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アリ園長の独り言(2014)
8/29(金) 30.成果発表会 今日から孫野菜農園グループの直売店「農家直営露地野菜市」をリニューアルオープンしました!是非一度ご覧いただければ嬉しいです。 http://www.magoyasai.com/
昨日、成果発表会なるものに行ってきた。以前受賞したひろしまベンチャー育成基金が主催しているもので、過去の受賞者の“その後”を聞こうという主旨のものだ。参加者は金融機関・行政機関・大学の関係者に過去の受賞者で、総勢100人位。想像していたより大きな会だった。
成果は2つの方法で発表される。1つは演壇でのスピーチ。時間にして約15分。3名限定で主催者が指名する。もう1つは展示場での説明。これは希望すればOKで、我々孫野菜はこちらの方で成果発表をした。
まずはスピーチの部が1時間あった。1人目は下請けの繊維工場から自社ブランドメーカーへの脱却ストーリー。2度のリストラを経ての大事業転換。2人目はアトピー性皮膚炎を持つ母親がわが子のために作ったオーガニックコットン下着の開発秘話と事業展開。3人目は放射線資料の品質管理システムの現場検証状況と今後の展開について。できれば聞くより話す側に立ちたいとちょっと思った。それと、事業をする動機みたいなものがとても大事なんだということ。
その後は交流会となった。円卓で立食しながら交流を図るというスタイルで、壁際に展示場が設けられており、それぞれの受賞者が成果物を展示している。孫野菜もその一角に陣取った。ほとんどの受賞者はパンフレットを展示場に置いてテーブルを回り名刺交換していたが、僕は展示物の前でひたすら事業モデルとシステムの説明をした。
今回この展示するにあたり、重視したのは「数字」と「ビジュアル」。これまでは熱く語って理解を得ようとしていたが、その場では盛り上がるものの、なかなかその後には続かなかった。後にお会いしても、僕の顔は覚えてても何をしているかは覚えていない、という感じ。
それと、人って事業体の知名度や規模によって、そこが提供するサービスの品質を予め判断してしまう傾向があり、僕みたいな個人事業者が作ったシステムなんて品質が良い分けが無いと思われるのが現実だろう。しかし、どうだ。実際にシステムを実演しながら説明すると顔つきが一変。こんな小さな事業者がなかなかやるな、という印象に変わる。(気がした)
それに、今度は数字による実績を補足する。システム開発後の月次売上・取引飲食店数・出荷農家数・システムの有償貸出先数。変に文章やグラフなどの補助説明は付けず、表に数字だけの超シンプルな実績推移表。これがすごく効いた。(気がする)
それと、今回は野菜を持ち込んだ。これは完全にアイキャッチ。殺風景な展示場ゆえにとても映える。農家をやっているのもすぐ分かるし、集客にかなり効果があった。(と思う)
それに、普段売場で使っている野菜パネル(プロに作ってもらったんでそれなりに見える)を6枚組み合せて展示場完成。
18時に交流会自体は終了したが、孫野菜農園のコーナーの人がはけたのは18:30だった。
6/27(金) 21.何故か?UIターン いつぞや、広島県庁の職員さんが来られて、広島県の魅力についてヒアリングをされた時のこと。
街と自然が非常に近い場所にある、街の機能がひと塊りになっていて便利、世界を代表する平和都市であるなど色々話しが出て、どれも確かにそうなんだけど、何となく自分ではしっくり来るものがなかった。ヒアリングの目的は、広島県にUIターン者を増やすための売り文句制作。僕もUターンした一人として、その類のキャッチを聞いて心が動くかというと、、、そうとは思えなかった。
UIターンの人気エリアは、沖縄・北海道・長野。僕が仕事でUIターンに関わっていたのはもう10年近く前になるので今のデータは知らないが、たぶん今でもそんなに変わっていないんじゃないかと思う。沖縄は圧倒的な自然とのんびりした生活イメージ、北海道は雄大な自然もそうだが札幌という大都市を抱えており先進的な生活も送れそうなイメージ、長野はリゾート地として東京から見ればとても親近感があり、且つセイコーをはじめとする精密機器の著名企業が先端的なイメージを形成しているように思う。しかも東京から物理的な距離も近く、いざとなったらすぐ帰れる安心感があるのかもしれない。
それと比べて広島はどうか。自然?確かに山は都市部近くまで迫ってきているが、登山客を全国から集めるような山は無い。海は?確かに近い。が、どこもコンクリートで護岸工事されており、海水浴場できる場所はほとんどなく、レトロな施設があるわけではない。しかも、海がキレイかというと、、、沖縄と比べるまでもない。人が呼べる海は無いに等しい。自然では到底勝負できない。
UIターンフェアの転職相談員として、5年ぐらい来場者からのよろず相談を承っていたが、実感値として一番多かった希望地は「沖縄」。10人中5、6人はそうだったと思う。そして、必ずされる質問がこれ。「仕事はあるでしょうか?」
Uターンを考えている方のうち、かなり多くを占めるのは「親の面倒をみるために地元もしくはその近くで生活する」だろう。この場合、Uターン先は既に決まっているので、ここでは対象にしない方が良い。もし広島を希望している方がいれば、彼らが欲する情報は「どんな仕事があるか、処遇面はどうか」であり、それを充実しておくことが重要となる。
蛇足ではあるが、北九州市はこれに早くから気付き、実践していた。積極的な産業誘致で仕事を市内にどんどん作り、各所で発生する求人を市で取りまとめて、大都市部在住者に定期的に配布する仕組みを作っていた。街の屋台骨を支えた鉄鋼業がすたれていき、どこよりも早く高齢化・人口減少が明確になった切羽詰まった状況だったから出来たのかもしれない。(蛇足の蛇足:私は北九州市から委託を受けて2年間この仕事携わってました)
話しを元に戻す。他県との誘致競争になるのはIターン者の方。彼ら・彼女らの多くは心身にゆとりが持てる生活を送りたいと考えており、それが自然と結びついて、沖縄が圧倒的人気のエリアになるという構造だろう。事実、沖縄は数少ない人口増加県であり、それにはIターン者もかなり寄与していると思われる。
