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7/14(土) |
24.事業初日 |
まずはお知らせから。長年ご覧頂きましたこのHPですが、以下にリニューアル&引っ越しいたしました!この独り言も、今後は新しいHPで週次更新して参ります。宜しければ、ブックマークをお願いします。
https://www.magoyasai.com/
さて、ここから。
庄原からの帰り道、山中の道に差し掛かるとヒグラシの音が覆いかぶさってきた。それを合図にクーラーを切って窓を全開にする。道路端の温度計は27度、少し湿気のある空気が混じり気持ちよい。行く先に見える山と少し赤みがかってきた雲を見ながら、自然と九州電力の新規事業のことを考えていた。
本件は前々から事あるごとに触れてきた。福岡に本社を置く九州電力株式会社が、農産物流通の新規事業に乗り出すことを決め、その事業検討の際にまごやさいに視察に来られた。その後も何度かの再視察や実証実験などを経て、結果的に弊社のMAGO-NETを活用した事業となった。初回の視察が昨年8月、そして7月9日(月)、「OSUSO」という名で事業はスタートした。
福岡の脇山と香春の2拠点で地元の野菜(主には中小農家)を集荷し大橋の本部に集積、福岡市内の飲食店に自社配送する仕組みだ。事業モデルはまごやさいと非常に近いが、まごやさいは未だ1拠点で全て行っているので、既にOSUSOが先行したことになる。
そして初日、のっけから50種を越える野菜が出荷された。まだ不慣れな状況下、現場は農家さんの対応に大変だったのではないかと容易に想像できる。それは嬉しい忙しさでもあろうが、この事業の要諦は出荷された野菜に個別の情報を付与し、素早くシステムに掲載して、顧客(飲食店)に販売できる状態を作ること。通常まごやさいではだいたい13時までには全ての野菜を掲載し終わるが、OSUSOの初日は夜まで掲載にかかったようだった。
この日、OSUSOの皆さんと随時連絡を取りながら、僕が初めてネット販売した日を思い出していた。当時は個人向けの販売に主眼を置いており、自宅の居間にパソコンを据え、システムを開発してくれたちゃネットのメンバーと、友人にも無理を言って来てもらい、プレスリリースまでして奇跡的にNHKや中国新聞でも紹介され、準備万端で販売開始!。。。。するはずだったが、写真のアップロードに非常に時間がかかり、遅々として掲載が進まず、結局全て掲載し終わったのは21時を回っていた。
その間の焦燥感といったら、、、。おそらくそれ相当の方が見ていたはずで、注文しようにも野菜は無く「何だこれ?」と諦めてもしくは見限られて二度と訪れてくないのではないか、そんなことばかり考えていた。結局買って頂いたのは4人、想定の半分以下だった。
OSUSO2回目の出荷日。この日はなんと80種を越える野菜が集まった。その日、まごやさいは150種、2日目にしてまごやさいの半分以上になった。これは想像以上、掲載は前回より更にヤバいかもという僕の心配をよそに、夕方には掲載が終わっていた。さすがの対応力、キャッチアップの早さ。前回の反省を元にかなり業務を見直されたようで、それを即時遂行できるのはすごいことだと思った。
あっという間にまごやさいは周回遅れにされそう。これは更に頑張らなくては。
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7/7(土) |
23.大雨 |
長い一日だった。
昨日は雨の中で庄原に出勤。前日から降り続く雨の影響で、出荷自体が少なく仕事は早めに終わった。まだ明るい18時前に農吉を出て、まごやさいのある向原に向かった。電話すると雨の影響を考えて15時半にはスタッフを帰したとのこと。妻が母と検品作業を続けているという声を携帯越しに聞きながら、漠然と庄原よりも向原の方が雨が強いのかもと考えていた。
増水した川を横目に向原へ急いだ。山間コースは土砂崩れの懸念を感じ、平地コースを選択。途中までは順調だったが、三次市の船戸という交差点に差し掛かり、信号の向こうに見えた江の川の流れに恐怖を感じた。泥水の塊が大蛇のようにくねりながら大きく曲がった護岸に轟音でぶち当たっている。絶対に敵わない圧倒的力の差に吸い込まれそうな恐怖を感じた。
もう少し進み、三次市と甲立町の境辺り、今度は道路が冠水し始めていた。その横は泥水で稲が見えなくなった田んぼ。そして、そこに佇む農家さんという構図。気の毒にと思いつつ先に進むと今度は水けむりを上げるような強い雨。周囲は徐々に暗くなり、道路の冠水箇所は続いた。
会社に辿り着くと、忙しそうに動き回っている妻と母の姿があった。雨の感じから更に増水する気がして、仕事途中で切り上げることにした。帰り道は恐らく冠水していないだろうと予測した山側の道を通ってみたが、ここでも1ヶ所冠水していた。
家の約1km手前あたり、川の土手が崩れ、越えた泥水が田んぼにどんどん入っていた。畦は茶色の滝のようになり、その下の田んぼに泥水を供給していた。少し遡れば我々の田んぼがある。祈るような気持ちで車を先に進めると、奇跡的に無事だった。横の畑は泥のプールのようになっていたのでほんと紙一重。田んぼの向こうに見える川は土手の上まであと50pもない。これ以上増水しないことを願いつつ、家に入った。
ニュースをつけると災害報道のオンパレード、「最大級の警戒をして下さい」と何度も繰り返すアナウンサーや気象予報士に、「最大限の警戒って具体的にどうすればいいのか?」と不毛な突っ込みを入れつつ、川が決壊しないことを願った。この川、僕が4歳の頃決壊し、その後数年田んぼか使えなくなったと何度も聞いている。義弟にとってはこの田んぼが生命線。頼む、もってくれ。
簡単な食事をとって一旦仮眠。AM2:00に再出勤。途中の冠水箇所は水が引いており、雨脚も弱くなったようだ。5:30の納品出発に向けて急いで仕分け作業に入る。4:30、眠気で作業がはかどらない中、電話が鳴った。嫌な予感。出ると農吉のスタッフからだった。「トラックが水にはまって動かなくなりました」
まだ、こちらの出荷作業が終わっておらず、すぐには行けない。行ったとしてもトラックが直せるわけでもない。どうすべきか、、、。作業しながら出した結論は、一度庄原に行って代替のトラックを持って来て、積み替えて納品に向かうこと。6:00前に出荷作業を終え、妻の発案でまごやさいは車2台で納品に向かうことにした。
送り出した後、僕はトラックが止まった現場に行って状況確認。納品先への遅配連絡、故障車の移動と修理先確保、市内の通行可能ルートの情報収集、関係者への共有など、手分けして進めていった。何とか10:00前に代替トラックを故障車の前まで運び、ひざ下まで水がある道路上で荷を移した。
納品に出発したまごやさいのスタッフと、たまたま市内にいた農吉のスタッフに交通状況を確認。県道37号は広島市内に行く途中で完全に通行止め。その手前で峠越えで国道54号に向かった妻から(ちょっと危険はあるが)通行可能で、何とか市内まで入れそうだとの報告を受け、納品ルートは54号に決まった。
トラックを送り出した後は故障車の移動&修理の手配。実はこれに一番苦労した。JAFは当面対応できないと相手にされず、保険会社は「お金は払うが手配はそちらで」と広告の文言とは違う対応をされ方針変更。知り合いの整備工場などにあたり直し、ようやく対応してくれるところが見つかり、現地に行くも車が大きすぎて運べず断念。もう一回当たり直してようやく車を移動してもらった。時計を見たら15:00過ぎだった。
いつもより4時間遅れでまご野菜の保冷車は帰ってきた。農吉は5時間遅れ。それでも、全て納品し終えた。いつもは発注者不在の時間に納品することが多いが、今日は遅れたことでほとんどの納品先に発注者がおり、ほとんどの方から労いと感謝の言葉を頂いたとのこと。納品をあきらめたところが多かったようだった。怪我の功名?、結果的に最大限努力したことは意味があったようだ。
スタッフ皆さん、お疲れさまでした!
