アリ園長の独り言(2014) 
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12/26(金) 48.車中にてwith俊助
 早いもので今回が今年最後の独り言になります。駄文にお付き合い頂き本当にありがとうございました。いつかネタ切れになるだろうと思いつつ書いておりましたが、幸か不幸か色々なことが起きる日常で、特に最近は題材に事欠きません。何かいい事書こう!なんて思わなくなったのが良かったのかな?どだいそんな能力も無いのに力を入れても長続きしないですもんね。独り言に関して言えば、かなり素直な自分がいるような気がします。

 さて、昨日は俊助と一緒に配達に行きました。センター試験間際のこの時期、彼の通う高校で3者懇談が実施され、その前打ち合わせをする時間が無く、苦肉の策で配達途中の車中で俊助と話し合う時間を設けたという次第です。

 私も妻もこの大学を受けて欲しいとか、この学部に行くべきという考え無く、自分でどこを受けるか決めればよいというスタンスです。本人もそれは百も承知で、自身が受けようと思っている大学の話をしてくれました。その大学は現在の自分の学力から大きくは乖離していない、ある種無難な選択のように思えました。

 まだ将来的な目標が明確になっておらず、さりとてあまりしょぼい所に行くのも嫌だし、現在の自分の学力と得意な教科を軸に、それなりの大学・学部を目指すという感じなんだと思います。「お前、行くトコないぞ」と宣告された私の時よりはかなりマシな状況なんでしょうが、やはり大きな選択をする時の動機としては弱い気がしました。

 「お前、将来何したいの?」とあえて聞いてみました。予想通り明確なイメージは持てていませんでした。「広島市内の学校に通ってみて、自分の中で変わったことはあったか?」と聞くと、向原にいた時と全然違う、行って本当に良かったという答えでした。「何が良かったの?」「新しい友達が沢山出来たし、それなりの人の中で切磋琢磨出来た。」

 それって、俊助の中で持っている物差しが環境によって変わったということと同じ意味ではないかな?と伝えました。話は飛びますが、例えば幕末の藩士。黒船や海外視察がきっかけとなり、自身の物差しを大きく変えた人々と、藩に留まって体制維持を図ろうとした人々、同じ日本の現状を見ても捉え方が全く違ったはずです。その物差しのスケールって環境要因が結構大きいのではないかと思います。

 「どうせ行くなら、今よりも大きな物差しが持てそうな所の方がいいんじゃないの?お前が向原から出て良かったと感じたようにね。現状で満足ならそれでもいいけど、少なくともこんなところで満足してもらっちゃ困るな。そんな育て方をしてきたつもりもないしね。」

 「もちろん!」彼の声に少し力が入ったようでした。そこでもう1つ質問してみました。「俺の一番の喜びって何か分かるか?」「今の事業が成功することでしょ。」

 「子どもの成長だよ」「えっ?」彼にとっては意外な答えのようでした。「まあ、事業も自分の子どもみたいなもんなんで遠からずだけどね」

 こうして書くと照れくさくもありますが、お互いのことを理解する良い時間でした。プレッシャーになろうと何だろうと思いっきり期待してやろうと思います。センター試験まであと3週間、頑張れ俊助!根性見せろ〜。

 と言う訳で、「アリ園長の独り言」は、ホームページ改定云々のため1月はお休みさせて頂き、2月から再開いたします。一月から新たなメンバーも加え、今からワクワクドキドキ。飛躍の足ががりをしっかりと作ることが出来るように頑張りたいと思います。

 皆様1年間本当にありがとうございました。どうか良いお年をお迎え下さい。


12/19(金) 47.今年一番のニュース!
 母曰く、10年ぶりのこの時期の大雪らしいです。広島市内もかなり積もったようで、通勤通学など大変だったのではないかと思います。かくいう私も、極寒の中で収穫したり、配達先に到着するまでに3時間!(それを見越して5:30に出発したのに。。。)帰りはも2時間半!途中で燃料が無くなりそうになるし、ほんとに散々な思いをしました。

 そんな中ではありますが、素晴らしい出来事がありました。まごやさい的本年度No1ビックニュースです。

 新たに事業に参加してくれる人が決定しました!今後事業を進めるにあたってこれ以上の重要事項はありません。昨日3度目話し合いを行い、1月からの入社で合意に達しました。本当に神が与えて下さったチャンスとしか思えないような適任者。大規模営農集団を経営者と共にイチから立ち上げ、その間に飲食店の営業や圃場の開拓を行い、農業機械や栽培にも詳しく、ご自身も農場をお持ちで、しかもお住まいが近所!人柄も折り紙つきで、何の憂いもなく、思いっきり期待して事業に参加してもらえます。

 これで当座の進撃体制の「人」が整いました。次は「金」「物」そして「場」。融資を得て運営資金に困らない状態を作り、出荷農家を広げて野菜がもっと集まるようにして、その野菜を良い状態で出荷できるように仕分け・梱包をするような場・仕組みを構築します。

 この事業背景を持って2人で協力しながら納品先を広げ、今の売上を倍増させるのが当座の目標です。1〜3月は閑散期に入るので、その時期が事業構築のチャンス!1月から全開で事業を推進していきます。どうか応援下さい。

12/12(金) 46.不機嫌脱出法!
 現在PM10:30、午前中に書く予定がなんだかバタバタしてしまい、出荷作業の合間に独り言を書いています。今日も1日色々ありました。やるべき仕事に私の処理能力が追いついておらず、そのイライラが表情に出ているのでしょう。妻から「最近ちょっとひどいよ。機嫌悪すぎ!」と指摘される始末。出荷量が増えて朝方まで作業が終わらず睡眠不足が続いているのもそれを助長しているのかもしれません。

 こんな時って、たいがい良かれと思ってしたことが裏目に出たり、事が思い通り進まなかったり、面倒なことが発生したりと、負のオーラが更に不機嫌になることを集めるような状態になるもの。これはまずい、雰囲気変えなきゃ!と頭では思っても、なかなか自分では変えれません。

 そんな時の脱出方法を皆さんはお持ちでしょうか?私は起きた事象を強制的にポジティブに捉え直すことで、仮に不幸な出来事でも「こんなプラスの経験になるのだ」と思いこんで脱出を図るのですが、その前に必ず行っていることを今日初めて自覚しました。

 それは、、、母親に不満に思っていることを話すこと。今日ぼそっとその不満を母に話している自分に気付き自分でビックリしました。不満や不平、悪口を人前で言わないことが美徳なんて思っている自分がいて、実際に言わないようにしていたつもりだったのに、母には話していたんですね。溜まった不満の感情を吐き出す儀式なのかも。話すとちょっと力が抜けて、強制的なポジティブシンキングがやりやすい状態になります。

 さあ、気分も変わったし、もうひと頑張り。あれ、11時過ぎっちゃったな。息子のサカナクションでも聞きながらやるか〜。目標終了時刻AM2時、外は雪が降っています。たぶん道路が凍結するので出発はAM5:30ぐらいにしとこう。たいがいこんな時って、いつも通り出発すると事故で渋滞するんだよな〜。

12/5(金) 45.追悼、法人化
 協力農家さんのお一人、米農家の佐々木才貴さんが先日お亡くなりになりました。享年49歳、米作りも軌道に乗り始め、まさにこれからという時のことで本当に残念です。ある勉強会で佐々木さんに偶然お会いしたのが3年前、そのご縁で吉田町の農家さんとお付き合いが始まったことが今の孫野菜のベースになっています。佐々木さんが目指されていた中山間地域農業の収益化を実現していきたいと強く思います。心からご冥福をお祈りします。

 さて、12月1日付けで孫野菜農園グループを法人化し「株式会社まごやさい」を設立しました。佐々木さんを始め、農家の皆さん、我々の野菜を買って頂いている飲食店、販売頂いている小売店、定期宅配をお申し込み頂いているご家庭、体験に来て頂いている皆様、システムを開発してくれた方々、販売サイトのデザイナーさん、事業のアドバイスを頂いた多くの方々、金融機関、自治体、挙げればきりがないほど本当に沢山の方に支援・応援頂きようやくここまで来ることが出来ました。深くお礼申し上げます。

 会社にして変わったこと、それは目標とする事業規模になった時を想定して、今その準備をすること。そのために資金が必要であり、その借り入れが個人では限界がありました。頭では理解していても、いざ現実そうなったら随分と違う感覚を覚えます。これまで銀行口座の残額を見ながらこれが買えるとか、これに使おうと考えていたのが、今度は融資が確定することをが起点になり、一つ一つの投資規模が大きくなります。(といっても他の会社から見たら微々たるものだと思いますが、、、)もちろん、その売上をいかないと潰れるわけで、投資の意思決定に相当気合が要ります。だから慎重になるかと言うとそうではなく、どちらかというと発想が大胆になり「やるで!」という思いが沸々と湧いてきます。

 会社にした後、色々な方に話を聞き、自分の甘さや知識の無さ、経営感覚の欠如に気付かされました。明日はある方にお付き合い頂き、まずは事業計画の練り直しです。ホント、まだまだ。ケチョンケチョンに言われても落ち込む暇なんてないです。言われるだけ期待してもらってんのかな?ぐらいで考えて、走りながら考えてまた走るのみ。勢い付けていきたいですね!

11/28(金) 44.マナー
 個人名・団体名はあえてあげない。ただ、ひとこと言わせて頂きたい。

 最近、問い合わせや視察依頼、出荷打診が増えており、可能な限りなるべく断らないようにしている。もちろん営業的な側面もあるが、それに直結しなくても、少しでも認知度を上げていきたい、我々を理解してくれる人を一人でも多く作っていきたい、我々の情報が何か役に立つのであればそれはそれで嬉しいと思い、お受けしている。

 一方、そこに対して労力や時間がかかっているのも事実。それは私だけではなく、訪問させて頂く農家さんもしかり。特に雨降り前の晴れ日は絶好の蒔種タイミングであり、またその日にしないと作業自体がかなり遅れてしまうことも多い。農家の皆さん、快く受けて頂けるが、私個人的には申し訳ない気持ちになる。

 それ以上に理解頂きたいこと。それは提供している情報自体、各農家さんが、もしくは我々が、文字通り辛苦して得たものであること。何気なく話していることも実は非常に貴重な体験を通じたノウハウであったり、他者と差別化の鍵になっていることだったりする。本を沢山読んで誰かに聞いた話を積み上げて業過通みたいな顔をしているコンサルタント先生には高い料金を払って情報をもらうのに、実践を積み上げて運用で磨かれた情報はタダ。違和感を感じるのは私だけか。

 だから金を払えと言っているのではない。冒頭にも申し上げたように視察をお受けするメリットは我々にもかなりある。ただ、上記を理解していれば例えば時間に遅れないだったり、現場に行った時の態度や姿勢にでるものだ。

 もしくはビジネスマナーが変容してきているいのかな?この件に限らず、最近仕事のやり取りで当たり前と思っていたことが守られない場面に頻繁に遭遇する。都度指摘し続けると、そのうち頭の固いおっさんと言われるのだろうな。指摘するのも愛だと学んだものだが、、、これも過去のマナー?

11/21(金) 43.近況報告
 まずはご心配をおかけしております妹・民代の経過ですが、手術日を早め先日無事終わりました。術後の経過も良好、来週には退院できる見込みで、そう遠くない日に通常の生活に戻るのではないかと思います。数々の励ましのメッセージ本当にありがとうございました。兄としても完全復帰を楽しみに待ちたいと思います

 次に娘の佳穂のご報告です。この度、英検2級の無事合格しました。準2級までは順調にクリアしてきましたが、今回は筆記ギリギリ、面接もギリギリで通過しており、本人は完全に落ちたと思っていたようです。そのぶん喜びも大きかったようで、ちょっと興奮気味な感じは、小6の時のハンドの全国大会の出場が決まった時、英語の弁論大会で全国大会出場が決まった時以来のような気がします。英語の先生も中3で2級合格したのは過去5人ほどで、塾に行かずに合格したのは初めてとのこと。英語が大の苦手だった私の血をひかないでくれて本当に良かった。

 そんな妹の報告を受けて「完全に俺を越えた、あとは有政家を頼むぞ!」と情けないことを宣う俊助は、苦手科目の国語が同級生の助言で急に理解できるようになり、英語も単語暗記量が増加し、ようやく成績に上昇傾向が現れ始めたもようです。それでも志望校合格ラインとの差は歴然。志望校を下げるのか、下げずに勝負をかけるか、彼の判断を待ちたいと思います。そんな状況なのでピリピリしているかというと、そんな雰囲気は全くなく、昨日はサカナクションの中古CDを格安で手に入れたことを自慢し、帰ると自分の部屋に入る前に必ず佳穂とバカ話しを10分ほど。有政家の癒しキャラとして独特の存在感を発揮し続けています。

 そんな孫たちを最も気に掛けているのが父の忠雄。事あるごとに、俊助はどうか?佳穂はどうだ?両親の死別で高校を中退して働かざるを得なかった父は孫たちの学業での頑張りが何よりの楽しみなんでしょう。いや、息子がイマイチだったんで孫たちに期待をかけなおしたのかな。71歳の今もまだ働きに出ており、朝6時に出発し家に帰るのは19時過ぎ、この寒空の下で今日も外仕事をしています。一時期は電話工事屋の社長までしていた人が、今では半分ほどの年の人たちの電話工事の小間使い。何か思うところは無いのかとちょっと気にかかりますが、「俺はこの年でもまだ使ってもらっている」が父のプライドのようです。確かにこの年まで「ウチで働いて欲しい」と言ってもらえるのはすごいことですね。

 無類の働き者の母・ユウ子は膝あたりに痛みが出始めたようで動きが少しギクシャク中。それでも畑仕事と出荷作業の主力であり、今後の孫野菜農園の発展を何よりも楽しみにしてくれています。週3回の深夜労働も未だ継続中、父の出勤に合わせて起床は4時半なので、我が家で2番目に睡眠時間が短いはたぶん母です。申し訳なくて無理しないでくれと言ってみても「私しゃ今が一番楽しい」と言って更に頑張ってしまいます。こうなると事業の発展こそが最大の恩返し、生きてるうちに絶対実現しないと祟られても文句は言えないですね。

 で、睡眠時間の最も短いのは私ではなく妻。俊助が6時1分の汽車に乗るので、それに合わせて毎日弁当の準備をし、日中は事業の会計や農家さんの対応、宅配の算段に学校周りの諸業務。出荷日は最後まで付き合い、週末はイベントの食事準備。最近は農作業もかなりやり始めました。

 何とかしろ、俺!

