アリ園長の独り言(2011)
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12/28(水) 47.今年一番の...(2)
(前号の続きです)

 今年(3年目)の我的一番ニュースは孫野菜農園グループを立ち上げたことと書いたが、後々この事業のターニングポイントと認識されるのは福屋での野菜販売かもしれない。というのも、福屋での野菜販売を行うには「顧客に支持される品質の野菜」「量と品数の供給力」「集配・物流の仕組み」「PR力」を高次にバランスさせる必要があり、結果的に上記をある種強制的に整えるきっかけとなったからだ。

 孫野菜農園も上記の準備の延長上で考えたこと。単に野菜の供給力を向上させるためだけではなく、農家ごとの作る野菜を役割分担していくため、PR力をつけるためには、農家を組織化し名前をは分かりやすくする必要があったのだ。

 そして、何より我々の野菜が実際に売れたことが自信となった。これまでは限られた顧客(ほとんど知り合い)を相手に野菜を送っており、真の評価を測りかねていた部分もあった。しかし、舌の肥えた顧客が集う福屋の野菜売場で5ヶ月間売れ続けていることは、それなりの野菜であるという証左と思ってよいだろう。

 このことは、孫野菜農園グループの各農家のやる気を奮い立たせるだけでなく、「野菜宅配」にも大きく影響する。これから顧客基盤の拡大を図っていく中で、自信をもって商品を案内できる意味は大きい。

 事業の土台となる供給体制が整いつつある今、次は顧客の拡大が方針の軸となる。さ〜て、どうしようかな。これを年始の宿題としよう。


 と言う訳で、今年の独り言もこれで最後です。1年間お付き合い頂き本当にありがとうございました。こんな身勝手で独りよがりな話が書けるのも、行事にご参加頂き、福屋で野菜を買って頂き、beで食事をして頂き、お米の年間契約をして頂く皆様がいるからこそ。本当に感謝しております。失敗を重ねながら何とかここまでやってきました。気持ち的にも事業の収支的にもやっとスタートラインに立てた感じです。もっともっと多くのお客様にご支持頂けるよう精進してまいります。来年もどうか宜しくお願いいたします。
 なお、HP改装の1月は更新いたしません。2月の再開までしばらくお待ち下さい。


                     氷点下のしょうりきにて、皆様のご多幸を祈りつつ 有政拝


12/22(木) 46.今年一番の...
 広島に帰って丸3年、初年度の一番の我的ニュースはしょうりき山里公園を始めたこと、2年目はbeを開店させたこと、そして今年は孫野菜農園グループを立ち上げたことだ。

 これまでやってきて最も大きな壁を感じていたのは、ずばり野菜の供給量である。「旬の野菜宅配」であれば一度に大量の野菜を用意する必要があり、「be」は日々日々の多品種少量のオーダーに対応しなくてはならない。当初は、その野菜をなるべくうちの農場でカバーしようと考えたが、1年間やってみて想定される供給量と種類を考えると到底無理なことに気付いた。事業として広げていくためには、まず供給量と品種を確保するのが先だ。

 なので、2年目から一緒に組めそうな農家さんを本気で探しにかかった。品質の問題があるので農家なら誰でも良いというわけにはいかない。では我々の品質とは何なのか?有機肥料、無農薬、水耕栽培、自然農法・・・栽培方法で規定するのは簡単な話なんだけど、この土俵には既に数多のプレイヤーが存在しており、何より僕自身が農法云々は消費者の立場としてあまり響かない。何故なら、東京に住んでいた頃、うちの母から送られてきた野菜を食べた時の感動は、栽培方法ではなくその野菜の持つストーリーに起因していると考えたからだ。

 息子や孫に食べてもらうための野菜作りの延長上で野菜を供給してもらえれば一番いいんじゃないか。栽培方法はその農家さんの考え方、土地柄、長年の経験によって一番良いと思うものを選択してもらえればよい。大事なのは「出荷用」と「自宅用」の野菜を分けて作っていないこと、1つの畑で多品種の野菜を作っていること(いわゆる昔ながらの百姓)、きれいな水が流れているところ、、、そんなことを協力農家を探す前提条件となっていった。

 小早川さんに心当たりのある農家さんを紹介してもらい、実際畑に行き、その人に話を聞き、試し買いを繰り返し、徐々に面識のある農家さんが増えていった。始めは我々に対して半信半疑だった農家さんも、それなりの量の野菜を定期的に買い、支払をキチンとし、お客様の声をフィードバックしていくうちに関係性が深まっていく。こうして1軒1軒協力農家を増やし、現在では12軒の農家が我々に野菜を供給してくれるようになった。

 そして今年、「孫野菜農園グループ」を作った。このお蔭で福屋さんへの野菜卸も可能になったわけだが、その辺りの話はまた次週。


12/12(月) 45.息子
 中学生活も最終コーナーを回り、後は最後の直線を残すのみ。生徒会長として彼なりに頑張ったようで、校風を明文化し、地域も巻き込んだ空缶のプルトップ集めや、生徒会主催の朝会など、彼曰く「主体的に行動してきた」らしい。

 野球も最後までやり、英検(現在準2級)、漢字検定(3級だったかな?)、数学検定(準2級結果待ち、こんな検定もあったんですね)を毎回受け、空いてる時間はしょうりき山里公園のスタッフとして行事や農作業を手伝いと、勉強もそれなりにしているようで本も大好き、中学生にしては遊びの少ない日々を過ごしているのではないかと思う。少なくとも、クラブと遊びしかしていなかった当時の僕と比べると雲泥の差だ。

 そんな俊助とたまに顔を合わせて話すのが最近殊に楽しい。元々子ども扱いせずに育ててきたせいか僕自身と対等に話そうとするのは昔からで、何だか趣味も僕に似通ってきており、普通に友達と話しているような感覚。できれば酒でも飲みながらゆっくり話してみたいなと思ってしまう。

 妻と話す時などは既に俊助の方が精神的に大人だ。彼女のマシンガントークに冷静な突っ込みなども入れて、適度に笑いも取ろうとするところなんか「コイツなかなかやりよるな」なんて感じ。これに、話を聞いて欲しいばっかりの佳穂が入ると、僕なんか口の挟みどころがなくなってしまう。

 そんな彼は、高校進学に際して奨学金の申請をした。僕の収入が少ないのが原因なので情けない話ではあるが、彼自身が自分で借金をして高校で学ぶことは、必ず彼の将来にとってプラスに転じると思いたい。妻が息子にこんな話をしていた。「奨学金の申請の際にお父さんの親友が保証人になってくれた。それはお父さんの信用ではなく、俊助への期待があるからこそ。そのことを良く覚えておきなさい」

 10年後、彼が今の時期をどう思い出し、僕はどんな思いで振り返るのだろうか。そしてその頃我々はどうなっているんだろうか。お互い笑って話せるよう、僕も彼に負けないぐらい頑張らなくては。


12/5(月) 44.雨上がりの夜空に
 日曜日、午前3時。家に帰りついて車のドアを開けた時に頭に浮かんだ言葉が表題の「雨上がりの夜空に」。RCサクセションの歌ですな。

 まだ乾いていない道路の上に現れたのは本当にきれいな星空だった。雨上がりの快晴・闇夜・気温、いろんな条件が整ってはじめてこんな星空に出会える。オリオン座が天中辺りにあり、横には“すばる”と呼ばれるプレアデス星団が滲んだように輝いている。青白く見えるのは星が若いからだ。調べると約6000万年前に出来た星団とのこと。その美しさは清少納言も「星はすばる…」と詩っているほどだ。

 この星(実際は星団の集まり)、いつも気になって星の数を数えてしまうんだけど、この日はキッチリ7個見えた。昔はギリシャ兵士の視覚検査にも使われていたらしい。時と場所を越えて兵士とすばるを頂点に繋がったような気持ちになる。彼らは何を考えながらすばるを見ていたんだろう?選ばれて嬉しかったのか悲しかったのか。。。ちなみに僕の視力はいまだに2.0、たぶん兵士試験合格だな。

 振り返ってみると、今年は本当に雨に泣かされた年だった。

 長雨というよりは週末の雨。週末の雨はまずもって店の入り上げに大きく影響が出る。金曜日の夜、土曜日の昼・夜、日曜日の昼が稼ぎ時なんだけど、雨が降ると途端に人通りが減り集客が非常に厳しくなる。事実9月から週末がほとんど雨で、売上が激減してしまった。

 また、日曜日はしょうりき山里公園のイベントがあることが多く、雨が降ると順延もしくは中止しなければならない。楽しみにしてくれている子ども達の顔を思い浮かべると無理にでもやりたいんだけど、風邪をひかしてもまずいし、そもそも雨降りの中の農作業なんて面白くともなんとも無い。

 しかも、週末雨が降ると農作業に充てている月曜日が仕事にならない。何故なら、畑が湿っていると耕すことが出来ないからだ。特に秋から冬にかけては一度雨が降ると2日〜3日は畑が乾かず、金曜日に雨が降ってもお手上げ状態となる。

 雨が降らないとそれはそれで困るんだけど、、、なかなか思い通りにはならんですね。


11/28(月) 43.車中泊
 先週、最後の宅配が終わってほっと一息と書いたが、そういえば今週(今日)は贈答60件があり、先週はbeの出資者向けの決算報告などがあり、独り言を書いた後、素に戻ってしまった。やれやれ、なかなか楽にならないですねぇ。(苦笑)

 そんなこんなで先週もバタバタとした1週間だった。最近は火・木・土曜日の福屋さんへの野菜卸が生活パターンの軸になっている。その曜日は朝必ず広島市内に来なくてはならないので、福屋さんに配達した後はそのままランチ・ディナーとも店に立ち、もし翌日もランチで店に立つ場合は家に帰らず車中泊することもしばしば。往復2時間強の時間を費やすのなら、その分寝た方が得策だ。

 車中泊と言うと、どうも物凄い侘しい感じがするようで、「ウチに来て寝れば良いのに」なんて嬉しい言葉をかけてもらうこともある。シャワーも無く、着の身着のままで寝るのは路上生活者を連想させるのだろう。さしずめ車は段ボールハウスか。それに、フルフラットシートとは名ばかりで、寝てみるとデコボコして腰は痛くなるし、車内は外気温とほぼ同じで今の時期はすごく寒い。確かに決して快適とは言えない環境だ。

 それでも、車で寝るのは好きだ。誰に気兼ねをする必要も無いとても自由な空間。それに空を見ながら寝れるのも良い。狭いけど心の解放感は格別だ。それと、小さいころ海釣りでよく車中泊した思いでも残っているんだろう。釣り場に到着し夜明けまで車で寝ながら待ったものだ。なかなか寝付けなかったけど、潮騒を聞きながら「今日はどんな魚が釣れるんだろか」考える贅沢な時間。今でも何だか車で寝る時はワクワクしてしまう。

 GWの小旅行、会社員をしていた頃はいつも車で泊まりながら全国各地を回った。行き先はいつも海のある場所。たぶん、息子・娘も車中泊に僕と同じような感覚を抱くんじゃないかと思う。

 息子の受験が終わったら一緒に車で旅がしたいな。夢のように釣れる場所を探しながら。その時、息子とどんな話をするんだろうか。


11/21(月) 42.今年最後の宅配
 そうそう、いつぞやこのコーナーで触れた「ジュニア野菜ソムリエ」の試験ですが無事合格しました。一応成績上位者に与えられる特待生資格のある合格のようです。一夜漬け力いまだ衰えず!まあ何の自慢にもなりませんが。。。

 それと、宅配会員さん倍増計画の一環で、本日11/20〜11/31まで無料の「お試しセット」ご希望者を募集します!この文章をお読みの方、もしくはお知り合いで“旬の野菜”や“農業体験”にご興味のある方がおられましたら、是非ご一報下さい。[住所]・[氏名]・[電話番号]をお教え頂ければ『旬の野菜セット特別版』をドーンとお送りします。なお、現在既に会員になって頂いている方は対象外とさせて頂きますこと、何卒ご了承ください。
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 さて、本日今年最後の「旬の野菜宅配」を送り出した。宅配を始めて丸3年、通算で計21回の宅配をしたことになる。始めの頃は野菜を揃えるだけで必死だったが、特にこの半年は、どの野菜をお届けするか選択できるようになった。これはご協力頂ける農家さんが増えたことが大きい。小早川さん、実藤さん、末重さん、新竹さん、奥野さん、大田さん、則川さん、あいさいの皆さん、浜井さん、久保さん、小谷さん、徳武さん、沢さん、小野さん。今回は地元で有名な若手農業家である横田さんにも野菜を出して頂いた。本当に有難いことだ。もっともっとこの輪を広げ、より多くの皆様に孫野菜農園グル―プの野菜をお届けできるようになりたいと強く思う。

 そんな状況変化に伴い、地元での僕の役割も変わってきたように思う。作り手から売り手へ、毎日できる野菜をどこでどう売っていくか、良いものを作れば真っ当な値段で有政がキチンと売ってくれる、そんな存在であることを求められるようになってきた。そして、作り手の情報をお客様にキチンと伝え、お客様の声を作り手にフィードバックし次に活かす、この役割も大きい。

 もちろん、僕自身も生産者の1人でありたいが、事業として形にするには生産者だけの集団ではダメだ。価格決定権を持ち、生産から加工・販売まで、できれば物流も含めて内製化できて初めて利益を生み出す可能性が出てくる。たぶん価格決定権を持たない農家は大規模化しか生き残る道はなく、大規模化したことろでアメリカや中国・オーストラリアの大規模農場に対抗できるかどうか非常に疑わしい。価格決定権を持つためには、差別化できるもの、お客様がそれを選びたいと思う理由があるものを作るしかない。言うは易し、行うは難し。いつも突き当たっては悩む問題だ。

 まあ、悩みは尽きないが、今日1日は今年の野菜宅配を終えた余韻に浸ることにしよう。ばあちゃん、民ちゃんお疲れさんでした。

 会員の皆様、当方の野菜を食べて頂き本当にありがとうございました。こうして直接野菜をお送りでき、ご感想などをお聞きできることが各農家さんのやる気に繋がっています。来年もどうか宜しくお願いいたします。


11/14(月) 41.大学生臨時スタッフ
 まず、1周年パーティーにご参加頂いた皆様、翌日のbe修道会に来て頂いた諸先輩・同級生・後輩の皆様、翌々日のbe医師会にお越し頂いた皆様、日曜日のbe家族会に来てくれた各ご家族、そしてこの1年間beをご利用頂いた全てのお客様、取引先各社の方々に深くお礼申し上げます。スタッフも不眠不休に近い状態でよく働いてくれました。本当にお疲れ様でした。

 さて、話は変わり、今回しょうりきの体験行事に初めて大学生が参加してくれた。その人数なんと16人!全て広島大学の学生さんだ。ここに至った経緯を掻い摘んで説明すると
1)僕が大学時代の担当教官で仲人もして頂いた岡直樹教授が広島大学に転勤された
2)一度昼食でbeにお越しになり、その時にしょうりきでやっていることを説明する
3)先日しょうりき山里公園(私自宅)にもお越し頂いたところ、学生を連れてきても良いかと提案を受ける
4)教授が学校で参加希望者を募り、16人が手を挙げた
という次第。来ても4、5人かなと思っていたのでちょっとビックリ。

 スタッフとして参加してもらうにしても、人数が多すぎてどう役割分担するかかなり悩んだ。しかも今回は参加人数が多くなく、子どもは(乳幼児を除いて)8人しかいない。まあ、子どもたちはお兄さんお姉さんが好きだろうから(少なくとも中年のおっさんよりは)、贅沢に子ども1人につき2人の大学生を担当をつけることにして、うちのジュニアスタッフは参加者側に回ってもらうことにした。