確かに自然では他エリアには勝てないが、もう1つの要素「仕事」では十分に広島に優位性があると思う。実際に広島発祥の全国的な事業は多い。工業・商業・物流業などほとんどの産業が一定規模以上で存在しており、先取の県民性も事業立ち上げの際にはプラスに働くことが多い。個人的には農業にも非常に大きなチャンスがあると感じている。
雄大で美しい自然だけが自然じゃない。観光ではなく生活に寄り添う自然(自然の恵みを得る等)は広島にいっぱいあるし(ちょっと裏でタケノコを、なんて素敵じゃないか!)、仕事も様々な種類がありこれまでの経験も活かしやすいし、処遇面もそれなり。事業の創業地として広島を選択することだってあっていい。そう考えると、広島は悪くない。
本当は、休みが無くてもストレスにならない仕事を書こうとしたのだが、いつの間にかUIターンのことが主体となってしまった。本題の方はいつか、そのうちに。
そうそう、広島県主催で「ひろしま定住フェア in 東京」が7/19(土)に有楽町の東京交通会館で開催されるようです。「そろそろ広島に」とか、「いつかは広島に」とか、「地方で暮らすにはどこが良いか」とか考えられている人は、是非行ってみてはどうでしょう?ついでに、広告の片隅に私も映っていますので探してみて下さいね〜。
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kouryuuteizyuuportalsite/26tokyo.html
5/23(金) 16.新農家 最近、新たな出荷農家さんが増えている。志和の農家グループ(9話で紹介)もそうだし、母の友人世代だったり、地元で新たに農業を始めた人もいる。また、これまでは小量・不定期で出荷していたご年配農家さんもかなりの量を定期的に出荷されるようになってきた。
頭で考えていた予測が現実となりつつある驚き。「地元のおじいちゃん・おばあちゃんが作っている自家用の野菜は街中の消費者にも支持されるはず」「出荷し始めると、それが喜びややりがいとなりもっと頑張って野菜を作ってくれたり、新たに出荷したいという人が現れるはず」「一軒一軒は小規模でも、集まればそれなりの供給量と品揃えが実現でき、法人の要望にも耐えるような野菜流通ルートになるはず」
もう何年も前から呪文のように唱えてきたこと。もちろん僕はそうなると思って言っているわけだが、やっぱりどこかで懐疑的な心情も持っていたのも事実。だから、それが現実になると「やっぱりな」ではなく「おお、スゲー」という感情が生まれる。
今回新たに出荷農家として加わって頂いたのは三宅さんと竹重さん。三宅さんは広島市内でお好み焼屋を経営しておられ、義父の畑をちょこちょこ手伝ううちに農業の面白さにはまった方。高校の先輩で、たまたま同窓生に「ワシ、農業やろうと思うんじゃけど、どうじゃろうか?」(一部想像)と話されたところ「じゃあ、有政に話を聞いてみい」(一部想像)ということになり、3カ月後とうとう初出荷となった。「今後何を植えたらいいと思う?」と嬉しそうに聞かれる度に、少し前の自分を思い出す。作付計画って結構楽しいんだよな〜。上手くできた・できなかったを繰り返しながら、徐々に三宅さんも自分なりの農業スタイルを確立されるのだと思う。
竹重さんは、娘さんが私の同級生ということもあり、母の昔からの友人。社交的で豪快で真面目(長く保険の外交員をされていた)な方で、初めて出荷された野菜を見て、どれだけ手をかけて作っているかがすぐに分かった程の素晴らしいもの。出来や野菜を近所や友達に配るのが楽しみで、ド〜ンと作ってパッと配って残ったら畑の肥やしにするという農業スタイル。ご主人と一緒に畑に出るのが日課で、母が相談を受けて今週から出荷が始まった。
そして最年長の今中さん。何と御年87歳。今年から作付面積を倍にされ、“売れる野菜”の栽培も始めたようだ。どうも福屋で売れている野菜を自分なりに情報収集して、作るべき野菜を考えられた様子。これまで今中さんの畑で見たこともなかったフリルレタス(なんと500株以上!)を見た時には少し笑ってしまった。
明日も福屋で店頭販売。そんな皆さんの頑張りを胸に、しっかり売ってきたいと思う。
5/16(金) 15.DW突入!
もじってみないと気分が萎えそうだったので、DWなんて名付けてみた。怒涛週間、略してDW。ちょっと頑張ろうという気になるではないか。
まあ、僕自身の物理的忙しさはどうでもよい。ただ、多くの方と一緒にやり遂げようとする時、スケジュールが詰まっているのはすごくに気なる。なぜなら、失敗した時のリカバーが難しいから。
って、何を言っているのか分かんないですよね。来週から旬の野菜宅配が始まり(お陰様で今年も50軒以上のお申し込みを頂きました。本当にありがとうございます)、店頭販促が目白押し、夏野菜の定植もたて込んでおり、パッケージの開発は大詰めを迎え、第1号案件も話しを並行して進めており、某青果店から新規売場の相談やら、新店立ち上げの野菜相談やら、取引先の野菜プロモーションやら、どれもこれも一人ではできないものばかり。ちなみに店頭販促と宅配のスケジュールは以下の通り
5/17 舟入市場での店頭販促(マグロ解体ショーとの連動企画)
5/19 宅配Lセット発送
5/22〜24 福屋での店頭販促(ベジタブルフェア)
5/26 宅配Mセット発送
5/29〜30 福屋での店頭販促(単独開催)
店頭販促は通常の2〜3倍の販売が予想されるので出荷量が一気に増える。出荷量が増えるとその後の仕分け・梱包作業も増えるわけで、その翌日は寝ずに店頭に立つなんてことも起きかねない。(実際、昨年は徹夜明けでそのまま販売した)しかも、連続で販促があり、且つ宅配で一度に野菜が必要になるので、品切れで出荷できずなんて事態も懸念される。(これが一番怖い)。各農家との連携と情報共有が非常に重要になる。
且つ、上記の間隙を縫って農作業に勤しみつつ、各種の打ち合わせと、その前の企画書作りに精を出して期限を守りつつ進めないといけない。結構手間がかかるのがスケジュール調整。こういう時って、主体的に日程を調整していかないと、大概大幅に進行が遅れる。
まあ、ジタバタしても仕事が減るわけではないし、状況はどうであれ仕事の品質をキチンと担保しないと信用を失ってしまうし、我々のような極小事業体は仕事で信用を得ていくしか生きる道は無いし、信用を失えば吹き飛んでしまうしで、やっぱり一つ一つ仕上げていくしかない。
こんな時はいつもの、メモにやることを全て書き出し、きちんと状況を関係者に伝え、たまに「やれば終わる」と呪文をつぶやくしかないですね。「やれば終わる」よしやろう!