11/14(金) 42.気分屋
 今日は今年一番の寒さだったらしい。

 県北の冬の典型的な曇天。雲の切れ間から時たま日が射し、その一瞬は温かくなって、直後に寒さがぶり返すの繰り返し。灰色の雲は気持ちまでグレーに染めてしまったか、どうも溌剌と作業をする気分になれず、作業効率が全然上がらない。着膨れした服も作業を妨げ、脱いでさあ気合入れて作業再開!と始めた時に限って上着のポッケにある携帯が鳴り、取りに行く直前で切れたりする。

 遅れがちになっているデスクワーク系作業も気になりつつ、かといって切り替えてすぐに始める気も起きず、また1日遅れそうな予感に気分も落ち込みがち。何で俺はこんなに気分屋さんなんだろうと自分を責めたところで何も状況は変わらない。

 スマホで今日の注文状況を確認すると、有難いことにかなり入っている。家に戻って各農家さんに注文情報をメールで連絡する。80歳前のおじいちゃんもキチンとメールを確認して野菜を出荷してくれる。こちらも有難いことだ。我がしょうりき農園にも注文があれこれ入っており、今日の作業は早めに切り上げて収穫に行くことにした。

 家から出ようとした矢先、今度は福屋さんから連絡が入る。売場状況をお聞きすると人参が既に売り切れたとのこと。本当に有難い。今の人参は小早川さんの畑にあるのだが、腰を痛めておられるので収穫は我々が代行している。収穫物に人参も加え母・妻・私でいざ出発。チャレンジ畑でパプリカとミニ白菜、赤畑ではミニキャベツと芽キャベツとラディッシュ、小早川さんの畑に寄って人参と間引き大根を大量に収穫し、家に帰って柿を取りに行った。

 うちの柿は渋柿と百目柿があり、注文が入ったのは百目柿。球形の大型柿で熟すと非常に甘くなる父ご自慢の柿の木だ。今年は豊作で枝が折れそうなほど実がついている。梯子を持って行って枝に取り付いたのだが、手の届く範囲は前回収穫しており、幹に足場を移して木に登りながら取ることにした。

 柿は滑るから気をつけろと父がよく言ってなと思いつつ、太めの枝に足場を移して木を登る。下から見ると熟れているように見えても上部が青みがかっているものが多く(青い部分はかなり渋い)、かなり上まで登って収穫しはじめた。柿の木の上で景色を見ながら柿を食べていた昔の記憶が蘇ってくる。一つ柿をもいで木の上で休憩。美味い!寒さにあたって更に甘みが増したのか甘みが強く瑞々しい。のどかな景色を眼下に見ながらの私的極上時間をしばし。

 収穫を終えて空を見るといつの間にか晴れてた。今日は出荷日、さあもうひと頑張り!気分屋はこんなことで元気になったりする。

11/7(金) 41.いよいよ?ようやく?
 妹の民代の件、沢山の方からご心配や励ましの連絡を頂戴しました。妹に代わって深くお礼申し上げます。この機会にキチンと治して春には更にパワーアップして復活してくれると思います。復帰の際にはまたご報告いたします。

 また、妹の離脱により「アリは大丈夫か?農業は続けることができるのか?」とのご心配をこれまた沢山の方から頂きました。もちろんやります。それどころか圃場面積を増やして更に頑張ろうかと思っています。知恵を出しつくしたように思えても、追い込まれれば人間何とかするもの。。。と信じて引き続き頑張って参ります。今後ともどうか宜しくお願いいたします。

 という状況で、なかなか刺激的(崖っぷち?)な日々を送っているが、今週はこれからの孫野菜を象徴するような週になった。デイリーの農作業&出荷作業に加えて行ったこと、行うことを曜日別に列挙してみる。
[月曜]来期計画の作成/今後の農作業の作業棚卸
[火曜]米の色選出荷/地元市議会議員さんとの意見交換
[水曜]出荷農家(2軒)の収穫サポート
[木曜]ひろしま産業振興機構への経営相談/安佐北区の農場視察
[金曜]広島県からの取材・撮影
[土曜]税理士との打ち合わせ/孫野菜グループの農場見学アテンド(県内の野菜販売店)
[日曜]取引先主催のフリーマーケットへの出店/宅配セットの準備・資料作成

 いよいよというか、ようやくというか、今やっていることを事業として展開するための本格的な準備を進めている。視察やアドバイスを受ける機会が増えたのもその影響だ。

 事業として拡大するためには、2つのことを同時に進める必要があると考える。1つは出荷量の拡大。そしてもう1つは販売先の拡大。直接販売で且つロスなく全てを売り切ることが利益の源泉になっており、どちらか一方だけ先に拡大するという訳にはいかず、両方を並行して行う必要がある。

 まず出荷量の拡大。選択肢は3つ。(1)既存出荷農家一軒あたりの出荷量を増やす (2)新しい農家を増やす
 緩やかな成長を目指すのであれば(1)をまず行うのが正解か。しかし、目標はもっと上。であれば(2)か。いやいや、私的正解はその両方をやること。今の出荷の仕組みは、現時点の規模に見合った形になっており、例えば出荷量が3倍になったと想像した時、仕組み自体が破たんする可能性が高い。もちろん一農家の出荷量には限界があるので、農家も増やさないといけなのは自明の理。これまでは口コミで出荷農家が広がっていったが、今後は戦略的に増やす方法を考えないといけないし、これができないと他地域&多地域への展開なんてできるわけがない。それに対して具体的にどういう手を打つか。ここが来期の具体的な計画となる。そのための準備及びリサーチが前述のスケジュールになっているという次第。

 次に販売先の拡大。飲食店からの発注の仕組みはある程度出来上がっているので、更に取引する飲食店を増やすのはもちろん、出荷量の急拡大を吸収できる大口の販売先も押さえる必要が出てきそうだ。また、売価設定など、これまで私のさじ加減的に決めていたことを、キチンとした数字を背景にして算出できるようにしないといけない。

 てな感じで、考えれば考えるほど、視察に行けばいくほど、やるべきこと(やりたいこと)が増えて気持ち悪くなる。それを整理し、優先順位を付け、具体的な行動レベルにまで落とし込むのがまさに今の仕事。ちょっとまとまった時間が欲しい。

10/31(金) 40.秋晴れの昼前
 ここ最近、頭の痛いことが重なり、気が滅入ることが多かった。

 配達の往復はその対処を考える時間。年間約180往復。距離が45kmで16,200km/年。もう5年間続けているので約8万kmか。地球2周分、ここ向原と広島の間だけでこれだけ走ったのか。これはこれでなかなかすごいな。。。おっと、話しがそれてしまった。

 時間に直すと往復2.5時間。最近は出発時点では真っ暗で、白木街道を越えて高陽に入った頃で明るくなる。川沿いをずっと走るので、晴れた日は霧が発生し、乱反射する広いカーテンの中であれこれ考えても上手くまとまらず、結局モヤモヤした感情を引きずったままあの店この店に野菜を運ぶことになる。

 配達が終わるのがだいたい9時半。それからまた来た道を引き返す。この時間になるとクッキリとした青空が全面に広がり、気温も20度近くになる。窓を全開にして再び思考を始める。秋の高い青空と乾いた風、どの季節が好きかと聞かれると“春”と答えることにしているが、時間帯まで限定できるのであれば絶対“秋晴れの昼前”だ。

 思考が回転し始め、やるべきことが決まっていく。気温と湿度が脳に力を与えてくれるのか、目から入る秋晴れが気分を高揚させるのか、例えばクレームに対するお詫びの文章であっても、ウジウジ考えず、よしコレでいこう!と思える。

 あっという間に家に帰り着き、車中で考えた文章を速攻で打ち込み送信。その後は作業着に着替えて外に出た頃には完全復活!嫌なことは日々色々あるけど、僕の場合は天気と畑作業が中和剤になっている。畑作業をしながらまた色々考える。今度は未来のこと。農業をどうしていくか、販売をどうしていくか、農業体験をどうしていくか、考えるテーマを探すには困らない。大枠の概念を考えたり、個別のプロセスを考えたり、考えては修正し、新たしいアイデアが生まれたり、、、。

 頭の半分をそっちに使いながら、もう半分は農作業に使っている。白菜に虫がつき始めたなとか、この畝はどう耕すべきか、とか。1時間程作業した後、タオルで汗をぬぐって、近くの石の上に座り冷たい麦茶を飲む。乾いた風が気持ちよく、疲労が心地よい。僕の至福の時間。

 もし、仕事で煮詰まっている方がおられたら、是非一緒に農作業をしてみませんか!?今の時期が特にお勧めです。案外、良い知恵が浮かんでくるかもしれませんよ。しょうりき農園はいつでも大歓迎です。

10/24(金) 39.農業体験
 私事ながら、、、佳穂が英語暗証大会の芸北地区予選を一位通過し、12月の県大会に進むことになりました。気に掛けて頂いた皆様、本当にありがとございました。次は県大会、本人曰く「それなりに頑張ります」だそうです。親から一言。「受験勉強も少しはやってね」

 さて本題。今回は久しぶりに農業体験のことなど。

 先週日曜日に今年9回目の農業体験を実施した。今回は「田んぼを畑に変える作業」という6年目にして初めて行うプログラム。当初はカヤの堆肥作りを予定していたのだが、新しく借りた田んぼを畑に変えるのがちょうどこの時期になり、急遽内容を変更した。

 田んぼを畑に変えるには大きく2つのことが必要になる。1つは排水できるようにすること。田んぼは水を溜めるために圃場が設計されており、畑は水はけの良さが重要になる。よって、田んぼを畑に変える際にまずすべきことは排水用の溝を作ることだ。

 もう1つは土壌を改良すること。たぶん農業をやったことが無い人も感覚的に分かるのではないかと思う。一言で言えば田んぼはドロドロ、畑はふかふか。田んぼの土は表面が乾いても少し掘れば水気の多い粘土のような土で、過度の水気では生育しない野菜も多く、そのままでは畑に出来ない。では、砂のように水がどんどん抜けるような土がいいかと言うと、そうでもない。ご存じのように砂地ではほとんど植物が育たない。「水はけがいいのに、水持ちもいい土」が畑の理想とされるが、これがとても難しく、しかもバランス良い栄養分も必要で、「野菜作りは土作り」ということになる。そのために有機質の肥料を大量に投入し・・・・・・。

 てな講義をして、じゃあこれをやりましょう!という流れで農業体験をすることはしない。我々の提供する農業体験は「子どもの将来につながる体験」。今回のケースは社会人でよくある「全く経験の無い業務をしないといけない」シチュエーションに似ている。じゃあどうするか?現状を理解し、目指すべき状況にするための方策を考えて、実行し、上手くいかなければまた考えて実行する。

 上記を遂行するためには「現状理解のための情報収集」⇒「解決するための方策の検討」⇒「実行・検証・再実行」というプロセスを踏む必要がある。それを体験プログラムをして織り込んだ。具体的には、まずは学年別に3チームを作り、実際現地に行って田んぼと畑の違いをチームで話し合い、その違いを元に畑に転換するために必要なことを考える。その必要性から実際することを話し合い、その実行に必要な道具も自分たちで選定し、上手くいかなければ再度ど道具を変えて実行してみる。

 小学生の子ども達にこんなことが出来るのか?できるんです!それも大人がびっくりするぐらい。今回一番鋭い意見を言ったのは小学校2年生の女の子だった。もちろん、自分たちで考えて決めたことなので実行にも力が入る。実際、一人でこなすのが到底無理だと分かると、自然とチームで役割分担を決めて行うようになる。小学校2年生のチームが鶏糞堆肥を撒く担当になったが、嫌がることもなく最後までやり遂げた。その達成感溢れる表情は、必ず将来につながると信じたい。

 働いた後の食事は美味しい。みんなの食べること食べること。自分たちが植えて刈った新米の炊きたてコシヒカリ。おかずの食材もほとんど地元で採れたものばかり。それを田んぼの真ん中で食べる。乾いた秋風が気持ちよく、食事の後は田んぼで走り回る。その後は干柿作り。今度は家族単位で柿を取り、皮をむいて紐で括り熱湯消毒。これを今日のお土産とした。

 もう6年目、計80回以上の農業体験を開催してきた。年会員さんが多く、且つ経年で申込される方が多い中で、毎回こうして多くの方に参加頂けるのは本当に有難いことだ。もっともっと考えて「きつかったけど楽しかった!」と思えるような機会を今後も農業を通じて提供していきたいと思う。

10/17(金) 38.視察
 岡山市に本社を置く、漂流岡山という会社に行ってきた。

 農業界の風雲児としてその名を全国的に知られている会社。社長の阿部氏は47歳、バイタリティーあふれるインパクトの強い方で、動物に例えるなら熊(社長、スイマセン)。ハッキリした物言いで、迎合せず、易きに流れず、我が道を進む、ある種典型的なオーナー経営者。たぶん話しても何のメリットもない僕に対して、3時間も時間を取って頂き、思いや考えから具体的な数字、現場の作業まで詳しくお話し頂いた。

 行くまでは、我々と近しい野菜流通形態を先行してされているというイメージを持っていたが、実際話を聞くと全く違う。一言で表現すれば、漂流さんは小売から商流を組み上げており、我々は農家から商流を作っている。対象としている農家のカテゴリも違う。実際は似て非なるものだった。

 だからと言って参考にならなかったということではない。彼らがやっていることで我々に取り入れていきたいことを色々発見できた。特に小売とタッグを組んだ事業展開は我々の弱いところだ。シビアな値決め、頻繁な販促、売場展開、売れ筋の分析などなど、違うからこそ参考になる面が多かった。

 また、荷扱いが10倍になったらどういう状態になるか良く分かった。どんな大きな商売になっても、売っているものは100円単位のもの。しかも嵩張るものが多い。品質の維持も大変だ。それをどうこなしていくのか、どのような設備がいるのか、それにはどれぐらいかかるか等々、こんな情報はどこにも落ちていない。はやり足を運んで現地を見ないと分からないことだ。

 それと、これまで他の事例は参考にせず、独自で作り上げてきた我々の仕組みもまんざらではないと思えた。参考にしたい・取り入れたいことは多々あれど、事業の本流がぶれてはいけない。社長の話を聞きながら、逆に自分に孫野菜の本流を問う機会となった。

 そして昨日、腹を固めて銀行を回った。目指すべき未来に近づくための具体的な一歩を踏み出そうと思う。

 内容は、、、また近々報告させて頂きます。

10/10(金) 37.ピンチは●●●●
 ●●●●の部分、一般的には「チャンス」という言葉が入る。しかし、本音からいえば「嫌だ」とか「マズイ」とか「来るな」とかを入れたくなる。危機的状況なわけで、できれば起きてほしくないし、起きたらどうしてもネガティブに感じてしまう。これまぎれもない事実。

 小さなピンチは日々日々起きているけど、たまに大きなピンチも起きる。今回は農業の主戦力を担う民代(妹)の離脱。農業は母と妹と僕でしている訳だが、母は齢71歳。その年にしては元気な方だと思うけど、体に高い負荷がかかる仕事や機械を使うことは難しく、できる作業がどうしても限られる。僕は配達やら販売やらで農場に居れる時間が非常に少なくなっており、結果的に妹が農作業の主力を担っているという状況。その妹が諸事情で手術を受けることになり当分農業はできなくなってしまった。(命に影響しそうな病気ではありません)

 シャレにならないピンチ。しかも今月から田も畑も1.5倍に増えており、普通に考えればお手上げだ。人を雇うと今の現状では利益が吹っ飛ぶどころか赤字になりかねない。どうしたものか。。。農業を止めて販売業に徹することも頭をよぎる。いやいやそれじゃあ意味が無い。何とかせねば。。。

 突然湧いた危機的状況。少ない人数でもできるようにするしかない。キーワードは「効率化」と「時間の創出」今の栽培方法を前提とするから人手が足りないわけで、野菜の品質を落とさずもっと効率的な栽培方法はないのか検討することにした。

 検討と言うのは正確ではない。実は、その答えは決まっていた。色々な農家さんを巡る中で練れていった、いつかやろうとしていた方法があったのだ。「いつかやろう」は「やらない」とほぼ同義だ。ピンチが「やる」きっかけを作ってくれた。そして、早速今日からその方法を用いた畑作りを始めた。

