「待ってみようと思ってるの」

 

       いっそ清々しいほどの笑みを浮かべて、その女性はそう言った。

 

      「あのひとは必ず帰って来るって、そう思えるから―――」

 

 

 

          Beginnings

               Everlasting-zero

 

 

 

       凄惨を極めた戦場に停戦を呼びかける放送が流れる。

       主戦派の主導者が斃れ、ジェネシスを失い、進むべき途を見失ったザフト軍、そして主戦力

      と月基地を失い、また独善的な未来を思い描いて世界を歪めてきた陰の盟主を葬られた連合軍。

      そのどちらもが明確な指揮系統もなく、ただ無秩序な混乱の只中にあって、これ以上戦闘を続

      けられる筈もなく、両者はひとまず矛先を納め、話し合いのテーブルにつくことを是としたの

      である。

 

      あくまで、「ひとまず」ではあるが――−

 

       それでも、互いに手を取り合う未来を求めて、心有る者たちは途を探して奔走した。

       停戦間際、ザフトにも連合にも属さぬ第3勢力として平和への途を模索した者たちもまた、

      それぞれの陣営に拠って、新たなる道を探る。

      ラクス・クラインを初めとするエターナルの面々はプラントに在って、疲弊した人々の心を

      癒し、差し伸べる手を確かにするために歩み始め、獅子の心を受け継いだカガリ・ユラ・アス

      ハを掲げる「クサナギ」は、喪われた祖国の再興と同時に、中立の理想を青き大地に根付かせ

      るための活動を始めた。

       そんな中、先の戦闘で恋人を目の前で喪うという悲劇に見舞われた、白き天使の艦、アーク

      エンジェルの艦長、マリュー・ラミアスは、深い哀しみに身を沈めたものの、多くの時を置か

      ずに立ち上がるや、まず大西洋連邦を相手に巧みな交渉を続け、敵前逃亡艦として処断されか

      ねない罪を不問とさせ、自らと艦のクルーたちの復権を認めさせた。

      彼女たちにとって、まずは宙に浮いたままの自分たちの身の安全を確保する事、それが最重

      要課題であったのだ。

      理念や理想はその後のこと。

      彼女はこんな不甲斐ない艦長に最後まで付いてきてくれた部下たちと、その生命を賭してま

      で自分を救ってくれた男のためにも、まずは自由に動き回れるための道を確保しなければなら

      なかったのである。

       その交渉はなかなかに困難なものであったが、エターナルやクサナギの後援を受け、また時

      には自らが体感したアラスカの悲劇や恋人の命懸けの行動すら交渉の道具に使って、彼女は望

      む道を手に入れた。

      そして最終的にはアークエンジェルの連邦からの離脱及びオーブや中立国が中心となって設

      立された平和維持機構への参加まで認めさせたのである。

       そのしたたかとさえ言えるほどの交渉ぶりに、非難がなかったというわけではない。時には

      悪意を含んだ声が聞こえてきたりもしたが、彼女は一向に気にする事もなく、己が目指す道を

      拓いていった。

 

      「何も知らない他人が何と言おうと構わないわ。判って欲しい人たちは皆、ちゃんと理解して

      くれてるしね」

 

       気遣う部下たちに、彼女はそう話したという。

 

      「あのひとがここにいたら、きっと『また何もかもひとりで背負い込んじゃってまぁ。気負う

      のもいい加減にしな』って苦笑うんでしょうね」

 

       そう言って微笑む表情は決して儚くも淋し気でもなく、ただ落ち着いていて、深くクルーた

      ちの胸を打った。

       彼らは改めて、本来、彼女の隣りに在るべき筈だった男の喪失を忌まわしく思う。

       残酷な運命の采配を呪いながらも、毅然と前を向いて立ち、歩いていこうとする彼女の背に

      惜しみない忠誠を捧げた。

       だれもあの男の代わりにはなれない。共に並び立つ事はできない。

      けれど、せめてもの支えにならんと、彼女の後に続いて新たなる道に歩を進める決意を固め

      たのだった。

 

 

 

       そうして時は過ぎ、幾度かの交渉と決裂と、粘り強い説得と譲歩、新たな混乱の火種の勃発

      と共存を願う人々の強い祈り、様々な事象を孕んで世界はうねり続け、やがて人々の尽力は停

      戦条約の締結へと結実する。

       それはヤキン・ドゥーエでの最終攻防戦から半年が過ぎようとした頃であった。

 

 

 

      「これで、やっと、マリューさんも一息つけますね」

      「そうね。肩の荷がひとつ降ろせたと言うべきなんでしょうね」

 

       あくまでもひとつだけだけど、と付け加えながら、彼女はいつもの温かく包み込むような笑

      顔を向ける。

 

      「まだ、ひとつの区切りを迎えただけなんですもの」

 

       停戦条約の締結と同時に、アークエンジェルは正式に平和維持機構の独立部隊として任命を

      受けた。艦長たるマリューには中佐の位が与えられ、ヤキン・ドゥーエ最終攻防戦において、

      ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルの暴走を止めようとして重傷を負ったものの、沈むド

      ミニオンから辛くも救出されて一命を取り留め、先頃療養から復職したナタル・バジルール少

      佐を始めとした従来のクルーに加え、新たに配属された部下たちを率いる事となった

 

       迎える者もあれば、艦を去る者も居る。

 