5/9(金) 14.仕事の品質は体調から
昨日、安佐ロータリークラブの招きを受け、“卓話”なるものをしてきた。卓話とは外部の有識者を呼んで話を聞く、月例会のプログラムの一つで、30分の時間が与えられる。
ロータリークラブとは国際的な社会奉仕連合団体で構成員のほとんどは企業経営者。会場はリーガロイヤルホテル、会の参加者は20名ほど、広島の人なら誰でも知っている企業の経営者も参加されていた。僕は有識者でも何でもないので本来こんな場に呼ばれるわけはないのだが、たまたまこの会の会長の三宅氏が高校の先輩で、beや農場にも来られたことがあり、たまには変化球も良いかと思われたのか、もしくは善意の勘違いをされたか、いずれにしても温かいご配慮があってのご指名と思われる。
会場入りは12:00。配達を9:30頃には終えることが出来たので、少し仮眠をしようと思っていたが(前夜は出荷作業が難航してほとんど寝れなかった)気分が高揚しているのか全然眠くない。仕方なしに卓話の原稿に目を通すと更に眼が冴えてきた。次は15:00から予定しているシステム打ち合わせの資料確認。内容のチェックやら文言の書き直しをしているとあっという間に11:30。慣れないスーツに着替えそろそろ会場に向かおうかなと思ったぐらいから強烈な睡魔が襲ってきた。
既に仮眠する時間があるはずもなく、太陽に目が眩みながらフワフワした足取りで会場に向かう。プレゼンのセッティングをして参加者の方々と名刺交換をして席に着くと、何と食事の準備がされている。卓話はその後。この状態で食事をするとどうなるかは自明の理だ。かといって食べないと失礼にあたりそうだし、一口箸を付けると、、、美味い!量より質の懐石弁当。朝もほとんど食べずに家を飛び出したので空腹もMax。結局残さず食べてしまい睡魔もMax。マズイと思った矢先に「では次は安芸高田市からお越しになった。。。」と私の紹介が始まった。
結果はご想像の通り。何故か本題とは関係ない“掴み”の部分でかなり時間を割いてしまい、本題は超駆け足になってしまった。父親ほどの大先輩経営者の温かい目線が逆に痛い。大汗をかきながら何とか話を終え、終わった時には虚脱感がMax。
とまあ、決して満足のいく話しはできなかったが、飲食店の経営者が多く参加されており、面識を持てただけでなく、我々がしていることをお伝え出来たのは今後に繋がりそうな予感。是非一度お伺いしてみたいと思っていたお店もあり、早速日を改めてお伺いできればと思う。
このような場を与えて頂いた三宅様に改めてお礼申し上げたい。
と合わせて、仕事の品質は体調によって左右されることを改めて肝に銘じたい。
5/2(金) 13.いよいよ、もうすぐ(かな?)
農家直売システムの外販が間近になっている。
元々外販するために作ったシステムではない。あくまで両輪の取引先(農家・販売先)が拡大する過程で業務量が膨大に増え、それを解消するために開発を決めたのだが、実際に開発する過程で「これって、あったら別の農家グループも嬉しよな」と思い始め、途中から外販も視野に入れて開発を進めた。
実際にシステムが完成してすぐに外販できるかというとそうではない。まずは本当に使えるシステムかどうか検証する必要がある。テストしてバグをつぶしたようでも、使ってみると色んな不具合が出る。当初想定していなかった使い方や欲しい機能、使い勝手の件など、直すことが続出。結局ある程度満足いく水準になるまで半年かかった。
そして年明け、いよいよ外販に向けたシステムの再検証に入った。同じタイミングで日経新聞でもこのシステムが紹介され、問い合わせも色々受けてもう後に引けない状況。違う農業グループや直売所が使うことを前提に改めてシステムを見直すと、想定以上に見直さないといけないところが出てきた。
かなり余裕もをって6月に外販開始と宣言したつもりが、やればやるほど新たな課題が見つかる。欲しい機能もどんどん出てくる。あっという間に5月になってしまった。6月から使いたいという申し出も受けており、何とか仕上げるしかない。
改めて思う。いくら余裕をもってスケジュールを組んでも結局最後はバタバタするんだな。気合が入るタイミングが遅くなるだけで、時間が経つぶんマイナスかもしれない。厳しいぐらいのスケジュールの方が集中力が発揮されて品質的にも良いものができる気がする。さあ、これから集中して頑張ろう!
