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アリの独り言(2016)
12/24(土) 47.最終回 今回が今年最後の独り言です。
これで丸8年、更新曜日は途中変わったものの、飽きっぽい僕がここまで続けてきたのは何故だろうかと、我ながら思ってしまう。
当初は、営業が半分、残りは自分の存在を知って欲しくて、もしくは覚えていて欲しくて書き始めた。当時はまだ暇で、ネタ帳を作ったりして結構時間をかけていた。反応があると本当に嬉しく感じたものだ。
そのうちbeをオープンすることになり、一気に時間が無い生活に突入。それでも書き続けたのは集客に繋がると思ったからだ。それと途中で止めると根性ない奴と思われる気がして意地で続けた。居眠り運転しそうになりながら帰り、机の上で何度も意識が飛びそうになりながら数時間かけて書いたこともある。
beの代表を退任し、販売システムの開発に入った頃からは、頭の整理や記録を残こす目的意識が強くなっていった。その後、事業の離陸していく様子が描ければ後から読んで面白いかなと思って続けた。小難しい文章(実際あまり内容無し、苦笑)が多くなっていったのもこの頃だ。
そして今、自分の意思をハッキリさせるために、また一緒に働いてくれているスタッフにも状況や心情が伝わればと思って書いている。それが取引先や連携企業の当社に対する理解に繋がれば嬉しいが、それは結果論。社外の人が何人この独り言を読んでいるかは知らないし、前のように意識もしなくなった。小難しいこともたまに書いてしまうが、それも自分の素直な心情。書きながら客観的に自分を見ているような感じにもなる。
さて、来年も続けるかどうか。
ひとまず今回で今年は最後にして、例年通り1月はお休みします。来年新たに挑戦すること、手掛けること、既に進めていることがあり、今の自分の力以上を発揮しないと到底乗り越えられない年になりそうです。ネタは満載?2月に書き始めればまた目を通して頂ければ嬉しいです。
今年も何とかここまでこれたのも、皆様の温かい支えとスタッフの頑張りがあったからこそ。関わって頂いた方々深くお礼申し上げて今年の最終回にいたします。皆様どうか良い年をお迎え下さい。
12/17(土) 46.目論見外れ 本日早朝(というか2:00なので深夜ですね)出荷作業にセンターに行こうとすると、保冷車のフロントガラスが凍っていた。透き通った星空に白い息が消えていく。ヒーターをかけてフロントガラスが見えるようになるまでしばし震えながら出発を待つ。この生活ももう2年近くになったなと、ちょっと感慨めいたものが脳裏をよぎる。
怒涛の2週間も何とか乗り越え、この土曜日はたいした予定もなく久しぶりにゆっくりしようと思っていたら、母から「里芋にもみ殻をかぶせるので取りに行って欲しい」との要請が来る。聞くと種イモ用の里芋が100本ほどまだ畑に植わっているらしい。ざっと計算してもみ殻を入れる大袋(ヒト2人はゆうに入る大きさ)に6袋は必要。僕に断る選択肢は無く、眠い目をこすりながら軽トラでライスセンター出発した。
巨大なライスセンターの2階に大量に貯蔵されているもみ殻を、1階にある巨大な漏斗の栓を開けて大袋に移すのだが、その最中にすごい埃が発生する。あ、ゴーグルを持ってくるんだったと独り言をつぶやいても後の祭り。濛々と舞う埃の中で、移しては軽トラの荷台に乗せるの作業を6回ほど繰り返す。終わった頃には服も髪も真っ白。はたくと白いオーラをまとったようになり、まさにホコリ高き男と自嘲気味につぶやく。ちなみに、軽いもみ殻も大袋一杯に入れると50kgを越える。寝起きの身には結構辛い。
畑に行ってもみ殻を移し、顔を洗ってうがいをしてやれやれと思っていると、妻から「そろそろ年賀状の準備をしないといけないんじゃないの?」質問の体裁を取った命令が発せられた。貧乏会社は年賀状も手作り。作るのは、、、やっぱり俺か。たたみ掛けるように佳穂が「私のも作って」ジーザス、お前もか。。。
という訳で、今日もセンターに出発。埃で真っ赤になった目をこすり、霞む画面を見ながら年賀状作りに勤しむ。特にセンスがあるわけじゃないが嫌いな作業ではない。YouTubeでBoowyを流しながら、あーでもない、こーでもない。14時から始めて4種のデザイン(会社用/個人用/佳穂用/追加で両親用も加わった、泣)が完成したのは17時。印刷に結構時間がかかり裏面が完成したのが18:30、帰って風呂に入り、食事を終えたら、とどめの「餅用のよもぎをお願いできないかな」今度は若干低姿勢な依頼の体裁を取った命令。これ地味にキツイやつじゃん。すり鉢でゴリゴリよもぎを擂ること1時間。腕はパンパン、バネ指復活、もう勘弁して下さいって感じになった頃にようやく終わった。
時計を見たら22:30、本日3度目のやれやれ。さあ、もう寝るかとつぶやくと、妻から「独り言はどうなったの?」パソコンを起こしてようやく書き終えたら23:30。何とか今日に間に合った。
う〜ん、今日はこんなはずじゃなかったはずなんですが。
12/10(土) 45.神の采配 あっという間に師走も半ば。どうも心が落ち着かない。
いや、自ら決めたことなので文句の言いようもないんだけど、ちょっと色々手を付けてしまい、気ばっかり焦ってどれも中途半端になっているのが精神衛生上良くない。一つ一つ片付けていくのが筋なのだが、途中差し込まれる諸々の「雑務的僕しかできない仕事」で思考が都度中断され、また一から考え直すの繰り返し。そのうち期限の迫りつつある他のやるべき事も気になり、結局何にもしていない。
こんな時って、不思議と誰かと話したくなる。利害関係が無くて僕のことを分かってくれる奴。でも、みんな忙しいだろうからな、何てここでも悶々としていると見慣れない電話番号から着信が入っているのに気付いた。折り返し電話をしてみると東京の時にお世話になった取引先のマネージャーで、取引を越えて個人的にとても懇意にしていた人だ。
不思議な神の采配。懐かしさも相まってお互い今の自分を話す。彼は某大手外資系ネット通販に転身し、僕は野菜の流通事業をしている。彼の活躍ぶりを楽しく聞き、僕の悪戦苦闘(と、ちょっと自慢)を素直な気持ちで話した。時間にして10分程、また会いましょうと言って電話を切った時には、気持ちがすっと落ち着いていた。
考えてばかりじゃ駄目だね。やった分だけ前に進む、そう「やれば終わる」。よし、これから二つやっつけよう。Fさん、間違い電話してくれてありがとう。
12/3(土) 44.大規模農家 最近、あるプロジェクトに参加しており、県内の大きな農家と交流する機会が増えた。
これまでは事業の特性上、小さな農家や新規就農者との付き合いがほとんどで、中堅以上の農家にはほとんど縁がなかった。まごやさいの事業態ではサービス提供でき難いカテゴリの農家とも言える。彼らは作付品目を絞った大量生産・大量流通が基本路線であり、一品を大量にさばくことが難しいまごやさいとは付き合うメリットが無い。
だから会っても面白くないかというと、全くそうではない。大規模農家という思い込みのフレームで捉えていた自分のイメージが崩れるのが何とも心地よい。作るだけで売るのは某団体任せ?補助金頼り?事業意識が希薄?どんぶり勘定?非効率?日本の農業が語られるとき、そんな認識が下敷きになっていることが多く、僕もそれを信じていた一人だった。
実際に会ってみると、そこいらの経営者よりよっぽど刺激を受ける。イメージで語られてきた農家像はそこには一切ない。いかに作り、いかに売るか。農業の6次化などと言われて久しいが、彼らはその言葉が出てきた遥か前からそれをやってきた。リスクを負いながらやるべきことを決め、投資し、事業を拡大してきた経営者そのもの。事業を作り上げてきた当事者としての迫力と具体性が彼らの言葉にはある。自分もそうなっていきたいという憧れや対抗心のような感覚も芽生えたりして。