 それと、僕自身の時間の使い方。長時間労働であることは間違いないのだが、今の仕事にそれだけ時間が本当に必要なのか、不要な仕事はしていないか、イチから見直してみた。改めて見てみると、案外不要な時間や要らぬ仕事があることが分かった。バカなテレビを見ず、睡眠時間の工夫によって朝の時間を作ることができる。今日の朝から早速実行。前述の畑作りの時間にあてた。

 思わぬ副産物も生まれた。早朝の作業時間を作ったことで、妻も農作業に参加することになったのだ。彼女は会計&諸事務作業と家事を担当しており、日中はなかなか時間が空かず農作業が出来なかった。ピンチが彼女の当事者意識を刺激した面もあったのだろう。今日の朝は、母&妻&僕と言う何ともフレッシュな面々での農作業となった。

 ピンチは進化の起点、、、だな。

10/3(金) 36.まだ?もう?
 あっという間に今年も10月になりました。嫌いな季節ではないのですが、今年の残り時間をどうしても意識してしまい「俺何やってたんだろう。。。」という心情が湧きあがってくるのが心によくないですね。「もう90日しかない」ではなくて、「まだ3ヶ月ある」と考えて、大きな課題を何とか1つクリアしたいと思います。

 とか書いていて、そういえば子どもたちがW受験だってことを思い出しました。彼ら彼女らこそ「もう90日しかない!」と思って必死に頑張る時期なはずなのに、息子は相変わらずゆる〜い感じで焦る風情もなく、かといって成績は平行線(志望校確実不合格ライン)で本当に大丈夫なのかさすがに妻は心配になってきたようです。

 娘に至っては受験勉強をしている様子は一切なく、英語のコンテストの練習や英検・漢検・数検を受けまくっており受験勉強どころではない、という本末転倒な状況。検定の勉強が受験に繋がるのであればまだ良いのでしょうが、検定の内容は明らかに中学校の学習範囲を越えており、オイオイそれで大丈夫か〜って感じです。

 話が横道にそれました。以下いつもの独り言です。

 最近、田んぼや畑の管理を依頼されることが多くなった。

 元々うちが所有する田んぼは5000平米、畑は500平米しかなく、6年前に帰ってきた時は頭を下げてお借りした。借りることが出来たのは雑草だらけの耕作放棄地であったり、家から遠い急斜面の田畑(斜面の面積が多く草刈りが非常に大変)などの条件が悪いところ。それでも本当に有難かった。畑の面積を広げるために母と石だらけの土地(元々宅地だった)を開墾したのは今となっては良き思い出だ。1ヶ月で体重が5s減り、両中指が“ばね指”になった。ちなみに今でも完治していない。(体重は戻ったどころか増えた、苦笑)

 6年経って、この近所の農家さんのほとんどがうちに出荷してくれるようになってきた。野菜作りの腕前はまだまだだけど、真面目に農業と向きあっていることは認識頂いてきたのか、今年に入って急に田んぼや畑の話が舞い込み始めた。

 家の近くの畑は自分の家の庭のようなものであり、田んぼは管理状況がその家の人の性分を表す指標みたいになっている。それを他人に貸すというのは、それなりに勇気がいるし、誰でも良いというものではない。実際、耕作していない家近くの田んぼや畑を借りようとして断られたこともある。

 そもそも、僕がこの事業を始めた時、ほとんどのご近所さんは懐疑的だった。文句を言われたこともあるし、すぐに辞めるだろうと思われていたようだ。立ち上げ当初支援してくれたのは高校時代の同級生だった。それがあって何とかつぶれなかった。途中で一緒にタッグを組める農家さんとの出会いがあり続けることが出来た。そして継続がご近所の理解を生み、今では協力してくれるまでになってきた。

 一方、高齢化が進む現実もあり、ご子息たちが実家に戻ってきて農業をするとも思えない。田畑の耕作を放棄せざるをえない状況が増えた時、それをどう支えていくのかを考えないといけない状況がそこまできている。今回の管理依頼はまさにその予兆ともいえる。確かに我々に託そうと思ってくれたのは有難いが、託さざるをえない状況下で誰に頼むかの先が我々だっただけであり、今後も増えると考えた方が良さそうだ。

 5年前の独り言に書いた、柵が異常に多い田園風景。シカやイノシシの被害がひどく、所有者ごとに柵を張っているためで、景観をかなり損ねている。もし近隣一帯の田畑の管理を一元化できれば、周囲をぐるっと囲むだけで済むかもしれない。景観が良く広く使えるなら観光型農業や収穫型販売なども展開できるだろう。

 今から起こるであろうことをどう予測して、どう展開していくべきか。本気でここで農業をするなら絶対に考えないといけない命題みたいなものか。まだ数年はある。逃げずに考えていきたい。

9/27(土) 35.木を見て森を見ず?
 UPが一日遅れてしまいました。

 さて、本日の中国新聞一面の見出しから。「コメ作況 広島95」、米農家にとっては衝撃的な数字だ。100が平年並みなのでたかだか5%の減少ともとれるが、数%の利益を上げれるかどうかのこの業界にとってはかなり厳しい数字。且つ固定費比率が非常に高い事業構造なので、売上減は利益を直撃する。

 しかも、全国で見ると平年並みちょい上の101。今や米どころとなった北海道は108の「良」。米の買い取り価格は全国の作柄が反映されるので、おそらく価格は下落する。不作の上に買い取り額まで下がったら手の打ちようが無い。

 知り合いの農家さんは「今年は供出するのを止めようかと考えている」と言っていた。供出とは農業協同組合に出荷して買い取ってもらうこと。戦後の食糧管理制度の下で政府が半強制的に米を買い上げた時に使われた言葉で、今でもこの辺りの農家さんは使っている。かつては米の流通量を増やし米農家を下支えするために市価より高い価格で買い上げて安く払い下げていたが、それも今は昔。買い取り価格はどんどん下がっていき、現在は市場経済のメカニズムの上で米は流通している。

 前述の農家さん、供出せずに自分で売ろうという算段なのだが、上手くいくかどうかやはり不安そうだった。供給量が限られた(しかも多くない)中で売り先を探し、且つ売り切るのは結構至難の業だ。これ私も経験済み。大手はかなりの供給量がないと相手をしてくれないし、小さな所は探すのが大変。競争相手も多く、他者とどう差別化するかも難しい。結局価格を下げて本末転倒って事態にもなりかねない。

 先日、米の大規模農家さんに話を聞かせてもらった際に、ずっと気になっていた質問をしてみた。「利益を出すための価格と作付面積は実際どれぐらいなのか?」具体的な数字は割愛するが、答えは今の買い取り価格とは乖離しており、今の日本(特に中山間地)でその面積を確保するのは難しいと思える数字だった。

 農業でどうやって利益を出すか?散々言われてきた命題。僕もその中で最適解を探し続けている訳だが、どうも過去の延長上には解が無いような気がしてきている。農業は本当に一次産業なのか?業界そのものの捉え方を大きく変えたり、枠組みを飛び越えるようなパラダイムシフトは起こりえないのか?

 今は、自分が信じる最適解に向かって突き進んでいるけど、日常業務にまみれる傍らで、今を業界を常識を俯瞰する視点を持ちたい。案外、これが最適解への一番の近道だったりしてね。


9/19(金) 33.三回忌
 今週末は義父の三回忌で北九州に行く予定にしている。亡くなって2年、瞼を閉じれば、病院で最後に会った姿が鮮明に思い出される。生きてお会いするのは最後になるかもしれない、そんな湿っぽい感情を起こさせない、不思議とカラッとした雰囲気だった。察しの良い義父はおそらく余命が長くないことを知っていたと思う。もし自分がそうなった時に同じように立ち振舞えるか、まだその自信は無い。

 家族にとって義父の死はとてもショックなことではあったが、特に俊助・佳穂にとって非常に貴重な機会になったのではないかと思う。身内の死は死そのものを強く自覚させ、それはすなわち生を考える機会となる。自分に与えられた時間が有限であると実感する時、どう生きるか、何をするかを考える。

 現在46歳、仮に義父の年まで生きたとして30年弱。実質仕事が出来るのは20年ぐらいか。社会人になって25年、時間軸で考えれば既に折り返し時点は過ぎている。いやいや、やったこと軸で考えると半分なんてまだまだ、復路で100倍ぐらいのことをやりたい。

 土曜日の配達を終えてそのまま北九州に行く予定にしている。受験生の俊助は留守番、今回は妻・佳穂・僕の3人での小旅行。道中、妻はここぞとばかりに爆睡し、結局佳穂とあれこれ話しながら運転することになるだろう。そんな機会も学生のうちだけかな、そう思うと結構貴重な時間なのかもしれない。

 今回はまだプロセス報告のみだな。天の義父もさぞかし心配していることだろう。7回忌の時には、胸を張って報告できるようにしたい。

9/12(金) 32.稲刈り
 晴れはやはり気持ち良い。特に初秋はカラッと乾いて適度な風が吹き、宙を舞う綿毛とトンボが何とものどかな風情を醸し出す。すっかり干上がった田んぼでの稲刈りも快調に進み、今年も無事お米が食べられることに感謝。長雨の懸念を払拭し、昨年よりも多めにお米が採れそうだ。 

 稲刈りを仕事の間に挟みこんだので、何とも忙しい1週間になってしまった。宅配、システムの打ち合わせ、銀行の現地視察、贈答の企画せなどなど、机と車と田んぼを行ったり来たり、朝広島市内に配達に行き、終わって速攻で打ち合わせを行い、一旦家に戻って稲刈りし、籾を乾燥をお願いしている農家さんの所に持って行き、下ろした後に着替えてまた市内言って打ち合わせ、終わって家に帰ったら本日の走行距離200kmって具合。

 それでも、田んぼに居る時間が良い息抜きになって不思議と疲れない。トラクターが前に進むごとに色んな生物が飛び出してくる。バッタ、トカゲ、羽虫、カエル、たまにヘビ。田んぼが生き物の揺りかごになっているのがよく分かる。刈り取られた稲は籾とワラに分離され、ワラはトラクターの最後尾で裁断され帯のように排出されていく。

 作業の合間の氷水がビックリするほどうまい。ワラの香りが吹き抜ける田んぼでの昼食も良い。4時ぐらいになるとグンと気温が下がり、遠くにカラスの鳴き声が響きはじめる。袋に詰められた籾にはまだ日光の温かさが残り、抱えると腕に胸に伝道してくる。軽トラックに一つ一つ運び、積み上がった袋を見て今日の仕事量を知る。分かりやすい頑張った感。心地よい疲労が日暮れと共に体を包み込む。

 来年は田んぼが今の1.5倍に増える。これでようやく米不足が解消されそうだ。30年選手のオンボロ機械でもう少し粘るか、中古機械を買うか思案中。来年は例年並みの天候であって欲しいな。


9/5(金) 31.自信
 最近、小難しい話ばかりでスイマセン。自分で読み返してみても面白くありません。こんな時って書く時もかなり時間を要することが多いです。たぶん余裕が無い時が多くなってきているんでしょうね。

 今、個人事業から脱皮するべくもがいています。昆虫に例えると分かりやすいかもしれません。卵から孵化した小さな幼虫が何度が脱皮し、サナギになり、やがて成虫になって羽ばたくプロセス。必死にもがいてこれまでの皮を破り、一回り大きな体になっていく。たぶんもがくことは次に進む時に必ず発生する状態なんだと思います。

 もがくことを止めた時、少しの平静の後に来るのは、おそらく死です。事業すると決めて卵を産み落とした者の定めみたいなもの。時期、季節、場所、周囲の環境などの条件も加わり、成虫まで行けるのはほんの一握りなんでしょう。

 僕もそれなりにもがいてきました。しかし、なかなか脱皮が出来なかった。それは個人でできる範囲しかやってこなかったということ。意識はあっても個人のできる範囲で行動が留まっていれば、やはり脱皮できません。

 たまに親友に話を聞いてもらうぐらいで、何でもかんでも自分が自分が。たぶん、この事業に心の底から自信が持てなかったんだろうと思います。人を巻き込んで失敗したら迷惑がかかるとか気にしていたんでしょう。それと、人の役に立ちたいと、人によく思われたいが混在していたんですね。それじゃあ脱皮できない。こんな簡単なことに気付くまでに6年もかかりました。

 一方、地べたをずっと這いまわってきたので、現実を知るには貴重な時間だったのかもしれません。そう思わないともったいなくて仕方ない。これからは、どんどん巻き込んで一気に脱皮を図りたいと思います。意識が変われば行動が変わる、幸い、この6年間で本当に沢山の方と知り合い、協力関係を築くことが出来そうな方も相当数いらっしゃる。そう思うとやるべきことが一気に増えました。

 成功は始めから約束されたものではない。成功が約束されたものしか自信が持てないのであれば、その時点で経営者失格なんでしょうね。明確な未来図とぶれない方針、その未来を実現する強い意思と行動力、それを自信に転化して前に進むしかないですね。


8/29(金) 30.成果発表会
 今日から孫野菜農園グループの直売店「農家直営露地野菜市」をリニューアルオープンしました!是非一度ご覧いただければ嬉しいです。 http://www.magoyasai.com/


 昨日、成果発表会なるものに行ってきた。以前受賞したひろしまベンチャー育成基金が主催しているもので、過去の受賞者の“その後”を聞こうという主旨のものだ。参加者は金融機関・行政機関・大学の関係者に過去の受賞者で、総勢100人位。想像していたより大きな会だった。

 成果は2つの方法で発表される。1つは演壇でのスピーチ。時間にして約15分。3名限定で主催者が指名する。もう1つは展示場での説明。これは希望すればOKで、我々孫野菜はこちらの方で成果発表をした。

 まずはスピーチの部が1時間あった。1人目は下請けの繊維工場から自社ブランドメーカーへの脱却ストーリー。2度のリストラを経ての大事業転換。2人目はアトピー性皮膚炎を持つ母親がわが子のために作ったオーガニックコットン下着の開発秘話と事業展開。3人目は放射線資料の品質管理システムの現場検証状況と今後の展開について。できれば聞くより話す側に立ちたいとちょっと思った。それと、事業をする動機みたいなものがとても大事なんだということ。

 その後は交流会となった。円卓で立食しながら交流を図るというスタイルで、壁際に展示場が設けられており、それぞれの受賞者が成果物を展示している。孫野菜もその一角に陣取った。ほとんどの受賞者はパンフレットを展示場に置いてテーブルを回り名刺交換していたが、僕は展示物の前でひたすら事業モデルとシステムの説明をした。

 今回この展示するにあたり、重視したのは「数字」と「ビジュアル」。これまでは熱く語って理解を得ようとしていたが、その場では盛り上がるものの、なかなかその後には続かなかった。後にお会いしても、僕の顔は覚えてても何をしているかは覚えていない、という感じ。

 それと、人って事業体の知名度や規模によって、そこが提供するサービスの品質を予め判断してしまう傾向があり、僕みたいな個人事業者が作ったシステムなんて品質が良い分けが無いと思われるのが現実だろう。しかし、どうだ。実際にシステムを実演しながら説明すると顔つきが一変。こんな小さな事業者がなかなかやるな、という印象に変わる。(気がした)

 それに、今度は数字による実績を補足する。システム開発後の月次売上・取引飲食店数・出荷農家数・システムの有償貸出先数。変に文章やグラフなどの補助説明は付けず、表に数字だけの超シンプルな実績推移表。これがすごく効いた。(気がする)

