□眠り姫の達観………或いは開き直り

 

 

 

征士に保護されて、無事に小田原の山荘へと戻ったあたしは、心配して集まっていた一同に「ご

めんなさい」と殊勝に謝ると、自分の部屋へと引きこもった。

さぞや厳しいお説教が待っていると思いきや、みんな一様に優しくて、あれこれと気遣ってくれ

て、あたしはなんだか益々落ち込んでしまった。

いっそボロクソに罵ってくれたほうが良かったのに。

みんな優しすぎるわ。

あたしを甘やかし過ぎよ。

だから余計に刹那くて、あたしはどうして良いか判らなくなる。

みんなの顔を見ることさえできない。

そんな気持ちを持て余して、持て余して、持て余したあたしは、結局、ひとりになることを選ん

だ訳だ。

部屋にひとり篭もって、心行くまで落ち込もうとしていたのに。

優しくて、お節介で、心配症で、あたしのことを構いたくて仕方の無い五人組みは、あたしをひ

とり静かに放っておいてはくれなかった。

「ナスティ、ナースティ。ご機嫌はいかが?」

「美味しいお茶を煎れたんだけど―――」

「とっておきの秘蔵ビデオなんか手に入れたんだけどさ、興味ない?」

五人が代わる代わるひっきりなしにやって来ては、あたしの部屋のドアを叩くの。

あたしはそれを無視し続けた。それでも彼らは諦めず、あの手この手であたしを誘いだそうとす

る。

「今日の夕飯はナスティの好きなチキンポットパイを作ってみたよ。これがなかなかの出来栄えなん

で、是非ナスティに食べてもらいたいな」

「伸の渾身の手料理を粗末にすると勿体無いと思うぞ」

でも、あたしは夕食すらも拒否した。第一、こんな気分じゃ食事も喉を通るはずがない。それは

あたしにとって当然のことだったわけだけど、心配する五人はそうは思わなかったみたい。

やがて業を煮やした五人は信じられない行動に出たのだ。言葉で説得出来ないのなら、あとは実

力行使に訴えるしかない訳で。

つまり彼らは力任せにドアを押し破るという、いささか短絡的で乱暴な方法でもって、あたしを

外へと引きずり出したのだった。

 

 