4/25(金) 12.ある農家のカタチ
前川憲枝さんという農家がいる。
いや、農家と言えるかどうか。。。母の昔からの友達で、子ども夫婦&孫と一緒に暮らしており、家の裏にある200uほどの畑で自宅用の野菜を作っている、典型的な田舎の“家”だ。昔からちょくちょく出来た野菜をおすそ分けで頂いていた。2年前ぐらいに「折角だから孫野菜で売ってみようかね」と母が提案し、孫野菜のメンバーに加わってもらった。
正直に言うと初めは売るには厳しいものが多かった。もちろん農薬は使わず肥料も有機質のものだが、虫が喰おうが病気がつこうがお構いなし。確かに美味しいけれども、さすがに事情を知っている僕でもちょっと臆するほどの外観だ。結局売らずにお蔵入りさせたことも何度かある。それがどうだ、今では見違えるほどの野菜を出荷されるようになった。
その理由を母が教えてくれた。
元々畑仕事はおばあちゃんがしており、その後を継いで前川さんが野菜を作るようになったらしい。おそらく当時は仕方なしに畑仕事をすることになったと思われる。家族用の野菜なので見た目は気にせず、安全で味さえ良ければという考えだったのだろう。それが孫野菜に出荷するようになり、初めての支払い(月締め)が確か5000円ほどだったと思う。
母にすぐに連絡が入り「こんなにもらってもええんじゃろうか。」とご夫婦で驚いたという。これまで0円だったのが、同じことをして5000円。「お前が頑張るなら」とご主人が畑に鹿よけの柵を張り、水もキチンと引いたらしい。
半年後、そのご主人が永眠された。この畑はご主人の形見のような存在になっているという。苗も自分で仕立てるようになり(最近は苗のおすそ分けになった、笑)、野菜作りの上手な人に話を聞きに行っているらしい。そして、今月の支払は20000円を大きく超えそうだ。
前川さんに限らず、孫野菜に出荷するようになってどんどん野菜作りを頑張る近所のご年配が増えてきた。本当に嬉しく思うし、改めて野菜作りが持つ様々な利点を感じている。前川さんのような家は町内にもまだ沢山ある。もっともっと多くの方に参加頂けるような存在になっていきたい。
そんなご年配にも支えられ、今年は昨年の1.5倍のペースで出荷できている。本当に有難いことだ。ただ、バックヤードの業務がパンクしかかっているので、こちらは早急に手を打たないといけないです。
4/16(金) 11.大切な力
フェイスブックでも投稿したのでご覧頂いた方には申し訳ないが、やっぱり腹の虫が治まらずここでも書かせて頂く。
事の発端は水曜日の水路掃除だった。田植えが始まる直前、川から田んぼに水を引くために、生えた雑草やら溜まった石を水路利用者が協力して取り除くのが地元年中行事の一つだ。集合場所は川から水路に水を引き入れる小さな堰付近、到着してふと川の下流に目をやると見慣れないものが置かれていた。
それは鉄製の大きなカゴ(60cm×100cm×60cmぐらい)に石を詰め込んだブロック。たかだか1mぐらいの幅しかない小川に何個も置かれている。「ゲゲ、何でそこにこんなものを置いたんだ!」思わず叫びそうになった。その場所は、この谷川で数少ない深い場所であり、子ども達の絶好の遊び場だった。ご丁寧にその深い場所にブロックを敷き詰めたのだ。
蛇行して川底が削り取られる場所であればまだ分かる。そこは直線で、しかもしっかりコンクリートで護岸工事がしてある側に置かれている。考えられるとすれば、子どもたちがそこで泳がないように埋めたということだろう。何のために?誰かが要請した?これをして喜ぶのは誰?
この思いは小学生の時にもした。同じ川の少し下流で、そこはガマが生え底が見えないほど深く、僕たちの釣りでは最高級のポイントだった。学校帰りにもよく立ち寄っていたが、小5の時に突然工事が始まった。約1ヶ月後、出来上がったのは両岸に川底までコンクリートで固められた、水深がくるぶしぐらいの大きな側溝だった。その時の失望たるや今でも鮮明に覚えている。
その時は治水工事かなんかだと思うので今ならまだ理解はできるが、今回の石のブロックはひどい。実は同じようなことが2年前にもあった。もっと上流の(といっても200mぐらい)同じような深い場所。ここは川幅は狭いが深さは前述の場所以上で、俊助や佳穂がよく潜っていたところだ。ここも直線で特に工事の必要は感じない場所なのだが、突然ブロックが敷き詰められた。
地域の住民が要請したのか、お役所が自主的にやったのか、何か特別な理由があったのかはよく分からない。誰が仕掛けたにせよ「危険だから」というのが理由だろう。川に近づくな?万が一怪我をした時に責任を押し付けられるのが嫌?
過度に危険から遠ざけることは、危険に対する認識・対処レベルを下げることに他ならない。少しは危ないぐらいの遊びの方が実は楽しい。そんな環境下で遊ぶからこそ危険を自分のこととして捉えるし、たまには痛い思いして危険が何たるかを覚えていく。
これに限らず、子どもたちに考えさせない環境が世の中多すぎる。過度な大人の配慮が弱い子どもを作っていく。大事なのは考えて行動する力だ。何をするかを決め(何をさせないかも同義だ)やり方まで教えて、いかに上手くやらせるかを繰り返しても身に着かない大切な力があると、僕は思う。
4/11(金) 10.好きな仕事
今年も田植えの時期が始まった。
僕はこの作業が一番好きだ。広い田んぼに水を入れ、おんぼろトラクターで土を混ぜる。デコボコだった地表が滑らかな平面になっていき、その所々に土中で冬を越した虫が浮かんでくる。それを色んな鳥が食べにくる。人が近づくとすぐに逃げる鳥も、捕食に夢中なのかトラクターを無害と認識しているからか、近くまで寄っても逃げようとしない。
低く飛んだ葉虫を狙うのは燕。いつも間にか10匹以上がトラクターの周りを低空旋回している。シャープで空気抵抗の少ないフォルム。白黒のツートンカラーに少し赤みがかった首筋。飛んでいる姿はまさに神のデザインと言いたくなるほど美しい。あれだけの小さい体にあの飛翔力を持たせることはいくら科学技術が進歩しても人間の手で作ることなんて難しいだろうと思ってしまう。
6度目の田ごしらえ。初めは父に教わるばっかりで、まだらで混ぜるは、機械を壊すはで散々迷惑をかけた。今年も父と二人でのしろかき。父は縦列を、僕は横列を担当し2台のトラクターで効率的に混ぜていく。時々父が僕の方を見て、何か言いかけてやめる。問題点を指摘するのが普通になっていたのに、ちょっとはマシになったということかな。