 8時に集合してスタッフ・大学生合わせて25人でのミーティングを行う。いつもより(8:30)少し早めに始めたのは、しょうりき山里公園が何かを理解してもらうための説明時間が欲しかったからだ。スタッフの人数が多いと一つ一つ細かい指示をするのが難しい。そんな時はプログラムの全体像とその中での役割と行動原則を伝えて、あとはそれに則ってその場その場で判断し行動してもらう方が上手く可能性が高いと考えた。その行動原則を理解して腹に落してもらうためには、しょうりき山里公園を作った経緯やそこで何を目的にして行事を運営しているかを伝える必要があると思ったのだ。

 そして行動原則は以下とした。
 ・子どもの出来ないことを先回りしてカバーするのではなく、まずは子どもにやらせてみること
 ・答えを教えるのではなく、どうすればよいか子ども達に考えさせること(そのためには質問が大事)
 ・子どもの視線に“下げる”のではなく、同じ目線で一緒に楽しむこと
 ・指示された仕事をだけするのではなく、周りを良く見て何をすべきかを考えて行動すること

 実際その日は堆肥作り(山で落葉を集めるところから)・玉葱の植付け・紙飛行機大会とかなり欲張ったプログラムだったが、大学生の活躍もありイメージ通り・時間通りで終えることが出来た。子どもたちも打ち解け、親御さんたちも彼らの存在を好意的に受け止めて頂いたようだった。

 行事終了後は、後片付けとシイタケの原木移動なども手伝ってもらい、最後に反省会をした。本日の体験行事で良かったこと、反省点などの意見を出し合い、最後に僕から大学生にメッセージを伝えて16:00に終了した。

 これから社会に出る彼ら彼女らにとって、しょうりきに来たことが何かプラスになってくれればよいな。

11/9(水) 40.あっという間
 
 だったろう?と皆さんによく聞かれるのだが、それよりも「ようやくか...」という感覚の方が近いかな。

 これ、beがオープンして1年が経つという話です。何でなんだろう?毎年毎年時の経つ感覚が早くなっていたのに、今回ばかりはそう思わない。というか、広島に帰って3年経つけど、「まだ3年か」と言う感じ。

 これって、たぶん初めての道を進んでいるからなんだろう。例えば初めて車で行く場所があるとしよう。地図を調べ、行き先を確認しながら車を進める。街中の入りくんだ道や細い山道など、初めて通る道は自然と普段より注意しながら慎重に運転するのではないだろうか。帰り道は行きよりも時間が短く感じることが多い。これが毎日の通勤路になると慣れたものでもっと早く感じるようになる。実際運転時間も短くなっていく。

 特に、beのオープンはこれまでで最も未知の領域の業であったこと、また関係者が多かった分だけ自分の責任だけでは済まないところもあり、必要以上に気を遣ったところがあったかもしれない。また、リスクがそこらじゅうに散らばっている業態でもあり、慣れないうちは(今でも慣れていないけど)いちいちそのリスクに反応しながら仕事進めてきた気がする。

 そして決算。いくら努力したところで、決算書という通信簿がよくなければ社長失格だ。「この1年は早かったわー。」とある種の達成感も含めて言う気には到底なれない。もちろんこんなところで終えるつもりも無い。暦上は1周年の区切りだけど、心の区切りは当分先になりそうだ。

 、、、ってな心情ではありますが、皆さまに支えられて1年間お店を開けることができました。改めましてお礼申し上げます。今週末のbeは以下のような感じです。
■11/10(木) 1周年記念パーティー(※予約不要18:00〜24:00まで出入り自由)
■11/11(金) be修道会(19:00〜貸切)
■11/12(土) be医師会(19:00〜貸切)
■11/13(日) be家族会(18:00〜貸切)
お越し頂ける皆様、心よりお待ちしております。
もし10日にお越し頂ける方がおれれましたら、是非宜しくお願いします!どなたでも、何人来て頂いても大丈夫です。当日はスタッフ全員(私も)店に居りますので、お気軽にお越し下さい。

10/31(月) 39.野菜ソムリエ
 
 って資格をご存じでしょうか?

 ワインで有名なソムリエ資格であるが、今は野菜もチーズもある。昔は違う名前だったらしいが、ソムリエブームにあやかって、名前を変更したものと思われる。

 beをオープンすると決まった時に、「野菜ソムリエ資格ぐらいはないといかんだろう」と考え、受験を思い立った。この資格はジュニア野菜ソムリエ→野菜ソムリエ→シニア野菜ソムリエとあり、受験は下位から順番に受ける必要がある。

 調べると、通学しなくてもDVDとレポートで受験できることが分かり、これ幸いと安くないお金を払って受験を申し込んだ。しばらくしてDVDやらテキストやらが大量に届き、ちょっとうんざりする。まあbeがオープンするまで少し時間があるし、それまでに資格を取っちゃおうと思っていたら、現実はそう甘くなく、オープン準備に忙殺されるうちにどんどん後回しになっていった。

 そして時間が経てば経つほど大量の教材が目障りとなり、教材の上に雑誌を置いてみたりしたが「折角高い金を支払ったのに。。。」という心の声は消えることが無く、ようやく今年の9月頃に教材に目を通し始めた。

 すると、、、何と受験資格は1年間と書いてあるではないか!教材が届いたのが確か10月頭ぐらいだったので、もしかして既に受験できる資格が無いのかと焦った。速攻で協会に電話すると、幸いにも受験可能な最後の日程が10月15日にあることが判明。その場で申し込みを済ませ、やれやれこれで一安心、過半が合格するらしいので1ヶ月もあれば勉強時間は十分かな、とまた教材は放置された。

 1週間経ち、そろそろ始めんとヤバいかなと思いつつ、目の前の仕事をするうちに「明日は時間が取れそうなのでそこでやろう」という心の言い訳が何度も続く。あと2週間、まだまだ言い訳小僧状態。いよいよ1週間前、本格的にマズイぞ、と思ったらその週に限って何だか仕事が立て込んでしまい、いよいよ3日前になって本格的にテキストに目を通し始めた。

 結局レポートを徹夜状態で仕上げ、1時間ほど仮眠をとって倍速でDVDを見る。通勤途中の車の中で、信号待ちの度にテキストを読み、福屋さんに搬入する時には頭の中で覚えたことを反復、会場のホテルに1時間ほど早く入り、ラウンジで別件の打ち合わせを30分ほどやって、最終の確認をした。

 書いちゃったので落ちたら恥ずかしいが、自戒の念も込めてジュニア野菜ソムリエを受験したことをここに公表します。

 それにしても、中学時代から全く変わっていない自分の試験勉強スタイルに呆れるばかりだ。知識の詰め込みは身にならんですね。反省反省。

10/24(月) 38.意外なところで
 
 福屋さんのベジタブルフェアで3日間店頭に立った。

 普段は奥の方の野菜売場の一角に孫野菜のコーナーがあるのだが、フェア期間中は地下1Fのエスカレーター降り口の一等地に臨時売場を設け、そこに我々も含めて複数の野菜関係の店が出店。初日は母と妹が、翌日からは僕と妹がそのコーナーに張り付いて野菜を売った。

 初日にその売場を見たとき、昔人事コンサルとして関わったFRフーズ(ユニクロの野菜新事業/当時SKIPというブランド名で通販と店舗で販売)を思い出した。事業の立ち上げから携わり、FRフーズの人事責任者として採用を3年間請け負った。第一号店舗は東京銀座の名門百貨店・松屋に出店し、地下2Fのエスカレーターを降りた目の前にその売場はあった。柱を囲むように売場が作ってあり今回の売場とよく似ていたのだ。

 特に、我々の売場正面にある八百屋の雰囲気がよく似ていた。ワインの木箱を使って、葉付き・泥付きの野菜をパッケージし、田舎臭さのないスマートで温かい印象を与える店だ。扱っている商品も“トムトム”というバカでかいシイタケや、“ポットベラ”というこれまたでかいマッシュルーム、皮まで食べられるマスカットや高糖度トマトの高級ジュースなど、品揃えも何となく似ている。

 品物の珍しさもあるのか、その店には人だかりができる。我々も含め計3軒の野菜コーナーが並んでいるのだが、こっちはさっぱり。「全国から珍しいものを並べて売ってるだけだろ。こっちは農家が来て直接売っているんだ。負けるわけにはイカン!」と僕の勝負魂に火が付いた。2日目からは僕自身が売場に立ち集客に努めた。向かいの店の店長とチラチラ目が合い、そのうち会話を交わすようになった。

 そして最終日の夕方、ひょんなことからFRフーズの話が出た。何とその店(本店は呉市にあるらしい)の経営者は、元FRフーズの人だったのだ!僕が採用に関わった人の名前も出てきたりして本当に懐かしい。3年間でお取り潰しになったユニクロの新事業、それに賭けて入社した人がその後やっぱり野菜を売るべく奮闘している事実。一方、そのユニクロの新事業の採用を3年間支え続けた自分。僕の人事コンサル経験の中で最も思いの入った案件であり、そして僕も野菜を売るようになった事実。その2つの事実が福屋の地下1階で出会う偶然。あるいは必然。何だか運命的なものを感じてしまった。

 こんな体験をするとき、色んな偶然のベクトルが、全てある方向に向かっているような感覚を覚える。40歳で広島に帰ってきたこと、修道という学校に通ったこと、人事の仕事に携わったこと、これまで出会った人々、この家に生まれたこと、、、、。偶然を必然と思うことで心の安心を得たいのか、それとも自分はそれを成すために生まれてきたのか。

 それは後々判明するんだろうが、必然と信じてやっていこう。

10/18(火) 37.恐怖のレンコン掘り
 
 「何て大げさなタイトルを」と思われた方、そう思われるのも無理ないことだが、僕にとってはレンコン掘りは恐怖以外の何物でもない。

 遡ること3年前、東京から帰ってきて「さあ、これから新しいことにチャレンジするんだ!」とはちきれんばかりの気合が入っていた頃のことだ。確か曇天の寒い日だった。父親に「今中のレンコンを掘りに行かんか?」と誘われた。ちなみに、今中さんとはウチの隣に住む親戚で、レンコン畑を持っている。立派に葉が茂っていかにも良いレンコンが出来ていそうなんだけど、何故かあまり収穫せずに(毎年!)放置されているのが気になっていた。

 「レンコン!」頭の中でパチッと電気が走った。レンコンは美味しいし、泥の中での農業体験なんて面白いプログラムが出来るかもしれない。頼んでやらせてもらいたいぐらいの話だ。

 「よし、行こう!」二つ返事で腰を上げ意気揚々とレンコン畑に降り立った。土は長靴がくるぶし辺りまで埋まるほどの状態で、一歩毎にべっとり泥が付いて歩き難さ100%。田靴を履いてくれば良かったと思ったが、今更帰って履きかえるのも面倒なので、そのまま作業に入った。

 実際、レンコンはどうやって収穫するのか?レンコンは地中40〜60cmぐらいの深さにあり、且つ地中で長く伸びているので、上からピンポイントで掘っても上手く収穫できない。どうするかというと、、、なんと畑の泥を表層から60cmぐらいを全て取り除くのだ!これ冗談のようなホントの話。

 で、具体的にどうするかというと、まずは畑の端に幅50cm、長さ3m、深さ50cm程の溝を掘る。これが作業の足場となる。そして、溝の側面を表面から20cmずつ地面と並行に泥をスコップですくい取り、それを後方(逆の側面側)に置いていく。それを続けると、あたかも溝がそのまま“一”という姿を保ったまま前進するような格好になる。皆さんイメージできるだろうか?溝を前後に伸ばすのではなく、溝をそのままの形状で前に移動させる感じ。これが実に重労働。水気をたっぷり含んだ泥は重く、且つスコップにくっついて離れない。その泥をすくっては体をひねり、スコップを2、3度振って泥を落とすを延々と繰り返す。

 何故そんなことをするのか。それは、縦方向にスコップを入れるとレンコンを切ったり傷つけたりする可能性が高くなるからだ。レンコンは切り口が空気に触れるとすぐに痛むので、なるべく傷をつけずに掘る必要がある。また、レンコンは地中深くに横たわっているが、両端や節から芽が出ており、だいたい表面から20cmぐらいのところまで伸びている。なので、表面から20cmぐらい土を取り除くと、レンコンのあるところにはまず芽が発見できる。傷をつけずに確実にレンコンの在り処を見つける方法でもあるのだ。

 表面から泥を20cmほど取り除き、芽を発見したらどうするか??そこからは基本的に手で掘っていく。移植ゴテや貝掘り用の道具も使ってみたが、慎重にやってもレンコンを傷つけてしまうことが多く、キレイに掘ろうと思ったらやっぱり手が確実だ。

 粘土のような泥を手で掘る場合は、まず指4本(人差し指から小指)を泥に差し入れ、中で少し折り曲げて、泥の固まりとして取り除く。踏めばズブズブ埋まる泥も、指を差し入れるのは結構力がいる。それを折り曲げるのは更に力がいる。

 そうやって目当てのレンコンに辿り着くと、今度はレンコンの周りの泥を慎重に取り除く。底の方の土は固く締まっており、一番底は砂と石が交じる固い土になっているので、この泥を取り除くのはかなりの指力を要する。そうやって地道に泥を取り除き、長い物は1mを越えるレンコンを掘り出すのだ。

 苦労した分だけ掘り出した時の達成感は大きい。ヘロヘロになりながらも、もう1本、もう1本と発掘を続けた。計5時間ほど、父と二人で40本ほど掘って日没終了となった。

 そしてその翌日、激痛で目が覚めた。

 中指が曲がったまま動かず、伸ばそうとして激痛が走ったのだ。しかも両手とも。曲げる時も関節に引っ掛かったような感覚と共に激痛が走る。その日は到底作業にならず病院に行ってみた。医師の診断は「腱鞘炎」。指の使いすぎですと言い渡された。どうやったら治るのか聞いたら「指を使わないことです」との返答。農家にとっては死刑宣告に等しい。

 少なくとも、無理をして指を使うのは厳禁。まあ、痛いので無理をできる状態ではなかったが、手を使う農作業は多く、恐る恐る作業をする日々が続いた。激痛で目が覚めるほどの時期は1ヶ月ぐらい、それ以降は痛みを感じる程度が1年、そして指の関節に引っ掛かるような違和感は今でも続いている。

 そりゃあ、レンコン畑も放置するわな。くわばらくわばら。

10/10(月) 36.秋野菜とワインを楽しむ会
 
 10/6に表題の会をbeで開催した。

 元々beは、9人の仲間が「自分たちの行きたい店」というコンセプトで立ち上げたこともあり、これまで企画した会は仲間内(家族会・誕生会・beゴルフ会・beカープ会・be雀倶楽部表彰式などなど)が中心で、いわゆるお客様向けに企画したのは今回が初めて。身内なら少々の粗相は「不慣れでスマン」で済まされても、今回はそうはいかず、準備にもそれなりの時間を要した。

 何度か関係者で話し合いをし、固まったコンセプトが以下。
 ・野菜とワインを楽しむ
 ・季節感
 ・キチンとした接客&フレンドリーでくつろげる雰囲気
 ・ご参加される皆様の交流

 上記より、実際は以下のような会となった。
 ・孫野菜農園で採れる旬の秋野菜をメインにした料理をビュッフェ形式でご提供する
 ・複数のワインを楽しんでいただく。ワインの説明は専門家(取引先の方に依頼)が行う
 ・30人の予約制で、大テーブルで席次を決めず、隣同士で話せるようにする
 ・野菜をディスプレイする

