アリ園長の独り言(2010)
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12/31(金) 46.やっぱり大事なのは...
 今日でbeの年内営業が終了した。あっという間と言えばそうだし、長かったような気もする。しょうりきも26日で今年最後の行事も終わり、1月3日まではオフとなる。まあ、年賀状も書けていないし(お出しするのが遅れて本当に申し訳ないです)、Be株式会社の事務仕事もあるので、この機会に残っている仕事を一気に片付けたい。

 1年前の最後の餅つき行事の際に、皆さんにお配りした資料がある。自分がこのしょうりき山里公園をどうしていきたいかを記したものだ。ちょっと抜粋させて頂く。

<来期>※今期のことです
・体験イベント
・旬の野菜宅配
・お米の販売(自宅用/贈答用)
・貸農園(5区画)
・野菜の直売
・学習支援

<近い将来>
E:教育
 −体験イベント
 ー山里留学
 −仕事&学習塾
A:農業
 −米・野菜の生産
 −産直宅配・産直販売
 −貸農園
F:施設
 −農家民宿&合宿所
 −ファーマーズレストラン
 −林間公園
C:法人サービス
 −福利厚生
 −広報・CSR支援
 −社員教育
C:地域貢献
 −里山環境の保全
 −協働型・循環型農業の実現
 −生きがいと雇用の創出

上記をもとに今年を振り返るとこうなる。

・体験イベントは初年度比で1.2倍の方にお越し頂いた。しかし、計画値は未達
・野菜宅配は1件以外は初年度から継続してご入会頂いた。新規のご入会も相当数あったが計画値は未達
・お米の販売、贈答は計画を大きく上回るご注文を頂戴した。が、逆にご注文を全て受けることができず、販売機会をロス
・貸農園は1区画のみ。当初かなり期待していたのだが、大きく外してしまった。
・野菜の直売は、仲間の協力で広島市内での販売を開始。収穫できた時に販売するという、およそ商売からは程遠い形ながら、貴重なチャネルとして機能し始めてた
・学習支援は山里短期留学の形でスタートできた

その他、今期やったことは下記の通り。
・環境省循環型社会のモデル事業の企画提出 → 採用されず
・中山間地域農業保全事業の地域責任者 → 新規で助成金を受ける
・山里短期留学の受け入れ → 親戚の子どもを1週間預かって農業体験&学習支援※期間中で夏休みの宿題をほとんど終えることができた
・beの新規オープンとBe株式会社の代表就任 → この独り言で報告している通り
・就業疑似体験の一環として、be家族会で「1日ジュニアホールスタッフ」を実施 → 4才〜14歳の7名が希望し想像以上に活躍
・農業に妹の民代が参加
・就農希望者の受け入れ
・ニュージーランド、シンガポール中学生のホームステイ受け入れ

その他、今後につながることとして
・約4反の田んぼ(4000平米弱/現田んぼ面積の約80%)の小作依頼あり
・農機具の新規購入。これが高かった。。。

とまあ、こうして書くと何か色々しているように見えるが、ちょこちょこやってるだけで、何一つ大きなことが実現できたわけではない。アレコレしたがるのは自分の性格でもあるのだろう。「これじゃあ事業を大きくできないだろうな」なんて思う反面、丹精込めて作った野菜を快く提供してくれる農家さん、何度も行事に足を運んでくれるご家族、beに集ってくれるお客さん、発起人としてbeを一緒に作り各方面で支援してくれる仲間たちの顔を見るにつけ、どれか一つではなく、全てを繋げて形にしていきたいと強く思う。

beが始まり、何だかバタバタした毎日を送りながら、正直「しんどいな」「もういいだろう」という言葉が頭を巡る時もある。でも折れずにここまでこれたのは「仲間」と「信じているもの」のおかげかな。そして、それを支えているのは健全に機能してくれている体があってこそ。気力は体力に支えられている。小さい頃からしっかり体を動かし、美味しく食べ、しっかり寝ることが大事だと、今更ながらに思う。


と、まあつらつらと書いてきましたが、改めまして今年一年本当にありがとうございました。この1年、本当に多くの方と出会い、ご支援を賜り、多くのことを学ぶことができました。深くお礼申しあげます。

一旦、1月中は「佳穂の週記」「アリ園長の独り言」はお休みし、2月より再開させて頂きます。また、2011年の年会員の募集も2月より開始させて頂きます。行事は4月から、野菜の宅配は5月からのスタートです。(ちなみに、beは1/4から営業開始です)

2011年も皆さまの笑顔に会うことができることを切に願いつつ、これにて年末のご挨拶にかえさせて頂きます。また来年もどうか宜しくお願いします!!

12/20(月) 45.OFF
 怒涛の年末に備えて本日20日は店を休みにした。

 思い返せばシェフを始めみんなよくここまで頑張った。本当にオープンできるのかさえ分からなかったbeが、こうして多くのお客さまをお迎えできているのもスタッフ1人1人の努力の積み上げに他ならない。年末の稼ぎ時に休むなんてもったいないという意見もあるだろう。当初僕も年末まで休日無しを公言していた。

 しかし、実際店に立ち一緒に働いてみて、ずーと同じ調子で働き続けるのは難しいんだなと感じた。マラソンの給水地点みたいなもんで、「ここまで頑張ろう」というポイントがないと走るのがしんどくなる。休みを設けてから「この日まで頑張ろうぜ!」がいつも間にかシェフと僕の合言葉のようになった。

 飲食店である限り、店の稼働日数と時間と料理の単価が売上の上限を決める。経営者としては1日でも1時間でも長く営業したいのが心情。作業・接客をマニュアル化して、一部の人に頼らなくても良い状況を作っちゃえば出来るのかもしれないが、それだとbeではない。まあ、そもそも標準化を検討できるまでは到底至っておらず、今は完全に人に依存状態。ホントみんなが倒れないことを願うばかり。

 営業時間が終わり、翌日の準備で皆が一つのテーブルに集まる時間(だいたい24:30頃)が僕の好きなひと時だ。心地よい疲労感と今日を乗り切った安堵感、そして明日のために仲間と話す。敢えて言わないし、特にワイワイ盛り上がるわけじゃないんだけど、「今日もお互い頑張ったな」という空気感が漂っている。

 それから車に乗り、家に辿り着き、今日が完結する。その時しょうりきの満天の星空に出会えたら最高ですね。

12/15(水) 44.海に飛び込んでみて
 まず前号のクイズの答えから。
 1.上から7行目 ×「子育ってって」 → 子育てって
 2.下から3行目 ×「照明系」 → 証明系
 3.下から3行目 ×「タテ×ヨコ÷2」 → 底辺×高さ÷2


 beがオープンして1ヶ月ちょっと過ぎました。

 11/10〜12/9まで、195組・のべ834人の方にお越し頂き、沢山の笑顔と新しい出会いに巡り合えたこと、本当に有難くとても嬉しく思います。これも多くの仲間の支援・協力と、全力で料理と向き合ったシェフたち、そして料理を運び・下げ・洗い・お客様と接してきたスタッフのお蔭だと深く感謝しています。

 一方、新規オープンという話題性と年末の忘年会需要が要因となって積み上がった数字であり、本当の実力がいかほどのものなのか、まだ全く分かりません。また、小規模とはいえ従業員がいる組織を預かる者として、その責務を果たしているのかを内省する時、胃がキューっと縮みます。

 色々な意見を様々な人から頂戴します。その全てがbeもしくは私に良かれと思って言って頂いていることであり、拝聴しながら心の中で葛藤を続けます。自分が「こうあるべき!」と思っていることが本当に正しいのか、まだその確信が無いのでしょうね。人の顔色なんて気にせずにバーンとやっちゃえばいいのにと、頭では理解しているつもりでも、体が、表情がそう反応しない自分にもどかしさを感じます。

 例えれば泳ぎ方を知らん者が遥か沖の島を目指して海に飛び込み、岸近くで手足をバタバタしながらもがいている。それを仲間が懸命に後押ししてくれている、そんな状態が今の自分です。溺れるが早いか、泳ぎをマスターするのが早いか。周りから「腕はこう上げろ」「バタ足はこうだ」「入水角度はこれぐらいがいいんじゃないか」。それは確かに聞こえるんですけどね。海に飛び込んだ以上、不格好でも必死にもがかなければ沈んでしまいます。

 あっ、なんかしめっぽくなっちゃったけど、こんな状態にならないと成長できない部分があると確信しています。また、これを乗り越えた時、私が、be、そしてスタッフのみんながどうなっているか、、、これは何としても乗り越えんといかんですな。

12/7(火) 43.アリの子育て
 この独り言を始めてもうすぐ2年になる。アクセスカウンターをつけていないので、いったい何人の方にご覧頂いているか皆目見当もつかないが、それでも「見たよー」という言葉をチラホラ頂くようになった。本当に有難いことだ。

 で、前回愚息・俊助のことを取り上げたら予想以上の反響を頂き、何を書いたのか気になった妻が前号を読み、慌てて「これ偽りがあるわよ」との指摘を受けた。という訳で、まず1点訂正をさせて頂きます。
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起床を“5時”と記載しておりましたが正確には“5時半”だったようです。謝してお詫び申し上げます。
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 子育ってって関心の高いことなんだなー(親なら当たり前ですかね)なんて思い、じゃあ今振り返って結果的に有効だったことは何かと考えてみる。それで、思いあたったのがこれ。

 「風呂でクイズ」

 皆さんもお子さんと風呂に入る時に良くされているのかもしれない。僕は俊助・佳穂がしゃべれるようになってこのかた、一緒に風呂に入る時はほぼクイズをしている。盛り上がって気付けば1時間が経過し、妻の嫌味でいそいそ上がることもしばしば。

 盛り上がるコツはゲーム性を持たせること。競わせるのも良いし協力する形式でも良い。時間を決めて答えたり、質問者との勝負っていう手もある。(不正解の場合は1問につき腰踏み50回など)

 そして何よりクイズの内容。簡単なのは、お題を決めてドンドン回答していく山手線ゲーム形式(例えば有政家で植えている野菜の名前などを順番にリズムよく答えていくなど)。知識習得にはかなり有効だと思うのだが、問題は答えの数がそれなりにあって3年離れた兄弟が同じようにこたえることができるお題はそう沢山なく、そのうちネタ切れになること。

 結構使えるのは算数と国語系問題。よくやったのは「“ソウ”と読む漢字を順番に挙げよ」とか、今習っている単元で算数の問題を作ったり。計算問題も良いけど、照明系の問題(例えば、何で三角形の面積はタテ×ヨコ÷2なのか)など。佳穂が説明した後、俊助に解説するなどすれば二人とも参加出来る。

 たまには、子どもたちが勉強している教科書も見てみましょう!

<おまけ>
上記の文章中、3か所間違いがあります。それはどこでしょう?(答えは次週発表します)

12/2(木) 42.車中にてU
 車中で色々考えていると、何だか色んな事を思い出す。今日思い出したのは、かつて自分の部屋に「努力」と刻印された石の板のことだ。

 今でも旧家の何処かに眠っているのかもしれない。たぶん小5の頃、家族で秋芳洞に行った時に父親が買ってくれたもの。帰りにお土産店に立ち寄った際に、何故か父親が「雄一、欲しいものはあるか?」と突然聞いてきて、選ぼうとすると「これでどうだ?」と答える間もなく決めてしまった。(本当は木刀が欲しかった。。。)

 おそらく受験を控えた息子に父親がメッセージを伝えたかったのだろう。一方、僕はこの「努力」という文字が嫌いだった。格好悪いと思った。そして、その板はすぐに部屋の粗大ゴミとなった。中学生になって一人暮らしを始めた時に置き去りにされ、その板の記憶はなくなっていった。

 ところが、今になってこの努力という言葉が身に沁みてきた。俊助にこう言ったことがある。「人間は色んな才能を持っていると思うけど、もし一番貴重な才能を挙げるのなら“努力し続けられる能力”だと思うよ。」彼は小学生の間、ずっと5時半に起きてチャレンジという学習教材をやっていた。学校も1日も休んでいない。僕は本当にスゴイと思った。さぼりがちで、追いつめられないと本気になれない僕には絶対にできない。これは確実に妻の影響だ。

 野球もそう。小学校4年生で野球少年団に入り(同級生のほどんどは低学年から始めていた)、親から見ても大した運動神経が無いように思え、事実当初は下手くそだったが、1年経ち、2年経ちするうちに主軸を担うようになっていった。天賦の才ではない地道な努力で培った力。積み重ねた努力は派手さはないものの、独特の厚みをもって発揮される。

 初めは派手で格好良くても、慣れてくれば普通になる。努力して自身を向上し続けられる人は信頼できる。例えば、営業的センスに恵まれて初めは高い業績を上げても、結果的に業績に波があったり取引先からの賛否が同居する人と、地味でも新しい顧客の開拓を粘り強く続け、取引先をきっちりフォローし、毎年業績を積み重ねている人。その時点では前者の方が業績が良くても、僕が経営者だったら後者に大きな仕事を任せる。

 ひるがえって、これは夫婦関係にもあてはめることができるかもしれない。結婚した当初は格好良くっても、自身を高められなければ、仮に同じ状態をキープできたとしても、そのうち普通になり、いつか停滞していく。妻に10年前よりも成長した自分を感じてもらえるか。。。うーん考えただけで恐ろしくなってきた。

 そうそう、もう1つ言えば、努力する人は、たいがい失敗した時にその原因をまず自身に求める。父親がくれた石板は結構重たいメッセージだったのかもしれないなぁ。

11/25(木) 41.順風満帆?
 オープンして2週間、多くの方にお越し頂き、中には2日に1度ぐらいのペースで来て頂いている方もおり、本当に嬉しいし有難いことだ。