GWは田植え行事を2回、それに団体向けの特別体験が1回ありそうなので、都合3回の手植えを予定している。こうして手植えが出来るのも、父と、父が長く大切に使ってきたトラクターと、毎年来て頂ける会員の皆様があってこそ。
田植えの時は晴れて欲しいな。子ども達の元気な声が春の里に響くことを願って、今年もキチンと準備を進めたいと思う。
4/4(金) 9.ご縁は作るもの
志和の農家さんと協力することが決まった。
しょうりきから10数kmの距離にあり、我々が提唱する「小規模農家直売モデル」(半径10kmの小規模農家が野菜を集約し・運び・近郊都市部の法人・個人に直売する農業形態)のエリアからは少し外れるが、近い将来、志和でも直売モデルを実践することを視野に出荷頂くことになった。
元々の出会いはシステム開発の打ち上げで使った居酒屋から始まる。昨年7月に「農家直営露地野菜市」とそのバックヤードのシステムを無事カットオーバーできた打ち上げを「三代屋」という店で行った。帰り際に店長から「アリさん、うちで働いていたONってヤツが農業をやろうとしているんですけど、一度話を聞いてやってくれますか?」との申し出があった。
まあ、わりとよくあることではあるが、実際に電話がかかってくることは半分以下。今回もそうかなと思っていたら、少したって電話がかかってきた。会って話を聞くと、本気で農業をしたいという。実際、志和の農家に研修に行っており、土地も探しているようだった。
その半年後、今度は福屋でON君に会った。ベジタブルフェアで彼が研修に行っている農家が催事販売したのだ。すっかり農家らしくなった彼から紹介されたのがMさん。まだ若いが、ものすごくしっかりした考えを持っており、野菜を作るだけではない視野の広さを感じた。
是非農場を見てみたい!今度は僕がMさんに後日連絡して訪問させてもらった。想像通り非常によく考えてある畑で、実際出来ている野菜も素晴らしかった。畑を歩きながら彼の考えを改めて聞き、僕も孫野菜のことを色々話した。
その後、間を開けずM氏にもう一度話を聞きに行った。今度は母と妹に農場を見てもらうためだ。忙しい中で申し訳なかったが、Mさんは嫌な顔一つせず、彼の実践している野菜作りを丁寧に教えてくれた。そして帰り際、「今度は私が近くの仲間を連れてお伺いさせて下さい」と言った。
そして、実際にMさんは5人の仲間を連れてしょうりきにやってきた。今度は僕が説明する番。軽く農場を案内した後は、僕が考える小規模農家直売モデル・バックヤードのシステム・業務の流れなどを説明した。予定していた2時間があっという間に過ぎた。
そして今日。Mさんと一緒に来た農家さんから初出荷があった。初めてON君と会って8ヶ月、Mさんと会って5ヶ月。ご縁が繋がり協働にまで発展した。来週からはMさんも出荷に加わってくれるという。ここまでに関わった誰かが「まあいいか」と思って行動しなければこの結果は無かった。ご縁とは「知っている」関係ではなく、「関わり合う」関係と考えれば、やっぱり主体性がご縁を大きく広げてくれるのだと思う。
良いご縁になりそうだ。
3/28(金) 8.運は偶然?
福屋さんで店頭販売をした。
これまではベジタブルフェアなどの催事販売と違って今回は平常営業日での店頭販売。売上の予想が立て難く、エイヤで普段の倍ぐらいと踏んで出荷目標を立てたが、その後が一苦労。急に決まった話に加え、ただでさえ野菜が少ない時期なのに、収穫当日の大雨。本当にキチンと出荷できるのか最後の最後まで心配だった。
しかし、そこはさすが孫野菜農家の面々。倍どころか、それ以上の野菜をそれぞれが出荷。水曜日は飲食店からの注文も集中する日でもあったが、それをカバーしても十分出荷目標を越える野菜が集まった。
逆に想定より沢山の野菜が集まったので、これはもう頑張って売るしかない。売場での声出しにも力が入った。「孫野菜農園です!本日は農家が直接野菜をお持ちして売場を拡大して販売しています〜!」なんて声を出していると、全く見覚えのない男性が声をかけてきた。
「あの、孫野菜農園さんですか?いつも使わせてもらっています。」年の頃は35歳前後か、雰囲気で料理人と分かった。そしてピンときた。「もしかして、●●のKさんですか?」
いつもネットで我々の野菜を買ってくれている地元大手の飲食店があり、何度か法人取引のご案内をしていたのだが、ご返事がなく、ずっとネット販売のみでのお付き合いだった。その発注者(実は部長だったことが判明)がたまたま福屋に仕入に来ていて、孫野菜農園が販売していることを知り、わざわざ声をかけてもらったという次第。
「良い野菜をいつも本当にありがとうございます。特に葉物、これはやっぱり鮮度ですね〜。孫野菜さんは段違いに美味しいですよ。本当は法人取引したいのですが、社内の手続きなどが結構手間なので、そのままネットで注文させてもらってます。」少しお世辞が入っているとしても、通り過ぎてもよかったところをわざわざ声をかけてもらったこと、また話す雰囲気から本当に喜んでもらえているのが分かった。これには一緒に販売していた妻や母も感激。ネット注文が入る度に「どんな人が注文してくれているのか会ってみたいね。」といつも話していたのだ。短い時間ではあったが、今度改めて商談をさせて頂くこと、今後も継続して注文したいことなどを話しあった。
特に事業規模が小さい時は、1社の取引で大きく状況が変わることがある。こうしてお会いできてお互いに距離が大きく縮まり、その可能性を持つ1社が増えた感覚を覚えた。こうしてお会いできたことは本当に運が良かったと思う。
と、同時に、急に決まった福屋での販売をキチンと受けたこと、顔の見えない販売先であっても既知の販売先と同様に対応してきたことなどがなければこのようなラッキーは生まれなかったと思う。運は確かに偶然の産物だが、その偶然は努力の上に成り立っている。
3/21(金) 7.旗印を掲げよう
農場視察の頻度が上がっている。
これまでは、お取引の始まる飲食店が中心で、多くて月1回ぐらいだったが、年明けから週1回ぐらいのペースになってきた。目的は様々。一緒に事業できる可能性は無いか、新規店舗を作る際に野菜仕入をお願いできないか、売場を作らないか、ウチの販売先に野菜を提供できないか、システムが使えそうか見たい等々。もちろん全てにご縁があるわけではなく、ほとんどは「そのうち縁があれば」みたいな感じで終わるのだが、それでも興味を持って頂けるのは本当に有難いことだ。