 何と言っても肝を冷やしたのは集客。会の内容を決めるのに時間を要したこともあり、ようやく広報を開始できたのは会の10日前となった。あわてて仲間内に連絡したもののあまり反応が芳しくなく、これまで来られたお客さまで名刺をお預かりした方々にも手書きの案内状を送ったり、個人的な知り合いに連絡したりで、ようやく予約が埋まったのが2日前だった。と思ったら、今度は定員オーバーしそうになって集客をお願いした友人に予約終了の連絡をしたり、キャンセルが入ってまた案内したりと、何だか最後までドタバタしてしまった。

 また、並行して、ワインの選定をしたり、出す料理を決めたり、その料理に使う野菜を確保したり、料理とワインのメニュー表を作成したり、ディスプレイに使う野菜を考えたり、机の確保などなど、やるべきことが結構あったりする。

 まあ、それでも“やるべきこと”とは最低限必要なことであって、満足度を高めるためには+αで何ができるかが大事なんだと思う。やっつけ仕事としっかりした仕事の差というか、少なくとも僕が顧客なら主催者の本気度や努力、言ってみれば“汗のかきどころ”が会の随所に感じられるかどうかで満足度が左右される。

 考えた末、今の僕にできる“汗のかきどころ”は、実際の季節感を提供することなんじゃないかと思い、会の前日に山に入った。欲しかったのはアケビや栗・紅葉した葉など、秋をダイレクトに感じる山のもの。あいにくの小雨交じりで思うようにはいかなかったが、それでも10数種類の秋を確保し、翌日竹の丸いカゴにそれをディスプレイした。会の途中で何人に方がご覧になられたかは分からない。ただ、さりげなく置いたそのカゴに、その日の僕の思いが一番乗った気がする。そして、そのカゴが僕自身の気分も高揚させてくれた。

 目につく所をキレイにしたり飾ったりするのは当たり前。目の付き難いつころや何でもない所こそ思いの差が出る。「神はディテールに宿る」著名な建築家の言葉らしいが、まさにその通りだと思う。ドキドキの連続で精神衛生上はあまり良くなかったけど、色んな意味で勉強になった会だった。本当にやってみて良かった。

 お越し頂いた皆さま、本当にありがとうございました。次回は1月に冬版を開催予定です。こちらもどうぞ宜しくお願いいたします。

P.S.その前に1周年パーティーを11/10(木)18:00〜24:00(※入退店自由)を開催します。もうbeがオープンしてい年が経つんですね。。。こちらも精一杯頑張りますので、是非覗いてみて下さい!!

10/5(水) 35.(久々に)車中にて
 
 福屋への野菜出荷が始まって、週3回は家を7時に出発するようになった。

 夜店に立つ日は終わって帰りつく時間がだいたい午前1〜2時ごろ。それから野菜の値付けをし、出荷表を作成し、野菜の説明を書いたりするのにだいたい2時間強かかる。朝は最終チェック(虫がいないかどうか、等)するのに30分程度かかるので、寝る時間がほとんどない状況となってしまう。

 という訳で、特に行きの車中が異常に眠い。帰りならちょっと寝ることもできるんだけど、行きは納品時間が決まっているのでそうはいかない。じゃあ、その眠気にどう対処するか、ガム・熱いお茶・冷たいお茶・お菓子・ラジオ・窓の開けっ放し・顔をひっぱたく・足をつねるetc...。

 で、辿り着いたのが歌を(結構大きな声で)歌うこと。これ、某黒々系ガムを噛むよりも、顔をひっぱたくよりも効きます。まあ、問題は同乗者がいると使い難い技であることと、対向車線の運転手から変な顔で見られることぐらいか。お金もかからないし、痛くないし結構最近のお気に入りです。

 ちなみにどんな歌を唸っているかというと
 大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、チャげ&飛鳥「万里の河」、A.R.B「ダディーズ・シューズ」「魂こがして」「さらば相棒」、RCサクセッション「つ・き・あ・い・た・い」「トランジスタ・ラジオ」、BOOWY「CLOUDY HEART」「Dreamin’」「No.NEW YORK」などなど。

 高校時代に聞いた曲ばっかりなのはなぜだろう?これって自分的懐メロなんだろうか。

9/27(火) 34.秋のホタル
 
 昨日ホタルを見た。秋にホタルが飛ぶことがあると本で見たことはあるのだが、通算16年間しょうりきに住んで初めてのことだ。

 実はこれには前段がある。

 一昨日の夜、トース引き(乾燥した米の籾を外して玄米にすること。籾すりともいう)のため協力農家さんのところにお邪魔した際に、溝でホタルの幼虫が光っているのを見つけたのが事の始まりだった。もしやと思い翌日の夜チャレンジ畑に行ってみた。ここは畑の脇の水路が小川に通じており、春にはホタルがよく舞う場所だ。

 周囲に家はなく、車のライトを消すと墨汁のような闇となる。徐々に目を慣らし、まずは小川辺りを探してみる。下流から上流に視線を移すとその先は真っ暗な森となっており、何か出てきそうで正直怖い。さすがに森の中まで入る勇気はなく、今度は道路脇の水路に沿って草むら辺りに目を凝らしてみたが、ここにもいない。

 そんな簡単に見つかるもんじゃないよな、なんて思いながら休耕田の向こうの山に目をやると、何か光ったような気がした。近くを通る車のサーチライトに何かが反射したのかな?なんて思いつつ、光った辺りに目を凝らしてみると、今度は少し右で光った。「ん?もしや!」

 スーっと糸を引くように、それはどんどんこっちにやってきた。こころなしか春よりも点滅のタイミングが短い気がする。肌寒い秋の夜に飛ぶ1匹のホタル。出会うべきメスはおらず、それでも本能でもう1つの光を探し続けるのだろう。そしておそらく使命を果たせずに散る。機を逸したものの結末。秋の夜の出来事。

9/20(火) 33.雨のち晴れ
 
 最近、景気の悪い話ばかり書いている気がする。

 結局最後の1枚の田んぼも2度目の迷走台風で予定日に稲刈りができず、稲刈り研修(法人契約の田んぼで、契約先法人のスタッフがバス貸切で来られ稲刈りをする予定だった)も流れてしまった。気合十分で企画していたのに本当に残念なことだ。そして残ったのは再び泥水となった田んぼでの稲刈り。今週末に決着をつけないと収量・品質ともピンチな状況。今年2度目の超ハード系稲刈りがまた始まると思うと、気が重い。

 今日の朝は福屋さんに野菜を持っていく途中に1時間の渋滞に引っ掛かり、危うく納品制限時間に遅れるところだった。連休明けの雨降りなので激しい渋滞は致し方ないと思うものの、バス専用レーンをルール無視で突っ走り、挙句の果てに強引に割り込んでくる輩たちには本当に頭にくる。そんなことをするから全然前に進まんじゃないか!

 何とか時間までに納品を終え、外に出たらまたシトシトと雨が降っている。個人的にはドバッと降る雨の方が分かりやすくて好きだ。ジメジメ・ウジウジ・ダラダラ・・・いつ止むとも分からぬ霧のような雨に間欠ワイパーのタイミングが合わずにこれまたイライラする。「降るなら降れ、止むなら止め!」とブツブツ言いながら運転している自分が嫌になる。

 配達を2件終え、とんぼ返りで市役所に向かう。農業助成金の申請書類が道路工事の影響で書き変えないといけないところがあったか何かで、書き直してまた持って来いとのお達しを受け、書き直した書類を早めに持っていく必要があったのだ。前回申請した時にわざわざ窓口まで書類を持参して確認したのにまた書き直しか、どうなってるんだと厭味の一つも言いたくなるが、地域代表という立場を鑑みて「お役所仕事め!」と心の中で呟きながら書類を提出。お役人さん、頼むからもう手間をかけんでくれよな。

 そんなこんなで家に帰ったのは12:00前、今日は野菜宅配の発送日なので急いでその準備に取り掛かる。母と妹が野菜の梱包は既にしてくれていたので、あとは野菜の説明としょうりき通信を書くだけ。16:00までには引き渡しをしたいので、逆算すると14:00までには作成しないとイカン。ああ、誰かこの仕事を肩代わりしてくれないかなと思っても、いないものは仕方がない。

 やれやれと思いながら筆ペンを走らせ米のことを書いていると田植えや稲刈りのことが思い出され、徐々に気分が晴れてきた。ようやくこうして新米を送ることができたな、美味しいと思ってもらえるかな、なんて考えていると自然と気分が高揚してくる。母が摘んできたススキを入れて梱包終了。出荷して本日の仕事は終了した。

 散々毒も吐いたし、やるべきことはキチンと終えることはできたし、まあ結局は悪い1日じゃなかった。止まない雨は無い。雨があるから晴れが気持ち良いだろうな。秋晴れが待ち遠しい。

9/13(火) 32.無事収穫できました!
 
 先週1週間は店に立たず、ずっと田(大町)に居た。

 まずやったのは、農業体験で刈ってもらった稲の移動。というのが、刈った稲を重ねて置いておくと、下敷きになった稲が水気を吸って発芽してしまうからだ。発芽した米を乾燥させるとどうなるか?実は砕けて粉々になってしまうのです。さすがに40人が2時間以上かけて刈っただけに、かなりの量がある。母と私で田の周囲に張ってある害獣除けの金網に一日中置き続けた。

 翌日から妹と叔母が加わり、今度は倒れて機械で刈ることができない場所の稲を刈る。まだ田の水が引いておらずその場に稲を置くことができないので、2人組みで稲を刈る人・運ぶ人に役割分担。刺すような太陽光に熱せられて、サウナのような田の中で1日中稲を刈り運ぶを繰り返した。作業を終え、すっかり暗くなった田を見渡すと、、、これだけやってもまだ全体の1/5程度しか稲刈りが終わっていないことに愕然とした。

 翌日からは手刈りした稲を脱穀する作業に入る。稲刈り機に脱穀機能がついており、稲を一束ずつ脱穀機に通していく。この脱穀作業の難敵は痒みだ。脱穀時にモミからワラから細かい埃が飛散し、それが体につくとものすごく痒くなる。掻くとそれを合図にあちこちに痒みが広がってしまうので、忍の一字。

 午後からようやく機械で稲刈りができる状況となった。月曜からのカンカン照りで地面が少し乾き、べったり倒れて機械では刈れない場所も少なくなったからだ。ただ、機械でバンバン刈れるというわけでもない。というのも、まだ稲が水気を含んでいるので量を少なめに刈らないと機械に詰まってしまう危険性があり、また、倒伏した稲で刈り筋が見えず、刈り筋の稲を手で起こさないと稲刈り機が入れられないのだ。

 この作業がこれまたキツイ。中腰のまま、稲刈り機と競争するように絡みついた稲を一つ一つ起こしていくと、10分もしないうちに全身から滝のような汗が落ちてきて、稲の葉で手首辺りが切り傷だらけになる。一度に刈る量も少ない(通常は3列刈るのを2列にした)ので、そのぶん稲を起こす作業が増えるという次第。例年は1日半で終わる稲刈りが3日かかった。

 この後は力作業が中心となる。稲刈り中に出てくる籾の入った袋(20〜30s)が田のあちこちに散らばっており、まずそれをトップカー(キャタピラの運搬専用車)に乗せ、次にトップカーから軽トラに乗せる。それを乾燥機まで運び、袋に入った籾を一つ一つ乾燥機に入れる。乾燥→脱籾の過程を経て出てきた玄米を30s強ずつ袋詰めし軽トラに乗せる。家に帰って保冷庫に入れるため、また袋を抱えて運ぶ。都合、袋運びが発生する工程が5回。初めの籾の入った袋が132袋、最後の玄米が61袋だったので、計517回袋を上げ下げした計算になる。ちなみに精米まで考えると1袋につきあと2回増えます。

 こんな感じで大町の稲刈りが終わり、翌日には2枚目の田(三角)も稲刈りを終えた。そして9月12日に新米を試食、心配された品質の悪化はなく、無事に収穫できて本当によかった。これで皆さんにお米をお届けできる。そして、1週間田に居続けることができたのは、beのメンバーが有政不在の穴を埋めてくれたからだ。深く感謝したい。

9/6(火) 31.試練
 
 稲が倒れた。

 稲刈り体験に来て頂いた方はご覧頂いた通りなのだが、8月半ば頃から稲がバタバタと倒れ始めた。ウチで作っているコシヒカリは食味は抜群だが作り難いことで有名な米で、草丈が高く腰が弱いため倒れやすい。米農家がコシヒカリをあまり作らないのは、売れる値段が多少高くても、それ以上にリスクが高いからだ。倒れた理由は他にもあるのだが、ここでは割愛。

 悪いことは重なるもので、先日の台風が西側に進路を変えた影響で1週間ほど雨が降り続け、収穫に備えて地割れするほど乾かしていた田んぼがまるで田植えのときのような状態になってしまった。

 稲が倒れた上に、収穫期の田んぼが水浸しになると非常にマズイ。何がマズイかというと、、、
 ・倒れた稲の穂先が水に浸かり、品質に悪影響を及ぼす場合がある
  → 水抜き(超重労働)をして田んぼを早急に乾かす必要あり
 ・稲刈り機が泥に埋まる可能性があり、且つ倒れた稲は機械では刈り難いため、稲刈りを手作業(超重労働)
 でする必要あり
  → おそらく大人3人で4.5日分の作業量
 ・濡れた稲が機械に詰まるため、稲から籾(殻付きの米)を外す作業の前に稲を干す必要あり
  → 田んぼの中が水浸しのため、刈った稲を畦に運んで一束ずつ置く必要あり(これまた重労働)
ざっと考えただけでも14日分/人の作業量が追加されそうだ。

 ただでさえ畑作業が間に合っていない状況の中で、追加でこれだけの作業が発生すると、何かを諦めるしかない。たぶん虫にやられる野菜が続出するだろう。さりとて仮に米を上手く収穫できたとしても皆様にご提供できるだけの米の品質が担保できているか不安が募る。もちろん収入的にも大きな痛手だ。

 そんなことを考えながら、3500平米ほどある田んぼの真ん中で、いつ終わるともしれない作業を母や妹と繰り返す。台風一過で痛いような青空が恨めしい。「何でこんなことになるんだ、クソ!」ぬかるんだ泥の中から足を引き抜くたびに口をつく。

 そんな状況でもしないといけない仕事はあるわけで、ヘロヘロになって帰ってきたら明日福屋にもっていく予定の野菜が各農家さんから来ており、その仕分け作業や伝票作りをしているとあっという間に深夜だ。翌日7時過ぎには家を出て、福屋への野菜の搬入を終えて、もう1軒野菜の配達をしてから店に行き開店準備に取り掛かる。

 最低限のことだけやって、あとはスタッフの子に開店準備を任せ、今度は給与の計算。明日は終日農作業しないといけないので、ゲゲ、支給日が週末にかかっているということは今日中に銀行手続きをしなくちゃいけないじゃないか。12時に2件予約が入っているので、それまでに計算を終わらせよう、なんて考えは取らぬ狸で、開店直後からそこそこ忙しい。

 それでも合間を見つけて計算してみると、予想よりも人件費が高い。8月がこれまでで一番厳しい月だったのになんでこうなるんだ、なんて言葉がつい口に出る。14:00のラストオーダーを待って帰り支度をし、銀行経由で速攻で家に帰らなくては、なんて考えていると営業電話がかかってきた。普段なら即切りするんだけど、こんな時に限って結構興味のある話で、手短にと頼んだのにウダウダ話が長く、終わったら14:30を回っていた。

 急いで銀行に行き、給与支払いの手続きを終えて灼熱の車に乗り込んだのが15:00。これから1時間15分ぐらい車を運転し、家に帰ったらまた田んぼ作業だ。ぬるいコーヒーでパンを流し込みながら、帰ってからの段取りを考えると、いつの間にか最近の冴えない出来事が頭を巡り「なんで上手くいかないんだろうな」とつぶやいている自分がいる。

 上手くいかないことを嘆くのも、人のせいにするのも、その人の自由。でも、自分で始めたことだもんな。こんな時にどんな態度で人と接することができるか、人間力を鍛える良い機会にせねば。

8/31(水) 30.危機一髪!
 