しかし、そんな大規模農家が集まるプロジェクトに何で僕が混じっているのか?う〜ん不思議。小さいのは小さいなりに期待されることがあるのかな?ちょっとは貢献したいな。
11/26(土) 43.溝上げ 久しぶりに、少し落ち着いた感じの一週間だった。来客や商談で外出することが少なく、締め切りの迫った資料作成もなく、加えて農家会議が終わって少し気が抜けたこともある。
こんな時は農作業に充てる時間が増える。僕の作業担当分野は力仕事と機械操作。今回は田から畑に転換した圃場(1000平米強が2か所ある)の溝上げをすることにした。
少し補足。前も同様のことを書いた気もするが少しお付き合いを。同じ圃場でも田と畑では全く別物で、田は水をためる(水田)ことを前提に圃場が作られており、畑は水はけを良くするように圃場が作られている。田から畑に変えるとは圃場の基本構造を変えるに等しい。最も簡単な方法は地面を割ること。田は水が抜けないように最下層で支える地面を割って水か抜けるようにすれば良い。鍋の底に穴をあけるイメージ。ただし、これをするためには重機が必要(ゆえに費用がかかる)。それに一度やってしまうと田に戻すのが難しい。他に暗渠(あんきょ)排水という地中に排水溝を埋め込む方法もあるが、これもかなりの費用がかかり今の我々にとっては非現実的。
そこで取るのは額縁明渠という排水方法。田んぼの周りに深い溝を掘って排水する方法で、まるで畑の額縁のように見えることからこの名が付いたようだ。ちなみに暗渠は土中の排水設備で明渠は地上のそれを表す。実際は周囲だけでなく形状に応じて何本か溝を作るので、田の字や四の字のように見えたりする。溝を掘るだけなのでユンボを使えば1000平米ぐらいの圃場なら3.4時間で作れてしまう。
ただし、ユンボがあればの話。残念ながら我が家にはユンボが無く、オペレータ付きで借りるとそれなりの金額がかかる。という訳で、人力で溝を上げることになった。この溝上げ、かなりキツイのだが結構好きな作業だ。実際、過去4圃場で行っており、今ではしっかり畑として機能している。たぶん溝を上げ終わった時のやり遂げた感、未来に繋がる感が好きなんだな。
作業当日、よく晴れて気分爽快。意気揚々と溝上げを始めたが30分ほどして体の異変に気付く。肩と腕にかなりの疲労感あり続けての作業が厳しい。以前にはなかった感覚。そうか、この前溝上げしたのは5年前、その間に筋力は落ちているのに、以前と同じペースで作業をして体に無理が来たようだ。分かりやすい年齢の実感、苦笑いしながらペースを落として作業を続けた。
日暮れが近づき、ブユが顔の周りにまとわりつき始めのを境に作業を止めた。5時間で総工程の1/5、ユンボの生産性を改めて実感しつつ、心地よい疲労感と共に軽トラックにのった。ハンドルを握る手が震えているのにまた苦笑い。運転しながら畑を見ると、上げた溝が真直ぐになっておりちょっと嬉しい。
まずは風呂に入って、今日はやっぱりビールかな。
11/19(土) 42.農家会議 今週木曜日、1年ぶりの農家会議をVAセンターで行った。今回で10回目、参加者は農家19名、オブザーバー5名、スタッフ7名の総勢30名強。始めは5名の農家でしかも家の台所の長机から始まったことを考えると隔世の感がある。
なるべく分かりやすく簡潔にと思う一方で、あれを伝えないと、とか、これも大事かな等と考え始めると、どんどん資料が増えていき、結局パワーポイントで30ページ、準備に2週間かかってしまった。細かい内容はここでは割愛するが、会議の目的は以下。
(1)まごやさいの事業参画意識を高めて頂くこと
(2)今後作る野菜の参考にして頂くこと
(3)出荷ルールの確認・徹底
通常の農家会議であれば(2)(3)が中心になるであろうが、僕の場合は実は(1)がメイン。だから、1年間の事業報告をじっくりするし、業績数字も包み隠さず伝え、今後の方針もまるで社内会議のような説明をする。僕に農家は仕入先という意識は全くない。この事業を一緒に作り上げてきた同志的感覚、是非一緒に今後も作り上げていきたいという気持ちがとても強い。
だからこそ、この事業が各所で注目を浴び始め、視察が相次いでいることを伝えたい。僕が凄いのでは全くない。普段各農家が良い野菜を作り、出荷され、集まり、近い都市部に流通するというこのシンプルな形が、この業界の新たな希望になる可能性があり、それは今ここに集う小さな農家がそのモデルを作っている、支えられていることを自覚して欲しい。
今がベストなのではない。まだ誰も確立しているとはいえないこのような近距離野菜流通の仕組みが一般化するためには、改善すべき余地がまだまだあると考えている。改善点に気付いたら変える、この繰り返しがまごやさいの歴史だ。
だからこそ、農家の参画意識が大事になる。幸いにして「あの時こう言ったじゃないか!」という不平的ご指摘は過去一回もない。(もしかしたら言わずに去った農家もいるかもしれないですが)恐らく、まごやさいは変わるというということを各農家さんが理解しており、それはより良い方向に行くために一緒に作り上げていくのだという意識を些少なりともお持ち頂いている証左ではないかと思う。
という感じで、今回も何とかそれなりに農家会議を終えることができた。まあ、いつものことで終えた後はまた反省点ばかり。ああすべきだったとか、またあれこれ考え込みそうな自分もいるが、ひとまずちょっとリフレッシュしたい。そして、しっかり寝て今週末で体力回復。
11/10(木) 41.No1 土曜日どうにも時間が取れそうになく前倒しで独り言を書いている。
現在11/10(木)23:30、父・母とも就寝、娘の佳穂はようやく部屋に入っておそらく勉強を始めたころ、妻は、、、ほとんど寝ずに福屋での店頭販売をした疲れからかストーブの前で転寝中。金曜は母と妹が店に立ち、土曜日は再び妻と久しぶりに僕が店頭販売をする。
福屋のベジタブルフェアが始まったのが(記憶が正しければ)6年前、我々まごやさいは2回目から参加している。初回はすごい盛り上がりだったそうで、2回目に初出店する際は初回の話を散々吹き込まれていたのでちょっと肩透かし的な感はあったが、それでも今考えれば相当な盛り上がりだった。回を重ねるごとに内容や日程がマイナーチェンジされ、その度毎に出店者も変わり集客も落ち着いてきた。2回目からずっと出店しているのは我々のみ、色々な農業グループ・団体が参加しては取りやめ、もしくは呼ばれなくなり。。。
出店する時は徹夜になることも多く、ただでさえギリギリの人員で事業を回している我々にとっては相当な負荷になる。それでも参加し続けているのは得るものがあるからだ。特に出店者が多いときは野菜が重なることも多く結構激しい競争環境が生じる。あっちが売れてこっちが売れない時など相当悔しい思いもするが、そこに学ぶべき点がある。
声出し&声掛け(これだけはまごやさい全メンバー自信あり、笑)、商品の品揃えや配置、説明、アイキャッチ、価格などなど。比較対象がある方が自分たちの水準が明確になる。その都度改善改良を続け、それによって購入者が増え、他店との競争に勝つと自信にもなる。それはプライドに転化され、他店には負けたくない、負けないという頑張りを生む。
かつて人材紹介という狭い業界ではあったが、そのNo1企業に所属している時にも同じような感覚があった。No1であるというプライドが他社の追随を許さない頑張りを生んでいたと思う。No2以降の会社がNo1を真似て追い上げてくるのを、より引き離そうと頑張る。俺たちの方が働いている、考えているという自負を多くの社員が持っていたし、行動にもつながっていたと思う。
もちろん、まごやさいはNo1ではない。それでも農家直売というカテゴリでは県内でそれなりの存在感を持ち始めていることがスタッフの意識にも好影響を与えている。それは6年間、地道に福屋で販促をやり続けたことの結果でもある。
さあ、土曜日。元気に販売してきます!