そういえば、今日は七夕だったな。それも後4分でおしまい。
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6/30(土) |
22.MYホームページ |
先にお知らせから。約10年運用したこの会社ホームページを近々引っ越しいたしますす。引っ越し先が決まりましたら本ホームページでもご案内いたします。新ホームページは更にパワーアップして運用する予定です。
という訳で、今回はホームページ(以下HP)の思い出など徒然に。
2009年、東京から帰って来た時、まず最初にしたのは家電量販店でパソコンとHP作成ソフトを買うことだった。
会員制の農業体験と野菜宅配で事業を立ち上げるべく、その存在を知ってもらうために、内容を理解してもらうためにHPを作ることは必須だと考えた。しかし、HPの作成をプロに依頼するだけのお金もなく、HP作成ソフト「ホームページビルダー」を買って自作することにした。
人間、本気になればそれなりに出来るもので、ガイド本を必死に読み込んで制作を開始した。しばらくして、制作スキルが大事なのではなくて、内容こそが大事なんだということを理解した。綺麗に制作されたサイトでも内容が薄っぺらければ読まれない。HPから発せられる熱意みたいなものが内容を見ようという気にさせ、それは作り手の思いが乗り移るのではないかと思った。
それから約1カ月、ホームページビルダーはほとんど触らず、ひたすら事業の内容を考え、それをなるべく図などで表現していった。HPに掲載するには文章主体より画像主体の方が適しているからだ。独立前に散々事業を考えたつもりでいたが図示できるレベルには至ってなかった。結果的にこの期間は貴重なものになった。事業内容が明確にできたことはもちろん、その後の事業プレゼンだったり、講演などの時も、その時に散々考え自分なりに表現したことを未だに応用している。
考えればアイデアは出てくるもので、結果的にHPの掲載内容がどんどん増えていった。事業内容やサービス内容以外にも、この独り言もそうだし、佳穂の週記、地元の生き物紹介、農業体験写真サービス、しょうりき応援団、事業写真史などの補完的コンテンツも増えていった。そして、ひたすら制作すること2カ月、約50ページのHPが完成した。
その後何度か大幅改装して現在に至る。どれだけの時間をHPに費やしただろうか。ホームページビルダーをインストールした富士通のパソコンは今ではキーボードのボタンが何個か外れ、「1」「Shift」キーは押しても反応しない。これがとてもとても使い難い(苦笑)。それどころかパソコンがいつクラッシュするかもしれない恐怖、動作があやしくなる度にドキドキ・ビクビク。それももうすぐ解放される。
一応、新HPでもこの独り言はまだ続けるつもりですので、是非お付き合いください。
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6/23(土) |
21.モードチェンジ |
ワールドカップの試合が気になって仕方が無い。初戦で奇跡(好運?)の勝利を挙げた日本戦はもちろんだけど、国を問わずできれば全部試合が見たいぐらい。リーグ戦とは違う超真剣勝負は心が熱くなる。
とか言っている僕も毎日が真剣勝負。まごやさいをどうやって持続できる事業にしていくか、農吉をどう進めていくか、狭域野菜流通をいかにして広げていくか。才能もないのにあれこれ手を出して自ら首を絞めている状態。とはいえ、自分の中では全て繋がっており絶対やりたいこと、体を張って泥臭く走り回り、手を抜かず、真剣にやっていくことぐらいしか僕にはできない。
昨日は農吉の株主総会があった。僕は2回目の参加。農吉は元々地元の保育所が統合される際に、その運営受け皿として作られた会社で、株主も過半は地元の有力者で構成されている。主事業は保育所の受託運営で野菜販売事業は副業的存在。そんな中に野菜担当の取締役として市外から若造が来たので、株主には初めかなり違和感があったのではないかと思う。
また、野菜販売事業は地元外からの野菜集荷が中心で、地元の方の事業認知は低く、事業内容もほとんど理解されていなかったようだ。それが、昨年秋から地元農家中心の集荷形態に切り替え、地元の方の接点が増えるにつれて少し見え方が変わってきたように思う。また、地元自治振興区とも連携を取るようになり、それなりに良い関係が出来つつある。
総会の後、株主で出荷農家でもある方から、今度飲もうやと誘われたのは嬉しかった。是非今の取り組みを進めてもらいたい、農家として農吉にこんなことを期待したい等と話される姿を見ながら、より地元に必要とされる事業にしていきたいと強く思った。1年半、出荷現場に張り付き、農家さんと向き合い、どう野菜を出荷頂き、いかに納品まで繋げていくかを考え続けてきた。それは一応形になった。今度はまごやさいと完全連動、そして顧客のすそ野拡大。
おそらく農吉の生産ポテンシャルはまごやさいの数倍ある。まごやさいも出荷者は増え続けており、既に生産力を十分生かしているとは言い難い。ここから先は顧客の拡大が事業の拡大となる。目指すは直接販売先の倍増、モードチェンジして顧客拡大に注力していこうと思う。
というわけで、まごやさい&農吉100%地元野菜連合は広島市内の飲食店お取引先大募集中です!
多種多様(約400種/おそらく1団体の生産種類から考えると日本有数だと思います)な旬の地元野菜を、収穫翌日に保冷車でお店までお届け、しかもご注文は超簡単にスマホでOK、場合によってはご希望の野菜まで作ります!という他にはなかなかないサービス。もしご興味をお持ち頂けそうなお店があれば、是非有政までご一報ください!何卒宜しくお願いいたします。
TEL : 080-6651-0271
Mail : magoyasaiari@hi.enjoy.ne.jp
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6/16(土) |
20.就職活動 |
息子の俊助が就職活動終了宣言をした。
これまで俊助に進路に関して口出しはほとんどしていない。自分で行く先を決めればそれで良いと思っていた。ただし、就職活動に関しては少し踏み込んで話しをした。静岡まで行ってサシで話す時間を作ったのも就職活動のアドバイスが目的だった。自分が納得できる会社が見つかるまで活動すること、納得は選択肢が無い中では生まれにくいこと、自分が重ねてきた事実を整理して面接に臨むこと、PRのための質問をしない等々。
実際、同級生のほとんどが大学院に進む中で彼なりによく活動したと思う。あちこちの合同説明会に参加し、毎週のように東京、大阪に面接にいったようだ。途中で活動資金が尽き、借入申請があった。そして1社目の内定が5月、開発請負会社の技術職。一つの内定が功を奏したのか、その後も数社立て続けに内定を得たようだ。
ただ、僕の中では内定先に違和感があった。静岡で話しを聞いた彼のやりたい仕事と、その会社で出来るであろう仕事にはギャップを感じていた。敢えて口出しはせず、まだ活動を続けるのかと聞いたら、続けると言う。進んでいる会社を聞くと、確かに彼の思いが実現できる可能性がありそうだった。その後、2度目の活動資金借入申請があった。
そして先週、珍しく彼から電話がかかってきた。ちょうど清心女子学園の帰り道、電話の向こうから聞こえる声にはこれまでとは明らかに違う力強いものだった。「○○社から内定をもらったよ」。そうか、良かったな。まだ続けるのかと聞くと、もう2社ほど進んでいるところの結果が出てから結論を出したいとのこと。その2社も今回の内定先と同業だった。これから夜行バスで静岡に帰ると言って電話が切れた。そして今週、就職活動を終えたとの連絡があった。
あとは留年しないことを祈るばかり。
ちなみに、清心女子学園で話した際に、全生徒に何点か質問してみた。皆さんはこの結果をどうお感じなるだろうか。
1.あなたは仕事に対してどんなイメージを持っているか
(1)楽しそう、やりがいがある:全校生徒の3割ほど
(2)キツそう、辛そう:全校生徒の5割ほど
(3)反応なし:全校生徒の2割ほど
2.あたなは将来仕事をしますか
(1)する:全校生徒の8割ほど
(2)しない・分からない:全校生徒の2割ほど
ちなみに、2の質問でもっとも「する」と挙手したのは中学1、2年でほぼ全員、分からないと挙手したのは高校2、3年生が多かった。
アドリブで「明確な夢がある人はいますか?」と質問してみたが、これはほとんど手が挙がらなかった。さすがに全校生徒の前で手を挙げるのは恥ずかしさもあったと思うのであまり参考にならないかも。ちなみに向原小学校で同じ質問した際には4割ほどがあると答えてくれた。
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6/9(土) |
19.自己満足 |
梅雨の合間の晴れ。爽やかな風が吹いて気持ちよい。昼からぐんぐん温度が上がるらしい。本日夜までこの後予定なし。さて、何をしようか。
木曜日、岡山県倉敷市にある清心中学校・女子高等学校で話しをしてきた。広島のノートルダム清心中学・高校とは姉妹校になり、校長先生も広島で10年以上教鞭をとられていたようだ。ちなみに私に初めに声をかけて頂いた先生も広島・清心出身。まごやさいの農業体験に来てくれていた女の子たちも多くがこの中学校に入学した。何だか少しご縁的なものを感じてしまったのは僕の思い込みかな。(だな)
この学園、ユネスコスクールに指定されており、海外貢献や環境問題などの活動が活発。。生徒もグローバル意識が強く、これまでの講演は海外で活躍されてきた方ばかりだったようだ。プログラムの名称も「グローバル講演会」で、そんなところで何で僕が話すの?という感じなのだが、今年はもっと地域の現実を見ようということで「世界への一歩は地域から。足元を見つめ直そう」というテーマが設定されたようだ。できればボランティアではなく事業として社会的課題に対峙しているところがよいと思われたようで、担当の先生がその対象となる講演者を探す中で、知り合いだった九州電力の方に相談され、それならまごやさいがの良いのではないかと声がかかった次第。これ冗談のような本当の話し。ホントウニオレデヨイノダロウカ。。。