 それと、今回は野菜を持ち込んだ。これは完全にアイキャッチ。殺風景な展示場ゆえにとても映える。農家をやっているのもすぐ分かるし、集客にかなり効果があった。(と思う)

 それに、普段売場で使っている野菜パネル(プロに作ってもらったんでそれなりに見える)を6枚組み合せて展示場完成。

 18時に交流会自体は終了したが、孫野菜農園のコーナーの人がはけたのは18:30だった。

8/22(金) 29.オフ
 この度の安佐南区・安佐北区の豪雨による土砂災害によって命を落とされた方のご冥福と、被災された方が一日も早く日常を取り戻されることを心から祈念します。

 また、沢山の方から状況確認のご連絡を頂戴しました。温かいご配慮に深く感謝申し上げます。お陰様で孫野菜の各農家さんに大きな被害は出ておらず、ウチも畑が一枚水に浸かった以外は大丈夫でした。休まず営業もできており、今日も販売する予定です。普段通り生活ができていることをご報告いたします。


 さて、前回盆休みを取る話しを書いた。完全オフは2日間(天候の関係で1日短縮)、うち1日は墓参りという名目の魚釣り、もう1日は何もしない日とした。

 まず、魚釣り。本来の予定は木曜日の昼、配達を終えてから母の実家の田布施(山口県)の海岸に行き、テントを張って24時間釣り三昧だったが、金曜日が雨の予報が出たため急遽計画変更。早朝に配達を済ませ、そのまま田布施に直行した。

 廿日市を過ぎた辺りから雨が落ち始める。シトシト、ジメジメ、まるで梅雨のような降り方。雨中釣行を覚悟したが、現地に到着すると薄曇り。釣りにとっては絶好の天気となった。幸先良し。雨も嫌だが、真夏の炎天下の釣りも結構辛いのだ。ちなみに僕は船釣りはほとんどしない。確かによく釣れるけど、魚群探知機で魚のいる場所に連れて行かれ、竿の上げ下げまで指示されるのはどうも性に合わない。もっぱら陸釣り(おかづり)専門。漁港や岩場、砂浜でポイントを見つけ、釣り方を色々試しながら釣果を得る、そのプロセス自体が好きなんだろうな。

 今回も4種類の釣り方からスタート。タカシとケンは砂浜から投げ釣りでキスを、克くんは防波堤からウキ釣りでチヌを、父はウキを付けての投げサビキ釣りでアジやサバを、そして僕はウキなしのサビキ釣りで小アジを狙った。結果は、、、チヌ以外はよく釣れた。特に20cm強のアジがどんどん釣れる。塩焼きでも南蛮漬けでも刺身にもできるちょうどいいサイズ。途中からアジにシフトし夕食分(10人分を釣るのは結構大変)を完全確保!叔母と母が釣れるはしからどんどんさばき、下処理まで現地で全て終わらせた。

 10時から釣り始めて5時間、少し早めに切り上げて、家に帰ってみんなでワイワイ食事。釣った逃がしたの話が良い潤滑剤になり自然と盛り上がる。釣りに行けなかった俊助(一応受験生ということで自粛)の残念そうに振舞う顔(半分冗談)が皆の笑いを誘う。完璧な1日。

 翌日は「何もしない日」と決めて、朝からごろごろ。甲子園の熱戦を見ながら時間をうっちゃる。昼すぎ頃から何だか罪悪感めいたものが頭をもたげ始め、夕方には妙な疲れを感じた。特に書くことも無し。この1日に何か意味があるとは思えなかった。

 次のオフは俊助の受験が終わった時にしよう。また完璧な1日にできればよいな。その日を笑顔で迎えることが出来るよう、お互い頑張ろうぜ!

8/13(水) 28.儲けたければ休め!
 休暇と利益の相関関係、なんてことを考えてみた。

 前々職の某R関連会社時代は本当に休みが多かった。特に連休。年末年始やGW、お盆など9連休なんてざらにあったし、リフレッシュ休暇なるものが勤続年数により付与され、それをからめれば半月休みなんてこともできた。年間の目標達成すれば所属する課や部で小遣いつきの宿泊社員旅行。日々の仕事はかなりハードではあったものの、今考えれば仕事と休みのバランスが上手くとれていたように思う。

 前職、休みは大手企業と同様にあった。元々僕が入社したころは従業員が3名しかおらず、その規模で大手企業並みの休暇があったのは、それはそれですごいことだと思う。ただし、この会社に居た頃は、休みの日にも自分の意思で仕事をしていた。人材紹介やスカウト、採用の業務請負を主業務にしており、人数が少ないぶん担当する仕事の領域が広く、平日昼は企業との商談、夜や休日は個人との面談、徹夜もしばしば。やった分だけ売上が増えるのが明確であり、この会社を支えている自負(思い込み?)が休日出勤に駆り立てた。それでも週1日は完全に休むようにしていた。

 そして現在、ご想像の通り。1日休むのも気が引ける。大して(いや、全然)儲かってもいないのに、仕事だけは台風の海の波のように押し寄せてくる。仕事が無かった頃よりはマシな気もするが、何が本当に必要で何が不必要なのか判断が出来ずに仕事をこなしている状態。しかも、家族を巻き込み、一家で深夜労働なんてことも。俺、何やってんだろうと時々思ってしまう。

 そんな感じで、上記は下に行くほど休暇が少なくなり、それに比例して利益率も少なくなっている。個人的経験則だけではあるがものの見事に相関関係。事業が磨かれていく過程が見えるようだ。上記を事業の成長段階とみれば、おそらく一段階上がる毎にプレイヤーは半分以下になる。更に上がれるのは更に半分以下。事業として成立するマーケットをキチンと捉え、顧客に価値を提供するモデルを構築し、磨き、顧客を増やし、再構築し続ける。この不断の努力を続けた者だけが生き残り、その一部が一段階上がる。

 それだけ考えると働き続けないといけない気もするが、大事なのは創造的な・品質の高い仕事がどれだけできるか。そのためには適度な休暇は必須条件になるのだろう。ちょっと意識して休暇を取り入れていこう。休みが悪だと思ってしまう自分の思考を変えよう。もう一度事業プロセスを見直そう。

 ということで、何だか長い前振りになってしまった感じですが、8/14(木)の午後から8/16(土)まで完全オフとさせて頂きます。たぶん釣れまくってて電話にも出れないと思います。何卒ご理解ご容赦頂ければ幸いです。

 皆様、どうか良いお盆休暇をお過ごしになられますよう。

8/8(金) 27.中途半端
 何だか梅雨に逆戻りしたような天気が続き、挙句の果てに台風直撃か。毎年のことながら、特に夏から秋口にかけての異常気象が常態化している気がする。特に一度の雨量が半端ない。(←この言葉、やっぱり違和感があるな〜)日照時間も少なく、特に稲の生育が心配だ。植付け予定だった野菜も一週間以上待機状態。気は焦るがどうしようもない。露地栽培農家の辛いところだ。

 この台風により、里山夏合宿の3回目を中止することにした。半年前から予約していた子どももいたので本当に申し訳なく思う。先週は雨でも決行したのだが、今回ばかりは風が強そうなのでさすがに厳しい。農作業や山作業は風が吹くと思わぬ危険が発生するし、体感温度がぐっと下がるので風邪をひく懸念が高くなる。怪我や病気をしてからでは遅い。時には引く勇気も必要だ。午前中に天気予報を再確認して皆さんに中止連絡をした。

 そして午後、今日は出荷日。作業の傍らでこれを書いている。昼からの雨と台風の備えでさすがに出荷数が少ないかと思っていたが、、、予想に反していつもと同じぐらいの野菜が集まった。出荷した農家さんは13軒、種類にして80種。各飲食店からもボチボチと注文が入ってきているが、どうも発注量が少ない。こちらは台風の影響が出ている模様。そろそろ野菜のシール張りが終わる。23:00に注文を締め切り、その後は仕分け作業に入る。予想終了時間AM3:00、今日も長い一日になりそう。

 夏合宿の中止で週末に思わぬまとまった時間がとれそうなので、ずっとやろうと思って後回しにしてきた仕事をやろうかと思う。1つは「直売システムの利用契約書作成」。見るぶんには簡単なのだが、作るとなると慣れていない者には結構パワーがかかる。そのうち、そのうちと思っているうちに今になってしまった。反省。

 二つ目は頭の中の事業構想を絵と文字で紙に落とすこと。言葉で言ってても実現できる気がしない。キチンと紙にして具体的に示せるレベルまでもっていく必要がある。たぶん週末の時間だけでは完成まで持っていけないだろうな。

 そんなことを考えていたらあっという間に23:30を越えてしまった。いかん、そろそろ業務に戻らないと更に終了時間が遅れてしまう。中途半端でスイマセン。そんな感じで今回はおしまい。

8/1(金) 26.生きてるうちに
 あっという間に8月。う〜ん、もうちょっとゆっくり日が流れてくれないかな。気ばっかり急いて何も出来ていない自分が嫌になってしまう。

 ここ最近、出荷される野菜の種類が増えて、それが業務を圧迫している。量ではなく種類が問題、仮に10万円分の野菜が出荷されたとして、5種類×2万円なら出荷作業は超楽勝だ。20種類×5000円、まだまだ楽勝。50種類×2000円、まだ何とかなる。100種類×1000円かなり厳しい。現在は、、、130種類が出荷されている。農家×野菜名を1単位にしているので純粋に130種類の野菜があるわけではないのだが、それでも80種は越える。その辺の八百屋より種類的には多いのではないか。

 その野菜の一つ一つに情報(特徴やお勧めポイント、写真など)を割り当て、新規に出荷された野菜は新たに情報を作り、それを管理システムを通じて法人用と個人用の注文サイトに掲載する。この作業が種類に比例して増えるのが第一の要因だ。

 それと、出荷された野菜の種類の多さは、出荷農家が増えたことにも起因している。各野菜の量目は決めており、パッケージもある程度の基準は設けているのだか、「これ、どう袋詰めしていいんか分からんかったんでそのまま持ってきたけど、ええかね?」とか「合う袋がなかったんで、そのまま持ってきた」とかいうことがどうしても増えてしまう。その袋詰め作業がうちの業務に更に乗っかる。

 かくして、出荷日の夜は更けていく。

 ただ、確かに目の前のことだけみると大変なのだが、これって考えてみれば非常に有難いことだ。この狭いエリアで、しかも自家用野菜が中心でも、これだけの量と種類が集まるというのは大いに希望が持てる。これまでも内部作業は改善と工夫で乗り越えてきた。忙しいから扱い量を減らすなんて本末転倒。大事なのは、より多くの出荷量とより多くの販売量を均衡しながら増やしていくこと。その結果、どれぐらいの事業規模になりそうかが分かれば、投資できる額も決まってくるし、展開もしやすくなる。

 まだまだ、これから。知恵は生きているうちに絞っとこう!

7/25(金) 25.息子のことなど
 梅雨明けした途端、暴力的な暑さ。毎年のこととはいえ、日中に農作業に出るのはかなりの気合を要する。

 さて、今回はアホな息子の話しでも。身長172cm(僕と同じ)、体重59kg、色白でくせ毛がひどい基町高校3年生。運動神経はそこそこ。バトミントン部(今年県4位になったらしい)の前キャプテンで、途中でひざが悪くなり最後の大会に出場できず。

 「俺はモテる」と豪語しているが、そんな気配は一切無く、草食系に分類されるであろう男子。男友達は多いようで、うちの農業体験を手伝いに宿泊に来てくれた同級生は延べ10名以上。初めは田舎に住んでいるのに恥ずかしさがあったようだが、同級生からの感想を通じてそれなりに田舎の良さを理解したもよう。

 起床は朝5時すぎ。起きるまでに10回程度声をかける必要あり。6時1分の汽車(まだ芸備線は電車ではないのです)に乗り通学。昔は家から駅までの3km弱を自転車で通っていたが、ひざの故障以降車で送っている。爆睡して広島駅で下りずそのまま折り返して遅刻したこと数回。帰りに乗り過ごしたこと数え切れず。乗り過ごしても爆睡して終点からまた折り返して、更に乗り過ごした伝説を持つ。

 魚は元々好みじゃないらしく、いつの頃からか肉類もあまり食べなくなり、反比例するように野菜好きに。サラダであればボールいっぱい食べるリアル草食系。チョコ、アイス、ジャンクフードも好きで、フランスパンをこよなく愛し、小遣いのほとんどが帰り道の食べ物に消えているという噂あり。

 衣装にさしたるこだわりはないようだが、アフリカ民族系の服に反応をよく示し、Tシャツのデザインにはちょっとうるさい。一番のお気に入りは黒い生地に黄色の文字でKUMA。PUMAをもじったバッタもんで、ご丁寧に絵もピューマではなくクマ。このウィットに富んだ感じが好きらしい。(確かに俺も好きかも)

 好きな映画は「指輪物語」と「ハリーポッター」。本もマンガも読む。TVゲームはしないし持ってもいない。麻雀は大好き(これは完全に父親の影響、というか将来対戦するために戦略的に啓蒙したという噂あり)だが、今年1年間は封印しているもよう。合格したら対戦を望まれている。おう、いくらでも付き合ってやるぜ!

 学業成績は平均ぐらい。体育と美術は上ながら受験とは全く関係無し。志望校と現成績が笑うほど乖離しているが、特に焦るそぶりもなく、マイペースを貫いている。本人は理系科目での受験を考えているものの、まだやりたい職業が決まっているわけではなく、教科の得手不得手から進路の方向性を決めたと思われる。

 塾には行かず(行けとも言っていない)、休みの日は学校に行って自習している。これは家で勉強したらマンガの誘惑に負けてしまうのと、分からない時は先生にすぐに聞きに行けるからとのこと。合理的と言えばそうかもしれない。往復3時間をかけている自習、その成果が出るのはいつの日か。親は楽しみに待っているぞ。

 そんな息子とも来年の今頃は別々に暮らしているかもしれない。(是非そうであって欲しい)仕送りはしないと言っているので奨学金とアルバイトで大学生活を送る気でいるようだ。

 息子よ、未来につながる扉は自分で開けよう!どの扉を開けるかは、、、やっぱり自分次第だね。

 全力で応援してます。

7/18(金) 24.今、思うことなど
 もうすぐ梅雨明け、今年も暑い季節がやってくる。ということは、既に今年も半分過ぎたということ。いや、まだ半分もあると言うべきか、ソレガモンダイダ。

 てな、馬鹿なことを言ったところで物理的な時間は変わらない。広島に帰って5年半、あっという間のような気もするし、ずいぶん長く居るような気もする。「時間は流れない、積み重なる」某酒類メーカーのCMキャッチだったと記憶しているが、僕の時間は積み重なったのか?流れてはいないと思うけど、かなり広域に沈澱していったように思える。あとどれだけ積み重ねれば地上に顔を出すのか?面が広いと積み重なるスピードが遅いんだろうな。きっと。

 帰ってきた時は中1だった息子も今年は受験生、娘は小4から中3になった。こいつが大学を受ける頃にはかなり左団扇になっているはず、という甘い読みは幻想となり、日々を必死に生きていく毎日。安定=幸せの人には考えられない生活だろう。親として大きな責任を果たせていない自分に幻滅することしばしば。大きなものを犠牲にして今が成り立っている。