 いやー、マジで怖かった。

 月曜日の午前中、この日は特別に夜だけ店を開ける(本来定休日)ことになっていたので、出勤する前までにあらかた作業を終わらせるため、朝から張り切って畑に出ていた。今日の作業は、現在畑にしている小町を来年から田んぼにするため、草だらけになった畑の草を刈り、トラクターですき込むことだ。

 前2日で草刈りを終え、母は刈った草を集めて僕はトラクターで草をすき込んでいた。昼前になり、2台あるトラクターのうちの1台を倉庫に入れるため、急勾配の坂を上がろうとした時にそれは起こった。

 坂にトラクターの前輪がさしかかった時、何と前輪が浮き始めたのだ。トラクターはエンジンがある前部と人が乗る中央部、土を耕す刃が付いた後部に分かれる。後部は鉄の塊みたいなものでかなり重く、更に坂で後部に加重がかかり、後輪が支点になって前輪が浮いてしまった、というのが物理学的?理由。しかも、悪いことにその坂道は斜め右に傾斜しており、今度は低くなっている右側に傾き始めた。

 「マズイ!横転する」

 とっさに体が反応し、左側に飛び降りた。と同時に、トラクターは音も無く横倒しになった。時間にして1.2秒だったろうか、えらく長い時間の出来事のように思えた。「トラクターの下敷きになってよく人が死ぬんで気を付けーよ」と父が何度も言っていたことが後から蘇ってくる。無理に立て直そうとして飛び降りれずそのまま下敷きになったり、飛び降りようとしたときにシフトレバーや計器に引っ掛かって巻き込まれたりするらしい。冷たい汗が背中を流れた。

 またそれからが一仕事。倒れたトラクターを軽トラックで起こそうとしたが、タイヤが空回りするばかりで到底無理。結局JAの知り合いを呼んでレッカーで吊り上げてもらった。

 運転も仕事も慣れたころが一番危ないという。今回も無理せずバックで上がっていればこんなことは起きなかった。やっぱり基本は忠実に、常に初心に帰ることが大事ですね。

8/23(火) 29.協力農家会議開催
 
 本日、ご協力頂いている農家さんに集まってもらい、話し合いの場を持った。

 お越し頂いたのは、小早川さん、実藤さん、末重さん親子、大田さん、小野さん。事情があって何人か欠けているものの、それでもこうして揃うと「向原の野菜作り名人集結!」てな雰囲気で本当に頼もしい。広島に帰ってきた頃に知っていたのは小早川さん一人だったので、2年間でだいぶ変わったなと実感する。

 会議の内容は福屋での野菜販売の件。具体的には「お客様からどんな声が届いているか」「なぜ福屋で販売をすることになったのか」「お客様はどんな方が中心なのか」「売場はどんな感じなのか」「販促をどうしているか」「実際の売上はどうなのか」から始まり「今後どうすればより良くなるか」を皆さんで話し合った。

 前半の僕からの状況報告は「まあ、我慢して聞いちゃろうか」てな雰囲気?だったものの、後半の実際にどんなものが売れているか、今後どんなものを作れば良さそうか、その作り方は?なんて話題になるとがぜん盛り上がるから面白い。

 僕としては、皆さんが一生懸命作った野菜がお客さんから喜ばれていること、個人の農家ではなく思いの共通する農家の集団として野菜を提供していきたいこと、現状に満足せずより良い状態を目指し続けること、を皆さんが理解し、共通認識になればと思いながら会を進めたのだけれど、果たしてどこまで伝わっただろか。

 しょうりき、be、福屋を通じて思うこと。「立ち上げよりも、続ける方がはるかに難しい」

8/16(火) 28.いくつになっても
 
 beは14日〜16日まで盆休みとした。

 スタッフの厚意もあって13日の午後から休みをもらい、「さあ久々に釣りでも行くか!」と言いたいところだったが、13日〜15日までは高校・大学の同級生家族が立て続けに家にやって来てミニキャンプ、16日は預かっていた甥っ子の親御さんが息子を迎えに来るなど、結局連日連夜のどんちゃん騒ぎとなった。

 その間にも、福屋への野菜の仕入・運搬があったので、深夜まで伝票を作ったり野菜の仕分けをしたりしてそこそこ忙しい。空いた時間ぐらいゆっくりすればよいのに、地域のソフトボール大会からお呼びがかかればいそいそと出かけたりする自分に呆れてしまう。

 しかし、いまだにソフトボール大会などの集団系球技に参加したいなと思うのはおかしいのだろか??運動能力の低下をひしひしと感じつつ、それでも必死にボールを追ったりバットを振り回す、それが楽しんだよなー。例えば今回のソフトは同じ町内の地区毎にチームを組んで対抗戦をするんだけど、普段なかなか顔を合わせないご近所さん(ほとんどは60歳前後)と、見慣れない顔はどこかの親戚で、そこに地域の子ども達もチームに入って3世代混成チームで結構マジに試合をして、勝った負けたと騒いでいる。やっぱり打てないと悔しいし、ナイス守備などが出たりすると超嬉しい。

 次の日は、あきれる妻の目線を振り切り、早朝から子ども達を連れ出して野球をした。もうすぐ43歳、その後にきっちり全身筋肉痛に襲われようと、やっぱり運動好きなんだなーとつくづく思う。いつになったら心境の変化が訪れるんだろうか?

8/8(月) 27.手違いで削除してしまいました
8/1(月) 26.新たな一歩(3)
 
 先週金曜日から福屋での野菜販売が始まった。で、売れたのか?

 はい、お陰様で予想を越える売れ行きで、野菜売場の責任者も驚いていた。全く宣伝しておらず、今回の件を伝えたのは身内と野菜宅配の会員さんとこのHPでの案内のみ。お客さんのほとんどは全く新規の方で、我々のような野菜を世の中が(もしくは福屋で買い物をされるような方々が)求めていることが実感できたのは大きな収穫だった。

 釣りと同じで、魚がいるかいないか分からない場所で釣るのと、魚がいると分かっている場所で釣るのは、仮に全く釣れない状態だとしても気持ちや打ち手が全然違う。どうすれば売れるか具体論で考えることができ、スピーディーに手が打てる。

 具体的には、初日は店頭小売価格ベースで5万円強の売り上げがあった。平均250円の野菜を袋詰めしており、個数にして200袋売れた計算になる。だいたい平均2セット程度お買い上げ頂いてるので顧客数100組。うち知っている方が5名程度だったので、純粋な新規は95組だ。

実はこの日、金曜日の野菜売り上げが過去最高だったらしい。店長の話では、地産地消などのイベントをすると、その野菜は売れるが、その分既存売場の野菜の売れ行きが鈍り売上トータルでは変わらないことが多いのに、この日に限って言えば既存売場の売上も下がらず、純粋我々が売った分だけ売上が積み上がったようだ。どうしてこのような現象になったか、改めて分析してみたい。

 とまあ、良い話ばかり書いてきたが、問題点もそれ以上にある。

 まず、今回は販売支援部隊(母・妹・私)を投入して実現した数字であること。おそらく生鮮売場で最も声出しして集客し、詳しい野菜の説明を加えたからこそ売れたのであり、野菜だけを並べた状態では変わった野菜が多いぶん、売上が激減することが容易に想像される。これをカバーするには「わかりやすい野菜に絞って売る」か「野菜の詳しい説明を作る」か。絞りすぎると売場がしょぼくなるし、詳しい説明を作るのは相当手間がかかる。仮にその両方をバランスよくやったとしても、販売支援を置いた場合と比較して売上減は避けれないだろう。

 また、物流問題も未解決なままだ。金曜日は親子3人いたので福屋の近くに野菜を下ろし、計100kg以上ある野菜を福屋まで人力運搬したのだが、これから週3回(火・木・土)私1人で運ぶのは相当の重労働になる。しかも朝早くいかないと福屋の近くに野菜を下ろすことができない。家を出る時間を1時間早める必要もあり、その分他の業務にしわ寄せがいく。

 そして供給体制。店にいつもある状態を実現しないとお客様が固定化しない。供給体制を固めるためには協力農家の皆さんが「福屋に野菜を出したい」と思える状態を作ることが重要となる。買い取り価格や支払条件、出荷までのプロセス再考、販売情報のフィードバックなど、まだまだ考えること満載である。

 さあ、どうするか?そろそろ人を入れないといけない時期を迎えたのかな。。。

7/28(木) 25.新たな一歩(2)
 
 いよいよ明日から福屋さんでの野菜販売が始まる。

 東京から帰って初めて農業体験をした時、beをオープンした時と全く同じ気持ちを今回も抱いている。一言で言えば「強烈な不安」。本当にお客さんは来てくれるのか?何か準備で足りないものはないか?この一週間、ふとしたはずみにこの気持ちが湧き起こって、仕事が手につかない。

 今回は特に周囲の高い期待を感じるのが不安を助長している。今回話を持ってきてくれた野菜販売会社の社長や従業員の方々、協力してくれる農家さん、beのスタッフ(自店で使っている野菜が福屋で売られることの相乗効果への期待や自信めいたもの)、生活がかかっている家族など、絶対成功させなくてはと思えば思うほど、失敗した時の状況を勝手に想像してしまう自分がいる。

 蛇足ながら、前号から今日にいたるまでのプロセスを簡単に記させて頂く。
6/29 野菜販売会社の社長・福屋の売場店長・物流会社の社長が畑の視察に来向。
   しょうりきの畑と協力農家3軒の畑を視察し、その場で基本合意に至る
7/1〜7/8 協力農家さんに福屋さんでの野菜販売の開始を伝え、協力依頼を行う
7/7 福屋・社長との会食
7/15 福屋野菜売場の店長・副店長との詳細打ち合わせ
   供給体制、プロモーション、オペレーション、販売開始までの必須業務と役割分担などを話し合い、
   22日からの販売予定を1週間延ばす
7/17 商品コンセプト案、プロモーション用の材料を提出
7/18〜26 協力農家さんとの役割分担や支払方法の検討、説明資料の作成
7/27〜28 協力農家さんへの具体的協力依頼と集荷・請求・支払などの詳細項目説明、
     出荷予定の野菜確認。合わせて、新規協力農家の新規開拓を行う

 この中で最も頭を使ったのは協力農家さんとの協力体制。予想では、beで使っている野菜の3倍程度の販売量になる。これまでは量もそんなに多くないので、我々自身が農家さんところまで取りに行き、場合によっては収穫も代行してきたが、量がこれだけ増えるとそ到底回らなくなる。また、値段も明確な規定を設けず、感覚値に近い感じで値決めをしていたのが実情だ。

 これをキチンとした形に変えようとしたとき、どうしてもこれまでよりは協力農家側の負担が高くなる。例えば野菜の集荷は基本的にウチまで持ってきてもらうことになる。店への納品時間を考えると朝8時半までとせざるを得ない。また量り売りができないので袋詰めも必要になる。毎回現金精算できないので納品書・請求書の作成もお願いしないといけない、等々。

 普通の商売であれば当たり前の話でも、新たにやることが増えると考えると面倒くささを感じるのは致し方ない心情。でもここは理解を求めて協力してもらうしかない。理論で仕組みを考えるのは容易だが、実際に運用できるかがカギを握る類の仕事の典型だろう。

 てな感じで、とうとう販売前日を迎えてしまった。あードキドキする。でもこれが結構クセになるんだよなー。

7/18(火) 24.新たな一歩(1)
 
 唐突ながら、7月29日から地元資本No1百貨店・福屋さんのB1でしょうりきの野菜を販売することが決まった。
 
 事の発端はbeから。いつものように接客していた6月某日の夜。わりとお客さんの少ない日で、常連と新規のお客さんが数組食事をされており、いつもの通りバーニャカウダを出しては野菜の説明を繰り返す。「へー」とか「そうなんですかー」とか、たまに「テレビで見ましたよ〜」なんて反応がほとんどなのであるが、この日の二人連れの一人の反応は違った。「何?自分自身で野菜を作ってらっしゃるのですか?」
 
 「ええ、その通りです」と答えながら、次の反応を待つ。「実は私は野菜を売っていまして、今の話詳しく聴かせてもらえませんか?」と渡された名刺を見る、と明らかに食品関係の会社と分かる社名が記されており代表取締役の文字が。30代でこのポジションとは、新興企業か2代目かなと思いつつ、今度はこっちが質問する。「どんなことをされている会社なのですか?」
 
 あれこれ話すうちに、本体は野菜市場の運営や大手流通相手の野菜卸をしており、別会社(今回の名刺の会社)で野菜の販売をしていることが判明。しかもその場所が福屋だという。デパ地下といえば高級食材のオンパレードで、我々のような田舎野菜になんで興味を持ったのか不思議に思い質問をぶつけてみると、「地産地消」をリアルに感じられる野菜をずっと探していたとのこと。百貨店側からもそのような取り組みをして欲しいと依頼が来ており、たまたまそんなタイミングで(通りがかった)beに入り、偶然農家兼店長と話をして解決策を見出したようだ。
 
 もちろん、我々としても悪い話ではない。福屋で扱ってもらえるということは、それだけで信用度が上がる。多くの商品供給者にとっては垂涎の的だろう。野菜のブランド化・高付加価値商品で一気に拡大、、、なんて言葉が頭をめぐる。
 
 しかし、考えてみれば地方大会の予選リーグで戦っていたチームがいきなり県大会の決勝リーグに出場するようなものだ。しかも売れなければすぐに姿を消される厳しい世界。支持されなければ逆効果もありえる。実際我々の野菜が福屋の顧客に耐えられるものかどうか不安がよぎる。供給体制は?物流面をどう解消するか?冷静に考えるとドンドン問題点が浮かんでくる。
 
 すぐに事を進めたい相手方の雰囲気を感じつつ、「実際に農場を見て判断頂けませんか」と伝えた。

7/11(月) 23.しょうりきの一日
月曜日は定休日。なんだけどこれはbeの話で、しょうりきでは農業をまとめてやらないといけない日となる。

 1月からランチを始め、農業繁忙期になる3月以降は人をシフトし、昼は農業、夜はbeという時間の割り振りをしようと考えていたのだが、そう上手くもいかず、いまだに昼・夜店立つ生活が続いている。いきおい農業をする時間がほとんど取れず、それでも母・妹が日々の農作業をやってくれているので何とかなってはいるものの、男手じゃないと出来ない仕事もあり、それが溜まってしまうので月曜日にやるしかないという構造。

 今日もそんな日だった。

 梅雨明けの猛暑で朝から強烈に暑い中、長袖のシャツ(1日中外に居るとやけど状態になるのでなるべく肌の露出を少なくするため)に日除けのデカイ麦わら帽子をかぶり、ハイカットの作業靴(虫刺されを防ぐため)を履き、お茶を抱えて外に出る。今日の仕事は秋野菜用の畝作りだ。

 狭い畑なら手作業で畝を作ることもできるのだが、広い畑はそうもいかない。管理機と言われる畝を立てる専用の機械は取り回しが難しく力も相当いるのでもっぱら僕の仕事となっている。開始10分で大量の汗が噴き出してきた。2時間経ったらパンツまでぐっしょりになり、昼飯で家に帰った時は服を全取っ替えしないと気持ち悪くて飯も食えない。