11/5(土) 40.思考中断 配達に行ったスタッフから妻にメールが入った。「街が真っ赤です」
優勝パレードの影響を避けていつもより少し早めの5時過ぎに配送に出発、9時過ぎにあらかた納品を終えた頃にメールが来たので、かなに早めの時間から沿道にはユニフォームを着たカープファンが繰り出した模様。新聞のテレビ欄を見ると全放送局がパレードの生中継、臨時列車も運行されたらしい。日本シリーズの惨敗が冷水になったかと思いきや、いやはや何とも、広島人のカープ好きには驚かされる。
そんなTVの向こうの喧騒を横眼に、本日は部屋に籠ってデスクワーク。ここにきていくつかの新しい仕事が一気に動き始め、その下準備に無い知恵を絞りつつ課題整理をする。内容はまだ書くことはできないが、どれもこれも実現するためには相当高いハードルがありそうで、今の僕にその力があるのか不安になる。
こんな時に限って、色々なところから相談が来る。そのほとんどは野菜の販売に関わることで、絶対的正解があるのなら僕が教えて欲しいぐらいだ。課題にぶち当たる度に考え、試し、変えてきた結果が今の形であって、始めから正解を決めて作り込んだ事業ではない。よって、これからもどんどん形を変え、やり方を見直し、より良いと思える仕組みに作り変える。今行っていることは来年には否定していることかもしれない。
よって僕には方法論の正解を伝えることができないが、一つだけ確信していることがある。それは「事業の目的」と「より良くしていく強い意志」を持つこと。僕の場合でいけば「近距離野菜直接流通の一般化」が目的であり、それを実現するための方法論を懲りもせずに色々と試している。
もちろん、何かを始める時は「こうしたら上手くいくのではないか」と想定し具体的な方法まで考える。そして実際にやってみる。でも、実際にやってみると頭で考えた想定とは違うことが往々にしてある。それを失敗というなら、その失敗は正解に繋がるヒントとなり、実際にやり直して正解に近づけていく。ここには強い意志が必要になる。
聞きかじった方法論と試してみて失敗した時、「より良くしていく強い意志」が働かず、あきらめるか、方法論の仕入先を否定・非難して終わりがち。強い意志を持つためには、強い目的意識が必要で、それが無い中で方法論を学んでも上手くいかないことが圧倒的に多いと思われる。
今後、まごやさいの事業を広げようとする時、いつも引っ掛かるのはこの部分。事業の仕組みを明確化し収益が上がる構造を明示できれば越えれそうな気がしてここまでやってきたが、まだそれでは不足している気がしてならない。他事業体との連携を始めようとする今、まさに考えやってみる必要があること。
う〜ん、どうすれば良いのだろう。。。この後思考再開!ちょっと晴天が恨めしい土曜の午後です。
10/29(土) 39.目標 4対10になったのを見届けて独り言を書き始めた。カープファンはかなりストレスを感じたことだろう。何で?と思える場面が何度もあったが全ては結果論。采配に携われない者は、ただ嘆くかため息をつくぐらいしかできない。
話しはガラッと変わる。最近、母が元気だ。元々明るく元気なタイプに分類される人なんだろうけど、実のところかなり外では気遣いしてそれ風に振舞っていることも多く、そもそも胃が2/3無い体の上に、週3回の深夜労働と、無理がきてもおかしくない状況。一応は心配して声がけをするも、特に最近はいたって元気な反応が返ってくる。
おそらく、その理由は畑がもう一度できること。しょうりき山里公園から始まった事業の流れで畑は母の自由にならなくなり、そのうち妹が畑を主に担当するようになったこともあり、農作業は手伝う程度となっていった。一方、まごやさいの仕事を手伝いながら、もう一度野菜を作りたいという思い膨らんでいったようだった。今年に入って「どこかで野菜を作れんかね」と口にするようになった。
偶然か必然か、期を一にして我々の所に各所から耕作依頼の話しが舞い込むようになってきた。分散していた田んぼを集約し、飛び地の田んぼは畑に転換することにし、その一部を母がすることになった。そして「野菜できちんと稼ぐこと」が母の目標になった。
田んぼから畑に変えるのはなかなか大変で、特に排水用の溝掘りは必須作業。ユンボがあれば早いのだが残念ながら我が家には無く、エースローターという畝上げ機を使う手もあるが、雨でドロドロになった田んぼの土は歯が立たず、現状では人力で何とかするしかない。
で、ここは僕の出番。時間を工面しながら今月に入ってから溝掘りを始めた。長さ50mの溝を6本ほど作る必要がありこれがなかなかの重労働。1本につき僕一人だと5時間はかかる。母と一緒にやっても3時間、ひたすらスコップで土を掘り溝を付けていく。水を含んだ土は異常に重く10分ほどで汗が噴き出てくる。このキツク辛い作業が思いの他楽しい。たぶん作業だけを見ればただキツイだけ。その先にある状態を想像できているから楽しさに変えることができる。
溝掘りをしながら母が何を植えるか呟いている。まごやさいで売れる野菜を間近で見てきた母は、既に栽培計画を練っているようだ。もしかしたら、作った野菜を買ってくれる店まで見えているのかもしれない。
目標は人を元気にする。
10/22(土) 38.次に繋がる動き ヨシ、今日はガッツリ畑作業!と意気込んで起きたら外は小雨。「出来る時間が限られとるのに頼むで、ホンマ」と天井に向かってつぶやき、センターに行って溜まっていた仕事をすることにした。
パソコンに向かって4時間半。結構集中してやったつもりが半分も終わらず、それ以上続ける気力も消え失せ、気分転換的にこの独り言を書いている。当初(もう8年以上前になる)は事業立上げ物語的な感じになれば良いかなと思って始めたが、今は週次の頭の整理が主な目的。飽きっぽい僕がこれまで続けられているのは、それなりの効果を感じているからだろう。
今週特にインパクトが強かったのは、ある経営者にお会いしたこと。たまたま僕の記事が載った地元銀行系経済紙をご覧になりお声をかけて頂いた。一代で事業を飛躍的に成長させた本物の事業家。彼我のあまりの差にただ敬服するのみ。言葉の端々に感じる自信や迫力に圧倒された3時間だった。事業として関わりが持てるかどうかは我々が今後相応の力を持つことができるかにかかってきそう。気合だけは入った。
庄原の某企業の訪問も意義深かった。事業連携を模索するため10月からちょくちょくお伺いしており、今回それなりの進展があった。現在の取引きに留まらず、今後その領域を広げ、双方にとって大きな飛躍に繋がるような道筋を考えたい。相当難易度の高い仕事になりそうだが、その予想される負荷以上のやりがいを感じている。
そんな動きが出来始めたのも、まごやさいのメンバーの頑張りに因るところが大きい。僕が居なくてもほとんどは彼ら彼女らがきちんとやってくれる。本当に有難いことだ。早く形にして還元していきたい。
さて、もうひと頑張り!
