アリ園長のひとりごと(2009) バックナンバー 2018年/2017年/2016年/2015年/2014年/2013年/2012年/2011年/2010年
12/31(木) 【お礼】
26・7日の餅つき&しめ縄イベントも滞りなく運び、今期を無事終えることが出来ました。何の基盤もなく、思いだけで始めたしょうりき山里公園が一応形になってきたのも、多くの方のご支援と、これまで僕を育ててきてくれた、これまた多くの方々のお陰です。深く感謝申し上げます。
まず、前職の社長・竹内さんと創業メンバーの吉次さん、そして会社の皆さん。30代をこの会社で過ごしたことが自分の大きな財産となり、ここで学んだことで何とかここまで来ることが出来ました。その経験がなければ今はありません。卒業生として胸を張って今後もチャレンジし続けていきたいと思います。
次に、退職後も私を応援し続けて頂いている元クライアントの皆さま。会社を超えて個人としてお付き合いいただけていること、本当にたくさんの勇気をもらい続けています。
そして、全国に散らばっている先輩・同級生・後輩の皆さん。初年度、37家族と接点を持たせて頂いた中の大半であり、皆さんがいなければそもそもこの事業をすることができませんでした。20年間音信不通の僕を温かく受け入れ、会員として直接ご支援いただいたいること、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また、忙しい中、何度もしょうりきまで足を運んでいただき、本人だけでなくご家族みなさんともご縁を持てたこと、何より励みになり、たくさんの学びを頂きました。
また、ご協力いただいた近隣の農家さんにもぜひお礼をお伝えしたいです。農業素人の僕に野菜の作り方を懇切丁寧に教えて頂き、また一生懸命作った野菜を出荷いただき、お陰さまで旬の野菜セット宅配は多くの皆様に喜んでいただけました。今回こうやって新たな農地を貸していただいたこと、エールとして受け止めさらに精進していきたいと思います。
最後に、献身的にしょうりき山里を支えてくれたスタッフのみんな。本当にありがとう。
皆さま全員に良い年がおとずれますように。
有政 雄一@雪景色のしょうりきにて
12/22(火) 【しめ縄】
最終イベントの準備で新竹さんのお宅にうかがった。
新竹さんは本当に芸達者な方だ。アスパラ農家としても名を馳せておられるが、日本舞踊の師範であり、三味線も相当の腕前。そして、しめ縄の作り手としても有名で、この時期新竹さんのしめ縄目当てに産直市に来るお客さんも多い。
作業場に入り、しめ縄作りの一連の工程を見せて頂いた。奥様と二人一組になり、もち藁(もち米の藁、ふつうの藁より強い)を編むところからスタートする。“あんこ”と呼ばれるワラで作った芯(これも手作り)を入れ、両手で拝むように3組の藁をねじり1本の藁縄ができていく。一見簡単に見えるが、実際これが難しい。そうやってできた藁縄を3本ねじり、更に太い藁縄を作る。その太い藁縄をさらに2本ねじって、外枠の藁縄がようやく完成。ふぅー、やれやれ。それにしても夫婦の息がぴったり合って動きに無駄がない。まさに阿吽の呼吸とはこのことだろう。
ちなみに土台には、こうして作った藁縄が3本使ってあるので、どれだけ手間がかかっているかご想像頂けるだろうか。しかも、これはあくまで土台の話であって、この後飾り付けをさらにしなければならない。これまた色々ある。ウラジロ、ダイダイ、ボンボリ、マツ、赤い実(名前を忘れた)、小さな扇子みたいなもの、御祓いで使われるような白い和紙etc。新竹さん曰く、素人が作ろうと思ったら1日がかりで、かつ出来上がる保証ができないとのこと。本当なら藁をあむところからしたかったのだが、製作難易度的にも時間的にも厳しいと思いプログラムを再考することにした。
しかし、こうして作るプロセスを見ると考えさせられる。
おそらく昔はそれぞれの家でしめ縄を作っていたのだろう。農作業が終わり新年を迎えるまでの閑散期、夫婦や親子で恒例行事として藁を編み、それに縁起物の飾りをつけて来年の多幸を願った。ダイダイは代々家系が続くように、ウラジロ(葉の裏が白いシダ植物)は髪の毛が白くなるまで長生きできるよう、などなど。
自ら人生を切り開くことが良しとされている現代、神に頼むのは弱者の逃げ道のように感じてしまう。でも、1年間農業をやってみて、自らの努力では及ばない大きな力を感じることが多かった。要は台風が直撃すれば、長雨が続けば、いくら努力しても田畑は駄目になってしまうということ。
だからといって手を抜いていいという話ではない。努力でカバーできる領域も大いにある。いや、まじめに努力しないとそもそも野菜はできない。その努力をして、運よく天候にも恵まれて収穫できた時、人は天に感謝する。まじめにやれば天が味方してくれると感じる。そして、来年もそうであって欲しいと願う。
まじめに働かないと生きていけない、けれど、まじめに働いてもどうしようもないこともある。それを受け入れるために神に頼む。農業と日本特有の天候変化や天災が日本人の性格に影響を与えてきたように思えてならない。その農業から人々が離れるにつれて日本人の性格も変化をしているような気がする。
いつの間にかしめ縄は買うものになり、今や必要ないものになりつつあるが、年に一度ぐらいは自分たちでしめ縄を作りながら、それぞれの飾りに思いを乗せ、来年の多幸を八百万の神に祈るのも一興かも!
12/16(水) 【凡才万歳】
来期の目標をどう立てるか、思案が続いている。
昨年立てた事業計画を改めて読み返してみる。まず、退職を決意した8月ごろ、ふわふわとした文言と夢のような数字が並び、理想とイメージだけで作成したことが良く分かる。当時は相当考えて書いたつもりだったが、今となっては笑ってしまう内容。例えば当面の実益と農家とのネットワークを目的に「移動型のコーヒーショップ」を真面目に考えていた。東京にいる時には同形態の店の視察とかもしたのだが、この通りやっていたら今頃自己破産していたと思われる。
その後、里親・塾・野菜直売所など、思い付くたびに書き直しをした。広島に帰って2週間ほどリフレッシュをした後、開始を4月と決めて改めて計画とスケジュールを練り直した。山に登ったり、子どもたちに協力してもらいながら考えをまとめ、友人やスタッフに見せ、様々な意見をもらい、焼き直しを重ねた。
そうやって出来たのが今期の計画だ。細かい修正はあったが、この計画に沿ってここまでこれたことを考えると、それなりに現実感のあった計画と言える。(もしくは、実現容易なストレッチ度の低い計画だったという見方もある)
さて、来期はどうすべきか。3年目に事業として離陸させるための非常に重要な1年となる。広島に帰ることで腹をくくったつもりだったが、実際やってみると1年前とは比べものにならないほどの覚悟が必要だ。何をするかはあらかた決めている。問題はどの辺りまでストレッチする目標にするか。いずれにしても今期の継続ではたぶん3期目はない。
しかし、何度やっても自分の考えを文字や数字に変換するのは難しい。頭の中では絶えず色々なことが浮かんできて、たまに「これだ!」と思い紙に書く。が、まず文字化するところで苦労し、やっとの思いで書きあげて見返すと何だか薄っぺらい物に見えてくるのが悔しい。
自分の考えをそのまましゃべった方が100倍楽だ。伝わった気にもなる。でも、それじゃ駄目だ。実現可能性を高めるためには、文字におとし、行動レベルまで内容を詰め、なるべく数値化し、しつこいほど伝え、しっかり準備し、結果を必ず振り返ること。地味だけど凡才が事をなすためにはこれを繰り返すしかない。うーん、凡才は辛い。。。
12/9(水) 【人事を尽くして】
日曜日にお歳暮を発送した。
「既製品ではなく、心のこもった記憶に残るようなお歳暮がアリのところでできないか?」友人から相談を受けたのは夏前だった。事あるごとに何かと応援してくれる彼は、お歳暮を通じてしょうりき山里の宣伝になれば良いと考えてくれたのだろう。誠に有り難い話ではあったが初めは躊躇した。
まず、「贈り物に耐えうるものができるか」、そして「日頃お世話になっている方々に感謝の気持ちが伝わるか」、もう一つ「記憶に残すことができるか」。安請け合いして変な物を送ってしまうと彼に迷惑がかかる。
考えがまとまったのは2か月後、彼ら親子が田植えをしたお米をメインに、田植え写真入りの個人別メッセージカードを付け、正月に使う野菜を入れ、外箱は収納BOXとしてそのまま利用できるものを使うというもの。包装はなるべくシンプルに和紙で内熨斗を覆う簡易包装にした。それと、彼の好意でしょうりき山里の案内も入れさせてもらった。洗練された贈り物とは言い難いが、手作りの温かさや感謝の気持ちはそれなりに伝わったのではないかと思う。
と、ここまでは宣伝。来年は皆さまもお歳暮に家族で田植え&稲刈りをしたお米はいかがでしょうか。是非ご検討下さい!お申し込みお待ちしています!!!
で、そのお歳暮の反響がどうだったのか母も妻も気になるらしい。今回は両名があれこれ考えてくれて、かつアイデアも相当反映されているので無理もない。テスト結果を待つような心境だろうか。僕はというと、もちろん良い反応は返ってきて欲しいが、あまり気にならない。正確に言うと、気にしないようにしている。
「心配しても状況が変わらないことは心配しない」ことを意識しはじめたのは社会人になってからだろうか。もともと心配性な性格で、高校時代は試合の前日眠れないことが多かったし、大きなプレゼンをした後などは結果が気になって仕方無かった。翌日の早朝に結論を聞こうと電話して怒られたこともある。往々にして自分の身勝手な心配から起こした行動は裏目に出ることが多い。
それよりも、悩まないといけないのは準備段階の方である。考えに考えて、これだ!と思って、いやもっと良い方法があるのではとまた考える。試しにやってみてまた考える。前準備がしっかりできれば、実行が楽しみになってくるし、結果はついてくるものだという心境になれる。まさに「人事を尽くして天命を待つ」ですな。
このことを学生時代に自覚できていれば相当学力が上がっただろうな。テストが楽しみなんて思えなかったし、準備もろくにしていないくせに結果ばかり気にしていた。こちらは「後悔先に立たず」
これで本年の宅配系の仕事は終了した。イベントもあと2回で今期は終了する。その後は来年の4月の再開まで準備期間となる。再開した時に「人事を尽くして天命を待つ」くらいの心境になれるようにしたいものだ。
11/30(月) 【最終の宅配→働く】
昨日、今年最終の野菜宅配が終了した。
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最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。
農業体験と旬の野菜宅配を基本に、貸農園や季節の贈り物など、今回皆さまから頂いたヒントをしっかりと咀嚼し改めて「しょうりき山里公園第2期」のご案内をお送りさせて頂きます。来年も是非是非宜しくお願いします!