「なっ…なんなのよっこれはっっ」

大音響と共にドアが蹴破られ、五人が部屋の中へ乱入してきたとき、流石のあたしも驚きを隠せ

なかった。

「一体どーゆーつもりなのっ?」

「まぁまぁまぁまぁまぁ、落ち着いて」

少しばかり慌てふためいて声を上げても、五人は平然と構えてて、まったく意に介した様子も無

い。

「部屋に引きこもって落ち込んでばかりじゃ」

それどころか両脇から抱えるようにしてあたしを捕らえると、

「暗いだけだよ。ナスティ」

あたしが何とか逃れようと、じたばた暴れるのも何のその、

「こんな時はね、パァーッと派手に騒いで」

まったく有無を言わせず、

「嫌なこと全部忘れちゃうのが一番さ」

階下へと連れ出していく。

「ちょっと、ええいっ、もぉっ、離しなさいよっ」

ばたばたばた。自由な足をバタつかせてもがくけれども、あたしを抱える腕はビクともしない。

あたしはそれがとっても腹立たしい。

あんたたちね、花の乙女の身体を一体何だと思っているのよっ。

別に落ち込んでたって良いじゃない。

どーしてひとりにして於いてくれないのっ。

だいたいねっ、犬や猫の仔じゃあるまいし、あたしがこんな扱いを受ける筋合いなんて、全然無

いんだからっっ。

そんな風に憤っているうちに、あたしが連れてこられたのは、天井が総ガラス張りになっている

自慢のサンルームだった。

「さぁ、着いたよ」

「え………、うっわぁ、キレイ………」

ようやくに解放されたあたしは、眼前の光景に思わず感嘆の声を漏らした。

昼間はさんさんと降り注ぐ陽の光によって明るく暖かいその部屋も、夜になると趣が変わって来

る。

いつもなら夜は閉じられるカーテンも全開にされ、見上げればそこには満天の星空がひろがり、

照明を落とした部屋の床のあちこちに置かれたランプが、ろうそくの淡い光を揺らして、とても幻想

的な空間を作り出していた。

そして床に所狭しと広げられているのは、古今東西の銘酒珍酒の数々と、伸や秀が腕を振るった

のであろう豪華なおつまみたち。

つまりは、宴会の準備がすっかり整えられていたのだった。

「どう? 気に入ってくれた?」

伸がにっこりと笑って問い掛けながら、グラスにシャンヘペンを注いでいる。この、どこかの洒

落たバーかクラブのような空間をコーディネートしたのはきっと彼に違いない。昔っから伸はこーゆ

ーセンスが良かったもの。

そんなことをぼぉっと考えていると、

「まぁまぁまぁ、とにかく座って」

始めようぜと、遼があたしを急き立てて座の中心のあたりに座らせた。

「ナスティは何が良い?  俺、秘蔵のウィスキーの逸品を持って来たんだけどな」

にっこり笑顔で勧められても、先刻まで自己嫌悪のドツボにはまっていた身としては、ちょっと

まだ宴会って気分でもないんだけど。

でもみんなはそんなあたしの気分などお構い無しに、次々と酒を勧めて来る。

「何言ってやがる。酒はやっぱ老酒に限るぜ。中国4千年の味と香りをたっぷりと賞味してくれよ」

「秘蔵の品というのならわたしも負けんぞ。ナスティ、これは酒所で有名な金沢の蔵元から取り寄せ

た幻の銘酒といわれる逸品なのだぞ」

日本人ならやはり日本酒を嗜むべきだと頷く征士に対して、

「ばか者。夏と言えばビール。それも生! これしかないだろーが!」

きゅっと冷えたビールをなみなみとついだ大ジョッキを掲げた当麻までもが乱入して来て、途端

に辺りは喧々諤諤の大騒ぎ。

そんなところへ、

「なぁーに言ってんだか。君たち、大事なことを忘れてないかい」

ウェイターよろしく銀のトレイを掲げた伸が優雅な仕草で割り込んで来る。

「ナスティはね、フランス人なんだよ。フランスと言えばシャンペンに決まってるだろ」

そうして差し出される、優美なバカラのグラスに注がれた淡いゴールドの液体の美しいこと。

「君の生まれた年のワインも用意してあるんだけど、どっちが良い?」

「ナスティ、ナスティ、まずは水割りからだよね?」

「ワインなら中国にだってあるぞ。ほらこれは桂花陳酒といって、口当たりがとってもフルーティで

飲み易いんだぜ」

「日本酒の味わいもワインにも負けんぞ」

「だから夏はビール、ビールって言ってるだろ!」

あたしの目の前にズラリと差し出された色とりどりの器に入れられた数々のお酒たち。それを順

次眺めやって、あたしは深い息を吐いた。

「………判ったわ」

こうなったらもう仕様が無い。

「もぅなんでもトコトン付き合っちゃおうじゃないの!」

あたしは落ち込むのをやめて、すっかり覚悟を決めた。

みえみえの手なんだけど、みんなの思惑に乗せられてあげるわ。

「もぉワインでも日本酒でもビールでも何でも持って来て頂戴!」

途端に周囲から歓声が湧き起こり、狂乱の宴の幕が上がった。

あたしは差し出されたお酒を片っ端から飲み干し、山海の珍味を贅沢に使って作られたおつまみ

に舌鼓を打った。

どのお酒も料理も本当に美味しくて、だんだんとあたしの気分も楽しくなって来る。我ながらな

んて現金な奴だとは思うけど、でもお酒や料理に罪はない。人間、美味しいものを食べてる時が一番

幸せなのかも知れないわ。

そんな訳で、半ば自棄糞で調子に乗って色々なお酒をチャンポンで頂いてしまったあたしは、当

然の帰結として、結構早い段階で見事な酔っ払いと化したのだった。

 