10/15(土) 37.追悼3 40歳になって実家に帰ってきた時、今中さんは半分引退した状態だった。
通信インフラが全国的に整備され、無線が主体と変わる中で、電話線の敷設は減り、事業転換・後継者・人材育成諸々が上手くいかなかったようで、事業は縮小していった。農業をしながら仕事の依頼があれば請ける状況。「有線(地域内の通信網)の仕事がきたんよ」とたまたま通りかかった僕に声をかけ、社名の入った作業服を着て出発する姿に昔のオーラはない。「怪我せんようにね」と見送った数カ月後、会社をたたんだと聞いた。
何と言って良いか分からず、ただ本心で「本当にお疲れさまでした」と伝えた。それが今中さんの心のどこに刺さったのか、「雄一が、お疲れさんでしたと言ってくれた。救われたような気になった」と言っていたと、他を介して何度か聞いた。その時の今中さんの心情が、今になって少しわかる気がする。
畑仕事をしている僕を見つけ、ちょくちょくジュースを差し入れてくれた。僕のことをあれこれ聞くこともなく、畑に目線を移しながら「思いっきりやりんさい」と呟いて踵を返し、後ろ姿に「ありがとうございます」とお礼を言う。ただ、これだけのことで勇気付けられた。
青々としていた今中さんの畑は徐々に作付が減り、畑に出ている時間も少なくなっていった。そのうちめっきり見かけなくなり、最後に見たのは家の玄関前で座って草取りをしている姿。驚くほど細くなった今中さんがそこにいた。
今中さん、本当にありがとうございました。雄一、頑張ります。
10/8(土) 36.追悼2 社会人になると「将来実家に帰って会社を継ぐ」と職場の同僚に言うようになった。当時ワコー通信は社長が今中さんから伯父へと変わり、その伯父から会社を手伝ってくれと言われるようになったこともあったが、おそらく根底にあったのはふるさと的感覚。大阪・福岡・東京と転勤する中で故郷としてのワコー通信を意識するようになり、そのうち帰りたい、帰るべき場所なのだという感情が芽生えたものと思われる。
それは仕事にプラスに働いたと思う。帰ってワコー通信に入るなら、その発展に貢献したい、そのためには色々な経験を積まないといけない、という思いが仕事意欲の源泉の一つとなった。営業ではなるべく経営者に会って話を聞きたいと思ったのも、会社研究をして事業構造を理解しようとしたのも、沢山の会社に新規訪問したのも、その動機の半分ぐらいは将来に繋がると思ったからだ。それは結果的に好成績へと繋がり、社内表彰の常連となることができた。
また、色々な会社を訪問し勉強する中で、会社が会社として継続する難しさ、特に創業から軌道に乗るまでの大変さを強く感じた。それは創業者に対する尊敬の念と転化し、今中さんに対する印象をも変えていった。考えてみれば、何の伝手もない奥さん(父の姉)実家で業を興し、当初は高校を中退した父とその弟という、まだ子どもと言ってよい従業員しかいない状況で業績を伸ばし、数年後にはその従業員の家まで建てるに至ったのは、それはそれで凄いことだと思う。
父がよく愚痴をこぼしていた「大盤振る舞い的お金の使い方」も、ほぼ自分の子どもに近い存在の従業員に対する愛情表現、社外には仕事を安定させるための営業手法と考えれば合点がいく。ワコー通信を会社として理解する中で僕が帰るべき会社という感情は薄れていった一方で、僕も今中さんのように自ら業を興し、できればワコー通信を越えていきたいという感情が芽生えてきた。
(次回に続く)
10/1(土) 35.追悼1 雨が続く。8月までの晴天続きがウソのように、もう3週間以上降ったり止んだりの天気。稲刈りは遅れ、畑も播種や定植の時期がずれ込んでいる。特に冬野菜への影響が懸念される。
昨日も雨、降り始めの昼前に今中のおじちゃんが逝った。昭和3年生まれ、自宅で眠るように息を引き取ったらしい。小早川さんに続き、本当にお世話になった方の死。まごやさいの礎を築いたのが小早川さんなら、人間・有政雄一にとても大きな影響を与えたのが今中のおじちゃんだった。
今中さんは父が長く働いたワコー通信の創業者だった。電話線の敷設を主業とする会社で、NTTから見れば孫請けになる電話工事会社。日本全国に通信網を張り巡らせる過程で事業規模を大きくし、一時期は20人以上の社員を抱える会社となった。
通信工事があるところを転々と移動するドサ回りの仕事。数カ月単位の仕事が多く、日帰りできないところは宿を借りて家族ごと移動。父は高校を中退してこの会社に入り、山口県田布施町での仕事の時に借家をした家の娘と結婚し、僕も出先の八本松で生まれた。母も仕事を手伝い、僕の乗った乳母車は電柱に括りつけられ、よく捨て子と間違えられたらしい。
僕が小学校に入るぐらいまでは家も一緒で、父の兄弟も含めた数家族がいつも衣食住を共にする生活。会社のポジションはそのまま生活にも引き継がれ、家でも両親は気を使い、僕は今中さんから我が子のようにとても可愛がられた。夜遅く仕事から帰ってきて僕の顔を見つけると今中さんは質問し、それに的確に答えると「おお、雄一はえらいの〜」と小遣いをくれる。気前が良く、面白い、お金持ちのおじさんだった。
一方、父を通して見た今中さんは別だった。重労働・薄給・強引な経営手法・お金の使い方、、、義理の兄でもある今中さんの愚痴を父はよくこぼしていた。実際、今中と有政の格差は目に見える現実だった。年に1日しか休みがなく、家に帰ってから深夜に農作業するのは日常茶飯事、一時期は夫婦で内職もしていた。食事・服・持っているおもちゃ等々、子どもの目からもその差は明らかで、嫉妬したりもした。
私立の中学校に進学し下宿をした僕に、今中さんは強い期待してくれたようだ。帰省する度に相当額の小遣いをくれた。貧乏学生には確かに有難いことではあったが、それを素直に嬉しいと思えないようになっていった。この頃僕が抱いていた今中さんの印象は戦国武将。豪快かつ激情派。領地を広げるためあらゆる策を巡らし、時には非道と思えることもする。僕にくれたこのお金の意図は何なのか?お金をもらうことで手足を縛られていくのではないか、そんなことも考えたりした。
中学・高校・大学と進学し、社会人になっても、今中さんとワコー通信はずっと頭のある部分を占めていた。
(次回に続く)
9/24(土) 34.欲張りライフ 「欲張りライフを語る会」という会に招待された。案内を見ると、県の総合計画「ひろしま未来チャレンジビジョン」実現のために、“地域で積極的に挑戦している人”を招いた、市単位で開催されている県知事肝入りの意見交換会らしい。
対象者に『無謀な』を付ければ確かに対象にはなりそうだが、何故呼ばれたのかは不明。ちょうど割と時間が自由になる土曜日だったのと、どんな人が来るのかに興味があり参加することにした。
しかし、考えてみれば確かに欲張りライフを求めてUターンしたと言える。
まずは子育て。子ども達に実家として向原を認識して欲しいと願い、また自然環境豊かな場所で伸び伸びと育って欲しいと思って、まだ子どもたちが小さい頃に実家に帰ろうと決断した。
それと、仕事面の自己実現。自ら業を起こし、経営者としてどれだけ事業を伸ばし、地域や社会に役に立てるサービスを作ることができるか挑戦してみたいと思った。
また、親も含めた家族との生活の充実。親子3代が仲良く協力し合っての生活はある種の憧れだった。それを求めた理由はよく分からないけど、おそらく中学生からずっと一人暮らしをしていたことが影響しているのだろう。
まだある。里山に囲まれた環境での生活。春に山菜を取り、夏は川で泳ぎ、秋はキノコの収穫、冬は椎茸のホダ木作りなど、すぐ近くに僕の心を満たすものが沢山ある。年2回それを求めてわざわざ8時間かけて東北に・北陸に・伊豆に遠征していた埼玉での生活にはちょっと嫌気がさしていた。ここでは30分もあれば、それに届く。
まあ、意見を求められればこんなことを話せば良いのかな?この独り言が良い頭の整理になった。もうすぐ出発、帰ったら今度は3期のキックオフを家で行う。今日も良い一日にしよう!