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5月から始めて計7回、何とか終えることができたのも協力農家さんのご協力があってこそだ。特に小早川さんには野菜を出荷頂いただけでなく、品揃えから美味しい食べ方、宅配の際の注意点に至るまで本当に色々お教え頂いた。
そして、奥野さん。大きな畑(チャレンジ畑)を快くお貸し頂き、また様々な野菜の種や苗を頂戴した。散歩がてら、ふらっと立ち寄って頂いては、野菜の作り方を教わった。宅配したナスビも枝豆も白豆も奥野さん直伝だ。本を読んだだけではたぶん上手くできなかった。
なんでそんなに知っているのかと問うと、ひとこと「小学生の頃から作りよったけえの」
その昔、子どもは重要な労働力だった。奥野さんも小学生の頃から牛で田を鋤いていたらしい。牛糞や人糞を畑に入れるのも子どもの仕事、生きるために当たり前のことであり、それを疑うこともなかったろう。そんな生活の中で野菜の作り方を覚え、人の作り方を参考にし、日々の農作業を工夫し、何でも自分でできるようになっていった。奥野さんだけではない、小早川さんも新竹さんも、うちの親父も、地元のお年寄りはみんなそうだ。
学問の“知識”ではない、生きるための“知恵”を彼らはたくさん蓄積している。そして本当によく働く。
「日々の生活」=「働く」なのだ。子どもの頃から「学ぶ」と「働く」が直結もしくは同居した状態は現代ではなかなか考え難いだろう。子どもの仕事は勉強だとよく言われるが、勉強を仕事と認識できる子どもがどれほどいるだろうか。
勉強が将来働くための準備ならば、今の勉強はあまりに「働く」には遠い。おそらく学校で「働く」を強く意識させるのは難しいだろう。だったら家で働けば良いのだ。単なるお手伝いではなく、もっと家を支えている実感が持てるような仕事。その意味では農作業はとても適していると思う。
大学生の就活相談で良く受けた「僕はどんな仕事をしたらよいのか」「自己分析に苦労していまして」という質問の背景にあるものが見えたような気がする。働くのが前提になっていないから起こりうる現象であり、彼らは「学ぶ」から「働く」にスイッチを切り替えるための理由を探しているのではないか。自分がどんな仕事に向いているなんて絶対的な正解など無い。自己分析は面接用の材料集め程度に考えた方がよく、自分で自分を正確に分析することなど元々できることではないのだ。
どうも、この手の話になるとヒートアップしてしまう。いかんいかん。この辺りで今回はおしまいです。
11/25(水) 【Happening】
久しぶりに再会した福岡からの来客と四方山話をしていた時だった。
奥でゴトンという大きな音がして座ったまま覗き込んでみると、暗い廊下の先に白い塊が見えた。一呼吸おいて、それが母であることに気付き駆け付けた。何か叫んだはずだが全く覚えていない。
ゆっくり上体を起こし、頭を腕で支えて、呼吸をしているか確認する。何か喉に詰まっているようなら気道を確保しなくては、出血はしていないか、どこか打っていないか、冷静に冷静に…、などなど色々な言葉が頭の中を駆け巡る。
永遠のような一瞬が過ぎ、「うー」という声が漏れた。気丈に振舞おうと「もう大丈夫」とつぶやく声に力がない。救急車を呼ぼうとしたところで生気を取り戻し始め、いったん様子を見ることにした。
ベッドまで運ぼうと体を抱えると驚くほど軽い。こんな体で畑の重労働をこなしていたことに愕然とした。バカな息子の夢に体を張って付き合ってくれている母がここにいる。俺は母の寿命を縮めているのではないか、家族まで巻き込んで無謀なことをしているのではないか。。。1年前に決着を付けたはずの葛藤が蘇ってくる。
すこし経って帰宅した父と妻が病院に連れて行き、問題なかったとの連絡が入る。家の中に再び活気が戻ってきた。
いや、みんなが付き合ってくれているのではない。はじめはそうだったのかもしれないが、暗中模索しながら色々やってみて、1年近くが経ち、それぞれがしょうりき山里に自分の意義を見つけ、役割を自覚し、自発的に行動しはじめている。わざわざ車を飛ばして福岡から来てくれるご家族の存在(本当にアリガトネ!)、それを我がことのように喜んでいるスタッフ、そして次の日のイベントも当たり前のように手伝っている母。「もう死ぬのは怖くない」とぽつりと漏らした。
心配だから休めとは言うまい。死んでもいいから一緒に最後までやりたいと思えるような、そんな状態を作り上げていくのが言いだしっぺの役目なのだ。。。でも、倒れそうな時には早めに言ってね。
11/18(水) 【星降る夜に】
最近、ちょくちょく星を見ながら夜歩きをしている。
七夕頃の天の川も悪くはないが、星の輝き・見える数から考えると圧倒的に冬の星空に軍配が上がる。蛇の心配をしなくてもよいのも好都合だ(田舎の夜歩きは結構危ないのです)。
ピンと張りつめた空気の中で、満天の星を見ながらしばし思いにふける。遠くで鹿の鳴き声が響き、山は吸い込まれそうに黒い。徐々に雑念が消え、刺すような寒さが集中力を高めてくれる。そして、しゃきっとした頭で再び仕事に取り掛かる。あれこれ考えるのに山里の夜歩きは結構お勧めです。
先日、スタッフの一人から「市内で野菜を売ってみないか」と相談があった。聞けば、知り合いが大きなスーパーの前で花屋をしており、人通りが多いので軒先を借りて並べたら売れるのではないかとのこと。早速近所の農家さんや弟に協力してもらって野菜を揃え(残念ながら自家栽培の野菜は出せるものがなかった)、翌日売ってみると見事完売。友人からはお歳暮の相談があり、あれこれ企画を考えた末、お受けできることになった。
広島に帰ってもうすぐ1年。事業のヒントがこうやって増えてきたのも、支援して頂いているみなさんのお陰だ。これを本当に形にできるか、今日も夜歩きしながら考える。
11/9(月) 【昼と夜と朝と】
朝から山の道具置場に群生していたカヤを刈った。
新しい畑の土壌改良&有機肥料として使うため、刈ったカヤを集め2台の軽トラに積んで運んで降ろすを何度も繰り返すうちに、畑の一角に巨大なカヤの山ができた。最後のカヤを運び終わった時、俊助が軽トラの荷台からカヤの山めがけてジャンプし、奇声を発しながら斜面を転げ落ちてく。それを見た佳穂も続き、そのうち飛び込み前転になり、前方宙返りへと発展していった。
汗だくになりながら飽きもせず繰り返しているのを、昔の自分に重ねながら眺める。ワラの山で遊んだ記憶がまざまざと蘇る。ワラのちょっとカビ臭いような枯れた匂い、湿ったような感触などを今でも体が鮮明に覚えているから不思議なものだ。今日の記憶を二人は思い出す日が来るだろうか。
昼食をはさんで、新たにお借りすることができた田んぼの草刈りに取り掛かる。3人がかりで2時間で終了、日暮れまであと1時間ほどあるので、続いて母とカヤの“押し切り”をする。2m以上の背丈になったカヤはまるで竹のように固く、そのままではたい肥になり難いので細かく切っていく必要があるのだ。僕がカヤを束ね、母が“押し切り”に体重をかけて「ザクッ」っと切る。見た目は非常に地味な単純作業ながら、これがなかなかの重労働。さっきまで楽しい遊び場になっていたカヤの巨大な山に今度はウンザリする。半分ぐらい終わったところでTime UP。
ひと風呂浴びて、そろそろ夕食の時間かなと思っていたところに訃報が入る。遠い親戚で僕に釣りを教えてくれた人が63歳で逝った。小学生の僕を防波堤・岩場・渓流・ルアーと休みのたびに色々連れて行ってくれた。半年ほど前、30年ぶりに一緒に釣りをしたのが最後の別れとなった。少年野球の関係で俊助もお世話になっており、佳穂も何かと気にかけてもらっていたので、おそらくこれまでで最も身近に感じた死なのだろう。通夜に一緒に行きたいという。現地に行って、対面して、二人は何を感じるだろうか。。。今はただご冥福を祈りたい。
そんなことを考えていたら、広島県知事の選挙速報で高校の先輩たちが応援していた候補者が当選したことを知る。ここ数カ月は仕事そっちのけで選挙応援したらしいので現地はさぞかし盛り上がっているだろうな。
悲しい別れあり、死力を尽くして戦った後の嬉しい結果あり、皆それぞれの夜を過ごしている。そして等しく朝は訪れる。
11/3(火) 【キャベツ全滅】
ひと雨ごとに気温が下がり、畑を渡る風に冬の気配を感じるようになった。
収穫の終わった畑を耕し来年の準備に勤しむ。すっかり殺風景になった畑を見ながら、野菜があった頃の光景を思い出す。
ラディッシュ・えんどう豆・絹サヤ・オクラ・ゴーヤ・ヤーコン・チンゲンサイ・モロヘイヤ・スイカ・イチゴ・カボチャ・ナス・キュウリ・ピーマン・ワサビ・万願寺トウガラシ・トウガラシ・トマト・ダイコン・ニンジン・レンコン・エビス茶・キャベツ・白菜・白ネギ・セロリ・枝豆・白豆・小豆・長芋・里芋・サツマイモ・ジャガイモ・ゴボウ・玉ネギ、そして米。これからニンニクとソラ豆。
こうして挙げてみると、結構色々作ったものだ。我ながら上手くできたものもあったし、大失敗したものもある。特にキャベツとカリフラワーはモンシロチョウのために作ったようなものだっだ。ひらひらと飛びまわるのがだんだん悪魔の舞に見えてくる。青虫に食べられレースのようになった葉を目の当たりにし、虫の住処と化したカリフラワーを手に取り、どうやって無農薬で乗り切るか思案するが、画期的な解決策は見つからず。
やられっぱなしでは癪なので、芯まで虫が喰っていないキャベツを選別し、悪い所を落としてザワークラウトを作ることにした。子どもたちとワイワイ言いながら樽に漬け込む。2週間後を楽しみにしておこう。
今日は長イモを収穫した。妻と佳穂が悪戦苦闘し40分かかって何とか地中深くから掘り出した、粘りの強い真白な長イモのとろろが夕食のおかずを彩る。よく見れば、食材のほとんどは自家栽培のものだ。
静かに手を合わせ食事を始める。そんな日常に感謝しながら。
10/27(火) 【叱る】
少し前の話になるが、娘のハンドボールの試合を見に行った時、どなり散らしている監督がいた。
集合が遅いと言ってはどなり、ユニフォームが用意できていないと言ってはどなり、キャッチミスをしてどなり、シュートを外して更にどなる。ビクビクしながらプレーする子どもたちを見て気の毒になった。おそらく普段の練習でもそうなのだろう。
全国大会にでるぐらいなので、その育成方法も効果があるのは事実である。クラブでスポーツをするからには、より高い競技レベルを追いかけるのは当たり前だし、試合に勝つことが自信やモチベーションにもつながる。何より「やりきった」経験は、スポーツのみならず人生においても良い影響をもたらすはずだ。
しかし、である。そのクラブの主体、主人公は誰なのだろうか。監督が勝つ喜びを感じるために選手がいるのではない。主人公は選手一人一人であり、その力を最大限に発揮できるようにサポートし、チーム力に変えていくのが監督の仕事だろう。監督の言う通りに動くことを子どもたちに強要し失敗すれば怒る。恐怖で子どもたちをコントロールするのは、子どもを尊重していないような感じを受けて、どうも馴染めない。子どもたちはサーカスの虎ではないのだ。
時にはしからなければいけないこともある。強い気付きを与えたい時や深く考えて欲しい時、強い口調で伝えたり手を上げるのも有効な方法の一つだとは思う。ただしそれは劇薬でもある。使うタイミングを冷静に判断できる状態でこそ有効に使える処方箋なのではないだろうか。感情に任せた理不尽な叱り方をしても反発を生むだけだ。叱られた相手は、それが自分のことを本当に思って言っているのか、ただイライラをぶつけているだけなのか、それとも責任転嫁をしているのか結構冷静に見ている。
感情をコントロールできる懐の深さと、上手な叱り方を身に付けたいものですね。
10/20(火) 【火の用心】
秋真っ只中。
日々高くなる空と呼応するように気温が下がり、乾いた風が心地よい。農作業をしている途中でふと「このまま季節が止まればよいのに」と思う。新米収穫祭も無事終わり、イベントも残すところ後4回になった。
今回の新米収穫祭、お米を美味しく食べてもらうには何が良いかをあれこれ考え、炭火で秋刀魚の塩焼きをすることにした(ちなみに私が死ぬ前に食べたい一品は秋刀魚の塩焼きです!)。ただ、それだけでは面白くないので、+α何が良いか考える中で、副園長から「サツマイモのツルをキンピラ風に食べるのはどうか?」という画期的な意見が出され採用。そう、サツマイモのツルは食べられるのです。
子ども達にチャレンジ畑でサツマイモのツルを収穫してもらい、ツルの皮を一つ一つうぎ(“うぐ”って方言?)、アクで指先が真っ黒になりつつ小1時間で下ごしらえを終了する。これを酒と醤油とみりんで悼めただけの料理であるが、予想以上に好評だった。収穫して自分で調理して田んぼの真ん中で食べる、これだけで十分な調味料なのかもしれない。
15:50頃終了し、反省会もそこそこに小町に移動し、スタッフ総出で40mの畝作りに取り掛かった。真っ直ぐになるように目印の棒を立て、幅を測り、それぞれが好みの農具を携えて土と格闘する。なかなか乾かない粘土状の土がべっとりとクワに貼り付き相当キツイ。日暮れと追いかけっこしながら何とか2本の畝を完成させ、すっかり日の落ちた小町にニンニクを植えた。
途中で根を上げると予想した俊助も最後まで踏ん張り、「達成感あるわー」と夕闇に叫んでいる姿を見てこっちも嬉しくなる。キツイけど畑を作るのは楽しい。多分彼もそれを感じながらクワを振っていたのだろう。(ちなみに彼は翌日ダウンして学校を早退。まだまだやわな奴です)
普段より遅い夕食を家族で囲んでいたら、有線放送(田舎では全戸に町内放送用の有線端末が設置されている)で火事の通報。よく聞くと近くだ。外に出てみると林の向こうに真っ赤な火が見える。山に延焼したらウチも危ないと、佳穂と一緒に現場に走った。
幸い現場は予想より遠く、1戸が全焼したところで鎮火したが、夜空に大きな火柱が立ち、火の粉がまるで赤い星のように舞い上がっている光景を見て、背筋が寒くなった。天ぷら油の引火が原因らしい。車の中でおびえて顔もあげれないその家の奥さんを見て本当に気の毒に思った。
山の中で遭遇したマムシ(子どもたちが噛まれなくて本当によかった)といい、火事の件といい、身近にあるリスクを再認識する良い機会になったと思いたい。
皆さまもどうか火の後始末には十分ご注意を!!