で、準備は例の如くバタバタで、早朝出荷後の岡山移動。運転しながら、これまた例の如く霞がかかったような頭で話す場面を何回もイメージする。予定の30分前に到着、少し早いので近くのコンビニでしばし休憩。この時間が結構きつい。会場に入ってしまえば腹も括れるが、その前の何とも中途半端な感じで、気を許すと強烈な恐怖心が芽生えてくる。結局予定の10分前に学校の門をくぐった。
担当の先生と打ち合わせした後、生徒が集まり始めた講堂に向かった。中学1年生から高校3年生まで約750人の女子生徒が着座した会場は男子校出身の僕にとって異次元空間。これで緊張しない訳ないよね、と自分に言い聞かせながら何とか緊張をほぐす努力をした。
生徒からの海外留学の報告(これが素晴らしかった!)の後にいよいよ出番が回ってきた。話した内容は2つ。一つは現在の事業とそこに至る経緯と今後の目標。もう一つは仕事そのものの話し。始まってしまえばいつもの通りで、何とかかんとか話した。実は一番の恐怖は冷めた目線で見られることだった。こちらが温度を上げるほど会場が冷めて温度差が生まれる状態。おそらくこれは何とか回避できたのではないか。終わった後、質問の手がかなり挙がって最後は時間切れになった。このようなことはこれまでなかったという担当の先生の話しを一応そのまま額面通り受け取ることにしよう。一旦控室に戻った後、中3の生徒が質問に来た。どうしても聞いてみたいことがあると、先生に申し出て授業を抜けてきたらしい。そのまっすぐな瞳にこちらが感銘を受けた。僕が仕事の話しで一番伝わって欲しかったこと、その一つのカタチが目の前にあった。
その後は場所を移動しての交流会。こちらは高校生が対象で、ユネスコ同好会のスタッフと環境委員約20名が参加していた。当初1時間位と聞いていたが次から次に質問が出てきて、結局場所を変えて更に2時間半。時計を見ると6時近くになっていた。色んな質問を受けて感じたのは子どもとして見てはいけないということ。質問の内容も社会人でも言えないようなこともあり、それは決して背伸びをしているようには思えなかった。純粋な関心、自分の将来も重ねながら発露される疑問に、何とか丁寧に答えようとしたら時間がどんどんたっていた。時間が延びた原因は自分にある。
その中で、もっとも答えに窮した質問。「自己満足で終わらないよう、どうされていますか?」その場では何とか繕ってはみたが、未だに自分の中で反芻している。7月末にワークショップのサポートで再度訪問するので、その時までにきちんと自分の考えを整理しておこう。
蛇足ながら、講演の最後に先生の一人から質問があった。「大事にしている行動の3原則は何か?等々」その話される雰囲気に何か親和感を抱き、後から聞いたら高校の先輩だった。たぶん2年上。正式にご挨拶ができずに申し訳ございませんでした。修道39回・青バッジ何とか頑張っています。校長先生から話しが終わった後に「有政さんは、やっぱり修道っぽいわね」と言われた。それって純粋な褒め言葉ではなさそうですね。清心から見たら我が母校はそう映っていたんですね。う〜ん、これは次回挽回しないといけないかな。
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6/2(土) |
18.新MAGO-NET |
今日はとても静かな自宅で独り言。父は朝から畑仕事、母と妻は福屋さんで催事販売に行っている。通常の出荷に月末月初の事務処理が重なり妻はほぼ徹夜。それでも笑顔で出発していった姿に頭が下がった。催事販売後は(僕以外の)スタッフに農吉のスタッフ1名も加えての打ち上げをするらしい。しかも2軒はしご。彼女の企画なのでどうにも口出しできず、ただ無事の帰宅を祈るばかり。僕の悪口でも言ってストレス発散してくれい。
あっという間に6月には入り、岡山での講演が1週間を切った。余裕を持って資料を作成するつもりがあれこれ差し込みの仕事が入って未だ完成せず。来週は時間的な余裕が無く今日するしかない。一応、農吉への往き帰りはラジオを封印して内容を考え、ある程度固まってはいるので後は資料に落すばかりの状況にはなっている。予定所要時間は4時間。これを書いたら会社に行って何とか6時までには帰ってこよう。今日は父と2人での夕食、食事担当はもちろん僕。普段ほとんど摂取しない動物性タンパク質主体のメニューにしようかな。
昨日は久しぶりに出荷日に会社にいて出荷作業を行った。農吉での出荷作業に体が順応しており、妙な新鮮さを感じた。出荷量はそこそこ、福屋さんでの催事販売で2名減の状況下、テキパキと仕事が進行していく様子に積み重ねた経験を知った。2名のスタッフは催事販売から5時前に帰社し、折角の機会なので全体ミーティングを臨時で開催することにした。目的は会社状況の共有。伝達中心で15分で終えるつもりが結局30分以上要してしまった。業績のこと、MAGO-NETのこと、農吉との連携のことなど、前回のミーティングから2カ月空き、その間に色々あったことを話しながら思った。
新MAGO-NETは一応大きなトラブルなく稼働しており、随分と作業が効率化できている。特に大きかったのは売場を作る商品掲載システムと検品システムで、商品掲載は情報の充実と効率化をかなりのレベルで実現できた。また検品は目視での検品からQRコードリーダーでの検品に換わり、検品ミスがほぼなくなった。この検品ミス、いわゆるケアレスミスで、そのもの自体は正しい商品を入れ替えれば済むことなのだけど、その後に発生する作業が膨大。正しい商品が他の注文先に入っている可能性があり、また同種のミスが起こっていないか、同商品の注文先を全てチェックする事態となる。既に車に積み込んでいる場合は最悪で、一度車から積み込んだ荷物を出し、一つ一つは箱を開けて商品を出し、正しい商品が入っているか再チェック。出発時間が迫っている時は気が焦り言葉も荒くなる。
新MAGO-NETの設計をする際に、このような作業のミスや無駄をなくそうと相当色々考えてメニューや機能を決めていった。もちろん、ミスの削減だけでなく、作業の効率化のためのアイデアも考えうる限り盛り込んでいった。結果的に、システムの改装というレベルを越えてほぼ新規開発のシステムになり、膨大な開発時間とまごやさいの事業規模から考えると分不相応なコストをかけることになった。新連携の助成を使わなければ到底できなかったこと、その過程で色々大変なことはあったが、ここに至るまでにご支援頂いた中国経産局の皆様、中小機構の村上氏、そしてちゃネットのメンバー各位に深く感謝申し上げたい。全ては、このシステムを各地で使って頂いて日本中の未流通野菜を動かしていくため、これで自信を持ってスタートが切れる。
とはいえ、実際に運用してみると新たな気付きも色々ある訳で、それも順次システムに反映させ続けている。今月は3か所に導入しなくてはならない。もうひと踏ん張り、ここまできたらより完全な状態を目指そう。ちゃネットの皆さん、そういうことで引き続き宜しくお願いいたします。
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5/26(土) |
17.籠り部屋 |
主の居なくなった2つの子ども部屋は僕の籠り部屋と来客用の客間に変わった。この独り言も籠り部屋で書くようになり随分と所要時間が短くなったように思う。以前は居間の一角に置かれた机で書いていて、テレビあり家族の会話ありで、気にしないつもりでも結構影響を受けていたことが分かった。そういえば、前職で取引きのあった某大手アパレルの経営者は毎年一ヶ月間ハワイの某所に籠って雑音を排除し事業の構想を練られていた。ハワイと自宅の一室じゃ笑うほど差があるけど、その有用性が若干垣間見えたかも。
山の新緑は濃い緑に模様替えし、金属音のようなセミの声に立ちのぼる熱風は既に夏の風情。5月末はまごやさい(当時はしょうりき山里公園)創業からの事業「旬の野菜宅配」が始まる時期で今年で10回目。だいたい3,000〜4,000円の野菜をセットにして月1回お届けしており、それを年末まで続ける。1グループは月1回発送だけど、それが4グループあるのでこちら側から見れば毎週宅配を送り出していることになる。普段の販売業務にこの仕事が乗っかってくるので一気に大変な感じになるのだけど、まごやさいの原点といってよいサービスであり、お客様の反応がよりダイレクトに伝わって来てやりがいがある。農家さんもこの宅配サービスに自分の野菜が採用されるのが楽しみになっているようだ。以前はそれなりの件数の野菜を集めるのが大変だったが、今は出荷希望を募ればそれ以上の候補野菜が挙がってくるようになった。農家さんが増えたこと、またそれぞれの農家さんが作付を増やされたことも影響していると思われる。
ちなみに、今週月曜日に発送した「旬の野菜宅配」には13種の野菜が入った。旬であることは前提で、葉物や豆類、根菜類に山菜など、なるべくバラエティーに富んだ内容にしている。たまに「何じゃこりゃ?」って野菜も入れたりして「挑戦的な野菜が送られてきた」とコメントを頂いたりする。その一つ一つの野菜の説明を手書きで作成し、「まごやさい通信」という事業情報的な書面も入れて完成。それなりに時間はかかるのだけど、ほとんどは5年以上(約半数は当初からずっと)継続利用されている方で、その皆様に事業の現状をご報告したいという気持ちも強い。
次回は来週月曜日発送の20件。入れる野菜は確定できたので後は資料作成をするばかり、と思っていたら今日もやっぱり外出することになり明日回し。岡山での講演用資料の作成もそろそろ完成させなければならず、他に資料作成2・3点差し込みあり。草刈でもして思いっきり汗をかきたいところだけど、、、明日は籠り部屋で1日を過ごすことになりそう。