 

「―――あーらら、とうとう潰れちゃったみたいだぜ」

「案外、脆かったな」

「そりゃあれだけ無節操に飲めば当たり前でしょ」

遼たちの声が頭の上からする。

流石のナスティ様も5人がかりで攻められちゃ敵わないってことか」

この声は当麻ね    なんだか失礼なことを言われているような気がする。けど、まいいか。なん

だか頭がフワフワしていて、とっても良い気持ちなんですもの。

思わずうふふと不気味な笑い声を漏らしながら、手近にあったふかふかのクッションを抱きしめ

たあたしに、今度は次第に睡魔が忍び寄って来る。

このまま眠り込んでしまいたいかも。

相変わらずとっても幸せな気持ちでうふうふと笑みを漏らしていたあたしの傍で、誰かが動く気

配がした。

「――――――――――」

なにか言われたような気もするけど、うーん、判んない。とにかく眠い。

このまま眠っちゃおうかなぁ、なんて思ったあたしは、身近に温もりを感じて、無意識にその温

もりに擦り寄って目を閉じた。

「――――――――――」

また何か言われたけど、頭ん中ふわふわのあたしはまたしても聞き取れなかった。でも、そんな

こと、もうどうでも良いの。

ここはあたたかくてとっても気持ちが良いんですもの。

思わず身じろいで離れようとする温もりをぎゅっと掴んで引き止めたあたしは、もう逃さないぞ

とばかりに更に強く擦り寄った。

頭の上で誰かの深いため息が聞こえたような気がしたけど、そんなことにはまったく構わず、あ

たしは本格的な眠りに入っていった。

 

 

気がついた時、目に飛び込んで来たのは淡い金の光だった。

気分は相変わらずふわふわしていて、頭ん中だけじゃなく、本当に空でも飛んでいるのかと思う

くらい、身体の方もふわふわと浮いている感じがした。

あたし、どーしたのかしら―――?

瞳を巡らせれば、金の髪のとても綺麗な天使の顔が見えた。

夢?  幻? それとも―――?