 オペレーションもそこそこ回り始めたし、それなりにお客様にも来て頂いているのでちょっと一安心かというと、実はその全く逆。日に日に不安は増大している。

 まずは今の現状は常態ではないということ。オープン直後のご祝儀相場であって、それが過ぎた時にどういう状態になるのかを想像すると強烈な不安感が襲ってくる。今のうちに打つ手はないのか、今来て頂いている方々に再度来て頂くためにはどうすればよいのか、新たなお客さまにどうやってbeを知ってもらうか。。。ホールに立って接客しながら、片方でそんな問いかけが頭の中でぐるぐる回っている。

 それと、このbeは奇跡のようなバランスの上に成り立っている店であること。9人の発起人とそこから広がった仲間たちという土台と、その仲間たちが連れて来てくれた友人・先輩・後輩がお客様の多くを占めること。立ち上げという魅力に惹かれて集まったメンバー、側面から支援してくれているしょうりきのスタッフ、野菜を良心的に提供してくれる農家さんの存在などなど。

 どれが欠けても今のbeはなく、逆に、どこかが欠ければ一気に瓦解する危険もあるということだ。例えばお客様の一人が強い不満を感じた時、それはその人だけでなく、大多数のお客様や仲間たちも含めて一気にそう評価される可能性がある。たぶん忙しくなればなるほどその可能性は高まっていく。

 また、飲食業はつくづくリスクの多い事業だと思う。食中毒や火事はもちろん、来店中の怪我、現金の取り扱い、厨房機器の急な故障(頻発中)、大型予約の急なキャンセル、風評被害、過当競争、そして固定売上が0円であること。個人相手の商売をしている人には当たり前の話なんだろうけど、長くBtoBのビジネスをしてきた僕にとって、新鮮であり、何と足元のおぼつかない事業構造なのかと愕然としてしまう。

 16:00ごろ店に行って、「店は燃えてないか」「今日もシェフたちは来てくれているか、元気な顔はしてるか」「仕入れた品は届いているか」など、一つ一つ確認する。そしてレジにお金を入れながら、「今日はお客様が来てくれるだろうか」と祈るように思う。

 そんな日々ではあるが、お客様が談笑しながら食事をされている光景を見ると、つくづく「この商売って面白いな」とも思う。

11/16(火) 40.車中にて
 往復で2時間ちょいかかるので大変だろうと友人たちは言うが、車中は一人で考える本当に貴重な時間となっている。あれこれ考えるうちに思い出した話しがある。昔、懇意にしていた会社の創業者のことだ。

 その人は元々腕の良い料理人で繁盛している和食店をしていた。事業意欲の強い人だったのだろう、店舗を増やし、新しい業態の店もどんどん出していった。

 が、そのうち全然お客様が来なくなった。宣伝が足りないと思って奇抜な服装で街を練り歩いたり、豪華な調度品で店を飾ったりしてみたが全くダメ、そのうち経営に行き詰まりいよいよ首を括るしかない状況まで追い詰められた。

 もう駄目だ、、、その人はお寺に行った。すると、いつもお参りするお寺なのに、その時だけ壁に貼られていた文字が目に飛び込んできたらしい。

「人に感謝、ものに感謝」

 ああ、そうだったのか、、、。創業者はこれまでの失敗の本質をその言葉に見出した。おそらく自分で店をしていた頃は来てくれるお客さん一人一人の顔をカウンター越しで見ながら、有難い、何とか喜んでもらおうと思いながら料理を作っていたのだろう。それは様々な形でお客様に伝わっていたはずだ。それが、店舗の数を増やし、色々な業態を展開する中で、拡大自体が目的化し、反比例するようにその店が持っていた本質的な良さが失われていった。

 それで、その創業者は「人に感謝、ものに感謝」をどうやってお店で実現していくかを考え抜き、始めたのが豆腐と湯葉の店。素材にこだわったお手頃な価格の豆腐料理を、小さな個室でゆっくり食して頂く。オープンした途端この店は大盛況し、この会社の飛躍につながっていく。

 僕も商談や同僚とじっくり話したい時にこの店を良く使わせてもらった。畳の香りが心地よい小さな和室。和花を使った生け花、相手との距離感がちょうどよい掘りごたつ、女性の目線に合わせた少し位置の低い日本画。隣の部屋からの声もほとんど聞こえないので壁も相当厚くしてあるのだろう。街中でこれほどくつろげる場所はそうそうない。

 苦しみや悲しみが深いほど、そこで掴んだものは大きい。それは信念へと昇華し、生きていく上でのゆるぎない指針となる。

 ひるがえって、自分はどうなんだろうかと考える。今苦労と思っている事なんて後から振り返れば何てことないのか、もっともっと大きな苦労があるのか、そうなった時に気付く力が僕にはあるのか。

 でも、できれば苦労したくないな。。。

11/9(火) 39.ご配慮無用です
 明日がbeのオープンです。

 ここ最近、色んな仲間から連絡をもらい、10人中9人は「アリ、体は大丈夫か?」と聞かれます。帰りの車中でそのお気遣いに目頭を熱くしながら、独り言に何を書こうか考えます。

 それと「忙しいそうだから、オープンして少しして行くね」という言葉を10人中6人ぐらいからお聞きします。「私が忙しそうにしているから、みんな気遣ってくれるんだな」と思います。

 その後、反省します。もっとドーンと構える度量が自分にあれば、もっと段取り良く進められていればご心配をかけなくても済んだのにな、と思います。少し悲しいです。

 そう言って頂いた皆さんにお願いがあります。そのご配慮は今の私には必要ありません。そして、できれば早いうちに今の私がどんな顔で仕事をしているか是非ご家族で見に来てほしいです。beもそうですが、14日の農業体験もそうです。そしていつもの私がいれば、帰り道にひと言お子さんに言ってみて欲しい言葉があります。

「アリさん、何だか楽しそうに仕事をしていたね」

たぶん、自分がやりたいと思っていることに到達するには、まだ階段が100段ぐらいありそうです。今、その2段目に足がかかりそうな気がしています。楽しいです。

仲間がこの機会を作ってくれて、本当に多くの人のお力を借りて、もうすぐ何かが生まれそうです。2段目でそうならば、100段目になったらどんなことになるんだろうと想像しただけでもワクワクします。

そして、今こうして出会った子どもたちが仕事で自分を表現している大人になっていたら、beでゆっくり話したいです。

11/4(木) 38.中年の夢Y(オープン間際編)
 いよいよ11/10にbeがオープンする。

 ここ2週間、店を開けるための準備を色々やってきた。何せやることなすこと全て初めてのことなので「何が必要なのか」さえ良く分からない状態。我ながら「これで本当に大丈夫なんかいな?」と思ってしまう。何をやっていたのか、メモから抜粋すると以下の通り
・制服、クロス類の確定〜リース会社との契約
・水道、ガス、電気の開通
・ビール銘柄の確定とサーバーの設置
・ドリンクメニューの確定と仕入れ
・店舗保険の契約
・電話、FAX、インターネット回線の開通
・簡易HP、オープンチラシの作成
・おしぼりのレンタル
・ゴミ収集の契約
・スタッフ研修の企画〜実施
・各種食材仕入れ先の確定(5ルート)
・振込口座の新規開設
・厨房機器の新規リース、保守契約
・水回り備品の購入
・ホール回り備品の購入
・音楽の選定、スピーカー&アンプの購入 ※すごいスピーカーが入ります!
・営業許可申請
・クレジットカード会社との契約
・プレオープン用野菜の収穫・仕入れ
・店舗運営方針の確定

こんな時は、「必要か不必要か」「急ぎかそうでないか」の2軸・4カテゴリに分けて優先順位でもをつけないと混乱してしまう。それと、それぞれの項目の手順を明確にしておくこと。ほんと、やること満載なんだけど、結局一つ一つしか片付けられないので、優先順位の高いもの順に「やれば終わる」と心の中で呟きながら、確実にかたをつけることが大切だ。そしてそれを関係者と共有すること。忙しさにかまけてこの共有を怠ると、後々大変になることが多い。これ身を持っての教訓です。(苦笑)

個人的には、この忙しい状況は好きだし楽しい。ただ、「店を確実にオープン日に開けないといけない」というプレッシャーは別物。オープン日に向けて本当に色々な人が動いており、すでに「スイマセン、伸びちゃいました」じゃあ済まされない状態となっている。例えば食材の仕入れ。おそらく当初の仕入れだけで30万円ぐらい必要になりそうだが、もし伸びれば半分ぐらいはパーになるし、その準備と仕込みにかかった労力を考えると大変な損失となる。予約もそう、折角楽しみにして来てくれるのに、急に変更するのは本当に申し訳ないし、先方の期待値も急減だろう。ましてや、1回延ばしているのでもう2度目はできない。

そんな感じで、もうすぐスタートです。11/10には必ずオープンしますので、是非一度お越し下さい!!

10/27(水) 37.次に残すもの
 しょうりきを始めて意識するようになった自分自身への問いかけがある。

 「子どもに何を残したいのか?」

 お金?土地?この自然環境?

 今の僕の答えは「生き方の具体例」と「人の大切さ」かな。自分がしていることを真似をしてほしいとは全く思わないけど、自分の信念を持って切り開いていくことの楽しさや充実感、人とのつながりがどれだけ大事なことなのか、そのためには自分自身を高めて続けていかないといけないことを、そのうち気付いてくれたらそれで良いと思っている。

 皆さんはどうだろうか。

10/19(火) 36.中年の夢X(産みの苦しみ編)
 22日のオープンが難しくなった。

 当初はもっと早くオープンするはずだった。すでに家賃は発生しているので一刻も早く店をスタートさせたいところだが、外装工事で想定外のことが発生したり、それに付随して内装工事も遅れたりで、当初2週間と聞いていたのが倍ぐらいかかりそうな状況。これはハード面の原因。

 ソフト面では大人数でスタートした弊害がここにきて露見し始めた。要は誰か1人に意思決定を集約しなければ決断のスピードと全体の情報集約が進まないということ。それぞれが役割を背負って一生懸命やればやるほど色んな事が発生し、それを全メンバーといちいち共有するわけにもいかず、担当者の中に情報がため込まれていくことになる。

 往々にしていいことは共有し、まずい事はギリギリまで出てこない状況となり、最後に爆弾が出てきてビックリ!ということが起こる。これ、会社組織でもよくあるとこですよね。会社組織なら縦社会で上からの強制執行もあるのだけど、水平組織ではお互いの力関係が拮抗しているので、なかなかそうもいかない。これに利害関係が絡むと相当ややこしくなる。

 もう1つは「自分たちが来たいと思える店にしたい」という気持ちが強いこと。これ自体はもちろんいいことで、それがウリでもあるんだけど、幸か不幸かみんないいヤツなので、それぞれの意見に配慮しすぎて決めごとが遅くなったり、どんどん話しが大きくなって実現不可能となったりして、リセットとなることもしばしば。こうして結果的に時間だけが経っていくことになる。

 こう書くとかなりネガティブに捉えられてしまのだろうが、それも含めて超ポジティブに進めている。今回のbeは仲間で始めたからこそ、こんなこともできるのだ。紆余曲折もある意味楽しみながら進めることができているのは本当に有難いことだ。仲間の一人の決め台詞がそれを雄弁に物語る。「月に1回みんなと美味い酒が飲めればそれで十分だ」

 美味い酒を飲むためには、やっぱり利益が出ていないとイカン。家賃の累積がどんどん利益を圧迫し始めるので、やっぱり早くオープンさせなくては!採用したスタッフも不安だろうし、まだまだ決めないといけないことがいっぱいあるし、、、。

 という状況につき、もう少しオープン日のお知らせをお待ち頂ければ幸いです。正式に決まりましたら、改めて皆様にお伝えさせて頂きます。

10/4(月) 35.中年の夢W(スタッフ集め編)
 箱ができても人がいなきゃお店はできない。当たり前の話だが、どうしても後手後手に回ってしまうのが採用の常。ご多分にもれず be も取り掛かりがギリギリになってしまった。

 まず、何といってもシェフ。実は最も早く動いており、仲間の知り合いルートで何人かにお会いしたが、なかなかピタっとくる人がいない。腕ももちろんながら、立ち上げの不安定な時期なので、あまり安定志向が強かったり、柔軟性が低い人はたぶん長続きしない。腕とチャレンジ精神・柔軟性を兼ね備えた人物なんて本当にいるのか?なんて、かなり不安になっていた時期に奇跡のように適任者が現れた。

 たまたま10月半ばに親会社の都合で閉店するイタリアンレストランがあるという話を仲間の一人が聞きつけ、そこの料理長とシェフにお会いすることができた。たぶん会社都合で閉店しなければ会えなかっただろう人物。我々のようなところに本当に来てくれるのか、内心ドキドキしながら話をした。本来採用は応募者と雇用者がイーブンの関係であるべきだが、状況によってシーソーのように力関係が変わるのも採用の面白いところ。何とか来て頂くことが決まり、これで勢いがついた。

 ホールやバーテンダーは求人誌と求人サイトを組み合わせて募集した。この手は散々やってきたのでお手のものだろうと周囲は思っていたフシがあるが、そんな甘いもんじゃない。しかも一般企業の管理職候補と店舗のアルバイトの採用では方法が全く違う。どうやったら我々のことを事前に理解し、一緒にやりたいと思える人物に響き、応募数もそれなりに確保できるか、これは相当考えた。

 給与とか楽な仕事で釣れば応募数は確保できるのは重々承知ながら、欲しい人物像はその逆。そんな人に響いても手間が増えるだけだ。結局、媒体社から上がってきた原稿をほぼ全て書き換え、応募数が確保できるか最後までドキドキしながら募集を開始した。

 月曜日から求人が掲載されたのだが、初日・2日目は応募がほとんどない。経験則上3日間で約半数の応募者が来る感覚なのでさすがに青くなった。祈るように待っていると、3日目から徐々に連絡が入り始め、結局15名を越える応募者となった。