       アークエンジェルが新たなる一歩を踏み出す事となったこの日、何人かのクルーが新たなる

      夢を追うために艦を離れる事になっていた。

       現在マリューの前で別れの挨拶をしているキラ・ヤマトもそのひとりだった。

       ほんの偶然から戦いに巻き込まれ、様々な葛藤の果てに、人の業の一番深い部分にまで踏み

      込まざるを得なかった少年は、逡巡ののちに銃を捨てる道を選んだ。

 

      「モビルスーツに乗って戦うだけが平和を得る方法じゃないと思うから」

 

       そう話す彼は、自分にしか出来ない方法で戦うために、もっと色々な事を学びたいとカレッ

      ジへと戻っていく。そしてゆくゆくは失われたヘリオポリスの再建に係っていくのだと言う。

 

      「僕は僕にしかできないことで、世界に報いたいと思うから…」

 

       それは彼らしい選択だとマリューは思った。だから別れを淋しいとは思ったけれども、引き

      留めるような事はしなかった。元より、彼女は誰をも引き留めようとは思わなかったけれども。

       ここまで付き合ってくれただけで充分だから。

       だから、微笑と労いでもって一人一人を送り出している。

 

      「これまで、本当にありがとう。あなたには辛い思いばかりさせてごめんなさいね」

      「いえ、マリューさんに謝ってもらうことじゃないです」

 

       選んだのは僕ですからと、きっぱり言い切るキラに、マリューがなんとも言えない表情を浮

      かべる。

       それを見ながら、キラは急に不安になった。大きな哀しみを抱えたまま、新たな困難に実を

      投じようとしているこの女性を、果たしてひとりにして良いものだろうか、と。

 

      「…マリューさんは、ホントにこのままで良いんですか?」

      「え?」

      「だって、ムウさんがいないのに」

 

       怪訝そうに見詰めてくるマリューに対して、思わず口に出してしまった彼のひとの名前。

       言ってしまった後で「しまった」とばかりに表情を歪めたキラに、マリューはふっと息をひ

      とつ吐き、力を抜いてこう言った。

 

      「心配してくれてありがとう。でも、わたしなら大丈夫よ」

 

       そして、いっそ清々しい程の微笑を浮かべながら、こう続けたのだ。

 

      「待ってみようと思うのよ」

 

       意外な言葉にその意味を掴みかねて、怪訝な表情を浮かべるキラに対して、くすっと笑いを

      零したあと、マリューは更にこう続けた。

 

      「あのひとは必ず帰って来るって、そんなふうに思えるから」

 

       ますます困惑を深くするキラに「あぁ、そんなに心配しないで」とマリューは笑った。

 

      「別に現実逃避してるとかそんなわけじゃないから。ただね、どうしてもあのひとが死んだな

      んて思えないだけなの」

 

       確証は何ひとつないけどそんな気がするのだとマリューは語る。

 

      「確かに目の前でストライクが散るのを見たし、遺品として回収されたヘルメットも貰ったわ。

      でもね、あのひとはどこかで生きているような気がするの。それも、時間が経てば経つほど、

      不思議とそんな思いは強くなっていくのよ」

 

       だからこそマリューは必死でアークエンジェルを守ったのだ。

      彼が戻る場所はここだから。

       いや、彼ならば喩えマリューが艦を離れていようとも、必ず居場所を探し出してくれるだろ

      うとは思うけれども、それでもマリューが彼を待つ場所はアークエンジェルしかないと思う。

 

      「だから、わたしはここにいるの」

 

       そう言うマリューの表情は胸を打つほどに穏やかだった。

 

      「ここで彼が帰ってくると信じて、気が済むまで待って待って、待ち続けるつもり」

      「それでも帰って来なかったら?」

 

       いつか諦める日が来るとしたらと、意地悪くもキラは問いかける。

       けれど、マリューは意外とサバサバとした様子でこう答える。

 

      「その時はその時で、それからどうするかを考える事にするわ」

 

      それを聞くと、キラの胸にも安堵感が生まれ、明るい表情を取り戻す。

 

      「判りました。じゃ、僕も信じてみることにします」

 

       たぶん、これで良いのだろう。心配は要らない。

 

      「でも、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね」

 

       最後にひとつ気遣いの言葉を残して、キラは笑顔で艦を離れていった。

       そしてマリューは新しい軍服に袖を通す。

       いつか訪れるかも知れないその日を迎えるために。

 

 

 

       そして目まぐるしく日々は過ぎて、新たな任務について2ヶ月ほど経った頃、アークエンジ

      ェルに届けられる一本の報告。

 

      『よぉっ、久し振り』

 

       モニターに映し出された姿と、憶えのある声に一同が息をすることさえも忘れる。

 

      『やぁっと少しは身体が動かせるようになったのは良いんだけどさ。アシがないんで、悪いけ

      どさ、宇宙まで迎えに来てくれる?』

 

       いつもどおりの軽い口調と、変わらぬ笑顔を見るうちに、マリューの視界は滲み、あとから

      あとから止めどなく涙が零れる。

       其処彼処から沸き起こる歓声で騒然となったブリッジで、涙を拭ったマリューは、艦長とし

      て発進命令を下す。

       現在は傷ついて羽を休めている鷹を本来の巣へ迎え入れるために。

 

 

 

       そして、ふたりの本当の未来はここから始まっていく。

 

       再会のその時から。

 

 

                           END

                          2003.11.25UP

 

                    思い立ったら吉日。一晩で書き上げちゃったよ(苦笑)。

                    とりあえず緊急UPってことで。後書き、言い訳はまた後日ね。

 

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