10/13(火) 【ニンジン】
慌ただしくも充実した3連休だった。
土曜日は収穫が終わった後の畑を耕し、チャレンジ畑の草刈り&カヤの堆肥作りをして、トマトの世話をしたらあっという間に日暮れを迎え、日曜日は4時出発のスタッフ旅行、月曜日は同窓生を中心に9家族で田んぼバーベキューが開催された。ちなみに今回のバーベキューは場所を提供しただけで、企画や声掛けは同級生の幹事がやってくれた。(幹事&来てくれた皆さん、本当に有難う!) しかし、、、バスを仕立て乗り込んで来たのには驚いた。運転を気にせずに飲むためとはいえ流石ですな。
性分なのか、目一杯忙しい方が疲れない。逆にダラッっと過ごしてしまった翌日は何だか疲れている気がするし自己嫌悪感に苛まれる。その意味でも本当に良い週末だった。
スタッフ旅行(内容は10/13の「佳穂の週記」をご参照願います)は前々からやりたいと思っていたことだ。一応名目はスタッフへの感謝とイベント企画の研鑽としたが、要は僕自身がこのメンバーと一緒に遊びたい、もしくは僕の好きな遊びを伝えたいのだ。社員旅行のもっと原始的なやつ。家族旅行とも修学旅行とも違う、一緒に事業を作り上げている当事者意識の強い仲間たちと時間・空間・遊びを共有する感覚。僕の独りよがりだったらどうしようと思っていたが、スタッフみんなが予想以上に喰いついてくれて本当に嬉しかった。
何より嬉しかったのは、日曜日が完全につぶれ且つ翌日も朝から部活があることを見越して金曜日の夜には4日分のほとんどの宿題を終わらせたり、試験期間中なのに親と交渉し参加許可を得た(もちろん旅行が原因で成績を下げないと宣言したらしい)中学生スタッフたちの存在だ。
それは、何かを買うことを条件に頑張らせるような「ニンジン」とは本質的に違っていると信じたい。上手く表現できないが、何かでつる・つられたのではなく、仲間と楽しむために先に義務を果たそうとする行動とか、自らのすべきことをした上で初めて得られる自由とか、そんなことに繋がっていれば本当に嬉しい。
ここは現実から逃避する場ではなく、日々責務を果たした上で初めて参加できる雰囲気を、スタッフ自らが作っているような場にしていきたい。そのためには、まずは僕が責務を果たさないといけないな。。。
10/6(火) 【秋の夜長】
あっという間に10月になった。
宅配は今月も含めてあと2回、イベントは年末の餅つきまで残り5回(土日換算で10日程)、途中何度も頭を打ちながら何とかここまでこれたのも、我々の取り組みを温かく支援して頂いた会員の皆さま、一緒に頑張ってくれたスタッフのお陰である。改めて深くお礼申し上げたい。(とはいえ、今期はまだ終わっていないので、引き続き宜しくお願いします)
今の僕にとって、これまでの振り返りや反省は来期の計画そのものだ。イベントが終わるごとに、宅配が終わるごとに考え、その都度「これだ!」と思い、少し経つと「いや待てよ」と思い直す。大きな方向性を出すときには気分も高揚するが、それを実行レベルに落とし込んでいく過程で悩む。思い描いたことと現実とのギャップにいつももがいている。
思い起こせば、営業マンだった時も、責任者をやっていた時も、自分が思い描いたことを言わずにはおれなかった。いい格好しいと思われていただろうが、そうしないと行動しない自分の弱さを理解していた。言った後「本当にできるのか」と悩み、行動段階で自身の無能さを感じ、それでも途中で投げ出さなければ、少しずつでも前進できる。
そんなことをつらつら考えながら、秋の夜長にHPを更新する。初めの頃は更新するのも1日がかりだった。その点では少しは成長したかな。
9/29(火) 【感謝】
日曜日は充実した1日だった。
朝は山に入って年末の餅つきイベント用の薪作りをした。克くん(徳武さん)がチェンソーで木を切り出し、母と私が運び、父と尭志が薪割り機(TOPのトピックス写真参照)で丸太を割るという役割分担で、学校行事に行っていた妻と佳穂も途中から合流し、3時間で軽トラ一杯の薪を作った。
昼食は、前日作っておいたカレーをかき込み、作った薪を軒下に並べて小町(小さい方の田)に移動、田んぼを畑に作りかえる作業に取りかかった。
チャレンジ畑が7畝(1畝は約99u)、その他を合わせると現在1反(10畝)の畑がある。小町は1反2畝あるので、これを畑にすると作付面積が倍増できる。しかし、田んぼを畑にするのはそんなに簡単ではなく、水はけをよくして粘土質の土壌を畑用に改良していかないといけない。稲刈りが終わった後、トラクターで何度も耕し、たい肥を全面にまき、溝を作って水はけを良くした。
この日は、畝作りに取り掛かった。トラクターに溝上げ機を取りつけ、畝のレイアウトに沿って溝をきる。面積が広いのでこの作業だけで相当時間がかかる。その間、他のメンバーはスコップやら鍬やらを持ち、畝作りに取り組んだ。そろそろ腕があがらなくなってきた15:30頃、タイミングを計ったように雨が降り始め作業終了。
途中、写真を撮るために少し高い位置から小町を見た。カメラをのぞきながら、「これを一人でやったらどれぐらいかかっただろうか」とふと考える。全工程を機械を使わずにやるとおそらく1か月近くかかるだろう。薪作りも2.3日では終わらなかったはずだ。休日返上で手伝ってくれるみんなに深く感謝する。
一人でできることなんてたかが知れている。やっぱり一番の財産は仲間、そんなことを再認識した日曜日だった。
9/22(火) 【達成感】
娘が自転車に乗って遊んでいる。
来年から自転車通学をするからだろうか、最近自転車で遊ぶことが多くなった気がする。そんな姿を見て昔を思い出し、初めて自転車に乗った時の事を覚えているかどうか聞いてみた。
よく覚えているという。
たぶん佳穂が4歳くらいだったと思う。当時埼玉に住んでいて、近くにその名も「自転車公園」という古い自転車を無料で貸し出してくれる公園があった。公園フリークだった私は、毎週土日に色々な公園を子どもたちと自転車で巡っており、この公園は月1回のペースで行っていた。すでに俊助は自転車に乗れるようになっており、ちょっと早いかなと思いつつ自転車の練習をするかと聞くと「やる」という。
それが彼女の運の尽き、やるからには途中で投げ出すのは許さない。はじめは軽い気持ちで言ったのだろうが、予想以上に難しいことをすぐに感じ取って何とかやめようとするのを、初めはやさしく、途中から厳しく接しつつ何度もこけそうになるのをサポートする。結局初日は日没終了、涙でシマシマになった顔を見ながら明日も練習すると伝えた。
翌日、および腰の娘の手をひいて朝一で自転車公園に到着。早くも涙目の娘にお構いなく練習を再開する。10回ほどこけそうになった頃だろうか、一瞬バランスが取れた感覚を感じ取ったようだった。こっちを向いて早く次をやろうとアイコンタクト、できるかもという実感が精神状態を真逆に転換したようだ。それから3回ほどで自転車に乗れるようになった。今度は嬉し涙で飛びついてくる。やっぱりシマシマの娘の顔を見ながらこっちも熱くなった。
自転車なんていつかは乗れるようになるのだろうが、状況設定によっては非常に分かりやすい達成感を感じる機会にできる。その達成感の積み重ねが自信になったり挑戦心の源になったりする。
先週からハンドボールの手伝いを週1回することになった。目標を定め、頑張れば成長するという実感や達成感を少しでも感じてもらえるようサポートしていきたい。
9/14(月) 【けんか】
昔はよく兄弟喧嘩をした。原因は全く覚えていないが、しょっちゅう泣かせたことは鮮明に覚えている。
一方、結婚してこのかた夫婦喧嘩はたぶん1回もない。お互いの意見の違いによる議論(他人から見たら喧嘩に見えるかも)は間々あるのだが、それは私利ではなく、お互いが今より良い状態を目指すための意見交換であって、結局相手の主張に屈したとしてもストレスはあまりない。逆に自分よりも深く考えた相手に完敗した爽やかささえ感じる。感情的な喧嘩をしても何の得もないと考えていることも一因だろう。
兄弟喧嘩を見ていると、起きやすい状況があることに気付く。それは喧嘩の直接的原因以前に、その時の精神状態が不安定な場合が多いということ。元々ストレスを抱えていたところに、ある刺激(たいがい些細なこと)が相手から与えられると喧嘩に発展しやすい。
言い換えれば、溜まっていた自分のストレスを、その刺激をきっかけに相手にぶつける行為と言える。ぶつけられた相手は、そのストレスをまた相手に投げ返す。それが繰り返される度に、ストレスがどんどん大きくなっていく。収束するためには、どちらかが泣くか、叩くか、誰かに泣きつくか、ひきこもるか、いずれにしても巨大に成長したストレスを、どちらかが心身の痛みを伴って吸収するしかない。原因はチープでも心身の傷みは甚大だ。
息子・娘から、「学校で誰と誰が喧嘩した」なんて話をよく聞く。いつも出る名前は同じ。誰でも相性の悪い人間はいるし、狭い教室でどうしても目について喧嘩してしまうこともある。時には自分の力を誇示したい時もあろう。ただ、いつも喧嘩をしてしまうその根本原因が、その相手や学校以外のところにあるように思えてならない。
家庭のストレスを背負って学校で投げまくっているのではないことを願う。建物の歪みは一番弱いところを直撃する。
9/7(月) 【エール】
高校の同窓会に出た。
今回は同窓生初の国会議員が出たので、彼の激励会となった。そこにいた同窓生の多くも選挙応援をしたこともあり、みんな我が事のように喜び、何度も乾杯が行われた。
あまり政治には興味がないのだが、人間としての彼には強い興味がある。「なぜ国会議員になろうと思ったのか?」苦労して税理士となり、東京で税理士事務所を立ち上げ、顧客0から相当の苦労をして軌道に乗った頃だったらしい。郵政民営化で小泉ブーム一色の時に立候補を決意する。
前回の選挙で敗れた後、4年を経て今があるわけだ。36歳から40歳まで、人生の中でも気力・知力・体力(=実働力)が充実している時に、成功するかどうか分からない、いつ始まるとも分からない選挙の準備をし続けるのはどんな気持ちだっただろうか。
もう一人、医師から会社を興した同窓生。公立病院の医師として活躍しているさなか、専門領域の縦割りで、発見できるはずの病気が見過ごされている事実を目の当たりにする。周囲の猛反対を押し切って起業を決意、苦労を重ねながら多くの医師を抱える会社組織を作り上げつつある。
この二人に共通する点、それは「問題を自身のことととして捉え、自ら解決しようとする姿勢・行動」だろう。主体性とも、当事者意識の高さとも言い換えることもできる。
人には「関心の輪」と「影響の輪」があるという。関心の輪とは、自分の興味・関心のある事柄の範囲のことだ。例えばプロ野球や政治論議は多くの方の場合は関心の輪の中に入っているだろう。天気やゴシップ記事もそう。その輪の中で話されていることは評論だ。責任を持たなくて良いので話しやすいし、合意形成もしやすい。
一方、自らの言動や行動が影響を及ぼす範囲が影響の輪だ。この輪の中で話されることは真剣な議論となることが多く、しばしば対立もする。皆さんの周りで、例えば飲み屋の隣のテーブルで話されている内容はどうだろう?多くは関心の輪の中での話題ではないだろか。
影響の輪の中で必死に生きている人を見ると元気になる。別に独立起業や議員にならなくても、今いる会社でも役所でも家庭でも意識さえすれば影響の輪の中で頑張ることができる。どんな小さなことでも良い、その置かれた環境の中で、自分が信じることができる大義名分を持ち、それに少しでも近づく行動するだけで良い。強い組織は大義名分を従業員が持ちやすいようになっている。それが心に刺さる企業理念だったり、地に足のついた経営方針だったりする。ちなみに、影響の輪はやればやるほど大きくなるという。たぶん過去一番大きな影響の輪を持ったのはイエス・キリストかお釈迦さまなのではないだろうか。
今回の同窓会は、僕の大義名分を再認識する有り難い機会ともなった。参加して本当に良かった。この二人を始め、主体的に頑張っている同窓生に、改めてエールを送りたい。
9/2(水) 【稲刈り】
稲刈りが終わった。
5/2・3に田植えをして約4か月、天候不順にも負けず無事に収穫までこじつけて一安心。何より田植えに参加頂いたご家族の半数以上が稲刈りにも来て頂いたのが嬉しい。植える時は3本ぐらいの小さな苗だったのが、120日後には大きな株となり、500粒以上の米が採れる生命の力強さや不思議さを少しでも感じて頂けただろか。切り取られた農業体験ではなく、生が芽生えて終えるまでの一連のプロセスを体感して頂きたいのだが、なかなか理想に近づくのは難しい。
それにしても、、、稲刈りはいい。稲をつかんで刈る時の匂い・音・感触。どんどん広くなっていく田んぼ、高い空、乾いた風、干した稲の匂いがする夕暮れ。小学生の頃にタイムスリップしたような感覚に陥る。たぶん五感全てがそれを記憶しているからだろう。田植え後の畔道、夏の川、秋の里山、大晦日の神社に行く雪道、季節ごとに色褪せない記憶がある。