 とにかく採用は鮮度が命。可能性のありそうな人には速攻で面接時間を取り、なるべく同日に同職種の方にお会いできるよう日程を組む。予想通り原稿をじっくり読みこんでくれた人が多く、一緒に店を作っていきたいという志向を持っている人が多い。お蔭さまで来てほしいと思えた人が採用予定よりかなり多く、泣く泣く絞り込むことになった。

 また、仲間の一人が幼馴染の女性を紹介してくれて(なんと、お花屋さんの経営者)、忙しい時は手伝ってくれるという。人柄やこれまでの経験もさることながら、お店の装飾や集客にもかなり寄与して頂けそうなので、こんな有難い話はない。

 面接の時に、まず be について話すのだが、全く我々のこと知らない他人に店のことを話すのは、自分にとっても本当に役に立つ。なぜ be を始めるのか、どんな店にしたいのか、将来どうなっていくのか、その人にとって be で働くことにどんな意味があるのか。。。

 雇用者側は応募者の一人かもしれないが、応募者にとってはそうではない。一人一人の経験も興味を持ったポイントも性格も違う。それをじっくり聞きながら、説明をさらに重ねる。そんな過程を通じてお互いの接点を探っていく。シェフを迎える時もアルバイトの時も基本的には同じだ。こっちが欲しいと思っても来てくれない可能性もあるし、後からお互い「知らなかった」ということがなるべく少ないように、事前の話し合いは本当に重要だ。採用は疲れるけど、やっぱり楽しい。こうやって何かに惹かれて集まってきた仲間と一緒に1つのことを0から作り上げていく機会は人生そうそうあるもんじゃない。

 人にこだわっても成功する確証はないが、人をおろそかにすると確実に失敗する。

9/28(火) 34.もてなすということ
 たぶん佳穂も週記で書くと思うのだが、先週からニュージーランド(NL)の女子中学生を2人預かっている。いわゆるホームステイと言うやつで、我々はホストファミリーということになる。

 俊助が夏にNLに行ったからというわけではなく、もともと高宮町(例のニュージーランド村があったところです)で受け入れるはずが、受け入れ先が見つからず、なぜかウチに声がかかったという次第。有政んところはモノ好きなので、言えばやってくれるだろうという認識をされつつあるのが若干気になる。まあ、それも良しとしよう。

 年頃の女の子だし、どうやって盛り上げるかいなと思案するも、いつもの農業体験系はウケそうにもないし、しゃべりで笑わかせることも僕の英語力では到底無理、まあ、とりあえず人数が多ければそれなりになるかもと思って、地元の中学生を5人ほど呼んでウェルカムパーティーを手巻き寿司でやってみた。

 しかし、残念ながら寿司を珍しがる様子もなく、男子中学生は身内で盛り上がるばかりで、なかなか彼女たちと話そうとしない。しかもほとんど食べないし、心配になってNot Hungry?なんて聞いてみるものの、反応がイマイチ。「えーい、ままよ」と自分に言い聞かせて英語でしゃべってみたが、いかんせんこちら側の理解力が乏しく会話が続かない。言葉が伝わらないのがもどかしいのだろう、困った顔で僕の理解できる単語を考える仕草に申し訳なくなった。

 ただ、会話の中でNLでは“ウノ”が二番目に有名なカードゲームだということが分かった。(ちなみに一番は“Go Fish”)やるかと聞くと「ヤー」という。それで日本の中学生どもも参加して大ウノ大会となり、これが一番盛り上がった。やれやれと胸をなでおろし初日の夜は終了した。

 そんな感じで始まったホームステイだったが、こちらが気回しして何かしようとすればするほど、困った表情が増えるのが気になった。彼女たちも頑張って付き合おうとしてくれるのだが、したくもない事をするのは疲れる。その状況はこっちも疲れる。まさに有難迷惑なんじゃないかと思い、途中からなるべくあれこれ言わず、普段通りの姿で接するようにした。

 それが良かったのか、徐々にリラックスした空気が流れ始め、結果的に会話も弾むようになった。特にターラ(もう1人はションテール)は前のホームステイ先ではホームシックでよく泣いていたらしいのだが、ウチではそんなことはなく、3日目ぐらいから笑顔も多くなってきたのが嬉しかった。

 来客があると「何かしてあげなくては」と思うのは人の常。サービス精神旺盛な人ほど色々したがるし、気になることがあれば、先回りしてやってあげようとする。でもそれが結果的にリラックスできない状況を作っていることもある。ほったらかしはダメだけど、「来てくれて本当にありがとう」という気持ちと、ゆるやかに見守りながらも、その人のしたいように振舞ってもらうこと、それを自然体で受け入れることが良い空気を生むんだと感じた。

 ターラ、ションテール、本当にありがとう。お蔭さまで勉強になった。そして、彼女たちの将来にとって、ここで過ごした5日間がちょっとでも意味のあるのもになってくれれば嬉しいな。

9/22(水) 33.中年の夢V(研修半ば編)
 研修3日目ぐらいから、ようやくちょっと冷静にお店を見ることが出来始めた。

 お客様の様子、フードとドリンクの注文残量、洗い物の状況などを頭に入れながら、自分がすべきことがなんとなくわかるようになってきた。それを察してだろう、「アリさん、今〜〜という状況なんで、こうした方がいいですよ。」なんて、補足するように店長があれこれ教えてくれるようになった。ユウヘイくんホンマにアリガトウゴザイマス。

 ホール・洗い場・会計は一通り覚えたので、今度はカウンターバーの中の仕事を少しずつやるようになった。まず下っ端は洗い物。空いたグラスがどんどん出てくるので、カウンターの中で洗うのだが、目の前には座っているお客様がおり、厨房内の皿のように一心不乱に洗うわけにはいかない。たまに会話の一つも交わしながら、繊細で可憐なグラスを注意しながら洗う。で、案の定「ガシャーン」という音と共にワイングラスを早速割ってしまった。スマンスマン。これによって洗い物をいっぺんにやると割れるリスクが高まることを学んだ。

 で、次は生ビールの入れ方を教えてもらう。実は学生時代にバイトしていた居酒屋で散々入れていたので内心「これは大丈夫」なんてタカをくくっていたのだが、さすがバーと居酒屋では入れ方のこだわりも違う。クリーミーな泡でビールを閉じ込め、かつ理想の泡比率を習得するために、2杯分無駄にしてしまった。ウーもったいない。

 カウンターバーに立つと、また見える店の景色が違う。見えるというより見られている感覚。バーテンダーは店の花形であり、店の雰囲気はバーテンダーの影響が大きい。まだ到底そこまではできないので、当面は生ビール担当が精一杯だな、なんて考える。ということは、やっぱりバーテンダーを一人雇う必要があるな、すると人件費がこれぐらいアップして、、、どんどん考えごとが膨らんでくる。

 と、その時電話が鳴って、今度店を一緒にやるメンバーたちがこれから店に来るとの電話が。まあ冷やかし半分だろうが、よりによって土曜日の一番忙しい時間に来なくても(事実この日は予約だけで満席だった)、などと思いながら、お店の客層とは明らかに違う面々をカウンター越しに接客する。結果的にカウンターでお客様と会話する練習になった。お店の売り上げも増えたし、みんなアリガトウサン。

9/13(月) 32.中年の夢U(研修開始編)
 「俺が店に立つ!」と息巻いてみたものの、冷静に考えたら飲食店のことなんて全然わからない。

 店の雰囲気を作るのはやっぱりスタッフだろう。それが素人のおっさんで本当に大丈夫かいなと思ったら急激に不安になって来た。幸い仲間の中に飲食店の経営者がいるので、お願いしてしばらく働かせてもらうことにした。

 席数30席強、テーブル席とカウンターバーのあるダイニングバーで料理は創作イタリアン。客層は30歳前後が中心なので年齢がひと回り違うが、規模的にも内容的にも我々がやろうとしている店舗と近く、学ぶにはうってつけの店だ。

 研修を兼ねて働くと言っても、お客さんから見れば店の人。もちろん研修生とか初めてこの店舗で働くなんてお客さんには全く関係なく、なーんも知らないおっさんスタッフがあたふたしている構図なんてことになったら洒落になんないな、なんて考えたら猛烈に緊張してきた。

 まあ、今更どうこう言ったってできることが変わるわけでもないし、幸い日曜日だし少しはお客さんも少なそうなので様子を見ながら徐々に覚えていこうと思っていたが、これが甘かった。5時半の開店前から来店があり、しかも15人の予約も入っており、その上通常4.5名のスタッフで回しているのに、この日に限って3人しかおらず、初っ端からオーダーを取りに行かないといけない状態になった。

 20:00には予約のお客様が入って満席になり、矢継ぎ早にオーダーが入る。厨房からは料理ができた合図が、カウンターバーからもドリンクがどんどんあがってくる。お客さんが帰ったら速攻で片付けて、テーブルをセットして、お待ち頂いているお客さんを案内。そのうち厨房からは、スモークサーモンとモッツァレラチーズが無くなったので、その関係の注文は取らないでくれとの指示があったり、あっちのテーブルからはメニューを持ってきてくれとの声がかかり、空いた皿を片付けないと次の料理がおけないし、洗い物はその間どんどんたまってくるし、会計をしないといけなかったり、料理がなかなか出ないお客様のフォローをしたり、、、etc

 結局23:30頃まで満席が続き、マッハで時間が過ぎていった。トイレはおろか水を飲む余裕もなく、ようやく一息ついたのが0:00時過ぎ。その後もカウンターバーを中心にお客様は切れず、全てのお客さんが帰ったのが3:00、それから洗い物や店内の清掃など諸々があって結局全てが終わったのは4:30過ぎだった。

 料理長から「今日がアリさんがいてくれて助かった」と言ってくれたのは本当に嬉しかった。それと、店長から客が引けた後「お疲れさんでした。アリさん飲みますか?」と差し出されたビールが飲めなかったのが本当に悔しかった。(車で家に帰らないといけないので飲めなかったのです)

 こうして始まった研修。今後どうなることやら。

9/7(火) 31.中年の夢
 トップページのNEWSでも一部ご案内したが、並木の店の話が具体的に進み始めた。。

 ことの発端は、並木のど真ん中にある飲食店が諸事情で居抜きで空いたことから始まる。その店舗を手掛けたデザイン会社やらビルのオーナーやら諸々関わる方々はおられるのだが、ここでは割愛。要はその店舗を使って面白い事をしてみないかという話が僕の友人たちの所に来た。

 元々飲食店に興味があり、どうせやるなら普通じゃ面白くないよね、なーんてあれこれ話しあっているうちに、アリ(仲間内ではそう呼ばれています)のとこの野菜を使った店なんてどう?ってな話になり僕に声がかかったという次第で、これが6月末の時点。

 うちの野菜宅配をさせてもらっており、僕のことを何とか応援したいという気持ちも根底にあっての話であり本当に有難いことだ。僕としても、我々(もちろん協力農家さん含む)が一生懸命作った野菜を多くの方に食べて頂きたい、結果的に高い付加価値のあるものとして認識されたい、しょうりき山里公園との相乗効果が生み出せる可能性など、市内のど真ん中にそんな店舗があることの意味・意義を強く感じた。

 であれば、思いやストーリーをダイレクトに伝えたい。そのためには僕自身がお店にいることが重要になると思い、仲間に「俺が店に立つ」と申し出た。大学時代に居酒屋の店長代理みたいな仕事をしたことはあるが、それ以降はもっぱら利用客としてしか飲食店には関わっておらず正直不安だらけだけど、これは何としても乗り越えるしかない。幸い飲食のプロも仲間に加わってくれたので本当に心強い。

 自分の店を持ちたい、仲間が集まれる場所を作りたい、並木通りを変えたい、美味しい料理でワインを楽しみたい、野菜の新しい流通を通じて地元農家に寄与したいなど、仲間それぞれの夢を乗せてもうすぐお店がオープンする。

 それぞれの世界で活躍する仲間たちが、夢のある大人たちが集い、くつろぎ、語り、繋がっていく。そんな舞台装置にこの店がなれば良いな。

8/31(火) 30.若者の夢
 先週末、就農を考えている若者が我が家にやって来た。

 とはいえ、そもそも僕にはまだ農業の技術や経営を教える技量はなく、力になれるとしたら人を紹介することぐらい。幸い協力農家さんの中に最近新規就農をした人がいるので、2人の農家さんを紹介した。

 浜井さんは会社員からの転身組。全く縁もゆかりもない三次市三良坂町に土地付きの家を買い、家族5人(現在は6人)で1からスタートした新規就農者だ。就農するまでの過程や自治体やJAの話、農業収益や生活設計に至るまで、資料を用意して詳しく説明してもらった。

 また、末重さんは農業大学校卒業後、実家の農地を活用して新規就農した人。栽培計画や管理手法、育苗・施肥・農薬のことなど、学校で学んだことと実践で身につけたことを織り交ぜながら、圃場を見学しつつ、これまた詳しく説明してもらった。

 忙しい中、すぐに自分の利益になるわけでもないのに、これまで自ら会得してきたことを惜しげもなく伝えてくれたことに深く感謝しつつ、同じ目標を持つ人間の「同士意識」的なものを感じた。厳しいかもしれないけど、何かの思いがあってそれに挑戦している人間にとって、同じような目標を持っている人間がいることは嬉しいものだ。頑張って欲しいし、そんな人を見ながら自分も初心に戻って頑張らなくてはと思う。

 結局、2人の農家さんにあった後は、スタッフとしてウチの農作業や稲刈り行事の手伝いを2日間してもらった。本当によく気のきく若者で、すぐに家族とも馴染み、行事でも貴重な戦力となってくれた。帰り際、「またいつでも来いよ!」と言ったのはスタッフ全員の本心だし、そんな予感をみんなが持ったのだろう。湿っぽくもならず、非常に爽やかな別れだった。

 真剣に自分の人生と向き合っている人は磁力がある。そんな彼には、僕が前職の社長からもらった言葉を送りたい。「人間、本気になれば大概のことはできるよ。」お互い頑張ろうね、川口くん!