確かにシステムを開発し、メディアに取り上げられたことが大きいのだろう。ただ、メディア露出の頻度はむしろbeに居た時の方が多かった。結局「私はこれをしています!」というメッセージがどれだけ伝わるか、その内容が具体的か、実際にやっているのかが大事なんだろうと思う。「へ〜そんなことをしているのか」で終わるのか、「そんなことをしているのか!実際見てみたい」という感情が生まれるか。
ただ、昔と違って、興味を持ってもまずはネット検索。実際に調べてみると「結構真面目に販売しているじゃないか、じゃあ話しを見いてみようか」と言う流れに。実際、訪問される方は100%孫野菜農園の販売サイトを見ているし、熱心な方はしょうりき山里公園のHPもくまなく確認しているようだ。
やっぱりベンチャー事業をするのなら「私はこれをします!」と宣言できないと駄目だと改めて思う。迷い・自信がなく・遠慮がちに「こんなこともしているんです、私。。。」では誰も興味を持ってくれないし、その事業と関わりを持ちたい潜在的な顧客を顕在化できない。そう言えば、前職の社長はそれを「旗印を掲げる」と言っていた。色んな人から学び、教えて頂いたことが今になって理解できる。虚勢を張るには覚悟が必要だ。
今日もこれから農場視察。折角の機会なので、協力農家さんところにもご案内したいと思う。よいご縁になればよいな。
3/14(金) 6.過去・現在・未来
今朝はよく揺れましたね。皆様の所は大丈夫だったでしょうか??芸備線が運航停止になり、急遽俊助を学校まで送って只今帰ってきました。予想したほどの渋滞も無く、いつも通りの街並みにホッとしました。今日は1ヶ月熊本で仕事をしていた父が帰ってくる予定です。以上、蛇足。
さて本題。確定申告の時期を迎えた。
ずっと白色申告をしており、細かい数字の把握は年1回。ザクッとした数字は把握しているつもりではいるが、それでも正確な数字が出るまではドキドキする。ちなみに、来年からは青色申告する予定で会計ソフトも購入した。
6年目ということは、当たり前だが事業を始めて丸5年間過ぎたことになる。創業当初5カ年計画を作ったことを思い出し、久しぶりに開いてみた。途中で事業内容が大きく変わりお蔵入りになっていたのだ。少し抜粋してみる。
<初年度(H21年)> <5期目(H25年)>
【売 上】 565,200円 ⇒ 10,004,440円
【利 益】 ▲334,800円 ⇒ 964,440円
【会員数】 20家族 ⇒ 300家族
この当時は農業体験と野菜宅配のみで事業計画を立てており、今と単純比較はできないものの、一応売上はクリア、利益・会員数は届かずといったことろ。特に利益面では人件費も経費計上しての利益目標だったので、まったくダメダメだ。
そして何より、経費の読みが甘い。前職時代の経費構造が頭に残っていたんだろうけど、見た瞬間に「これじゃ事業運営は無理!絶対足りない」と思ってしまった。この辺りの感覚はここ数年で培われたものだと思う。まあ、そんな感覚が養われても儲かるわけではないので何も自慢にもならないが、事業をキチンと回そうとすると、それなりにお金がかかる。それを前提に値決めをキチンとしないと、後から値を上げるのは結構難しい。
そんなこんなで反省ばかりの日々ではあるが、業績数字は過去の評価の一側面。野菜販売に注力すると決めてから、販売額が毎年30%以上伸びていること、農家さんの仕入額は下げずに完全買い取りを続け、利益率も少しづつ高めてこれているのは好材料と認識したい。
1年半前にbeの社長退任を決め、借金しても直売システムを開発しようと思わなければこの結果は無かった。これは間違いない。ただし、その意思決定が本当に正しかったかは、もう少し先の未来から判断することなんだろう。良い判断だったと自己評価できる未来を実現するために、信じて行動するしかない。
そう、現在の自分の評価は未来の事業が決めてくれる。そして、その未来に向かうロードマップは現在の自分が作る。時に険しくても進み、時に迂回し、時に書き直し、時に他者と新しい道を作る。そんな一つ一つが事業であり、そのためにも、揺るぎない信念と明確な未来のイメージが今更ながら大事な気がする。
さあ、これから確定申告に行ってきます!
3/7(金) 5.本日最終日!〜サクラちゃんの独り言
2週間に渡ったサクラちゃんの体験滞在も今日が最終日。急に決まった話ではあったが、我々としても非常に良い機会となった。
当初はやることなすこと初めてで、恐る恐るという感じだったが、今ではすっかり農作業も出荷作業も慣れたもの。母や妹もだいぶ楽をさせてもらい、気分的にもリフレッシュできて非常に助かっているようだ。この2週間どんなことをやってきたかはFaceBookにUPしたのでそちらを参照頂ければありがたい。
個人的には、この受け入れを「農家直売システム」導入研修のシミュレーションにしたいと考えた。このシステムを有効活用してもらうには、システムの利用方法だけでなく、周辺の小規模農家を取りまとめて、集荷し、販売し、配達に至る直売の一連の業務を理解してもらわないといけないが、それにどれぐらいの期間が必要かは実際やってみないと分からない。その意味でも新規就農者に近いサクラちゃんの存在は非常に有難かった。
以下は、サクラちゃんに研修の感想を書いて頂いたので、ご本人の了解のもとここに記載させて頂きます。
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有政さんのところで2週間お世話になりましたサクラです。東京農業大学に昨年から通っています。
この2週間研修として堆肥運びから配達、プリント作成までたくさんの作業をさせていただきましたが正直達成感でいっぱいです。2週間と期限が決まっていたから頑張れたけど、毎日こなすには相当の体力と根性がいると痛感しました。知識的な部分でも学校の授業や実習でやっていないこと(ジャガイモの植え方、器具の使い方、見たことのない野菜の種類etc...)ばかりで毎日訊ねてばかりでした。また、システムの構造を教えていただいたり企画会議に参加させてもらったり、他の農家さんに一日お世話になってお話を聞けたりと経営の方もみせていただいて、貴重な経験になりました。
心残りと言えばエースローター(注釈:畝を上げる専用の機械。重くて結構使い難い)の制御が上手くいかなかったことくらいです...。次の機会にはまっすぐ溝が作れるように鍛えておきたいところです!2週間で農器具に関してはかなり鍛えられたと思うので家族や友達に披露する葉がないのが残念です(笑)
急な話にも関わらず受け入れて頂いてありがとうございました。色々学ぶべきことはありましたが、4月からはまず学校の授業をしっかり頑張ろうと思います!