あたしは思わず天使の横顔へと手を伸ばした。それに気づいた天使がゆっくりと口を開く。

その声を聞かなければ、あたしは天国へでも迷い込んだのかと思っただろう。

「ナスティ? 気がついたのか」

その声は紛れも無く征士のもの。

陽を弾く淡い金の髪に、夜明けの色の優しい瞳。心配そうにあたしを見つめる顔がすぐ近くにあ

って、あたしはすこしだけ焦った。

「あたし、どーしたの?」

「酔いつぶれて眠ってしまったので、部屋に運ぼうとしていたのだ」

そう、あたしはまさに征士に抱きかかえられて運ばれている途中だっのだ。どうりで身体が浮い

ているような感じがしたわけよね。

そんなことを思っているうちに部屋へと辿り着いた。みんなが蹴破ったドアは、まだそのまま立

てかけてあった。

「一両日中には修理するから、今晩はこのままで我慢してくれ」

そういう征士の言葉に、あたしは少し呆れていたけれど「ま、いっか」と頷くことにした。今更

他の部屋に移るって言っても面倒くさいし、第一、あたしのお気に入りのベッドを運び出すのは生半

可な仕事じゃないもの。それに他のベッドで眠るのも嫌だったし。

そういうあたしの意向を受けて、征士派あたしの身体をそぉっとあたしのお気に入りのベッドへ

と降ろしてくれた。そのまま離れようとするのをあたしは引き止める。

だって離れたくなかったんですもの。

「ナスティ」

困ったような声があたしの名を呼ぶ。けれどあたしはいやいやと頭を振って、その首にしがみつ

いた。

「いや。もう少しここにいて欲しいの」

今のあたしはまだお酒が残っている所為か、自分の感情に素直だった。そしてかなり我侭だった。

そんなあたしの様子に征士は小さなため息を漏らした。けれど酔っ払いには勝てないとばかりに、

結局はあたしの望むとおりにしてくれた。

「………仕様がないな」

征士はあたしの半身を抱き起こすと、自分はベッドの淵へと腰掛けた。

あたしは征士が自分の願いをきいてくれたことが嬉しくて、その胸にすりすりと擦り寄る。する

と優しい腕があたしの身体を抱き寄せて、そのまま暖かい温もりで包んでくれた。

あたしは益々嬉しくなって、更に深くその胸に顔を埋めた。

「気分が悪いとか、具合が悪いとかいうことはないか?」

あたしの髪を撫でながら、征士が問い掛けて来る。それにあたしは首を振って応えた。

「随分と呑んでいたので少し心配なのだが…」

…だなんて、酒を勧めた張本人の一人のくせによく言うわよね、とあたしは思ったけど、それは

口に出さずに、かわりに征士の長い髪の一房を掴んで軽く引っ張った。

「ねぇ、これ、どーしたの?」

征士のキレイな金の髪の輝きは、あたしを救うために失われてしまったはずだった。それが今は

どうして昔と同じ金の光を湛えているのだろう。それに心なしか征士の全身が淡く光っているように

見えるのは何故かしら。

掴んだ髪の一房を弄びながら訊ねるあたしに、征士は苦笑を返しながら応えてくれた。

「あぁ、これは光輪の霊力を少し解放したからだろう」

あたしの体調を心配して、癒しの力を持つ光輪の光を注いでくれているのだそうだ。そう言えば

征士の身体を包む光は、あたしの身体をも包んでいる。目覚めた時最初に見えた光は光輪の光だった

のだ。

「普段は封じている光輪の霊力を解放すると、全身に光の霊気が宿る。特に髪の毛は霊気の篭もり易

い場所だからな」

光の気によく反応するからこんな風になってしまうのだと言って、征士はまた苦笑した。

「もしかして、昼間、あたしを探し出した時も霊力を使ったの?」

あたしはあの時の事を思い出して訊ねた。あの時はあんまり余裕がなくて気が回らなかったけど、