9/17(土) 33.準備万端? 本日新しい田植え機がやってきた。例のごとく新品ではないが、ほとんど使っていない自動施肥機能付きの中古。8年かけて畝立て機・中型耕運機・軽トラック・コンバイン・トラクターと揃え、これで長年の懸案だった最後のピースがはまった感じだ。ただ、これまでと違うのは、この田植え機の所有が(徳武)克くんということ。
9月からしょうりき農園の運営は徳武夫婦がすることになった。その準備に約半年かかっている。克くんは農業学校に行き、機械を揃え、新たな圃場を借り、レイアウトを変え、栽培計画を立て、お金の流れを整理し、今ようやく実行段階に入った。
まごやさいの運営体制も大きく変わった。この準備は一年前から始まった。それまで僕が100パーセント運用していた販売システムの運用を博さんと妻に徐々に移行し、スタッフを採用し、仕事の役割分担を進め、システム運用体制を強化し、納品体制を組み直し、ほぼ僕が居なくても日々の業務が滞りなく行える状況ができた。
この間、事業認定の取得に動き、事業展開や連携に向けて沢山の方と会い、ようやく第2段階に進めるところまできた。採用の仕事をしていた頃に、取引先の社長によく言っていた言葉を思い出す。「経営者は現場の仕事にどっぷりはまらず、事業の次を考える時間を作り、それに繋げる動きをするべきです」分かった風なことを言っていた自分が恥ずかしい。
そんなことは分かっていても、事業を作る過程で微に入り細に入り業務に関わってきた事業主にとって、その現場仕事を剥がすのはそれなりの準備と時間がいる。人を雇えばそれ以上の利益を稼ぐ状況を作らないといけず、戦力になってもらうには育成期間も必要だ。人が増えれば以心伝心は効かなくなり、共通認識を持つための時間も必要になる。
「絶対黒字」と「事業認定取得」を目標に掲げたまごやさいの2期が終わり、こうして振り返ってみると、とても意味のある期だったように思う。XAセンターを立ち上げ、保冷車を導入してハード面を整えた1期、人を増やし運用体制を含めたソフト面を整えた2期を経て、この3期を迎えた。
9月24日はスタッフ全員参加のキックオフを行う予定。本当はホテルかどこかのお店でやりたかったのだが、、、残念ながら今回も自宅での開催。今期の目標をきちんと達成して、来期こそは外でやりたいな。
9/10(土) 32.曇りのち晴れ 「農業で生活できたらこんないい仕事ないよね。」
最近よく妻が発する言葉。稲刈りがようやく終わった今日も何度か言っていた。埼玉からUータンして12年、農作業姿もすっかり板についてきた。小柄ながらなかなかの力持ちで、30kgほどある米袋をモンペ姿でひょいひょい運ぶ姿に近所のご年配が目を丸くしている。その昔の埼玉からやって来た小娘的目線は既にない。それどころか、かなり頼りにされているのに笑ってしまう。
1ヶ月続いた心の曇り空も日が差してきた感じ。稲刈りが雨雲を吹き飛ばしてくれたようだ。農業は僕にとってもちろん仕事だけど、趣味に近い楽しさがある。努力と工夫とある種の運と、気付きの連続、直感の驚き、目に見える成果、人の喜び、分かりやすい達成感、色々な楽しいが農業の中には入っている。
予定通り昼すぎには最後の稲刈りを終え、シャワーを浴びたら今度は広島市内に出発。カープには全く関係なく、事業認定関係者との達成会&キックオフ。同じ店でカープのパブリックビューイングをするらしいので、その騒音的影響がかなり心配ではあるが、今日が25年ぶりのめでたい日になるのなら、それはそれで幸先良いかな。
曇りがあるから晴れがより嬉しい。晴れるなら目一杯晴れろ!今日はW祝勝会になれば良いな。さあ出発準備に入ろう。行ってきます!
9/3(土) 31.明日は どうもスッキリしない日が続いている。天気のことではなくて気持ちのこと。
8月に事業認定が取れて、黒字達成して、ヨッシャこのまま3期に突入!というイメージだった。
確かに事業認定は取れた。黒字もおそらく達成できる。しかし、何かモヤモヤした感じがずっとぬぐえない。売上は6,7月と最高金額を更新、8月も昨対比でいえば50%UP。確かに忙しいし、別に誰かが手を抜いている訳でもない。が、募るのは危機感ばかり。
見えるもの聞こえることがネガティブに感じてしまったり、気に触ったり、往々にしてミスも起こす。ミスを人のせいにしたくなる。よくよく考えて判断したつもりが思う方向に行かない。同じ話を何度もする。ここ1カ月で起こったこと思い出しても情けないことが沢山。
書くことでポジティブな変化を期待したが、それも無し。何の理屈も辻褄もないけど、この辺りでお仕舞いにしよう。自分の中の言い訳もやめよう。全ての原因は自分の中にある。他人に原因を求めても、多分の望む方には進まない。
今日と明日はきっと違う。明日は良い日する。
8/27(土) 30.稲刈り開始! 今日から親友の甥っ子をインターンで受け入れる。国立M大学農学部4年、ラグビー部で一牛力ぐらいの力を発揮するらしい。稲刈りに力仕事ができる人材があるのは有難い。手ぐすね引いてまっていたら悪しくも昨日から雨が。。。今日、強行するか思案中。
そんなことを書いていたら彼はやってきた。名はコウヨウ。送ってくれたのは彼の祖母、親友からみると母で、中学校の頃よく泊まりに行っており本当にお世話になった人だ。beをしていた時もよく食事に色々な方を連れて来てくれたり、何かと気にかけて頂き本当に有難い。山のようなお土産を目の前にしながら、二人にまごやさいのメンバーのこと、事業のことを説明した。
10時半、どんより曇った空を見ながら、まだどうするか思案中。無理することはないが、、、、倒れ始めた稲も気になるし、明日は本降りなのでしばらく稲刈りができそうもない。来てくれた彼にも稲刈りを体験して欲しいし、さりとてもし柔らかくてコンバインが埋まったり、途中から雨が降って籾が機械に詰まったりするとマズイ。毎年のことながら、天気のことではいつも悩まされる。
11時、田んぼの見回りから帰ってきた母から状況を聞き、稲刈りを決行することにした。やると決めたらある程度の量を収穫しないと乾燥効率が悪くなる。遅れを取り戻すべく、それぞれが急に慌ただしく動き始める。初めて稲刈りをするコウヨウくん何をしてよいか分からず静かに動きを観察している。ざっと段取りを話して、まずのトップカーを田んぼまで運転してもらうことにした。
若干のトラブルはあったものの概ね順調に稲刈りが始まった。2年前に購入した2台のコンバインを同時に走らせ、刈り入れした籾をためては乾燥機のある小松さんの家まで運び入れる。籾の入った袋(25kg前後あり)の上げ下ろし、運搬はコウヨウくんの仕事。元ラグビー部、移動は常に走りで、素直な受け答えに皆好感を抱いた模様。
予想以上に順調に進み、約2時間でNRF(約1500平米の田んぼ)の稲刈りが終わった。その勢いで次は中町(約1200平米)に移動。もう皆指示が無くてもそれぞれの仕事を理解し、少し遅れて中町に到着した頃にはかなり稲刈りが進んでいた。こちらもすこぶる順調。機械の調子は良いし、何より田んぼが固く乾燥し埋まる心配が無いのがいい。8月ほとんど雨が降らなかった恩恵なんだけど、野菜的には恩恵とは到底言えないんだよな。
ずっとコウヨウくんの仕事ぶりを見ていて、これなら機械を任しても大丈夫だと思い、最後はコンバインを運転してもらった。予想通り筋が良い。僕が小回りをしながら後片付けも並行して行い、何のトラブルもなく想定よりも1時間早い17時前には全ての本日の稲刈りは無事終了した。
これで本日終了と思ったら大間違い。その後は家に帰って先日伐採した庭木の処分、その後明日東京から視察(兼レクリエーション)に来られる取引先飲食店スタッフ10名を迎えるための準備と仕事は続く。
いつもながらのバタバタの一日。だけど何だか楽しいな。最後は振り返りの会をして締めよう。コウヨウくん、もうひと頑張り。明日も明後日もヨロシク!