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5/19(土) |
16.ホタル |
夜の帰り道、フロントガラスの向こうでスーっと小さな光が横切った。あれ、気の早いホタルが飛び始めたのかな。娘にラインするとすぐに「ホタルいいね」と一言返信あり。その後、仮免許に受かったことやバイトの始めたことなど近況も送信されてきた。ホタルが好きな彼女は、学校の迎えから帰る時に「ホタルを見に行こう」とよく誘われた。そして自宅の前の川にしばらく車を止めて音無く飛び回る緑の光を眺めた。つい昨年までのことなのに何だかかなり昔のように思える。
ここにきて野菜の出荷が一気に増えてきた。まごやさいは例年通り1回に出荷される野菜の“のべ種類数”(1農家あたりの野菜種類の合計=インターネットの注文リスト項目数と同数)は120種を越え始めた。冬場の一番少ない時期でだいたい80種ぐらい。一番多い10月は200種を越える日もしばしばある。
昨年から農吉でもまごやさいの同様の近隣小規模農家を中心に野菜を集めるようになり、こちらでも出荷量が一気に増えてきた。のべ種類数はまだ60種ぐらいだけど、1軒当たりの出荷量が多く、金額的には既にまごやさいと近い額になっている。一応それを予測して出荷農家さんのお一人に声をかけ、アルバイトで来て頂くようにしたものの、このペースだとさらに増員しないといけないかも。
新MAGO-NETも順調に稼働し始め、まごやさいと農吉が連動して販売できるインフラは整った。次にすべきは取引先の新規開拓と農吉のスタッフが新MAGO-NETを運用できるようにすること。並行して6月半ばの南伊豆湯の花様の新MAGO-NETのシステム切り替え、7月の九州電力様への新MAGO-NET導入をしなければならない。
他の地域でも新MAGO-NET導入の話しが進みつつあり、こちらも頑張らないといけない。「小規模農家連携型狭域野菜流通」と名付けた当初は理解もされず、少し知られるようになっても「上手くいくはずが無い」と揶揄されたものだが、ここにきてようやく少し期待される状況にはなってきたようだ。
ただし、いくら各地で新MAGO-NETが導入されたとしても、これはあくまでシステムであって事業が自動的に回るわけではない。事業が軌道に乗らなければ期待値以上の失望やクレームになるのは目に見えている。人が関わって動かして初めて事業が回り始める。だからこそ、まごやさいの事業を磨き続け、それを他地域にノウハウとしてご提供できるようにしなければならない。まごやさいが7年かかって来た道のりを1年で実現できるようにすること。やるべきことはまだまだ膨大にある。
今年は過去最高の熱い夏になりそう。こんな時こそ一つ一つ着実に。取りあえず6月の気分転換は川にホタルを見に行くことにしよう。
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5/12(土) |
15.外食 |
スケジュール帳を見ると週末のやることリストには「独り言」「マスタデータの追加入力」だけ。予備日として時間を開けられるようにしていたら、思いのほか順調にこなすことができ上書きしなくて済んだようだ。
気が軽くなった僕を見透かしたように、妻から「お取引先で食事をしないか」との提案あり。横で母が激しく頷いている。その向こうでは父がニコニコ。多分この人たち下打ち合わせしていたな。次週のやることを前倒ししようと思っていたんだけどと呟くも3対1では到底抗いようもなく「どのお店にしようか」と返事をした。
家族全員を巻き込んでの事業で、「このお店は沢山注文して頂けるね」「シブい野菜をご注文されたけど、どんな料理になるのかしら」などと仕事の話しが家族の会話になっている有政家。お店に行くにも家族全員、特に両親はそれが楽しみで仕方がないようだ。
妻も最近は積極的に食べに行こうと言っている。元々は外食嫌いのもったいない星人。外食で使った金額を自宅の食材費に換算すると何日分などとブツブツ言っていたはずなのに、僕が農吉兼務になって不在がちになってから意識が変わったのか、お取引先に食べに行く企画もそうだし、お招きして交流会をするのも彼女からの発案。「使うところには使わないとダメよ」などと指導されたりもする。
そして最近の彼女の口癖は「農業をやりたい」。元々田舎の長男である僕と結婚する時に「実家で農業を手伝う」ことは覚悟していたようだ。しかし実際に手伝ったのは僕が実家に戻るまでの3年間。事業を始め農業体験プログラムや事務仕事を手伝うようになり、家計を支えるために補助教員をしたり、今ではまごやさいのほぼ全ての業務に関わるようになり、農作業からどんどん離れていっている。一方、両親は圃場を広げ以前にも増して農業を頑張っている。この野菜があればお客さんが喜んでくれるのにというイメージも多々あるようで、そんなこんながないまぜになっての発言と思われる。
今日は3時半に出発して2軒に行く予定。「どっちが飲むかじゃんけんしよう」という提案を「僕が運転させてもらいます」と丁重に断った。書き忘れていた今週末のやることに気付くも後の祭り。家に帰ってからやるしかないか。何だ結構忙しいじゃん。まずは出発まで出来るところまでやろう。
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5/5(土) |
14.働き方 |
雨上がり、快晴の早朝。艶やかな新緑と澄んだ空気が心地よい。こんな時は決まって山道コースで庄原に行く。GWの影響かすれ違う車はほぼ皆無、煽られることもなく、前の車にイライラすることもない。通い始めて一年半、何度この道を通っただろうか。
GW期間中は飲食店の注文が減り、農家さんの出荷も減少傾向で何となく静かな職場。会社員をしていた頃は脱出と称して小旅行に出かけたものだか、もう10年もしていない。世の中では働き方改革なんて言葉が躍っているが、完全に働き方が変わった自分を認識する。
成果を生み出すための多様な働き方を求める産業界と、会社もしくは経営者は労働者を搾取するという考えがベースになっているとしか思えないような、しかも労働者代表のように反対意見をまくしたてる某団体のテレビ討論がたまたま目に入り、思わず苦笑した。
僕自身の働き方は変わったが、働く意識はたぶん社会人1年目から変わっていない。成果も出していないのに残業手当をもらうのはものすごい違和感があったし、ベンチャー時代は業績が厳しければ自ら給与を下げてもらうように申し出た。深夜労働日常茶飯事、会社の床で朝を迎えたこともしばしば、でもそれは強要されたことではなく、自らの意思でしたことだ。お客様あっての事業、締め切りがあって、求められる品質があって、同時並行的な状況があって、それをきちんとやろうとすれば時間通りにはいかないこともある。労働時間を守るために、やっつけ仕事で品質を下げて締め切りに間に合わすなんてことは自分自身が到底納得できない。
もちろん、そんな働き方が当たり前とも思わないし、希少種の部類に入ろう。段取りが悪いから時間がかかるという人もいるだろう。甘受。でもね、それはそれで楽しかった。また、そんな過程を経て計画を立てる重要性を理解し、段取りを覚え、他者との協働を積極的に行うようになった。たぶんその過程が無ければ今の自分には到底至っていなかったと思う。いや、今でも自分の力不足を痛感するのだけど、その過程が無ければ本当に使えない人になっていた確信めいたものがある。
実は6月某日、岡山の私立中高一貫校で講演を依頼され、ここ2週間ほど内容を考えている。もちろん会社の床で朝を迎えるような働き方を勧めるつもりはないけど、仕事に対してポジティブなイメージが持てる場には出来ればと思う。中学1年から高校3年の全校生徒が対象、しかも全て女子。お受けはしたが、本当に僕で務まるのだろか。。。
タイトルの締め切りはGW明け、僕の場合、初めに話す内容の塊を決めて、それからタイトルが生まれて、その後内容の詳細に落とし込む形が合っているようだ。話す内容の塊候補はいくつかあり、繋ぎ方も含め、もう少し考えれば腹に落ちそう。新システム関係の仕事と野菜販売準備をやっつけた後に再度考えることにしよう。締め切りから逆算すると手を付けるのはおそらく明日の夜。
こんな働き方も一般論としては駄目になるのかな?(笑)
そういえば僕はその対象ではなかったな(苦笑)
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4/28(土) |
13.視察 |
今週もまた例の如く色々なことがあった週だった。出来事もそうながら感情面の上下が結構激しかったかな。嬉しいことが、厳しい状況が、ショックな出来事が短いスパンで次々現れる感じだった。
まず大きかったのは視察3件。3件といっても実は同日同時刻、システム開発をしてくれてたちゃネットの社長も参加し、しかも出荷日でもあったので朝のセンターは人でいっぱいになった。
視察1組目は前々からここでも書いている福岡某大手企業K社の皆さん。前日入りして今後のまごやさいとの協力関係や費用の件、事業の具体的な進め方などをじっくり話し合い、夜は飲みながら親交を深めた。そして当日は新システムの説明や出荷作業の体験研修など。もう4回目の来向でありスタッフも顔なじみ状態。「ユウ子さん」(母です)、「○○ちゃん」とお互い呼び合う光景が微笑ましい。
2組目は広島県某市の市議会議員Tさんと地域おこし協力隊Tさんの2名。今回2回目の視察で、実際の出荷現場をご覧頂いてより理解を深め、自分たちでもできそうか、やりたいことかしっかりご覧頂くことが目的だった。実際に農家さんが出荷される場面、スタッフの対応、実作業、現場の雰囲気などがどう映っただろうか。