そんな記憶が大事なのかどうかは分からないが、自分の心の奥の、根っこの部分にその記憶群があるような気がする。東京にも大阪にも住んだのにそんな鮮明な記憶はない。根っからの田舎もんなんだろうな。でもそれがなければやっぱり自分じゃない。
8/24(月) 【やれば終わる】
母がよく口にする言葉だ。
野菜の種まきから収穫までだいたい90日、米は120日。種まきや田植え、稲刈りなどの派手な(?)仕事はほんの一瞬で、その期間のほとんどは草取りや水撒きなどの地味な単純肉体労働が占めている。こっちに帰ってきた頃はやることなすこと新鮮で、それこそ草取りも楽しみながらしていたものだが、慣れてくると(特に炎天下では)苦行以外の何物でもない。
まだ色々な種類がちょこちょこあれば変化もあるのだが、それなりの収量を追いかけ始めると、同じ野菜がずらっと40mとか30m×2列とかになり、繰り返し作業が飛躍的に増える。やれどもやれどもゴールは遙か彼方という状態は気分が萎える。しかもやることは次から次へと出てくる。手を抜くと野菜が全滅の憂き目にあう。どんどんこなしていかないといくら時間があっても足りない。
とはいえ、面倒くさい仕事をするのは気合がいる。取り掛かるまでにあれこれいらぬことを考えたりして時間がいたずらに過ぎていく。そんな僕をしり目に、母が「やれば終わる」と言いながら次の仕事に取り掛かっている。
そう、実際に、やればそのうち終わる。
8/17(月) 【捨てる】
東京から客人が来た。
もう5年以上の付き合いになるだろうか。今は某外食チェーンの社長をしている。知りあった頃は某大手商社マンで、仕事での接点がきっかけだった。そんな頻繁に会うわけではないが、何かのふし目の時に互いに連絡を取り合い、飲みに行くような感じの付き合いをしていた。
そんな彼から2週間ほど前にメールがきて、四国の実家に帰省するので家族でそっちにも顔を出しても良いか?との内容。普段は激務続きなので少しは実家でゆっくりすれば良いのにと思いつつ、わざわざ四国から車を飛ばして来てくれるなんて本当に有り難い。彼と私以外はみんな初対面なのに親子ともすぐに打ち解け、野菜の収穫や川遊びを皆で楽しんだ。
考えてみれば、これまで仕事で何人と接点を持っただろう。毎週のように訪問していた顧客もいたし、何度もキャリア相談にのった個人もいた。同期入社のヤツらや職場の同僚などなど、考えてみれば仕事は人との接点で成り立っている。
こっちに帰ってから、これまでのほとんどの人たちと関係が途絶えた。さみしいかと言えばそうでもない。広くなりすぎた人との接点が実は負荷に感じていたのかも。仕事抜きで会いたいと思える人が皆さんはどれだけいるだろうか?もしくは仕事抜きで会いに来てくれる人がどれだけいるか?そんな量を競ってみても意味がない。卒業して、退職して、初めて一生続く人間関係が見える。それはこっちから強く求めるものではなく、向こうから強く求められるものでもない、もっと自然な磁力なんだと思う。そうでないと肩がこる。
引越しの時もそう。いつも間にかものが増え、なかなか捨てられずに部屋のあちこちに生息する物たちを整理するには引越しが一番手っ取り早い。経験則上、残すか捨てるか迷うものに必要なものはほとんどない。
身軽になるとスッキリする。心配しなくても、そのうちまた物が増えてくるんだよな。
8/11(火) 【OFF】
結局すっきり晴れないまま盆時期を迎えた。
露地栽培系農家は心の落ち着かない日々をお過ごしだろう。我々ももう少し心配した方が良いのかもしれないが、有政家はすっかりOFFモード。盆休みは母の実家近くの砂浜で、妹の家族も含めてキャンプをするのがここ数年の恒例行事になっており、すっかり心は海だ。
きっかけは母の胃ガン、退院した時にこのキャンプを企画した。幸い早期の発見で事なきを得たが、親がいつか死ぬことをはっきり自覚した出来事だった。1年後に家族を実家に帰し、僕は単身赴任生活となった。親の面倒みを任せたかったのではなく、親がいるうちに子どもたちに向原で過ごして欲しかったのだ。そのタイミングで家を建てる決意もした。それがなければ、たぶん今でも家族で東京にいたと思う。結果的にUターンしやすい状況ができ、僕も当初の想定よりもかなり早く実家に戻ることにした。この選択が最適だったのかは死ぬ時に分かるのだろうが、災い転じて福となさなければならないし、たぶんなる。(と思う)
それまでの恒例行事はGWの自活キャンプだった。1BOXのレンタカーを4日間借りて、釣具とキャンプ道具をぎっしり詰め込み、「知らない人が見たら夜逃げのようだろうな」なんて家族で笑い合いながら埼玉を脱出。米と最低限の調味用だけ持って行き、おかずは釣った魚でまかなった。キャンプ場なんてくそくらえと虚勢を張りつつ、釣りが出来て(港)、テントが張れて(砂浜)、水がありトイレが近い(公園)という条件を満たす場所をいきあたりばったりで探す。なければ港に車をとめて釣りをしながら車中泊だ。伊豆・能登・牡鹿・新潟・高萩など、毎年場所を変えながら至福の時間を過ごした。
結婚してから東京に転勤になるまでは、両家両親・両家兄弟一同で毎年1泊旅行をしていた。折角結婚したんだから、両家がもっとお互いを知る機会があっても良いと思ってやりはじめた。幸い両家とも楽しみにしてくれて恒例行事になり、松江・唐津・杖立・一ノ俣など中国・九州の温泉地を巡った。今でも両家みんなが仲が良いのは、この旅行のお陰だとひそかにに自負している。
というわけで、明日から3日間不在にします。皆さま、良い夏休みをお過ごしください。
8/3(月) 【同窓会】
小学校の同級生から連絡があった。
3人は定期的に集まっているようで、今日飲むんだけど一緒に来ないかというお誘い。そのうち2人は一緒に中学受験した戦友で私と同様に中学から下宿生活、学校が違ったので28年ぶりの再会となった。顔が分かるか心配していたが、お互いほとんど変わっていない印象で、しぐさや話し方も昔のまんま。小学校ぐらいから人間の基本構造は変わらないもんだとつくづく思った。
ちなみにメンバーは技術者・住職・元ギャンブラー(もちろん今は真っ当に働いているようす)という何の統一感もない面々で、いつもは何を話しているんだろうといらぬ心配をしてしまった。今回の酒の肴はどうも私の身の上話のようで、あれこれ質問攻めにあう。気兼ねせずに色々言える同級生との会話の心地よさに酒も相まって、ついベラベラしゃべってしまった。
つい最近まで小学校はもちろん、高校の同窓会にも出たことがなかった。昔を懐かしむような場がどうも性に合わず避けてきたのだ。それが1年半前の冬に東京で再会した高校の同級生に誘われ、20周年の同窓会に出席したことが転機となった。
年の瀬の大雪の中、100名近くの同級生が集まった。政治家を目指す者、会社を創業した者、ベンチャー企業で頑張っている者、役人、大企業の中間管理職、海外在住者、親の後を継いだ医師など、色々な立場の人間たちが同じ目線で話し、時に損得なく熱く議論ができるのは同窓会ならではだと思った。
その時に言われた一言が今でも心に刺さっている。「東京もええかもしれんけど、広島をもっと盛り上げよーや」
評論ではなく、当事者としてそれを言っていることに純粋に感動した。自分の会社の経営も大変だろうに、彼の目線はもうそんな所を超えていた。我々もそういう世代になり、実際にそれを一生懸命やっている同級生がいることを実感し、このままではいけないと自省した。振り返れば僕がいまこの仕事をし始めた伏線にもなっている。
まだ、地元に貢献できるまでの力はついていないが、早く当事者としてそれができるようになりたいものだ。
7/29(水) ≪お詫び≫今回お送りした野菜の件、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。野菜の鮮度を過信した私の判断ミスです。改めてお詫び申し上げます。
また、本来お叱りを頂くはずの皆さまから、逆に沢山の励ましやお心遣いを頂戴しました。本当に有り難く、また非常に恐縮しております。今後ご期待を裏切らないよう、一層精進いたしますことをお伝え申し上げます。
【視界】
本日、佳穂に付き添って京都で行われている小学校ハンドボール全国大会に行ってきた。
向原(佳穂の所属するチーム)が出場するわけではなく、あくまで見学だ。監督と父兄の飲み会で「全国大会のレベルはどんなのだろう?」という話で盛り上がったのが事の発端で、希望者18人で朝5時集合の車日帰り弾丸ツアーを強行した。
初っ端に見学したのが仏生寺という富山の女子チームで、これが本当に上手い。ボール回しやフェイントなどは中学生顔負けレベル。全国とはかくもレベルが高いのかと驚いていると、前年度の優勝チームだという。しかも全校生徒が30名ぐらいしかいない小さな小学校のチームとのこと。大したもんだ。佳穂たちもさぞ驚いているかと思いきや、「ふーん、そこそこ上手いわね」みたいな感じで、雑談しながら見ていてガックリきた。まだ見るだけではどれぐらいの力量の差があるか理解できないんだろう。
その後、広島大会の決勝で、向原を大差で退けこの大会に出場した甲田の試合も見た。相手の高山は仏生寺と比べるとかなり力落ちる感じだが、結果は甲田が大差で敗北。さすがにこれは真剣に見ていた。自分たちをボロボロにした甲田が、自分たちのようにボロボロにされている状況を見て、現時点で自分たちの力が全国には遠く及ばないのを少しは感じ取ったようだった。
少なくとも、これまで彼女たちから見た頂点は甲田だったはずだ。が、もっともっと上がいることは理解できただろう。彼女たちが今後どこに目標を置いて頑張るのか、目標によって行動がどう変わるのか楽しみだ。
7/20(月) 【400円】
チャレンジ畑でできたナスとモロヘイヤを初めて出荷した。
6月初めにナスは苗を、モロヘイヤは種をまいてこれまで育ててきた。何にしても初めて本格的に作る野菜だ。暑さで意識が飛びそうになりながら畝を作ったり、途中ハダニの襲撃で枯れそうになったり、収穫間際に大雨に祟られたりしたことを思い出す。
出荷先は近くの直売所、叔母がやっているところだ。始めてとはいえこだわって育てたことは伝えたい。「アリさん畑のしょうじき野菜」という案内版を作り、無農薬・有機肥料・露地栽培であることを書き入れる。商売を分かりやすく理解する良い機会だと思い、朝早くから子どもたちにも収穫を手伝ってもらった。
収穫できたのはナスが8本、モロヘイヤが段ボール半分ぐらい。袋詰めしたら2袋ずつになった。見た人がどのような反応をするのか、本当に売れるのかちょっとドキドキする。待つこと6時間、叔母が家にやってきて小袋を渡してくれた。中身を見ると400円、完売だ。
前々職での初受注を思い出した。確か同期入社の社員で競い12人中11位だった。11万5000円、個人経営の美容室からの小さな求人広告で、受注額としては最小レベルだ。他の同期が既に数百万、中には受注額が1000万円を越えている者もおり、なかなか初受注できず相当焦っていた。そんな中での受注、本当に有り難かった。
前職では初受注までに半年以上かかった。前々職でそれなりに実績をあげていたので、会社は変われど大丈夫だろうと高をくくっていたらとんでもなかった。個人でなく会社によって“信用”や“業績が上がる仕組み”が担保されていたことを痛感、小さな会社の中で給与ドロボウ状態の自分に気がおかしくなりそうだった。結局大手企業と競合しても受注するためには、顧客を深く理解し、本当に相手の立場に立ち、且つ成果の上がるものを、死ぬほど考えて、誠実に提案するしか道はないのだと深く心に刻んだ。
たった400円?、されど400円。顔を知らないお客さんが僕たちの野菜を信じて預けてくれたお金だ。このお金の有難さを噛みしめ、もっともっと多くの信用を獲得できるよう頑張りたい。
7/15(水) 【失敗しどき】
カヤをたい肥にした野菜作りに挑戦することにした。
チャレンジ畑は数年前まで水田だった場所で、土が粘土質で水はけが悪い。はじめは畝を高くすることで水はけを良くしようとしたが、雨が降ると土が団子状になってしまい根の発育がなかなか進まない。また、今回のような大雨が長く続くと畝の間に水がたまってしまい、根ぐされを起こす懸念もある。
おそらくこのまま野菜を作り続けていれば根が土壌改良剤となって3年ぐらいで畑の土に変わっていくはずだが、そんな悠長なことは言っておれない。
山で枯葉を集めて入れ込むことを検討するも、かなりの広さがあるため時間がかかり過ぎる。オガクズ入りの牛糞を2トンぐらい買って入れればすぐに終わるのだが面白みに欠ける。。。
悩むこと1か月、懇意にしている農家さんの一言でハタと思いついた。「本当はカヤを入れたら野菜が良くできるんじゃけど、手間がかかってなかなかできんのよ」
農家の仕事の半分は草刈りだ。雑草が生えると栄養をとられてしまうし、土手や畔が雑草だらけなのは農家の美意識が許さない。70歳を超える方々が朝早くから草刈り機を振り回している光景は本当に頭が下がる。