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サクラちゃん、2週間お疲れさん&有難う!本当によく頑張ったし、キチンと仕事を最後までやり遂げる姿勢は社会に出ても大きな武器になると思います。充実した大学生活を送り、社会に出て活躍されることを願っているし、多分そうなると思います。あなたのしょうりきに残した功績はとても大きなものです。本当にありがとうございました。またいつでも遊びに(もしくは働きに)来て下さい。
2/28(金) 4.ピ〜ンチ!
野菜がない。露地野菜中心なので冬場はどうしても収穫量が減るのだが、それにしても少ない。
第一の原因はしょうりき農園(我が家です)の冬野菜作りが上手くいかなかったこと。秋口の稲刈りが遅れたことにより畑作業がずれ込み、その時期の長雨で更に種まきや定植が遅れ、11月からの急な気温の低下によってなかなか野菜が大きくならず、そのまま冬に突入してしまった。正直、10月までの高温に少し安心していたところもあった。後悔先に立たず、キチンと準備をして事を進めないと痛い目に合う。
11月の低温は他の農家にも大きな影響があり、特に白菜とキャベツが不作だった。白菜はなかなか大きくならず、巻かず、霜で中心部がやられたものが多かったようだ。キャベツも同様。この2つは福屋の人気野菜でもあり、この時期を楽しみにして頂いていたお客様に本当に申し訳なく思う。
それと、取引先が増えたことも要因と言えばそうだろう。システムの完成で飲食店からの受注労力は大幅に削減され、取引できる顧客数の限界値はかなり増えた。一度取引が始まるとそのまま一定量買って頂けることが多く、座布団が積み重なるように取引額が増えていく。それはそれで大変有難い話なのだが、野菜が少ないと注文が集中し、取り合いとなったり、そもそも買えない状況が生まれる。それが不満足を生む要因となり取引額が減少していくことが容易に想像できる。
細かく見ていくと、少ないと言いながら全て売ることが出来なかった野菜があることも事実。今後はその辺りのデータも取ることが出来るので次の作付に活かしていきたいところだが、今をカバーすることは出来ない。何にしても野菜が少ない状況はよろしくない。
こんな時に限って、面白い話が舞い込んでくる。某商社から店舗展開を視野に野菜を出荷してくれないかという話があったり、某生鮮系小売店から専用の売場を設けないかとの話しがあったり。。。ただ、この状況では到底安請け合いはできない。また、福屋さんでも孫野菜の販売強化をして頂いており、先週から冷蔵ケースに野菜を置いてもらえるようになった。それには最大限応えていかないといけない。
考えてみれば、この状況は有難い限りだ。売るのに困っているのとは雲泥の差。作れば売上を伸ばしていける。そのためには孫野菜グループの生産量をもう一段高めないといけないし、やっぱり同じモデルで地産地消に取り組むグループを早く作っていかないといけない、、、と強く思う今日この頃です。
2/21(金) 3.卒業
知弥が有政家を卒業した。
火曜日に転出届けを提出し、実家の周防大島に戻った。彼が我が家にやってきて1年3カ月、本当に色々あった。まだ、思い出にするには記憶が鮮明すぎ、様々な感情が交錯して冷静に振り返るのが難しい。
新しい家族として受け入れることを決めた後、知弥がどうなっていくのが望ましいのか、我々として何をすべきで何ができるのか、妻と、ポイントで知弥の親族も交えて話し合った。中学生の子どもを外に出す親の期待、何より厳しい環境に身を置いて自分を変えたいと思った知弥自身の決意に、私も妻も何とか応えたいと思った。
覚悟してきたとはいえ、実際にこっちに住んで、物事の考え方や生活様式の違いに知弥もかなり戸惑ったのではないかと思う。例えば「宿題はできればすること」から「絶対すべきこと」になった。終わるまで寝れないなんて過去の彼からは考えられなかったことだろう。慣れないうちは深夜までかかることもしばしば。キチンと終わらせるために、その日にやることの計画を立て、時間を決めてから取り掛かることにした。
実は僕も中学校から親元を離れて一人暮らしをしていた。まかない付きの下宿生活。遊ぼうが騒ごうが誰も何も言わない。当時の僕に自分を制する力はなく、楽な方・楽しい方に流され続けた。そのうち勉強が苦手になり、それを避けるようにクラブや遊びで時間を埋めた。このままじゃマズイと思ったのは大学受験前。しかし、頑張らなくてはという気持ちに体が反応せず、少し勉強したら疲れたとつぶやいてマンガを読み、気分転換と称してゲームセンターに行っていた。
そんな自分の過去を知弥に重ね、意味ある充実した時間を過ごすことが出来るようにしたいと強く思った。知弥もその意図を理解してくれたのだろう。机に向かう時間が増えて、学習のスピードや計算力・文章力などは飛躍的に伸び、やり遂げようとする態度は目に見えて変わっていった。本人も周囲も手応えを感じ、預かる期間を延長することになった。(当初は一年間としていた)
一方、延長を決めた頃からか、健康自慢だった知弥が体調を崩す場面が出てきた。めまい、吐き気、頭痛、、、頑張りたくても頑張れない状況が徐々に増えていった。知弥とは「1年後には平均点を越えようぜ!」と約束していた。本人も3学期の期末試験までは頑張りたい、結果を出したいと強く思っていたし、結果を出せる可能性は十分にあった。しかし、その思いと裏腹に、体調はなかなか回復しなかった。
この状態の知弥に我々はどういう対応をすればよいのか、妻と話し合う頻度が増えていった。親族の・知弥の頑張りたいという気持には応えてあげたいが、この体調で頑張らせるのは厳しい。観察していると、どうも体調に波があるようなので、その様子を見ながら対応を変える日が続いた。親族にはマズイと思ったら強制的に帰しますとも伝えた。病院に行っても良くならなず、この体調のまま初志貫徹してうちで預かるのか、まずは体調を優先して大島に返すか。先方の親族と何度も話し合い、知弥自身の意向も確認した。そして、3月を待たず大島に帰ることになった。
引っ越しの日、落ち着いた表情の知弥がいた。少し早い卒業式、僕・妻・母から知弥へのメッセージを伝えた後、知弥が「この1年間を大事にして次につなげたい」と言った。彼の今後にとって、ここでの生活がプラスに働くことを心から願う。そして、屈託ない笑顔で「園長、来たよ!」と言って現れる日を楽しみに待ちたいと思う。
2/14(金) 2.段取り八分
前号で、この時期は露地野菜農家の閑散期だと申し上げたが、これは農作業に限った話であって、重要さから言うと1年で最も重要な時期だといえる。
なぜか?それは年間の計画を立てる時期だからだ。だいたい、春野菜の種まきが2月中旬から順次始まるので、それまでに「何を作るか」「いつ作るか」「どこで作るか」を決めないといけない。単一作物大量栽培農家なら計画で悩むことは無いんだろう。しかし、我々のような小量多品種栽培の小規模農家は年間30種類以上の作物を栽培している。土地も狭く限られた圃場を最大限活用しようとすれば、相当頭を使う必要がある。
計画を立てる際にいくつか考慮すべき事項を挙げると以下の通りだ。
(1)休める畑をどこにするか?