 2時まで休憩を取り、それから再度畑に出たら午前中とは比べ物にならないぐらい暑い。あえぎあえぎ何とか畝を作り、溝をきれいに整えていた矢先に、今度は早い夕立が襲ってきた。20分ぐらい降っただろうか。大粒の結構激しい雨だったせいで、土がドロドロになってしまいその後の作業ができなくなってしまった。

 うーんどうしようと考えていたら今度はブユの猛襲。こいつら暑い最中はいないのに、日が陰ったり気温が少し下がると大量に発生してくる。大きさは蚊の半分ほどながら刺されると蚊の数倍腫れあがり、それが2.3日続くもんだから手に負えない。

 予定よりちょっと早いが、母と協力農家を回ることにした。目的は2つ。1つは明日広島市内の花屋さんに卸す野菜を収穫してくること。もう1つは今できている野菜・今後できる野菜を把握しbeの発注用元データを作ることだ。4軒を巡り順次ヒアリングと収穫を繰り返す。向原町の南端から北端まで移動、結局2時間かかり、家に帰りついたら18:00になっていた。

 それから明日の出荷準備。野菜を洗って重さを測り袋詰めする作業を各野菜ごとに繰り返す。ちなみに今日収穫したのは茄子3種類、ミニセロリ、赤ジャガイモ、トマト3種、アスパラガス、紫インゲン、マクワウリ、ペンシル人参。20:00に終わってすぐに風呂に入り、遅い夕食となった。

 夕食が終わり、ちょっとゆっくりしようと思っていたら、近くで鹿がしきりに鳴いている。「もしや畑に入ったのでは?」と急いで外に出て懐中電灯で畑を照らす。幸い畑には入っておらず道路をたどって山の方に走っていた。

 やれやれと思ってふと空を見ると、快晴の夜空に見事な上弦の月。夕立の影響だろうか、畑と山の裾野に薄靄がかかって何とも幻想的な光景を見せてくれた。羽化し遅れたホタルが一匹、スーッと夜空を横切り、カエルのと虫の二重奏がのどかな山里を演出している。たっぷりと汗をかいた体に夜風が心地よい。

 よし、HPの更新までやって寝ることにしよう。今日はそんな1日だった。


7/6(水) 22.頭に来たぞV
(20話の続きです)

 責任者からの電話は夕方に来た。その日ではなく、2日後。ほんとどうなっているんだろうか。

 さすがに気まずかったのか、かなり丁重な口調で「電話を頂戴していたみたいで...」と切り出してきた。湧き上がる怒りを抑えつつ、どう話を進めるか考える。まあ、代替案(Uパックに切り替える)は既に用意しているし、明らかに対応の非は向こうにあるので、心に余裕はある。逆切れされないようにだけは気を付けようと思いつつ話を進める。

 まずは何でこんな対応になったのか、その理由から聞いてみるか。「何で折り返しのご連絡がこんなに遅くなったのですか?」(ちょっと無言の時間があり)「いえ、ちょっとなかなか連絡できなくて。。。」(その返答は0点だなと思いつつ、少々強めの切り返し)「ちょっとって何ですか?3回ほど折り返しをお願いしたのですが電話一本する時間が無かったですか?」「いえ、スイマセン」(本人も非は自覚しているんだな)「まあ、折り返しの件は置いておくにして、今回急に料金の変更があったのはなぜですか?もしそうされるにしても事前に予告があってしかるべきではないのでしょうか?」「あ、いえ、そのつもりは。。。」「事務の方からは責任者からの指示があってとお聞きしています。それは本当ですか?」「いやー、そのー。。。」「もし変更するのであれば正式な見積もりをお出し頂きたいと事務の方にお伝えしましたがお聞きになっていますか?」「。。。」

 てな会話がしばらく続き、結局料金は据え置きという形で決着した。もっと踏み込んで更なる料金の引き下げ交渉をしようかとも考えたが、あまり強引なことをすると変なうわさが立つ懸念(田舎の難しいところですね)や荷扱いの心配があるので、幕を引くことにした。

 念のため、今回の料金を書面にして出して欲しいと依頼。「2,3日中には必ず」と話があったが、2週間たっても届いていない。ホントどうなってるんだろうか。。。

 いくら素晴らしい会社でも、現場の1人の対応でその会社のイメージは大きく棄損させられる好例ですね。ホンマ最後まで頭に来るなー。


 前回・前々回の「頭に来たぞ」を見て頂いた心配や応援のメッセージを沢山頂戴しました。ご心配をおかけして大変申し訳ございませんでした。また、勇気付けて頂いて本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

 
6/27(月) 21.北九州からの来客
 北九州から妻の両親がやってきた。

 前回法事の途中でちょっと寄ってもらったのが2年前、泊まってもらったのは今の家が建った4年前なので本当に久しぶりだ。父の日のプレゼントと称して、子ども達の様子(ちょうど俊助の市陸上競技会、佳穂のハンドボール広島県予選が土日にあった)と、かなりご心配をかけたしょうりき山里公園やbeが実際どうなのかを実際に見てもらおうと、妻が画策したのだ。

 金曜日の夕方には到着したようだったが、僕はちょうど週末にかけてAM4:00帰りという日が三連荘で続き、土曜日出発前のすれ違いざまに挨拶ができた。家族のテンションが異常に高いことに気付く。みんな来てもらったのがよほど嬉しいのだろう。つくづく人を迎えるのが好きな一家だなーと苦笑してしまった。

 土曜日は俊助の陸上競技会、日曜日は佳穂の試合と夜はbeでの会食、月曜日は野菜宅配の手伝いと、なかなか盛り沢山なスケジュール。俊助が110mハードル・400m走・400mリレーに出場しそれなり活躍、佳穂は優勝し7月の全国大会への出場が決まった。

 僕は日曜日休みをもらってハンドの試合と店に同行した。ハンドのルール説明を両親にしながら一緒に試合を見学する。コーチとして関わった半年前(beのがオープンする時に辞めた)からかなり成長している彼女たちに選手時代の自分を投影しながら「何でここでパスができないんだ」とかブツブツ言っている自分の横で、佳穂の活躍を我がことのように喜んでいる両親がいた。

 僕がおじいちゃんになった時にもこんな機会があればいいな。

 
6/22(水) 20.頭にきたぞU
(18話の続きです)

 待てど暮らせど連絡が無いのでこっちから連絡をかけることにした。

 でも、ただ連絡をかけるだけでは芸が無い。この状況をプラスにもっていくことはできないか改めて考えてみた。無い知恵を絞ってみたのが以下。
1.今回の連絡・対応の不味さを交渉ネタに使い(怒り狂っている感じで電話をすれば少しは効くかな?)、あわよくば、さらに良い条件を引き出す
2.この際、他社への切り替えも視野に入れて情報収集してみる

 2については、しょうりき山里公園を始める当初複数社にあたってみたことがあり、一番良い条件だったのが今使っているの某大手宅配会社なのだが、実は1社だけ声をかけていないところがあった。それが日本郵便。

 そもそも、ベースの料金が高く、料金を柔軟に対応するという話は聞いたことが無く、且つ半官半民的なイメージがどうも性に合わず、端から話を持っていかなかったのだ。ただ、こうなったら四の五の言ってもいられない。幸いなことに、俊助の同級生のお父さんが郵便局の局長をされているので、まずはその方に相談することにした。

 すると、幸運なことに宅配の料金が最近支局単位の決済事項になったようで、上手く話しをすれば柔軟に対応してもらえる可能性があるとのこと。早速担当者を紹介してもらい翌々日にはお会いすることができた。変なかけ引きはせずに正直に現状を話そうと心に決め、何で今回相談したのか、現在の宅配数・頻度がどうで、今後しょうりきの宅配事業をどうしていこうと考えているのかなどを包み隠さず話した。

 事前に現在の宅配料のことは局長を通じて伝えて頂いたこともあったのだろうが、その場で「これぐらいであればいけます」との回答をもらう。見ると現在の料金とほとんど変わらない額だ。しかも、事前に連絡すれば集配もしてくれるという。(現在の宅配会社は集配すると言いつつ、なんだかんだ理由を付けて1回も対応してくれなかった。後で聞くと30個以上の集配に耐えうる車が無かったことが判明)

 ひとまず胸をなでおろし、翌日現在の宅配会社に連絡する。怒りモードではなく、冷静&ちょい怒りモードで交渉しようと決めていたのだが、例の受付年配女性が電話口に出て思わず怒りモードになりそうになった。イカンイカン、怒りを抑えた感じの落とした口調で「ご責任者から連絡が無いのだがいつご連絡を頂けるのか」と聞くと、さすがにマズいと感じたのだろう「今席を外しているので今日中には必ず電話させます」との返事がある。「必ず、、、ですね。それでは連絡をお待ちしています」と言って電話を切った。

 続きは近々。。。

 
6/13(月) 19.つまらん説明会
 どうも最近心穏やかでないことがよく起こる。今回は説明会の話し。

 Be株式会社も小さいながら従業員がおり、労働保険(雇用・労災)に加入している。7月半ばが更新時期となっており、その説明会の案内が仰々しい封筒で店に届いた。まあ、これも勉強かなと思い出席することにした。

 朝9:30から2時間半、社会保険と労働保険の説明がセットになっており、睡眠不足の目を擦りながら、平和公園横の広島国際会議場に15分前に到着した。中に入ってみるとこれが広い!この会場が埋まるとなると相当の企業数が来るんだろうが、少し早かったのかまだ会場はまばらで、後ろ寄りの端の方に席を取り開会を待つことにした。

 そうこうしているうちに説明会が始まった。結局その後の参加者はほとんど増えず1/4も埋まっていない。この会場を借りるのにどれぐらいかかっているんだろうかといらぬことを考える。お偉いさんのご挨拶から始まり、次のお偉いさんの、これまたご挨拶があり、実際の説明が始まったのは15分後。前置きはよいのでさっさと始めてほしいと思うのは僕だけだろうか。

 前半の社会保険は現時点で特に関係無いので適当に聞き流す。1時間半後、いよいよ真面目そうな女性の係長が登場し労働保険の説明が始まった。まあ、一応ハローワークにいて失業保険の手続きにも関わったことがあるし、聞けばわかるだろうとタカをくくっていたが、これがサッパリ頭に入ってこない。周りを見渡すと、他の人も?を10個ぐらい頭の周りに浮かべながら聞いている。

 原因は、いわゆる原稿棒読みで、視線を原稿に落したまま一切聴衆の方を見ず、説明するページがあちこちに飛び、ボソボソと話すのでどのページの何を説明しているのかさえよく分からないこと。「その表に記載してある19の(ハ)は、15の(イ)と同じ意味です」「ん?どの項目だ?何の意味だ?」と思っているうちに、次のページに進んでいる。ずーっとこんな調子。

 ちょっとでも聴衆の方を見たら自分の説明が理解されていないことぐらいは気付くだろうに、原稿を読むこと自体に必死になっているのか、聴衆を見ないことで自分自身を保っているのか、兎にも角にも意地で原稿から目を離さない。そうこうしているうちに、諦めた参加者がまだ説明が半分も終わっていないのに帰り始め、終わったころには半分以下になっていた。

 「何とか申請手続きを理解してもらおう」という気持ちが少しでもあれば、説明方法も違っていただろう。残念ながら説明会を開催すること自体が目的化しており、係長さんも説明者にいやいや任命されて2時間を耐え忍んだとしか思えない。係長さんもその意味では辛かったんだろうけど、こっちも相当な徒労感とこれぞ税金の無駄遣いじゃないのかというやり場のない怒りに苛まれた。

 しかし、、、この保険を運用するために経費がどれだけかかっているんだろう。元の制度にどんどん特別事項をくっつけて複雑にした現行の制度自体にも問題がある気がする。シンプルで分かりやすいの一番ですね。

 
6/6(月) 18.頭にきたぞ
 それは母の一言から始まった。

 11:00頃、、ランチの営業準備をしている最中だった。携帯に母から電話が入り、聞こえもしないのに「はいはい」と言いながら電話に出る。

 「雄ちゃん、昨日出した宅配の値段が●●円だったけど、こんなにしてたかね?」

 準備をしながら流すように聞いていたが、値段の時に一気に意識が覚醒した。なに、いつもの2.5倍じゃないか!頭の中が????????だらけ、イメージしている金額からかけ離れ過ぎていて、何でそうなったのかイメージすらできない。

 もともとこの事業を始める際に、事業収入の柱が宅配になると想定しており、宅配費用が鍵を握ると踏んでいた。幸い近所に宅配会社に勤めている方がおり、その人を通じて料金を安めに設定して頂いで事業をスタートすることができた。多い月には100個ぐらいの荷出しをするので、それなりに大口顧客として優遇してもらっているものだと思っていた。

 何かの間違いだろう。宅配会社に連絡を入れると、いつも受付をしてくれる年配の女性が電話に出る。用件を話すと「今回から値段を変えさせてもらいました。」とあっさり、さも当たり前のような返答。「ちょっ、ちょっと待って下さい。何でそうなったのか理由を教えてもらえますか?」

 すぐに折り返すと言って電話を切られ、結局電話があったのは夕方遅く。「責任者が特別な料金は設けず、サイズ別できっちり料金をもらうように指示がありました。」「いやいや、うちは死活問題ですよ。一応、それなりの数も出しているし、ご配慮があってもよいんじゃないですか。」「いや〜、うちも死活問題なんですよ〜。うちの事情も分かってくださいよ〜。」駄々っ子を諭すような、あやすような口調が更に油に火を注ぐ。「少なくとも料金改定をする旨を事前に連絡頂けるのが筋じゃないんですか?」「いや〜、急に決まったもので。上司からも指示なので私では何とも、ねえ。」

 まさに水かけ論、この人に話しても埒が明かないと思い、その上司を出してくれと言うも、今は配達に行ってていないという。であれば、どういう料金体形になったのか、書面にして提出して欲しいとお願いするも、5日経っても何の音沙汰も無い。

 今期の宅配が始まる前なら、まだ手の打ちようもあったが、スタートした後にこんな話が出るのは非常に痛い。さて、この結末はどうなることやら。。。

5/30(月) 17.コメント
 先週金曜日にJステーション(広島ホームテレビ)で我々のことが紹介された。

 まず、撮影に喜んでご協力頂いた会員の方々・お客様・友人・スタッフに深くお礼申し上げたい。本当にありがとうございました。

 18:30ぐらいから金曜特集というコーナーでVTRが流れたらしいのだが、その時間はもちろん店に立っており、且つ予約で満席の日で家に帰れず、翌日も同様の状態で、結局見れたのは日曜日の昼だった。

 その間、色々な方から「見たよ〜」という連絡が入る。一様に「良かったで」というご意見を頂いて少し安心した。皆さん見ているポイントが様々で、同じ映像なのに印象に残るところは人によって違うもんなんだなと変に感心する。

 そんな中、面白いと思ったご意見はこれ。「最後の司会のコメントが気に食わん!」

 VTRの後、司会の方が「さすが元キャリアカウンセラーをされただけあって、皆さんを元気にされるような感じですね、云々」という意味合いのことを言われたのが気になったらしい。彼曰く「コメントが浅い!」有政が映像では明るくしゃべっていたが、それをするためにどれだけの努力をしているか、どれだけ不安な気持ちでやっているのかに触れないと、やっていることの深さが伝わらないじゃないか、ということらしい。

 まあ、そんな努力や不安なんて司会の方はご存じないし、勝手な意見といえばそうなんだけど、これを聞いてジーンときてしまった。アリがやっているのはそんな軽いものではない、何で理解できないのか?伝えてくれないのか?という歯がゆさ故だろう。そこまでのことをやっているかどうかはさておき、僕のことを我がことのように考えてくれる友の存在は、それだけで元気をもらえる。