8/20(土) 29.Change or ・・・ まずはお知らせから。本日8/20(土)の日経新聞朝刊の36面「広島経済」にまごやさいがかなり大きめに取り上げられました。事業認定で取り上げて頂こうと思ったのですが、、、なかなか思うようにはいかないですね。それでも認知を上げるためには有難いことです。結構攻め系の記事になっていますので、宜しければ日経新聞をご確認下さい。
さて、2期も最終月の終盤になり、頭の中は3期をどうするかと、稲刈りのことが占めている。前者は事業認定にも絡むことで、まごやさいの流通モデルをまずは県内に広げるために具体的にどう動くか。それに絡めていくつかのアイデアがあり、有難い話も来ているのだが、それを実際に動かすのは今のことろ自分しかおらず、やるとなると今の事業運営体制を変える必要があり、今の僕の仕事を誰にどう分担するか、新たな人の手当ては必要か、などと最適解を求める思考が際限なく続く。
と、並行して天気のことがいつも気にかかる。もうすぐ稲刈り。今年は全体的に気温が高かったせいか実りが早く、月末には稲刈りを始めることになりそうだが、問題は雨。ここ何年か稲刈り直前の雨で田んぼがぬかるみ散々苦労させられた。現時点での天気予報では晴れが続き、そのままいけば良いコンディションで稲刈りができそうなんだけど、ここにきてぼんぼん台風が発生しており気が気でない。野菜には申し訳ないが、9月はじめまで晴れが続くことを切に願う。
それと、9月から妹の徳武夫婦がしょうりき農園を完全運営することになった。現在畑4,000平米、田んぼ10,000平米。畑はこれまで妹が中心となってやってきたの問題ないが、田んぼは手伝い程度だったので伝えないといけないことが沢山ある。その時々で作業にどう絡んでもらい、どう引き継いでいくのか、専業農家として頑張っていくことを決めた二人が順調に立ち上がれるよう、できる限り応援したいと思う。
というような状況で、特に意図していた訳ではなかったが、事業認定・徳武夫婦の意思決定・有難い話しのタイミングが不思議と一致し、3期はこれまでにない大きな変化が起きそう。これ、結果的に必然なんだと思う。少し上手くいきかけたからと言って、それを維持しようとした瞬間に衰退が始まる。 Change or Die、日々の学習によって改善を続け、時に突然変異を起こして環境適応し繁栄を実現する。あたかも進化を繰り返して命を繋げてきた地上の生命のように、まごやさいも社会で繁栄する存在となりたい。
とはいえ、突然変異は痛みも伴うんだよな〜。絶滅しないように頑張らなくては。
8/13(土) 28.事業認定報告 まずはご報告です。
この独り言で何度か取り上げてきた事業認定ですが、お陰様で8月10日に無事認定が決定しました。中国経済産業局のニュースリリースに出ておりますので、宜しければご覧下さい、
http://www.chugoku.meti.go.jp/index.html
少しこの事業認定について説明します。
認定の元となっているのは「中小企業等経営強化法」という法律で、その名の通り中小企業の経営力強化を支援し、産業の活性化に繋げていこうというもの。もちろんどんな中小企業でも支援してもらえるかというとそうではなく、新たな価値創造やマーケット創出の可能性が高い企業を認定し、その認定企業に対して助成金や低金利融資・特許料の減免等の支援策を講じるという流れになっています。
認定には「商農工等連携」「地域資源活用」「新連携」の3つのカテゴリがあり、今回まごやさいは「新連携」で事業認定されました。これは異分野の企業が連携して新たな市場を創出していくもので、主体事業者がまごやさい、連携先企業がシステム開発の株式会社ちゃネット、それに安芸高田市・広島銀行が協力団体として加わって頂いています。中国経産局と中国農政局の共管という形で認定されました。
認定まで約1年かかりました。その間の状況は7回前の「21.プロセス報告」で触れましたのでここでは割愛します。ちなみに、今回のタイミングでの新連携での事業認定は全国でまごやさい1社のみらしいです。この認定を受けることがきたのも週3回出荷頂いている農家さんと、その野菜をお使い頂いている飲食店・小売店・個人の存在があればこそ。本当に有難く、だからこそ、この事業が永続できる形に早くしないといけません。まずは感謝を込めて事業認定のご報告申し上げます。
蛇足ながら、今日は1年ぶりに俊助が静岡から帰ってきました。久しぶりに3世代6人で夕食です。しばし仕事から離れて、彼と色々話してみたいと思います。
8/6(土) 27.心の声 原爆の日、くしくも平和の祭典オリンピックの開会と同日。テレビでは暑い朝に平和公園で黙祷をささげる映像と、夜を鮮やかに彩る開会セレモニーの様子が同時に流れている。静と動、北と南、昼と夜、夏と冬。全てがきれいな対になっていることに気付いてちょっと驚く。が、それに何の意味も見出せず、ただテレビを眺めている。
難しい局面に入った。いや、ずっと難しい連続なので今更あえていうことでもないのだが、未だ考えがまとまらずにいる。それは「いかに売り切る状態を作るか」
今の事業は農家さんから出荷された野菜の完全買い取りを原則としている。それは全量売り切ることが前提となる。販売先の組み合わせと高い鮮度によるロスの少なさでこの事業を始めて以来ずっと貫いてきたことではあるが、その難易度がかなり上がってきていると感じる。
一番の要因は出荷農家さんの増加。それ自体は大変有難く事業の未来に繋がることではあるが、特に新規で出荷され始めた農家さんを中心に重なる野菜が増えており、そのコントロールがとても難しい。出荷情報などで数量制限をかけても10軒同じ野菜が重なるとお手上げで、あまり制限をかけると出荷意欲の低下につながりかねない。また、採れた野菜を全て買い取り販売できることが農家の利益の源泉であり目指す方向と考えているのに、制限をかけるのはそもそも意に反する。
情報提供を通じて、「売れる野菜」を栽培する流れを何とか作っていきたいが、その効果が現れ始めるのは新規の出荷農家さんだと早くても半年はかかる。それでも粘り強くやっていくしかないのだろうな。この「売れる野菜を栽培する流れ」をどう作っていくか、まだまだ改善の余地、新しい手立てがありそうだ。
それでも、昨日は30軒の農家さんから190種(農家が違うと同じ野菜でも別種とカウントするので純粋には80種類ぐらい)の野菜が出荷され、30軒以上の飲食店から注文を受け、3軒の小売店に納品する状況ができている。出荷農家・販売先・販売額とも昨年の60%以上、本当に有難いことだ。
それにより、パッケージやピッキング・検品の労力も指数関数的?に増えており、こちらは労働コストに直結。長引く労働時間と残りそうな野菜を見ながら当面頭を悩ます日々が続きそう。ほんの1ヶ月前までは野菜が足りずに困っていたのに、、、かくの如く状況は変化する。
まごやさい2期最終月。2期2大目標の「黒字化」「事業認定を受ける」も結局最終月まで引っ張ってしまった。色々悩みは尽きないが、それも全て未来に繋がる機会と思ってポジティブに捉えよう。考えるだけじゃ何も変わらない、行動×行動×行動(ある会社が掲げていた標語、分かった人は相当な人事通!)。
テレビを見ている場合じゃないな。夏の暑さにもマケズ頑張るべい。
7/30(土) 26.疑似運動的一日 またやられた。犯人はイノシシ。
収穫直前のミニカボチャが全滅。家からほど近い小さな畑、これまで鹿の被害だけでイノシシは初めて。2農家4枚の田畑をぐるり一周ワイヤーメッシュを施し、上部はアミをやって万全の対策をしていたつもりではあったが、、、どうもそのワイヤーメッシュの下の部分の土が雨で徐々に流出し、イノシシが通れるほどの隙間ができたもよう。チェックしてみるとあちこちでそれらしき箇所がある。
イノシシ被害は見ため的にもインパクトがある。柵をグニャリと曲げたり、地面をトラクターのごとく掘り起こし、田んぼに入ればのたうちまわって稲を倒し、匂いもキツイ。そして「どこから入ったか」の犯人探し。同じ柵内の当事者同士で話し合えば良いことなんだけど、ご丁寧に詮索好きの近隣住民が「あそこかた入ったんじゃないか」とか、「あの畑の入口が開いとった」とか、近しい方に有利になるような発言をして混ぜっかえす。もしくは文句を言ってくる。実被害のショックより、その対応の方が精神衛生上悪い。
そんなことがあり、今日は午前中から臨時イノシシ対策をした。出荷の仕事が朝6時まであったので、それから3時間程仮眠をとって炎天下での作業開始。対策方法を決め、計測して必要資材を割り出し、買出しに行き、前の柵を撤去して午前中終了。2万5千円の臨時出費が痛い。
食事を取ってすぐ作業を再開。2mの金棒を地面に打ち込み、2mの新しい柵を設置し、鉄線で括り、更に補強し、を繰り返し、計60mの防護柵を敷設した。またもめるのも嫌なので今回は我々が管理しているところをぐるっと囲ってしまった。これでちょっと一安心、かな?
