アリ園長の独り言(2012)
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12/23(日) 40.4年間(6)
 事業資金の相談に日本政策金融公庫に初めて訪問した。

 金融機関に融資相談に行くのは人生これが初めてだ。これまでは個人の貯蓄を元手にやっており、それで何とかなっていた。逆に言えば個人の貯蓄レベルの事業しかできていなかったともいえる。来期の計画が詳細まで固まっているわけではないが、それでも明らかにやらないといけないことがあり、そのためにはまとまったお金が必要になる。そんなことで、計画を固める前に借りることができそうかどうか感触を確かめておきたいと思い訪問することにしたのだ。

 たまたま、以前ベンチャー企業のイベントがあった時に同庫の方と名刺交換したことがあり、その方に連絡を取ることにした。半年ぐらい前の話しなので初めは誰?って感じではあったが話すうちに記憶が蘇ったようで快く時間調整して頂いた。

 紙屋町の一等地。最近移転したらしくまだ新たしいフロアに席がかなりの余裕を持って配置されている。受付の「いらっしゃいませ」の一言にフロア全体の庫員がチラッと僕の方に一瞥をくれて、また無言でデスクワークに戻ったのに妙な統一感を覚えた。

 昔の仕事の癖が抜けず、このような場に来ると1人1人がどんな雰囲気で仕事をしているかチェックしてしまう。感じた印象は黙々。電話もあまりならず、従業員同士で会話をしている風情もない。端末を見ているか、下を向いて何か書いているか、その2種類しかいない。責任者はフロアの一番奥の窓際に居て、後方から見張られているような感じを受ける。前からお客に監視され、後から責任者に監視され、あまり居心地の良いオフィスじゃないなと思った。そういえば、アスクル(文具通販)のオフィスは面白いレイアウトだった。これ余談。

 それでもこんなオフィスで仕事ができるとは、やっぱり金融機関は儲かるんだな、などと要らぬことを考えならが待っていると、ほどなく担当者が現れた。値踏みをするようにじろっと僕の立ち姿を確認してから、慇懃に商談ブースに案内される。簡易なパーテーションを使ったブースで、昔よく通っていた大手スーパーの商談室を思い出した。

 さすがに身なりぐらいはキチンとしておかないとと、普段の配達の時よりは失礼のない格好をしてきたつもりでいたが、それでも黒・紺・グレースーツ集団の中ではどうしても浮いてしまう。20年間ずっとスーツだったのに、もう着る気が起きない自分にこの4年間を実感した。

 まずは日本政策金融公庫の特徴や民間銀行との違い、どんなタイプの融資があるか金利はどれぐらいなのか等を先に聞きたいと思ったのだが、いきなり「事業の状況はいかがなんですか?」と切り出されてしまったので事業説明から始めたら、すぐに「今年の確定申告書をお持ち頂きましたか?」。金融機関は当たり前なんだろうけど、何の関係形成もなくお前の財布を見せろと言われているようでちょっと違和感を覚えた。

 それに説明をかぶせることもほとんどなく、「何に資金を使いますか?」「総額でどれくらい必要ですか?」などと質問があり、その後は手続き的な説明。どうも公庫側としては貸出先をかなり増やしたいという力学が働いているように思えた。金利も決して高いとは思えないし、投資項目的に更に優遇された金利で融資を受けられる可能性があることも分かった。もちろん事業計画をベースにした審査があるので楽観はできないが、事を進めるのに良い状況であるとは言える。もう一歩前へ、もう来年のことを言っても鬼は笑わないだろう。

12/14(金) 40.4年間(5)
 先日募集した「旬の野菜宅配お試しセット」、お陰様で沢山の方からお申し込み頂き、無事お届けすることができました。沢山のメール、フェイスブックでのご紹介、本当にありがとうございました。平成25年度も例年通り5月末から野菜の宅配を始めます。受け付けは3月末まで、何卒宜しくお願いいたします。

(ここから39話の続きです)

 来年の計画がまだ固まらんのか、時間かけすぎちゃうか!?自分でもそう思うほどダラダラと引っ張ってしまっているが、本当のことを言えば頭の中ではほぼ固まっている。ただ、紙に落そうとした瞬間に手が止まってしまう現状がある。書き始めると気になることが際限なく生まれてくる。あちこちに思考が飛んでそのうち霧散しちゃう。詳細が決まっていないと言われれば確かにんそうなんだけど、今回ばかりは何度やっても同じ状況。たぶん、上手くいく確信が持てないのが原因なんだろう。

 まだ、何も分からなかった4年前の方が絵が描きやすかった。この4年間色々経験したことで地に足のついた計画を作ることができるという面もあろうが、一方で自分の中で制約してしまい、大胆な発想や思いきった行動を妨げているという面もある。

 それと、自分の中で「農業体験を通じた子どもの健全な育成支援」をしたいと思って始めたことなのに、現状は「野菜をどう流通させるか」を中心に考えていることの自己整理ができていないのだろう。頭ではこれを何とかやりきるんだ!と言い聞かせているものの、体が瞬時に反応するまでには至っていない。こんな時は往々にして目の前にあるルーチンワークに逃げ込んでしまう。作業をしていれば仕事をしている気になれる。でも、それは先延ばしにすぎない。

 諸々の状況を考えた時、来年は事業の生き死にの審判が下る年であることは明白だ。早く決めて動きださなければと焦る。そのための時間も作った。でも大事な時だからこそ安易に決めてはいけないと思う。急ぐとも焦るな。心の熟成を待て。もう少し、もう少し。

12/7(金) 39.4年間(4)
(37話の続きです)

 昔から僕が事業計画を作る際にやってしまうことがある。それは、欲張りすぎて運用面がついていかない、もしくは継続できない計画を描いてしまうこと。

 考えるうちに「これはすべき、あれもやってみたい」「これをするなら、これと相乗効果が見込める」と際限なくやりたいことが増えてくる。サービスラインナップや販売ルートは複線化した方が基盤が安定するし発展のイメージも描き易い。

 しかし、、だ。問題は誰がやるか。やることが増えるほど、1つ1つ費やす時間が減っていく。人数が固定されていれば当然の帰結だ。しかも運用方法も複雑になるので更に人手を要する懸念が出てくる。ベンチャーの基本は一点突破、怖くても絞ってやるべし、これも当たり前の話。

 また、仮にできたとしても継続しないと駄目だ。これはこの4年間で一番学んだことかもしれない。いくら体力自慢でも、仮に一日の仕事は理屈上できるとしても、ギチギチにつめた業務を長く継続するのは非常に難しい。そのうち気持ちが萎えるか、体を壊しちゃう。

 一方、37話でロスを最小化する販売先の組み合わせに触れたが、これは上記の運用面での問題を包含する反面、物流の効率化という面でも大きな効果を発揮する可能性を感じている。なぜなら宅配を使えば箱1個について比例的に料金がかかってくるが、自前で運べば一度にかかる物流費が固定され、件数が増えるほど1件当たりの物流費は低減されるからだ。ただし個人宅に直接届けるのは今回は厳しい。なぜなら配達エリアが広すぎて短時間での配達が不可能なことと、不在時の再送が難しいからだ。

 ちなみに個人への野菜宅配は現在月1回、これでは毎日できる野菜を全て使うことはできないので日々日々売る販売先が必要になる。産直市は激しい価格競争になる可能性が高く、市場を通した既存流通ルートは売価と利益の観点から手出しするつもりはない。利益を確保しながら価格を抑えるためには直販しかない。店舗を持つのはリスクが高すぎる。直販で店舗を持たないとすると、必然的にネット八百屋というアイデアに行きつく。

 顧客は個人と飲食店。予約注文ではなく、今日あるものを買って頂く仕組みができないか。競合しそうなのは野菜宅配大手(おいしっくす等)やネットスーパーか。野菜宅配は鮮度と安全を売りにしている所が多いが、基本的に予約販売が多く、注文して収穫して物流センターに集めて送るというプロセスがあり、鮮度が高い野菜が3日前後で届く仕組みになっている。確かに鮮度は高いが注文から届くまでに時間がかかる。普段使いの野菜で3日間が待てるか疑問が残る。

 一方、ネットスーパー。店舗自体をストックヤードにした圧倒的な品揃えと注文後最短数時間で家に届くという強烈な強みがある。まさに普段使いの食材にピッタリの仕組みだ。ただし、届くスピードは速いものの野菜自体の鮮度に強みがあるとはいえない。なぜなら野菜自体は市場経由で仕入れており、そもそも店頭に並ぶまでに相当な時間を要している。

 という風に考えていくと、上記2者の不得手な所を補える仕組みを作ることができれば面白い展開ができそうな気がする。おそらく今のウチでも理論上はできる。具体的に進めるにはかなり詰めないといけないところがありそうだが、検討する価値はありそうだ。

 てなことを考えながら事業計画の詰めを進めているが、まだまだ紙に落とすまでには至らない。遠いな〜。

11/30(金) 38.4年間(4)の前に
(4年間の続きを書く予定でしたが、脳のリフレッシュのため別な話を挟みます)

 最近やっていることを少し書きます。

 訳あって、最近知り合いのご子息に数学を教えている。その子のお父さんも僕が浪人していた時に家庭教師的なことをしていたので、親子2代で勉強を見ているという何とも不思議な感じだ。僕の高校時代の成績を知る奴は「アリが数学なんて教えられるわけは無い」と思うのだろうな。確かに高校の数学を教えるのは無理。微分積分なんて、問題を見だけで虫唾が走る。

 ただ、中学生となると話は別。実は大学時代に塾で数学を教えていて、手前味噌ながら結構人気の講師だった(ような気がする)。担当はいつも成績が良いとは言えないクラス。何故か(親愛の念を込めて)アホな生徒から人気があった。今思えば「分からない人の気持ちが理解できること」「分からないところが分かること」「教えるのをギリギリまで我慢すること」が大きかったように思う。

 例えば2次方程式の計算問題がわからないとする。普通は因数分解の方法を一生懸命教え、だいたい最後は(授業時間も気になって)「この方法を覚えろ」なんて言ってしまいがちだが、実はその前段階を理解していないことが多かったりする。四則演算からプラス・マイナスの概念、文字の意味、等号とは何なのか、移項するとなぜ加減乗除が逆になるのか、どうして因数分解をしないといけないのか等々、その問題を解くためのベースが何層かあり、どの層で引っ掛かっているのかが理解できないと、仮にその場は先生の(方法論の)教えで問題ができたとしても、日が経つとほぼ確実にまた間違える。

 どの層で引っ掛かっているかを理解するためには、問題を解くプロセスを注意深く観察する必要がある。そして先回りして教えないこと。手間でも引っ掛かっている層(基礎部分)の理解を促し、もう一度問題を解いてみる。そしてまた観察。1つクリアしてもまた別な層で引っ掛かることも多い。手間だけどそれを繰り返し、理解を積み重ねて自分で「出来た!」という感覚を味わうことができれば、自発的に問題に取り組み始める。そうなれば今度は同様の問題を繰り返し頭に沁み込ませる。この出来た感がとても大事で、先回りして解答方法を教えられるとなかなかその感覚がもてない。

 もちろん複数人数のクラスでは1人1人授業時間中にキッチリ上記のプロセスを踏むなんて難しいので、授業中にチラチラ観察しておいて、終わってから個別にやっていた。それも成績別クラス編成の塾だから出来たことなんだろうな。

 蛇足ながら、広島に帰ってきて数学を教えるのはこれで5人目。別に塾をしているわけではないんだけど、何故か色んな方からご依頼があり、時間の許す時はお受けしているというのが実情だ。ちなみに妻は英語を担当していたりする。好きな部類の仕事なんだけど、こうやって時間が削がれているのも事実。う〜ん、これで良いのだろうか。。。

11/23(金) 37.4年間(3)
(前号の続きです)

 販売面が非常に難しいと前号の最後に書いたが、大別して2つの難しさがあると考えている。1つは価格競争に巻き込まれない販売先であること、もう1つはロスを極小化する販売先の組み合わせだ。例えば巷に乱立気味の産直市は価格競争に巻き込まれることが多い。地元の小規模農家が担い手であり、基本的に皆さん露地栽培。すると作るものが重なることが多く、売れ残れば自主回収(もしくは廃棄)しなくてはいけない。同じ野菜があっちの農家のは全部売れ、俺のは残ったじゃプライドも許さない。そんな背景からとめどない値下げ競争が始まる。捨てるぐらいなら一円でも入れば的な感覚の値決め。これじゃあみんな共倒れだ。「すごく安いのが買えた!」と喜んでいるご婦人を見て悲しくなる。

 そんな状況なので利益を出していくには「どこで販売するか」がとても大事になる。値引き競争の土俵に乗らない売場、顧客。だから我々は個人顧客への直接宅配やこだわりのある飲食店、客層の良い小売りに絞って販売している。言うのは簡単だが、この販売ルートは舌の肥えた厳しいお客さんでもある。高い商品力なければ買って頂けない。言うほど簡単な話じゃないんだな、これが。

 それと、ロスを極小化する販売先の組み合わせ。顧客からの注文を受けるプル型の商売と、こちらから積極的に売っていくプッシュ型の商売の双方が必要だと考えている。ここはこの4年間考え・悩み・試行し続けてきたことであり、到底この紙面で納めることはできそうにないので詳細は割愛するが、要は我々の商品競争力は「農家からの出荷野菜完全買い取り」に支えられており、それを実現するためには「仕入れた野菜を売り切る」ことが重要で、そのためにはプルだけではなく、プッシュの商売を組みあわせないといけないということ。これができないと、売れ残りリスクが価格に反映され、利益を出すためには現実離れした値段をつけなくてはいけなくなる。(そうするとたぶん売れない)