 一方で、子どもたちの将来にとって、今は決して無駄にならないという自負があるのも事実。自律と自立を子育ての方針としたことは1ミリもずれていないし、今でもそれでよかったと思っている。確かに贅沢な生活はさせることが出来ていないが、決して不幸せではないのではないか。親子夫婦兄妹のそれぞれが、お互いを尊重しつつ刺激し合い協力し合う、独特の結束感を有するのが有政家の家族像。言葉にするとなかなかカッコ良いな。

 って、それすらも自分に対する言い訳なのか。日々日々押し寄せる不安をいなすための自己療法?自分を元気にするための言葉のサプリ?何かのはずみでふっと考えてしまう。まあ、何をどう考えようと、一つだけ明らかなことは、今をあきらめると全てがウソになるということ。旗印を立てた者は、その旗を実現しなければただのまがい者だ。ここまできたら行ける所まで行くしかない。それは自分が今想像している未来像とは違う景色なのかもしれない。それでもど真ん中にある方針さえ、思いさえぶれなければ、その景色も自分が実現したかったことになる。

 たぶんね。

7/11(金) 23.人財
 某・地元大手の飲食店の役員にお会いした。その会社の社長と別な会で話す機会があり「うちの仕入担当に会ってもらえませんか?」と言われたのがきっかけだった。

 後日電話を頂き、お会いすると総料理長(グループで50店舗ほどある)を兼務されている仕入担当役員だった。たぶん40歳前後。親和感のある端正な顔立ちで、一目見てデキると分かるような人物。この会社がまだ小さな頃に入社されており、会社の成長を最前線で支え、牽引してきたのが話しの端々から伺える。頭脳だけでなく実経験と行動結果が伴った、前職なら間違いなくスカウト候補にいれている人財。

 この会社、飲食店の他に農産物卸や加工工場、直営の農場まで展開しており、ちょうど仕入部門が各事業のハブのような位置付けになっており、各事業について深く関わっておられる。産地開発も全国規模で手掛けており、自ら足を運んで生産者(農業だけでなく漁業や畜産も)と交渉し仕入ルートを確保し、且つ日々上がってくる食材情報を自らグループ内外に販売するという根っからの現場人。話しが具体的で明確、オーバーでも謙虚すぎることもなく、お互いの現状を等身大で話すことができ、1時間があっという間に過ぎた。

 まずは、一納品先として取引が始まることになった。次回は当方に来て頂き再度話し合う予定。今後別な形でも一緒に仕事できることを願いたい。

 それにしても、「企業は人なり」を痛感した今回の訪問だった。そして、このような人財を雇用し続けられているこの会社の経営者の凄さを改めて感じた。そろそろ本気で僕もメンバーを増やさないといけない。このような人財に事業の魅力を感じてもらい、本気で仕事が出来る環境を創り出すことができるか?経営者としての力量が問われる。人の存在はやはり大きい。

 蛇足ながら、次回のアポイントを日時までキチンと設定して商談を終える人はデキる人が多い。いくら商談が盛り上がっても「次また話し合いましょうね〜」では事は進まない。「次回はいつにしましょうか?」ちなみにこの役員も日時指定で次のアポイントを設定された。やっぱりね。


7/4(金) 22.好事魔多し
 この一年、数字だけみれば孫野菜は好調に見えるかもしれない。

 野菜の販売は昨対比30%以上UPで推移しており、取引先も倍増、出荷農家も増え、各農家の出荷量も増えている。この環境下でも昨年と同じ体制で商いが出来ているのは(諸所の問題はあれど)システムが大きく寄与してくれているから。孫野菜の取り組みも徐々に認知が広がり始め、これまでご縁のなかったようなところからも声がかかるようになってきた。

 そんな状況で、現状の商いよりも、次のステップに意識が向いていたのが正直なところ。パッケージ化して他農家グループへどう展開していくか?実際に廿日市でも農家直売システムが稼働し始め、某地銀行主催の農業6次産業化の検討委員にも選出された。どうすればこのモデルを展開出来るか?もしくは展開に足る形に仕上げることが出来るのか、、、。悩ましくも、そんなことを考えられるのは、現状の商いがある程度上手く回っているからできることだった。

 しかし、現実は違っていた。決して上手く回っているわけではなく、物量・取引先が増えた歪みが各所に出始めていた。好調だという思い込みで見えていなかった現場。取引先の増大で一日当たりの受注の振れ幅が大きくなり、それに伴って出荷制限数が大きく変わる状況となっていた。その影響を受けて農家は収穫作業が大きくぶれる。しかも鮮度重視のタイムスケジュール。待ったなしの環境下で予測できない作業をする農家の負担、集荷予定の野菜が出荷できない損失感。袋詰めも個人によってバラバラで品質も揃えにくいため、それに対するルールを増やせば増やすほど農家の作業負担は増大していた。

 取引先も個別に見れば、発注が止まってしまった飲食店や売り上げが伸び悩んでいる小売店もある。本当に支持されているサービスであれば、少なくても現状維持以上の数字で推移するはず。そうじゃなければ、そこには何かしらのニーズに応えられていない要因がある。絶対に見過ごしてはいけないことだ。

 結局、その歪みは一緒に仕事をしてる家族や協力農家さんからの怒りとして噴出した。そんなに限って、宅配の誤配が重なったり(結局宅配会社のミスだったがお客様にとっては原因なんて関係無し)、軽い気持ちで受けた仕事が激重で締めきりに切羽詰まったり、急に逃げられない仕事が発生したりで、ほんと、今週は特にキツイ日々だった。

 これまでを振り返ってもそうだ。上手くいったな!と思った時ほど、それを上回る大変なことが起きる。生産から販売まで、一気通貫する野菜の流通モデルは確かに理屈上はそうあるべきだと強く思うのだが、小さな規模でも長いプロセスを全て自事業内に抱え込むので、注意しないといけないポイントが非常に多い。

 好調は個人の主観。注意深く現場を見て常に改善を意識しより高みを目指す姿勢に好調なんて感情は生まれないのかもしれない。このキツイ週が僕に教えてくれたこと。

 有頂天になりがちな僕は特に肝に銘じないといけないこと、ですね。


6/27(金) 21.何故か?UIターン
 いつぞや、広島県庁の職員さんが来られて、広島県の魅力についてヒアリングをされた時のこと。

 街と自然が非常に近い場所にある、街の機能がひと塊りになっていて便利、世界を代表する平和都市であるなど色々話しが出て、どれも確かにそうなんだけど、何となく自分ではしっくり来るものがなかった。ヒアリングの目的は、広島県にUIターン者を増やすための売り文句制作。僕もUターンした一人として、その類のキャッチを聞いて心が動くかというと、、、そうとは思えなかった。

 UIターンの人気エリアは、沖縄・北海道・長野。僕が仕事でUIターンに関わっていたのはもう10年近く前になるので今のデータは知らないが、たぶん今でもそんなに変わっていないんじゃないかと思う。沖縄は圧倒的な自然とのんびりした生活イメージ、北海道は雄大な自然もそうだが札幌という大都市を抱えており先進的な生活も送れそうなイメージ、長野はリゾート地として東京から見ればとても親近感があり、且つセイコーをはじめとする精密機器の著名企業が先端的なイメージを形成しているように思う。しかも東京から物理的な距離も近く、いざとなったらすぐ帰れる安心感があるのかもしれない。

 それと比べて広島はどうか。自然?確かに山は都市部近くまで迫ってきているが、登山客を全国から集めるような山は無い。海は?確かに近い。が、どこもコンクリートで護岸工事されており、海水浴場できる場所はほとんどなく、レトロな施設があるわけではない。しかも、海がキレイかというと、、、沖縄と比べるまでもない。人が呼べる海は無いに等しい。自然では到底勝負できない。

 UIターンフェアの転職相談員として、5年ぐらい来場者からのよろず相談を承っていたが、実感値として一番多かった希望地は「沖縄」。10人中5、6人はそうだったと思う。そして、必ずされる質問がこれ。「仕事はあるでしょうか?」

 Uターンを考えている方のうち、かなり多くを占めるのは「親の面倒をみるために地元もしくはその近くで生活する」だろう。この場合、Uターン先は既に決まっているので、ここでは対象にしない方が良い。もし広島を希望している方がいれば、彼らが欲する情報は「どんな仕事があるか、処遇面はどうか」であり、それを充実しておくことが重要となる。

 蛇足ではあるが、北九州市はこれに早くから気付き、実践していた。積極的な産業誘致で仕事を市内にどんどん作り、各所で発生する求人を市で取りまとめて、大都市部在住者に定期的に配布する仕組みを作っていた。街の屋台骨を支えた鉄鋼業がすたれていき、どこよりも早く高齢化・人口減少が明確になった切羽詰まった状況だったから出来たのかもしれない。(蛇足の蛇足:私は北九州市から委託を受けて2年間この仕事携わってました)

 話しを元に戻す。他県との誘致競争になるのはIターン者の方。彼ら・彼女らの多くは心身にゆとりが持てる生活を送りたいと考えており、それが自然と結びついて、沖縄が圧倒的人気のエリアになるという構造だろう。事実、沖縄は数少ない人口増加県であり、それにはIターン者もかなり寄与していると思われる。

 確かに自然では他エリアには勝てないが、もう1つの要素「仕事」では十分に広島に優位性があると思う。実際に広島発祥の全国的な事業は多い。工業・商業・物流業などほとんどの産業が一定規模以上で存在しており、先取の県民性も事業立ち上げの際にはプラスに働くことが多い。個人的には農業にも非常に大きなチャンスがあると感じている。

 雄大で美しい自然だけが自然じゃない。観光ではなく生活に寄り添う自然(自然の恵みを得る等)は広島にいっぱいあるし(ちょっと裏でタケノコを、なんて素敵じゃないか!)、仕事も様々な種類がありこれまでの経験も活かしやすいし、処遇面もそれなり。事業の創業地として広島を選択することだってあっていい。そう考えると、広島は悪くない。

 本当は、休みが無くてもストレスにならない仕事を書こうとしたのだが、いつの間にかUIターンのことが主体となってしまった。本題の方はいつか、そのうちに。

 そうそう、広島県主催で「ひろしま定住フェア in 東京」が7/19(土)に有楽町の東京交通会館で開催されるようです。「そろそろ広島に」とか、「いつかは広島に」とか、「地方で暮らすにはどこが良いか」とか考えられている人は、是非行ってみてはどうでしょう?ついでに、広告の片隅に私も映っていますので探してみて下さいね〜。
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kouryuuteizyuuportalsite/26tokyo.html


6/20(金) 20.無事終了
 前々回ご報告した「小規模農家直売システム」第一号貸出先の農家向け説明会が昨日開催された。

 主催は、「松っちゃんの野菜おとどけ隊」。廿日市を拠点に、地元の若手農家5軒と組んで、これまた地元の飲食店・旅館・スーパーを顧客として野菜流通事業をスタートする。今回の我々の役割は、農家さんへの具体的なシステムの使い方説明。システム会社の方にも同行してもらい、廿日市の交流会館で午後6時から説明会は開催された。

 松本さんに進行をお願いし、説明は僕が主体になって行った。参加した農家は3軒、数は少ないが地元でも結構有力な若手農家で、どこかで顔を拝見した方がいると思っていたら、イチゴ農家としてテレビによく出ている農家さんだった。

 いきなり具体的な説明をしても良かったのだが、農家の顔ぶれを見て「使い方をキチンと理解してもらう」という目的から「この直売モデルを本気で関わって頂く」ことに切り替えた。この面々が本気になれば相当な供給態勢で事業を始めることが出来る。逆に1軒にそっぽを向かれてしまうと人数が少ないだけにダメージも大きい。今回の直売システムに関わる農家の本気度が事業の成功を左右する第一のポイントだと考えた。

 よって、まずはこのシステムを外部に貸し出そうと思った背景から話し始めた。システムはツールであり、主眼は小規模農家がキチンと利益を出し続ける状態を実現すること。それにより地元が活性化し、新鮮や野菜が都市部に流通し、地産地消が進み、農地の保全や環境負荷の低減(野菜の輸送距離が劇的に短くなる)に繋がっていく。そしてこのシステムはパッケージソフトとして稼ぐことを目的に作ったものではなく、僕が直売するために開発したものであり、そのやり方を広げていくためにこうして貸し出しを開始したこと。

 次に、事業モデル自体の理解とそのメリットを伝えることに時間を割いた。この辺りから農家さんもぐっと身を乗り出してくれるようになり、頻繁に質問が出るようになった。僕には彼らの気持ちがよく分かる。一生懸命良いものを作っていても、キチンと利益を出すのは非常に難しく、いつも頭を悩ます。初めは同じ農家としてある種の警戒感と、同じ立場の者から指導されるような違和感もあったと思うが、キチンと思いが伝わり、実践していることがわると、色々聞いてみたいという気持ちが湧いてきたようだった。

 農家をしていれば分かる。野菜を上手く作る方法はいつも探しており、実際に作ってみて、更に良い方法を探す。そういう行動特性は職業柄みんな持っている。農家経営も野菜作りと同じだ。よりより農家経営をするための情報収集すべき対象として孫野菜農園を認識してもらったということであろう。。

 結局具体的なシステムの使い方説明は、最後のちょっとの時間だけ。終わった後も色々情報交換をすることができ、最後は皆さんと握手をして分かれた。終了時刻8:40、手前味噌ではあるが手応えのあった説明会となった。

 今後は、松っちゃんの野菜おとどけ隊がキチンと利益を出すことが肝要で、そのための支援をしっかりしていこうと思う。慌てて広げようとせず、まずは一つの実績を築くこと。それが結果的に早道になると考える。

 よし、やろう!。

6/13(金) 19.近未来
 昨日のフェイスブックでも投稿いたしましたが、我々の取引先「Ciel」様がオープン翌日の6/11(水)、レジ金を盗まれ不審火による半焼という事件に見舞われました。許し難い行為であり、早期の犯人逮捕を願っておりますが、大事なことは一刻も早い営業再開とお客様に沢山来て頂くことだと思います。再開の折には是非一度お店をご利用頂ければ幸いです。孫野菜グループとしても、出来る限りのご支援を申し上げる所存です。

 そんなことがあり、何だか仕事が手につかない日々ではあるが、そんなことにはお構いなくやるべきことは満載。特に今週は重要な案件(☆)が多い。
[月曜日]午前中:野菜の贈答26件の発送/午後:野菜の出荷・販売
[火曜日]午前中:野菜の配達/午後:☆システムパッケージ化最終確認&スタッフへのお披露目
[水曜日]終日:☆システム貸出先への宿泊研修/午後:野菜の出荷・販売
[木曜日]午前中:野菜の配達&研修/午後:☆梱包センター検討ミーティングと現場検証
[金曜日]午前中:宅配新規申込者対応&事務系雑務集中処理/午後:野菜の出荷・販売
[土曜日]午前中:野菜の配達/午後:☆農業体験&ホタル観察会の開催
[日曜日]午前・午後:力仕事系農作業の集中実施/夜:農家向け説明会資料作成&他事務系雑務集中処理

 お陰様で旬の野菜宅配も昨年度の件数を越え、飲食店の取引件数は20件近くになり、出荷農家も毎回10件をコンスタントに超えるようになった。このシステムを作っていなかったら絶対この状況は作れなかった。思い描いた近未来、今振り返っても、あのタイミングで開発を決断したのは正解だったと思う。

 実現すべき未来を明確にイメージできると成功の確率が上がる。次の未来は直売農家グループを県内に10団体作ってネットワーク化すること。文字にしたら簡単だけど、まだ明確なイメージは出来ていない。間違いなく過去最大の難易度。実現できれば、相当面白いことになると思う。