3組目は広島銀行の方々。向原支店の支店長さんに本店からも2名お越しになり事業の実際を見て頂いた。広島最大手地銀として地域活性を推進していくための部署を新設されたようで、その方策の一つに地域商社を上げておられるようだ。これは全国的な流れでもあり、地域々々にある(埋もれている)様々な資源や物品の流通促進は国策としても進められつつある。その一つの手法として広島ではまごやさいの境域野菜流通が候補に挙がり、実際のところどうなのか確認に来れた次第。
我々としては新たな場所でMAGO-NETを活用した野菜流通が始まる際に、当初の必要資金をサポートができればよりスムーズな立ち上げができると考えている。これは僕自身がこの事業を始めた際に散々苦労した当初資金の確保が経験則となっており、折角の機会なので両Tさんにも引き合わせておきたいと思っことも同日に視察を設定した理由の一つ。
また、K社の進捗状況を両Tさん、広銀さんにご覧頂くことは今後の検討材料になるはずで、またK社から見ても同様の事業が別な地域でも広がろうとしていることはポジティブな状況と認識頂けるのではないか、できれば双方の事業が始まった際に情報交換のベースができればとも考えた。
てな感じで、本来その日は農吉に朝から行く日だったのだが、午前中はセンターに居てアテンドや説明をし、午後農吉に走った。僕が居なくなった後、k社の皆さんと両Tさんは食事を共にしながら話されたようだった。
他の日もなんやかんやあり、今思い出しても胃がキューっとすることもあったが、詳細ここでは割愛。その出来事は今後の成長の糧として受け止め活かしていきたいと思うし、相手方もその機会になってくれることを願うばかり。
明日は、まごやさいの大事なお取引先のスタッフ及び家族計70名での田植え行事。朝から妻や母は準備で飛び回っている。僕も早く机仕事を終えて参加しなくては。ご参加者のうち4名の子どもたちが運営側のスタッフとして今日からやって来る。(自分の意思で来てくれるようだ。本当に嬉しい)、まごやさいスタッフのお孫さん2名も今回初参加。今のところ時間通りに事は進んでいる。段取り8割、しっかり準備をして明日に臨もう。月末の諸業務は、、、明日の夜かな。ビールを飲まない意志を強く持つべし、俺。
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4/22(日) |
12.今日一日 |
光溢れる田園風景を窓越しに見ながら、少し前まで佳穂が使っていた勉強机で独り言を書き始めた。どの田んぼにも水が入り、あらがきをするトラクターの音が遠くから聞こえてくる。あっという間に山は新緑の黄緑が覆い、ツバメが飛び回っている。こんな日は外で草刈りでもして思いっきり汗をかきたいところだけど、部屋に籠ってたまった机仕事をやっつけている自分が恨めしい。
昨日は、急にクロスエイジの藤野社長がお越しになった。福岡に本社を置くこの会社、農業ベンチャーとしてその筋ではとても有名で、会うたびにとても刺激を受けてきた。九州大学の学生ベンチャーとして起業、専業農家の流通支援を主業とし、14年で10億円を超える事業に成長させたキレ者の経営者。比較してはいけないと思いつつも、どうしても今の自分と比べてしまいちょっと落ち込む。まあ、それでも興味を持ってくれるぐらいまでにはなったかと思い直し、昼から広島市内に営業に出かけた。
こちらも急に親戚の不幸で北九州の実家に帰ることになった妻も同行。新幹線の時間まで一緒に営業することにした。妻が横にいることに少し違和感を覚えながら新規の店舗で事業の説明をしていると、なかなかタイミングよく妻が説明を補足してくる。自分不在の1年間が彼女の事業理解を深めたことを実感した。
無事営業を終え、某病院にお米の納品に行った、タイミング良くとてもお世話になった院長先生と顔を合わせることができしばし四方山話。その後、ワインショップを併設する取引先に母のワインを買いに行き、その足で卸先の小売店の売場も視察。もうちょっと時間があったので、これまた取引先のカフェでコーヒーを頂いた。
広島駅に妻を送った後、折角この時間に市内にいるのだから何件か取引先を回ってみようと思い返し、ノンアルコールビールで何軒か梯子。これまた偶然に知り合いに会い、あれこれ話すうちにあっという間に22時。久しぶりに夜の37号線を運転しながら、beをしていた頃を思い出した。強烈な睡魔と闘いながら窓を全開にしてこの道を何往復しただろう。車を道路脇に止めて仮眠を取り、いつも見るのは居眠り運転の夢。脂汗をかきながらハッと目を覚まし、またふらふらと車を運転し始める。7年前の自分、あの頃から少しは成長できたのだろうか。
家に帰ると満点の星空に蛙の大合唱、少し気持ちが軽くなった。メールの返信を何件かして風呂に入り、もう一度今日を思い出す。
よし、今日はこれでおしまい、午前中するはずだった仕事は明日に回そう。今週は視察3件に恒例の田植えイベントがある。元気に皆さんを迎えたい。
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4/14(土) |
11.応援 |
「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選ばれた反響がすごく、お取引先様・知人・友人からの沢山の応援メッセージを頂きました。こんな小さな事業なのに目指すところは結構大きな話しをしたりして、そのギャップに思い悩み、結構落ち込んだりもします。一人で巨象に立ち向かっている感覚、そんな時にこのような応援を頂くと元気を頂くし、またやろうとしていることは間違っていないのだと思えたりします。ご連絡頂いた皆様、本当にありがとうございました。一方で、怪しげな営業や勧誘連絡までチラホラ。まごやさいをリストアップされた皆様、まだ儲かってもいないし、不動産経営にも興味はないし、貧乏暇なしの体現者につき、どうかリストから外して下さい。
さて今週、某自治体の市議会議員さんと同市地域おこし協力隊の方の訪問を受けた。MAGO-NETの開発を担当する(株)ちゃネット益田社長からの紹介で弊社を知ったらしい。行く先でまごやさいの紹介をしてくれており本当に有難い。
話しをお聞きするとやはりここでも同様の課題あるようだ。大規模化が難しい農地と高齢化、未流通野菜の存在。それに地域おこし協力隊卒業後に営む事業の話しも加わりなかなか興味深い。
地域おこし協力隊については全く詳しくないのだが、僕なりの解釈はこう。第一目的はその地域への新規定住。契約期間は3年で、その間は自治体から賃金を支給して地域の課題解決のサポートをしながらその地域の理解を深め、人と関わりを持ち、スムーズな定住に繋げていく。その間に事業を興し継続経営できるようにしてくれれば更にGood。誤解があったらゴメンナサイ。
MAGO-NETを導入して、まごやさいと同様の状況を実現できれば素晴らしいですね、という話しになったのだが、どうも地域おこし協力隊契約期間終了後に継続できる事業として強い興味をお持ちのようだ。もしそうなるのであればこちらも本望。出来る限りの支援をしたいと思う。
が、はたと考えてしまった。MAGO-NETを導入したら事業が上手くいくと思われていないだろうか。もしくはそのように思わせていないだろうか。事実、まがいなりにもまごやさいではこのシステムを使って事業が継続できる状態を作ることができた。どういう構造で事業が成立しているかも詳細までお話しすることはできる。
一方で、MAGO-NETを導入したからと言って自動的にお客様が増えるわけではない。農家さんも集荷拠点があるだけで出荷してくれるわけではない。そこには事業を営む人がいて、その人がこの事業の認知を広げ、内容を説明し、購入する店舗や出荷する農家を増やしていかなければならない。人と人とのコミュニケーション×行動量が全て。それはその人の事業に対する思いや熱量が大きく影響する。とすれば、僕がすべき最も大事なことは、この事業自体の持つ意味や意義、影響や効果についてしっかり情報提供することか。
本当に、そうなのか。マーケットを拡大させていくサポートがもっと我々で出来るのではないか。いや、しないといけないのではないか。それが出来なければ絵に描いた餅なのか、いや、そう思うことは相手に対して不遜なことなのではないか。。。
小規模農家連携型狭域野菜流通モデルと名付けたこの仕組みは、もう5年以上前から言っていることで、その方向性や内容は全く変わっていない。ただ、当時は頭の中で成立していただけで、実際は自分の目の前の事業を何とか形にすることに一生懸命だった。しかし、ここにきて、実際に広がり始めると課題や懸念点がリアルに見えて、それは解決すべき課題と転化する。どうすれば、いや、その懸念自体が違うのでは、こんなところでループし始める。
そんな時に、応援メッセージを拝見しています。もう何度見たかな。見る回数が多い時はあんまり健全な状態ではない気がします。(苦笑)そんな感じで同じところ後ぐるぐる回りながら、少しづつ前に進んでおります。もっとさっさと進めればよいのでしょうけど、どうもこれが現時点での自分の力のようです。
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4/7(土) |
10.援軍きたる |
まず、ご報告から。株式会社まごやさいが「はばたく中小企業・小規模事業者300社」(中小企業庁)に選ばれました。 http://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sapoin/2017/170323monozukuri.htm
中国経産局から推薦頂きエントリーしたものの、まさか選ばれるとは思ってもいませんでした。まだ実績的に「はばたいている」とは到底言えず、ちょっと気恥ずかしい感じです。できれば、はばたくの後に「予定の」を入れて欲しいところ。とはいえ、期待だけは頂いているということで、これも糧にして前進していきたいと思います。