野菜を作り続けると土中の害虫が増えてしまうのでだいたい4年に一度は害虫を防ぐ効果のある植物を植える。ただし植えた場所は野菜の栽培ができないので、畑を複数の区画に分け順次休める
(2)苗を育ててから畑に植える(定植)か、畑に直接種まき(直播)するか?
根菜類は直播する必要があるが、その他の野菜は定植も直播も可能。定植は手間が増えるが、苗がある程度大きくなるまで別なところで育てるので畑の占有期間が短く、育った苗を等間隔に植えることができるため栽培効率が高くなる。直播は手間は減るが畑の占有期間が長く、芽が生えないなど栽培効率が下がる場合が多い
(3)収穫適時期の予測
品種によってだいたい栽培期間の目安はあるのだが、その土地の気温や雨量・日照時間・畑の状況などによりかなり変わり、経験則がものういう(が、それでも正確な予測は難しい)
(4)短期間で全て収穫するか、収穫期間を長めに設けるか
同じ作物を作っても、長めに収穫したい場合は種まきの時期をずらしながら栽培する必要がある。特に収穫適期の短い野菜は、一度に大量に出来てしまうとロスになりやすい
(5)輪作の相性
一部の野菜を除いて、同じ野菜を作り続ける(連作)と病気や害虫が大量発生するなどの連作障害を起こすので、栽培後にどの野菜を植えるかが重要になる。例えばナス科は連作向かず、ジャガイモの後のトマトなどは上手く出来ないことが多い(経験済み、泣)
たぶん、農家によって色々な計画の立て方があるので一般的ではないのかもしないが、我家のプロセスを以下に列挙してみる。
[1]まずは昨年の販売状況や個人的好み(こっちが大半かも)を元に、作りたい野菜をリストUPする。数にしてだいたい50種類ぐらい。
[2]畑を区画分けし、休める場所を確定する。栽培する場所は畝を何本作るかを決め番号を当てて畑地図を作る
[3]春収穫に向けて育てる野菜をまず確定し、どの畝に植えるかを決める
[4]畑の占有期間・輪作の相性を考慮しながら、どの野菜を植えるか・定植でいくか直播でいくかも考え、作る野菜を確定していく
[5]それぞれの野菜をどういう育て方をするかを考え、どんな資材が必要になるかを洗いだす
[6]上記を計画表にまとめて、皆が確認できるようにしておく
これで1年間作るものが確定してしまうので、慎重に考えざるをえない。しかも(2)〜(5)も考慮しながらなので、やりながら解の無いジグゾーパズルを作っているような感覚に陥る。ギチギチに栽培を詰めてしまうと、収穫期が遅れた時に多大な影響がでるし、空け過ぎると生産効率が下がる。行きつ戻りつしながら徐々に計画表が出来上がっていく。
とまあ、面倒くさい仕事ではあるが、これがしっかりしていると作業工程が組みやすく、無駄なことも減り生産性が上がる。段取り八分、やっぱり疎かにしてはいけないですね。。
2/7(金) 1.言い訳?
もう年明けから1ヶ月も過ぎて今更ではありますが、2014年初めての独り言です。ご覧頂いている皆様、本当にありがとうございます。本年も何卒宜しくお願いします。
さて、年明けからの話し。冬場はできる野菜が少なく、雑草は伸びず、種まきもできず、畑は乾かずで、我々のような露地野菜を作る農家は時間的余裕が生まる。なので、この時期に普段なかなか出来ない仕事(HPの改装や帳簿の整理など)を集中して行うのだが、今年はそうもいかなかった。理由は昨年のひろしまベンチャー育成賞・金賞受賞以来、これまでになかった仕事が結構入るようになってきたから。
まず増えたのは、農場やシステムの視察。県内のみならず、県外からもお問い合わせを頂き、また農家以外にも、農業を志望する人、農業分野の進出を検討している企業、中山間の活性化を考える自治体など、多様な方々の訪問を受けるようになった。
また、銀行に行く機会も増えた。我々孫野菜グループが提唱する「小規模農家直売モデル」に銀行も興味をお持ち頂いたようで、法人化を進める際の資本構成や資金繰りの助言、また該当しそうなベンチャー投資案件のご案内など、これまで全く縁のなかった世界に一歩踏み込んだ感じがしている。
それと、独自開発の販売・入荷管理システムのパッケージ化。「小規模農家直売モデル」を他の地域にも展開しようとすると、それを支える独自開発の入荷・販売・請求管理システムを汎用性のある形でパッケージ化する必要があり、見直さないといけないところが沢山あることが判明。運用検証しながら随時2次開発の話し合いを進めている。
もちろん、週3回の販売業務とそれに伴う収穫・集荷・システム入力・袋詰め作業は冬場でも継続しており、それに農家会議の開催や企業研修の講師に招かれたり、急に大量の薪割りをする必要が出てきたり(死ぬほどキツい。。。まだ継続中)、中古のビニールハウスを組み上げたりと、何だかバタバタした日々となってしまった。
...という訳で、元々やるはずだったHPの改装がなかなか進めず、最後は力技でようやく間に合わせた感じになってしまいましたが、ごちゃごちゃしていたTOPページを中心に改装してみました。2014年のご挨拶も追記しておりますので合わせてご覧頂ければ幸いです。また、ご感想などお聞きできたら嬉しいです。今年も是非お付き合いください。
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