終わった後に食べたスイカが奇跡のようにウマい。時計を見ると17時、これで今日は終わってしまった。体から熱が引かず後頭部が重い。シャワーを浴びて、この独り言だけは何とか書いて、他に今日本来やろうと思ったことは全て明日に先送り。
まあ、こんな日もある。大量に汗を書いたし、まあいい運動をしたと思って良しとしよう。今日はゆっくり寝て明日は朝から請求業務頑張ります!
7/23(土) 25.カープ逆効果 昨日も勝った。今日は黒田が200勝をかけて魂の登板。快晴のマツダスタジアムは恐らく超満員、今日は何故テレビ中継が無いのだと新聞を見て叫んでいる人も多いだろう。
カープ(どころかスポーツ全般)に興味無く、「勝ち負けが人生に何か影響するのか?」とTVを見ている僕に嫌みを言っていた北九州出身の妻でさえ「今日は中継ないの?」と言い出す始末。勝ち負けが都度出る分かりやすい勝負の世界、ある人は地元を代表して戦う戦士達に、ある人は特定選手の人間物語に、またある人は組織運営や時々の判断や采配に自分を投影したり、感動したり、評論しながら応援している。いや、ほんと、これだけ多くの人を巻き込む力がある野球というスポーツは、本当に凄いコンテンツだと思う。
かくいう僕も夜仕事をしている時はパソコンの左側に「スポーツナビ」の自動更新文字中継を立上げておき、ちょいちょい見ていたりする。昨年まではそんなことしていなかったのに、、、やっぱり気になる。このままいけばさらに盛り上がり、日々の広島の会話はカープ一色になること間違いなし。試合中は仕事に手がつかなくなったり、昔まことしやかに言われていた「カープ優勝の年は浪人生が増える」現象が本当に起こったりして。。。おそらくカープ優勝で経済効果○○○億円!なんて記事がメディアを賑やかす日が近々くるのだろうが、その陰でネガティブな事態も密かに起こっていたりする。
実際、お取引先の飲食店から来客数が減っているという声がちょくちょく上がってくる。おそらくTV中継がある日は速攻で家に帰る人が増えており、特にディナー営業中心のお店はその影響を受けているものと思われる。そしてそれは野菜の仕入れにも影響し、我々もそのあおりを受けることになる。実感できるカープ逆効果だ。今年浪人生が増えれば来年受験する娘の受験競争が厳しくなるんじゃないかと、アホな心配をしている。
それにしても、、、何故今日はテレビ中継が無いのだ!
7/16(土) 24.女子会 7/14の午後、「ただいま〜!」元気な声でスタッフ女性陣が帰ってきた。まごやさい初の女子会、その声を聞いて大成功だったことを確信した。
1ヶ月ほど前、スタッフ男性陣が近々釣りに行こうと話していたら、それを聞いていた女性陣が口々に「私たちも何かやろう」と言い始めたのが事の発端だった。お取引先の店でランチはどう?それいいね〜、などとにわか井戸端会議。あれこれ話している途中で農家さんが出荷に来られ、そこで話は終わった。(と思っていた)
数日後、定例ミーティングの際に妻から「女子会をしたい」との提言があった。自発的な企画で嬉しくはあったが、スタッフの親睦目的であれば却下しようと思った。業績が赤黒のギリギリの境目を進んでいる状況で1円でも経費を抑えたいのが正直な心情。ただ、折角の機会なのでまずは内容を聞くことにした。すると、
>取引先の「LASORA」でランチ
>参加者は女性スタッフと農家さんの希望者(女性限定で募集)
>ランチ後に大型産直市を視察する
>センター集合で、そこからは妻と妹が運転して移動
>参加費や会社負担は相談させてもらいたい
という内容。聞いた瞬間「これはすべき」と思った。
会社が経費全額負担でも良いかと思ったが、丸ががえで農家さんを取引先にお連れするのも何か変な感じがして、参加者は1000円自己負担で足が出た分は会社持ちにすることにした。日程もすぐに決め早速農家さんに案内。すると予定の合わなかった数名を除きほぼ全員が参加となった。
そして当日、無事女子会を終えて冒頭の状況。こちらが聞くまでもなく、怒涛のような状況報告。自分たちの作った野菜がどう提供されているのか、飲食店からまごやさいはどう映っているのか(すごく好意的な対応をして頂いた模様)、都市部産直市の状況やまごやさいとの違いの理解、農家間&農家スタッフ間の交流など大いに意味があったようだ。
翌日の出荷日には文さんがそれぞれの参加者向けにミニアルバムを作ってくれて、それを元に当日参加できなかった農家さんにも内容を説明していた。
多分、2回目はもっと参加者が増えるのだろうな。
7/9(土) 23.ぬかるみ やってしまった。8年目にして初めて、かな?
昨日の早朝。雨が降る中、急いで枝豆を収穫しに畑に行った。少しでも運ぶ距離を短くしようと軽トラを畑の中に入れた瞬間、ぐにゃっと嫌な感じがした。ヤバイ、すぐに車を外に出そうとしたが後の祭り、タイヤが空回りしてどんどん泥の中に埋まっていく。やってしまった、ものの見事ないわゆるスタック。
素人丸出しのミス。それはスタックを予見できなかったこと。もう8年も畑をしているのに。。。雨の状況、畑の特徴、通路の傾斜などを考えれば、スタックの危険性を考慮すべき場面。ほんと、な〜んにも考えずに車を入れてしまった。普段なら絶対考えるはずなのに、寝ぼけた頭と焦りで素人になってしまった。
素人と玄人の差は危機察知力にあると思う。危険性を予見してあえて行くのと、全くそれを考えずにいきなり危機に直面するのは痛手が全く違う。急に床を踏み抜くと大怪我に繋がることが多いのと一緒。今回は幸い大怪我には至らなかったが、その素人的無防備が情けない。
会社をやっていても一緒。自転車どころか一輪車操業状態のまごやさいは危機の連続。資金繰りから野菜の傷み、検品ミスなど至る所にリスク満載だ。その危機を予見するために経営指標を作ったり、資金残のチェックをしたり、出荷ルール・検品手法などを日々改善し続けている。が、慢心だったり、焦りだったり、心配ごとだったりがいきなり素人当然の状態させる可能性がある。今回はこの戒めを得たということでプラスに解釈することにしよう。
まあ、それと以前と変わったことは、以前は自分のミスに怒り狂って更にミスを重ねることが多かったが、今回はすぐに切り替えて作業を行い、順調に終了したこと。特にその後もミスを引きずらず、心情的もあらかた順調に業務を進めることができた。
ちなみに、スタックした軽トラはそのまま放置。先程トラクターで引っ張り上げました。やれやれ。
7/2(土) 22.生活パターン 今日は心地よい風で目が覚めた。梅雨らしからぬ湿度の低い強めの風が窓から入ってきて、そろそろ起きろと顔をなでる。時計を見ると10:30。昼まで寝るつもりで布団に入ったのが6:30、お蔭でスッキリと目が覚めたので昼までに一仕事しよう、と独り言を心でつぶやきながら布団を出る。
振り返ってみれば、広島に帰って8年、生活時間が何度も大きく変わった。
帰ってきた当初1年半は農業と宅配中心で早寝早起きの生活
beをしていた2年間は睡眠2〜4時間の日々。居眠り運転しかかったこと多数
農業とシステム開発中心の1年間は日によって全くパターンが違う不規則な生活
野菜販売&農業体験&農業を主事業とした2年半は週3回深夜労働、早朝納品、仮眠&週4回遅寝早起き
そして現在、早起き→仮眠→深夜作業→仮眠→日中作業→早寝を2日ごとに繰り返している。まとまった自由時間は土曜日の昼から夜。この時間に独り言を書いたり、集中的に草刈したり、資料を作成する時間にあてている。