あの時の征士の髪も確かに金色をしていたわ。

果たしてその通りと征士は笑って答えた。

「君を探すために少しだけ光輪の霊力を使ったのだ」

全身に光の気を集めて、それでもってあたしの気配を探ったのだという。

「わたしとしてはこの姿は少々派手に目立ち過ぎて、あらぬ詮索をうけるので、あまり好きではない

のだがな」

そう言って征士は苦笑を浮かべる。

確かに長い金の髪をしたお医者様なんて、ちょっと派手すぎるかも知れない。でも、だからと言

って短くすることはできないのですって。もっとたくさんの光輪の霊力を必要とする時、髪の毛は光

の霊気を集める媒体にもなるから、長ければ長いほど良いらしいの。

「しかし、このおかげでナスティを探し出すことができたのだからな」

感謝せねばな。

そう言って笑う征士の髪は、霊力を使った名残でしばらくはこのままなのだそうだ。元に戻るま

で病院には顔を出せないなという征士の言葉を聞いて、あたしはまたまた嬉しくなった。

だって、そんな不都合さえ構わずに、征士はあたしのために霊力を使ってくれたのだ。そこまで

大切に思われていると知って、嬉しくないわけがない。

けど、そんなあたしの幸せな気分も、続く征士の言葉に掻き消されてしまった。

「しかし、なんでまたあんな無茶をしたのだ。当麻はちゃんと勉強が終われば外出も許可すると約束

していただろう?」

後先考えずに突っ走るとは君らしくない。そんな風に言われて、あたしは思わずムッときた。そ

して悔しいやら、淋しいやら、情けないやらのごちゃごちゃもやもやした感情を思い出して混乱して

しまった。

「………だって悔しかったんだもん」

「はぁ?」

征士が間の抜けた声を上げる。無理も無いわよね。支離滅裂な答えだもの。

「だって、みんな、いつのまにか大人になっちゃって、物凄く格好良くなっちゃって、余裕の態度で

あたしのこと扱うんだもの」

「………なんなんだ、それは?」

征士が理由も見えずに問いかえすのも判るけど、もともと酔っ払って論理的な思考を失ってしま

っているあたしに、ちゃんとした答えを求めるのが間違っているのよ。

「自分たちだけ先に大人になっちゃって、狡い。狡いわっ。おまけにしたり顔であたしの保護者です

…なんて、許せないわ。そんなの冗談じゃないわ」

あなたたちの手を借りなければ何も出来ないなんて、情けなさ過ぎる。

以前のあたしはみんなの姉であり、同士であり、頼もしい導き手でもあったのに。

ひとりで何でもできたのに。

それが今はどう?  頼られる立場から頼る立場へ。まったく逆転しているじゃないの。

もう、悔しくって、悔しくって、でもそんな気持ち、どうしたら良いのか判んなくって。

ぐちゃぐちゃした気持ちをなんとかして晴らしたかっただけなの。

「こんなにみじめな気持ちになってるなんて、征士にはちっとも判らないんでしょうね」

あたしは此処ぞとばかりに思っていることをすべて吐き出した。それは、今なら酔っ払いの戯言

で済ませられる。そんな打算が働いたのかもしれないし、相手が征士だったからかも知れない。

「こんなことならあのまま眠っていれば良かった」

そうしたらこんな思いを味わわずに済んだのに。

すると、それを聞いた征士は、即座に「それは困る」と言った。

「どうして?」

「ナスティがいなければ、わたしの人生が意味の無いものになってしまう」

その答えにあたしは思わず目を丸くした。

「それって、どういう意味なの?」

真意が知りたくて問い返せば、征士はとびっきり優しい瞳で見つめ返しながら答えてくれた。

「愛する女性のいない人生なんて、淋しすぎるではないか」

愛する女性!  あたしが?