 てなことを考えながら事業計画を考えているんですが、これって最終全体像から考えるとほんの一部分であり、このままでは計画を考えるだけで一年経っちゃうってことになんないか、ちょっと心配になってしまった。

 もうしばらく、このSelfレポート続けてみます。いつになったら出来上がるのやら。。。(続きは次号で)

11/16(金) 36.4年間(2)
(前号の続きです)

 計画を作る際にまず悩んだこと。それは何を事業の中心に据えるかだ。やりたいことは2つ。1つは農業を使った人材育成、もう1つが地元野菜の流通だ。ただ、同時に構築しようとすると人材的・能力的・資金的に難しい。なので、優先順位を決めて、まずその土台を作り込みにいこうと考えた。

 で、先に作りにかかるのが野菜の流通。現在地元農家が我々を含め14軒、販売先が7法人・約50名の個人。これを売上ベースで現在の5倍にすること。それができれば事業として成立するはずだ。直近の目標を5倍の売り上げとし、5倍を前提に現状を考えるとこれからやるべきことが見えてくる。

 まず業務の分析から。野菜の栽培計画→作付・栽培→収穫→梱包→出荷(to有政)→野菜ラベル作成→受注→仕分け→配達先別梱包・必要書類作成→配達→納品→請求・回収 ざっといえば、こんな業務の流れの中で、最後の出口を5倍とした時にどこが詰まりそうか(いわゆるボトルネックですね)を考える。まず詰まるのが野菜ラベルの作成〜仕分け〜書類作成の行程。現在家族3人で深夜までやっている作業だ。いくら野菜を集めても、いくら売り先を確保できても、現状はここを直さない限り量を増やせない。人手はかけられないので、ここはシステム化を図るしかない。優先順位(1)

 次に生産について。現農家さんだけでは5倍の出荷量を確保するのは難しそうだが、3倍ぐらいまではいけそうなので、当面はこのままでいくべきだろう。ただし、システム化していく過程の中で業務改善はかなり必要となりそう。具体的には野菜の内容量や値段など。かなり柔軟に対応しているので、現行のままではシステム化なんて到底できない。また、システムを入れることで、逆に農家さんの仕事が増えたでは本末転倒だ。往々にして、システム化を進める過程で現場に大きな負担を強いて、出来上がっても大ブーイングということになりがちだ。システムを構築する過程を農家さんの業務に紐付けて一石二鳥のプロジェクトに出来ないか、ここは知恵の絞りどころだ。

 そして、販売面。やっぱりこれが一番難しい。物の持つ価値が最後は勝負を決めるのだが、良いものだったら売れるというものでもない。しかも商品は鮮度が命の生鮮野菜。ただ単に売り先を増やすというほど簡単な話ではない。その上、目指しているのは農家さんからなるべく高く買い取り、最終消費者に良いものをその価値に見合った、納得のお値段でご提供すること。それで利益を出そうなんて考えているのだからただの浮世離れしたおっさんと言われても仕方がないんだけど、何とかしたい...続きは次号で。

11/7(水) 35.4年間
 現在、来期の計画を練っている。4年間続けてきてそれなりの規模にはなったが、まだ従業員を雇えるほどではなく、家族のサポート無しに成立する状況でもなく、今のペースでやったところで、そのうち行き詰まるのは目に見えている。

 ただ、悲観すべき状況とも思っておらず、この4年間色々やってきたことが結果的に良い学習となり、今後何をするかを決める貴重な材料となっている。そして何より「何をしたいか」が明確になってきたことが大きい。当初「子どもの健全な成長支援」「街と里の循環」などと言っていたが、具体論をあまり伴っていない戯言的な面もあり、実際やってみて「自分の思いこみ、意味のあること」「利益の源泉になること、なり難いこと」「実際できること、不可能なこと」を具体論の中で仕分けることができ、それをベースに「自分がしたくて、すべきこと」を自己認識できるようになったと思う。

 また、しょうりきという事業(まだ活動に近いかな)によって喜んでもらえる人を新たに発見できた。それは協力農家さん達だ。当初は自前だけでは到底足りなかった宅配の野菜を確保するためにご協力をお願いしたのだが、それが各農家さんやりがいや実収入に直結し、ますます協力関係が深まりつつある。例えば今月、支払額が10万円を越える農家さんが3軒となった。1袋100円として1,000袋を12日の出荷日に出して頂いているという計算だ。まだ生活を支えるというレベルまでは来ていないけど、孫の小遣いには十分だろう。20万円越えが間近な農家さんもいる。

 そして、この取り組みが硬直化した日本の野菜流通や農業システムに大きな風穴を開ける可能性があることにも気付くことができた。どうせやるなら日本の将来に少しでもプラスになるようなことをしたい。自分だけではできなくても、仲間を増やし、人を育てて、大きな波を作っていきたい。そのためには、まず今のしょうりきの事業を、事業として継続できる状態にすることが最優先だ。もう前に進むしかない。

 次回より計画の作成状況をSelfレポートします。是非継続してご覧下さい。

10/31(水) 34.時間ができたら...
 10月半ばからしょうりき山里公園の事業に専念している。店と農業と2足の草鞋を上手に履けるほどの力も器用さもなく、店の将来を考えて、なかなか離陸しないしょうりき山里公園の事業を何とかするためにも、そうするのが最善だと判断したためだ。

 もちろん、我々の野菜は引き続き店に提供するし、僕も9人の発起人の1人であることは変わらないのだけど、店に立つことは今後ほとんどなくなる。その時間を全てしょうりきの事業に注ぎ込み、絶対事業を持続できる状態までまずはこの1年で持っていきたい。

 そんな意気込みでしょうりき山里公園の第2幕がスタートしたのだけれど、あれもしよう・これもしなくてはと考えていたことがほとんどできていない。「時間ができた」=「できることが増える」ではないのだ。忙しい時ほど集中力が増し、短い時間でも深くまで物を考えることができた気がするし、限られた時間の中でやることを割り当てていくので、無駄な時間も少なくなる。

 そう考えると、忙しさは自分を律する外的要因とも言える。それが外れた時、自分を自分で律する強さが問われてくる。自由は自律力があって初めてその特性を活かすことができる。「時間ができたら」と言っている人はたぶん時間ができてもしない。そして、自律心は強い意志に裏打ちされる。

10/19(金) 33.アリ販売員
 昨日は福屋の店頭に立って販売員をした。

 福屋で現在開催されている「ベジタブルフェア」に孫野菜農園も売場をもらっており、そこで売り子をしたという次第。もう4回目の参加となる。昨日は僕以外に、妻と妹も店頭に立った。

 僕は販売が嫌いではない。こんなおっさんがデカイ声を出して「孫野菜農園の野菜はいかがですか〜」などと叫び続けるのは絵的にどうかと思ってしまうが、お客さんの反応がダイレクトに分かるのが楽しい。やるからには集客したいので、「こんな文言を使ったら響くのでは」とか「1人に焦点を絞って呼び込むか、多くの方に呼び掛けるか」など、単純業務のようでそれなりに考える余地が色々ある。

 そして、その場で結果が出る。僕の声に反応して売場を見て頂ける方が現れると単純に嬉しい。来てもらえば話しかけてみる。その方の興味関心を観察しながら、それに合わせて話す内容を考える。すると、その方とパチッとシンクロする瞬間がある。そして顧客に変質する。商品をお渡しする時「また来るよ〜」と言って頂けた時、やっててよかったなと、有難いなとしみじみ思う。

 不思議なもので、1人売場に来て頂けると、その人が誘因となって人が集まり始める。それがまた新たな人を呼び売場が活性化していく。そんな商売の実態が目の前で展開されていくのを見るのが面白い。野菜の置き方一つで売れ方が全く違う。だから工夫する。工夫が結果を生む。試したことが結果としてすぐ現れる。顧客商売の楽しさ醍醐味はこんなところにあるのだと思う。

 結局、普段の3倍近くの野菜を売ることができた。同じ野菜を卸しても人を介すだけでこんなに違いが出る。これが、もし嫌々やっていたら、ルーチンワークと思ってやっていたらこの結果は生まれなかっただろう。人は偉大だが、どのような気持ちでその仕事をしているかによって、同じように仕事をしているように見えても結果・成果は大きく違ってくる。まさに組織運営の要諦だと改めて思う。

9/30(日) 32.宿泊型農業研修とは???
 8月から始まった宿泊型農業研修。9月までで6組31名の受け入れをした。今回の独り言ではどのようなことをしてきたかをご紹介させて頂きます。

 まず、参加頂いた方々について。同じ会社の同僚グループとご家族連れが主となっている。田舎体験・グリーンツーリズムを目的とされる方が多く、当初想定していた「近い将来農業をしたい」と考えている方は、まだ割合的には少ない。年齢も20〜30代の方が半数以上を占めている。

 次は日程について。当初はガッツリ農業体験をして欲しいということで2泊3日のみの日程にしていたのだが、1泊2日のコースのご要望を受け2日程用意したところ、結果的にはほとんどが1泊2日の日程希望となっている。集合時間は13時、解散は翌日11時の22時間プログラムが基本形。ただし、ご参加者のご希望・ご都合により集合・解散時間を変更する場合もある。

 プログラムの内容は以下で構成されている。( )内の時間は1泊2日コースの場合の所要時間

(1)農作業体験(3〜4時間)
“体験用に用意した作業”ではなく、実際に我々が“普段している農作業”をそのまま体験して頂いている。農業は楽しいだけではなくキツイことが多いことも理解して頂くため、農家の実態をなるべくリアルに分かって頂くためだ。ちなみに、これまで実施した作業は「田んぼの四隅稲刈り※」「白ネギの土寄せ※2」「機械による稲刈りと倒伏した稲起こし」「手と機械による畝作り」「野菜の収穫」「収穫した野菜の出荷準備」
※)稲刈機の場合、田んぼの四隅は方向転換の関係で稲を刈ることができないため事前に四隅を人力で稲刈りすること。地味だけど、結構きつい
※2)白ネギの白い部分(可食部)は日が当らないから白く柔らかくなっており、その白い部分を伸ばすため土をネギに盛り上げる作業。人力でやると相当キツイ

(2)収穫〜夕食準備(1.5時間)
夕食は収穫した野菜を使ったメニューが基本。野菜ベースの味噌鍋が多いが、その他「ナスの照り焼き」や「ゴーヤとツナのサラダ」「南瓜とシソの穂の天ぷら」などの一品料理などもある。もちろん野菜の収穫だけでなく料理の準備にも関わって頂いている。

(3)神楽見学(2.5時間/移動時間含む)
神楽門前湯治村(安芸高田市美土里町)に行って頂き、地元の伝統芸能の「神楽」をご覧頂いている。送迎付きでチケットも無料!

(4)農家と語らう夕べ(1.5時間〜??)
夕食時、もしくは夕食後に、一緒にお酒を飲みながら、農家のこと・田舎のことなど、ざっくばらんに話しながら農業生活・田舎生活の理解に役立ててもらう時間。特にテーマは決めず聞きたいことを聞き、話したいことを話し、また参加者同士の交流の時間にもなっている。

(5)農業を知る座学(1.5〜2.5時間)
「農業を始める前の自己整理」と「農業の基礎知識」で構成されており、前者は自分の目指したい農業を明確にし、それに至る行動計画を考えるヒントにして頂くもの、後者は日本の農業力の基礎データや国際比較、農政の歴史などの大枠の知識や、肥料・農薬・販売方法など、より具体的な農業知識を習得するためのもの。

 これのプログラムをガッツリ全て行う場合もあれば、ご家族連れなどは座学の時間を短縮したり、農作業も子ども用のものを考えたりと、それぞれの参加目的に応じて柔軟にプログラムを変更している。一応アンケートも取らせて頂いているのだが、ほとんどが5段階中の5という最高評価を頂いており、それなりに満足して頂けているようである。

 県の助成が下りる来年1月までは参加費0円です。ご興味のある方は是非ご一報ください!

