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           Anniversaryprologue

 

 

 

 

            ざざ

               ざざざざー…

 

            夜明け前の砂浜。

            寄せては返す波が奏でる協奏曲だけが、仄暗い中、静かに流れていく。

 

            さくり。

           さくり。

 

            静謐な時が支配する空間に紛れ込む人影。

            それは薄いシフォンのドレスを纏い、ショールを肩に掛けた女性だった。

 

            さくり。

           さくり。

 

            肩より少し長い栗色の髪をそよぐ風に遊ばせながら、彼女はただゆっくりと波打ち際を歩いてゆく。

 

            さくり。

           さくり。

 

            ほっそりとした白い素足が柔らかな砂を踏みしめる度に生まれる音は、波音に絡んで融けあい、新

           たな和音を紡ぎだしていく。

 

 

            ざざー。

           ざざざざー…

 

            さくり。

           さくり。

 

 

            しばらくハーモニーを楽しむかのようにゆっくりと歩を進めていた彼女は、やがて立ち止まり、足

           元を見つめていた視線を上げた。

 

            次第に明るさを増していく水平線を見つめるうちに、暗い水面を割るようにして走り抜けた一筋の

           金の矢が、彼女の鳶色の瞳を射抜く。

 

            それを契機に歓喜に溢れた光があたりに満ちて、モノクロだった世界を金色に染めていく。

 

            金色の夜明け。新しい一日の始まり。

 

            空いっぱいに広がっていく光に世界は色めき、目覚め、新たな息吹を始める。

 

            けれど、圧倒的なまでのその光の奔流は、彼女の内面(なか)の辛い記憶を呼び起こし、胸の奥、ツキンと

           した微かな痛みを生ましめた

 

 

           『――俺ってやっぱ不可能を可能に…』

 

            目の前で光に消えた彼。

 

            けれど。

 

            運命は悪戯にも『奇蹟』という名の残酷な夢を彼女の前に降り立たせた。

 

 

           『―――嘘…』

 

            震える声。

           冷たいトリガーにかかる指さえ、彼女の意思を離れて凍り付いて動かなくなってしまう。

            なのに、向けられたのは無機質な笑みと一発の銃弾。

 

           『キミが愛した男は死んだ』

 

            此処にいるのはただの亡霊さ。

 

           『だから忘れろ。あんな莫迦な男のことなんかさ』

 

 

            そうして混迷と騒乱の果てに、彼は再びこの世から姿を消した。

            二度までも彼女を護り、彼女と彼女の愛する艦を庇って。

 

            また、同じことを繰り返して―――

 

 

           『俺のことなんか忘れちまえよ。そして俺じゃない誰かと幸せになりな』

 

           「なんて酷い男性…」

 

            自分勝手で、残されるものの想いなどお構いなく、自己満足の極みに身を沈めた。

 

           『いいな、マリュー』

 

            最後の最期に名前を呼んだ彼の声が今も耳に残っている。

            軽いようで、万感の想いの込められた、その声。

 

            「忘れろ」

 

           と、彼は言った。

 

            彼は本当に信じていたのだろうか。彼女が彼を忘れて他の誰かと生きていく事ができる、と。

 

            だとしたらとんだ大間違いだ。

 

            忘れられる筈なんてない。

            この想いはもう心の奥底に焼き付いて、誰にも消す事などできない。

 

           「ほんとうに莫迦な男性―――」

 

           あんな莫迦な男を彼女は他には知らない。

 

           でも…

 

            愛している。

            ただ彼へと向かう心を、もう止めることはできない。

 

            だから、

 

           「忘れてなんてあげない」

 

            なんて愚かな女と呆れられようと構わない。

 

           「ずっと憶えている」

 

            彼の声。彼の仕草。彼の罪と、その愛と。すべて。

 

           「ずっと愛してる

 

            光溢れる水平線を見つめる彼女の瞳に一粒の涙が零れ、まるで宝石のように煌めきながら頬を伝え

          ば、悪戯な風が舞い降りて雫を攫っていった。

 

            その行方を追うように頭を振って、ふと視線を落とせば、これまで残してきた足跡は波に攫われて

           消えてなくなり、行く手にはどこまでも続く砂浜が広がるばかり

 

           それを見た彼女の貌に覚悟を秘めた微笑が宿る。

 

            通り過ぎたあの日々にはもう帰れない。帰らない。

            あるのは、行く手に広がる何処へ辿り着くとも知れない長い道だけ。

 

            もう一度だけ瞳を伏せたあと、彼女はフッと笑って顔を上げた。

 

           「消えてしまったなんて信じない」

 

            奇蹟は起こるのだと一度は知った身に、二度目の奇跡は無いと誰が言えるだろう。

 

           「待っている」

 

           だから待ち続けるのだ。

            運命が再び『奇蹟』という名の夢を纏って彼女の前に現れることを。

 

           「あなただけを待ち続けるわ。―――ムウ…」

 

 

 

            そうして彼女――マリューは再び歩き出す。

 

 

 

            いつか辿り着けるであろう終の棲家へ続く、長い長い道を―――

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                        2005/03/27 発行 無料配布小冊子より
                            2005/5/10 UP

 

 

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