 結局その友とは、店が引けた後に朝4時まであれこれ話し込み、それから帰路についたのでVTRを見れたのは日曜日だったというのが事の顛末。

 お互い熱く頑張っていこうぜ!でも体にも気を付けなくっちゃね。

5/23(月) 16.ささやかながら
 今年の最初の旬野菜宅配が先程終わった。

 昨日は、佳穂の小学校最後の運動会ということで、気遣ってくれたスタッフが「日曜日は私に任せて娘さんの運動会に行って下さい」と泣きそうな事を言ってくれ、月曜日はbeが休みで、久しぶりに家に48時間いる事が出来た。

 心配された雨も降らず、これまた久しぶりに小学校に行った。テントのあるグランド脇の場所は既に先約で一杯、さればと小学校の頃よく遊んだ中段の芝生席に行く。グランド面から2.5mほど上にある芝生が植えてある細長いスペースで、全体が良く見渡せる場所だ。昔と一切変わっていない白鳥のオブジェがあり、その相変わらずの無意味さ思わず笑ってしまった。

 親として見る運動会もそれなりに楽しいが、やっぱり僕は競技する方が好きかな。とはいえ、借り物競走で呼ばれたりするのも嫌だし、親子競技は俊助に任せて、佳穂の出ない時は溜まった読書に勤しむ。母に声をかけられて佳穂が走っているのを見ると、ありゃ?これが相当速い。徒競争の一番速い組でも断トツ1位、選手リレーのアンカーの時は2位からゴボウ抜きで1位でゴール。そう言えばこの間道路で競争をしたら僕と速さがほとんど変わらなかった。「俺も衰えたなー」と思っていたが、佳穂もかなり速くなったんだと実感。中学校にはハンドボール部が無いけど、彼女はどんなスポーツをするのだろかと一瞬脳裏をかすめる。

 トイレに行く途中で昔の同級生やら上級生やらに声をかけられる。一昔前までならちょっと立ち話で終わりだったけど、今はそんな会話も楽しむことができる。いや、声をかけてもらって本当にありがという気持ちかな。2年地元に居ると、それなりに知っている顔も増えており、あちこちで会釈しながら歩く。

 その夜は久しぶりのモツ鍋。ニラ・ニンニク・タカノツメは自家栽培、キャベツはもらいものという格安仕様で、何故か僕が調理担当になっていた。佳穂は辛いのが苦手なんだよなーと思いつつ、タカノツメを2本投入。俺に任せたので文句も言えまいと心でつぶやきつつ、味見をさせると「マジうめ〜」と若者風の評論コメント。う〜ん、いつの間にか味覚も大人化していた。

 「今日は久し振りに父と飲むか」とビールを5本冷やしておくも、350cc缶一本飲んだところで早くも睡魔が襲って来てジ・エンド。板間にうつ伏せになり、佳穂に腰を踏んでもらいつつ意識が遠のいていった。まあ、これはこれで幸せだな。

 P.S.宅配会員の皆様には、火曜日には野菜がご自宅にお届けできると思います。春の葉物満載のサラダ食をイメージしたセットです。是非お楽しみ下さい!

5/19(木) 15.全ては我の中にあり
 今回は独り言を書くのにえらい苦労した。

 気分が乗らないと言っちゃあアカンのだが、何だかもやもやした気分がここ最近続いている。一番の原因はbeの売上が最近厳しくなってきつつあること。お世話になっている卸さんからは「5月はどこも厳しいですよ」とか「beさんはかなり良い方だと思いますよ」なんて言われたりするが、何の慰めにもならない。出来る事はたくさんあるはずなのに、悩むだけで考えがまとまらず全然手が打てていない。

 それに、農業が本格的に忙しくなり、体験行事もスタートし、5月末からは野菜の宅配も始まる。その間いろいろしないといけないことがあったのに、最低限の事しか出来ておらず「あっ、あれをすればよかった。。。」ということが多発。ストレスは募るばかりだ。

 あれこれやっているんでそもそも物理的に時間が無いのでは?いや、そうじゃない。「俺は追いこまれないと本気にならない」「忙しい時こそ遊びたくなる」「たまには休んでも」という自己暗示やら都合のよい慰めを言い訳に、無為な時間を過ごすことが多くなったのが原因だ。

 仕事の締め切りを勝手に伸ばし、やるべき仕事に手をつけず、挙句の果てに睡眠時間まで削って目の前の「楽しいこと」に時間を費やす。これじゃあ上手くいくはずが無い。そんな自分を客観的に見ている自分もどこかにあり、「駄目な奴だな」と勝手に落ち込む。やることもたまって気分ばかりが焦り、考えに切れが無くなっていく。

 こんなレベルで悩んでいるようではそもそも終わってるんだろうけど、それも現実の自分なんだと認めて自らを変えていくしかない。上手くいっている時は皆様のお蔭、上手くいかない時は全て自分の責任。会社の大きさは経営者の器によって決まると聞く。来てくれるお客様・一生懸命頑張っているスタッフ・応援してくれている仲間たち・そして自分のためにどんどん自らの器を大きくしていかないとイカンですね。

5/10(火) 14.テレビの収録
 Jステーションという番組(広島ホームテレビ)で取り上げて頂くことが決まり、3回目の収録が先週末に終わった。

 これまではbeの紹介で取り上げて頂くことが多かったが、今回は僕個人にフォーカスしたものらしく、体験行事や農作業、店での接客シーンに車で移動する場面に至るまで、何だか僕の生活が丸裸にされているようでちょっと気恥ずかしい。

 事の発端は同番組のディレクターがたまたまbeでランチをされたことから始まる。結構暇な日で、1人でふらっといらっしゃり、料理の説明が高じてアレコレ自分のことをお話しした。日常よくあることで、その日も普段通りにお見送りをしたところ、帰り際に「実は私こういう者で・・・。」と名刺を渡され、見ると“Jステーション ディレクター何某”と書いてある。

 テレビなんてほとんど見れないし、地元情報に疎い僕は「ローカルのラジオ番組か何かかな?」なんて思い、「そのうち取り上げさせて頂くかもしれません」というお申し出も社交辞令程度に受け止め、「まあ、機会があれば宜しくお願いします」と、こちらも社交辞令的に返答してその日は終わった。

 そんな感じで、来られたことさえ記憶から遠ざかっていた2カ月後、突然店に電話が入った。消えかかっていた記憶がよみがえり「ああ、あの時の」なんて話すうちに「番組で取り上げたいので正式に一度話しを聞けませんか?」との申し出が。断る理由も無く、まあ店の宣伝の足しにでもなれば良いかなんて軽く考え、お受けすることにした。

 一応、どんな番組なのかネットで調べると、これがホームテレビの毎週16:50から2時間の大型情報番組。うーん、これに取り上げて頂くほどのものが僕にあるのかいな?と、いきなり不安になる。お会いして話を聞けば、撮影だけで4.5回したいとのこと。「こりゃあ、下手したらマズイことになるぞ」と考えるも、めったにあることでもないし、今やっていることがどう評価されるか興味もあり、そのまま話を進めることにした。

 不運は重なるもので、撮影日の前日に限って店が忙しく、しかも仕事後に悪魔のような誘いが都度入り(心が折れて乗ってしまった自分が一番悪いんですけどね、苦笑)、睡眠時間ほとんどなしのボロボロ状態で収録が進む。これまでも2度ほどテレビに取り上げて頂き、特にそんなに緊張もせず割と自然体で話せたかなと思っていたのに、今回は自分が何を話しているのか分からなくなるようなあり様。話しのキレは無いし、目の下のクマはひどいし、脂汗をかきながらしゃべっている映像が容易に想像され、ヒドイことになっているのではないかと思うも後の祭り。

 しかも、ディレクターの質問がかなり本質的で、上手く言おうとすればするほどドツボにはまっていく状態。いや、これは睡眠時間の問題ではなく、俺自身の考えの浅さがもろに出てしまったのではないかと後悔は募るばかり。ホント見るに足るコンテンツになるのだろうか。。。

 そんな感じで現在収録が進んでおり、あと2回の撮影後、5月末ぐらいにテレビに流れるようです。自分でも見るのが怖いのですが、お時間が許せば見てご感想など頂けると嬉しいです。(汗)

5/2(月) 13.ジュニアスタッフ
 4/30、5/1に田植えを行った。特に日曜日は雨の予報だったにも関わらず9家族にご参加頂けたこと、また土曜日はテレビ収録に快くご協力頂いたこと、この場を借りて深くお礼申し上げたい。

 さて、今回から新しいジュニアスタッフが加わった。普段は行事に参加している小学5年生で野球好き。行事そっちのけで野球をしていることもしばしば。まあ、我々としてはプログラムにはめ込んで行動を強制することはしなし、この田舎でそれぞれ興味のある事を見つけて、それに一生懸命になってくれればよいと思っているので、彼の自由な行動もそれはそれで良い。

 そんな彼がスタッフになるとどんな行動をとるか個人的に非常に興味があった。いつもの通り朝8時からスタッフミーティングを行い、彼には以下を伝えた。
■スタッフはご参加者に喜んでもらえるとこが仕事であること。そのためには参加している皆さんをよく見ないといけないこと
■初めてのご参加する方もいるので、特に子ども達と打ち解け、仲良くなること
■田植えの模範を示すこと(ちなみに昨年・一昨年とも田植えの途中で尻もちをつき、御世辞にも上手に植えたとは言い難かった)

 ミーティングの時は神妙に聞いていたが、さてどこまでできるか懸念は残る。たぶん他のスタッフも同じような思いを抱いていたように思う。

 それがフタを開けてみると、彼の活躍は目覚ましかった。初対面の子どもたちを誘って畑でボール遊びをし、自分が楽しいだけでなく、みんなが楽しくできるように彼なりに工夫したり、田植えの時も昨年とは見違えるような植え方で、他のスタッフと調子を合わせ、キチンと真っすぐ植えていた。それができたことが自分自身でも嬉しかったのだろう。「今年はコケなかった」「むっちゃキレイに植えれた」と何度も言っていた。

 他のスタッフも彼の変貌ぶりに驚いたのか、行事終了後の反省会で「ヨッシーが頑張っていた」「ヨッシーの頑張りでスタッフチームの田植えはバッチリ出来た」と口々に賞賛の声が上がる。それを恥ずかしそうに嬉しそうに聞いている彼を見て、スタッフも嬉しそうだった。そんなみんなを見て、僕自身も目頭を熱くした。

 そんな経緯を経てその日のスタッフMVPは彼となった。

 行事にご参加頂いたいる方々以上に、スタッフが学んでいることが多いと思う。もっともっとジュニアスタッフが増えてくれれば良いな。

4/25(月) 12.アリのいきかた(2)
 今回は長男が生まれてからの話。

 どの親にとっても子どもは特別な存在だろう。懐妊が分かった時、名前を考える時、初めて抱きあげた時、初めて喋った時、初めて歩いた時・・・。その時々で親としての感情が生まれ、自覚が強化されていく。

 生まれるまでは「五体満足であれば」と願い、「こんな人になって欲しい」と名前を考え、成長するにつれ、その子の将来を想像する。それはモチベーションに転化し、時に悩みの種となり、親自身の成長を後押ししてくれる。

 長男の俊助という名前は、人助けができるぐらいの人になって欲しい、その行動をすぐに起こせる人になって欲しいと思って付けたものだ。我欲だけでなく、みんなの幸せを自分の喜びと出来ること。そのためには自分自身が自立しなくてはいけないこと。そして、その自立は行動の積み重ねによって掴むことができること。

 上記は妻との話し合いの中で着想したことだ。懐妊が分かってよく妻と子育てについて話し合った。子育ての方針は将来目指すべき姿があって決まる。じゃあ、どんな人間になって欲しいか、何を軸にするのか、お互いの意見を交換する中で「自立」という1点に集約されていった。

 そんな経緯があって、有政家の子育ては、全て自立がベースになっている。初めにしたのは「自分のことは自分で決める」ということ。例えばスーパーに行ってお菓子を買うときも予算を決めて子ども自身で選ぶ。2才ぐらいからそうしてきた。もちろん初めはよく分からず買って食べられないものもあるけど、その時は今後は無駄にしないようによく考えてから買いなさいと言った。

 そう、決めるためには「考える」ことが必要となる。考えるためにはそのベースとなる情報が重要だ。だから分からないことがあれば自分で調べなさい、調べ方がわからなかったら分かる人に聞きなさいという話をする。家族で釣りに行く時も必ず魚類図鑑を持っていき、釣れた魚を調べる。始めて釣れた魚は名前が分からないのでどの種類の魚の仲間か体形やひれの特徴などで類推し、特定する。触っても安全か?毒はないか?食べれそうであれば実際に食べてみる。必要以上の魚は釣らない。釣った後は次の人のためにゴミを持ちかえりその場をきれいにする。そんなことを遊びの中のルールとして織り込んだ。

 そして、自分で決めた事は最後までやり遂げることを求めた。最後までやり遂げるためにはモチベーションが継続することが必要となる。高いモチベーションを持つ要因の一つとして「自分がやると決めたんだという自覚」があると思う、。だから僕たちは結論を誘導したりこっちで決めることをしない。もちろん、この結論を出して欲しいと思うことも多いし、まだ子どもなんだから親が決めてあげなくてはと思う人もいるだろう。それを我慢できるかどうか。

 例えば高校受験を来年に控えた俊助の場合、僕は彼が進路を決めるための話し相手に徹する。彼の話す内容の整理役みたいなもんだ。そしてたまに「進路を考える時に考えないといけないこと」を参考情報として話す。高校を卒業してすぐに働きたいのか、得意分野を活かすような仕事をしたいのか、それを探すために学校に行くのか、大学に行くことが将来仕事をするにあたってどんな影響を及ぼすのか。

 そんな話し合いの中で彼は自分の進路を決め、それが実現できるように今年の計画を立てた。生徒会長の仕事、野球部の活動、しょうりきの仕事、そして受験。全部やりきるためには遊ぶ暇なんてないと自覚したようだ。結果がどうなるかは分からないけど、どんな学校に行っても、そのプロセスは彼の財産となり、少なくとも僕が学生の頃よりは将来を考えながら学生生活を送るはずだ。

 まだまだ書きたいことはあるのですが、今回はこの辺で。

4/18(月) 11.馬鹿は死んでも...
 beのオープニングスタッフとして採用したアルバイトの子が3月でbeを卒業した。

 九州の大学を卒業した彼女は、就職先が決まらず親の転勤と共に広島に引っ越してきた23歳で、4月には就職したい(面接したのは昨年の10月)という希望を持っていた。半年の期間限定ながら、それでも一緒に働きたいと思わせる明るさとバイタリティーと独特のほわんとした雰囲気のある子だった。

 ちなみに、皆さんは採用する時に何を重視されるだろうか。スキル?人柄?コミュニケーション力?年齢?性別?意欲?それとも適性検査の結果?