9/21(金) 31.死と向き合う
 今朝、北九州に住む義父が永眠した。

 僕が長く福岡で働いていたこともあり、よく自宅にもお伺いしたし、本当に仲良くさせてもらった。地方公務員一筋、人付き合いが良く、律儀で、茶目っ気があり、囲碁が大好きな人だった。

 肺癌であることが分かったのが今年6月、循環器系の病気治療をしていた影響で癌治療が難しく、あっという間に癌が全身に広まったらしい。入院した直後に家族で見舞いに行った時は以前と全く変わりなかったが、たった3ヶ月で天に召されてしまった。

 妻は入院した時から死を覚悟していたようだった。死の現実となかなか向き合えない父親と気弱になった母親。それを励まし、支えようとする妻。そのうち医師も重要な話がある時には妻を呼んで欲しいと両親に言うようになった。その都度北九州にとんぼ返りし、帰ってきたら何事もなかったように野菜の出荷準備を始める。そこには僕から見ても普段と全く変わらない妻がいた。

 そのうち、空いた時間に喪服の準備をし始めた。1週間前のことだ。「さすがに早いだろう」と言ったのだが、「いつ、そうなってもいいように準備しとかないと」と妻は言った。そしてまた呼び出しを受け北九州に行き、翌日には帰って来たのだが、野菜の出荷を終わらせたらもう一度北九州に行っても良いかと聞いてきた。葬儀場やお寺さんの手配をしておきたいと言う。それが昨日。朝、野菜を納品した後そのまま新幹線で北九州に行き、そして今朝を迎えた。

 朝4時、「帰ってた?」と妻から電話があった。「もう危ないかもしれない」と話している途中で「あっあっ、、」と妻の声が漏れた。電話を切ってお父さんをしっかり見ておけと伝え電話を切った。1時間後また電話があり「さっき息を引き取った」とつぶやいた。初めて聞いた涙声だった。

 誰もが迎える死という現実。頭では理解できても、現実に肉親の死が訪れた時どう向き合うのか。妻にとっても、僕や子ども達にとっても初めての現実。逃げずに自分のすべき役割を果たそうとする妻に敬意を払いたい。

 そして僕は、義父の死を今を生きる力に転換したいと思う。いつか自分も迎える死、義父が教えてくれた死という瞬間をしっかりと迎えることができるように、今を精一杯生きなくてはと考える。子ども達はこの死をどうとらえるのだろうか。少なくとも、この死をただの悲しい出来事としてのみ捉えて欲しくないと思う。

 義父さん、これまで本当にありがとう。どうか安らかに眠って下さい。

9/13(木) 30.覚悟
 ここ最近、自分と向き合うことが増えた。

 何もかも中途半端な状況を何とか打開しようとしているのか、それとも自分の中に逃げ込もうとしているのか、自分でもよく分からない。まあ、いずれにしても健全な状態ではない。

 「あれはどうしよう」「これはどうすべきか」日々起こる具体的なことから考え始め、それぞれの結論を出さないまま、あちこちに考えが飛び、いつの間にか支えとなる言葉を探している。

 自分の中にある、ゆるぎない何か。それを言葉にできれば悩みも解決すべきこととして行動に転嫁できるのに、、、などと考えてしまう。

 もう10年以上前になるか、ユニクロの柳井社長に話を聞かせてもらったことがある。当時僕の所属していた会社がユニクロの社外人事のような立場で採用のお手伝いをしており、HPに掲載するTOPインタビューの取材で時間をもらったのだ。

 会社の生い立ちや苦労話、新規事業の展開や欲しい人材像などの話を聞くなかで、こんな質問をしてみた。「責任者として大切なことは何だと思いますか?」少し考えた後、柳井氏はこう答えた。

 「覚悟、、、ですね」

 当時は、なるほどぐらいにしか思わなかったが、今になってこの言葉の意味が、柳井氏がどんなことを考えながら言ったか、理解できる気がする。たぶん今の自分に一番必要なものだ。

9/5(水) 29.稲刈り開始!
 先週更新できず申し訳ございませんでした。次週より水曜日に確実に更新できるようにいたします。

 さて、稲刈りが始まった。今年は梅雨明けからの好天で熟れ具合が想定より1週間近く早いので、9月8〜23日の間に予定していた稲刈りを1週間繰り上げることにした。

 予定を変更すると段取りを一から組み直さないといけない。稲刈りは長い工程の1つにすぎず、その後も結構やることがある。以下に記載してみると
(1)稲刈り … 稲から籾(実)を取り外して袋詰めする工程
(2)籾の乾燥 … 専用の乾燥機で20%強の水分量を15%弱まで乾燥させる工程(約1日)
(3)トース引き … 籾から籾殻を外し玄米にして袋詰めする工程(約半日)
(4)貯蔵 … 米専用の保冷庫に保管
(5)精米 … 玄米を白米にする工程

 段取りで最も大事なのは(1)→(2)→(3)をいかにスムーズにやるかということ。お米は稲刈り後そのままにしておくと品質が劣化していくので早く乾燥させる必要があるのだ。自宅に乾燥機があれば何の問題もないのだが、老朽化して一昨年処分してしまったので現在は協力農家さんに乾燥機を有料で貸りている。同じ品種(コシヒカリ)を作っていることもあり、稲刈りのタイミングが重なるため、先方の稲刈り予定日も考えながら段取りを組む必要があるのだ。

 晴れが続けば全く問題ない。予定した稲刈りを順次行い、粛々と乾燥させトース引きをすればよい。が、雨が降ると状況が一転する。籾が濡れていると稲刈機が故障する原因となり、ぬかるんだ田んぼではキャタピラが埋まるリスクも高い。そのため1日降ればもう1日稲刈りができないという状況となり、都合2日延ばせば先方の稲刈りと重なってしまう。なので、稲刈りを4日延ばすか、違う農家の乾燥機を借りるか頭を悩ます必要が出てくる。しかも、米は熟するのを待ってくれないし、時間が経つほど稲の倒伏が進み、稲刈機を使えないという悲惨な状況になりかねない。(手刈りは死ぬほどキツイのです)

 それと、乾燥機は一度に処理可能な量が決まっており、それより少なくても乾燥はできるのだが、量を減らせば相対的に燃料代が高くなりコストに直結する。よって一度に稲刈りする目標量を定め、それに達するまで途中でやめることができない。

 今回特に悩んだのは9月3日の稲刈りだった。午後からの降水確率50%、前日数時間雨が降り田んぼも若干ぬかるんでいる。時間的余裕があれば無理に稲刈りをしない方が良かったのだが、水・土曜日も雨が降る懸念があり、日曜日は稲刈りイベントで、先方の稲刈りの予定も入っており、今しなければ1週間以上稲刈りが先延ばしになる。そうなると、全て終えるまでに収穫適期を越えてしまう。

 11時頃、晴れた。雨雲は東に流れ、西側は青空が広がっている。「今、やるしかない!」母・妻・妹・叔母に伝え、御握りを腹に詰め込んで作業を開始した。ぬかるんでいるのでいつもよりスピードを落として刈る必要があり、所要時間を4時間とふんだ。目標量は30袋、「3時まで天気が持ってくれ」焦る気持ちとは裏腹にのんびりしたペースで稲刈機は進む。稲穂にまだ露が残っていたので、3人は稲の露払いをやり、1人は機械について袋詰めされた籾を下ろして、次の袋をセッティングする。

 12時半頃、雲行きがあやしくなってきた。13時、ポツリポツリと雨が降ってきた。13時半、雷が聞こえ始めた。雨は降ったりやんだりで稲刈りを強行したが、雷鳴が近くなりさすがに一旦作業を中止。本降りだけにはならないでくれよ、祈るような気持ちで曇天を眺め雷をやり過ごした。ロス時間は30分。幸い本降りにならずそのまま稲刈りを続けることができた。

 16時に何とか稲刈りを終えた。また雨が降ってきたので急いで籾でパンパンに膨らんだ袋を車に乗せる。計33袋、雨で湿気を含んでおり非常に重い。車2台に分けて乾燥機をお借りする農家に運んだ。僕は前日乾燥させた米のトース引きに取りかかり、妻はその農家の野菜の収穫に回った。(お米の乾燥をお願いした関係で野菜が収穫ができず、我々で収穫することにしたのです)

 トース引きが長くかかりそうだったので、収穫を終えた妻にその作業を任せ、僕は野菜を家に持って帰って母と一緒に出荷の準備に取り掛かる。発注リストを取引先に送り終えた時に、妻からトース引きが終わったと電話が入る。19時、また車を運転して農家さんに向かった。

 トース引きが終わり乾燥機が空いたので、ようやく今日収穫した籾を乾燥機に入れることができる。1袋1袋抱えて投入口に籾を流し入れる。1時間程で作業は終了した。

 そして今度は玄米となったお米を車に乗せる。こちらも計33袋。1袋30kg強入りなので約1トン。今日は何回袋を上げ下げしただろうと思いながら帰路に就いた。

 帰ってから、今度はお米を保冷庫に入れる。車から一輪車に積み替え、それを手押しして保冷庫まで運び、また抱えて中に入れ込む。子どもたちの食事や出荷準備もあるので半分したところで作業を終え、遅い夕食をとった。

 さすがに、今日はしんどかった。でも何とか刈り終えることができて本当に良かった。


P.S.今年は天候の影響か収量が多く品質も良いようです。来週からは新米が提供できますので宅配会員の皆様お楽しみにされて下さい!また、新米の販売もしております。ご興味にある方は是非ご一報ください。

8/22(水) 28.いよいよ始まります!
 今週末から「セカンドキャリア向け体験型農業研修」が始まる。

 新しいことが始まる時の小さなワクワクと大きな不安。何度も感じてきたことだけど未だに慣れない。切羽詰まらないとしない性格も未だ治らず、最後にバタバタして当日を迎えるのも毎度の繰り返し。「もう勘弁して〜」と思うのだが、それが中毒的になっているような気もする。

 今回の研修は、定年などで第2の人生を考えている方々(セカンドキャリア)に向けた、「第2の人生で農業をするかどうか自体を考える」体験型の研修だ。農業のスキルを習得する研修は数多あれど、農業をするかどうかを考える研修は(少なくとも僕は)聞いたことが無い。

 それは、農業団体が研修をするとスキルによりがちになり、教育団体がすると自己整理的な観点が中心となるからだと思われる。今回の研修はその間を埋める位置付けになり、「農業をしてみてもよいかな?」と考えている方が対象になる。具体的に農業をしたいと決めている顕在層より、農業に興味を持っている潜在層の方が、圧倒的に母数は多いはずだ。

 ただ、母数は多くても興味関心段階では、「研修に行ってみよう!」という具体的行動に結びつけるのが難しい。よって、参加者を集めるためには参加するハードルを下げる必要がある。今回は幸いにして県の助成事業なので研修費は無料。しかも広島駅まで送迎付きにしたので、相当ハードルは下がったはずだ。

 一方、広島駅までの交通費と、広島の山奥という距離感、2日〜3日(1泊2日、2泊3日の2コースあり)の時間確保という問題は残る。それと、告知の問題。限られた予算の中でどうやって研修の存在を知ってもらうか。ここが一番の知恵の絞りどころだ。

 今回は複数の団体が関わっているのも懸念点かもしれない。総力を結集できれば相当な力が発揮できると思うが、往々にして互いを牽制し合ったり、誰かがやってくれると考えたりして物事が進まないことが多い。新しいことをする時は、強烈な思いのあるリーダーがいるかどうかが大事だ。

 さて、今後どうなることやら。。。本件、随時報告していきます。

8/14(火) 27.里山ミニ合宿レポート!(2)
 まずはじめにすることは「段取り会議」。ここでは、合宿に参加するに際してのルールや安全確認などを説明する。街中では「車」や「不審者」に気を付けろと言うのだろうが、ここでは「蛇」や「蜂」などがその対象で自分の身は自分で守らなくてはならない。そして、この辺りの人は皆知り合いなので「知らない人にも元気に挨拶しなさい」と伝えた。

 その後、夕食準備→農作業→また夕食準備などと息つく間もなくプログラムは進むのだが、長くなるので割愛させて頂くが、どのプログラムも子ども達は一生懸命取り組み、予想以上の働きにスタッフとして参加してくれた大学生たちも驚いていた。

 体をたっぷり動かしたのでおなかも相当空いていたのだろう。「いただきます」ももどかしく、まさにガツガツ食べる。しかも自分が作った料理、マズイ訳が無い。食べ終わったのが19時40分過ぎ、食器を片付け20:00からは勉強時間に突入。「時間を守る」をルールに入れたためか、時間前には子ども達はそれぞれ勉強部屋に行き始めた。さすがにこれ以上頑張るのは難しいかなと、少しして部屋を覗いてみると、そこはピーンと張り詰めた空気が支配していた。誰ひとりしゃべることなく机に向かっている。

 この合宿は、親ではなく子どもの意思を尊重して参加を考えて欲しいとお願いした。だからなのか(そう思いたいが)子ども達は仕事も遊びも本当に一生懸命取り組んでくれる。寝る前の話し合いで「いつもこんな感じで頑張っているの?」と聞くと一様に「違う」と言う。「へー、やればできるんだ」と言った時の、子ども達のちょっと誇らしげな表情が心に残った。

 夜は、自分たちで裏庭に設営したテントで寝る。騒ぐのははじめのちょっと間だけで、すぐに寝息が聞こえ始めた。おそらく本人達はあっという間に朝を迎えたことだろう。6:00に起きて15分で身支度をして6:15からは再び勉強時間となる。今回は「取りかかる前に『ここまでやる』という目標を決めて頑張ってみようぜ」と話した。結局持ってきた宿題や課題を全て終えてしまい、本を読んで時間を過ごす子どもが続出した。

 この後は、朝食→農作業→山登り→昼食→川上り(上流に向かって川を上っていく)とプログラムは続くのだが、それをなんなくやってのける子ども達がたくましく見える。下は小学校1年生から上は小学校5年生まで、3回の合宿で参加した19名の子ども達全員が全てのプログラムを完了した。

 最後に彼ら彼女らに伝えたい。「君たちは、やれば出来る!」

8/6(月) 26.里山ミニ合宿レポート!(1)
 今年初めて宿泊型の体験行事を開催した。

 前々から考えていたプログラムだったけど、24時間スタッフを張り付ける人的余裕が無くずっとお蔵入りさせていたのだ。今年は妻がこの事業に専念してくれることになったので、やることができたという次第。

 対象は小学生で、子どもが「参加したい」と意思表示するのが参加条件。どれぐらい集まるか心配だったけど、お陰様で3回全て満席となった。しかも西は福岡、東は埼玉と広島以外にお住まいの方からもお申し込みがあり本当に有難いことだと思う。