8/24(火) 29.立場変われば
 皆さん、猿はお好きだろうか。

 そもそも好き嫌いの対象じゃないのかもしれないけど、人間に次ぐ知能・子猿を腹にぶら下げて歩く姿・芋洗いのしぐさなど、全般的に好印象で捉えられている動物だろう。それでは鹿はどうか?タヌキは?モンシロチョウは?

 そう、上記は農家から見れば全て大敵である。特に猿は非常にたちが悪い。高い柵をしても乗り越えるし網で囲んでもはぐる。高い知能・学習能力を有し、盗むことを楽しんでいるのではないかとさえ思ってしまう。社会性があり、近くの農家さんの話では昼休憩にちょっと家に戻った20分ぐらいの間に大仕事をするそうだ。見張り役がいて、人が畑から居なくなったらご一行様に知らせて、収穫直前の美味しいものだけを集団で奪っていくのだという。

 僕がまだ小さかった頃に何度か山で見かけた記憶があるのみで、その後この辺りに猿が出ることはなかった。白木地区(安佐北区)にはよく出没して農作物に大きな被害を与えていると聞いていたが、山を越えてこの地区まで遠征するようになったようだ。もしかしたら集団が分裂してこちらに縄張りを築きつつあるのかもしない。

 そして、とうとうウチにも被害が出始めたようだ。まだその姿は直接見ていないけど、カボチャの数がどんどん減ったり、キュウリがなくなったりしている。母が作業中に鳴き声を聞いたという。5月に植えて色々手を掛けて育てて、さあ収穫だ!と思っていた直前にかすめ取られる。金銭的も精神的にも非常に辛い。猿を育てるために苦労して野菜を作っているわけではないのだ!!悪気があるわけではなく、生きるための行為だと分かっていても、許せない感情が沸き起こってくる。

 電気を流すタイプの柵をすれば侵入は防げるらしいが、莫大な費用と、それだけしても完全に防げる保障など無い。何せ学習能力の高い動物なので、一度弱点を見つけられるとそれでオシマイである。猿に一度狙われると畑が全滅するので地元のお年寄りは名前を言うさえはばかる。この地区では猿のことを「人のような奴」とか「例のあれ」とかと呼んでいる。

 猿山で見る猿は可愛いが、畑で見る猿は憎悪の対象以外の何物でもない。鹿もしかり、タヌキもしかり。こいつらがいなければ野菜作りがどれだけ楽か、コストをどれだけ下げられるかと思っちゃう。この立場にならなければ、この可愛い動物たちをそう思うこともなかったろう。

 まあ、ピンチの裏にはチャンスがあるらしいので、逆手に取る方法を思案してみるとしよう。

8/18(水) 28.猛暑爆発!
 只今午後13:40。部屋の中にいても熱風が湧き上がってくる。ここまで暑いと日中は作業ができないので、デスクワークをこの時間にするのだが、全く集中できず思うようにはかどらない。

 猛暑日連発で夕立も降らず、水不足で野菜ができないと小早川さんが嘆いておられた。雨ニモマケズの「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」の心境が良く理解できる。ジョロで撒けばよさそうに思うが、少々の水では到底足りず、雨が降るのを願うばかり。ほんと、雨乞いの一つもしたくなる。

 春先は気温が下がって野菜が不作で、夏前は大雨が続いてこれまた不作、夏に入ると今度は雨不足だ。異常気象という言葉を聞くたびに、異常な状態が実は常態なのではないかと思ってしまう。一度ぐらいは「例年通り」の気候にお目にかかりたいものだ。

 まあ、天気にあたってもどうしようもないので、ちょっと元気になるようなネタを探してみる。

 そうそう、暑いとはいえ、夜はかなり涼しくなってきた。日中の気温は同じでも、田舎はアスファルトやコンクリートが少ないせいか気温の下がり方も早い気がする。そういえば、昨日初めてコオロギの声を聞いた。この音色があるとぐっと秋っぽい感じになる。

 昨日は「認定農業者」の申請をすべく市役所に行った。(※この認定が取れると資金調達が容易になります)自分の事業計画をそれなりにまとめて持ち込むと、何だか興味を持って頂いたようで、同じような思いを持っている市内在住者を紹介してくれるという。その他牛の放牧など色々な情報を頂くことができた。

 土曜日は飲食店の視察に松山に日帰りで行く予定。並木に出店する店の参考にするのだ。野菜ソムリエの資格も取ろうと思っており、協力農家さんも大幅に増やさないといけないし、秋野菜の準備もあるし、まあ、考えてみればやること満載!やることがないよりあった方が元気になれる。

 さあ、午後ももうひと頑張りしよう!

8/10(火) 27.山里合宿スタート
 親戚のお子さんを3人(小5・小3・小2)預かって山里合宿がスタートした。

 1日のスケジュールはこんな感じ。
 6:30 起床
 6:30〜7:30 朝食・歯磨き
 7:30〜10:30 農作業
 10:30〜11:00 自由時間
 11:00〜12:00 勉強タイム
 12:00〜13:00 昼食
 13:00〜15:00 勉強タイム(※早めに終わった人は読書)
 15:00〜17:00 自由時間(川遊びなど)
 17:00〜18:30 手伝い(各自の役割あり)&順次入浴
 18:30〜19:00 夕食準備
 19:00〜20:00 夕食&後片付け
 20:00〜21:00 せんたく干し、終了後自由時間(星を見に行ったりしてます)
 21:00 就寝

 まずは、しょうりきのルール説明。【1】大きな声であいさつすること、【2】分からないことがあればすぐに聞くこと、そして合宿中はみんな家族なので【3】遠慮せずに言いたいことはハッキリ言うこと、【4】家族として生活するための役割分担があること(手伝い)を伝え、それぞれの役割を決めた。

 それと、残っている夏休みの宿題を聞いて、それを5日間で等分し1日の勉強量とした。それをクリアすれば勉強時間は自由時間になる。ただし、やるだけではだめで、後から私か妻がチェックし、間違っているところや丁寧に書いていないところはやり直し、分からないところがあればすぐにどちらかに聞くようにした。

 本日で3日目、“体は丈夫で勉強嫌い”と聞いていたのだが、勉強は想像以上に頑張っている。午前中の農作業の後も、休憩を取らずに「早く勉強を始めたい」と言ったのはこちらも驚いた。1日の目標を決めて、それをクリアしていくことに楽しさを感じ始めているようだ。初日、時計(60進法)が理解できずに泣きながら宿題をしていた子も嫌がらずにやっている。

 それと、農作業。今回は里山整備で小木の間伐をノコギリでやってもらっているのだが、これもかなり頑張っている。初めはノコギリの使い方が分からず腕が疲れてヘロヘロになっていたのに、コツを覚えると楽しくなるのだろう。立派な戦力として間伐が相当進んだ。(今度アリ山パークに来て頂ければ、彼らの仕事ぶりを見て頂けます)明日は竹炭用の竹を伐採する予定だ。

 問題は自由時間の過ごし方。TVゲームで時間を過ごすことに慣れた子どもたちは、ゲームがない環境での自由な時間の過ごし方に戸惑うようだ。それでも放っておくとボールで遊んだり、川に行ってみたりと、それなりに遊び方を考える。遊び道具がなくても考えれば楽しめることはいっぱいある。明後日は山登りでもしてみようかと考えている。

 合宿が終わった頃、子どもたちにどんな変化が現れるか本当に楽しみだ。

8/4(水) 26.まとまらん話
 7月末に公共施設でのキャリアカウンセリング業務を終了し、さあ8月から事業に専念し、バリバリと農業に行事に店の準備に勤しむぞー!なんて息巻いていたが、全然思ったように仕事が進まない。

 時間的な余裕がない時の方が、逆に一つ一つに集中し、質的にも良かったように思う。新たに買った本も積まれたまんま、農機具の取扱説明書ももう一度しっかり見ておく必要があるし、農家さんのネットワークをもっと広げなくては話になんないのに、どうもトロトロしてしまう自分に腹が立つ。もちろん、日々日々の農業もせんとアカン。

 エーイと、外に出ると灼熱地獄。11:00〜15:00頃までは到底農作業できる状況じゃないんだけど、それでもデカイ麦わら帽子で日除けをしてサングラスをかけ(目から入る光が思った以上に疲れを誘発するのです)、1時間も作業をすれば尋常じゃないぐらい汗が吹き出し、なんだか仕事をしたような気分になる。このお蔭でビールは以前より相当旨い。飲む頻度も増えて家族からは嫌味を言われたりする。

 今日、具体的に何をやるのかを決めるのが難しい。農業・宅配・行事・お店、、、どれもまだ手探り状態で、いま何をする必要があるのかが判断できない。年間を通じてやるべきことが整理され、それぞれの仕事をルーチン化するには相当時間がかかりそうだ。まあ、唯一ルーチン化しつつあるのはHPの更新ぐらいか。

 妙に時間があると、要らぬことばかり考えてどうもいけない。いや、本当なら時間的余裕なんてないはずなのに、やるべきことが決まらずオロオロしているようじゃツマラン。今日の文面のような、まとまらない日々とそろそろ決別しなくては。

7/28(水) 25.過保護社会
 高校生の就職難が取り立たされ、呼応して政府・自治体の支援策が強化される。テレビでは就職先を確保するために奔走する教師が特集されている。営業マンさながら企業にアポ取り電話をして求人をかき集め、学校に帰ってまだ就職の決まっていない生徒と面談し、入念な面接対策をする。お蔭でこの高校は就職率が高いそうだ。

 他方で、高卒者の入社3年後の転職率は4割を超えている。さしたる経験も積まずに辞めてしまうと、次の就職先に苦労する。結局入りやすい会社(≒離職率も高い)に入って転職を繰り返したり、フリーターやニート化していく若者を何人も見てきた。

 今年、広島県の就職希望高卒者で、現在も未就職な者が200人強いるという。これを取り上げた新聞記事の締めくくりが「学校現場でもっときめ細かい就職指導を徹底すべきだ」という論調。テレビのニュースでもコメンテーターが同様のことを話していた。可哀想な高校生にもっと手を差し伸べるべきだ、確かにその方が世間受けは良いだろう。

 ちょっと待った。それで本当に課題は解決するのか。周囲がお膳立てすればするほど依存体質が強化されていく。自分の意思なくたとえ運よく就職できたとしても、ちょっとつらいことがあれば辞めてしまう。困ったら誰かが何とかしてくれるという幻想を抱きながら。

 でも現実は甘くなく、自分の不遇を他者(たいがいは、世間・世の中・政治・学校・親・会社)のせいにして、自ら進んでいこうという強い意志を持てずに堕ちていく。政治が悪い、学校が悪い、会社が悪い、、、こんな言葉を聞くたびに、この国の依存体質が透けて見えて悲しくなる。依存するから応えてくれない相手に文句を言うのであって、そこに自ら進もう・変えていこうという意思は存在しない。

 小学校の裏庭でムカデが出たので、そこで遊ばないように立ち入りを禁止すべきだと親が騒ぐ。子どもの就職活動に親がついて行く、こんな調子で過保護状態に長く置かれたら依存体質が強化されて当然である。フリーターやニートは過保護社会の犠牲者なのではなかろうか。

 もっと早い時期に自立を意識する機会や、働くことの意味を考える場を設けないとダメだ。就職間際になって考え始めるようでは遅すぎるし、その場しのぎの対処療法で解決する問題ではないと思う。

7/21(水) 24.星降る夜にU ※Tは昨年のバックナンバーにあります
 19日の夜は天の川がものすごいきれい見えた。

 梅雨明けの澄んだ空気、雲一つない空、月の出ていない時間帯など、いくつかの偶然が重なるとこんな星空が現れる。これを行事に出来たらどんなに良いかと思うのだが、不確定要素が多すぎて無理なのが悔しい。それぐらい美しい光景だった。

 不思議なもので、忙しくなればなるほど思いっきり遊びたくなる。ボーっと出来ないのは昔からの性分で、たぶん楽しいことに集中しなければ、仕事から意識を切り離せないのだろう。釣りしかり、子どもとの遊びしかり、麻雀もそうかも。そうやって自分のバランスを取っているような気がする。

 この日も、前々日のお中元発送、前日の行事、当日の野菜宅配準備と連チャンであれこれすることがあり、ようやく一段落ついたのが深夜1時、さすがに子どもを起こして遊ぶわけにもいかず、さりとて本を読む気にもなれず、たまらず外に飛び出して、前出の天の川に出会ったという次第。

 夜空を見上げて、初めは細長い雲かと思ったのが、よーく見ると無数の小さな星が塵のように集まって帯をなしていた。(ちなみに私の視力はいまだ2.0です)もっとよく見ると、中央ライン付近は星の数が少なく、天の川の中に黒い川があるように見える。

 首が疲れるので、そのまま道路に寝そべると背中がじんわり温かい。昼間アスファルトにたっぷり貯め込まれた熱がじわじわ放出されているのだ。そういえば、小学生の時も、まさにこの場所でよく寝そべって星を見たものだ。年上の従姉が「宇宙は膨らんでいるらしいよ」「じゃあ、膨らんでいる外はどうなってるんじゃろうか?」「・・・。」てな会話をしながら、想像を越えた存在を宇宙に感じた。

