?」

 

      胸元に赤い花びらを散らしながら問いかければ、

 

     「何とでも言っていいわ」

 

      余計なお喋りはお仕舞いとばかりにマリューがムウを引き寄せ、自分から口唇を重ねて、濃

     厚なくちづけをせがむ。

      貪欲に求めてくる舌に応えてやりながら、ムウもまた、己の身の内に膨らんだ欲望に突き動

     かされるままに行為に没頭していった。

 

 

      それから無機質なパイロット待機室に艶やかな喘ぎ声が満ちていくのには、そう時間はかか

     らなかった。

 

      いまはただ、ふたり、蜜の時間に溺れていよう。

      何も考えずに、ただ互いの熱だけを感じて過ごそう。

 

      結末の見えない未来。

      二人に許された時間は長くはないのだから。

 

 

 

END

 

                            2004/10/31 オフライン発行
                            2005/4/21 UP

 

 

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