 幸先良く第一号案件も決定して進み始めたし、この流れに乗っていきたい。

 未来は僕らの手の中 by THE BLUE HEARTS 

6/6(金) 18.第一号決定!
 もしかしたら、最近で一番大きな出来事かもしれない。

 前々からこの独り言で書いてきた「小規模農家直売システム」の貸出先第一号が決定した。6月から貸し出しを開始すると宣言したのが昨年の12月。構想から考えると1年半。今後の柱にすべき事業であり、先行投資という観点では金銭的にも時間的にも一番使ってきたので本当に感慨深い。

 ここまでの経緯を少し。

 「小規模農家直売システム」を日経新聞に取り上げてもらい、その後視察が相次いだ中に廿日市市の職員の方々がおられた。農業で市を活性化したいということで我々の事業モデルに強い関心を持って頂いたのだが、中心で事業を担う人材イメージがつかず、話しは先に進まなかった。

 しかし、そこで話しは終わらなかった。廿日市で野菜の販売をしたいと考えていた女性(松本さん)と視察に来られた市の職員さんがある会合でご一緒され、「そんなことを考えているのなら孫野菜に話を聞きにいったらどう?」と我々のシステムを紹介して頂いたようだ。そして今度は松本さんが視察に来られた。

 この松本さん、強い社会企業家マインドをお持ちで、ニートや引きこもりの成人に対して就業訓練の機会を提供するべくNPO設立の準備を進められていた。その活動場所に選んだのが廿日市駅前の商店街。空き店舗が増えてきた商店街を活性化するため、商店街自身が社会性のある事業の誘致を進めていたのが選んだきっかけだったようだ。

 当初はジョブカフェ的な場所にしようと考えたようだが、商店街の方々と話をするうちに八百屋が無くて困っているという話を聞く。入店を検討していた店舗の面積が広かったこともあり、カフェ併設の八百屋という構想に至ったようだ。事情があってカフェの開店はもうしばらく時間を要しそうだが、野菜の販売は先行して進めたいということで、店舗が無くても販売できる我々のシステムを利用することにした、というのがここまでの経緯。

 火曜日にシステム会社も交えて打ち合わせをし、早速システム導入を進めることになった。もちろん、このシステムを導入しても野菜が流通できるわけではない。野菜を出してくれる農家と野菜を買ってくれる法人・個人を確保することが肝要なのだが、既に複数の農家と話しを付けておられ(素晴らしい!)、地元野菜を欲している飲食店や小売店にも話をされているようだ(さすが!)。そして、あっという間に農家への説明会日程も決まり、我々も出向くことになった。

 さあ、どうなっていくか。システムを使ってもらうのがゴールではなく、事業として成立して初めて継続したシステム利用が実現できる。その意味でも早く事業が立ち上がるようにキチンとサポートしないといけない。ここから先、また色々初めての仕事が発生しそうだ。

 やるしかないですね。

5/30(金) 17.兜の緒を締めよ
 今月の宅配が終わった。

 最終週は32件、その前の週は22件。来月からは第2週より毎週20〜30数件の宅配を毎週送り続けることになる。10種類以上の野菜をそれなりのボリュームで複数の農家からタイミングよく揃えるのは結構大変で、送り出した後は正直ホッとするし達成感もある。しかもお届けした方から喜びのメッセージを頂戴することも多く本当に嬉しい。

 一方で「野菜が傷んでいた」というお叱りを受けることもゼロではない。特にこの時期は葉物が中心となり、温度の高い所に短時間置いていただけで一気に悪くなる。鮮度が良いことを過信してはいけない。夏場は収穫後の保管状態の方がより重要だ。

 収穫から配達まで、作業者を基準にすると大きく3つの行程に分けることが出来る。
[1]収穫〜洗浄・検品〜袋詰め
[2]集荷〜検品・仕分け〜梱包
[3]出荷〜配達

 保管とは、例えば[1]の袋詰めから出荷までの時間、[2]の梱包後から出荷するまでの時間など、作業と作業の間に発生する時間を指すことが多いが、孫野菜は[1]〜[3]まで全ての時間が保管時間と考える。鮮度を最優先に考えるのであれば絶対必要な考え方だと思う。

 この保管時間をいかに短く・鮮度の良い状態を保つか、この観点で考えると、まだまだ改善できる余地はたくさんある。ついでに野菜の品質やパッケージも劇的に変える可能性のあることをちょっと考えているんだけど、、、このご報告はまた現実的になってからご報告させて頂きます。

 まだまだ、もっともっと。こんなところで達成感を感じている場合じゃないですね。


5/23(金) 16.新農家
 最近、新たな出荷農家さんが増えている。志和の農家グループ(9話で紹介)もそうだし、母の友人世代だったり、地元で新たに農業を始めた人もいる。また、これまでは小量・不定期で出荷していたご年配農家さんもかなりの量を定期的に出荷されるようになってきた。

 頭で考えていた予測が現実となりつつある驚き。「地元のおじいちゃん・おばあちゃんが作っている自家用の野菜は街中の消費者にも支持されるはず」「出荷し始めると、それが喜びややりがいとなりもっと頑張って野菜を作ってくれたり、新たに出荷したいという人が現れるはず」「一軒一軒は小規模でも、集まればそれなりの供給量と品揃えが実現でき、法人の要望にも耐えるような野菜流通ルートになるはず」

 もう何年も前から呪文のように唱えてきたこと。もちろん僕はそうなると思って言っているわけだが、やっぱりどこかで懐疑的な心情も持っていたのも事実。だから、それが現実になると「やっぱりな」ではなく「おお、スゲー」という感情が生まれる。

 今回新たに出荷農家として加わって頂いたのは三宅さんと竹重さん。三宅さんは広島市内でお好み焼屋を経営しておられ、義父の畑をちょこちょこ手伝ううちに農業の面白さにはまった方。高校の先輩で、たまたま同窓生に「ワシ、農業やろうと思うんじゃけど、どうじゃろうか?」(一部想像)と話されたところ「じゃあ、有政に話を聞いてみい」(一部想像)ということになり、3カ月後とうとう初出荷となった。「今後何を植えたらいいと思う?」と嬉しそうに聞かれる度に、少し前の自分を思い出す。作付計画って結構楽しいんだよな〜。上手くできた・できなかったを繰り返しながら、徐々に三宅さんも自分なりの農業スタイルを確立されるのだと思う。

 竹重さんは、娘さんが私の同級生ということもあり、母の昔からの友人。社交的で豪快で真面目(長く保険の外交員をされていた)な方で、初めて出荷された野菜を見て、どれだけ手をかけて作っているかがすぐに分かった程の素晴らしいもの。出来や野菜を近所や友達に配るのが楽しみで、ド〜ンと作ってパッと配って残ったら畑の肥やしにするという農業スタイル。ご主人と一緒に畑に出るのが日課で、母が相談を受けて今週から出荷が始まった。

 そして最年長の今中さん。何と御年87歳。今年から作付面積を倍にされ、“売れる野菜”の栽培も始めたようだ。どうも福屋で売れている野菜を自分なりに情報収集して、作るべき野菜を考えられた様子。これまで今中さんの畑で見たこともなかったフリルレタス(なんと500株以上!)を見た時には少し笑ってしまった。

 明日も福屋で店頭販売。そんな皆さんの頑張りを胸に、しっかり売ってきたいと思う。

5/16(金) 15.DW突入!
 もじってみないと気分が萎えそうだったので、DWなんて名付けてみた。怒涛週間、略してDW。ちょっと頑張ろうという気になるではないか。

 まあ、僕自身の物理的忙しさはどうでもよい。ただ、多くの方と一緒にやり遂げようとする時、スケジュールが詰まっているのはすごくに気なる。なぜなら、失敗した時のリカバーが難しいから。

 って、何を言っているのか分かんないですよね。来週から旬の野菜宅配が始まり(お陰様で今年も50軒以上のお申し込みを頂きました。本当にありがとうございます)、店頭販促が目白押し、夏野菜の定植もたて込んでおり、パッケージの開発は大詰めを迎え、第1号案件も話しを並行して進めており、某青果店から新規売場の相談やら、新店立ち上げの野菜相談やら、取引先の野菜プロモーションやら、どれもこれも一人ではできないものばかり。ちなみに店頭販促と宅配のスケジュールは以下の通り
5/17 舟入市場での店頭販促(マグロ解体ショーとの連動企画)
5/19 宅配Lセット発送
5/22〜24 福屋での店頭販促(ベジタブルフェア)
5/26 宅配Mセット発送
5/29〜30 福屋での店頭販促(単独開催)

 店頭販促は通常の2〜3倍の販売が予想されるので出荷量が一気に増える。出荷量が増えるとその後の仕分け・梱包作業も増えるわけで、その翌日は寝ずに店頭に立つなんてことも起きかねない。(実際、昨年は徹夜明けでそのまま販売した)しかも、連続で販促があり、且つ宅配で一度に野菜が必要になるので、品切れで出荷できずなんて事態も懸念される。(これが一番怖い)。各農家との連携と情報共有が非常に重要になる。

 且つ、上記の間隙を縫って農作業に勤しみつつ、各種の打ち合わせと、その前の企画書作りに精を出して期限を守りつつ進めないといけない。結構手間がかかるのがスケジュール調整。こういう時って、主体的に日程を調整していかないと、大概大幅に進行が遅れる。

 まあ、ジタバタしても仕事が減るわけではないし、状況はどうであれ仕事の品質をキチンと担保しないと信用を失ってしまうし、我々のような極小事業体は仕事で信用を得ていくしか生きる道は無いし、信用を失えば吹き飛んでしまうしで、やっぱり一つ一つ仕上げていくしかない。

 こんな時はいつもの、メモにやることを全て書き出し、きちんと状況を関係者に伝え、たまに「やれば終わる」と呪文をつぶやくしかないですね。「やれば終わる」よしやろう!

5/9(金) 14.仕事の品質は体調から
 昨日、安佐ロータリークラブの招きを受け、“卓話”なるものをしてきた。卓話とは外部の有識者を呼んで話を聞く、月例会のプログラムの一つで、30分の時間が与えられる。

 ロータリークラブとは国際的な社会奉仕連合団体で構成員のほとんどは企業経営者。会場はリーガロイヤルホテル、会の参加者は20名ほど、広島の人なら誰でも知っている企業の経営者も参加されていた。僕は有識者でも何でもないので本来こんな場に呼ばれるわけはないのだが、たまたまこの会の会長の三宅氏が高校の先輩で、beや農場にも来られたことがあり、たまには変化球も良いかと思われたのか、もしくは善意の勘違いをされたか、いずれにしても温かいご配慮があってのご指名と思われる。

 会場入りは12:00。配達を9:30頃には終えることが出来たので、少し仮眠をしようと思っていたが(前夜は出荷作業が難航してほとんど寝れなかった)気分が高揚しているのか全然眠くない。仕方なしに卓話の原稿に目を通すと更に眼が冴えてきた。次は15:00から予定しているシステム打ち合わせの資料確認。内容のチェックやら文言の書き直しをしているとあっという間に11:30。慣れないスーツに着替えそろそろ会場に向かおうかなと思ったぐらいから強烈な睡魔が襲ってきた。

 既に仮眠する時間があるはずもなく、太陽に目が眩みながらフワフワした足取りで会場に向かう。プレゼンのセッティングをして参加者の方々と名刺交換をして席に着くと、何と食事の準備がされている。卓話はその後。この状態で食事をするとどうなるかは自明の理だ。かといって食べないと失礼にあたりそうだし、一口箸を付けると、、、美味い!量より質の懐石弁当。朝もほとんど食べずに家を飛び出したので空腹もMax。結局残さず食べてしまい睡魔もMax。マズイと思った矢先に「では次は安芸高田市からお越しになった。。。」と私の紹介が始まった。

 結果はご想像の通り。何故か本題とは関係ない“掴み”の部分でかなり時間を割いてしまい、本題は超駆け足になってしまった。父親ほどの大先輩経営者の温かい目線が逆に痛い。大汗をかきながら何とか話を終え、終わった時には虚脱感がMax。

 とまあ、決して満足のいく話しはできなかったが、飲食店の経営者が多く参加されており、面識を持てただけでなく、我々がしていることをお伝え出来たのは今後に繋がりそうな予感。是非一度お伺いしてみたいと思っていたお店もあり、早速日を改めてお伺いできればと思う。

 このような場を与えて頂いた三宅様に改めてお礼申し上げたい。

 と合わせて、仕事の品質は体調によって左右されることを改めて肝に銘じたい。

5/2(金) 13.いよいよ、もうすぐ(かな?)
 農家直売システムの外販が間近になっている。

 元々外販するために作ったシステムではない。あくまで両輪の取引先(農家・販売先)が拡大する過程で業務量が膨大に増え、それを解消するために開発を決めたのだが、実際に開発する過程で「これって、あったら別の農家グループも嬉しよな」と思い始め、途中から外販も視野に入れて開発を進めた。

 実際にシステムが完成してすぐに外販できるかというとそうではない。まずは本当に使えるシステムかどうか検証する必要がある。テストしてバグをつぶしたようでも、使ってみると色んな不具合が出る。当初想定していなかった使い方や欲しい機能、使い勝手の件など、直すことが続出。結局ある程度満足いく水準になるまで半年かかった。

 そして年明け、いよいよ外販に向けたシステムの再検証に入った。同じタイミングで日経新聞でもこのシステムが紹介され、問い合わせも色々受けてもう後に引けない状況。違う農業グループや直売所が使うことを前提に改めてシステムを見直すと、想定以上に見直さないといけないところが出てきた。

 かなり余裕もをって6月に外販開始と宣言したつもりが、やればやるほど新たな課題が見つかる。欲しい機能もどんどん出てくる。あっという間に5月になってしまった。6月から使いたいという申し出も受けており、何とか仕上げるしかない。

 改めて思う。いくら余裕をもってスケジュールを組んでも結局最後はバタバタするんだな。気合が入るタイミングが遅くなるだけで、時間が経つぶんマイナスかもしれない。厳しいぐらいのスケジュールの方が集中力が発揮されて品質的にも良いものができる気がする。さあ、これから集中して頑張ろう!