が、休耕地はほったらかしだ。草が生え放題で獣の住処と化している。おそらくそこの所有者も本当は草刈りをしたいのだが、手が回らないのが実情だろう。特に区画整備された斜面にある農地は、土手が急勾配で且つ長く、慣れた人でも草刈り機を振り回すのは難しい。
チャレンジ畑の上も休耕地で急勾配の長い土手。雑草生え放題、雑草の王様・カヤの群生地になっている。聞くと20年ぐらい手つかずになっているらしい。これはと思い、所有者に雑草を刈らせてくれないかと申し出ると予想通り快諾。ただの荒れ地がたい肥畑に変貌した。しかも刈った雑草はそのまま一輪車で運べる距離だ。
本来は刈った後に2.3か月山積みして発酵させ、たい肥にするのだが、これを水がたまる畝の間に敷きつめたらどうかと考えた。雨が降ってもカヤが吸収してくれ水がたまらないし、日除けになって雑草も生えない。上手く発酵してたい肥になるかどうかは分からないが、少なくともそのうち鋤込めば土壌改良剤にはなるだろう。
休耕地の草刈り代行→景観の維持→たい肥・土壌改良・雑草・水はけ対策への活用→安全で美味しい特徴ある野菜作り→休耕地の草刈り代行という循環が完成すれば美しいな。肥料代も実質0円(ただし重労働)、もしかしてこれが地元にも広がってもっと大規模にできたら面白いことになるかも。これはやってみるべきだ。
たぶん営農規模を大きくしていたらこんな簡単に試してみることはできなかっただろうが、これが初年度のいいところ。失敗しても致命傷にはならないし、小さくまとまらず失敗するようなことをやってみないと駄目だ。チャレンジするから失敗もできる。情報を集め・自分なりに考え・やってみるのは本当に楽しい。前職の社長も同じようなことをよく言っていたっけな。
4ヶ月後には結果が出る。
7/6(月) 【追悼】
1枚のハガキがきた。
某外資系生命保険からだ。何だろうと思いつつ裏返すと、担当のご逝去が書かれていた。その生命保険会社では知らない人がいないぐらいの有名人(Kさん)。元々リクルートの営業マンでスカウトされて入社、浮き沈みの激しい業界でずっとトップ成績を上げ続け、年収も億を超えていたとか。彼が紹介されている社内報を別な人にも見せてもらったこともあった。
Kさんとの出会いは約10年前、前々職の時に同僚が紹介してくれて昼休憩にお会いしたのが始まりだ。リクルート繋がり&年齢が近いという親近感、また国内系生命保険会社に大いなる疑問を持っていたこともあり意気投合、全ての保険を切り替えた。
彼の営業スタイルもイカしていた。基本的なマナーはもちろんのこと、国内系おばちゃん営業にありがちな押しと人情みたいなところは全くなく、理路整然と分かりやすいビジュアルを使って説明。大事な部分は夫婦それぞれがしっかり理解したか確認、且ついくつか選択肢(他社の保険も含む)を提示する。またその保険の持つ意味や目的をはっきりと伝え、無駄なものは切り捨てるという非常に安心感の持てるスタイルだった。
よく相談もした。転職するとき、家を建てるとき、Uターンするとき。人生の節目で必ず保険の見直しをし、その都度親身になって最も良い方策を利害抜きで考えてくれた。リクルートの時の営業成績は知らないが、個人営業の申し子のような人柄に触れるにつけ、「人には職の適性ってやっぱりあるんだよな。この人は幸せなんだろうな」と感じていた。本人も天職ですって言ってたっけな。
「私は人様の家に上がらない日(要は営業しない日)は正月だけです」
「社長から営業責任者の打診があったのですが、お客様と向かい合う仕事が好きなので断りを入れました」
「この保険をもっと多くの人に知ってほしいと思います。僕も家族のためにこの保険に入りました」
「今はこれに入るべきではないと思います。保険以外でも方法があるのではないでしょうか」
彼が残した言葉の一部。商品(会社・サービス)に自信がもて、自分の強みが活かされ、個人(または社会)の役に立っているという実感の持てる職場・仕事に出会えている人は世の中にどれぐらいいるのだろう。
本日、例のJAの営業マン(若い方)がビニールハウスの見積もりをもってやってきた。まだ怒りが収まっておらず(まだまだ人間が出来てません、反省)どうしたものかと思っていたが、何かKさんから「有政さん、個人でやろうと思ったら皆さんお客さんと思わないと駄目ですよ。争わず味方につけるんです」と言われたような気がして思い直し、もう一度自分の本気を伝え、協力して欲しいと乞うた。
急性心不全だったそうだ。Kさんのご冥福を祈りたい。
6/29(月) 【挨拶】
「あんた、えらい期待されとるみたいよ」畑の作業中に母がこう言った。ご近所さんと話すなかで感じたらしい。
帰ってきたばかりのころを思い出す。常会(地区の定期集会・各家族の代表が集まって役員決めや地元問題の解決を行う)に出席し、時間をもらって挨拶をさせてもらった。地元で農業体験をやるのなら、前もって話しておいた方が良いという父のアドバイスに従ったのだ。
20年ぶりに帰ってきたこと、会員を集めて農業体験などをしようと考えていることなどを簡単に話すと、出席者の一人から「勝手にウロチョロしよると、遠慮せず叱るけえの」ととげを含んだ言葉があった。若い者への期待・変化への懸念・お手並み拝見・よそ者への警戒心、色々な感情が渦巻いているような雰囲気だった。ご近所にご挨拶に行くと「あんたあ東京から帰って来たんじゃってね。惜しいことをしんさって」とおばあちゃんに言われた。どうも東京での勤めが上手くいかず、しかたなく実家に戻ってきたように思われているらしい。
初めはとうまきに見ている感じだった。何で山に何度も色んな人を連れて入るのか?急に小さな畑を開墾し始めたのはなぜか?どうやって生活するのだろう?などなど、気になっているようなのに誰も聞いてこない。変わり者と思われているのか、ただチラチラと見ている感じ。それがオープンイベントを経て田植えをしたぐらいから風向きが変わってきた気がする。
言葉は行動ほど多くを伝えられない。いくら良いことを言っても、できなければゼロ、やらなければマイナスだ。常会で話した内容なんて誰も覚えていない。ただ、日々有政が何をしているのかだけが人々の記憶に刻まれていく。自分にできるのは、やるべきことをぶらさず一生懸命働くこと。そしてどんな精神状態であっても元気に積極的に挨拶すること。
挨拶の大切さをこれまでになく感じている。挨拶は相手だけでなく自分自身も元気にさせてくれる。またオープンマインドを表す最も簡単で有用な方法だ。相手の反応などは気にせず、まずは自分から発信することが大事。挨拶は言葉ではなく行動なのだ。
初めは半信半疑で協力してくれた農家さんも、こうやって毎月20組以上のご家族に野菜を送りできるようになり、この先を楽しみにして頂けるようになってきた。こちらからお願いしていないのに畑を貸してくれる方も現れた。そのうち高齢者の多いのこの地を活性化してくれるのではないかという期待が、母とのご近所さんの会話で発露されたのだろう。
地元でやる限り、地元に受け入れられ歓迎されるものでないと駄目だ。まずは自己を確立すること、それがあって初めて地元に貢献できる。目を閉じると、近所の皆さんが協力して野菜を作り、その畑を子どもたちが遊びまわっている光景が浮かぶ。
6/20(土) 【確かなこと】
このタイトルを見てピンとくる人は小田和正好きな人だろうな。名曲ですね!
今回は書く内容の前にタイトルが思い浮かんだ。書きたいことが盛り沢山過ぎて整理できず、考えていたらミックスジュースの中からポンと浮かんできた感じ。色々あった一週間だった。
弟(英治っていいます)から電話があり、彼の大学の圃場を詳しい説明付きで見学させてもらった。間口6m×長さ30mのグラスハウスやビニールハウスが30棟近く並ぶ光景は圧巻。各ハウス毎に色々な栽培方法で育てられており、弟も2棟のハウスを担当しトマトの作り方を研究しているとのこと。農業技術大学校だけにかなり実践的な農業に取り組んでおり、非常に勉強になった。
その大学のある庄原市は農業の盛んな土地でもあり、近隣に大規模な農家(ビニールハウス群)が点在している。弟が「あの農家の売り上げは▲億円ぐらい、たぶん利益はこれぐらいだよ」なんて説明してくれるのを聞きながら、いつになったらああなれるんだろうかと思っている自分に気付く。俺は大規模農業をやって儲けるために広島に帰ってきたのか?沢山のビニールハウスが羨ましいのか?
翌日、野菜の宅配をした。早朝母と共に開墾しみんなで種まきした体験畑のダイコン・ニンジン・インゲン豆・キュウリを収穫し、会員さんに送る準備をしているとテンションが上がってくる。そんな中、小早川さんが意気揚々とトウモロコシを運んでこられた。
説明を片耳で聞きながら生でかじる。「うまい!」いやマジで美味しい。少し噛んだら「プチッ!」という心地よい音とともにクリームのような何とも言えない甘味が口いっぱいに弾ける。たまたま家に居た俊助に渡すと一瞬で喰い尽された。一呼吸おいて「柿のような味だね」。そう、言いえて妙だ。取ったばかりのトウモロコシはこんな食味なのか!うー、みんなにも伝えたい。体感してほしい。時間がたってももちろん美味しいのだが、この感じは現地でないとわからないよなー。
体験畑でとれたちっこいニンジンをかじる。爽やかな甘みとコリッという歯ごたえがクセになりそう。あれ、ニンジンってこんなに旨かったっけ?ただの小さい形の悪いニンジンなのに、開墾した畑・雨のオープニングイベント・腰痛と太陽光と闘いながら草をぬいたシーンが脳裏を駆け巡る。味は成分と思い出の掛け算なのか?(ちなみに、その夜採ったニンジンを縦半分に切って鉄板焼きをしたら、肉類を押しのけてNo1の人気だった。)
先が折れたダイコン・曲がりまくったインゲン豆・デコボコ肌の小さな人参、どいつもこいつも市場に出したら0円だ。でも自分にとっては高級スーパーで売っているヤツより断然こっち。形をきれいに作る・サイズを合わせる・肌をきれいにする・早くたくさん作るは本質なのか。値段は何で決まるのか、誰が決めているのだ。。。
みんなはこの野菜を見て喜んでくれるかな?なんて思いながら家族でワイワイ宅配の箱詰めをする。途中で俊助が帰ってきて小早川さんの話をしてくれた。今日は中学校の社会勉強の一環で、その道のプロに学ぶということで、小早川さんにインタビューをしたらしい。
「お父さんに質問です。小早川さんが野菜作りで一番大事にしていることは何でしょう?」と聞いてきた。これは下手な回答はできないぞ、と答えるのを躊躇していたら、さも待ちきれない様子で言い放った。「答えは、愛です」
そうだった。“あの人”のために作る野菜、マスではなく特定個人をイメージしてまっすぐに作れるかどうか。自分もそうありたいし、そのような思いで頑張っている農家さんと会員さんを結ぶのが、俺がすべきことの一つではないのか。
小早川さんは必ずお孫さんに作った野菜を届けている。きれいな野菜を届けたいのではなく、美味しく生命の源となるような野菜を届けたいのだ。安心安全は当たり前、孫に毒を食わせるおじいちゃんはいない。大事に育てるのと手厚く育てるのは違う。甘やかされて育った野菜は性根がない。途中で虫に食われたり枯れそうになりながらも、その野菜本来の力で勝ち残ってきた野菜は力がある。自然に生命力を分けてもらっている感覚、そんな野菜を食べているお孫さんは本当に幸せだ。
勝負する土俵はビニールハウスではない。もう一度原点を強く意識しよう。
6/15(月) 【行きつ戻りつ】
久しぶりに弟とゆっくり話した。
彼の経歴は面白い。大学を出て20代は東京・大阪で機械メーカーの営業をしていた。6年前に広島に戻り、かなり準備に苦労しながら何とか養鶏を始め、そこそこ評判になっていたが、1年前に農業大学に入り直した現在学生の36歳だ。ちょうど消防団の訓練で近くに来ており、早めに切り上げて実家に立ち寄ったところを捕まえてチャレンジ畑(先日お借りした畑)に連れていった。農業は彼の方が大先輩なので聞きたいことが満載だ。
まず土のこと。数年前に田んぼから畑に転用したという話を聞いており、実際野菜作りに適した土だと思うかを聞く。彼曰くかなり厳しめ。畑の土は水はけ良さと保水力の双方が必要で、そのような土はフカフカな感じになるそうだが、ここの土は濡れると粘り、乾くとゴロゴロになるので水はけに問題ありそうとのこと。土壌改善に堆肥を入れることを勧められる。1.5トンぐらい投入しないといけないらしい。うーん。。。
次に野菜のこと。あれこれと候補はでたが、なかなか「これ!」というものはない。考えてみれば、色んな農家が色んな事を試しているので“誰もやっていない、商売的においしい野菜”なんてものはほとんど無いはずだ。大学で農業を学び彼なりに厳しさや難しさも感じているのだろう。
そういえば、彼がまだ営業をしている頃、「会社を辞めて農業をしたい」と相談を受けたことを思い出した。あの時は日立港に行って、夜釣りをしながら彼の話を聞いたんだったよな。かなり反対したけど、決意の強さを知り、最後は「1年間考えて、収支もしっかりとシミュレーションした上で改めて判断したら?」というのがやっとだった。その後は、べたなぎの生暖かい岩壁で二人ピクリともしないウキを黙って眺めていた。