 そうそう、その頃カール・セ―ガン(米国の天文学者)の「コスモス」という本と、それを題材にした番組に夢中だった。隕石で恐竜が滅んだことや(当時はまだ諸説の一つだった)、ブラックホールがどんなものなのかなど、ワクワクしながら何度も本を読み返したのも、きっかけは美しい星空だ。

 そんなことを考えながら5分ほど寝そべっていたが、蚊が集まり始めたので退散。家に帰るとあっという間に爆睡した。

7/12(月) 23.神様の前髪
 ずっとずっと考えても出ない結論もあれば、一つの出来事で瞬時に大きな変化が起こることもある。思い起こせば、大きな意思決定をする際に、一つの出来事が重要な役割を果たしてきた。

 まずは結婚。当時妻は北九州、僕は大阪で仕事をしており、僕が福岡に転勤になったことが契機となった。転勤が決まった当日、僕は初めて妻の職場に電話をした。25歳の時だ。

 次は転職。その頃は人材開発部門の責任者をしており、教育プログラムを考えたり講師をやったりと、それなりに忙しい毎日ではあったが何か満たされない感覚の中で過ごしていた。そんな時、会社を興した福岡時代の上司と久しぶりに飲んだことが契機となった。

 元々小さな組織で様々な仕事に携わりたい、会社の成長を中心となって実現したい、なんて思いで社会人になったはずなのに、いつの間にか入った会社が大きくなり、その中で出世するために仕事をやっている自分に気付いた。その日の夜、僕は妻に会社を辞めることを伝えた。これは31歳の時。

 そして今回、友だちが並木通りのど真ん中で店を持つという。野菜中心のメニューを考えているので、もし興味があるのなら一緒にやってみないかと声を掛けてくれた。1週間前のことだ。

 1年半前に東京から帰って来て、農業体験や野菜の宅配をしているのはご存じの通りだが、実はそれでは到底生活が出来ないので、1年前から平日は公共機関でキャリアコンサルティングの仕事をやっている。元々好きな仕事だし、週末の行事や野菜作りも滞りなく出来る体制は整えたので、この状態を続けるのも悪くないかもと思いはじめていた。

 が、今回の出来事は自分の中で大きな音をたてて弾けた。自分が生涯をかけて取り組むべきことの突破口が見えた感じ。まだまだ洞窟の先からこぼれる一筋の光だけど、その光が自分の進むべき道を照らしてくれる。自分がやりたかったことを、これがあれば全て繋げることができるかもしれない。「今がその時だ!」すぐに妻・子ども・両親に事情を説明し、翌日には今の仕事を7月いっぱいで辞めさせて頂きたいと伝えた。

 2年前の今頃、広島に帰ることを決めた時に大きな意思決定をしたつもりでいたが、実際はそうではなかった。帰って来て1年半、結局ずっとずっとWhatを考え続けてきた。色々なことを試してみたのもWhatを決めるプロセスだったのだろう。今後はようやくHowを考えるプロセスに入ることが出来そうだ。

 本気で考えていれば必ず転機となる出来事は起こる。たぶんそれは考えている自分自身が誘引しているのだ。そして掴んだ出来事の正体がチャンスの神様の前髪か悪魔の尻尾だったかは、後になって判明する。

7/7(水) 22.頭の中の整理
 今日は七夕ですね!たまには夜に空を見上げて、天の川を見るのも良いものです。

 さて、話はがらっと変わります。

 今年は“やる価値のありそうなこと”を色々試してみようと決めて、あっという間に半年が過ぎた。畑の面積を広げ、貸農園と贈答を始め、市内の料理店に野菜を出荷し、環境省の循環型社会事業に応募し、農水省の中山間地保全事業の地元の取りまとめをやってみたり。

 弱者があれこれ手を広げるのは愚の骨頂、1点突破が常道なのに、どうしても可能性を追いかけたくなる。まあ、何をするにも試行錯誤なので、それはそれで必要なプロセスなんだと信じたいが、やればやるほど何をしているのか分からなくなるのも、これまた事実。

 事業としてやっていくためには「我々はコレ也!」と短ワードで言い切れるものでないとダメだ、どうすれば分かりやすくなるか?、色々やっているように見えるけど、自分的には全て繋がっていることで切り離しがたいし、野菜のロスを出さないための方策も考えておくべきだし、稼働しない時間はなくしたいし、将来の芽も育てたいし・・・と、いつもの堂々巡りが始まる。

 散々考え続けていることなので、今更“目から鱗”なんてことはなかなか起きない。いつの間にか重箱の隅をつつくような状態になり、「やっぱり俺じゃ無理なのではないか」なんて、ネガティブモードに入ってくる。そんな時は誰かに話を聞いてもらうに限る。できれば利害関係のない、客観的に見ることが出来る人。更に数字や理屈で物事を見れる人であれば最高である。

 先日、そんな人に話を聞いてもらった。同級生の気安さもあり、思いつくまま、脈絡なくあれこれ話していると、あっという間に2時間が過ぎた。忙しいのに最後まで付き合ってもらって本当に感謝。

 しかし、頭の中でまとまらないことも、口に出すとなんとなくまとまってくるから不思議だ。箇条書きにしたり図にするのも考えの整理には有用だが、決定的な違いは反応する相手の存在だ。相手からの質問や感想がフィードバックされ、整理だけでなく、新しいアイデアや考えの昇華に結び付くこともある。

 今回は、法人化するかどうかを相談したのだが、言われた一言を今でも頭の中で反芻している。
 「借金すれば本気になると思うよ」

 悩んだら誰かに話をしてみること。持つべきものは友ですね。

6/29(月) 21.裏付け
 たまたま朝のNHKで興味深いニュースを目にした。

 独立行政法人の国立青少年教育振興財団(存在すら知らんかったです)というところが、子どもの頃の体験が大人になって及ぼす影響について調べたという話。自然体験や地域活動が、将来的にやる気や人間関係の形成に好影響を及ぼすというものだった。

 すごく気になったので早速調べてみた。調査研究報告が同財団のHPに出ており、予想通り非常に興味深い内容だった。小学校〜高校生:11000人、20代〜60代の成人:5000人へ質問紙調査をしており、精度はかなり高いといえる。以下抜粋させて頂く。

【調査の目的】
子どものころの体験を通じて得られる資質・能力を検証し、人間形成にとってどの時期にどのような体験をすることが重要になるかを明らかにすること

【体験を通じて得られる資質・能力】
■意欲・関心 ■自尊的感情 ■共生感 ■職業意識 ■規範意識 ■人間関係能力 ■文化的作法・教養

【結果の抜粋】
1.子どもの頃の体験が豊富な大人ほど、やる気や生きがいを持っている人が多い
2友だちが多い子どもほど学校好き、憧れる大人のいる子どもほど働くことに意欲的
3.小学校低学年までは友だちや動植物とのかかわり、小学校高学年から中学生までは地域や家族とのかかわりが大切
4.年代が若くなるほど、子どもの頃の自然体験や友だちとの遊びが減ってきている

 どうだろうか、直感的に「確かに!」と思える結果ではないだろうか。かなり詳細なデータが出ているので、もしご興味のある方は http://www.niye.go.jp/houkoku_srch/chosa_cts.php?insid=110 でご覧頂きたいと思う。

 例えば、小学生に通う前の「自然体験」と「人間関係能力」の関係について、このようなデータが出ている。自然体験が多いと人間関係能力が高い人の割合が48.7%、逆に自然体験が少ない人は人間関係能力の高い人の割合が26%になる。結構ショッキングな差だ。その他家族行事の影響や体験と学歴との相関なども出ている。

 なんだか自分が考えていたことが、データとして裏付けられたようで嬉しい。こんな調査をしてくれるのなら、無駄の権化のように言われている行政法人も必要だなー、と思う自分はジコチューなんだろうな。

6/21(月) 20.真剣勝負
 ワールドカップで連日寝不足気味だ。

 日本戦に限らず、どの試合も国と国との威信をかけた真剣勝負。その緊張感の中で繰り広げられる技や力のぶつかり合い、駆け引きをライブで見るのは本当に面白い。

 対比しては申し訳ないが、この時期日本のプロ野球はイマイチ見る気がしなくなる。応援するチームが弱いことも一因だったりするけど、塁上で交わされる敵同士の談笑や、チャンスで打てなくても平然と引き上げる打者を見ると、どうも応援熱が冷めてしまう。

 同じ野球でもワールドベースボールクラシックは面白かった。日本と韓国の決勝は農作業を中断して見てしまったぐらいだ。接戦の終盤、極度に緊張感の高まった状況だからこそ、ヒット一本で喜びが爆発する。高校野球もそう、負けたら終わりの緊迫感の中で精一杯のプレーを見るのは本当に気持ち良い。

 先日の小学生ハンドボールの公式戦を見に行った時も楽しかった。残念ながら負けてしまったけれど、初めてハンドの試合を見に来た父兄が、必死に球を追い試合の中で成長する子どもたちを見ながら、しきりに「面白い」と言っているのを聞いて、我がことのように嬉しかった。

 競って優劣を付けることを是としなくなった時代だからこそ、真剣勝負の勝った負けたの経験は、後々個人の財産になるのではないかと思う。練習では出来るプレーが試合では通用しなかったり、試合中に試したことが成功し、それが大きな自信になることもある。

 真の実力は真剣勝負の中で計られる。それが理解できないと練習が活きた時間にならない。試合に子どもを出したがらない親もいる。負けて自信を失ったり、怒られたりすることもあるだろう。でも、それより真剣勝負だからこそ得られるものに着目して欲しいと思う。
6/14(月) 19.釣りの思い出
 この前、本のことを書いていて、開高健がアラスカで釣りをしている親子のことを描いた場面を思い出した。

 子どもの竿に大きなサケがかかって大きく曲がっている。河に引きづり込まれそうになっている子どもの後ろから父親が「ああしろ、こうしろ」と口は出しているが、手は一切出さずに見守っているというシーン。

 やったりとったりが続いたが、どうにもならないと思ったのか、子どもがいきなり竿を担いでそのまま河岸から反対方向に走って、大きなサケを川岸まで見事に引きづり上げた、という話。子どもが満足げに親に魚を見せているのが目に浮かぶようである。

 僕は防波堤で釣りをすることが多く、子どもの竿に魚が掛かって父親が助けている場面にもよく遭遇するが、そういえばほとんどの場合は親が子どもの竿をもって巻き上げている気がする。アラスカとの対比でいえば、“口は出さずに手を出している”状態。ひどい時には子どもの竿を取り上げていることもある。一事が万事、そういう親って夏休みの工作とかにも手を出しているんじゃないかと思ってしまう。

 そりゃ、子どもよりも大人の方が上手に決まっている。しかし、本来子どもがすべきことを親が代行して、仮に上手くいったとしても、それは子どものためになるのだろうか?失敗してもいいじゃない、2.3匹魚を逃しても、下手だと友だちから笑われようが、自分がやったからこそ失敗からも学べる。偽りの成果でほめられても、何も得るものはない。あるのは親の自己満足だけである。

 ちなみに、佳穂に釣りの話を聞くと必ず出るのが牡鹿半島(宮城県)で釣ったサバの話。テントを張れる場所を探しながら辿り着いた小さな港で“投げサビキ釣り”(大きなウキやらカゴやら色々ついた大仕掛けの釣りです)をしていた時に、サバの群れにぶち当たり、40cm以上のサバが入れ食いになった時のこと。持つだけでも精一杯の重くて長い竿を抱えるように持って、強烈に引くサバと格闘し、ようやく釣り上げたことは、今でも彼女の心の中に強く残っているようだ。

 そして、ようやく釣り上げたそのサバを隣の家族にあげてしまったことも、いまだに嫌味を言われ続けている。
6/9(水) 18.心に残る遊び
 6/5(土)はホタル観察と合わせて、ご希望者に農作業もして頂いた。

 畑の草取りという、地味で面白くとも何ともない(でも大切な)作業で、案の定、途中から虫探しをする子、走り回っている子など、それぞれが自分の好きなことをやり始めた。

 僕はそれでいいと思っている。草取りは土に触れるきっかけでよい。畑をよく見てみるとテントウムシがいたり、ミミズがいたり、草の根が思った以上に長かったりと、色んな発見がある。向こうの畑にはイチゴがなっていたり、用水路にはイモリがいたりと、それぞれの子が自分の興味対象を見つけ、夢中になれればそれで良い。

 田植えに参加してくれた子が、「田んぼの様子を見たい」と言ってくれたのは嬉しかった。自分で植えた苗がその後どうなっているのかが気になったのだろう。自分で植えたからこそ起きる興味や自発的な行動。そんなことが沢山起きる場に是非していきたいと思う。

 翌日は今年初めての完全オフとし、佳穂と川向うの山に登った。当分行っていないアリ山パークの様子を見た後に頂上まで登り、帰り道はこれまで行ったことがない反対側の斜面を下りることにした。

 木を足掛かりに急斜面を下り谷筋に沿って歩く。どういうコースを進むかも佳穂が決めた。歩くごとに発見があり、次の発見を期待して心が躍る。初めて見るカエルがいたり、太いカズラがまるでブランコのようになっていたり、イノシシが罠にかかっていたりと、ほんの1時間歩いただけで大冒険をした気分になったようだった。

 家に着いて早速図鑑と写真を見比べながらカエルの名前を調べている佳穂が、何度も「今日は楽しかった」とつぶやいている。

 遊園地で遊んだことと今日の山登り、彼女が大きくなった時にどちらを覚えているだろうか。もしくはどっちに意味があるか。今回の山登りは今後のしょうりきにとっても大きなヒントとなった。
5/31(月) 17.頑張った自分
 「今日はホンマがんばった!!」

 佳穂のメモにそうあった。いつも週記に何を書くか裏紙にメモしており、5/30にあったことを時系列に書いている最下段にその文字があるのをたまたま見つけたのだ。

 どんな作業をしたのかは佳穂が書くと思うのでここでは割愛させて頂くが、自分なりに頑張り、終わってホッとした時に手が動いたのだろう。ひときわ大きな、踊るようなその文字を見てジーンときてしまった。