4/25(金) 12.ある農家のカタチ
 前川憲枝さんという農家がいる。

 いや、農家と言えるかどうか。。。母の昔からの友達で、子ども夫婦&孫と一緒に暮らしており、家の裏にある200uほどの畑で自宅用の野菜を作っている、典型的な田舎の“家”だ。昔からちょくちょく出来た野菜をおすそ分けで頂いていた。2年前ぐらいに「折角だから孫野菜で売ってみようかね」と母が提案し、孫野菜のメンバーに加わってもらった。

 正直に言うと初めは売るには厳しいものが多かった。もちろん農薬は使わず肥料も有機質のものだが、虫が喰おうが病気がつこうがお構いなし。確かに美味しいけれども、さすがに事情を知っている僕でもちょっと臆するほどの外観だ。結局売らずにお蔵入りさせたことも何度かある。それがどうだ、今では見違えるほどの野菜を出荷されるようになった。

 その理由を母が教えてくれた。

 元々畑仕事はおばあちゃんがしており、その後を継いで前川さんが野菜を作るようになったらしい。おそらく当時は仕方なしに畑仕事をすることになったと思われる。家族用の野菜なので見た目は気にせず、安全で味さえ良ければという考えだったのだろう。それが孫野菜に出荷するようになり、初めての支払い(月締め)が確か5000円ほどだったと思う。

 母にすぐに連絡が入り「こんなにもらってもええんじゃろうか。」とご夫婦で驚いたという。これまで0円だったのが、同じことをして5000円。「お前が頑張るなら」とご主人が畑に鹿よけの柵を張り、水もキチンと引いたらしい。

 半年後、そのご主人が永眠された。この畑はご主人の形見のような存在になっているという。苗も自分で仕立てるようになり(最近は苗のおすそ分けになった、笑)、野菜作りの上手な人に話を聞きに行っているらしい。そして、今月の支払は20000円を大きく超えそうだ。

 前川さんに限らず、孫野菜に出荷するようになってどんどん野菜作りを頑張る近所のご年配が増えてきた。本当に嬉しく思うし、改めて野菜作りが持つ様々な利点を感じている。前川さんのような家は町内にもまだ沢山ある。もっともっと多くの方に参加頂けるような存在になっていきたい。

 そんなご年配にも支えられ、今年は昨年の1.5倍のペースで出荷できている。本当に有難いことだ。ただ、バックヤードの業務がパンクしかかっているので、こちらは早急に手を打たないといけないです。

4/16(金) 11.大切な力
 フェイスブックでも投稿したのでご覧頂いた方には申し訳ないが、やっぱり腹の虫が治まらずここでも書かせて頂く。

 事の発端は水曜日の水路掃除だった。田植えが始まる直前、川から田んぼに水を引くために、生えた雑草やら溜まった石を水路利用者が協力して取り除くのが地元年中行事の一つだ。集合場所は川から水路に水を引き入れる小さな堰付近、到着してふと川の下流に目をやると見慣れないものが置かれていた。

 それは鉄製の大きなカゴ(60cm×100cm×60cmぐらい)に石を詰め込んだブロック。たかだか1mぐらいの幅しかない小川に何個も置かれている。「ゲゲ、何でそこにこんなものを置いたんだ!」思わず叫びそうになった。その場所は、この谷川で数少ない深い場所であり、子ども達の絶好の遊び場だった。ご丁寧にその深い場所にブロックを敷き詰めたのだ。

 蛇行して川底が削り取られる場所であればまだ分かる。そこは直線で、しかもしっかりコンクリートで護岸工事がしてある側に置かれている。考えられるとすれば、子どもたちがそこで泳がないように埋めたということだろう。何のために?誰かが要請した?これをして喜ぶのは誰?

 この思いは小学生の時にもした。同じ川の少し下流で、そこはガマが生え底が見えないほど深く、僕たちの釣りでは最高級のポイントだった。学校帰りにもよく立ち寄っていたが、小5の時に突然工事が始まった。約1ヶ月後、出来上がったのは両岸に川底までコンクリートで固められた、水深がくるぶしぐらいの大きな側溝だった。その時の失望たるや今でも鮮明に覚えている。

 その時は治水工事かなんかだと思うので今ならまだ理解はできるが、今回の石のブロックはひどい。実は同じようなことが2年前にもあった。もっと上流の(といっても200mぐらい)同じような深い場所。ここは川幅は狭いが深さは前述の場所以上で、俊助や佳穂がよく潜っていたところだ。ここも直線で特に工事の必要は感じない場所なのだが、突然ブロックが敷き詰められた。

 地域の住民が要請したのか、お役所が自主的にやったのか、何か特別な理由があったのかはよく分からない。誰が仕掛けたにせよ「危険だから」というのが理由だろう。川に近づくな?万が一怪我をした時に責任を押し付けられるのが嫌?

 過度に危険から遠ざけることは、危険に対する認識・対処レベルを下げることに他ならない。少しは危ないぐらいの遊びの方が実は楽しい。そんな環境下で遊ぶからこそ危険を自分のこととして捉えるし、たまには痛い思いして危険が何たるかを覚えていく。

 これに限らず、子どもたちに考えさせない環境が世の中多すぎる。過度な大人の配慮が弱い子どもを作っていく。大事なのは考えて行動する力だ。何をするかを決め(何をさせないかも同義だ)やり方まで教えて、いかに上手くやらせるかを繰り返しても身に着かない大切な力があると、僕は思う。

4/11(金) 10.好きな仕事
 今年も田植えの時期が始まった。

 僕はこの作業が一番好きだ。広い田んぼに水を入れ、おんぼろトラクターで土を混ぜる。デコボコだった地表が滑らかな平面になっていき、その所々に土中で冬を越した虫が浮かんでくる。それを色んな鳥が食べにくる。人が近づくとすぐに逃げる鳥も、捕食に夢中なのかトラクターを無害と認識しているからか、近くまで寄っても逃げようとしない。

 低く飛んだ葉虫を狙うのは燕。いつも間にか10匹以上がトラクターの周りを低空旋回している。シャープで空気抵抗の少ないフォルム。白黒のツートンカラーに少し赤みがかった首筋。飛んでいる姿はまさに神のデザインと言いたくなるほど美しい。あれだけの小さい体にあの飛翔力を持たせることはいくら科学技術が進歩しても人間の手で作ることなんて難しいだろうと思ってしまう。

 6度目の田ごしらえ。初めは父に教わるばっかりで、まだらで混ぜるは、機械を壊すはで散々迷惑をかけた。今年も父と二人でのしろかき。父は縦列を、僕は横列を担当し2台のトラクターで効率的に混ぜていく。時々父が僕の方を見て、何か言いかけてやめる。問題点を指摘するのが普通になっていたのに、ちょっとはマシになったということかな。

 GWは田植え行事を2回、それに団体向けの特別体験が1回ありそうなので、都合3回の手植えを予定している。こうして手植えが出来るのも、父と、父が長く大切に使ってきたトラクターと、毎年来て頂ける会員の皆様があってこそ。

 田植えの時は晴れて欲しいな。子ども達の元気な声が春の里に響くことを願って、今年もキチンと準備を進めたいと思う。

4/4(金) 9.ご縁は作るもの
 志和の農家さんと協力することが決まった。

 しょうりきから10数kmの距離にあり、我々が提唱する「小規模農家直売モデル」(半径10kmの小規模農家が野菜を集約し・運び・近郊都市部の法人・個人に直売する農業形態)のエリアからは少し外れるが、近い将来、志和でも直売モデルを実践することを視野に出荷頂くことになった。

 元々の出会いはシステム開発の打ち上げで使った居酒屋から始まる。昨年7月に「農家直営露地野菜市」とそのバックヤードのシステムを無事カットオーバーできた打ち上げを「三代屋」という店で行った。帰り際に店長から「アリさん、うちで働いていたONってヤツが農業をやろうとしているんですけど、一度話を聞いてやってくれますか?」との申し出があった。

 まあ、わりとよくあることではあるが、実際に電話がかかってくることは半分以下。今回もそうかなと思っていたら、少したって電話がかかってきた。会って話を聞くと、本気で農業をしたいという。実際、志和の農家に研修に行っており、土地も探しているようだった。

 その半年後、今度は福屋でON君に会った。ベジタブルフェアで彼が研修に行っている農家が催事販売したのだ。すっかり農家らしくなった彼から紹介されたのがMさん。まだ若いが、ものすごくしっかりした考えを持っており、野菜を作るだけではない視野の広さを感じた。

 是非農場を見てみたい!今度は僕がMさんに後日連絡して訪問させてもらった。想像通り非常によく考えてある畑で、実際出来ている野菜も素晴らしかった。畑を歩きながら彼の考えを改めて聞き、僕も孫野菜のことを色々話した。

 その後、間を開けずM氏にもう一度話を聞きに行った。今度は母と妹に農場を見てもらうためだ。忙しい中で申し訳なかったが、Mさんは嫌な顔一つせず、彼の実践している野菜作りを丁寧に教えてくれた。そして帰り際、「今度は私が近くの仲間を連れてお伺いさせて下さい」と言った。

 そして、実際にMさんは5人の仲間を連れてしょうりきにやってきた。今度は僕が説明する番。軽く農場を案内した後は、僕が考える小規模農家直売モデル・バックヤードのシステム・業務の流れなどを説明した。予定していた2時間があっという間に過ぎた。

 そして今日。Mさんと一緒に来た農家さんから初出荷があった。初めてON君と会って8ヶ月、Mさんと会って5ヶ月。ご縁が繋がり協働にまで発展した。来週からはMさんも出荷に加わってくれるという。ここまでに関わった誰かが「まあいいか」と思って行動しなければこの結果は無かった。ご縁とは「知っている」関係ではなく、「関わり合う」関係と考えれば、やっぱり主体性がご縁を大きく広げてくれるのだと思う。

 良いご縁になりそうだ。

3/28(金) 8.運は偶然?
 福屋さんで店頭販売をした。

 これまではベジタブルフェアなどの催事販売と違って今回は平常営業日での店頭販売。売上の予想が立て難く、エイヤで普段の倍ぐらいと踏んで出荷目標を立てたが、その後が一苦労。急に決まった話に加え、ただでさえ野菜が少ない時期なのに、収穫当日の大雨。本当にキチンと出荷できるのか最後の最後まで心配だった。

 しかし、そこはさすが孫野菜農家の面々。倍どころか、それ以上の野菜をそれぞれが出荷。水曜日は飲食店からの注文も集中する日でもあったが、それをカバーしても十分出荷目標を越える野菜が集まった。

 逆に想定より沢山の野菜が集まったので、これはもう頑張って売るしかない。売場での声出しにも力が入った。「孫野菜農園です!本日は農家が直接野菜をお持ちして売場を拡大して販売しています〜!」なんて声を出していると、全く見覚えのない男性が声をかけてきた。

 「あの、孫野菜農園さんですか?いつも使わせてもらっています。」年の頃は35歳前後か、雰囲気で料理人と分かった。そしてピンときた。「もしかして、●●のKさんですか?」

 いつもネットで我々の野菜を買ってくれている地元大手の飲食店があり、何度か法人取引のご案内をしていたのだが、ご返事がなく、ずっとネット販売のみでのお付き合いだった。その発注者(実は部長だったことが判明)がたまたま福屋に仕入に来ていて、孫野菜農園が販売していることを知り、わざわざ声をかけてもらったという次第。

 「良い野菜をいつも本当にありがとうございます。特に葉物、これはやっぱり鮮度ですね〜。孫野菜さんは段違いに美味しいですよ。本当は法人取引したいのですが、社内の手続きなどが結構手間なので、そのままネットで注文させてもらってます。」少しお世辞が入っているとしても、通り過ぎてもよかったところをわざわざ声をかけてもらったこと、また話す雰囲気から本当に喜んでもらえているのが分かった。これには一緒に販売していた妻や母も感激。ネット注文が入る度に「どんな人が注文してくれているのか会ってみたいね。」といつも話していたのだ。短い時間ではあったが、今度改めて商談をさせて頂くこと、今後も継続して注文したいことなどを話しあった。

 特に事業規模が小さい時は、1社の取引で大きく状況が変わることがある。こうしてお会いできてお互いに距離が大きく縮まり、その可能性を持つ1社が増えた感覚を覚えた。こうしてお会いできたことは本当に運が良かったと思う。

 と、同時に、急に決まった福屋での販売をキチンと受けたこと、顔の見えない販売先であっても既知の販売先と同様に対応してきたことなどがなければこのようなラッキーは生まれなかったと思う。運は確かに偶然の産物だが、その偶然は努力の上に成り立っている。

3/21(金) 7.旗印を掲げよう
 農場視察の頻度が上がっている。

 これまでは、お取引の始まる飲食店が中心で、多くて月1回ぐらいだったが、年明けから週1回ぐらいのペースになってきた。目的は様々。一緒に事業できる可能性は無いか、新規店舗を作る際に野菜仕入をお願いできないか、売場を作らないか、ウチの販売先に野菜を提供できないか、システムが使えそうか見たい等々。もちろん全てにご縁があるわけではなく、ほとんどは「そのうち縁があれば」みたいな感じで終わるのだが、それでも興味を持って頂けるのは本当に有難いことだ。

 確かにシステムを開発し、メディアに取り上げられたことが大きいのだろう。ただ、メディア露出の頻度はむしろbeに居た時の方が多かった。結局「私はこれをしています!」というメッセージがどれだけ伝わるか、その内容が具体的か、実際にやっているのかが大事なんだろうと思う。「へ〜そんなことをしているのか」で終わるのか、「そんなことをしているのか!実際見てみたい」という感情が生まれるか。

 ただ、昔と違って、興味を持ってもまずはネット検索。実際に調べてみると「結構真面目に販売しているじゃないか、じゃあ話しを見いてみようか」と言う流れに。実際、訪問される方は100%孫野菜農園の販売サイトを見ているし、熱心な方はしょうりき山里公園のHPもくまなく確認しているようだ。

 やっぱりベンチャー事業をするのなら「私はこれをします!」と宣言できないと駄目だと改めて思う。迷い・自信がなく・遠慮がちに「こんなこともしているんです、私。。。」では誰も興味を持ってくれないし、その事業と関わりを持ちたい潜在的な顧客を顕在化できない。そう言えば、前職の社長はそれを「旗印を掲げる」と言っていた。色んな人から学び、教えて頂いたことが今になって理解できる。虚勢を張るには覚悟が必要だ。

 今日もこれから農場視察。折角の機会なので、協力農家さんところにもご案内したいと思う。よいご縁になればよいな。

3/14(金) 6.過去・現在・未来
 今朝はよく揺れましたね。皆様の所は大丈夫だったでしょうか??芸備線が運航停止になり、急遽俊助を学校まで送って只今帰ってきました。予想したほどの渋滞も無く、いつも通りの街並みにホッとしました。今日は1ヶ月熊本で仕事をしていた父が帰ってくる予定です。以上、蛇足。

 さて本題。確定申告の時期を迎えた。

 ずっと白色申告をしており、細かい数字の把握は年1回。ザクッとした数字は把握しているつもりではいるが、それでも正確な数字が出るまではドキドキする。ちなみに、来年からは青色申告する予定で会計ソフトも購入した。

 6年目ということは、当たり前だが事業を始めて丸5年間過ぎたことになる。創業当初5カ年計画を作ったことを思い出し、久しぶりに開いてみた。途中で事業内容が大きく変わりお蔵入りになっていたのだ。少し抜粋してみる。
    <初年度(H21年)>   <5期目(H25年)>
【売 上】  565,200円  ⇒  10,004,440円
【利 益】 ▲334,800円  ⇒    964,440円
【会員数】    20家族  ⇒     300家族

 この当時は農業体験と野菜宅配のみで事業計画を立てており、今と単純比較はできないものの、一応売上はクリア、利益・会員数は届かずといったことろ。特に利益面では人件費も経費計上しての利益目標だったので、まったくダメダメだ。

 そして何より、経費の読みが甘い。前職時代の経費構造が頭に残っていたんだろうけど、見た瞬間に「これじゃ事業運営は無理!絶対足りない」と思ってしまった。この辺りの感覚はここ数年で培われたものだと思う。まあ、そんな感覚が養われても儲かるわけではないので何も自慢にもならないが、事業をキチンと回そうとすると、それなりにお金がかかる。それを前提に値決めをキチンとしないと、後から値を上げるのは結構難しい。

 そんなこんなで反省ばかりの日々ではあるが、業績数字は過去の評価の一側面。野菜販売に注力すると決めてから、販売額が毎年30%以上伸びていること、農家さんの仕入額は下げずに完全買い取りを続け、利益率も少しづつ高めてこれているのは好材料と認識したい。

 1年半前にbeの社長退任を決め、借金しても直売システムを開発しようと思わなければこの結果は無かった。これは間違いない。ただし、その意思決定が本当に正しかったかは、もう少し先の未来から判断することなんだろう。良い判断だったと自己評価できる未来を実現するために、信じて行動するしかない。

 そう、現在の自分の評価は未来の事業が決めてくれる。そして、その未来に向かうロードマップは現在の自分が作る。時に険しくても進み、時に迂回し、時に書き直し、時に他者と新しい道を作る。そんな一つ一つが事業であり、そのためにも、揺るぎない信念と明確な未来のイメージが今更ながら大事な気がする。

 さあ、これから確定申告に行ってきます!