 僕の場合は、1.この職場で働く意味がある人か 2.職場として働く意義を提供できる人か 3.行動が伴う人か の3つを軸にしている。補足すると、1はその人がやりがいや楽しさをこの職場で感じてもらえそうかどうか、2は会社としてその人の希望や目的に対して提供できるものはあるか、3は口先だけの人ではないか、ということ。

 もちろん、ホールスタッフであれば接客ができるだけの会話力があるかとか、気配りはできるかなど、その職種やポジションによって付加される判断軸はある。ただ、その人が高いモチベーションをキープして長く仕事をしてくれるには1.2が必須要素と考える。

 以前採用の仕事をしていてよく陥ったジレンマがある。それは「会社の実力以上の人を採用すると大概辞める」ということ。経営者としては優秀な人が欲しい。できれば1人でも状況を打開してくれるスーパーマンが。実際数少ないながらそんな人がいることはいる。

 仮に、上手いこと言ってその人を何とか採用したとしよう。でも、実際に仕事をしてみて社長の言っていたことが違ったり、この会社で得るものが無いと感じた時、ほとんどの場合辞めてしまう。「エライやつは頭でっかちで」とか「エリートはプライドが高くて使い難い」とか、その手の愚痴を散々聞いてきたが、裏を返せば、その人にやりがいを提供出来なかった会社(多くの場合は経営者)に問題があるともいえる。

 誤解して欲しくないのは、その人に何でもかんでも与えろという話ではない。「これは絶対実現したいんだが、俺はよくわからんから君に任せてもええか?」の一言で死ぬほど頑張る場合もある。要はその人が頑張るポイントを把握して、それにミートした仕事やマネジメントになっているかどうかということ。

 前出のアルバイトの子の場合は、「彼女の就職活動であれば俺がサポートできる」ということだった。変な採用理由だけど、当時まだ店も出来ておらず、どうなるか皆目見当もつかない状況の中で、優秀な彼女を採用して元気に最後まで働いてくれる理由をそこに見出した。そして5カ月後、無事就職が決まり、且つ最後まで店も頑張ってくれた。

 彼女の今後の活躍を祈りたい。

 それと、もっともっと優秀な人が採用できるように、beも僕も成長しないといけないです。いや、タイトルは彼女が辞めて超忙しくなったのに、その最中で睡眠時間を削って遊んでしまう自分の習性を自省する内容にしようと思って付けたのですが、いつの間にか内容が変わってしまいました。どーもこの手の話になると書きたくなっちゃいますね。反省...

4/14(木) 10.燃料切れ
 最近、店を石井くん(通称ヨシブー:beの役員/しょうりきスタッフNo10)に任せて農作業をする機会が増えた。
 営業日にしょうりきに居ると何だか後ろめたいのだが、こっちもやらないとbeにも迷惑がかかるし店のウリでもあるので頑張ってやるしかない。分身の術かどこでもドアがあればどんに楽だろうとバカなことを考えながら農作業をする。

 しかし、この時期の外仕事は本当に気持ち良い。気温が20度前後、力仕事でかいた汗を柔らかく乾いた春風が拭い去ってくれる。鳥があちこちでさえずり、憎きモンシロチョウもひらひらと野菜の周りを舞っている。たまに山から「キー」という鹿の鳴き声が響いてきて、自分自身も自然物の一つとしてこの風景に溶け込んだような感覚になる。

 中でも、田んぼのしろかき(半年間寝かした田んぼに水を入れてトラクターで土をかき混ぜる作業工程)は好きな作業の一つだ。はじめは縦方向にトラクターを走らせ、全面かき混ぜ終わったら今度は横方向にかき混ぜる。広い田んぼは目印が少なくヘタにやるとかき混ぜていないところが発生したり、曲がってかき混ぜると作業効率が落ちる。傍から見ると単純作業のようで上手くやろうとすれば頭も使うし機械操作の熟練も必要となる。

 もう30年も使っているポンコツのトラクターが奏でる何とものどかなエンジン音の横で、透き通るように白いサギがミミズ探しに懸命になっている。サギも慣れたもので近よっても逃げようともしない。間近で見るサギはシャープな体系と優雅な立ち振る舞い、艶やかな羽が見事である。名前でだいぶん損している鳥だなー、なんて考えていると、、、おっと曲がってしまった。

 日没も近づき、もうちょっとで作業完遂だなーと思っていたら急にエンジン音がおかしくなった。「ヤバイ!」とっさにエンジンを切ったが間に合わず燃料切れ。買い置きも無くしぶしぶガソリンスタンドに走る。暗くなり始めた田んぼの真ん中で軽油を入れてエンジンをかけ直すも今度はかからなくなった。

 ディーゼルエンジンは燃料を切らすとエンジン内に空気が入りかからなくなるので注意するように、もしかからなくなったら空気抜きをしなくてはいけないと父から教わってはいたが、実際の空気抜きの方法は聞いていない。エンジンカバーを開けて勤務中の父と電話で話しながら空気抜きを試みるも、専門用語噴出でチンプンカンプン。何て説明が下手なんだと心中イライラしつつ(父ちゃんスマン)暗くて手元が見えなくなってきてThe End。

 そして今でもそのトラクターはオブジェのように田んぼのど真ん中に鎮座している。農機具の事ももっと覚えないといけないなー。

4/5(火) 9.期待値
 今期も一昨日の農業体験を皮切りにしょうりき山里公園がスタートした。

 「3年目ともなると、やることもだいたい分かって少し楽になったでしょう」と言って頂くこともあるが、実際は全く逆でどんどんきつくなってくる。原因は「期待値との追っかけっこ」にある。

 サービスの評価は期待値が基準となる。法人でも個人でも基本的には一緒。どんな期待をしてそのサービスに申し込んだかが出発点で、結果その期待値を上回れば「満足」、下回れば「不満足」、期待値通りであれば「まあまあ」。

 サービスを提供する側としては、もちろん最大限満足して頂くように努力する。その結果、仮に大満足で終わったとしたら、、、実はその後が大変である。次はその大満足だったサービス水準が期待値となる。考えに考え抜いて次も満足だったとしよう。すると基準は更に上がる。

 実際、長く続いているところは本当にスゴイと思う。たゆまぬ努力をし続けることができる者のみが生き残る。特に競合の多い業界は大変だ。飲食店をしてみてその厳しさが実感できる。色んな店が生まれ消えていく。あたかも業界全体で新陳代謝をしながら鮮度と変化を保っているように。

 あれ?何でこんなことを書いたんだろう。そうそう、はじめは行事のプログラムを作るまでの話にしようと思ったのにそれてしまった。悩み事は尽きないなー。

3/29(火) 8.アリのいきかた(1)
 いつの日だったか、店に行く道中でふと考えた事がある。「もし余命半年なら俺は何をするだろう」と。

 釣り?旅行?麻雀?、、、実は一番最初に浮かんできたのが子どもにメッセージを残すことだった。そして冊子にするのならタイトルは「アリのいきかた」にしようと。3部構成になっていて、「行き方編」は僕がどういう道を通ってここまで来たか、「生き方編」は僕が何を考えて生きているのか、「逝き方編」は僕が何を成して生涯を全うしたいか。

 こうして書くとナルシストチックで嫌だけど、有政雄一という人間を理解頂くのも大事なことと信じて、今後ちょこちょこと独り言に差し込んでいきたいと思います。今回は結婚前後について。
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 妻とは大学4回生からの付き合いだ。友人から奨学金手続きの相談をしたい子がいるからと紹介を受け、付き合いが始まった。結婚を意識し始めたのは卒業式近くになったころだ。好き嫌いの感情はもちろんベースにあるのだが、僕が当時結婚する際に最も大事なことだと思っていたのは「共に家庭を創り発展していくパートナーとして信頼でき尊敬でき補完し合えるか」ということ。今でもその考えは変わっていない。

 たぶん、それは「長男として親父からバトンを受け次世代に繋いでいかないといけない」という意識がずいぶん前からあったからだと思う。事実、結婚を申し込む前から「いつかは実家に帰るがそれでも良いか」と言っていたし、何度も家に連れて来ては両親と一緒に食事を囲んだ。

 結納の時は、妻の実家に両親とお伺いした後、そのまま大型の車を借りてウチの実家に妻のご両親をお連れし、泊まって頂いた。妻も結婚前から僕がいつか実家に帰ることを伝えていたからだろう。「土も触ったことが無い娘が畑仕事が務まるのか」とずいぶん心配されていたようだったが、実際来て頂いて、少しは安心頂いたのではないかと思う。当時26歳だった。

 結婚後はGWに両家の両親・兄弟を呼んで一泊旅行をするのが年中行事になった。互いの理解を深め、来たるべき時が来てもご心配をかけないような関係を作ることが目的だった。これは東京に転勤するまでの5年間続いた。杖立温泉、唐津、松江・・・、今でも良き思い出として心に残っている。

 妻とは、将来どういう家庭にしていくかよく話した。合意したのは以下。
 ・2年間は子どもを作らず、その後男の子(僕が希望)、女の子(妻が希望)が双方できるまで頑張る
 ・55歳(当時の役職定年年齢)までには子どもが独立している状態にする
 (よって、32歳ぐらいまでには子どもを作る)

 幸い、計ったように28歳の時に長男の俊助が、30歳の時に長女の佳穂が生まれ、結婚当初合意したことは無事実現することができた。妻が妊娠してから、子どもをどんな人間に育てたいかをよく話すようになったのだが、この件はまたの機会に書かせて頂きます。 

3/22(火) 7.変わったこと
 最近、自分の中で変化が起きていることに気付いた。

 それは、人との付き合い方だ。愛想良く振舞っていることが多い?ので誤解されがちではあるが、元々人とつるむのが好きではなく、昔話にも興味なし。内輪の盛り上がりをどこか冷めた目で見てしまうところがあり、同窓会に20年出席しなかったのもその辺りが背景だ。

 一方、元気が無い人を見ると気になって仕方がなく、「ここは俺が」なんて勝手に考えて話しかけてしまう何とも面倒な性格。挙句の果てに自分が疲れたりするから困ったものだ。転職相談の仕事は自分の性分に合っていると思う反面、1日3.4人の相談に乗ると何も考えられないぐらい疲れ果てていた。

 だから、プライベートで仕事関係の人と関わることはほとんどなかった。どうしても仕事を引きずる感覚があり気が休まらない。仕事とプライベートを切り分けることで何とか自分を保っていた。そんな僕の趣味が1人で深夜に釣りに行くことだった。いやー、何とも暗い性格ですな。

 それが最近、休日に仕事関係の人に会っても疲れなくなった。それどころかかなり楽しい。考えるに仕事とプライベートが融合しつつある事が一因のような気がする。プライベートな時間=仕事をしていない時間とすると、今は実質仕事をしていない時間なんてほとんど無い。でもやりたい仕事をしているので、仕事そのものがプライベートに近い感覚。そんな中で発生する人付き合いは本当に面白い。

 それと、昔より感謝する気持ちが強くなったことかな。会社の看板とか年収とか無い無い尽くしの自分と付き合ってくれる人の存在は感謝以外の何物でもない。且つ、しょうりきにしてもbeにしても個人を対象にしたサービスなので、来て頂けるだけで本当に有難い気持ちを抱く。これは以前の仕事では味わえなかった感覚だ。

 仕事は人を変えますね。

3/14(月) 6.震災支援にご協力願います!
 大きな揺れ・津波・火災...映像が衝撃的過ぎて俄かに信じがたい。そんな中、お世話になっている小松氏から下記のメールが届いた。

 今こそ日本が結束すべき時、TVを見ているだけじゃ何も変わらない。自分たちができることを国民一人一人が行えば、ものすごい大きな力になると思う。支援=具体的行動だ。特に被災の無かった西日本は人・物・金で支援していきましょう!!

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国際経営者協会 理事
株式会社サティスファクトリーインターナショナル 
代表取締役社長 小松 武司  


東北超巨大地震支援についてのお願いです。

僕の所属する国際経営者協会では、国際災害復興支援で活躍するJENと活動をともにしようと考え、有政さんにもお願いと情報共有です。
※JENの紹介文
http://www.jen-npo.org/concept/ideology.html
 
今回の恐るべき被害をもたらした東北地方太平洋沖巨大地震について皆さん今すぐに現地にいってでもサポートしたい思いに駆られていらっしゃることと思います。しかし、現地に個別で活動しようと思っても、足手まといになるだけで、かえって邪魔になってしまいます。JENのような災害復興支援でJENのように復興支援のプロフェッショナルなチームの指揮の元での活動は確実に成果を挙げる活躍をすることができます。
※JENの実績
http://www.jen-npo.org/active/active.html
 
皆さんもJENの指揮下で行動を共にして効果的に現地の支援をお願いしたいと思いメールを差し上げました。辛いときですが、こんなときこそみんなの力を合わせてがんばりましょう。個人の方も、企業の方も、NPOの皆さんも活動を共にすることによってより効果的な支援をご一緒しましょう。ご連絡をください。
 
項目は以下の5項目です。(内容はその下に記載)よろしくお願いします。
(1)緊急支援物資についてのお願い
(2)トラックなどの輸送手段の募集
(3)現地入りしてJENと共に活動できる方の募集
(4)東北超巨大地震復興支援活動資金の提供のお願い
(5)長期的復興支援についての心構えのお願い
 
(1)緊急物資支援についてのお願い 
現地での水が不足していますが、やたらとペットボトルを送ろうと思ってもなかなか輸送手段が無いし、使い切っては終わりになってしまいます。また自衛隊などの給水車も出動するのですが溜めて持ち帰るためのポリタンクが不足します。ポリタンクは海外支援の際にも最も重要となるライフラインの一つになるのです。 
そこで、今回は20リットルのポリタンクをたくさんいただける先を探して欲しいのです。輸送も考えていただけるのが最高なのですが、もし輸送手段が無くてもポリタンクの数は確保しておきたいのです。ご提供いただける方募集しています。よろしくお願いします。
 
(2)トラックなどの輸送手段の募集 
トラックなどの大量輸送手段のご協力をいただける方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。運転手がいらっしゃれば最高なのですが、トラックをお貸しいただけるだけでも結構です。  被災されている方に一刻も早く支援物資を届けたいのです。
 
(3)現地入りしてJENと共に活動できる方の募集
基本、現地への交通手段はご自分で確保してください。現状、バイクか車などの交通手段がないと現地入りできません。車が提供できる方、バイクで現地入りされる方などいらっしゃったらお願いします。 
なお、現地での活動は効果的に活動するために一本化を図りたいと思います。指揮系統はJENの元にお願いします。現地でのご自分のことはご自分でお願いします。ご自分のキャンプ用具、寝袋、防寒用具、トイレ、生理用品食料、水、携帯やPCの電池供給などの基本的なものはご自分でできる方に限らせていただきます。3日滞在の方は3日分、7日滞在できる方は7日分の準備をお願いします。現地入りしさえすれば何とかなると考えて単身現地入りし、現地での食糧供給などを当てにすると、現地での被災者を救えなくなりますので注意が必要です。現地入りできる方がいましたらJENご連絡下さい。 → 03−5225−9352

(4)東北地方太平洋巨大地震復興支援活動資金の提供のお願い東北地方太平洋沖地震復興支援の寄付は郵便振替もしくはクレジットカード受付の二つの方法があります。
<郵便振替口座はこちら>
 ・郵便振替口座 00170−2−538657
 ・口座名 JEN
 ・通信欄に「東北地方太平洋沖地震」と記載ください。
<クレジットカードでの振り込みはこちら>
 http://www.jen-npo.org/contribute/form01_1.php
活動し続けるには資金がどうしても必要になります。何卒よろしくお願いします。個人の方はもちろん少しでも多く、お願いしたいのですが、企業様にもできるだけ多くのご協力をお願いします。
 
(5)長期的復興支援についての心構えのお願い
そして、取り組みは緊急性のあるものだけではありません。これほどまでに大きな災害は必ず、長期目線での取り組みが必要で興奮して初期に集中支援をするだけでは解決しない問題がたくさん浮上します。 
一人一人の取り組みを現地に確実に生かしていくことと、被災地へのサポートを長期レンジで取り組んでいこうと考えています。JENとの協力体制をとり、刻々と変化する現地ニーズをくみ上げて、皆さんと最新情報を逐一共有させていただきます。
 
民間、僕らのの取り組みでも、被災地の皆さんの力になっていきましょう。どうか皆さん、長期目線でご一緒に取り組ませてください。何卒よろしくお願いします。何とか、この危機に日本の力を総結集させましょう。

最後にこのメールを有政さんの知り合いの方にも広げて下さい。よろしくお願いします。

ご不明なことの問い合わせはメールでお願いします。
 JEN: info@jen-npo.org
 もしくは有政: magoyasaiari@hi.enjoy.ne.jp

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 小松氏は安芸高田市の吉田町出身で、会社員を6年した後、飲食店を開業。その後飲食店から出る廃棄物に着目して会社を立ち上げられた。現在は環境マネジメントを幅広く手掛けている注目企業を経営され、熱い志と強烈な行動力を有する方だ。

 皆さん、是非ご協力をお願いします!