さて今週。火曜から木曜日まで農業体験の受け入れをした。東京在住の社会人同期のご家族で今回2回目。初回は家族全員での参加だったが、今回は母(同期)と子二人。4年前、当時小学生だった子ども達は高校生(ソウくん)と中学生(サヤちゃん)になっていた。たまたま二人の予定が空き、どこか行こうかと話していたところ、サヤちゃん(4年前は農業志望女子だった)が「また園長のところに行きたい」と言ってくれたようで、急遽来ることになった。
当時の面影は残っているものの、すっかり大きくなった2人。来るのはよいが宿泊費分は働いてもらうと伝えてあり、本人たちも気合十分。来るなりいきなり農作業。新たに借りた田んぼの石拾いから始めた。昼食をはさんでソウくんはトラクターで石を拾った田んぼを耕してもらった。サヤちゃんは有政ばあちゃんと一緒に畑の畝を均しマルチ張りを行った。所用で外出して帰ってくると、二人のキラキラした顔に一日の充実感が現れていた。
2日目は、出荷作業。彼らがやってきた4年前はまだ家で作業をしており、センターでの出荷作業は初めて。急に野菜が出始めたこともあり、朝から農家さんの出荷ラッシュ。年の中でも上位に来るぐらいの出荷があった。2人の呑み込みの早さと手際の良さに他のスタッフも驚いた程で、パック詰め・検品・箱詰めと到底終わりそうもなかった作業が2人のお蔭で時間通り終えることができた。
夕方、サヤちゃんが翌日の始業式に出るため1人で帰京。残ったソウくんに3つの仕事の選択肢を提示した。
1)深夜2時〜5時までの最終出荷作業をする 2)5時〜12時の店舗納品に同行して補助作業をする 3)10時〜昼まで有政ばあちゃんと畑で定植作業を行う。本人が選んだのは1と3、最後まで本気だった。
最終日、僕は講演予定の岡山の私立高校の先生と打ち合わせがありセンターに出勤し、そのまま残って仕事をしていると、予定通り仕事を終えたソウくんとその母がセンターに来た。帰りの電車まで少し時間があったので有政的とっておき絶景スポット「神之倉公園」に車で上がった。昼までの曇りがウソのよう晴れ渡り、満開の桜と相まって予想以上の風景を見せてくれた。名残惜しさを隠しつつ、向原駅まで送って本件終了。
今回が2人にとって意味があるものになってくれることを祈る。また成長した2人に会いたい。
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3/31(土) |
9.あれこれ |
少しずつ片付けられていく佳穂の部屋に一抹の寂しさを覚えていたが、昨日荷出しが終わりすっかり空っぽになった部屋にを見て逆に清々しい気持ちになった。特に親らしいことはしてこなかったけど、まだ扶養家族ではあるが、送り出せば一応これでお役御免。自分で行き先を決め、それを実現するために自己努力を重ね、結果を出した。後は自分の信念に従って思いっきり生きてくれい。悪いが生活費は自分で捻出してね。次に会うのは半年後か1年後?はたまた2年後か。名古屋で仕事がある時は飯を一緒に食べよう。新生活を迎える君が少し羨ましくもある。
2月の業績は何とか回復、まだマイナス分を取り戻すまでは至っていないが、これで流れが変わって欲しい。野菜不足が少し改善されたのか、昨日はかなり沢山の野菜を出荷頂いた。農吉も地元の農家さんが増え、朝から出荷ラッシュ。「あんた、こりゃ何の野菜ね?」「あんたぁ〜上手に作っとるね」と出荷した農家さんがお互いの野菜を見て会話するまごやさいと同じ光景が庄原でも現れ始めた。
その農吉、昨日は取締役会があった。常勤の取締役は2名、非常勤が2名+経理担当の5名で行われた。昨年の同時期にも参加したが、その時はまだ入社前で顔見せ的な感じで要領も分からずただ話を聞くだけだった。今回は1年間の業績報告と来期の方針を発表した。損益水準は昨年並み、ただ体質改善を図るために不良在庫を処分したり、業務の効率化を目的に作業場所を移転したりと臨時の大きな出費があってのこと。一応利益率は良くなり、戦える体制を整えることはできた。おそらくこの方向で業績を伸ばせばきちんと黒字化していくはず。ちょっと希望の光が見えてきたかな。メンバー総員、hands
on!
とか、色々考えながら、桜が咲き始めた庄原〜向原間の夕方の山道を走った。その同じ道を一昨日の朝も走っていた。その時は借りた9人乗りのワンボックスで、目的地は足立美術館。佳穂がどうしても行きたいと前々から言っており、どうせ行くならと元ジュニアスタッフの地元の小中学生3名も誘って総勢8名、賑やかな道中だった。残念ながら僕には芸術的な視点も興味もなく、ただの運転手。徹夜明けの強行軍でいささか疲れたが、まあ最後のご奉公。
そんなこんなで、結局やるべき仕事が溜まりまくってしまい、これから会社に行って残務整理してきます!
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3/24(土) |
8.申請 |
福岡から義母が佳穂の身辺整理助手として来広しており、少し賑やかな週末。遅くまで親子3代の女子話しは尽きない。
今週のメインイベントは助成金の最終確定検査。助成金申請の権利を得る「新連携事業認定」を取るまでに約2年、助成金申請をして約1年半、実際に助成対象事業を始めて8ヶ月、いよいよ大詰めを迎えた。対象事業は大きく5つ。
1.広島大学との共同研究
2.新システム(MAGO-NET)の新規開発
3.TJ広島でのプロモーション
4.飲食店向けの事業紹介ツールの整備
>テーブルPOP
>カタログ
5.MAGO-NET貸出先向け事業紹介ツールの整備
>ホームページ
>カタログ
この助成事業が始まる前、経産局の担当者から「事業報告が結構大変ですよ」「専任の担当者を付ける所もあるぐらいですけど、社長さんが担当で大丈夫ですか」とか言われたのだが、まあ、何とかなるだろうと高を括っていた。
実際始まると、担当者の言葉がオーバーじゃないことが分かった。とにかく細かい。あ、これ僕の感覚なので普通はこうなのかもしれないが、、、発注仕様書・見積り・発注書・納品・検収書・請求書・支払証拠書類・受払簿・この事業の効果・・・。日程が順を追っているのは当たり前のこと、その文言も揃っていないといけず、大雑把な僕が作る資料は突っ込みどころ満載。あれがダメ、これがおかしい、何度も差し戻され、関係者に何度も修正を依頼して迷惑をかけてしまった。
助成金の不正受給が社会問題になる中で運用の厳格化はいたしかたないことだろう。僕も初めての助成受給で慣れていないこともあるだろう。この助成が無ければMAGO-NETの開発はできず、その後の展開もなかった。ただ、増えていく資料を見ながらちょっと考えてしまった。
何とか3月中にこれをきちんと終えて次に向かいたい。
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3/17(土) |
7.福岡 |
土曜午前、快晴、15度、微風。福岡で暮らしていた頃は速攻で海に行って釣り糸をたらしたものだが、それも今は昔。もう3年釣りに行っていない。
今週月・火曜日は計10年間過ごした思い出の地、福岡に出張した。博多駅に降り立つと風景が一新されていた。大きな商業施設が門のように駅の両脇を固め、明るいコンコースには人があふれかえっている。唯一、甘ったるいミニクロワッサンの匂いだけが過去の記憶と結びついた。
慣れないジャケットを着て向かった先は某超大手企業、巡回バスに乗って10分ほどで到着した。昔勤務していた会社事務所と近い場所にあり、こちらは懐かしくその風景を思い出した。当時は営業しようにも相手にもされなかった会社に、今は招かれて訪問している。不思議な感覚を味わいながら打ち合わせ会場に向かった。
この独り言でも何度か触れた福岡でのMAGO-NET展開。正確に表現すると、この会社がやろうとしている野菜流通新規事業のインフラ部分にMAGO-NETを使うということになる。今回は2ヶ月間の実証実験の結果検証と課題整理をサポートするために招かれたという次第だ。
僕の状況を配慮してもらってスタートは13時。さすが大手企業、結果検証の資料が素晴らしい。手順をきちんと踏んだ検証プロセス、レーダーチャートを使ったサービス評価、実際の画像、もちろん試験業務も実際の農家・飲食店に協力を仰いだ超リアルなもの。まごやさいで構築してきた事業が福岡でガラス張りになっていく感じがした。
結果は総じて良。この実証事件を経て、ここにいる新規事業メンバーの思いが以前より強くなっているのが分かった。浮かび上がった課題は即ちサービス改良のヒント。議論が全て前向き、具体策がどんどん話し合われた。
僕からは出来上がったばかりの広島大学との共同研究結果の報告をした。中山間の野菜流通構造、まごやさいの事業が農家および飲食店からどのような評価を受けているか、支持される理由は、課題、地域に与える影響など、こちらはより学術的な観点から事業がガラス張りになった。(本研究報告書は7月に公開する予定です)
当初、ミーティングは3時間程度でその後は拠点候補地の視察に行く予定にしていたが、議論は尽きず2時間延長し、終わった後も居酒屋に場所を変えて喧々諤々。懐かしい焼き明太子にゴマサバ、モツ鍋、シメはちゃんぽん麺と福岡の食も満喫できた。終わったのは23時。
翌朝は拠点候補地の視察。福岡市内郊外、県西エリア、県南東エリアと福岡を東西南(北は出発点)と車で次々移動し、農家さんと話し、あちこちに広がる畑を見て、事業を担ってくれそうな人と打ち合わせをした。僕の眼には広島より未流通野菜も顧客層も数倍の規模があるように見えた。
小倉駅で新幹線に乗ったのは17時。車中で、その昔味わった高揚感が再び湧きあがってきた。そうだった、この事業の可能性に気付いた時、当時は僕一人の中で消化しきれない溢れだす感情のやり場に困ったものだが、今は違う。福岡で、庄原で、南伊豆でも共有し話し合える同志がいる。世の中に必要な存在になれるよう、共に進んでいきたい。