もし、今同じ相談をされたら俺はどう言うだろう。。。
6/9(火) 【第2章開幕】
お借りした畑を1週間で整地し野菜を植えた。
オープニングイベントからちょうど2ヶ月、田植え・ホタルと多くのご来園頂き本当に有り難い。深くお礼申し上げます。
5月末には第1回目の野菜宅配も予定取りすることができた。色んなメッセージを頂戴し元気をもらった。その中でも嬉しかったのは、この地を知らない東京の会員さんの言葉だ。少し引用させて頂く。
「(前略)早速、お勧めのじゃがバターと空豆とアスパラの春野菜パスタ、アスパラサラダを作ってみんなで食べました。とっても美味しかったですよ。やはりつくづく安心・安全って、そこに携わる人の顔が見えるかどうかなんだなぁと感じました。やっぱり有政さんが携わるものと思って食べることにもプラスの隠し味が効いていると思いますよ。妻もぜひ御礼を伝えて欲しい、またうかがう機会も作りたいと言っています。こちらは私のスケジュールのせいでなかなか予定が見えずということで、家族からもプレッシャーを受けてます(後略)」
できれば体験とセットで食べて頂きたいと思うものの、体験がなくても喜んで頂けるご家族の存在を直接感じることができ、もっともっと良い物をお送りしなくてはと思った。そんな背景もあり、これまでの無農薬・有機栽培の他に、この畑の一区画に実験畝を10ほど作り、永田農法を試してみることにした。
実は、5年ほど前ユニクロが野菜事業(スキップ)に進出した際、取り組んだのがこの農法だ。当時私はその事業の採用を請負っていた関係で、些少ながら関わりを持たせて頂いた。その時に食べたトマトやホウレンソウの味が忘れられない。
実際のところ、この農法に限らず無農薬で露地栽培をする際に手間がかかるのが雑草だ。小さな畑なら手で抜けるが、ここまで大きいと考えなくてはいけない。マルチ(黒い薄手の幅広ビニールで雑草対策に効果あり)という便利なものもあるのだが、自家製の“くん炭”(籾殻の炭)で代用することにした。また、溝の幅も広めにして、草刈り機で雑草を刈れるようにするなど、工夫の余地が山ほどあるのが楽しい。これから実際やっていくともっともっと発見があるのだろうな。
熟考の末、実験畝には「トマト」「ナス」「ピーマン」「トウモロコシ」「トウガラシ」「ニンジン」「モロヘイヤ」を植えた。これから3ヶ月間は毎日通うことになる。勉強しないといけないことが山ほどある。売り先や売り方も考えないといけないし、農地の拡大も必要だし、、、考えることテンコ盛り状態。でもこれはこれで悪くない。やるべきことが沢山ある方が変な心配事を考えることもないし、暇になるとろくな事をしない自分も自覚している。
これで2つ目の大きなピースに手がかかった。あと3つほどの大きなピースが立ち上がれば、それぞれのピースが連動して回り始めると想定しているのだが、いつになるやら。
6/2(火) 【農業に夢はないのか】
農業収入を柱にできないかと思い、JAに相談してみた。
JAには農業支援のため、指導員を各エリアに配している。この地域のエリア担当は今年4月から金融から農業指導部門に配属になったお若い方で、母が懇意にさせて頂いているベテラン指導員と二人で来られた。新規顧客候補として営業モード全開でいらっしゃるかと思いきや、かなり慎重モードで肩すかし。厳しい・難しい・忙しい的な論調の話が続いた。
まあ、街から帰ってきたズブの素人なので、親心的なアドバイスだったのだろう。2時間も丁寧に情報提供を頂き感謝。が、新人指導員さんが目の前で寝ていたのには参った。こっちは人生かけて相談しているのに、しかも、ほとんど全ての説明を先輩に任せて、その真横で寝ているとはどういうことか。1日たって冷静に振り返れるかと思っていたが、どうもおさまらない。思い出すと毒を吐きそうなのでここらで忘れる努力をしよう。うーん、やれやれ。
しかし、人口約4000人の町で個人の専業農家がほとんどいないという話には驚いた。多くは定年後に年金をもらいながら小遣い稼ぎ程度で農業をしている人らしい。兼業農家の比率が非常に高いのは想定していたが、予想以上に高齢化が進んでおり、かつ若い者は街で会社勤めをして農業はせず、同居のじいちゃんばあちゃんが趣味に近い形で農業をする構図ということか。家族単位でみれば兼業農家だが、実態は分業農家が多いということが分かった。なかなか本気でやってくれる人がいなくて、、、なんて話をされていたが「おいおい目の前にいるぞ」と思わず突っ込みたくなった。専業農家を育ててこなかったJAさんの責任もあるのでは?いかんいかん、また思い出してしまった。
JAをベースとした農業が難しいのか、それとも農業そのものが事業として難しいのか。野菜作り以外にも、規格をそろえるための設備や流通にもかなり経費がかかっているようだ。厳しい状況ということはよくよく分かったが、だからこそ妙に燃えてしまう自分がいる。成功者が多いと後発参入組は厳しい、素人だからこそ見えてくるものがあるかもしれない。突破口はどこか?どうやれば事業として成立するか?難しくもやりがいのあるテーマだ。
本日新たに7アールの畑を借りることができた。これで2枚目。来年には田んぼもお借りできる予定だ。近隣農家の有り難いお申し出に本当に感謝。歩いて15分、高台でちょっと不便だがしっかり手入れされていたのが良く分かる。景色も良いし一発で気に入ってしまった。近いうちに会員の皆さんにもご披露したいと思う。
>>> Phto Historyの6/2に写真掲載
5/25(月) 【いなくなった生きもの】
向原に帰って5が月が過ぎた。
実家の周辺は30年前とほとんど変わらない風景だ。変わったのは、田畑に鹿除けの柵ができたことと区画整理で田んぼが四角くなったことと山の枯れ松が目立つようになったことぐらい。昔は山間集落独特の風景に閉塞感を感じたものだが、色々な地を経由して帰ってみると、全く違う印象でこの風景を見ている。
昔から釣り好きで、川があるとつい見入ってしまう。ジョギングする時も川岸のコースを選ぶ。川幅が1mくらいの溝と言った方が良いような流れの中で、たくさんの生き物を発見できて飽きない。この間は俊助と走っている時にサンショウウオを見つけた。
しかし、ずっと探していて未だ発見できない魚がいる。ヨツメとムギツコ(ムギツク)だ。両者ともハヤ釣りの外道としてよく釣れた魚で、特にヨツメは同じ魚が何度も釣れるので、敬意?をこめてバカ魚とも呼んでいた。
なぜ居なくなったんだろう。昔より田畑に散布される農薬量はかなり減っているし、過疎化+下水道整備で汚水も減っているはずだ。生存競争に敗れたのだろうか?その他に思いつく理由としては
・山が荒れて、川に何らかの影響を及ぼしている
・川に捨てられたゴミの影響
・エサとなる生き物がいなくなった
・ある特定の農薬に弱い
・酸性雨の影響
・上流部の工事の影響
どれも根拠がないので何とも言えないが、良からぬサインでないことを願うばかりだ。そういえば、イタドリ(カッポンと呼んでいた茎が食べられる草)も見かけなくなった。
5/19(火) 【便利さ】
夕食の時に俊助が学校のことを話している中で、今年タケノコ掘りをしたのはクラスに自分1人だけだったという話があった。
30人弱しかいない生徒数とはいえ、これだけ身近に自然がある環境で(竹林なんて至る所にある)、誰もタケノコ掘りをしていないとはちょっと驚きだ。3世代同居で山を所有しているご家庭も多いのにもったいない話だと思う。竹林も荒れ放題で、食品会社が放置竹林のタケノコを無料で収穫し(タケノコを掘ってくれると少なくとも現状は維持できるので所有者も有り難い)ビジネスにしているという話も聞いた。
スーパーに行けばタケノコの水煮はいつでも売っているし、掘ったタケノコを調理するのは手間がかかる。わざわざ取りに行かなくても、そんな高いものでもないし買えばいいじゃん、という意見もあろう。食べることのみを目的にするのであれば確かにそうだ。
ただ、僕にはそれがもったいなく思えて仕方無い。今しか取れない自然の恵みを家族で収穫し味わう機会をみすみす逃している。まず収穫すること自体が面白い。ずっしりと重いタケノコを持って帰るのは気分が高揚する。働いて食べ物を得るという非常に分かりやすい構図だ。もちろんその日の食事が楽しみになるし、同じタケノコでも自分の取ったものは特別な味になるものだ。それが有り難いと思うから竹林を維持していこうという意識も芽生えよう。
里山が荒れ、川が汚れているのも同じことだろう。里山や川の有り難味を知らない人はきれいにしようとは思わないし、里山や川がなくても農業や日々の生活は十分にやっていける世の中にもなった。むかし里山がきれいだったのは、多分そうしないと生活ができなかったからだ。だから大事にしたし、次世代にもそれを伝えていった。
その伝承行為が2代・3代先を考えながら今を過ごす人生観につながっているように思えてならない。おそらく今よりも良い状況になることを願いながら、ある時は未来のために自分を犠牲にもできたはずだ。便利さが結果的に我々から奪ったものは想像以上に大きいのかもしれない。
ちなみにクラスでTVゲームを持っていないのも俊助一人だそうだ。
そろそろ野イチゴが取れる時期だ。昔よく取っていた僕だけの秘密の場所にはまだあるだろうか。明日久しぶりに行ってみることにしよう。もしあったら俊助に教えてやっても良いかな。
5/11(月) 【未来図】
昨日はスタッフ総出でアリ山パークの整備をした。
気温30度が超えたようだったが、山の中は若葉が直射日光を遮ってくれ、ひんやりとしたそよ風も吹き気持ち良い。炎天下の東京でスーツを着て営業していた頃を思い出し、しばしほろ苦い感情に浸る。
今回の作業に先立って、アリ山パークを将来どうするのか未来図を描いてみた。自分の頭の中に「こうしたい」という構想はおぼろげにあったのだが、ハッキリとしたイメージまでは至らず、ずっと先延ばしにしていたことだ。
考えるにあたり、以下を基本コンセプトとした。
・長く楽しめる、厭きないベーシックなもの
・小学生の低学年から高学年まで楽しめる
・地形を利用し、自然になるべく負担をかけない
・手作業でも実現可能性が高い
未来図を色鉛筆で描きスタッフに公開したところ、予想以上の好反応が返ってきた。未来図そのものの出来や遊具の期待感よりは、ゴールがハッキリとし、それに近づくプロセスに高揚感を感じているようだった。
100の言葉を使って説明するよりも、1枚の絵の方が雄弁に伝えてくれることがある。「説明が上手い」のと「意図が伝わっている」のはしばしば違う。プレゼンテーションが本当に上手な人は、しゃべりの上手い人ではなく、本当に伝えたいことがあり、それを体全体で表現し、シンプルな言葉で伝える人だ。そのような人は伝えたいことを欲張らない。
その意味で私が今まで出会った経営者で一番プレゼンが上手いと感じた人はユニクロの柳井社長だ。小柄でちょっと吃音癖があり、結構ぶっきらぼうな物言いで、お世辞にもしゃべり上手とは言えない。が、この人の社内総会での話はいつ聴いても涙が出た。シンプルな言葉、いつもぶれない軸、何より絶対この場で伝えたい解ってほしいという気持ちが、みぞおちを打つような迫力で伝わってくる。真のカリスマとは内面に持っている思いの強さとやろうとすることの正しさと行動力から作られている。
もう一つ、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」リクルートの創業者・江副氏がうみだした社訓だ。主体的な仕事をしようと思うビジネスパーソンにこれ以上刺さる言葉を私は知らない。
結局その日中に100段の階段を完成させた。2日はかかるとふんでいた仕事量だったのに5時間で終わり、何より楽しみながらキツイ仕事をこなしていく子どもたちに驚いた。完成までどれだけかかるか分からないが、是非色んなお子さんにも参加頂き、公園造りを通じて「働くことの楽しさ」を伝えていきたい。
5/6(水) 【集団の力】
3回目のイベントが終わった。。
お陰さまでたくさんの方にお越し頂き本当に嬉しい。ジュースにビール(ん?)にチョコ・センベイ、ブルーシートに大型の給水機(なんと16リットル)の差し入れもあり恐縮しかり。前回のイベントで足りないと思ったものを持って来て頂いたようで、その心遣いにシビレタ。フカクオレイモウシアゲマス。
ほとんどは2回目のご参加で、中には3回連続でお越し頂いているご家族もあり、少しだけ時系列でお子さんたちの変化が分かるようになってきた。「今日、●●ちゃんは前回よりこんなところが変わった」「●●ちゃんがこんなこともできるようになっていたよ」など目撃証言?がスタッフミーティングでも良く話題にのぼる。
自分が一番気になるのもこのポイント。極論すれば農業体験自体がしょぼくても、子どもに何か良い兆しや変化が見えれば最低限の目標はクリアできたと思う。逆に「今日は楽しい農業体験でした!」と言われる時が一番気を引き締める時だ。何回来てもずっと学びや気付きがあり且つ楽しいをどう実現していくか。。。