 また、今回は広島大学教育学部の学生もスタッフとして参加してくれることになった。僕が大学の時の担当教官が現在は広島大学で教授をされており、なかなか子どもと接する機会のない学生に経験を積ませたいと派遣の申し出があったのだ。こちらとしても大人のスタッフは多い方が助かる。ただし、数が多くなりすぎると主役が入れ替わる懸念があったので、1回3名を上限にした。

 2日間の内容は以下の通り。
[初日]
15:00 始めの話し合い(自己紹介・合宿の決意表明・合宿のルールと注意点・スケジュール説明)
15:30 親のお見送り
15:40 宿泊用のテント設営
16:00 夕食準備(1)〜トマトカナッペ、キュウリとツナのサラダ、ズッキーニのソテー、冷汁の下準備
16:30 農作業(畑の水撒き、超キツイ草取り) ※チームに分けて行う
18:00 夕食準備(2)〜各料理の仕上げ ※この間交替で入浴
19:00 夕食 ※食器のセッティングからかと片付けまで自分たちで行う
20:00 勉強
21:30 1日目の振り返り
21:45 洗面・就寝
[2日目]
6:00 起床・洗面
6:20 勉強
7:20 朝食 ※外でホットケーキを子ども達が焼いて食べる。もちろん場のセッティングから後片付けまで
8:00 農作業(チーム対抗超キツイ草取り)
9:30 山登り(アリ山パークで遊ぶ)
11:30 テントの後片付け
12:00 昼食(冷汁)
13:00 川上り(周囲に家の無い手つかずの川を上流に向かってひたすら歩く)
14:30 終わりの話し合い(2日間の感想、頑張ったこと、スタッフから一言、親へのお礼)
15:00 解散

親がいるのは初日と2日目の話し合いの時だけ。それ以外は参加者としょうりき山里公園スタッフとの共同生活となる。親元を初めて離れる子どもも多く、しかも上記の通りの超詰込み型のプログラム。本当にウチの子は大丈夫なのかと親御さんの不安そうな顔が覗く。実ははじめと最後だけ親御さんにご参加頂くのは、24時間での違いを見てもらうことなんだけど、さてどうなったかは次回続きを報告します。

7/31(月) 25.しょうりき農園進化中!(2)
(前号の続き)

 翌年はトウモロコシを作らなかった。もう一度チャレンジする気も起らないほどの完敗だったからだ。2年間の経験から、農薬を使わなくても出来が良い野菜にシフトした。葉物は虫にやられやすいのでどうしても根菜類が多くなった。

 それらの野菜は違う農家と沢山作っており、且つ露地栽培農家が中心なので収穫期も重なってしまった。玉葱、ジャガイモ、大根、カボチャ、ナスなどが大量に収穫され売るのに一苦労、売り切るために値段を下げざるをえず、またまた経営大失敗。しかもこの年からbeのランチがスタートし、物理的に農作業に関わる時間が激減した。

 すると、僕の不在を埋めるように、昨年から農園で仕事をしていた妹の民代が存在感を発揮し始めた。母も僕よりは妹の方が気兼ねが無いのだろう。妹に引っ張られるように母も主体的に動き始め、僕は栽培計画と機械仕事&力仕事を担当することが多くなった。

 結果的に母と妹が判断をする機会が増え、それが野菜作り力の向上に直結した。これまで沢山経験した過去の失敗も良い肥やしとなったようだ。野菜それぞれの特性、時期によってすべきこと、収穫量を想定した作付量と種蒔時期の計画など、実際に色々経験したからこそ身に付いた力だと思う。

 そして、今年4月から妻も農場メンバーに加わり、ここにしょうりきアマゾネス軍団(?)が立ちあがった。そしてトウモロコシの栽培に再チャレンジすることになった。割り切って農薬(もちろん必要最低限で且つ人体に影響が無いもの)を使うのかな?と思っていたら、「トウガラシ焼酎」なる防虫液を手作りし、虫が付きそうになったらそれを噴霧するという対策を取った。

 これが効果満点!結局、それ以外は農薬を使わず見事なトウモロコシが収穫できた。たぶん、僕が主導していたらこう上手くは行かなかっただろうし、そもそもトウモロコシに再チャレンジしようなんて考えなかったと思う。

 これ以外にも、3回目にしてようやくまともに収穫できたビーツやズッキーニ、トマトなど、今年になってまともに作れるようになった野菜は多い。ほんと、僕一人の力なんてたかが知れたものだな、なんて思う今日この頃である。取りようによってはTOP(僕)が事業の進化を阻害していたとも言える。これ会社組織でもよくあることかも。あれもこれもは結局中途半端な状況になる。それぞれを思いきって任せる度量が試される。

7/22(日) 25.しょうりき農園進化中!(1)
 農業を生業として4年目、手前ミソながらたいぶ進歩したと改めて思う。

 元々両親が長く農業をしていたので、0からのスタートではなかった。ただ、米作り中心で、野菜は家で食べるものと、当時埼玉に住んでいた我々家族のために作っていた。

 その野菜が美味しかったからこそ僕も今の仕事を始めようと思ったわけだけど、自家用と売りものはやはり違うわけで、できれば珍しい、インパクトのある野菜も作ってみたい。あれを作ってみたい、これも面白そうで、気付けば初年度50種類以上の野菜を作付した。

 幸い、作った野菜はそれなりの評判を得た。が、それもそのはず、農薬を使わず、有機肥料を手作りし、じっくり育てたらそれなり物のはできる。ただ、その代償は大きく、たぶん作付した半分は虫の餌食となった。不慣れな上に種類も多かった影響で作業量も膨大に膨らみ、農業経営的には大失敗だった。

 2年目は前年の教訓を活かし、作る野菜をかなり絞った。この年の勝負野菜はトウモロコシ。前の年、収穫直後に生で食べたトウモロコシの味に驚愕し、これをメインに作ろうと考えたのだ。1000本ぐらい植えてみたが、結果は全滅。

 この野菜は糖度が非常に高いので、あらゆる虫・獣のターゲットになる。前年は手が掛けれたからそれらをある程度防げただけで、広くなって手が回らなくなった途端に防御壁はもろくも崩れた。しかも、日照不足からか病気も蔓延してしまいもうお手上げ。どんどん枯れていくトウモロコシをただ呆然と眺めるだけの日々となった。

7/15(日) 24.子として
 3連休の中日、今日は親子3代総出で北九州まで行ってきた。

 妻の父親が入院したため、その見舞いに行こうという話が急に決まり、朝7時過ぎに出発。有政家6人が揃っての外出は本当に久しぶりだ。睡眠不足の僕に代わり妻がほとんど運転、道中睡眠時間を確保しようと思っていたが、佳穂の「クイズ出して〜!」攻撃に屈し、眠い目をこすりながら歴史問題を出し続けた。

 折角北九州に行くならと、下関ICで降りて唐戸市場に寄った。地物の魚が集まる市場で、僕も森川家(妻の実家)と一緒に何度か来たことがある。その活気、魚種の豊富さ、値段など否応なしにテンションが上がる場所だ。今日はあいにく先日からの豪雨で市が立たたず、あまり魚は豊富ではなかったけど、それでも魚好きの母は「目移りがしていけんねー。」などと嬉しそうに魚の品定めをしていた。

 夕食用の魚を確保した後、再び移動して昼すぎに妻の実家についた。義母が心尽くしの昼食を用意してくれており、ワイワイガヤガヤ1時間程皆で食卓を囲む。その後病院に移動し義父を見舞った。思っていたよりも元気でちょっと安心する。義父は孫の2人が来てくれたことがかなり嬉しかったようで、その姿を見る義母や妻の目も柔らかい。僕らに何が出来るわけではないが、少しでも元気の肥やしになってくれたら嬉しい。

 1時間程病院に居た後、義母を家まで送って帰路についた。広い家に当分1人で住むことになる義母を思うと複雑な心境になる。気丈に振舞っていた義父も不安と闘う毎日だろう。人にはライフサイクルの中で果たすべき役割があるという。子ども→市民→親、そしてもう一度子ども。自分自身が親となっても、自分の親が年老いた時、もう一度子どもとして親と接する時期が来るということらしい。まさに我々夫婦はその時期に差し掛かっている。今一度、子どもとして親に出来ることを考えないといけない。

7/6(金) 23.無題
 彼方からかすかに聞こえる雷鳴。厚い雲の切れ間にのぞく青空。生き急ぎように鳴く蛙。むせかえるような森の息吹。濁流は川を洗い、モンシロチョウは低く畑を舞い、鷺は稲の中にぽつねんとただ立っている。

 もうすぐ4度目の夏が来る。早かったような、長かったような、様変わりしたような、何にも変わっていないような。小学生だった子どもらが高校・中学生になったことで、その時間の長さを知る。

 山頂に立ち、視界が開けた時のような、そんな場面に出会いたくて広島に帰ってきた。今、僕はどこを歩いているのか。中腹まで来たのか、まだ入口辺りを彷徨っているのか、それとももうすぐ目指すべき頂上は見えるのか。

 仲間が増え、どんどん賑やかになりつつある道中、その中で立ち振舞う自身をもう一人の自分が見ている。俺は何がしたいんだ、もう1人の自分が問う。自身は答える。期待に応え続けるしかないではないか、と。それはお前が本当にやりたいことなのか、問いは続く。

 こんな時だからこそ、自分の心に手を突っ込んでみる。そこにハッキリとした手応えはなく、出てくるのは空虚な言葉ばかり。それを書きとめたらこうなった。

 もうすぐ44歳。いつか自分の人生を振り返る時、“今”が強烈な記憶として残ることは間違いない。どんな感情と共に思い出すかは、やっぱりこれからの自分・自身次第なんだろうな。

7/1(日) 22.梅雨の合間の
 眠りにつく頃は大雨だった。目が覚めると雨がやんでいた。そして午後は晴天となった。

 まさに梅雨の合間の晴れ間。しかも日曜日。本当はパーっと遊びたいところなんだけど、妻は朝から伝票整理、母は草取り、父は電話工事の仕事、息子はクラブ(バトミントン部に入りました)で学校に朝から行き、娘は試験前の勉強、そして僕はパソコンの前に座っている。

 しょうりきを始める際に休みのない生活は覚悟したつもりだったが、それは僕個人の話で、母を巻き込み、妻を巻き込み、子どもたちや妹まで巻き込んいくうちに、本当にこれで良かったのか考えてしまう。特に母はもう70歳に近い年齢で、朝は5時に起きて、日中は農作業、そして野菜の出荷がある週3回は深夜1:00頃まで準備を手伝ってくれる。手の空いた時には家事を手伝い、父の代わりに近所付き合いもこなす日々。過労死してもおかしくないぐらいの状況だ。

 さすがに気になったので、「今日ぐらいは休んだら」と声をかけてみた。母は静かに笑い「休むと体がおかしくなるんよ」と言い、炎天下の庭で草取りを始めた。それが終わると畑に出てトウモロコシにトウガラシの希釈液(害虫予防の自然農薬です)を蒔き、トマトが成っていたと嬉しそうに1個持って帰ってきた。

 今年初めて収穫したトマト、うまみ成分が非常に多く、後々まで口にトマトのうまみが残る感じ。そんなことを意見すると「どう、上手いもんじゃろうが」と笑いながら答えた。まだ残るトマトの味を感じながら、人の幸せとは何なのかを改めて考えさせられた。

6/23(土) 21.ホタルとオカリナ
 遅ればせながら、フェイスブックを始めました。友だち承認して頂いた方、本当にありがとうございました。また、私を見つけて頂いた方、誠にありがとうございます。なんやかんやでお礼のメッセージをお送り出来ておらず申し訳ないです。ボチボチ、ウォールなるものにUPしていきますので、見て頂ければ嬉しいです。

 さて、本題。先週・先々週の土曜日に恒例のホタル観察会をした。今回はホタル観察と家族交流会以外に、オカリナの絵付けをプログラムに加えた。その他のプログラムも含め、外部の専門家をお呼びするのは初めてとなる。

 きっかけは半年以上前に遡る。以前、我々を取り上げてくれたテレビ局のディレクターから電話があり、Iさんを紹介された。Iさんは自費で巷の頑張っている人を応援するフリーペーパー「失敗上等」を発行しており、「村興し」の特集を組むとかで、知り合いであるそのディレクターに紹介依頼が入り、僕が紹介されたという次第。で、そのフリーペーパーに僕も原稿を書き、他に原稿を書いた人も呼んでbeで交流会が開催され、そこにたまたま居合わせたのがアコーディオン・オカリナ奏者の野口美紀さん。話すうちに「これは!」と思って体験行事の相談を持ちかけた、、、というのが今回の経緯だ。(あ〜長かった)

 ただ、オカリナの演奏を聴いてホタルを見て、あー楽しかったおしまい、じゃあ“しょうりき”らしくない。我々の基本は「体験を通じた子どもの健全な育成支援」である。頑張って作った、やり遂げた、などの実感が持てるプログラムにしたい。日を変えて野口さんにお時間を頂き、あれこれ話すうちに「ホタル型のオカリナ」が作れることが分かった。オカリナ自体を作るのは時間的・技術的に難しいので、素焼きのホタルオカリナを用意して、絵付けをして、みんなで合奏するのはどうだろうと、トントン拍子に話は進み、内容が固まった。

 ただ、プロの演奏家を呼び、且つオリジナルのオカリナまで作るとなるといかほどご用意すればよいのか見当もつかない。恐る恐る尋ねてみると、な、なんと「オカリナ代1000円を人数分頂ければOKですよ!」と信じられない回答が。しょうりきの考え方に共感頂き、ほぼ手弁当でご協力頂けることになった。しかも、参加者数が多いので、野口さんの師匠である江村克己さんもお呼びいただけるとのこと。結局6/16は上記お二人に加えて智海寺子さんにも来て頂き、豪華3名での絵付け・演奏指導&ミニコンサートとなった。

 当日どんなことがあったかは、写真をUPしたのでそちらを参照されたい。ただ、1点申し上げるとすれば、個人的に不完全燃焼感のあったこれまでのホタル観察会が、非常に充実した内容になったのは一重に江村さん・野口さん・智海さんのお蔭です。ここに改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。またの機会があることを切に祈っております!!