 たぶん、一生懸命野外で遊んだだけではこの言葉は出てこない。働いた後だからこそ感じることができる心地よい疲労感を伴った解放感。さしづめ大人でいえば、大きな仕事をやり遂げた後のビールを飲む瞬間といったところだろうか。

 これまで、働く楽しさを感じてもらえるためにはどんな仕事が良いのかを考えていたが、それだけでは弱いことに気付かされた。単純労働でも、キツイ仕事でその場は楽しくなくても、やり遂げた後は大きな喜びや自己肯定感を感じることができる。

 途中のプロセスで発生するマイナスの感情を恐れずにやってみないと味わえない楽しさもある。ちょうど前日に宅配で皆さんに野菜を送った後だったことも影響しているのかも。自分やっていることがどういう結果に繋がるかを、ちょっとでも理解していたからかもしれない。

 そんな時は多くの言葉はいらない。ひと言「良く頑張ったな」と声をかければ、それで十分ですね。
5/24(月) 16.閑話
 今や日記?代わりになった独り言を読み返すと、どうも真面目くさった文章ばかりで面白くない。説教臭かったり、自己満足系で読み返して恥ずかしくなることもしばしば。でも、その時々の正直な心情を書いているので、やっぱりそういう人間なのでしょう。もっと人間的な幅がないとイカン。

 野田知佑って作家をご存知でしょうか?ツーリングカヌーの草分けで、この人のエッセイは何度読み返したか分からないぐらい読んだ。ユーコン川から日本の小川まで、1年のほとんどを川原で過ごし、魚を釣り、食べ、川を下る。気分転換をしたい時、いつもこの人の本に手が伸びた。

 開高健もそう。アマゾンの紀行文「オーパ」を初めて読んだ時は衝撃だった。カラー写真が多くて文庫本でも重いので寝ながら読むにはちと辛いのだが、旅行に行く時には必ず入っている本の一つ。何度も外出しているので、背表紙は擦り切れていい感じになっている。

 椎名誠の「あやしい探検隊」も旅行のお伴で、シリーズ全て持っていた(引越しの時に売却)が、こちらは何故か1回読んだら2回目を読む気がしなくなる。しかし、この人の文体とタイトルは天才的です。

 中学校の時は井上ひさし(ご冥福をお祈りします)と星新一と北杜夫、高校の時はもっぱら司馬遼太郎と数々の漫画、大学ぐらいから歴史小説全般となり、その後新田次郎や東海林さだお(丸かじりシリーズは純粋に面白いです)へと変遷していった。ビジネス本もそれなりに読んではみたが、なーんにも身についていない。サプリメントを飲んでいるみたいで、すぐに眠くなるし、やっぱり性に合っていないのだろう。ちなみに、恋愛小説や推理小説は一切読みません。

 いま部屋にあるのは農業関係の本が多い。「土壌学の基礎」(完読するまでに2カ月かかった。。。)、「有機栽培の基礎知識」(未だ完読できず)、「セミプロ農家が日本を救う」(読んで救えないと思っちゃった)などなど。この手の本は薬のように苦い。農業系の起業本も牛に食わせるほどあるが、「そんな上手いこといくかいな?」と変な感情が先に立ってどうもいけない。

 まあ、良薬口に苦しとも言うし、今は読まんとイカンですな。
5/18(火) 15.気分転換
 しょうりき農園(ウチの畑の総称です)は草取り真っ盛りである。

 今年は長雨や低温で野菜高騰というニュースが何度も伝えられたが、ここしょうりきも例外ではなく、トウモロコシやキュウリ、スイカの苗が特に大きな被害を受けた。

 手塩にかけた苗がたった1回の霜でやられるのは本当にツライ。特に寝る間を惜しんで温度管理をしながら苗を育てた英治は尚更だろう。畝をトンネル状に囲んだり、パイプに温水を入れたり、風よけを作ってみたり、早朝霜を溶かすのに水をかけて回ったりと色々手は打つのだが、面積が広くなったしょうりき農園の全てに手を施すのはほぼ不可能。せめて農業体験で植えてもらった野菜たちだけでも守ろうと天に祈りながら寒さ対策を施した。

 そんなプロセスを経てようやく根を張り始めた野菜たち、次は雑草との生存競争に入る。野菜が育つ環境はもちろん雑草にもパラダイスなわけで、コイツらがぐんぐん伸び、どんどん生えてくる。まさに雑草魂ここに極まれり、って感じで敵ながら天晴れ。コンチクショー。

 農薬をまけば一発解決なんだけど、基本的に農薬は使わない方針につき、ひたすら人力除草するしかない。だいたい10mの畝を手で草取りすると30分ぐらいかかる。現在しょうりき農園の畝の総延長が1000mぐらいなので、全て手で草抜きすると3000分、ということは50時間か。。。もちろん1回だけで終わるわけもなく、2週間に1回のペースとすれば、ほぼ2日に1日は草取りでつぶれる計算となる。マルチ(畝をビニールで覆うやつですね)と言う雑草対策の便利な農業資材もあるのだけど、全部やろうと思ったら結構な金額となるので考えてしまう。

 しかも、雑草は害虫の誘因となる。これも農薬をすれば話は早いが、封印して人力で駆除。空からはモンシロチョウが、地中からはヨトウムシやナメクジが野菜を狙う。その他アブラムシやらハダニやら、まあよくも色々いるもんだ。「虫も食べないような野菜は危ない」、確かにそうなんだけど、放っとくと虫だらけの野菜になってしまい、さすがに作っている自分たちでも食欲を失うような姿になってしまうのも事実。昨年作ったブロッコリー・キャベツの凄惨な様相は今でも記憶に新しい。あれはホンマにひどかった。。。

 ちなみに、仮に農薬を使うにして、同じ害虫でも野菜によって使用する農薬が違うので、職業農家は一つの畑では一つの野菜しか作らないのが基本らしい。もちろん生産効率を考えても単一品種を大規模に栽培するのが理にかなっている。

 そんな鉄則とは真逆に、しょうりき農園では多種多様な野菜を作っている。且つ宅配や贈答用に数を計算しながら作っているので失敗できる余裕もなく、英治には苦労をかけていると思う。母の働きにも本当に頭が下がる。で、時々考えてしまう。「この努力は報われる類のものなのか」「我々のこだわりは無知とイメージが生み出したものなのではないか」と。炎天下で背筋に寒いものを感じながら、いつ終わるともしれない草取りに励む。。。

 とまあ、こんな状態になった時は思い切って長めの休憩を取り、気分転換を図ることが大事ですね。
5/11(火) 14.植え直し
 日曜日は朝から田んぼで“植え直し”をした。

 植え直しとは、一度植えた苗がしっかり根を張ったか、間隔の広いところや飛ばしたところ、本数が少ない・多すぎるところをチェックして植え直したり、追加して植えること。

 手植えの場合、一度田んぼに張った水をギリギリまで落とさ(減らさ)ないと目安となる筋が上手く引けない。その筋も“引っ張り”という整地用のトンボに鉤爪を何本も付けたような農具で人力で引いていくので、どうしても曲がったり薄くなってしまう。且つ平らに見える田んぼもけっこう高低があるため、水を落としても水が引かない場所があり、深いところは筋が見えなくなってしまう。

 まあ、そんな状況下で田植えをして頂くので始めから完璧に植えるなんてどだい無理な話なのだが、ことはそれだけでは終わらない。実は上手く植えたようでも、水を再度張るとしっかりと泥に根を指していない苗はプカプカと浮いてしまう。ところどころ歯抜けのようになっているのは、これが原因であることが多い。

 母と妻と私の3人で植え直しに入り、200本強の筋を1回5筋ずつチェックする。20往復分なのでだいたい1人7往復もすれば終わるな、なんて皮算用しながら1筋々々じみーにチェックしては植えるの繰り返し。そんな作業をしながら色々なことに気づく。

 例えば、筋の終わり近くになると苗を植える間隔がほぼ例外なく広くなる。もうすぐ終わりだと思うと気がはやるのだろうか。その他、どんどん植える本数が増えてくる筋、途中で違う筋に合流しそうになって一度消滅しまた復活している筋、機械で植えたように整然と苗が並んでいる筋など、この辺りはあの子が植えていたよなー、なんて思いだしながら自然と笑いがこぼれてしまう。

 4時間ほどで植え直しを終え、最後に「元気に育てよ」と苗に声をかけ作業を終了した。

 ここで出来たお米を皆さんに食べて頂ける日が待ち遠しい。その日までどうか天候に恵まれ、台風の直撃を受けませんように。。。
5/7(金) 13.伝えたいこと
 あっという間にGWが過ぎ去った。

 今回の田植え体験には2日で76名の方にご来園頂き、動員したスタッフをのべ人数でカウントすると100名強が参加したことになる。特に5/2は49名のご参加者となり、昨年から20回以上開催した行事の中で最大規模となった。

 また、今回は地元の子どもたちや会員さんからのご紹介で来られた初めてのご家族も多く、ラジオの生中継あり、取材あり、視察ありで、何だか分からないうちに終わってしまったというのが正直な感想。折角遠路はるばる来て頂いた皆様ともっと個別にじっくり話したかったのだが、その余裕が持てなかった自分が情けない。それでもスタッフが自分の役割をしっかりと果たし、何よりご参加頂いた子どもたちや親御さんがあちこちで繋がり自発的に楽しんで頂けたようで、どうにかこうにか行事を無事終えることができたことを深くお礼申し上げたい。

 今回の各プログラムにはテーマを設けていた。竹炭作りは「その気になれば手作りできる」。普段買うのが当たり前のものでも、工夫すればあり合わせのもので作ることができる。穴を掘って竹を並べて竹の枝葉とトタンを上に乗っけて土をかぶせて火をつければ後は待つだけ。特別なものは何も使っていないけど、その気になればそこそこのものができるんだねー、何てことが伝わっていれば良いと思ってやっていたのだが、さてどうだっただろうか。

 田植えは「達成感」。子どもを子ども扱いせず、最後まで自力でやり遂げることで得られる爽快感みたいなもの。田植えは達成感を得るには格好のコンテンツだと思う。何でも良いのだけど、そんな小さな達成感の積み重ねが、意欲とか粘り強さとかより大きな目標を設定する源泉になっていくと考える。簡単すぎてもダメ、届かない目標でもダメ、ストレッチして届く達成ラインをどこに引くかが肝で、これは組織運営でも子育てでも一緒ですね。そして本人がやると決めたら周囲は手を出さないこと。予想以上に頑張って田植えをしている子どもたちを見ながら、次回はもっとハードルを上げても良いかなと考えたりした。それと、田植えはその人の性格や行動特性がダイレクトに出るので、その意味でも面白い。

 そして、今回植えた稲や前回種まきした野菜が育ち、実り、収穫するプロセスにどんどん参加してもらい、是非食べて頂きたい。食材にストーリーがあると食事はもっと美味しくなるし豊かな時間となる。空腹を満たすだけではもったいない。食の有難さ、作る楽しさ、汗を流して働くことの気持ち良さ、そんなことが少しでも伝われば嬉しいし、そんな食卓の会話を生む一助となりたい。月1回ぐらいはこのような機会があっても良いと思うのですが、いかがでしょうか?

 というわけで、是非“旬の野菜宅配”にもご入会お願いします!
4/26(月) 12.転換点
 いよいよ今週末は田植えだ。

 ご近所もしろかき真っ盛りで、数日前まで荒く掘り起こされた土でゴロゴロだったあちこちの田んぼが、一気に泥水のカーペットで鏡のようになり、太陽をキラキラ反射して美しい。これから梅雨明けまで、この地は田んぼの独特の匂いにつつままれる。

 前回の行事から約1か月、どれだけ参加希望があるか心配だったが、今日現在で5/1(土)は17名、5/2(日)は45名を越える方々にご参加頂けそうだ。今回初めてお越し頂くご家族も8組あり、そのほとんどがご紹介ということで本当に有難い。ご紹介頂いた方々の顔に泥を塗らないためにも、今まで以上に頑張らなくては。

 また、新規のお問い合わせも増えてきた。これはリーフレットを作ったことが大きいのかも。これまた会員の皆様がお知り合いにこのリーフレットでご案内頂いているようで、いきなりのご連絡にビックリするやら嬉しいやら。ご案内頂いた皆様はもちろん、うまく要望を吸い上げて迅速に制作頂いたポプラ印刷さんに深く感謝。

 その他、新たにオリジナル贈答のご注文を頂いたり、ラジオでも取り上げてもらえたりと、にわかに慌ただしくなってきた。嬉しい忙しさとはこのことだろう。事業基盤の脆弱さに一抹の不安を覚えながら、これから拡大と基盤作りの追いかけっこができそうな予感がして、楽しみと不安が交錯する。

 基盤で言えば、どれだけご満足いただける野菜を提供できるかも大切な要素。今期、畑の面積を倍増し、英治にも手伝ってもらうことで戦力強化ができ、更に農機具を購入した。エースローターという畝上げ用の機械で、こいつがなかなかの優れもの。人力でやるよりも10倍は早く、且つみごとな畝を作ってくれる。これまでで最大の投資となったが、畝上げは農業の最重労働であることを考えると必要な投資だったと思う。昨年購入したビニールハウスと広くした畑とエースローターを我々スタッフが最大限活用しなくては。

 事業が成長していく過程で、思いっきりアクセルを踏まないといけない時があると聞く。そのタイミングを間違えないようにしたい。もうすぐそこまで来ているのか、まだまだ先なのか?、うーん誰か教えて!!