3/7(月) 5.ショッキングな出来事
 それは、beからの帰り道で起きた。

 雨の深夜、いつもの37号線を少し眠気を覚えつつ走っていた。日曜日の深夜は全く車が走っておらず、高陽町を過ぎれば信号もほとんど点滅となり、ノンストップで家まで帰りつく事ができる道だ。白木に入った頃から雨脚が強くなり「明日は畑仕事ができないなー」なんて考えていた矢先だった。

 右側から突如鹿が飛び出してきた。飛び出すというより、暗がりからぬうっと歩き出てきた感じ。豪雨で視界が悪く、気付いた時はその距離3mほど。「避けきれない!」体が反応した。その間1秒も無かっただろう。左側はガードレール、前から車は来ていない、右側から来たので、そっち方向に切った方が被害が少ないか、でかいメスの成獣だな、とぼけた目をしているヤツだ、なんてことが一瞬で頭を駆け巡り、とっさに右側にハンドルを切る。

 「ドン!」とこもった音と衝撃が車に伝わる。思ったほどの衝撃ではなく、鹿のケツで左前方がやられたかなと考えつつ、そのまま走りすぎた。どうもライトが暗いので、しばらく行って車を止め一応状況を確認する。と、ありゃ左側ライトが無い!!ウィンカーは陥没。バンパーは真ん中あたりが大きくへこんでいるではないか。バンパーに挟まった鹿の体毛が妙に生々しく、暗いし、雨が降っていたし、見たところで状況が変わるわけでもないので、急いで車に戻り意気消沈気味に運転を再開した。

 翌朝もう一度被害状況を確認すると、予想以上の破損でこれじゃとても運転できない。あわてて知り合いの自動車修理工場に電話する。今の僕の生活で車は絶対必需品だ。見てもらうと修理費が17〜20万円、中古品を集めて直す方が安上がりなので、探す時間を含めると2週間程度はかかりそうのこと。当面は代車で通勤することになった。

 翌日通勤途中に現場を通りかかると、ガードレールが大きく曲がっており、はねた鹿の衝撃が相当だったことを物語っていた。

 まあ、安全運転の警鐘として考えるしかないな。皆さんも夜の田舎道は十分気をつけて運転して下さい。


2/28(月) 4.同世代
 先週の土曜日に「三分一博志氏日本建築大賞受賞&松田氏誕生日合同祝賀会」をbeで開催した。

 まず、三分一くんは高校の同級生で建築家。第4回日本建築大賞を“犬島アートプロジェクト「精錬所」”で受賞し、今や日本TOPとなったばかりか、海外でも非常に評価の高い建築家だ。ここしょうりきにも来てくれたり、お米や餅などをご自宅に送ったりしている。

 もう1人の松田くんは城北高校出身の同級生で、広島著名企業の社長。beの発起人の一人である石井芳典くんの友人で、beにもよく顔を出してくれる。大企業の社長に似つかわしくない?気さくさとスマートさを併せ持つナイスガイ。

 とはいえ、「何で建築大賞と誕生日を一緒に祝うのか?」とご質問を頂戴しそうなので、少し経緯を補足させて頂く。(以下、敬称略で失礼します。どうも書き難いです)

 まず、三分一は松田と10年前からの繋がりがある。何でも誰かの結婚式で一緒になり、当時まだ無名だった三分一に支店のデザインを任せたのが付き合いの始まりらしい。その時の三分一が松田に言った決め台詞がこれ→「俺は凄い」。当時これを言いきれるなんてホンマにスゴイ。

 そして現在は、広島市内の中心部にある大きな建物のリノベーションを一緒にやろうという話になっており公私共々深い関係にある。で、今回この祝賀会をする際に三分一から「是非松田を呼んで欲しい」という依頼を受けたのが一つ。

 もう一つは、松田の誕生会を当初別な日に予定していたのだが、なかなか都合が合わず日程変更するかどうか思案していたところだった。であれば一緒にやってもいいんじゃない?と半ば強引に話を進めて今回の開催となった。

 一緒にやったのは“ついで”ではなく狙いがあった。それは修道という枠に囚われず、それぞれの分野で頑張っている同世代がお互いを理解し繋がる機会にしたいということ。beを作った目的の一つでもある。折角集まるのに昔話で盛り上がるだけではもったいない。それは同窓会の役割だと思う。

 それより、三分一の日本一と言う事実を刺激にして自らを活性し、その活性した同士がお互いのことを話し、聞き、繋がる。しかも同世代だからお互い気兼ねなく会話ができる。大企業の社長だろうが医者だろうが農家だろうが関係ない。社会人の中でお互いイーブンで話せる機会って案外少ない。もし仮にこの場でなく、初めて出会ったのが会社取引の場だったとしたら同じような会話ができただろうか。

 案内を開催3日前にお送りしたにもかかわらず何と計24名の方々が参加してくれた。大阪から来た神経科学研究者(ラジオのパーソナリティーもしている)あり、経営者、税理士、医師、大企業の管理職、コンサルタント、技術者など多士済々。結局大多数を修道OBが占めたのでどうなるかと心配したが、会話と酒を媒介に盛り上がり、19:00〜24:00までのロングラン祝賀会となった。

 当初の狙い通りいったかどうかは、ご参加者の判断に任せたい。

 あ、ちなみに私、異業種交流会は好きじゃありません。営業もしていたので何度も出ていますが、自分を大きく見せようとしたり仕事上のいやらしさをどうしても感じちゃうので気が張って疲れちゃいます。そこで知り合った人と長い関係になったこともあまりないなー。私の甘いところかもしんないですね。


2/21(月) 3.ダイレクトモデル(3)物流と人
(前号の続きです)
 利益を考えるとき、どうしてもネックになるのが物流費だ。

 具体的にいうと、毎月しょうりき山里公園経由の野菜をbeに8万円前後供給しているが、往復90kmあるので25日間持ってくるとすれば燃料代だけでも約3万円かかる。なんと物流費が占める割合が4割弱、これじゃあとてもじゃないが利益は出ない。

 物流費の絶対額はほとんど下げられないので取るべき方法は一つ。一度に持ってくる量を増やして物流費の比率を下げることだ。それにはまずbeに持ってくる野菜の量を増やすこと。前号の栽培体制が重要になる。それと別な販売先を確保することも重要。幸い一緒に働いている花屋さん(昼は花屋・夜はbeという超働き者の女性)が野菜の販売に協力してくれることになり、野菜の供給量が増える春以降はかなり物流費比率を下げれるはずだ。

 その他、be以外の飲食店にもネットワークを広げたり、しょうりきの野菜宅配も一緒に運べば相乗効果が生まれるだろう。そうなれば専用車を買って人も雇って配送機能を強化したいが、その日がいつになるのやら。。。

 とまあ、分かり切ったことをつらつらと書いてきたが、やっぱり大事なのは人の思いが農地からお客様まで直接繋がることだと思う。

 農家が丹精込めて作った野菜をシェフが受け取り、その野菜を最大限生かした料理を作り、それをホールが受け取り思いを込めてお客様に提供する。思いが分かるから一生懸命になるし大事にする。シェフがセカンドシェフを叱っていた言葉が忘れられない。「しょうりきの農家さんが作った野菜を葉1枚たりとも無駄にするな!」

 また、お客様の声はホールからシェフ・農家へと伝わっていく。自分自身が農家だから良く分かる。自分が作った野菜を「美味しい」と食べて頂けるのが何より嬉しい。市場に卸す野菜はもとより、産直市に出す野菜でもこのような感情は得難いだろう。農家と飲食店がダイレクトにつながった事業だからこそ繋がる感情の連鎖。それは必ずの事業を支える根底部分になるはずだ。

 お蔭さまで、新たに田んぼを1反(約1000u)お借りできることになった。近くの農家さんからは「自分が農家をできなくなったら田畑の面倒を見てくれ」と言われている。しょうりきが、beが徐々に理解され期待され始めた証左だと思いたい。まだまだ本当に小さな取り組みではあるが、いつの日か中山間農地活性化のモデルケースとして、飲食店の新たな業態として広く認知され、他の地域にも展開できる形にしていきたいと思う。


2/14(月) 2.ダイレクトモデル(2)料理と栽培体制
(前号の続きです)
 実際に飲食店をやってみてまず驚いたこと、それは使っている野菜の種類の多さだ。

 皆さん、どれぐらい使っているかご想像がつくだろうか。その数なんと約80種類!私が名前を知っていた野菜が64種、名前を知らなかった野菜が14種、ついでにキノコ類が9種、フルーツが11種なので、トータルで100種弱。野菜を売りにしている店とはいえ、正直驚いた。

 うちはかなりたくさんの種類の野菜を作っている方だと思うが、それでも年間50種類程度。収穫ベースで考えるとその時々で8〜10種ぐらいのものだ。これでは到底対応できない。仮に作る野菜を多くすれば指数関数的に作業工程が増え、且つ管理が難しくなる。

 考えた対応策案は3つ。
【1】必要なものは作る
【2】必要なものを絞る
【3】揃うものだけ揃えて卸も活用する

 本当は1で行きたいがこれから早急に揃えようとしてもできるのは3ヶ月後。現実的な対応は3ながら、それではダイレクトモデルの有用性が半減される。シェフと膝詰めで話し合い、当面は【3】ながら、【2】を経由して最終【1】を目指すことにした。具体的には、季節によって採れる野菜をベースに料理を考えることで野菜を絞り込み、それに応じて栽培計画を作るというもの。書けば簡単だが実際はなかなかハードルが高い。

 ハードルその1はシェフの意識を変えること。通常は既にメニューが決まっていて、材料の残量に応じて食材を仕入れる。メニューを一度考えちゃえばその後は自動発注に近い。これを「食材によってメニューを考える」という思考回路にしてもらうということ。そうなると、素材によりその都度メニュー開発をしないといけなくなり、毎日数十種類の料理を作っているシェフの負荷(特に頭脳労働)は相当なものになる。

 幸い、これはさしたる問題もなく無事快諾。元々採用面接の時から「我々の野菜を使った、素材を活かした料理を出したい」と言い続けており、実際に泊まりがけで畑も見てもらったことも彼らの意識の中にあったのだろう。

 上記により、季節によって料理が変わる店にできる。だいたい1ヶ月毎にメニューを入れ替える予定で、実際明日から始まるパスタには「フキノトウ」や「菜の花」、自生の「クレソン」などを使っている。夜のメニューもしかり。(ドウゾ、タベニキテクダサイ)

 その2は農家との連携。前述通り農家1軒あたりで作れる野菜は収穫ベースで常時8種類ぐらいのもので、いくら野菜を絞り込んだとしてもこれじゃあ到底まかなえない。幸い野菜宅配の協力農家さんがおられるので、皆様にご協力頂くようにお願いした。

 ただし、これまで通り好きなものを作って頂いて、その一部を我々が分けてもらうという野菜宅配のスタイルのままでは無理。自宅用に作っているので、それぞれの農家でかぶっている野菜が多く、イタリアンでは使い難いものもあるし、そもそも種類が足りない。

 こちらで栽培計画を作り、それぞれの農家で役割分担をお願いすれば大丈夫じゃないの?何て声が聞こえてきそうだが、そう簡単な話でもない。そもそも今お付き合いしている皆さんは小規模で自家菜園に近い状態で農業をされている。銭金ではなく、趣味と健康維持と家族のために「自分の作りたい野菜」を作っている人が中心だ。

 思案の末、これまで仕入れた野菜のリストを作り、そこに値段と仕入量を洗いざらい記載して話し合いをした。まずは野菜の種類の多さとその仕入れ値の高さに驚いたようだった。「人参がこんなにするんか」などと小声で呟きつつ、僕の話そっちのけでそのリストに見入っている。

 しばらくして「ワシ、これを作ってみたいのう」という声が上がり始めた。物作りの魂に火がついたのだろう。beにご招待して実際料理を食べてもったのも良かったのかもしれない。結局今回はガチガチの計画にせず、小早川さんには珍しい系の野菜を、実藤さんにはベーシックで量が出る野菜を作ってもらい、当方はその他の細々したのをカバーする形でスタートすることになった。

 この結果が出始めるのが3ヶ月後、どうなっているか今から楽しみだ。


(次号に続く。。。次は物流について)

2/9(水) 1.ダイレクトモデル(1)
 1ヶ月ご無沙汰してしまいました。改めまして本年も宜しくお願いいたします。

 2011年のご挨拶にも書かせて頂きましたが、何とかしょうりき山里公園も3年目を迎えることができました。これも皆様の有形無形のご支援・ご協力のお蔭だと深く感謝しております。

 そして、今期は是非とも事業として離陸させたいと思います。経済的価値を生む事業にできるかどうか、本当の勝負の年です。でき得れば、より一層のご支援を賜れば幸いです。

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 現状、8割以上の時間をbeに割いている。ホールでの接客はもちろん、日毎の締め、月次の業績管理、スタッフのフォロー、支払や販促の企画、メニュー改定から利害関係者との調整に至るまでやること満載で、実際でまだ手をつけられていないことも多い。スタッフが100%力を発揮できる環境を整えるのが代表の仕事と言い聞かせつつ、「何でここまでしなくてはいけないのだ...」と思うことも正直ある。

 そんな中で自分のモチベーションを支えてくれているもの。それは「来て頂ける方々の笑顔」と「スタッフへの責任感」と「仲間たちの期待に応えたいという使命感みたいなもの」、そして「ダイレクトモデルの実現」だ。

 製造と販売を直結し中間マージンを削減することで、顧客へより安価で高価値のものを提供するダイレクトモデルの有用性は、ユニクロの例を引くまでもなく証明されてきたことだろう。農業の分野で言うと個別農家がしている宅配や産直市、大手スーパーが始めている自社保有畑(実際は契約に近いようだが)の直送野菜がそれ。

 ただ、これは農業と野菜そのものの販売が結びついたもので、現状の販売価格と農家の生産コストを考えた場合、農家が収益を上げるのは非常に厳しい状況と言わざるを得ない。結局、単一作物で大規模に展開し薄利多売路線でいくしかないのだが(ちなみに、小さな田畑を集めて大規模化したところで生産性が大幅にUPするわけではない)、天候リスクや豊作時の価格暴落などかなりのリスクが付きまとう。ましてや中山間の小規模農家は大規模化さえも難しい。

 しょうりき山里公園を始めてずっと付きまとってきた課題がまさにこれ。農業体験や野菜宅配で何とか出来ないかと試行錯誤を続けたものの、受け入れのキャパシティーや農作物の生産量がネックとなり突破口は見つからなかった。

 そんな中で、一緒に飲食店をやらないかという話が来て、直感的に「これなら突破口になるかも」と感じた。飲食店であれば野菜に付加価値をつけて提供することができ、それを仕入額に転嫁できるかもしれない。少量多品種の野菜が必要になるので、小規模農家の方が対応しやすいのではないか。

 こうして始まったbe⇔しょうりき山里公園のダイレクトモデルへの挑戦が3カ月経ってどうだったのか。。。次回以降詳しくご報告させて頂きます。




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