<こちらもご覧下さい>※特にオカリナ作りやコンサートの企画などに関心のある方は是非!
江村 克己さんHP → http://www.duo-mms.com/
野口 美紀さんHP → http://www.miki-noguchi.com/

6/17(日) 20.戦友来広
 皆さん、戦友と言える友人は何人ぐらいいるだろうか?

 厳しい状況を共に闘い何かを成し遂げたと共通の認識が持てる友。僕の中では親友とはまた違った感覚がある。弱小と思われていたチームでインターハイの切符を勝ち取ったハンドボールのチームメイト、前職で会社の立ち上げをもがき苦しみながらやった同僚、beの創業スタッフ、そして最近は家族も戦友の仲間入りをした。

 そんな一人が広島に来るという。広島で昼すぎまで仕事があるので時間が合えば会わないかと連絡が入った。あいにくその日はホタルイベントの日で22時ぐらいまで身動きが取れない。結局23時にbeで待ち合わせることになった。

 3年ぶりの再会。ポツリ、ポツリと当時をかみしめるように会話する。同じ時間を過ごし、共通理解が多いからだろう。変な説明や要らぬ気づかいは一切なし、僕はこんな時間が大好きだ。

 1時間が過ぎたころ、別な友人から電話があり、2人合流して4人で飲むことになった。ガラっと雰囲気が変わり、今度はワイワイガヤガヤ賑やかな時間となった。3時過ぎまで飲んで終了。戦友は2時間仮眠をとって横浜に帰っていった。

 何を話したわけではないが、元気なことが確認できればそれで十分。遊び仲間では味わえない別れ際の清々しさ、高揚感。一生であと何回会えるか分かんないけど、その点を紡ぐ線の存在を感じることが出来る存在、それを絆と呼ぶならば、絆はそんな軽い言葉じゃない。やっぱ、苦労は買ってでもしなくっちゃね。
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 先日、戦友Tくんのご尊父様がご逝去されました。喪主をTくんが勤め、悲しみの中にも非常にしっかりとした思いのこもった話に感動しました。ご冥福をお祈り申し上げます。

6/8(金) 19.大阪で営業
 久しぶりに大阪に行った。
 前号で書いた「セカンドキャリア向けの農業研修」の企業向けプレゼンが今回の目的だ。以前僕も在籍していた(株)リクルートエージェントが大企業向けに定期的な勉強会・交流会を開催しており、その中で農業研修の紹介をさせてもらえることになったのだ。
 3年ぶりの大阪、社会人のスタートもこの大阪だった。新大阪の駅に降り立ったとき目に入ったビルを見て「名刺獲得キャンペーン」を思い出した。新人向けの営業研修で、名刺の数と役職でポイントを競うという何ともベタな内容の、要は度胸試しの飛び込み営業強制研修だ。数を稼ぐためには兎に角訪問するしかない。効率を考えると会社が1か所に集まった大型ビルが良いわけで、高層階から順にすべての企業に飛び込むことを「ビル倒し」と言っていた。そして僕が最初にビル倒しをしたのが目の前にある高層ビルだった。訳も分からず「名刺ください!」と言い続けた、そんな場面が蘇りちょっと胸がキューっとなる。以上蛇足。
 開始30分前にホテルのロビーに集合し、関係者で打ち合わせをした。今回の企画をデザインした海老原さん、NPO広島キャリアプロジェクトの代表・有田さん、県庁の竹下さん、安芸高田市の小田さん、そして僕という陣容。プレゼン資料を僕が作った流れで、結局僕が話すことになった。
 関西を代表する大手企業の人事担当者30名弱の前で農業研修の紹介。定年退職後の第2の人生で農業を考える方は多いが、実際に始めると色んな苦労があるし、イメージとのギャップに悩むことも多い。そういう方々向けに、まずは農業を体験し、基礎的な知識を習得し、次の仕事を決めるための情報提供の場として「セカンドキャリア向け農業研修」を企画したこと、県の助成金事業なので無料であること、実施団体に市や公立学校・NPOが入っていることなどを話した。

 若いご担当者が多く、また送り出し(定年や人員整理で社外に人を出すこと)の担当者ではなく、採用部門の方だったこともあり、どこまで興味をお持ち頂けたかは不明。懇親会の時に興味度合いを聞いて回ってみたけれど、面白かった、興味が持てたという感想ばかりで「すぐ行きますわ―」と言って頂けた方はいなかった。大阪で「考えときますわ。」はお断りの常套句。ということは。。。

 いくら県から助成金が下りても、それを計画通り使えなければ意味がないどころか詐欺まがいな状況になってしまう。これから頑張って営業しないといけない。おそらくこの研修ニーズは相当あるし、会社としても有難い研修になるはず。対象となる方に存在さえ知ってもらえれば、かなりの確率で申し込みが来そうな気がするので、広報活動が一番の鍵になりそうだ。

 懇親会の後、関係者で2次会をし、その後はリクルートエージェントの関西支社長(1こ上の先輩)と2人で飲みに行った。東京で机を並べて仕事をしていた人だったが、それから10年が経ち、それぞれの状況が変わり、こうしてまた話すのもまた良い。生き方論的な話しに寄りがちなのは、自分の最後を徐々に意識し始めているからだと思われる。

 次の日の朝は、新人時代にお世話になった元役員にお会いした。お会いするのはかれこれ10年ぶりか。激ヤセされていたのでその理由を聞くと、胃がんで胃を2/3取り除かれたとのこと。新幹線の時間までの1時間ぐらい、昔話とその当時のメンバーの現状話に花が咲く。まだまだ話したいことはあったけど、続きはまた大阪に来た時に、今度は飲みながら話しましょう。

 そのまま家に帰らずbeに直行してWeb用の写真撮影、その後店に立ち日常が再開した。

6/1(金) 18.偶然?必然?
 偶然は道程の延長上で起こる。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。たまたま偶然に起こったように見えることも、これまで積み重ねてきたことに関わりがあるということ。そして、その偶然はこれから進むべき道の幅を広げてくれたり、歩みを速めてくれたりする。

 今回2つの偶然が起こった。1つは宮島の「蔵宿いろは」さんへの野菜の提供。楽天トラベルの顧客アンケートで中四国1位となった有名旅館だ。支配人の浜岡さんは前職時代に仕事で絡みのあった人で、リクルートの関係会社→ホテルの経営をされていた方。その後に役員として入った東京の人事サービス会社と当時僕が在籍していた会社の社長同士に親交があり、No2同士の浜岡さんと僕は実務面で一緒に仕事をしたという関係だ。

 僕が帰郷した半年後に広島に帰って、旅館の再生をするという話は聞いていたが、3年が過ぎ、今度は旅館の支配人と農業グループ代表として新たな関係がスタートした。意図していないことが起きた時、それを偶然と呼ぶのなら、まざにこれは偶然だろう。あの広い東京でたまたま浜岡さんが知っている会社に入ったこと、機を同じくして広島に帰り、全く違う道に進んだのに、巡り巡ってお互いのニーズが合致したこと。孫野菜農園のメンバーが増え、野菜を供給できる状況になったことなど、色んな前提がベースになければ起きえなかったことだろう。

 2つ目は、「セカンドキャリア向けの農業研修」の運営。具体的には、(日本を代表するような)大企業の定年間近や雇用調整の対象者の中で、農業に興味のある方に対して2泊3日の体験農業研修を提供しようというもの。このきっかけは当時広島県立大学の准教授だった松尾さん。実は彼女、前々職の入社同期なのだ。彼女は割と早いタイミングで会社を辞め、その後複数の会社を経た後に、たまたまキャリア支援の強化を考えていた県立大学の募集を見て応募し、東京から単身赴任していた。そのタイミングでちょうど僕も東京から帰ってきて再会したという次第。

 彼女は大学のキャリアセンターを立ち上げる傍ら、広島キャリアプロジェクトという団体の立ち上げに関わっており、そのメンバーがよくbeを利用してくれていた。で、その団体が安芸高田市・地元高校・地元工業会と組んで、「新たな公共の場作りのためのモデル事業」という県が募集した助成事業に応募し見事に合格したのだ。その内容が「産官学+農」連携の学生・セカンドキャリア向けの事業で、農の部分をしょうりき山里公園ですることになった。しかも、この事業の企画立案は海老原さんというTBS朝ズバ!のコメンテーターもしていたというなかなかの有名人で、実は前々職の先輩なのだ。ここまで来ると、偶然というよりは起こったことが奇跡だ。

 考えてみれば、このような偶然が重なって今の事業となっている。beのこと、福屋さんのことも含め、初めから意図して始まったことではなかった。「たまたま」が今では柱となっているのだ。たぶん一生懸命続けていれば、いつか好ましい偶然は起こる。そしてその偶然は必然となる。あたかも、そのためにこれまでがあったかのように。

 そして、一生懸命続けられるかどうかは、やっていることの自分的な正しさ・真っ当さが鍵を握る。自分的だけでなく社会的にも正しいものであれば、その事業はおそらく躍進する。

5/25(金) 17.鉄板焼きをご馳走になったぞ
 家に招かれ、鉄板料理をご馳走になった。

 中学校からの腐れ縁で今でもよく会っているので特に取り上げるようなことでもないんだけど、今回だけは恐れ入った。実はこのKくん、家を新築した際に自分の部屋に鉄板付きのキッチンを作ってしまったのだ。しかも、ホットプレートに毛が生えたような代物じゃない。本格的なダクトがあり、鉄板の横には同じ大きさの炭焼き用のスペースまである本格仕様。言うならば、ホテルにある高級鉄板焼店(各テーブルにでかいダクトのついた鉄板があり、料理人がきて焼いてくれるやつです)のテーブルに炭焼きスペースをくっつけた、アイランド型のカウンター式鉄板テーブルだ。

 いや、その設備の豪華さに恐れ入ったのではない。個人的に金にものを言わせれば出来ることにあまり興味はないんだけど、あのKが事前に自分で下準備をし、相当本格的な料理を、しかもかなりの品数を自ら作り、それをキチンと我々に提供し、且つそれがとてつもなくウマイこと、しかも終わった後に自分で後片付けしていることに驚愕したのだ。

 たぶん、見よう見まねでなんちゃって料理を出すんだろうなと、わざわざジュンク堂に行ってごまんとある本の中から鉄板料理の専門書を探しだしてプレゼントに持っていたんだけど、それは僕の大きな勘違いだった。台所の上の棚に置かれていた料理本はどれもボロボロになるまで読み込まれており、相当事前勉強と実践を繰り返したんだろう。そうでなければ、ここまでの料理を、しかも何品も素人が出すのは難しい。(料理店の経営者が言うんだからマチガイナイはず)

 招かれたメンバー構成も彼なりの心遣いが見えて「喜んでもらいたい」という彼の気持ちがヒシヒシと伝わってきて嬉しかった。この日だけは僕も久しぶりに飲むことにして、結局2時ぐらいまでとてもスバラシイ時間を過ごすことが出来た。

 いや、僕も実は家を建てる時、妻に2つの実現したいことを伝えた。1つは麻雀部屋、もう1つが鉄板付きのキッチンだったのだ。僕の場合は「年に数回しか帰ってこないのに意味ないじゃん」(当時は東京で単身生活だった)と、ものの10秒で妻に却下されてしまった。Kは実現したんだよなーと思うとちょっとうらやましかった。でもKも麻雀部屋を作ろうとしていた(実現せず)と聞いたとき、俺らのアホさ加減に笑ってしまった。「Kよ、お前もか!」

5/18(金) 16.性格
 人の性格はどう形作られるのだろうか。

 例えば俊助の場合。周囲からクールで優しい人と思われているようだが、おそらくそれは後天的に身に付けたものだ。というのも、小さな頃から負けず嫌いで浮かれ屋さんだった彼が中学校に入った頃から急速に変わっていったのは「こうなりたい、こう見られたい自分」がハッキリしたからだろう。そのモデルが誰なのかは不明だが、たぶん色んな大人に接する機会が多かったことがその選択にも影響しており、一生通せばそれが“真の性格”、「目指す自分像」が変われば“表面上の性格”は変わってくるんだろう。

 現時点では表面的な性格なので、時たま元々の性格が出る。よく出るのは浮かれ屋さん的なところと意外に努力家なところ。バカなことをしたり努力している姿は見せたくないんだろうが、たまにそんな側面が見えることが独特の俊助的な人間的幅となっている。

 考えるに、中学時代は性格の大きなターニングポイントなのだ。上下関係や男女がお互いを意識し始める中で、「自分がどう見られたいか」を自覚するのがこの時期であり、元々の性格と絡み合いながら新たな性格が形成されていく。小学校の頃に性格的な背骨が出来、その上に肉付けされていくイメージかな。おそらく小学生までは親の考えや家庭環境に大きく影響され、それ以降は先輩や同級生・異性などの周囲の人間に影響を受けながら自分自身で作り上げていくのだろう。