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3/11(日) |
6.借入 |
急遽、土曜日に名古屋に行くことになり一日遅れでの独り言です。お陰様で娘の佳穂は名古屋大学農学部応用生命科学科に進学が決まりました。応援頂いた皆様、気にかけて頂いた皆様、本当にありがとうございました。結果が出るまでは自分の受験の時よりドキドキしてしまい、結果が出たら出たで一抹の寂しさがあります。そんな私を横眼に、妻はこれで仕事に専念できるなどとおかしなことを言っていたりします。当初9人で生活が始まった我が家も(当時は妹親子や叔母も住んでいました)4月からは両親と我々夫婦の4人生活、一人一部屋でも余ってしまう状況になってしまいました。
とか、感傷に浸っている間もあまりなく、今週はバタバタ・ドキドキの連続だった。何と言っても助成金にまつわるあれこれ。中でも一番冷えたのは資金繰り。今回の新MAGO-NET開発やホームページ・パンフレット類のリニューアルは「新連携」事業認定事業者限定の助成金を活用しており、今後の事業成長に向けた投資額の2/3が助成される。特に新MAGO-NETの開発は今後の展開のためには必須であったが、再開発となるとかなりの資金が必要になり、この助成金を活用しなければ到底難しかった。
助成金は実際に支払った金額が対象となる。要は先に投資した金額を全額自分で支払って、その事実を確認した後に助成金が下りてくる。その先に支払うお金が現預貯金で到底足りず、銀行に事情を説明して金額相当額の融資枠を予め確保していた。対象経費の請求がある度に銀行から引き出して支払っていたのだが、そのうち日々日々の事業経費の支払いにも充てられた格好となった。恥ずかしいことに昨年秋以降の野菜不足で収益が悪化し、運転資金が目減りしていたのを見逃していた。そしてこの3月の大きな支払いが融資枠を上限まで使っても足りないことに最近気付いた。
払えなければ助成対象とならず、その金額を全て有利子負債にすると事業運営が困難になることは容易に想像できた。気付いたのは土曜の夜。追加の借り入れができるだろうか、胃が締め付けられる感覚を引きずりながら月曜の朝を待った。そして朝イチ、銀行の担当者に連絡を入れた。幸い事情を理解頂き早期に別枠で融資して頂けることになった。ずっと事業状況を定期的に報告しており、またこれまで事業がほぼ計画通りにきていることが評価されたようだった。
とはいえ、全額ではないにせよ借入れは増える。法人化した時の借入れもまだ返済途中。足元の事業でしっかり利益を生み出せなければ早晩運営は行き詰る。3月から4期の下期。前半のマイナスを取り返して、且つ利益を上乗せできるよう頑張るしかない。ほんと、気合が入ります。
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3/3(土) |
5.気合い |
そうか、今日は桃の節句か。娘に節句らしいことを今までしてこなかったなと、ちょっとした罪悪感が頭をよぎる。その娘は今日も朝から学校に行って自学、妻は一週間の買出しに行き、両親は畑で作業をしている模様。妙に静かな居間で、いつものノラ・ジョーンズとジャック・ジョンソンが連装された25年物のミニコンポ(まだ我が家では現役です)をかけ、パソコンを立上げた。何だか体が重い、先週末からのバタバタが響いているのだろうか。体力だけが自慢だったのに俺もそろそろ、と思いかけて慌てて否定する。
先週末は、土曜日早朝まで野菜の仕分けをして、1時間程仮眠した後に名古屋に移動。道中は結局間に合わなかった日曜の講演に使う資料作り。到着後、妻と娘と3人で昼食を取った後、ホテルに荷物を預けて明日受験する大学の下見に行く。その後娘はホテルに帰り、妻と一緒に近隣の住居事情を見て回った。
思った以上に時間がかかり(さすが名古屋、広いです)、19時過ぎにホテルに到着。そこから僕だけバタバタと静岡に移動。20時に静岡駅で息子と待ち合わせをしていたのだが、1時間到着が遅れることをメールで伝え新幹線に走った。汗だくで乗り込んだ新幹線の中で色んな事が頭をよぎった。偶然か必然か、母・娘は名古屋で、父・息子は静岡で同じ夜を過ごす。
息子は静岡大学物理科の3回生、同級生のほとんどが大学院に進む中で彼は就職することを決めた。この日は東京でインターンシップに参加し、彼も東京から今日の夜帰ってきた。ちょうど名古屋に行くので久しぶりに会うかと言いつつ、本当は就活の気合いを入れるために場を設けた。一応、僕もその昔は学生の就活講座の講師などをしていたこともあり、それなりのアドバイスはできる。静岡駅の改札を出ると、息子が既に待っていた。
結果的に親子で初のサシ飲み。ホテルでお勧めの焼鳥屋の情報を仕入れて街に出る。ほどなく見つけ、20席ほどのうす暗く少し煙った焼鳥屋の狭いテーブルで差し向かいになった。まずはビール、お父さんアルコールは大丈夫なの(弱いのをよく知っている、苦笑)と気遣いされてしまった。それから約2時間半、こちらが言わずとも、彼から今の状況を話してきた。今受けているのは金融機関。事業者を支援し、成功をサポートするような仕事がしたいという。自分の言葉でそれを語る姿を見ながら、僕が何か言う必要はないと思った。そして、そこに考えが至る過程で、僕がやってきたことが少なからず影響していることが分かった。良いも悪いもない、既に自分で立とうとしている息子に入れ知恵は不要。思う道で、今の自分で思いっきり勝負してみろ、アルコールが徐々に回ってくる自分を感じながら、何とも幸せな気分になった。いつか彼のような人材を自信を持って迎えることができる会社になりたいと強く思った。
翌朝、静岡から名古屋に移動する新幹線の中で、娘から珍しく「行って来ます」とメールが来た。その直前にその日の朝広島に帰った妻から珍しく(というか初めて)別れ際に涙をこぼしたとメールが来ており、慌てて自信を持てだの平常心でなどとメールを返信したら、直後に「精一杯頑張ってきます」との再返信がきた。僕にはふっきれた娘の姿が見えた。
人の心配をしている場合じゃないな。心配なのはこれから豊田市で行う自分の講演の方じゃないのか。結果的に子ども達から気合いを入れ直してもらったようだ。今回本当にはこの講演の話しを書こうと思ったのだが、、、それはまたいつか。
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2/22(木) |
4.転換 |
明日から日曜にかけてどうにも時間が取れそうにないので今回は前倒しで書いています。いつもの土曜日のオフモードと違い、臨戦状態の継続中の平日夜。今日も色々ありました。しばしお付き合いを。
農吉の話。野菜販売部門の責任者になってもうすぐ1年。現場に張り付いて出荷頂く農家を知り、販売お客様を理解し、そこで働く社員と接してきた。これまで事業がなかなか収益化せず、その状況を打破するためにお声をかけてもらった訳で、僕の得意領域(まごやさいの事業モデル)に早く持ち込んで一気呵成に変えた方がやりやすかったのかもしれない。
しかし、そうはしなかった。外から来た人間が現状の事業を否定することは、その社員を否定することに繋がりかねない。5人の小さな組織、人心が離れれば一気に事業自体が瓦解してしまう。まずは事業がどう回っているのか理解し、課題を見つけて一つ一つ改善することで出口を目指せないか模索した。そしていくつかのことに手を付けた。そのほとんどは業務の効率化のためのものだった。
効果は若干出た。一つは損益額の改善。もう一つは残業時間の削減。しかし、その成果は到底満足できるものではなかった。それを一生懸命やって大きくしたら明るい未来が描けるか、みんなに還元できるだけの利益を上げることができるか。僕には今の延長上に未来はないように思えた。そして、事業を大きく方向転換することを決めた。
方向の一つは直接販売比率を高めること、もう一つはトラックで各地を回る集荷体制を止めて地元農家中心の出荷にすること。言ってみれば今の事業の真逆に近い。幸い、一緒にやってきたメンバーは、ここに至る過程で何故この方向転換が必要なのかは理解してくれたように思う。
しかし、これまでのお取引先や農家さんにとっては青天の霹靂。集荷を止めるにあたって当面野菜の取扱量が減り、現状の卸先に販売中止を伝えないといけない。もっとキツイのは農家さん。これまで家まで取りに来てくれて、その上ほぼ言い値で全て買い取っていた会社が急にそれを止めるというのは猛反発を招きかねない。
しかも、農吉は農家支援を掲げて事業を推進した経緯があり、それが高じてボランティアに近い状態で事業を行ってきた。それが常態になっていたところに、僕が収益を掲げて事業を変えようとするのは、農家さん側からは守銭奴にも見えよう。事業を継続させることができなければ農家さんのお役にさえ立てないこと、全ての農家さんに同様のことを提供するのは難しいこと等、主要な農家さん一軒一軒に足を運んで説明した。
大口の取引先には2月初めから交渉に入り、いよいよ大詰め。来週には本社商品部で最後の説明、何とか理解をしてもらい、綺麗に決着させたい。
残念ながらこの間に社員の退職者も出た。もしこの社員が明るい未来を感じていればまだ居てくれたかもしれない。3月からはさらにスリムな体制になって、大きな変化の中で今以上の業務をすることになる。実際楽ではないけど、僕は行く先が楽しみだ。色々やってみたいこともある。まごやさいの事業にとってもプラスになるはずだ。
今日は、そんな過程の中での一日。前に進むための撤退戦。殿(しんがり)こそ力量が問われる。力が無いと軍は全滅の危機にさらされるとか。はて、僕にそんな力があるのかなあ。。。
週末は愛知県豊田市での講演、切り替えて、今度は進出戦?の先鋒で頑張ってきます!