日曜日のイベント時に子どもたちが集まって野球ごっこをしていた。上は中1から下は5歳児まで、女の子も交じってワイワイしている。もちろんプログラムにはない子どもたちが勝手にはじめた遊びだ。
最初は野球好きの数人が始めたのだが、興味を持った子どもが入りたそうに周りをうろうろしている。それに気付いた子どもが「入らないか」と誘う。野球のルールも知らない小さな子にバットの持ち方を教え、参加できるようにルールを変え、同じぐらいの力関係になるようにチームを組み直し、そのうち女の子が応援しはじめ、見ながらルールを覚えて今度はプレイヤーとして交る。
勝負に必死になるもの、小さな子どもをサポートする子、初めて打ったボールの感触に目をキラキラさせている子、勝手に審判をかってでる子、普段オブラートに包まれている個性が露出して面白い。初対面の子どもも多いのに、本当に楽しそうに、頭と五感をフル回転させて仲良く遊んでいる。
少々我侭な子どもでも、このような集団に入れば我は通せない。我を通せば外されるだけだ。楽しいから外れたくない。打ち方もルールも知らない子どもに教えるのは難しいけれど、それを上手く教えてできるようになると自分ができたように嬉しい。みんなが楽しめるためにはルールを簡単にしないといけない。でもそれだけでは面白くなくなるので、自分たちも楽しめるようにルールを考える。みんなで楽しむという方向に自然と全員の意識が向かっていく。
中には馴染めなくて離れていく子どももいるが、それはそれで良い。自分の興味のあることを見つけて楽しむ力が子どもにはあるし、また入りたいと思えば勇気を出して「入れてくれ」と言えばよいのだ。このような場に親は居ない方が良いしちょっかいは不要だ。大人が絡むと一気にしらけたり、大人の目を気にしながら遊び始める。子どもたちの集団が持つ力を上手く発揮できるような場にしていきたいと思う。
4/29(火) 【考えて作る】
最近、子どもたちが木の刀作りにはまっていて、よく付き合わされている。
初めの頃は山に入って杖代わりの木を切っていたのだが、そのうち杖を使ってチャンバラをするようになり、それが高じたようだ。三国志に出てくる関羽が息子のお気に入りで、今度はどうしても薙刀が欲しくなったらしい。どうやったらそれ風に作れるか何回も質問してくる。
受け流していたら、とうとう彼なりに作り方を決めたようだ。細めのまっすぐな部分と太めの曲がりがある木を探し、曲がり部分を削り出して刀状にするというアイデア。そんな都合の良い木があるかいな、と泣きついてくることを半ば期待して待っていたら、とうとう山を探しまわって見つけてきた。
今度は削り方を質問してくる。本当は木工用の道具を買えばきれいにできるのだが、あるもので何とかするのがウチのルール。あるものは何を使っても良いので自分で作り方を考えろと言うと、散々探した挙句に薪割り用の鉈(ナタ)と鉈鎌とノコギリに行きついたようだ。
はじめは危なかしくって見ていられない。指を落とされたらかなわないので、手の起き方だけは教えて、その後は見て見ぬふり。従兄と佳穂の3人で何時間も木を削っていた。木の削り方にそれぞれの性格が出て面白い。俊助は黙々と、佳穂は疲れたらすぐに俊助に泣きつき、年上の従兄は様子を見ながら付き合っている感じ。
しばらくたって見に行くと、鉈やノコの使い方が格段に上手くなっている。たぶん見る人によっては「何て危ないことを」と思うのだろう。確かに明らかに危険な行為をさせている。山に子どもだけで入るのもそうだ。蛇はいるし、迷うかもしれない。リスクを考えたらきりがないのだ。
ただ、危険やリスクがあることを理解した上で、自分なりに考えて行動する機会をどれだけ持てるかは大切だと思う。同じことをするのでも、大人の監視下で行動するのとは全く違う。自分で判断するしかない状況に置くと子どもたちは必死に考える。
放任も無責任とも違う、もし怪我をしても自分の責任だと思える状況。子どもが自分自身で「やりたい」と決めたことであれば、リスクを分かりやすく伝え、あとは自己判断に任せる。親が子どもをどれだけ信じられるかが試される場面でもあろう。一番危ないのは、全く自己判断の経験をさせずに、いきなり危険な場所に野放しにすることだと思う。これは親の無責任だろう。
ここ向原でも自転車で遊びに行く子どもが非常に少なくなったように思う。道路が危険なので親が許さないそうだ。送り迎え付きで、しかも親の目の届く範囲で遊んでいたりする。このような子どもがいきなり一人で自転車を運転すると怖い。何が危険なのかを理解していないので突拍子もないことをする。大学生が信じられないような犯罪をするのも同根かもしれない。
出来上がった刀や薙刀はお世辞にもきれいには出来ておらず、しかも中学生の遊びにしてはかなり幼い気もするが、昨日も元気にチャンバラをし、手入れをして大事にしまっていた。
4/22(水) 【性分】
昨日は父と田んぼの“粗がき”をした。
田植えをするまでに、まず冬を越した田んぼの土を掘り起こし、再度細かく掘り起こし、水を入れて掘り起こし(粗がき)、再度細かく掘り起こす(本がき)。目に鮮やかな新緑と春の陽気の中で、勤続30年以上のトラクターのディーゼルエンジン音がポンポンと鳴り、泥水のカーペットが出来ていく。カエル・アメンボ・ミズスマシ・ゲンゴロウ・オケラ・スジブトハシリグモ(水面を走る!)などが泥水を右往左往し、それをカラスが狙っている。春風に吹かれながら何とも心地良い。
隣の田んぼでは請負農家が大型トラクターで一気に掘り返している。うちのトラクターでやれば2日はかかりそうな大きな田んぼを3時間余りで仕上げてしまった。畑と比較して手がかからず機械化の進んだ稲作は大規模化に適している。が、大型トラクターは非常に高い。新車で買えば1000万円前後のものもざらで、近くの小規模農家さえも300万円を超えるトラクターを所有している。30kg8000円前後で取引される米で利益を出すのは大変だろう。請負農家はより大規模化するために農地の確保に躍起になる。地主もタダ同然で貸しているらしい。先祖代々の土地を売るのは忍びなく、荒れ地にするのも気が引ける。とはいえ稲作をするだけの余裕もなく、ここで利害が一致する。減反政策から一転、食物自給率の向上に向かった農業行政の影響で、この構造も変わるかもしれない。しかし、昔はこれを全て人力でやっていたことを想像すると恐ろしくなる。稲作地域の共同体化は必然だったんだな、なんてことが頭を廻る。
10時過ぎに近所のおじさんが差し入れをしてくれ、一緒に休憩する。子どもの頃は一緒に住んでいた時期もあり、息子のようにかわいがってくれた人だ。電話工事会社の創業者で父もそこで50年近く働いていた。「雄ちゃん、農業はしんどかろう?」なんで東京から帰ってきたのか事情をよく知らないおじさんが尋ねる。楽しいよという答えが意外だったのか、ちょっと間が空いた後でそうかそうかとつぶやきながら、「農家は立派な経営じゃけえ面白いよ。工夫して頑張りんさい。」とエールをくれた。
今、この仕事が本当に楽しい。もともと自分の性分に合う仕事は自然の中で体を動かし、多くの方と接し、たくさん笑顔を直接見ることだとハッキリ言える。変なプライドや虚栄心で生身の自分が見えなかったのか。20年近くたったけど、気付けて良かった。本当に贅沢な時間を過ごさせてもらっている。
4/13(月) 【仕事観の変化】
負けず嫌いの競争大好き、人よりも秀でていることを証明し、自分の存在感や影響力を高めていくことが仕事の原動力であり達成感でもあった。今にして振り返れば、営業キャンペーンなどでは異常に燃え、同期の中で早くマネジャーになることに執着したのも根底はこの辺りにあるし、それを煽る会社でもあった。競争するのはキツイこともあるけど、戦う場所がハッキリしており、勝てば利を得ることができるという分かりやすさがある。ついでに言えば、負けそうな勝負は避けて通ってもいた。
実家に帰ることを決めた時も、どこかで「他人とは差別化された自分」や「リスクがあっても夢を追いかけるカッコよさ」という感情が無かったとは言い切れない。初めは同期の中で、次は会社の中で、そして社会やコミュニティーの中での自分の存在と、比較対象は違えどやっぱり比較の中で自分を確認している。そうでないと漂流しそうで怖い。
が、最近かなりこの辺りの感覚が変わってきた。意識する意味がないという表現が近いかもしれない。前よりも喜んでもらうには何をすべきなのか、自分を自身がどれだけ信じて進めるか、信念と依怙地と柔軟性・謙虚さの線引きはどこか、この仕事はどんな意味があるのか、慣習は本当に正しいのか、今日は何をしたのか、などが仕事をしながら頭の中をいつも廻っている。
より高度な判断やスキルを必要とされる仕事=付加価値の高い仕事=目指すべき仕事という尺度は、会社組織の中では絶対に必要だと思う。そこに健全な競争が生れ、仮にある時敗れても、継続して組織の中で頑張ってくれるように導くのがマネジメントの重要項目であるし、たぶんまた会社組織に戻れば、やっぱりその競争の中で必死になるのだろう。ただ、以前よりも競争が目的化せず、事業とかお客様とか仕事の意味をもっと考えながら、結果として競争に参加している感覚になれそうな気がする。
長く職業紹介に携わっていたせいか、他人の仕事はやっぱり気になる。ただ、気になるポイントは以前とは違う。「どんな思いで、何のためにその仕事をしているのか」ということだけ。職種や業種を問わず、これがハッキリ言える人は幸せなんだろうと思う。良く研修で使っていた「レンガ積み職人」の話を思い出す。レンガを積んでいる3人に「何をしているのですか?」と聞くやつ。地域のためになる教会作りを意識しながらレンガ積みをしている職人は仕事に誇りを持てるだろうし、それを質問した人の仕事観も何となくわかる気がする。
4/7(火) 【スタッフ】
土曜は9名、日曜は11名のスタッフでオープニングイベントを行った。朝7:30からミーティングを行い、来て頂くご家族とプログラムと個別役割の確認、その後会場の最終準備を総出で行い、9:20から駐車場班と名札班に分かれてご来園に備えた。
本当は揃いのトレーナーと帽子を作りたかったのだが予算の関係で断念。オレンジのビブスを友人に格安で仕入れてもらい、裁縫が得意な母が手書き名前入りのゼッケンを作成、安全ピンでとめてそれ風にするという、何から何まで手作りの素人仕事で、スタッフのみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。それでも文句ひとつ言わず堂々と着てくれたことに深く感謝する。
開園式ではスタッフ一人一人をご参加者に紹介。特に中学生の男子3人は恥ずかしがるのではと心配していたが、大勢の前で元気な声で挨拶してくれて目頭が熱くなってしまった。式の冒頭に「ここを第二の故郷と思って頂き、ここにいるスタッフを家族と思ってもらえたら嬉しい」と話し、その意をしっかり汲んでくれて初対面の会員さんやお子さんたちと一生懸命打ち解けようとする姿にまた感謝。
イベント終了後は後片付けに1時間、その後に反省会を行った。全員意見を必ず言うのがこの会議のルール。一人一人に良かった点、悪かった点を発表するなか、中学生スタッフの一人が「元気に自分から挨拶ができた」と驚くほど大きな声で言ってくれた。何のひねりもない、思わず「当たり前やろ−」と突っ込みたくなる言葉だが、たぶんそこにいた大人たちは私と同様にグッときたのではないかと思う。というのも、普段はあまり自己主張しない子で、到底自分から話しかけるタイプではないのだが、イベントでの彼の行動と合わせ、自信を持って自分を主張する姿に大きな成長を感じた瞬間だった。
また、もう一人の中学生スタッフが、「楽しかった、次も是非来たい!」と言ってくれたことも本当に嬉しかった。11名のスタッフがそれぞれの役割をしっかりと果たし、且つこの仕事を楽しいと感じてくれたことは今回の大きな収穫だった。スタッフ全員がこの公園を好きになり、自信を持ってお迎えできるように早くしていきたい。
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ご参加頂いた皆様からのイベントのご感想・ご意見は、+ー全てスタッフ全員で共有させて頂きました。ご意見を参考にさせて頂き、スタッフみんなでより良い環境を作って参ります。できましたら是非一緒に公園造りにご参加ください。これからもどうか宜しくお願いいたします。
3/30(月) 【Viva 開墾!】
昨日、ようやく体験農園(畑)の開墾が終わった。当初の予定ではなかったのだが、普段自家栽培している畑では思い切った体験がやり難いことや、宅配でお送りする野菜の自家栽培比率を上げたいと思い、遊休地をお借りし結局計7枚の小さめの畑を作った。
開墾の大まかな手順は以下の通り。
1.畑の形を決めて、その大枠に沿ってスコップで掘り返す