 中学校にもなれば親や家庭が子どもに与える影響はどんどん少なくなってくることを考えれば、それまでに親として子どもにどう関わっていくか、その際に子育ての方針みたいなものを明確にしておくことがとても大切なんだろうと、今更ながらに思う。

 ちなみに、佳穂の場合は自身の能力と周囲の環境が大きく関わっていると思われる。というのも、彼女はこと運動に関しては個別の勝負で負けた経験がなく、それが強烈な自信となっている。それは「私はできるんだ」という自己肯定感と「一番でなければならない」という自身を奮い立たせる理由にもなっている。言い換えれば“超負けず嫌い”。

 勉強に関してはさほど才能を感じないが、それでも手を抜かず努力することで上位を保っている。そんな佳穂に周囲も期待し、それに応えようと更に頑張るという循環が出来上がっている。親分肌的に見えるのも、周囲の期待にこたえることで頼りにされ、その状況を保とうとしていることの現れだろう。また、「今やるべきこと」をはっきり自覚して行動しているぶん、時に頑なになったり、ペースを乱されるのを極端に嫌う傾向がある。そんな佳穂を妻は家で「頑固ちん」と呼んだりしている。

 佳穂の場合、芯になっている運動で大きな挫折をした時は性格が大きく変わる可能性がある。または、もし生徒数の多い学校で明らかに負ける同級生が周囲にたくさん居た環境であれば、彼女の性格はずいぶん変わっていたのではないかと想像してしまう。

 まあ、中学校になって彼女の性格がどう変わっていくのか、親として一観察者として見守っていくことにしよう。

5/9(水) 14+15.Focus合併号?
 中学生になって忙しくなり、週記にまでなかなか手が回らない佳穂に、「継続することに意味がある」とか言っているくせに、当の自分が先週の独り言をすっ飛ばしてしまった。正確に言うとすっ飛ばしたという感覚も無かった。うーん、そろそろ頭にもガタがきはじめたか。

 と、言い訳じみた前振りはさておき、汚名挽回ということで今回はちょっと長めです。最後までお付き合い頂きたく。

 つい先日まで寒い寒いと言っていたのに、本日はしょうりきも25度を越え、すっかり初夏の様相。山に目をやると針葉樹の濃緑と広葉樹の黄緑、オレンジ色に近い竹の葉、所々に藤の薄紫と美しいコントラストを描いている。紅の斑点はモミジか。心なしか松枯れも少なくなっている気がする。

 こんな日に山に入ると、適度な湿気と木漏れ日でとても気持ち良いんだけどなー、なんて考えながら運転していたら、田んぼの畦に何やら大きな鳥がいる。もしや!すぐに車を止めカメラを探す。普段は持ち歩いていないんだけど、今日は何故か車に積んだのだ。そんな自分をちょっと褒めたりする。

 目を凝らすと、やっぱりキジだ。しかも雄!雌は茶色のまだら模様で地味だけど、雄は赤いマスクと艶やかな緑がかった胸部、薄い空色に茶のまだら模様が美しい背部と尾っぽ。カワセミと並んでこの辺りでは最も派手な動物だと思う。大きさも加味すると、地元No1インパクト動物文句無しでしょう。

 たま〜に山の中で見かけるのだが、全身を確認できることなんてほとんどない。まるで撮って下さいとばかりに日中に里を歩き回っている姿はかなり珍しいと思う。

 で、急いで撮ったのがこの写真。(しょうりきの生き物に掲載)かなり遠かったので望遠MAX&トリミングで拡大してもこれが精一杯。色・質感がちょっとは分かりますか?剥製とは全く違う生命感。やっぱ、一眼レフを買わないといけないかな〜。。。妻に見せると「桃太郎のキジみたいね」。ん?おいおい、それっておかしくないか。

 ちなみに、よく本ではキジの鳴き声を「ケーン」とか書いているが、実感値としては「ギャー」に近い。素人がトランペットを吹いたような音。野太い・乾いた感じの鳴き声はその体の大きさに起因していると思われる。

 写真に撮りたい地元の生き物は他にもある。

 1つは「サンショウウオ」。家の前の川には確実にいるし、子どもたちも手で触ったことがあるんだけど、年に1回出くわすかどうか。

 2つ目は「ヤマセミ」。カワセミも希少だけど、ヤマセミは過去2回しか見たことがない。白黒まだらの格好良い鳥だ。


 3つ目は赤マムシ。一般的には茶色に10円模様だが、たまに赤みがかったヤツがいる。噛まれるのはまっぴら御免だけど、これは怖いもの見たさかな。

 4つ目は「ヨツメ」。一般的にはオヤニラミ。小型の魚で、エラに黒丸の模様があり、それが目に見えることから地元ではヨツメ(四つ目)と呼ばれていた。釣って逃がしても何度も喰いついてくるので、バカ魚とも言っていたが、それも今は昔。すっかり見かけなくなってしまった。

 5つ目はでかい「ゴッパ」。ハゼとオコゼを足して割ったような地面を這う魚で、たぶん一般名はドンコ。川で魚を手づかみする際のかっこうのターゲットだった。小さなヤツはいるんだけど、20cmオーバーの大物はほとんど見かけなくなってしまった。

 それと、「カスミサンショウウオ」。これは僕自身は見たことがなく、いたという話を聞いた、まさに我的幻の生物。前の川の上流をずっと辿っていくと結構大きな湿地があり。そこにいるらしい。う〜ん、見てみたい!

 写真が撮れたら、また独り言で紹介しますね!

<蛇足>
これを書くのに魚のことを調べていたら、ムギツク(体側に太い黒いラインが入ったハヤのような体型の魚)は、「オヤニラミ」や「ドンコ」などの卵を守る魚の性格を利用して、自身の卵をその魚の産卵床に生み付けるらしいです。そういえばムギツクもほとんど見かけなくなりましたが、オヤニラミやドンコの減少が影響しているのかもしれませんね。

4/27(金) 13.田んぼで思ったこと
 いよいよ来週は田植え。早いもので、しょうりきの行事としてする田植えはこれで4回目となる。

 本日快晴、朝から田んぼの本がき(泥を混ぜて田植えができる状態にする最終作業)を始め、午後の作業を開始する前にこれを書いている。毎年ながら、この時期の田んぼ作業は本当に気持ち良い。そういえば去年もこの時期に田んぼ作業のことを書いた気がするな〜。

 ただ、去年と違うのは作業に妻が加わっていること。この3月まで補助教員をしていたので平日の日中は農作業なんてできないし、休日も家やら子どもの関係で農作業をする時間的余裕が全然無かったが、今年はしょうりきの仕事に専念することになったので、農作業にも参加してくれている。

 今日は農作業を2班に分け、母・妹は畑作業を、妻と僕は田んぼ作業を担当することにした。真っ青な空の下、アメンボが水面を動きまわり、その横でカエルが水がら目だけを出してこっちを見ている。トラクターのポンポンというエンジン音は反響する物がなく、ただ土に吸収され、風と共に流れ、何とものどかな音になる。その横で妻が肥料を蒔いている。

 そうか、夫婦として、親としての関係だけでなく、同じ仕事をする仲間という関係が加わったんだな。収入激減で不安増大だけれども、共に前に向かって進むしかないね。
4/18(水) 12.伝える、伝わる
 暗礁に乗り上げている仕事がある。

 その仕事とは、福屋さんのPOPリニューアルとbeの店舗紹介Bookのことだ。共通項は“自分たちのことを伝える”ツールであること。これまで散々作ってきたものなのに、今回はどうすべきなのか考えあぐねている。

 原因は「自分の作る販促ツールは口頭での説明を前提にしたもの」であることに気付いてしまったからだ。長く法人営業してきた僕が作ってきたのはプレゼン資料が中心。伝えたい内容を極力盛り込み、説明しやすいように大項目ごとに整理し、それに付随させてより具体的な内容を箇条書き形式で紐付けていく。内容をイメージさせる写真や絵も若干入れるが、基本的には文字中心の味気ないものだ。説明を聞いてもらうのが前提なので、後は気をそらせないしゃべりとノンバーバル(言語以外の表現:表情・態度・服装など)が肝要となる。

 一方、売場や店舗では説明なしが前提。まずはPOPの存在に気付いてもらい、興味を持ってもらうこと。その上で内容を理解してもらい、購買行動へ結びつけていくという流れだ。昔勉強したAIDMA的に言えばそうなんだろうけど、それを実現するとなると、、、う〜ん。どうすれば良いのだろう。。。

 たぶん大事なのはインパクトとシンプルさ。僕の場合、内容を盛り込もうとしすぎて文字だらけになり、視覚に訴えるものを入れるスペースが無くなってしまってる。しからば、何を削って、何をアイキャッチに使うか、手書きかワープロ打ちか、そもそも伝えたいことって何だっけ?それって購買につながることなの?などと考えること次々は浮かんでくるのだが、一向に頭の中で整理される気配がない。外注にお願いするほどの金銭的余裕も無いし。。。

 苦し紛れで妻や娘にアイデア出しをお願いしてみたが、どうもしっくりこない。明確なイメージはできていないんだけど、僕の中でおぼろげに「こんな感じ」というのがあり、その的の中に入っていないと感じてしまったのだろう。初めは結構のその気で手伝ってくれていた2人も、僕の反応が芳しくない上に、駄目な理由も説明できず、「折角考えたのに結局人の意見なんて聞かないのね」と厭味を言われる始末。

 誰か助けて〜。ひとまずその関係の本でも買ってみようかなぁ。

4/11(水) 11.気象条件による人の高揚感に対する影響の考察と推論
 と、卒論みたいなタイトルを考えてみた。

 雨が降ってどうも気分が乗らない自分を茶化すことで気分を変えようと試みてみたんだけど、それでも駄目。こんな日はベットにでも寝転がって本を読むに限るが(まさに晴耕雨読)が、実際は協力農家向けの掛け目表(野菜1袋の重さ基準書)の作成やHPの更新、beの資料作成、中山間交付金の書類整理などなど、大好きなデスクワーク満載で気分が滅入る。しかも夜はbeだ。雨降りの夜の運転は疲れるんだよな〜。

 天気のせいにしてみたけど、原因は別の所にあるのは自分が一番よく知っている。やりかけの仕事の多さ、やり切っていない仕事の多さに気分だけが焦り、さっさと片付ければ良いのに気分転換と称して無為な時間を過ごす自分が嫌になっているだけ。自分の能力以上の仕事に手を出してしまっているのか、単に推進力・実行力が足りない人間なのか、、、何て考えている自分がまた嫌になる。原因究明より解決策を考えた方が建設的、さっさと取りかかっておけばとっくに終わっていたはずだ。俺のバカ!

 というウェットでアホな父親がいる一方で、最近ハイテンションなのは俊助だ。春休みの宿題がまだかなり残っていることが土曜日(入学式当日)に発覚し、日曜日・振休の月曜日は1日中机にかじりついていた。おそらくやりながら“乗って”きたのだろう。遊んでいる父・妹には目もくれず、いつもなら一番先に風呂に入るのに「今は切りが悪いんで先に入って」とのたまい、食事もそこそこにまた部屋にこもり、を繰り返して月曜日の夜にはキッチリ仕上げてきた。終わった時の達成感は相当だっただろうな。

 朝6時過ぎの汽車に乗り、火曜日の実力テストも何とかこなし、早速新しい友達も何人か出来たらしく、行き帰りは違う学校に行っている同級生に会い、電車に乗っている時間は勉強もしているらしい。1学年20数名の学校から9クラス360人強の学校へ、試験をくぐり抜けた猛者が集まる環境の中で、かなり刺激を受けていることだろう。

 頑張れ俊助、そして俺。

 結論:気象条件は人の高揚感に影響を与えないわけではないが、それよりは生活面・仕事面の充実感が大きく影響を与える。

4/6(木) 10.Go ahead!
 浜内 千波さんという方をご存じだろうか?