征士の答えにあたしは益々驚いてしまった。

でも、征士の瞳は相変わらず優しい光を浮かべたままあたしを映している。第一、光輪は嘘をつ

かないものだ。その言葉は嘘ではないらしい。

「わたしたちは君を何としてでもこの手に取り戻したかった。それは君が命の恩人だからという訳で

はない。君を失った時、君がわたしたちにとってどれほど大切な存在であったかを思い知らされたか

らだ」

だから様々な手を尽してあたしの存命と復活のために奔走したのだという。その苦労は並大抵な

ものではなかったそうだ。けれど彼らはそんな事も厭わずに事を成し遂げたのだ。すべてはあたしを

取り戻すために。

「君を取り戻す事ができて、わたしたちが今どれほど浮かれているか、判るだろうか?」

だから目覚めなければ良かったなんて言わないでくれと、征士は言う。そうして更に優しい笑み

を浮かべて言葉を続けた。

「君を取り戻すまでに10年もの歳月を必要とした事は、わたしたちにとっては少々誤算だった。け

れど、その誤算がもたらした時の魔法の悪戯に、わたし自身は感謝さえしている」

征士の語る時の魔法の悪戯。それはあたしのイライラの原因でもあるアレだ。

「君はわたしたちが君の年齢を追い越した事を悔しく思っているようだが、わたしはむしろ嬉しくて

堪らないのだがな」

「何故?」

「昔のわたしには三つの歳の差というものは大きな障害だったのだ」

本当に嬉しくて堪らないといった表情を浮かべながら、征士はなおも続ける。

「あの頃の君は常にわたしたちの姉であり、保護者であろうとしていただろう?  だからそんな君

をいつしか心憎からず想うようになっていたとしても、とても口に出せる雰囲気ではなかった」

たしかに征士の言うとおりだった。あの頃のあたしは、随分と気を張って生きていたものだ。な

んせ18の若さで五人の子持ちになってしまったようなものだったもの。

「ならば、わたし自身が己を鍛練し、どんなことからも君を護れるようになれば、君から頼られる存

在になれるのではないかと考えたのだが………」

そこで征士の表情が少しだけ悔しさに曇る。

「三つの歳の差というものは予想以上に大きく、わたしがどれだけ努力しても飛び越えられないもの

だった。追いついたと思っても、気がつけば常に君は一歩先んじている。わたしがどれだけ足掻いて

も、わたしは君にとって《手のかかる弟たち》のひとりにしか過ぎず、ひとりの男性として見ては貰

えなかった」

そのことがとてもとても歯痒かったのだと征士は言う。

あの頃のあたしは、征士がそんな風に考えてたなんて思ってもみなかった。いや、もしかしたら

無意識のうちに考えようともしなかっただけなのかも知れないけど。

あたしは驚きながら彼の話の続きを待った。

「でも、現在は違う。現在のわたしは、あの頃の背伸びしても君に届かなかった少年ではない。君を

護るための力も地位もある、ひとりの男性として君の前に在る」

そして征士は、まだ驚きに呆然としているあたしの身体を抱き寄せ、そっと胸に抱き締めた。

「なんの気負いも躊躇いも無く、こうして君を抱き締めることができるようになったのだから」

暖かな胸に抱き締められ、優しく髪を撫でられながら、あたしは何故だかとても安心した気持ち

になっていた。

ずっとずっと、あたしは気を張り詰めて生きて来た。

あの頃も、そして目覚めてからも。

あたしを取り巻く環境が激変していても、昔と同じ気持ちでいたのだ。

だからこんなにイライラしていた。

どうしても気持ちの切り替えができなくて、どうして良いか判らなくって混乱していた。

征士の言葉は、そんなあたしの心に静かに染みてきて、イライラを鎮めてくれる。

あたしは、あたし自身すら知らずにいた、あたしが昔から欲していたものが何だったのかを、彼

の腕の中で知ったような気がした。

だからそれを確かめるために口を開く。

「それって本当?」

疑う訳じゃないけど、より確かなものにしたいから。

「本当にそう思ってる?」

「本当だとも」

即座に肯定の言葉を返してくれた征士は、

「ナスティ、君を愛してる」

あたしを抱く腕に力を込めながら、更に待通りの言葉をあたしにくれる。

「こうして君を抱き締めることができて、本当に嬉しく思っている」

なんだか涙が零れてきた。

「………あたし、もう、あなたに甘えても良いのね?」

征士の胸で涙を拭きながら訊ねれば、「当然だとも」との声が返ってきた。

「ナスティはもっとわたしに甘えても良いのだ。もっともっと我侭をいって、何もかも委ねてくれて

も構わない」

現在のわたしはそのために力を手に入れて来たのだから。

「愛する君を護るために、君の望みを叶えるために、わたしはここにいるのだから」

優しい言葉を聞いてると、涙は後から後から溢れて来て止まらなくなった。でも、あたしは無理

にそれを止めようとは思わなかった。泣きたいだけ泣けば良いというように、征士が背中を撫でなが

ら、相変わらず抱き留めていてくれたから。

だからあたしは昼間、征士が迎えに来てくれた時と同じ様に思いっきり泣いた。

涙と共に心にわだかまっていた様々な思いがすっかり流れていってしまうまで、泣いて泣いて、

泣き続けた。

その間、征士はずっとあたしの背中を撫で続けてくれた。そしてあたしが望めば望むだけ、優し

い言葉を贈ってくれた。

「征士、征士、これからもずっとそばにいてね。あたしだけを置いてけぼりにしたりしないでね」

「大丈夫。ナスティを独りになどしない。わたしがずっと君を護るから安心して欲しい」

約束の言葉を聞きながら、あたしは再び目を閉じた。

そうしてあたしは征士の腕の中で、彼にすべてを委ねたまま夢路へと旅立ったのだった。

とても幸せな気分を抱いて―――――

 

 

 