3/7(金) 5.本日最終日!〜サクラちゃんの独り言
 2週間に渡ったサクラちゃんの体験滞在も今日が最終日。急に決まった話ではあったが、我々としても非常に良い機会となった。

 当初はやることなすこと初めてで、恐る恐るという感じだったが、今ではすっかり農作業も出荷作業も慣れたもの。母や妹もだいぶ楽をさせてもらい、気分的にもリフレッシュできて非常に助かっているようだ。この2週間どんなことをやってきたかはFaceBookにUPしたのでそちらを参照頂ければありがたい。

 個人的には、この受け入れを「農家直売システム」導入研修のシミュレーションにしたいと考えた。このシステムを有効活用してもらうには、システムの利用方法だけでなく、周辺の小規模農家を取りまとめて、集荷し、販売し、配達に至る直売の一連の業務を理解してもらわないといけないが、それにどれぐらいの期間が必要かは実際やってみないと分からない。その意味でも新規就農者に近いサクラちゃんの存在は非常に有難かった。

 以下は、サクラちゃんに研修の感想を書いて頂いたので、ご本人の了解のもとここに記載させて頂きます。
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 有政さんのところで2週間お世話になりましたサクラです。東京農業大学に昨年から通っています。

 この2週間研修として堆肥運びから配達、プリント作成までたくさんの作業をさせていただきましたが正直達成感でいっぱいです。2週間と期限が決まっていたから頑張れたけど、毎日こなすには相当の体力と根性がいると痛感しました。知識的な部分でも学校の授業や実習でやっていないこと(ジャガイモの植え方、器具の使い方、見たことのない野菜の種類etc...)ばかりで毎日訊ねてばかりでした。また、システムの構造を教えていただいたり企画会議に参加させてもらったり、他の農家さんに一日お世話になってお話を聞けたりと経営の方もみせていただいて、貴重な経験になりました。

 心残りと言えばエースローター(注釈:畝を上げる専用の機械。重くて結構使い難い)の制御が上手くいかなかったことくらいです...。次の機会にはまっすぐ溝が作れるように鍛えておきたいところです!2週間で農器具に関してはかなり鍛えられたと思うので家族や友達に披露する葉がないのが残念です(笑)

 急な話にも関わらず受け入れて頂いてありがとうございました。色々学ぶべきことはありましたが、4月からはまず学校の授業をしっかり頑張ろうと思います!
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 サクラちゃん、2週間お疲れさん&有難う!本当によく頑張ったし、キチンと仕事を最後までやり遂げる姿勢は社会に出ても大きな武器になると思います。充実した大学生活を送り、社会に出て活躍されることを願っているし、多分そうなると思います。あなたのしょうりきに残した功績はとても大きなものです。本当にありがとうございました。またいつでも遊びに(もしくは働きに)来て下さい。

2/28(金) 4.ピ〜ンチ!
 野菜がない。露地野菜中心なので冬場はどうしても収穫量が減るのだが、それにしても少ない。

 第一の原因はしょうりき農園(我が家です)の冬野菜作りが上手くいかなかったこと。秋口の稲刈りが遅れたことにより畑作業がずれ込み、その時期の長雨で更に種まきや定植が遅れ、11月からの急な気温の低下によってなかなか野菜が大きくならず、そのまま冬に突入してしまった。正直、10月までの高温に少し安心していたところもあった。後悔先に立たず、キチンと準備をして事を進めないと痛い目に合う。

 11月の低温は他の農家にも大きな影響があり、特に白菜とキャベツが不作だった。白菜はなかなか大きくならず、巻かず、霜で中心部がやられたものが多かったようだ。キャベツも同様。この2つは福屋の人気野菜でもあり、この時期を楽しみにして頂いていたお客様に本当に申し訳なく思う。

 それと、取引先が増えたことも要因と言えばそうだろう。システムの完成で飲食店からの受注労力は大幅に削減され、取引できる顧客数の限界値はかなり増えた。一度取引が始まるとそのまま一定量買って頂けることが多く、座布団が積み重なるように取引額が増えていく。それはそれで大変有難い話なのだが、野菜が少ないと注文が集中し、取り合いとなったり、そもそも買えない状況が生まれる。それが不満足を生む要因となり取引額が減少していくことが容易に想像できる。

 細かく見ていくと、少ないと言いながら全て売ることが出来なかった野菜があることも事実。今後はその辺りのデータも取ることが出来るので次の作付に活かしていきたいところだが、今をカバーすることは出来ない。何にしても野菜が少ない状況はよろしくない。

 こんな時に限って、面白い話が舞い込んでくる。某商社から店舗展開を視野に野菜を出荷してくれないかという話があったり、某生鮮系小売店から専用の売場を設けないかとの話しがあったり。。。ただ、この状況では到底安請け合いはできない。また、福屋さんでも孫野菜の販売強化をして頂いており、先週から冷蔵ケースに野菜を置いてもらえるようになった。それには最大限応えていかないといけない。

 考えてみれば、この状況は有難い限りだ。売るのに困っているのとは雲泥の差。作れば売上を伸ばしていける。そのためには孫野菜グループの生産量をもう一段高めないといけないし、やっぱり同じモデルで地産地消に取り組むグループを早く作っていかないといけない、、、と強く思う今日この頃です。

 
2/21(金) 3.卒業
 知弥が有政家を卒業した。

 火曜日に転出届けを提出し、実家の周防大島に戻った。彼が我が家にやってきて1年3カ月、本当に色々あった。まだ、思い出にするには記憶が鮮明すぎ、様々な感情が交錯して冷静に振り返るのが難しい。

 新しい家族として受け入れることを決めた後、知弥がどうなっていくのが望ましいのか、我々として何をすべきで何ができるのか、妻と、ポイントで知弥の親族も交えて話し合った。中学生の子どもを外に出す親の期待、何より厳しい環境に身を置いて自分を変えたいと思った知弥自身の決意に、私も妻も何とか応えたいと思った。

 覚悟してきたとはいえ、実際にこっちに住んで、物事の考え方や生活様式の違いに知弥もかなり戸惑ったのではないかと思う。例えば「宿題はできればすること」から「絶対すべきこと」になった。終わるまで寝れないなんて過去の彼からは考えられなかったことだろう。慣れないうちは深夜までかかることもしばしば。キチンと終わらせるために、その日にやることの計画を立て、時間を決めてから取り掛かることにした。

 実は僕も中学校から親元を離れて一人暮らしをしていた。まかない付きの下宿生活。遊ぼうが騒ごうが誰も何も言わない。当時の僕に自分を制する力はなく、楽な方・楽しい方に流され続けた。そのうち勉強が苦手になり、それを避けるようにクラブや遊びで時間を埋めた。このままじゃマズイと思ったのは大学受験前。しかし、頑張らなくてはという気持ちに体が反応せず、少し勉強したら疲れたとつぶやいてマンガを読み、気分転換と称してゲームセンターに行っていた。

 そんな自分の過去を知弥に重ね、意味ある充実した時間を過ごすことが出来るようにしたいと強く思った。知弥もその意図を理解してくれたのだろう。机に向かう時間が増えて、学習のスピードや計算力・文章力などは飛躍的に伸び、やり遂げようとする態度は目に見えて変わっていった。本人も周囲も手応えを感じ、預かる期間を延長することになった。(当初は一年間としていた)

 一方、延長を決めた頃からか、健康自慢だった知弥が体調を崩す場面が出てきた。めまい、吐き気、頭痛、、、頑張りたくても頑張れない状況が徐々に増えていった。知弥とは「1年後には平均点を越えようぜ!」と約束していた。本人も3学期の期末試験までは頑張りたい、結果を出したいと強く思っていたし、結果を出せる可能性は十分にあった。しかし、その思いと裏腹に、体調はなかなか回復しなかった。

 この状態の知弥に我々はどういう対応をすればよいのか、妻と話し合う頻度が増えていった。親族の・知弥の頑張りたいという気持には応えてあげたいが、この体調で頑張らせるのは厳しい。観察していると、どうも体調に波があるようなので、その様子を見ながら対応を変える日が続いた。親族にはマズイと思ったら強制的に帰しますとも伝えた。病院に行っても良くならなず、この体調のまま初志貫徹してうちで預かるのか、まずは体調を優先して大島に返すか。先方の親族と何度も話し合い、知弥自身の意向も確認した。そして、3月を待たず大島に帰ることになった。

 引っ越しの日、落ち着いた表情の知弥がいた。少し早い卒業式、僕・妻・母から知弥へのメッセージを伝えた後、知弥が「この1年間を大事にして次につなげたい」と言った。彼の今後にとって、ここでの生活がプラスに働くことを心から願う。そして、屈託ない笑顔で「園長、来たよ!」と言って現れる日を楽しみに待ちたいと思う。

 
2/14(金) 2.段取り八分
 前号で、この時期は露地野菜農家の閑散期だと申し上げたが、これは農作業に限った話であって、重要さから言うと1年で最も重要な時期だといえる。

 なぜか?それは年間の計画を立てる時期だからだ。だいたい、春野菜の種まきが2月中旬から順次始まるので、それまでに「何を作るか」「いつ作るか」「どこで作るか」を決めないといけない。単一作物大量栽培農家なら計画で悩むことは無いんだろう。しかし、我々のような小量多品種栽培の小規模農家は年間30種類以上の作物を栽培している。土地も狭く限られた圃場を最大限活用しようとすれば、相当頭を使う必要がある。

 計画を立てる際にいくつか考慮すべき事項を挙げると以下の通りだ。
(1)休める畑をどこにするか?
 野菜を作り続けると土中の害虫が増えてしまうのでだいたい4年に一度は害虫を防ぐ効果のある植物を植える。ただし植えた場所は野菜の栽培ができないので、畑を複数の区画に分け順次休める
(2)苗を育ててから畑に植える(定植)か、畑に直接種まき(直播)するか?
 根菜類は直播する必要があるが、その他の野菜は定植も直播も可能。定植は手間が増えるが、苗がある程度大きくなるまで別なところで育てるので畑の占有期間が短く、育った苗を等間隔に植えることができるため栽培効率が高くなる。直播は手間は減るが畑の占有期間が長く、芽が生えないなど栽培効率が下がる場合が多い
(3)収穫適時期の予測
 品種によってだいたい栽培期間の目安はあるのだが、その土地の気温や雨量・日照時間・畑の状況などによりかなり変わり、経験則がものういう(が、それでも正確な予測は難しい)
(4)短期間で全て収穫するか、収穫期間を長めに設けるか
 同じ作物を作っても、長めに収穫したい場合は種まきの時期をずらしながら栽培する必要がある。特に収穫適期の短い野菜は、一度に大量に出来てしまうとロスになりやすい
(5)輪作の相性
 一部の野菜を除いて、同じ野菜を作り続ける(連作)と病気や害虫が大量発生するなどの連作障害を起こすので、栽培後にどの野菜を植えるかが重要になる。例えばナス科は連作向かず、ジャガイモの後のトマトなどは上手く出来ないことが多い(経験済み、泣)

 たぶん、農家によって色々な計画の立て方があるので一般的ではないのかもしないが、我家のプロセスを以下に列挙してみる。
[1]まずは昨年の販売状況や個人的好み(こっちが大半かも)を元に、作りたい野菜をリストUPする。数にしてだいたい50種類ぐらい。
[2]畑を区画分けし、休める場所を確定する。栽培する場所は畝を何本作るかを決め番号を当てて畑地図を作る
[3]春収穫に向けて育てる野菜をまず確定し、どの畝に植えるかを決める
[4]畑の占有期間・輪作の相性を考慮しながら、どの野菜を植えるか・定植でいくか直播でいくかも考え、作る野菜を確定していく
[5]それぞれの野菜をどういう育て方をするかを考え、どんな資材が必要になるかを洗いだす
[6]上記を計画表にまとめて、皆が確認できるようにしておく

 これで1年間作るものが確定してしまうので、慎重に考えざるをえない。しかも(2)〜(5)も考慮しながらなので、やりながら解の無いジグゾーパズルを作っているような感覚に陥る。ギチギチに栽培を詰めてしまうと、収穫期が遅れた時に多大な影響がでるし、空け過ぎると生産効率が下がる。行きつ戻りつしながら徐々に計画表が出来上がっていく。

 とまあ、面倒くさい仕事ではあるが、これがしっかりしていると作業工程が組みやすく、無駄なことも減り生産性が上がる。段取り八分、やっぱり疎かにしてはいけないですね。。

2/7(金) 1.言い訳?
 もう年明けから1ヶ月も過ぎて今更ではありますが、2014年初めての独り言です。ご覧頂いている皆様、本当にありがとうございます。本年も何卒宜しくお願いします。

 さて、年明けからの話し。冬場はできる野菜が少なく、雑草は伸びず、種まきもできず、畑は乾かずで、我々のような露地野菜を作る農家は時間的余裕が生まる。なので、この時期に普段なかなか出来ない仕事(HPの改装や帳簿の整理など)を集中して行うのだが、今年はそうもいかなかった。理由は昨年のひろしまベンチャー育成賞・金賞受賞以来、これまでになかった仕事が結構入るようになってきたから。

 まず増えたのは、農場やシステムの視察。県内のみならず、県外からもお問い合わせを頂き、また農家以外にも、農業を志望する人、農業分野の進出を検討している企業、中山間の活性化を考える自治体など、多様な方々の訪問を受けるようになった。

 また、銀行に行く機会も増えた。我々孫野菜グループが提唱する「小規模農家直売モデル」に銀行も興味をお持ち頂いたようで、法人化を進める際の資本構成や資金繰りの助言、また該当しそうなベンチャー投資案件のご案内など、これまで全く縁のなかった世界に一歩踏み込んだ感じがしている。

 それと、独自開発の販売・入荷管理システムのパッケージ化。「小規模農家直売モデル」を他の地域にも展開しようとすると、それを支える独自開発の入荷・販売・請求管理システムを汎用性のある形でパッケージ化する必要があり、見直さないといけないところが沢山あることが判明。運用検証しながら随時2次開発の話し合いを進めている。

 もちろん、週3回の販売業務とそれに伴う収穫・集荷・システム入力・袋詰め作業は冬場でも継続しており、それに農家会議の開催や企業研修の講師に招かれたり、急に大量の薪割りをする必要が出てきたり(死ぬほどキツい。。。まだ継続中)、中古のビニールハウスを組み上げたりと、何だかバタバタした日々となってしまった。

 ...という訳で、元々やるはずだったHPの改装がなかなか進めず、最後は力技でようやく間に合わせた感じになってしまいましたが、ごちゃごちゃしていたTOPページを中心に改装してみました。2014年のご挨拶も追記しておりますので合わせてご覧頂ければ幸いです。また、ご感想などお聞きできたら嬉しいです。今年も是非お付き合いください。

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