 ご存じの方は料理やダイエットに関心の高い方かも。著名な料理家で、最近では日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」に100kg超から50Kg代にダイエットした料理家」として紹介され、ちょっと前は某大手関西系電機メーカーのウォーターオーブンのTVCMにも出演していた方。東京・東中野で「ファミリークッキングスクール」という人気の料理教室を主催しておられ、著書も多数というスーパーウーマンだ。
 ご興味のある方はコチラでご確認を⇒http://www.chinamisan.com/index.html

 で、なんでこの方の話を書いているのかというと、この度浜内先生のHPで孫野菜農園をご紹介頂けることになったからだ。浜内先生のHP内に専用ページを設けて頂き、原稿・ページの作成・販売手数料一切なしという信じられない条件。是非こちらを確認頂きたい⇒http://www.chinamisan.com/shop/goods/039.html

 事の発端は高校時代のハンドのチームメイト(TKDくん)。彼は某超大手広告代理店に勤めており、前出の某大手関西系電機メーカーも担当している関係で、浜内先生と面識があったようだ。(おそらくCM出演のお礼で)その浜内先生宛ての贈答に孫野菜農園の野菜を使ってくれて、野菜やリーフレットを通じてしょうりき山里公園にご興味や好感をもって頂き、HPでご紹介頂くことになったという流れ。

 そのTKDくんはこれ以外にも、広島の大手弁当会社にしょうりき山里公園のコラボを企画提案してくれたり、「しょうりき応援団」(※現在も大募集中です!)にもイの一番に手を挙げてくれたりと、自分の利益には一切ならないのに、まさに手弁当で協力してくれる本当に有難い友人であり支援者だ。

 彼に限らず、我々はそのような多くの支援者に支えられてここまで来ることができたと改めて思う。それに報いるには、我々がより存在感を増し、世の中に必要とされる自立した事業体になることしかない。経営者として僕自身の覚悟とぶれない理念・方針、そして一緒に働く皆の参画意識と実行力が成否の鍵を握る。

 業を成した先人達が必ず通った道程に今僕たちもいる。そこに立たせてくれた支援者の皆さんに深く感謝し、そこに立っていることに幸せを感じながら、今日一日をしっかり歩んでいきたい。Go ahead!迷わず進もう。

3/28(水) 9.帰ってきました!
 走行距離1300km。

 今回の釣り旅行で運転した距離だ。金曜日の朝、父と2人で北九州の妻の実家に向かい、先に行っていた俊助と佳穂を拾って福岡の知り合いの家に訪問。マリちゃん(会社でそう呼ばれていた)とは24歳で福岡に転勤した時からもう20年近くの付き合いで、今ではお互い2児の親だ。新築した家をお祝いも兼ねていつか見に行きたいと思っていたのだが、2年が経ってようやく実現できた。

 本当は旦那さんとも会いたかったんだけど、こちらの時間の融通がつかず断念。しかし、、、良い家だった。木のぬくもりと解放感・さりげないこだわり、人を迎えたい気持ちが伝わってくる。家は人柄が表れますね〜。俊助がバイク用のガレージをいたく気に入っていた。今度2家族合同の釣りキャンプを企画するそうなので、その時は宜しくです。

 夕方マリちゃん家を出て、そのまま北九州にとんぼ返り。夜は義弟家族も加わって賑やかな夕食を取りそのまま就寝(正確には酔っ払ってダウン)。両親にしょうりき山里公園の状況などをご説明したかったのに、その前にダウンしてしまった自分が情けない。ハッと気付けば朝3時、もう少し寝ようとしたが目が冴えてしまって結局起きることにした。

 釣り道具の整備をしながら朝を待つ。7時の出発を6時に繰り上げて5時に子ども達を起こした。父と運転を交代しながら一路天草へ。高速道路2時間、下りてから2時間強。曇りのち晴れの予報なのに途中雨が降って一抹の不安を覚える。

 現地は確かに雨ではなかった。が、風が強い。釣れる(と聞いた)ポイントはことごとく吹きっさらしで釣りにならない。釣り場情報と地図をにらめっこしながら、風裏のポイントを探して試し釣りを重ねた。たまたま良いポイントにあたり、そこで夕食用の魚を確保。これでおにぎりだけの夕食を回避できる。

 ただ、ここも夕方から風向きが変わるともろに風の直撃をうけそうだったので、その夜過ごすポイントを再度探す。日暮れも近づき最後はエイヤで本日の住処?を決めた。防波堤が風除けになり、いかにも釣れそうな雰囲気だったが、一晩中粘っても釣果はさっぱりで、針にかかるのは奇妙な白い毛虫みたいな生き物ばかり。これが海底一面にいる光景を想像してゾッとなった。夜明け前に移動。最後の釣り場を通詞島とした。

 通詞島まで車で約1時間。天草でもかなり奥に位置する場所だ。釣り時間の確保を考えれば、車で10分の昨日釣れたポイントにすればよかったのだか、どうしても子ども達に天草の海の色を見せたくて移動することにした。天草は八代海に面する海岸線と島原湾→天草灘に面する海岸線があり、後者の海岸線は西海岸と呼ばれ、エメラルドグリーンが本当に美しい海が広がっている。それに、この島は弟と釣りに来た思い出の場所でもある。湧き上がるような魚の群れがもう一度見たくて、見せたくてはるばるやってきた。

 しかし、風で水面が小さく波打っておりそこまで海がきれいに見えず、時期の関係か魚も湧き上がる程はおらず、3時間ほど通詞島で釣りをして10時に納竿。そこから5時間かけて北九州にもう一度戻り、10分ほど休んで山口の玖珂インターを目指し、下りてすぐのコンビニで甥っ子の知弥を拾い、雪の舞う自宅にたどり着いたのは夜の7時だった。

 結局大忙しの行程となった。体は休まらなかったかけれど、俊助とゆっくり話すことができた。心の垢も少し落とすことができた。そして家に帰って妻や母に嬉しそうに状況を話す俊助や佳穂を見て、この旅は完成した。

3/21(水) 8.行ってきます!
 柔らかな日差しの中での畑作業。朝晩はまだ冷え込むものの日中は確実に春になった。冬が長かった、雪・雨が多かったので温かい太陽が余計に有難い。

 温かいと畑の乾き方が全然違う。湿度よりは温度の方が乾き方への影響が大きいようだ。基本、畑作業は乾いた状態でするので、早く乾くとそれだけ作業可能時間が増える。具体的には冬は雨が降ると4日は乾かないが、今日の天気ぐらいなら2日あれば十分。真夏は1日でカラカラに乾く。

 ここ最近雨が少なかったこともあり、現在しょうりきは畑作業真っ盛り。それに加えて田んぼの下準備やシイタケ原木の手入れ、農作業小屋の整備に農機具の手入れなどもあり、家族総動員で作業にかかっている。しかし、、、この時期の作業は本当に気持ち良い。爽やかな風に吹かれての農作業は心が洗われる。昔は秋が好きだったけど、今は春が一番好きだ。

 beも送迎会シーズンでそこそこ忙しいし、福屋に出す野菜も春を迎えて増えてきたので遊ぶ暇なんて本当は無いんだけど、今年は俊助の合格祝い釣り旅行をする約束をしている。3月26日に学校説明会があり、その時に宿題がどっさり出るらしいので(しかも入学直後に試験がある、キビシー)、その前となると、もう今週中しかチャンスがない。

 beのスタッフにお願いしてシフトを変わってもらい、野菜の出荷は母・妻に頼んで金・土・日を無理やり空けた。ここ3年、仕事をしない日なんて皆無だったので、3日間も家を離れて遊ぶなんて夢のような話だ。どうせ行くなら夢のような釣りができる場所、、、しかも俊助がまだ行ったことが無い所は、、、四国か。高知の四万十川河口、愛媛の佐田岬などの候補を挙げてみたものの、妻の両親に合格報告もしたいので結局九州に決定。本日より俊助と佳穂は先に出発し、金曜日に北九州の妻の実家で落ち合うことにした。

 どうせ福岡に行くのなら昔の同僚にも会いたい。北九州の甥っ子が俊助・佳穂と一緒に泊まりたいと言っているらしい。山口・大島の知弥(甥っ子)が春休みにしょうりきに来たいと言っている。ならば福岡の帰りに寄れば一石二鳥じゃん。などと、どんどんスケジュールがタイトになってくる。これを全て叶えたいと考える欲張りな自分が時に恨めしくなる。ありゃ、何と父まで一緒に行きたいと言い出した。熊本にも顔を出したい友達がいるんだけどなー、、、うーん、どうしよう。

 九州で車で行けるこの時期過去一番釣れた場所ときたら、、、やっぱり熊本の天草でしょう!かなり遠いけど、ビックリするぐらいきれいな水と濃い魚影は是非俊助に見せてやりたい所だ。天草四郎もいた歴史的島でもあるし、釣れなかったら富岡城でも見に行けば良い。

 という訳で、結局こんなスケジュールになった。
金曜日:北九州に移動、実家で俊助・佳穂を拾って昼すぎに福岡の元同僚の新築宅拝見。その後実家に戻って宿泊
土曜日:早朝に天草に移動して終日釣り。昼食・夕食・夜食は現地調達した魚でまかなう予定。車中泊。状況により不眠釣行
日曜日:体力回復を待って山口に移動。知弥を拾って帰路へ。夕食は釣魚祭りのはず!?

 beのスタッフ、母・妻、みんなに迷惑をかけちゃうけど、ここは男の約束。裏切るわけにはいかんのです。涙をのんで行かせてもらいます。すみませんが宜しくお願いします。

 何て言いつつ、やっぱり自分が行きたいんだな〜。俊助と趣味が同じで本当に良かった。記憶に残る3日間にしようぜ。晴れろ!

3/14(水) 7.アリのいきかた 〜行き方編(2)〜
本題の前に)
前号で取り上げた小早川さんですが、順調に回復しており復帰に向けてリハビリを開始されました。お見舞いに行くといつもの小早川さんがおられて安心しました。本当に良かった。

(5号の続き)
 ハンドボールの技術向上と反比例するように成績は降下を続けた。入学した頃は成績が30位(250人)ぐらいで先生から「大阪大学は充分狙えるぐらいの成績です」と三者懇談で言われたが、高校1年の時は「広島大学なら合格できるぐらい」になり、高校3年時は「行くところが無いですね」になった。

 「勉強しないとまずい」という感情はあったものの、自分を律するまで人間はできておらず、1人暮らしのお気軽状態がそれに拍車をかけた。結局浪人して福岡教育大学に進学するも僕の中では都落ち的感覚。当時の成績から心理学部のある国立大学を太平洋ベルト地帯沿いに東京から探して行ったら受けられるのがここだったのだ。

 ハンド部に入ってみたものの、そこに自分の情熱をぶつけるべきものを見つけることができず2ヶ月で辞めた。授業料免除と奨学金を取るために最低限の勉強をするのみで、その他はアルバイトとギャンブル三昧。どんどん堕ちていく自分を片目で見ながら、一方で「社会人は学歴じゃない、仕事で人生挽回してやる!」と根拠のない自信をたぎらせていた。

 端から先生になることは考えず、同級生が教員採用試験や公務員試験の準備を進める中、1人就職活動を始めた。時はバブル最後の年、部屋に山のように届く求人誌をめくりながらどんな会社が良いのか自分なりに考えてみた。そして会社選びのポイントを以下とした。
(1)営業職
(2)中小企業であること
(3)成果がダイレクトに反映されること
(4)関西

(1)は吃音癖を克服するためだった。話さないといけない環境に強制的に身を置くことで、何とか克服してやろうと考えたから。
(2)は大きな組織で働くのが性に合いそうにないと思ったことと、父の会社(当時は父の実兄は社長をしており僕が入るのを楽しみにしてくれていた)にそのうち戻るために、会社全体が見渡せる規模が良いのではないかと思ったから。
(3)は成果によって給与をもらうのが分かりやすいと考えたから。
(4)都市の規模が自己成長の上限を決めると考え、しかし東京は性に合いそうにないので結果的に関西とした。

 そして選んだ会社が関西リクルート人材センター(当時/現リクルートエージェント)。分社独立して間もない100名強の会社で、伸び盛りで勢いがあり、経営者に会える機会が多く、若くして責任ある仕事を任せてもらえるというのがここのウリだった。

(次号か、そのうち続きを書く予定です)

3/7(水) 6.祈り
前号に続き「行き方編」を書く予定でしたが、急きょ変更します)

 ショッキングなニュースが飛び込んできた。

 昨日は昼夜beの日で、ランチ後の休憩時間に外出し、俊助の駐輪場の手続きをするため車を運転している時だった。久しぶりの晴れで気温も高く絶好の農業日和なのに。。。なんて思っていると母親から電話。「常田屋のあんさんが救急車で運ばれた!」常田屋とは屋号で姓は小早川。同じ名字が2軒あるのでもっぱら屋号で呼ばれている。その人は小早川孝行さん、しょうりき山里公園を始めた時に一番最初に協力して頂いた農家さんだ。

 今回の件は母・父が癌になったと聞いた時と同じぐらいの衝撃だった。聞くと一命は取り留めたものの集中治療室での治療が続いているという。つい1ヵ月前に新年会をした時にはお元気そうだったのに信じられない。

 そんな状況のなかで、小早川さんが納屋に置いてあるジャガイモを有政に持って行ってくれと奥さんに言ってくれたらしい。命の危険にさらされている中でも気にかけて頂いていることに恐縮する。孫野菜農園の中心農家であり、色んな有力農家さんにウチのことを紹介してくれたのも小早川さんだ。心配・不安・感謝など、色んな感情が湧き起こってきてまだ気持ちの整理がつかない。いま僕が小早川さんにできることが何かあるだろうか。

 今はただご無事であることを祈りたい。願わくば、大好きな農業をしている姿をまた見たい。

2/29(水) 5.アリのいきかた 〜行き方編(1)〜
 今回は久しぶりに“アリのいきかた”です。今回は「行き方編」、主に仕事に関わることが中心です。(その他に、生き方編・逝き方編もあります)

 その人の仕事観や働き方はどの時代に形成されるのだろうか?一般論を論じるほど僕には経験やデータの蓄積は無いが、こうして改めて考えてみると、少なくとも僕個人の場合は幼少の頃が大きく影響しているように思う。

 僕が物心ついたころ、父は義兄の会社で働いており、事務所が家の敷地内で且つ義兄家族と一緒に住んでいた。言ってみれば会社に住みこんでいるような状態で、朝早くから仕事の準備をする音で目覚め、夜は日報や工事図面を居間で書いている大人達の中で僕は育った。週休1日とは名ばかりで、休日出勤当たり前(年間休日1日という年もあった)、たまの休日も農作業があり、それでも収入が厳しく夜には内職もしていたので、いつも仕事と背中合わせで生活していたといえる。