4/19(月) 11.有難い視点
 小さな頃から小心者で心配性だった。エエカッコシイなのであまり人前でそういう素振りを見せることはなかったが、それでも僕をよく知る人はそんな性格を分かっていたと思う。

 例えば小学校のマラソン大会の前日、寝付けなくて朝方まで天井の節穴を見つめていたことがある。枕が変わるとなかなか寝れず、自分の言動が相手に不愉快な思いをさせたのではないかと気になることは日常茶飯事、ウジウジ考えて結局しょーもない行動に出て更に後悔する。

 実際睡眠不足が多く、胃の痛むこともしばしば。結果を出したいと思うほど失敗が気になり、または相手のちょっとした仕草が引っ掛かって、心配の連鎖が始まり、気になって起こした行動が更に自分を深みに落としていく。そうなるとなかなかそのスパイラから抜け出せない。いくら心配しても状況は何にも変わらないのにね。

 じゃあ、今はどうかと言うと、やっぱり根本的な性格は変わっていないと思う。ただ、心配をいなす技は身に付けた気がする。きっかけは中学校の時の数学の先生、たぶん田辺先生という名前だったと思うが、いつもニコニコ、たまに烈火の如く怒り、次の瞬間またニコニコしているという一風変わった人だった。その先生がこう言ったことがある。「どんなことが起きても見方次第では有難いと思える。私はそれができるからいつも笑っていられる」と。それを聞いた生徒の過半は失笑していたような気がするが、僕はそれをきっかけに嫌なことが起きると“有難いと思える視点”を探すようになった。

 例えば足のひどい捻挫をした時、「再起不能な怪我じゃなくてよかった。もっと大きな怪我をしなように神様が警告してくれたのだ。有難い」。身に覚えのないことで女子系集団口撃を受けた時、「理不尽なことでもこうして責めを受けることがある。そんな試練を乗り越えることで人間は強くなれるのだ。有難い」。こうして書くと、かなり無理のある解釈で、実際後悔したり、くやしかったりするのだが、それでもそう思い込む努力をすることで心の傷みはかなり緩和されてきたと思う。

 この思い込みは“足らざることを嘆くのではなく、あることに感謝する”という副次的効果をもたらしてくれた。完璧の状態を前提にして「あれがない、これはダメだ」と文句を言うより、「これはある、あれは使える」と考える方がよっぽど建設的だ。特に前者は、他者への責任転嫁や労働意欲の低下に直結する。そればかりか周囲に対してもネガティブな影響を及ぼす。あなたの周りにもそんな人はいないだろうか?同じ状態にあっても、その人の見方・捉え方次第で次の行動や周囲への影響は180度違う。

 誰にでも辛いとき、嫌なことはある。それは生きていく上での前提みたいなもんだ。根っからの楽天家であれば無意識のうちに前向きに捉えたり都合良く忘れたりできるのだろうが、そうでない人は意識的に捉え方を変えることで自分を保つしかない。物事の見方・捉え方は努力次第で変えることができるのだ。

 あれこれ悩んで自分を追い詰めたり、他人に文句を言ってみても何も解決しない。今この時点を始まりとし、より良い状態を作り上げるためにその手がかりを探すこと、それが視点を変えることだと思う。それでもなかなか抜け出せない時は思い切って他人に話してみることですね。相手がどう思うかなんて考えないこと、話すこと自体が解決策になることもある。

 人はそんなに弱くなく、自分自身を保つ力を誰もが持っている。そして辛い思い、嫌なことは、そのうち人生の肥やしとなって大きな花を咲かせてくれる。

4/12(月) 10.週末
 バチバチと屋根をたたく雨の音で目が覚めた。時計を見ると朝の5時だ。

 一呼吸おいて意識がはっきりし、乾燥させるために外しておいた落葉堆肥のことや、昨日撒いたばかりの有機肥料が雨で流れることが気になった。まあ、今更後悔しても仕方ないやと思い、今日は何をしようかと考えながら目を閉じる。畑には触れないので田んぼのしろかきを手伝おうかな、年代物のトラクターは果たして動くのだろうか・・・、一瞬意識が遠のき再び時計を見ると7時になっていた。

 前の日は一家総出(仕事で帰りの遅い父は除く)で広島市内の居酒屋で食事をした。もしかしたらお店でしょうりきの野菜を扱ってくれるかのしれないので、皆にも見ておいて欲しいと思い予約したのだ。他のスタッフも現地で合流し、にぎやかな決起集会となった。運転で飲めない僕をしり目に大人たちはアルコールをどんどん摂取する。これはさすがに辛かった。

 そんなこんなで家に辿り着いたのが11時半、さすがに今日はみんなまだ寝ているだろうなと、人気のしない1階に下りると兄妹がソファーにちょこんと座ってテレビを静かに見ている。いつも慌ただしい週末の朝、たまにはこんな日も悪くないと思いつつ朝食の準備に取り掛かる。その匂いに誘われるように一人二人と食卓に集まってきた。

 この感じ、そう会社員をしていた頃のようだ。週末はゆっくり寝て、体が起きるのを待って行動を開始する。ちょっとけだるいような、緊張感のない朝の雰囲気が結構好きだった。天気予報を見ながら、どこの公園に行くか決める。オニギリだけ作っておかずは弁当屋の惣菜で買おうとか話しながら自転車で出かけるのが恒例行事のようになっていた。

 そんな週末は今はない。雨が降っても田んぼ作業には関係なし。合羽を着てエイヤと飛び出し子どもたちと畦際の石を拾い、午後からはトラクター2台で一気にしろかきをやった。一日中雨が降る中で田んぼ作業をしているのは僕たちだけだ。ポンポンというトラクターのエンジン音が雨霧に消えていく。泥水スレスレをツバメが飛び回り、鷺がそろりそろりと田んぼのカエルを物色している。時間があっという間に過ぎ、結局作業が終わったのは5時過ぎだった。その後、少しゆっくり目に風呂に入って、今日の作業を肴に父と晩酌をする。

 忙しいけどやっぱりこっちの週末の方が性に合っているかな。

4/6(火) 9.人を得る
 約30名のご家族に来て頂き、2期の行事がスタートした。雨続きでどうなることかとやきもきしたが、奇跡的に晴れが続き予定通り開催出来て本当に良かった。山里の春を感じて頂きたくて野草を摘んで昼食の食材にしてみたが、皆さんにはどう伝わっただろうか。

 友人親子が前泊し、英治やスタッフの石井さん、父・母・妻も交えて夜更けまで話し込んだ。勉強している子どもたちにお構いなく、6割ぐらいはバカ話で盛り上がり、あとの4割ぐらいはしょうりき事業のことについて議論する。今後の構想を話したり、逆に率直で耳の痛いことを突っ込まれたりと実り多き時間を過ごした。なかなかそんな意見を言ってくれる人も少なく、本当に有難い。

 今回の行事の準備は英治が大活躍してくれた。行事の日と宅配のスケジュールを両睨みしながら、植える野菜の選定と苗作り、肥料計算から畑の準備までキチンと進めてくれたので、安心して当日を迎えることができた。特に苗作りは感心した。苗にはそれぞれ適温があって、何種類もの苗を同じ場所で作るのは非常に難しい。刻々と変わる温度を常にチェックし、次の日の天気を予想しながら、少ない農業資材をうまく活用して見事に立派な苗をそろえてくれた。本当に大したものだ。

 イベントの翌日、珍しく俊助が神妙な顔をして話しかけてきた。春休み最後の日、友人に誘われて映画を見に行き、その後に無駄遣いをしてしまったことを反省しているようだった。彼なりに、家がどういう状態にあるかを理解し、余分なものを買ってしまった自分を情けなく感じたのだろう。怒られることを覚悟し、それでも言わないと気が済まない状態で話しかけてきたという次第。

 無駄遣いをした経緯を聞きながら、逆にそんな思いをさせていることに申し訳ないと思いつつ、もう片方でそんな話をする息子はエライと思った。うまく言えないけど、真っ当な自覚が芽生え始めているように感じた。ただね、反省だけなら猿でもできる。それを次にどう活かすかがもっと大事だな、俊助くん!

3/29(月) 8.春
 広島に戻って2度目の春を迎えた。

 雨続きで畑の準備がなかなか進まないのが気懸りながら、たまの晴れ間に外を歩くと、あちこちで春が発見できる。

 花の主役は梅からオオイヌノフグリやタンポポにかわり、もうすぐ大御所の桜が登場する。愛すべき悪役モンシロチョウ・モンキイチョウも舞い始めた。ウグイスは「ホーホケキョ」から「ケキョケキョケキョ」という谷渡りの鳴き声となり、トンビとカラスが空中戦を繰り広げている。生き物の息吹が絶えた冬が終わり、生命の躍動が至る所で起こり始めている。

 昨年の今頃は、そんなことを感じる余裕もなく、間もなく始まるオープニングイベントが果たしてどうい結果になるか、強い不安を抱えながら過ごしていた。心配しても仕方ないのに、天気予報ばかり見ていたような気がする。1年が経ち、やっぱり不安はあるが、それよりも4/4が待ち遠しいという気持ちの方が強い。

 動けば何かが変わる。思っているだけじゃだめだ。やってみないと分からないことが沢山ある。やっているからこそ、こうして応援してくれる人も出てきたのだと思う。この1年間の出会いに感謝しつつ、もっともっと多くの人に出会えるよう、今期も全力を尽くさなくては。

 そんなことを考えながら、春の陽気の中で鍬を振る。まだ乾いていない土は非常に重く、溝を上げるのも一苦労だが、この地味な作業も未来につながっていると思えば、楽しい仕事に思えてくるから不思議なものだ。

 いよいよ始まる。

3/23(火) 7.循環
 ここ3週間、深夜にパソコンに向かうことが多かった。

 2月の終わり頃、懇意にして頂いている環境コンサルティング会社の社長から「有政さん、こんなのがあるんだけど考えてみたらどう?」と教えられたのが、環境省の“循環型社会支援事業”なるもの。要は、リサイクル・リユース・リデュースなど、資源を大切にして環境に良い先進的な再利用の取り組みを考えている団体に、実証費用を国が出しましょう、というものだ。

 会員募集の準備やら畑の遅れやら官に対する偏見やらで、当初はどうも気乗りがしなかった。が、まあ折角の機会なので頭の整理を兼ねてやってみようと思い、全体像を考えていくうちに、循環という概念を事業に取り込むと、展開や協力関係が非常にダイナミックになることに気付いた。

 事業の軸を決め、それを実現するために肉付けをしていくのではなく、事業の前後がどういう繋がりになっているのかを明確にし、それをどんどん繋げていくと、大きなビジネスの輪ができるというイメージ。通常自社の事業を考えるとき、自社の提供する価値を最大化するために社内のビジネスプロセスを一つ一つ考え、価値の連鎖(バリューチェーン)として機能するように人・物・金・システムを見直していく。

 しかし、もっと広い視点を持てば、自社そのものを世の中のバリューチェーンの一つとして考えることのできるわけで、そのバリューチェーンの最初と最後が繋がりバリューサークルとなれば、非常に無駄のない仕組みが構築できるのではないか。そんなことを思い描いていると、何だかワクワクしてきた。どうもこの手のことを考えるのが好きな性分なんですね。

 で、もう一度この正力地区を一つの社会として捉え、この中でバリューサークルができないかと考えてみた。それで出てきた答えが、落葉と生ゴミのEM堆肥を使った食の循環だ。それに農業体験とシイタケ共同栽培を加えて、循環事業の骨子とした。

 もう少し詳しく説明させていただく。まず山の落葉を集め、家庭から出る生ゴミを回収し、EM菌(水の浄化などで有名になっているヤツですね。堆肥作りにも有効です)堆肥化する。そこで出来た堆肥は、生ゴミを出してくれたご家庭や近隣の協力農家さんに無料で還元する。出来た野菜は良質な有機肥料でできた露地野菜として、自宅で消費するか販売する。また、落葉を集める過程で、山の雑木を間伐し、里山の保全を図ると共に、シイタケ栽培用の原木として再利用、地域共同のシイタケ作りを行い、販売益は山の所有者に分配する。

 上記を進める中で、例えば落葉集めや野菜作り、シイタケ栽培などは農業体験として親子の参加者を募る。これにより、食・山と里・人・お金の循環ができないかと考えた。

 実は他にも、この循環の中に取り込みたいことは沢山あるのだが、まずはすぐに実現できそうな内容で申請書類を作ったのだが、果たしてどうなることやら。採否の発表は6月ぐらいなので、それまで気長に結果を待つことにしよう。ちなみに、助成希望金額をいくらで出したのか???答えは4/4の行事で直接聞いて頂ければお答えします!(笑)

 なお、結果はどうであれ、まずは個人レベルで落葉と生ゴミの堆肥を使った野菜作りに取り組みます。早速英治にも相談し、EM菌の培養と液肥作りに着手しました。近日中にプロジェクトの報告をHPで行う予定です。

3/16(火) 6.内祝
 友人に念願の第1子が生まれ、その内祝(出産祝いのお返しですね)を当方でやらせて頂いた。

 「ありがとうが“伝わる”ようなお返しができないか?」と相談を受けたのが3月8日。この時期は野菜がないので、どうしても米がメインとなる。幸い夫婦とも田植えや稲刈りに参加してくれたので、“自分たちが作った米”ということで、特別感や感謝の意は相応に伝えることができそうだ。

 ただ、もうひとひねり欲しい。友人とあれこれ話すうちに「自分でついた餅」が浮かんできた。つきたての餅の美味しさは昨年のイベントで実証済みだ。発送時間を午後にして、朝友人に来てもらい、つきたての餅をその日に送ることで手作り感とつきたての美味しさを伝えるのはどうだろう。もちろん入れる餅は8個(末広がりですね)、1個だけ赤い餅を入れてお祝いであることを表した。