2.縦・横40cmほどのメッシュ状にスコップと金棒(1.5m・10kgほどの鉄の棒・大きな石の除去用)で荒く掘り返す
3.深さ40cmぐらいまでにある、こぶし大以上の石を完全に取り除く
4.手押し式の小型耕運機で土を細かく砕く
5.鍬でさらに細かく耕しながら、親指大以上の石をできる限り取り除く
6.畑の外周に沿って鍬で溝を作る
7.土壌改良のため、たい肥を入れて耕運機で耕す
8.焚き木でできた草木灰や石灰(これも土壌改良用)を全面に振りしばらく寝かせる
もともと畑の場所であれば割と簡単にできるのだが、ベストポジションの裏庭真横にある200坪ほどの土地は元々家が建っていた場所で、ここの開墾には泣かされた。とにかく石の量が半端ではなく、スコップを入れるごとに「ゴリッ!」という嫌な音。小物であればそのままスコップで、大物の場合は金棒に取り換え、石の周りを掘り返し、運ぶを延々と繰り返す。特に柱があったであろう場所は一抱えもある平らな石がゴロゴロでてきて、その1ヶ所だけで20分以上要することもあった。
書けば苦労話っぽいが、これがかなり楽しい。働いた分だけ土地が広がるという分かりやすい労働構造で、やるほどに習熟してくるのがわかる。土を見ながら何を植えるかを考え、遊びに来てくれた子どもたちの歓声を想像する。もっともっと大きい場所を借りてトウモロコシ畑で迷路なんか作ってみたら面白いだろうな、維持管理サービス付きの貸農園なんてどうだろ、などと妄想しながら石と格闘した。5年後ぐらいにこの場所は道が通る予定で、全て埋められてしまうのが悲しい。
裏庭の上の畑には、掘り起こした石がそのまま積んであります。お越し頂いた際にご覧ください。
3/23(月) 【山林作業&感謝】
卒業式が終わり、早めの春休みに入った息子の同級生7人を招いてARIマウンテンパーク整備の手伝いをしてもらった。前日の雨の影響を心配し長靴持参をお願いしたところ、4人は作業用のMy長靴を持っており、うち3人はかなり使い込んでいた。おそらく普段も畑作業などを手伝っているのだろう。
9:00に集結し、春休み初日のハイテンションで出発、2班に分けて荷物を分担する。今日の作業は「ロープや工具の荷揚げ」と「危険性のある枝や切り株のノコギリでの伐採」と「チェンソーで伐採&切り分けた古木の運搬」と決めるも、小学生を卒業したばかりの子どもにちょっと欲張りすぎかなと思いつつ、20分程度で現地に到着した。心配をよそに、「荷揚げ」はあっという間に終了。出発時にさんざん「キツイ」とおどしていたので肩すかしだったのだろうか、到着してすぐにニヤニヤしながら「有政さん、次は何をすれば良いですか?」と聞いてきたので、間を空けず「伐採」に取り掛かる。
この伐採は地味な作業だが、安全面から非常に大事だと考えている。立ち枯れで根元から折れた木やチェンソーで伐採した小木のなかに地面から数センチしか出ていないものがあり、枯葉に隠れて見えない。これを踏んだり、転んだところにあったりすると思わぬ大けがにつながることがある。何度となくこの作業を繰り返すも、なかなか完全撤去までいきつかない。
今回は、子ども9人+大人3人で地面に這いつくばり、枯葉をどけながら危険な木を探した。発見次第、根元からノコギリで切り落とす。ご経験者なら理解頂けると思うが、ノコギリで手首ほどの生木を切るのもそれなりの力を要する。腕ぐらいの太さであれば大人でも相当疲れる。根元の場合は地面との摩擦&体勢確保ができず更にキツイ。はじめは楽勝と思っていた彼らも、15分ぐらいで「腕があがらん」「野球の練習よりキツイ」と言い始めた。それでも何とか腕大の木を根元から切り落とし、「やったー!」と叫んで次に取り掛かっている。彼らの回復力はさすがである。
30分ぐらい伐採をした後、5分休憩をはさんで「古木の運搬」を行う。普通にやっても面白くないので2人組で20本運んだチームから自由時間になるというルールにしてスタート。30分ぐらいを想定していたが、遊びたい一心で早いチームは15分で終了。2本いっぺんに運ぶ力自慢や、軽そうな古木ばかりを選ぶ者、他のチームの邪魔をする者、黙々と運ぶ者など、個性が出て面白い。
その後は、ロープを使った自作遊具で遊びまくり、皆で山頂まで上がり、現地で簡単な昼食。2升炊いて作ったおにぎりがあっという間になくなった。
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みなさんのご協力のお陰で、荒れ放題で行くのにも苦労したあの山が2ヶ月半で遊べる場になりました。カツクン・タカシ・カツジ・ヨシブー・松本さん・向原小学校6年生野球部のみんな、そして親族一同、本当にありがとうございます。
いよいよオープニングイベントまで2週間弱、まだまだ公園と呼べる代物ではないかもしれませんが、、、お楽しみに!
3/16(月) 【農家の喜び】
先日、近所の農家さんが訪ねて来られた。叔母がやっている小さな直売所によく出荷してくれる方で、もともと農業指導員もされておられたベテラン。作り方にもこだわっておられ、真っ先にご協力をお願いしようと考えていた方だったので、本当に有り難い。
お茶を飲みながら、我々のやろうとしていることを話すと快く協力の申し出を頂く。「どんな人が食べてくれているのか、食べてどうだったかがわかると本当に嬉しい。」会話の中で何度もこのフレーズが出てきた。もともと兼業農家で、退職後に農業に専従された方が多いこの地区では、家族や親戚のために作っている野菜が多い。だから手間がかかっても作り方にはこだわるし、少々高くて作るのが難しくても美味しい品種の種を買う。
多めに出来た分は産直市や直売所に出荷する。形重視の規格品ではないし数量も一定しないので市場には流通し難いのだそうだ。それに売り方や値段など自分で決めることができる直売所は工夫の余地があり楽しいらしい。「こんなものを作れば喜ばれるのではないか」「これならこれぐらいの値で買って頂けるのではないか」「売れ残ったのは何が原因なのか」など懸命に考えている農家さんは立派にPDCサイクルを回している。自分で考え、成果が明確で、お客さんに喜ばれる循環がある仕事は楽しい。
しかし、直売所の値段を見ると複雑な心境になる。原価も高く手間も相当かかっている野菜がスーパーの特売よりも安く売られている。買い手としては嬉しいが、これで本当に成り立つのだろうか。作り手の状況や苦労が分かっていればその価値が理解でき、少しは“救われる”だろうが、多くのお客さんはそんな背景は知らず、ただの「安い野菜」として買われている現実がある。作り手も自信を持って値付けをすることができない、お金に対する引け目みたいな感情もある。農作物の直接販売市場が伸びているといわれているが、なかなか産業として成立しない原因の一つはこの辺りにもありそうな気がする。
3/9(月) 【鹿の柵】
鹿が増えたと聞いていたがこんなにいるとは思わなかった。僕が子供のころは田んぼに出没する鹿(たいがい親子)を数回見た記憶しかない珍しい動物だったが、現在はほぼ毎週遭遇し、この前は交通量の多い幹線道路沿いに一家でたむろしていたのには驚いた。子どもたちも学校からの帰り道で良く見かけるらしい。
農家にとって、この鹿は深刻な問題で、せっかく植えた野菜を全滅させたり、田んぼを荒らすという話をよく聞く。我が家でも植えたばかりのパンジーやイチゴがその日の夜に鹿の餌になってしまった。昔は田や畑に柵はなかったのに、今では柵をしないと野菜が作れない。ウチの周辺も色とりどりの柵だらけ、その柵が増えるほど鹿の徘徊量が増えるということか。対処療法の繰り返しでは限界に来ているようにも思えるが、目先の被害に耐えきれず我が家でも柵を作ることになった。
できれば自然に近い形にしたいと思い、竹で柵を作ることにする。農家のコンビニ「コメリ」でネットと杭を買えば1時間もあればできるのに、裏山から竹を切り出し、切ったり結んだりしていると午前中には終わらなかった。いまどきの農家はこんな手間なことはしない。機械化も進み重労働からかなり解放されている。高価な農機具はある種のプライドでもあるらしい。それを買う資金の出所は?農機具は本当に適正な値段なのか?金融に縛られた農家と体制を維持したい業界構造が透けて見える。田舎の生活=ダッシュ村ではない。
出来上がった柵はお世辞にも上手くできているとは言えないが、今のところ3日間は鹿の襲撃にあっていないので、それなりに効果はあるようだ。いつか根本原因に切り込みたいと強く思う。
3/2(月) 【友、来たる】
昨日は中学からの親友が来たので、オープニングイベントの予行演習をする。僕がUターンすることを本当に喜んでくれ、応援もしてくれている有り難い存在。高校時代は本当に悪さばっかりしていた奴だったのに、今では医師としてモーレツに働き、また一児の父親として息子とキャッチボールをしている彼をみると、大いなる時間の流れを感じてしまった。普段はセンセイと言われている人間が、仲間の前ではやっぱり昔の雰囲気に戻るのも面白い。
これまた大学時代の親友2人にも来てもらい、予行演習の手伝いをしてもらう。自分たちも事業経営で忙しいはずなのにボランティアを快諾してくれたことに感謝。もはや家族同然の彼らが来ると賑やかになるのが両親も嬉しいらしい。この3人で集まると、大学時代からの習性で麻雀をしないと気が済まないのも当時のまんま。徹夜が当たり前だったのに、明日のことを考え早めに切り上げるあたりに、少し大人になったことを感じる。
こんなみんなのおかげでオープニングイベントの良いシミュレーションができた。参加人数が増えるとどうしても団体行動が多くなり、子どもの考える余地を奪ってしまう。何とか「遊び」「考え」「学ぶ」をうまくバランスできるプログラムができないか、もう一度考え始める。準備も考えるとあと1週間で固める必要がありちょっと焦る。
大腸ガンで入院していた父親が仮退院で家に居てくれたのは助かった。確かにこの公園の企画は自分だが残念ながらまだ農業には詳しくない。すっかり兼業農家気分の友人たちからの質問乱射に、適切にこたえる父親に尊敬の念を抱く。当たり前のことを話している感覚かもしれないけど、示唆に富む大事な話も含まれていてハッとする。生きているうちに色々学ばなくては。
友人が「俺の父親は、アリのおやじさんと同じ65歳で逝った」とぽつりとこぼす。そういえば彼の父親も医者だった。今となって改めて聞きたかったことが色々あるだろうな。長生きして欲しいと心の底から思う。早春の縁側で友と家族と共に過ごした幸せな時間は16:30に終了。
本日父親の病院に付き添った妻から電話で検査結果を聞く。大きな問題はないようなので一安心。明日には退院するようなので、山のこと畑のことをあれこれ聞いてみよう。
2/25(水) 【HP開設しました!】
やっとHPを作りました。これで皆さまにお披露目ができます。もっと嬉しい感情が芽生えると思っていましたが、全くそんなことはなく、何やら試験結果の発表を待つ受験生のような気分です。
「このHPを見てみんながどう思うのだろう」、散々見直したはずの内容をまた見直し、意味のない修正を繰り返してしまいました。人からの評価が気になるようでは、まだまだサラリーマン根性が抜けていないのかも。そういえば、前職の社長からも同様のアドバイスされていたことを思い出して、苦笑している自分がいます。実家に戻って2か月、紆余曲折はありながら、ようやくスタートできる目処がたってきました。
蛇足ながら、農業体験の副次的効果として遊休農地の再活用も期待しているのですが、昨日その第1号案件が決まりました!これは嬉しかった。うちの隣りがまさに遊休地でその所有者は広島市内で事業をされています。昨日ご挨拶にお伺いし、その土地をお借りすることをお願いしたところ快諾を頂きました。
もう80歳を超え、脳梗塞で会話が少し不自由なおじいさんが一生懸命話してくれました。「あの畑は深い(肥沃な土が深くまである)のでゴボウがとれるぞ。・・・中略・・・ワシはなーんもいらんから好きなようにお作りなさい」。20年も離れているのに、昨日まで居たかのように愛おしそうに話される姿を見て、畑作りと子育ては近しいものがあるように思いました。ちなみにこの家は畑作はしていないものの、年に1回はお金を払って草刈りを依頼されていたようです。手塩にかけて育ててきた畑を荒れ放題にしておくのは本当は辛い。でも物理的に畑作は難しい。これも田舎の現実でしょう。
早速この土地をどうプログラムに活かすか思案中です。。できれば畑を作るところからやりたいのですが、それって子どもさんは楽しいのかな?いざとなったら参加してくれたお父さんを動員しよう。そうなると道具がかなり必要になるな。しかし、せっかく開墾してもすぐに野菜はできるのかな?誰に聞けば良いのだろう?なんてことを毎度繰り返しています。
これまで支援して下さった皆さま、本当にありがとうございました。そして、これからもどうかよろしくお願いいたします。
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