 そんな環境だったので、僕にとって仕事はとても身近で、懸命にしないといけないもの、楽してお金は得られないものだという感覚が自然に植え付けられたのだろう。後に僕が会社勤めをしたとき、成果もあげていないのに給与をもらう、いかに楽に仕事をするかなんて考えるのはおかしいと感じ続けたのは、この辺りが背景にあると思われる。

 それと、僕の働き方に大きな影響を与えたのは吃音癖だ。小学校の低学年の頃にそれは始まり(吃音の真似をしたのが原因)、社会人になってもなかなか治らなかった。ドモるくせに目立ちたがり屋で、よせばいいのに児童会長に立候補して選出されてしまい、全体朝礼でしゃべるのが嫌で仕方なかった。これは強烈なコンプレックスとして後々まで引きずる。

 幸いにして、運動能力がそれなりにあったのでいじめられることはなく、「俺はやればできるんだ」という自負心がスポーツを通じて形成された。たまたま進学校と言われる中学校に入ることはできたが、残念ながら勉強で“できる自分”を表現することはできず成績はずるずる後退、唯一“できる自分”を感じることができるハンドボールが自分の支えとなった。

(次号に続く)

2/20(月) 4.予兆
 俊助の基町高校合格に続いて、佳穂が広島県のハンドボール最優秀選手に選出されたとの知らせが届いた。選手数が少ないとはいえ、県レベルで1番になったことは本人の自信になったのではないかと思う。

 まあ、それはそれで嬉しいニュースなんだけど、今年に入ってしょうりき山里公園の事業にも期待の膨らむ話が来ている。まだ実際に進んでいないので予兆段階ではあるが、以下に列挙してみる。

【1】協力農家の拡大
(1)隣町の吉田町にお住まいの農家6軒(豆の木という農業グループ)と関係を持つことができた。農業スタイルは我が孫野菜農園とほぼ同様で生産面積は倍近くあり、協力関係が進めば供給体制を大幅に増やすことができる。
(2)「地元正力地区の複数の農家さんがウチに野菜を出したいようだ」という話をご近所さんから聞いた。田舎特有の根回し方法なのか、銭金が絡む問題は直接話を持ってこない慣習があり、こちらの反応を見て改めて話がまたあるのだろう。噂話?をしてくれたご近所さんには「大歓迎!」とお伝えした。

【2】新たな販売チャネル
(1)しょうりき山里公園の会員さんでもある親友から、舟入市場の社長を紹介してもらった。超忙しい身にも関わらず、わざわざbeまで社長を連れて来てくれて本当に感謝。高校の先輩だったこともあり、胸襟を開いて良いお話しができたと思う。今週市場にお伺いして、市場の責任者と具体的な詰めを行う予定。【1】の話が進んでいなければお受けできる話ではなかったのでタイミング的にも本当に良かった。
(2)福屋さんから贈答の相談あり。お中元やお歳暮であれば発送数の関係で今のウチの実力ではさすがに請け難いと思われるが、どうもそうではなさそう。具体化することを楽しみに待ちたい。

【3】新たな領域
大企業のセカンドキャリア(定年後の生き方)向け農業研修を請け負う話が来ている。海老原さんというリクルートABLIC時代の先輩(現在“朝ズバッ”(TBS)にコメンテーターとして出演中)と新入社員同期の松尾ちゃん(現在京都産業大学の准教授)が絡んで出てきた話なのだが、経緯が複雑なのでここでは割愛。具体化したら改めて独り言で紹介できればと思う。

 実は「豆の木」との出会いは「失敗上等」というフリーペーパーに出稿させてもらい(これも以前取り上げて頂いたJステーションのディレクターさんからの紹介だった)、その交流会で知り合った農家さんが豆の木の一員だったことから始まった。その他も全て人のご縁によって来た話だ。本当に有難いと思うし、だからこそ、ぶれずに真っ当にやっていかなくてはならないと思う。

 これが全部できたら相当面白いことになりそう。さ〜て、どうなることやら。


(初っ端の続き)佳穂は昨年の6月ぐらいに椎間板ヘルニアを発症し、痛み止めを飲みながらの試合が多く、なかなか本来の力は発揮出来なかったようですが、それでも向原小学校・県選抜のキャプテンとして頑張ってきました。本人も今回の件はかなり嬉しかったようで珍しくはしゃいでました。良い監督、チームメイトに恵まれて良かったね。感謝の気持ちを忘れず、中学校でも頑張ってくれい!

2/15(水) 3.希望
 孫野菜農園グループの農家さんと我家で野菜会議&新年会を行った。2週間ほど前のことだ。

 前回の野菜会議が8月末だったので約半年ぶりとなる。目的は販売状況の共有と今後の方針を伝えること。お陰様で福屋さんの野菜販売は順調で、卸した初日にほとんどの野菜が無くなることもあるらしい。まあ、冬場は収穫量が少ない(露地栽培の難しいところです)ことも大いに影響しているんだろうけど、本当に有難いことだ。

 野菜会議は1時間ぐらいを予定していたが、実際に売れた・売れなかった野菜の共有がことの他盛り上がり、結局1時間半を費やした。(ここ3カ月で出荷した野菜をすべて洗い出してみたら、何と90種類あった)僕が一方的に話すのではなく、皆さんが積極的に議論に参加し、それなりに有意義な場になったのではないかと思う。

 終了後は味噌ちゃんこをつつきながらの新年会。アルコールが程良く入って皆さんの舌も滑らかになり、なかなか良い雰囲気。そのうち昔の苦労話が話題の中心となった。小学生のころから牛を引いて田んぼを耕していたこと、動物性タンパクは猪やウサギが中心で牛肉なんてほとんど食べれなかったこと、作った野菜はリヤカーを引いて売っていたことなどを誰かが話すと「そうじゃった、そうじゃった」とかぶせるように別な話が始まる。

 「そんな苦労を考えたら今は幸せでしょう?」と聞いてみると意外な答えが返ってきた。

 「ワシは、今の人の方がしんどいと思うの。ワシらの時代は日本がどんどん発展しよったから、頑張れば先は明るいと思えた。貧乏じゃったけど希望はあったのう。それに比べると今は先がどうなるか分からんから不安よのう。ワシらは先が長ごうないんでええが、若いもんは大変じゃと思うで」

 裕福だけどお先真っ暗な状況と貧乏だけど先に希望の光がある状況、人にとってどちらが幸せなのだろうか。誰かが希望を作ってくれるのを待つか、自ら希望を作るか。国や政治に文句を言ったところで希望を提示してくれるわけではない。希望は活力の源、それを示せる人になりたいな。


2/8(水) 2.受験
 俊助の受験が始まった。

 進路の決定過程については以前書いたので(2011年の独り言・12を参照)ここでは割愛するとして、結局基町高校を受けることになった。公立高校の受験は選抜1(学校推薦&面接と論文)、選抜2(試験)があり、選抜1は先週木曜日に実施された。

 で、本日がその発表日。結果は中学校の先生が受験した高校に出向いて確認し、父兄には今日の午前中、生徒には放課後に伝えられるとのこと。普段飄々としている俊助もさすがに結果が気になるようで、結果が出たら学校の校庭から教室に向かって手旗信号を送ってくれとか言っていたらしい。現在午前11時、その結果連絡を待ちながら、この独り言書いている。

 おそらく、我々夫婦は受験生を持つ親の割には緊張感も無く、良く言えば本人の自主性に任せている、悪く言えば無責任な放任主義で、受験のサポートに関して不真面目な部類に入るかもしれない。本人の受験なのに親の方が必死になって代理戦争のような状態になるのが性に合わない、もしくは親がケツを叩かなければ走れない人間にはなって欲しくないと思っていたりする。

 基町高校はそれなりの進学校らしいので(僕が学生の頃はそこまでの進学校というイメージは無かった)、ほとんどの受験生は塾通いをして試験に備えているものと思われるが、そんな不真面目な親なので俊助が塾に行ったのは3年の冬休みに鯉城学園の冬期講習のみだ。

 基町高校の選抜1は150人位受験し、合格するのは60名程だと聞いている。受験できるのは学校推薦も持つトップクラスの生徒のみ。且つ市外からの入学者は制限(なんと19人)されているらしいので、学年で25人位しか生徒がいない田舎の中学校から合格者を出すのは厳しいと思われる。

 が、それでも受験したからには受かって欲しいと思うのは親の心情。時計を見ると11時30分を過ぎている。「午前中に連絡が入るはずなのにまだかいな、連絡が遅いということはもしかして、いやいや、不合格だったらどんな声をかけようか、、、」なんてネガティブなイメージに浸食されそうな自分を自ら押し返しつつ…

 と書いていたら、電話がかかってきた。勇んで出たら仕事の電話。おいおい、紛らわしいことすんなよと思いながらさっさと用件を済ませて電話を切ると、立て続けに電話。今度は番号表示を見る余裕があり、これは中学校から違いない。

 ちょっと姿勢を正して電話に出ると、担任の先生から「おめでとうございます」と一言。一応確認のために「合格ということですか?」とバカな質問をしたら「そうです、合格です」。「これまでのご指導本当にありがとうございました。」と他人行儀な受け答えをして電話を切った。beに何度も来て頂いている先生なので、なんかこうもっと感謝とか喜びとかダイレクトに伝えれば良かったかなと思いつつ、結果を妻や気にかけてもらっている皆さん数名にメールで報告した。

 夕方には結果を聞いた俊助が帰ってくる。どんな顔をしているだろうか。この結果は自らの努力で勝ち取ったものだ。まだ俊助の旅は始まったばかりだけど、1つの区切りとして、1つの成功体験として自信を持ってくれればよいな。

 春に2泊3日の「釣紀行in四国」の約束、果たせるよう俺も頑張ります。四万十川経由で佐田岬の先端まで行ってみようかね。俊助くん!

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俊助の受験を気にかけて頂いた皆様、お陰様で無事合格いたしました。深くお礼申し上げます。一部方面から俊助が基町高校に行ったら、市内に父と共にマンションを借りて住み、それに伴って私(俊助じゃなくて?)が不良化していくのではという懸念と悪魔の誘いがございますが、そのようなことは一切ございませんことをここに記します。これからも親子共々宜しくお願いいたします。


2/1(水) 1.父のONとOFF
 父が年末で勤め先を辞めた。

 高校を中退して義兄の会社で働き始め60歳で定年退職し、その後に腕を見込まれて入った電気設備工事の会社だ。68歳を越えても朝6時15分には家を出て、返ってくるのは20時過ぎ、西は山口から北は島根まで大型車を運転し、電柱を立て、登り、電話線を通し、接続する。雪の朝も、炎天下の昼も、どしゃぶりの夕方も、毎日毎日そんな仕事をしてきた。大腸ガンで入院した時も結局3ヶ月後には復帰した。

 学生の頃、アルバイトとして父とよく仕事をした。例えば電柱の穴掘り。重機が入らない場所は、電柱を人力で運び、立てる穴を手で掘る。8mの電柱であれば2m近く掘らなければならない。柄の長さが2mほどあるスコップが繋がった(2丁ズッコという)専用の道具で掘るのだが、これが重労働。1本掘るのに1時間ぐらいかかる。

 地面にスコップを突き刺し、柄を円状に回して土をえぐり、そのまま土を挟んで穴の上まで持ちあげる、を繰り返す。書けば簡単なんだけど、実際やるのは相当の力を要する。大きな石があった時は洒落にならないほど大変な作業となる。30〜40kgぐらいの石ならそのまま2丁ズッコで持ち上げるのだが、それより大きいものは金棒を上から突き刺して割る。金棒自体も20kgぐらいあるので、持ち上げて落とすだけでも玉のように汗が噴き出す。あえぎあえぎ石を割って何とか掘ったと思っても、穴に電柱を立てて埋め直すとすぐに次の現場だ。当時は立てた電柱の数によって受託額が変動していたので、稼ぐためには休む時間なんてないのだ。そうして1日8本も電柱を立てると、終わるころには口もきけないほどヘトヘトになった。

 その他、アホみたいに重いロール状のワイヤーロープを山に運び上げたり、深夜にクソ重たいロープを引っ張り続けたり、キツかった思い出には枚挙にいとまがない。まさにザ・肉体労働。父はそんな仕事を50年以上続けてきた。

 で、これで引退、後は畑仕事でもしながらゆっくり余生を過ごす気なのかな?と思っていたらこれが大間違い。第2の人生と称して、今後は庭木の剪定や立木の伐採などを個人でやりたいと言い出した。疲れたから辞めたのではなかったのだ。知り合いに頼みこんで弟子入りさせてもらい、何と飛び込み営業も始めた。年明けには第1号の受注をとり、2万円もらったと喜んで帰ってきた。

 たぶん、小さな頃から仕事をしてきた(家の仕事を手伝っていた)父にとって、仕事は僕らが言う仕事とはニュアンスが違うのではないか。ONは仕事、OFFは休暇ではなく、ONは生活のための仕事、OFFは自分の好きな仕事という感覚。とすると、今回はOFFの仕事にもっと時間を使うために辞めたということか。おそらく小さな頃から培われた習慣的感覚。父にとっては“仕事=生きること”なのだ。

 僕はそんな父が嫌いではない。

 そして、今後のしょうりき山里公園にとって、もしかしたら今後の日本にとって、大きなヒントが父の行動にあるのかもしれない。何故なら、日本の戦後の発展は真面目な働き者が沢山いたからに他ならないのだから。


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