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2/17(土) |
3.災難 |
テレビが気にかかってなかなか手が進まない。この独り言は大概家で書くのだけど、机の後ろにテレビがありオリンピックの競技映像が流れ続けている。切ればよいだけなんだけど、、、真剣勝負はやっぱりいい。しかも4年に一度、人生かけて勝負に臨む姿は競技を越えて惹き込まれる。そのうち俄か評論をしたりして、それが的を得たりするとそれはそれで楽しい。
さて、今週を一言で表すと災難かな。スタートは農吉から。マイナス10度を超える低温化で軽トラがスリップして側溝にはまり、それを救済に行った僕は、力づくで上げようとして何年かぶりのぎっくり腰になった。ぎこちない動作で家に帰ると父の様子がおかしい。どうも気になり、嫌がる父を病院に強制連行して診てもらうと案の定インフルエンザだった。数日たって今度は妻の様子がおかしい。絶対インフルエンザだと思って病院に行くも検査結果は陰性。ということは過労か?元気自慢の妻が痛みを言うのがどうも気になり、たぶん初めての出勤停止命令を発した。
妻は2日で復活し(再検査でもインフルエンザではなかった)、いつもの夜作業していると今度は母の様子がおかしい。大丈夫大丈夫という母を強制送還し翌日病院に連れていくと、こちらはインフルエンザ確定のB型。母と父が別々の部屋で隔離生活となった。
ぎっくり腰がそこまでひどくなく、何とか元気を保っていた僕も、目の奥が痛くなった。いつものパソコン見過ぎなのか、それとも。。。やること山盛りで今休むと色々支障をきたす。耳が痛くなるほどマスクを付け続け、うがい・手洗いをいつもの倍以上繰り返しながら体調が悪化しないことを願う。幸いにして目の痛みも治まり今日現在の体調は絶好調レベル、何とかインフルエンザはかわしたようだ。
それよりも、一番心配なのは娘の佳穂。2/25、26は大学入試の2次試験で、このタイミングで体調を崩すのはまずい。ここ何年も風邪はひいたことがなく対策もきちんとしていたようだが、昨日から咳をしているのが気になる。どうせなら、いっそ早くかかって、キッチリ治してその日を迎えられればとも思ったりする。さて、どうなることやら。。。
実は、佳穂の受験日に僕も愛知県豊田市で講演会が予定されている。佳穂の受験地も愛知県。偶然ながら同日・同地域にて親子でお互い真剣勝負に臨む。体調壊している場合じゃないよね。体調管理も実力のうち、実力を目一杯発揮してやりましょうぜ!羽生結弦くんバリにね。
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2/10(土) |
2.赤点 |
予測通り、忙しさだけは一丁前になってきた。やることが重なっても、一つずつ、一つずつと心で念じながらやるべきことをやる。心の平静を以前より保てるようになったかな、なんて思っていたら強烈なカウンターパンチを喰らって心はグラグラになった。
パンチの正体は試算表。法人化してこのかた税理士事務所に無理をお願して月次の試算表を月初なるべく早めに出してもらっており、それを元に会社の状態を把握するようにしてきた。赤字・黒字はもちろん、分野別の売上や色々な経費、前年との比較など。毎月見ていれば気付くこともあり、どんな手を打つか考える材料にもなる。
ただ、今期(昨年9月から)は助成金の絡みがあり、お金の出入りが結構複雑になったことや、僕がほとんど会社にいないことが集計作業に影響したり、あれやこれやで試算表の作成が遅れに遅れてしまった。10月以降、全国的な野菜の不作はここ向原でも然りで、出荷農家さんは増えれど出荷量は増えず、取引先も売場に野菜が無ければ減ってしまう。ちょっとヤバいかなという感じはしていたが、ようやくまとまった数ヶ月分の試算表を見て愕然とした。
詳細は割愛するが、テスト結果的に言うと完全に赤点。前期はほぼ全月合格点できており、一応昨年対比の売上的も下回ってはいなかったので、若干数字は落ちても、そこそこで収まっていると完全に過信していた。利益率の低い売上割合が感覚値以上に増えていたり、経費が予想以上に膨らんでいたりで、ちょっとひどい状況。
営業マン時代、目標未達の時は会社に帰るのが本当に嫌で、キューっと胃が痛くなる感覚を何度も味わったものだが、ちょっとそれとは次元が違う。存続に関わる問題であり、悩む暇なんて無く、挽回すべく手を早急に打たないといけない。資金はショートしないか、手当の目処はあるか、削れる経費は無いか。
これも現実。今回はあえて書いている。届いて欲しい人がいる。
もちろん、今回も乗り越えて、マイナス分を挽回して、より強い会社にしていくつもりである。目指す理想を詠いながら、もう一方でこうして事業を回しているのも事実。
この会社を作る時、資金が無かった僕は政策金融公庫に事業計画を出し、3年間で黒字にしてきちんと返済していくことを約束して借入をした。一応、ほぼ計画通りに事業を行い、ようやく少しの信用を得ることができた。借金も貯金のうち言う人もいるが僕の考えは違う。返済の大きな責務が発生し、その責務は借入を起こした本人が全て負う。
だからこそ、本気になれる、心血を注げる、明るい未来が描ける計画を作らないといけない。計画がお金を借りる方便になっては駄目だ。重い話しになったけど、その未来を描くのは特権であり楽しみでもある。
そして、一人で進むのは限界がすぐに来ることを自覚した方がよい。第一協力者は案外身近にいたりする。本気の人間には、恐らくほぼ確実に、協力者が現れる。
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2/3(土) |
1.歩み |
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年も週イチ(基本は土曜日更新)であれこれあったこと、思うところを書いていきます。宜しければご覧下さい。
まず、予告から。
今ご覧頂いているまごやさいのホームページですが、3月末に引っ越しする予定です。ホームページだけでなく、野菜を売っている販売サイトも、私のメールアドレスも全部変わります。これは、まごやさい新システム(MAGO-NETと命名)のカットオーバーに伴うもので、時期が来ましたらこのホームページでもご案内します。合わせて販促物関係も新調&リニューアル中。並行してアレコレ進んでおり完全に私の許容範囲を越えています。本当に上手くいくのだろうか。。。
さて、まごやさいの2018年は餅つきの準備から始まった。これ、自家用の話しではなく、取引先の飲食店の方々を招いての「餅つき交流会」のこと。妻が起案したもので、当初話しがあった時、僕は正直乗り気でなかった。普段お世話になっているお店の皆さんに感謝を伝え、まごやさいを使う(おそらく思考やこだわりが近い)お店同士の交流はきっと喜ばれるはず!できれば実際野菜ができる畑も見てもらいたい、というのが妻の考え。一方、僕は(一応、元飲食店経営者の感覚として)年末まで忙しく年始(開催は1/3)ぐらいはゆっくりしたいはず、わざわざ1時間もかけて極寒の向原にお越しになる方がいるだろうかという懸念がぬぐえなかった。
しかし、折角現場が意志を持ってやりたいと言ってきたこと、良い機会だと思い実施を了承。僕は指示を受けて案内チラシを作成する等サポートに回った。取引先に配って応募を待ったところ何と10組を越えるお取引先から参加の意思表示があった。1組5名まで参加可能にしており人数にして30人以上のご参加、お持ち帰り用の餅(1臼約1.5升で1000円/丸餅が40個はできます)も全組申し込み、地元の子どもたちもスタッフとして参加してくれて何とも賑やかな交流会となった。次回の開催を望む声も多数いただき、早くも次回の企画を考えている様子だ。
1月中旬にはアンケートを実施した。これは広島大学との共同研究の一環で、まごやさいの出荷農家とお取引先飲食店の実態調査のためのもの。結構ボリュームのあるアンケートでA3両面にびっしり質問項目が書いてある。内容を見た時にまず浮かんだのは「本当に書いてもらえるだろうか」という懸念。回収率50%を越えたら上出来だと思い回収目標をそれぞれ20部に設定。ご協力の案内文を添えて農家さん・お取引先に配布したところ、何とそれぞれ90%を越える回収率になった。農家さんは40軒配ったうち1軒の除き期間内に回収。少し遅れてその1軒もお持ちになられたので実質100%、内容もしっかり書いてあり、実際にご覧になった大学の先生はその質の高さに驚かれていたようだった。お取引先もしかり、率直なご意見も多数書いて頂いており、今後の事業運営の大きなヒントにもなりそうだ。本当に素晴らしい農家さんと飲食店さんに我々は支えられていると改めて思った。
農吉は昨年と同じペースで行っており、2月から事業の転換を図っていく予定。1月下旬には南伊豆に導入頂いたシステムが実稼働し始め、九州の新規案件も実証実験が2月から開始された。何だか怒涛の2月の予感、ここを乗り切れば彼方を見渡す地平線が見えてくるかも。
たぶん、越えてもまた更に高い山があるんだろうけどね、それはそれで楽しみ。越えないと見えない山がある。あれこれあるのを言い訳にして、全部中途半端に、やったことだけで満足したりしたら駄目だ。焦らず、こんな時こそ一歩一歩、着実に歩みを進めたい。
皆様、今年も宜しくお願いいたします。
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