翌朝、あたしは軽い頭痛と共に目が覚めた。

苦虫を噛み潰したような表情をしながら身体を起こせば、頭の中で羊が百匹くらいダンスしてる

みたいに痛む。

「う〜ん、どうやら昨日のお酒がまだ少し残っているみたいね」

そのことにあたしはすこし情けない思いをしたのだけれど、でも、考えてみると、あれだけ無節

操に呑んでおいて、この程度で済んだって事は、やっぱり征士のおかげかしら。

そこまで考えてあたしは部屋の中に征士の姿が無い事に気づいた。

「そー言えば征士はどーしたのかしら?」

昨夜、征士はあたしが眠るまで側にいてくれたはず。もしかしたらその後も一緒にいてくれてた

のかも知れないけど、すっかり寝入っていたあたしには判んないわ。

でも、どちらにせよ、規則正しい生活を信条としている彼のことだもの、いつも通りに早起きし

て、あたしが起きて来るのを待ってるに違いない。

そう思ったあたしはベッドを降りて、着替え始めた。

動く度に頭が軽く痛む。

そんな風に体調はイマイチだったけれど、でも、気分はスッキリしていた。

昨日までのイライラした気分も何処かへいっちゃって、晴れ晴れとした気分だった。

やっぱり昨夜、征士を相手に言いたい事全部ぶちまけたのが良かったのかも。

「それに約束も貰ったし」

あたしは思わずうふふと笑ってしまった。

そんな幸せな気分のままで、着換え終わったあたしはみんなのいるリビングへと降りていった。

そこには案の定、五人が揃っていて、あたしの登場を待ち侘びていた。

「おはよう、ナスティ、気分はどう?」

早速、遼が一番に声をかけて来る。あたしはそれに笑って答える。

「まあまあね。ちょっと頭が痛いけど」

「二日酔い?」

次いでこれは当麻。相変わらず新聞を山のように積んで片っ端から読んでいる。まったく未だも

って何やってる人だか正体が掴めない彼に、

「かもね」

と短く答えて一瞥をくれれば、キッチンから伸が顔を出してきた。

「すぐに朝食を用意するけど、食べれる?」

「それよりまずミルクが飲みたいわ」

「温かいの? 冷たいの?」

「冷たいの」

あたしのオーダーに了解と答えてキッチンへと戻る伸を見送って、あたしはテーブルへとつく。

「ナスティ、食欲ないんだったらフルーツでも食べるか?  俺、剥いてやるぜ」

「ありがと。でもいいわ」

にっこり笑ってその申し出を辞退しながらも、あたしはこんな風にみんながちやほやしてくれる

のも悪くないなと思い始めていた。

こうなってしまったのも仕方ないこと。あとは現状を受け入れて、尚且つ、利用できる特権は特

権として享受して逞しく生きて行こう。

どうやらあたしはすっかり開き直ってしまったらしい。

幸いにもあたしを甘やかしてくれる人間には事欠かないし、それに征士だけは何があってもきっ

とあたしを見捨てたりしないって約束してくれたし。

そしてあたしは斜め前にいる征士へと視線を向けた。するとそれに気づいた征士が読んでいた新

聞をたたんだので、あたしはちょぃちょいと手招きした。

「どうした?」

「ね、ここへ座って」

席を立って近寄ってきた征士を、あたしは自分の隣に座らせるとその腕をとって擦り寄った。

「どうかしたのか?」

「いいからここにいて。征士が側にいると気分が良いから」

「気分が悪いのなら薬を調合するが………」

なんて医者らしく征士は言うけど、薬より何より征士がいてくれる事の方があたしには効くみた

い。

「だからここにいてね」

開き直ったあたしは我侭全開。でも征士は何も言わずあたしの言う事を聞いてくれる。そのこと

がとっても嬉しくて、あたしの笑顔は深くなる。

やがて冷たいミルクが運ばれてきた。

伸は相変わらず優しくってよく気が利くし、残る三人もあたしのことを第一に考えてくれる。

こんな美味しい状況、楽しまなくっちゃ損よね。

望めば「世界」すらも手に入れてくれそうな、素敵な五人の騎士たちに囲まれて、あたしの未来

はきっと薔薇色に輝くだろう。

眠り姫も悪くない。

昨日までの鬱々とした気分とはうって変わって、あたしはにこやかに笑って、みんなに今日は何

をねだろうかと考え始めたのだった。

 

 

 

          THE HAPPY END

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