 「よっしゃ、これでいこう!」ということになり、当日の段取りの話をしているとき、友人の一言が新たなアイデアを生んだ。予算を鑑みて米を3kg入れることにしたが、生まれた赤ちゃんが3108g。ということは、米を赤ちゃんと同じ重さにしたら、米を取り出すときに生まれた時の赤ちゃんの重さを実感できるじゃないか!即採用となり、これで最終確定した。

 当日(3/14)は朝7時から火をおこし、餅つきの準備に取り掛かる。8時に友人が到着し、ちょっとして俊助の友人2人もやって来た。計算では6〜7臼つく必要があったので助っ人を呼んだのだ。友人と助っ人2人、俊助、私の5人で交替しながら餅をつく。佳穂は火の番をして、母と妻はもち米を蒸したり、ついている餅の手返しをしたり、出来た餅を丸めたりと、手慣れたものである。10時には妹の民代もやってきて、名前の筆書きを手伝った。

 13時ぐらいに餅つきを終え、遅い昼食を取る。ここで子どもたちはお役御免。残りのメンバーで発送準備に取り掛かった。米や餅を箱詰めしている間、、私はメッセージカードを作成。友人から預かった赤ちゃんの写真とウチで以前撮った田植えや稲刈りの友人夫婦写真を使って16:00ぐらいに完成。

 友人がメッセージカード1枚1枚に宛名を書き、内容物の最終確認をして外箱の蓋を閉め、送り状を張って完成。ヤマト運輸に21個の箱を持ち込み、帰ってくると17時だった。

 どんな反応が返ってくるか楽しみだ。 

3/8(月) 5.二月は逃げる、三月は去る
 鶯が鳴き始めた。びっくりしたのは、この時期の鶯は鳴き方が下手なこと。ホーホケホケ、アレ?っていう感じで一生懸命練習しているのが微笑ましい。もう春ですなー。

 さて、3月から第2期の募集を始めた。昨年末の最後の行事を終えた直後から、今期の振り返りをキッチリやって、しっかりと準備して第2期を迎えようと肝に銘じ計画を立てたはずが、HPの見直しに予想上に時間を費やし(ただダラダラとやっただけ?)、リニューアル後にすぐ案内を送るはずが「もうちょっと見直す必要があるのでは?」と悩むうちに時間は過ぎ、早く進めておけば良かったのにリーフレットは間に合わず、挙句の果てにはハンドボールの試合で丸1日間をつぶす始末。目の前の楽しい事にあがらえない自分の性格がつくづく嫌になり、「二月は逃げる、三月は去る」という言葉が頭の中でハウリングするのみ。。。

 まあ、そんな自分の性格は熟知しているので、大事なことは締め切りを決めてスケジュール化するのが、ここ10年ぐらいの習わしになっている。それでも切羽詰まらないと集中できない自分が悲しい。もっと余裕をもって進めれば良いのにな、あ、そういえば大きな仕事を小分けにして一つ一つ片付けていくのをエレファント・テクニックなんて言うんだよなー、なんていらぬことばかりが頭を巡る。

 4月は失速、5月は五里霧中なんてことにならないように、ガンバラナクテハ。

 というわけで、第2期の募集をしておりますので、どうか皆さまご入会を宜しくお願いいたします。もちろんご紹介大歓迎です。しょうりき山里公園のリーフレットがもうすぐできますので、ご入用の方は是非ご一報を!それと、HPを一般公開しましたので、YahooもしくはGoogleで「しょうりき山里公園」と入れてもらえば当方のHPがヒットするようになっています。そうそう、貸農園(ご家族専用の畑を持つという意味でマイ・ガーデンと命名しました)を始めましたので是非ご検討を!!

 なーんて、お伝えしたいことはまだまだあるのですが、きりがないのでこの辺りにしておきます。続きは是非しょうりきで直接お話しさせて下さい!4月(4日は種まきと山菜を探してみんなで昼食を作ろう企画です)に皆様にお会いできますこと、楽しみにしています。

2/28(日) 4.後悔
(いよいよ3月から第2期の会員募集を始めます。ここは一発景気の良い話を!と思いパソコンに向かったのですが、どうしてもその前に書きたいことがあり内容を変更しました。ちょっと長くなるかもしれないけど、しばしお付き合いください)

 大変お世話になった先生がいる。小学5・6年の担任だった人だ。

 ハッキリとした物言いの女性で、何がどう気に入られたのか僕のことを気にかけてくれた。中学校から越境進学できたのも、この先生の力添えが大きい。

 中学校になった後も何度かご自宅にお伺いしたが、そのうち足が遠のき年賀状も出さなくなった。記憶が薄れたわけではなかった。どちらかというと自ら疎遠にしたのだ。事実、その後も先生の記憶はいつも頭の片隅に、でもハッキリと残っていた。同級生からも僕がどうしているのか先生から尋ねられたと、その後もちょくちょく聞いていた。

 当時はなんとなくだったが、今にして思えば期待というプレッシャーから逃げ出したかったのだろう。先生に期待されている自分像を勝手に作り上げ、そこに届いていない自身をさらすのが嫌だった。地元では“それなり”でも、“それなり”が集う中ではただの普通。そんな自分が嫌でハンドボールと麻雀で自分の存在感を示そうとした。高校を卒業するころには成績は普通からビリになっていた。

 それでもハンドボールがあったのは助かった。当時の自分を保つ唯一の足掛かりだった。県内では負ける気がしなかった。が、これも全国で見事に打ち砕かれた。

 それからがきつかった。一浪して何とか大学には入ったものの、ハンドはすぐに辞め、バイトと麻雀とパチンコとタバコのひどい生活だった。そんな自分を変えたいと思い大阪で就職した。

 入社して2.3年は鳴かず飛ばずだったが、徐々に実績が出始め、実績が自信となり、その自信が次の実績につながって、ようやく新しい足掛かりを見つけた。しかし、先生に会いに行く気は起きなかった。期待されていた自分には到底届いていない、20年経ってもまだそこから抜け出せていなかった。

 2年前その先生から手紙が来た。入所した介護施設が向原にあり、いとこの介護士から僕の近況を聞いたらしい。母親宛ての手紙だったが、昔と変わらぬ書体で自分の病気のことや里帰りした際には寄ってほしいという内容が書かれていた。何だか申し訳ない気持ちになって、そのうち行こうと思いつつ結局行かなかった。

 そして今年の1月、今期の準備に取り掛かろうと思った矢先、唐突に先生に会いたいと思った。今なら素直に話せる、いや、話したいと思った。そして一言お礼とお詫びを伝えたい。すぐにいとこに連絡を取り所在を聞くと、先生はもう向原にいなかった。病状が進み県外の施設に移られた後だった。移るころには人に会える状態ではなかったらしい。

 その日から先生の記憶は別な意味をもった。そして前よりも強い記憶となって僕の中に刻まれた。

2/22(月) 3.シイタケ
(前回の続きです)

 シイタケにはちょっとした思い入れがある。

 こっちに帰って来る前、東京でしばらく一人暮らしをしていた時、よく一人で鍋を作っていたのだが、シイタケの美味しいのになかなか出会えなかった。ペラペラの水気の多い弱っちいヤツではなく、小振りだけど肉厚で歯ごたえのある“力”を感じるヤツ。昔は地元のほとんどの家でシイタケを作っており、原木から生えているのをそのまま採って食べた記憶がそうさせるのか、実家に帰ってきて真っ先にやりたいと思ったのがシイタケ栽培だった。

 昨年は20本ほどの原木を作ったのだが、今期からしょうりき山里公園として本格的にやりたいと思い、11月から準備を始めた。ウチの山にも原木になる木はあるのだが運搬が大変なので、他の山から切り出すことにした。所有者に承諾を得てマキ・ナラ・クリ・サクラの木を50本ほど切り出したのが3か月前、約200本の原木を準備して本日を迎えた。

 午前中はスタッフ9名で、午後からは宮田家6名も参戦し、計15名で一気呵成に作業する。3つのドリルがフル稼働し、自然と役割分担がなされていく。出来上がった原木は小町まで運ぶために軽トラックに積むのだが、誰が始めたかバケツリレーならぬ原木リレーが始まった。単に木を運ぶだけなのだが、これが結構盛り上がる。

 子どもたちも自分なりに出来ることを考えて、何を言わないでも良く働く。そう、働くのは楽しいことなのだ。小さい子は自分の持てる重さの限界に挑戦し、運べなければ年長者がサポートする。状況を見て自分が何をすればよいのかしっかり考えて動いている。そうやって協働の連鎖が広がっていく。連鎖が一体感を生み、一体感が楽しさを醸成する。作業が終わり、疲れた大人をしり目に鬼ごっこで走り回っているのは、体力だけの問題ではないように思う。

 手取り足とりの農業体験ではなく、一人で完結する物作り体験でもなく、協力して働くことが楽しい経験、みんなでやり遂げた感のある体験、僕がやりたいのはこれである。それが大人数でもできるようになれば、しょうりき山里公園の未来は明るいんだけど、これがなかなか難しい。

2/15(月) 2.竹炭作り
 昨日は実り多き日曜日だった。

 まず竹炭作りから。

 たまたま懇意にさせてもらっている先輩からCO2の削減に炭焼きが有効(いわゆる二酸化炭素の固定化というやつです)という話を聞き、地元の竹林が荒れているのが気にかかっていたのが「バチッ!」と結び付き、一度やってみようと思ったのが昨年の6月。9月に竹を切って乾燥させ、ようやく一昨日の土曜日から焼く準備に取り掛かった。

 伏せやき法という、調べた限りもっとも簡易な方法で、要は地面に穴を掘って竹を並べて土で周りを覆って空気の入らないようにするというもの。焼くのに9時間ぐらいかかるらしいので、夕方終わろうと思ったら6:00頃には火入れをしなければならず、さすがにその前に穴を掘るのは辛いし暗いので、前日に掘り始めたという次第。

 翌日は5:00から作業開始。普段の早起きは辛いものだが、炭焼きはスタッフにとっても楽しみだったのだろう。4:45にはピシッと起きて作業を開始した。ちなみに釣りに行く時にも同じような状況になります。

 で、15:30頃に炭を取り出してみると、、、入口付近が焦げただけで全く炭になっていなかった。何ともいえぬ脱力感と竹の焼けた匂いが漂うなか、「もう1回やってみようよ!」という声が上がった。気を取り直してもう一度土を埋め戻し、火入れをする。なかなか火力が上がらず苦労していると、カツくんが「ブロアーを使ったらいけるんじゃないか?」と一言。ブロアーとは電気式携帯型送風機のことで、よく枯葉集めやホコリを吹き飛ばすのに使う機械だ。

 で、使ってみるとこれが大成功!火力が見る見る強くなり、勢いよく煙が上がった。これに比例するようにスタッフの元気も復活してきた。余分な空気が入らないよう土を突き固めた方が良いのでは、煙突を長くした方が等々あちこちで色々な声が上がる。今度こそ成功しそうな予感の中、日没終了となった。(その後どうなったかはコチラで)

 もちろん、竹炭が上手く出来てくれれば良いが、今回そんなことよりもっと大きな嬉しさを感じた。言い出しっぺがあきらめかかったところを、みんなが何とかしようと懸命に考え、意見を出し、行動に移したこと、厳しい状況でもみんなで知恵を絞れば突破口が開ける、そんな場をこのメンバーで共有できたこと自体が大きな収穫となった。

 同日の日中はシイタケのコマ打ちをしたのだが、この続きは次回で。

2/8(月) 1.準備
 いよいよ第2期が始まった。

 今期どんなことを考えているかは「2010年のごあいさつ」に書かせていただいたので、ここでは割愛。いずれにせよ毎期進化しないと我々に明日はないので、4月に向けてやること山積みである。スケジュール帳のメモを見てみるとこう書いてある。

【やることリスト】
<農業・施設系>
・貸農園の区画整備 ・たい肥置場の新設 ・農具小屋の増設 ・シイタケ小屋の新設
・小町、チャレンジ畑の排水整備 ・アリ山パークの整備
<農作業>
・全畑の土作り、畝上げ ・全田んぼの耕運 ・落葉集め〜たい肥作り ・シイタケのコマ打ち ・竹炭作り
<デスクワーク>
・年間栽培計画の作成 ・行事の企画とスケジューリング ・HPリニューアル ・2期の会員募集
・お中元、お歳暮の企画 ・しょうりき応援団の募集
<検討事項>
・リーフレットの作成
・メールマガジンの発行

 現在、資金確保(出稼ぎ?)のため平日の日中はほとんど家におらず、どうしても屋外作業は土日に集中してしまう。先々週は農具置場を増設とシイタケ小屋の新設をやり、先週は貸農園の区画整備と落葉集め〜たい肥作りを行った。今週はシイタケのコマ打ちと竹炭作りをする予定である。

 もちろん僕一人でできるわけもなく、じいちゃん・ばあちゃんや子どもたちが大きな戦力だ。特に子どもたちは遊びたい盛りだろうに本当によく頑張ってくれる。早朝から勉強をし、クラブがない時は9:00〜17:00まで作業を手伝い(あっても帰ってから即手伝い)、夕食後はまた勉強だ。スタッフのたかしもほぼ同様の週末を送っている。

 で、辛いかといえば、どうもそうではなさそうだ。結構楽しんでやっている。違うスタッフの親御さんからも同様の話をお聞きする。家では手伝いなどあまりしないのに、しょうりきで何でそんなに頑張るのか不思議だ等々。農業体験でも同様の現象は起こるが、スタッフとして働く時の方がより強く出るようだ。彼ら、彼女らを見ているとその頃の自分を思い出して恥ずかしくなる。

 そんなスタッフに支えられ、今期もスタートできたことを本当にありがたく思う。日々日々成長していく彼らを見るのも楽しみだ。4月を準備万端で迎えたい。


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