この土曜日が僕に生活リズムを与えてくれている。気持ちを切り替えるタイミングであり、溜まった仕事を翌週に繰り越さずにやっつけることができ、精神衛生上著しく良い。人を雇い、一つの事業に集中することで実現できた現在の生活パターン。このまま当分いくのか、更に変えるか、、、。それは事業の形によって決まる。
今日はこれからセンターのレイアウト変更。システム入力者が増え、PCも増設するので、それに適した導線を考え配置を決めたい。僕の好きな仕事の一つ。さて、今日も元気に頑張るべ。
6/25(土) 21.プロセス報告 まずは、6/21に行われた事業認定の事業評価委員会での最終プレゼン&質疑応答、何とかそれなりに終えることができました。緊張度から言えばひろしまベンチャー育成賞に次ぐ水準、寝不足&食事抜きの影響もあったのか久しぶりに胃がキリキリする感覚を味わいました。ざっと並んだ外部有識者の前で事業を簡潔に分かりやすく、且つ期待感を持って頂くのはそれなりの準備と強い意志が必要です。今回は準備に約1年かかりました。ちょっとその経緯をかいつまんで書いてみます。
事業認定を取ろうと決めて初めに電話した某SK会では担当者に「おたくが取れるわけない」と言下に否定され「もうちょっと勉強して出直してこい」との愛の無いアドバイス。その後相談したHS機構では遠回しにサポートできないと言われ、であれば、どこならサポートしてくれるのかと喰い下がった挙句に出てきた名前が「中小機構」。正面から相談電話をすると二の舞になりかねないと、名刺の束をひっくり返して探し当てた同機構の責任者に連絡し、その責任者経由で紹介された担当者が事業視察に来られたのが昨年の今頃。
初回の訪問で当事業に可能性は感じて頂いたものの、認定する事業カテゴリ(地域資源系)が合わなかったため、「新連携」という異業種が連携して新たなサービスを創出するという事業カテゴリで仕切り直し、そして新たに担当して頂いたのが今でもサポート頂いているM氏だ。
前担当者から我々の事業について好意的に引き継ぎがあったこともあろうが、M氏はシステムに造詣が深く、また某著名FC系ベンチャー企業の中枢に居られたこともあり、まごやさいの事業を肌感覚で好意的に理解頂けたことは本当に大きかった。
そこから先は事業申請書を作成するプロセスが事業コンサルそのものとなり、提出しては添削の繰り返し。月に1〜2回は面会し、頭を整理するための壁打ちに付き合ってもらった。僕にとってはそのプロセスそのものが今回の事業認定の最大の目的。進もうとする未来は割と明確にイメージできているものの、その未来と現在の間の行程がぼやけており、それを明確にしないと腹を括るのが難しいとずっと感じていた。自分自身だけではどうにも乗り越えるのが難しいと思って今回の申請を思い立った。
もちろん、副次的な効果も想定した。一つは営業面。飲食店の事業開拓はお陰様で順調に伸びているものの、今後事業展開を想定している農家や農業関連団体はたぶんそう簡単にはいかない。感覚的にはFCオーナーの募集的な状況が想定され、その時の判断材料のプラス要因になるのではないかということ。事業的・個人的信用が著しく乏しいので、国(今回は経産省と農水省共管)の審査を経て認定された事業であると言えるのは大きいと感じている。
それと、資金面。いずれにしてもこれまでとは比較にならない金額の資金需要が想定され、それを間接金融で賄うのか、直接金融で調達するのか、補助金を活用するのか、いずれにしてもその選択肢が多く持てる方が良い。
まあ、それも認定が取れてからの話し。すべきことは既に終わった。結果は8月。しばしこのことは忘れそろそろ3期に向けての準備を始めることにしよう。今年の夏は熱くなりそうです。
6/18(土) 20.最適解 事業認定の選考が最終段階に入り、来週いよいよ外部有識者による事業評価委員会にて最終プレゼンを行うことになった。
そんな背景があり、あれこれ事業のことに思いを巡らすうちに、ふと気付いたことがある。それは僕の思考は「2者の間にある最適解を探す」傾向が強いということ。意味不明?ちょっと噛み砕いてみたいと思う。
例えば、ある新しいサービスを考えるとする。サービス提供先であるAとサービス提供元であるB双方のニーズや要望・状況を理解し、それを双方に無理がなく、納得できる着地点(最適解)を間に入って考え、それを元に両者をつなぐサービスに置きかえるということ。おそらく僕自身には湧きでるような「絶対解」としてのサービスアイデアは無く、そのセンスもない。普段取引先のお店や野菜を出荷してくれる農家さんの声を聞き、理解し、浮かび上がってくる課題をマッチングすることが、僕の事業アイデアの源泉になっているようだ。
これは野菜の販売だけでなく、事業の連携をする際や、個人対個人の時もそう。頭ごなしに「これをして欲しい」とか「こうすべきだ」ということは言わない。まずは相手を理解すること。そして最適解を探しながら話を進める。故に僕には創業オーナー的な言葉の迫力はたぶんない。それが自分の限界と考えたり、事業を生み出すような経営者の資質なし、と思ってしまうことも、実にしばしばある。
人と企業を結ぶマッチングビジネスを長くやってきたからそうなったのか、元々の性格なのか今となってはよく分からない。でも、それが自分の根源的傾向なのだと、納得できるようにはなってきた。
美味しい野菜を求める飲食店や個人の大きな塊と、今日も一生懸命美味しい野菜を作っている沢山の小さな農家の塊、それを美しく結ぶ最適解を何とか導き出したい。もう手の届くところまで来ているのか、まだまだ先なのか、それともそんな解はそもそも無いのか、今日も書いては消しの試行錯誤を続けている。
てな感じで、不安を探し始めたらきりが無くなる。プレゼンの良いところは簡潔に言い切らないといけないこと。それ自体が頭を整理し、自分の推進力となり、腹の括りに繋がるから、苦手なことを懲りもせず繰り返している。
今の事業のすぐ先に、過去最大のジャンプをしないといけないことは既に見えている。眼下100mに川が見える崖の間を飛び越えるような感覚。落ちたらアウト。その腹を括り、より成功率の高いジャンプをするために事業認定を申請することにした。その意味で考えると、目的の半分ぐらいは達成されたのかもしれない。
ただ、ここまできたら何とか認定まで漕ぎ着けたい。来週火曜日、頑張ってきます!
6/11(土) 19.追憶4 小早川さんとの思い出は尽きない。今年の独り言全てを小早川さんで埋めることも、たぶん楽勝だ。普段、ふとした瞬間に小早川さんがいない今を感じる。それを喪失感というならそれだろう。仲良くしてもらった義父の時も感じた、2度目の感情だ。
思い出はずっと飛んで、今年4月のこと。小早川さんの畑で収穫をしていると、ほっそりと白くなった小早川さんが家から出てきた。「わしはもう畑が出来んかもしれんのう。Kさんに定期的に耕してもらうことにしたよ。草刈りは息子がやると言っとる」小早川さんの畑は圃場維持の助成金をグループ申請しており、圃場を荒れさせると本人に助成が下りないばかりか、グループにも迷惑をかけることになる。
小早川さんの引退宣言、それを聞いてとっさに、だけど自然と伝えた。「この畑、僕らがやりましょうか?」
その時の小早川さんの嬉しそうな顔。「そうか、やってくれるか。雄くんも家族も忙しいじゃろから、よう言わんかったんよ。そうか、そうか、有難う」手塩にかけた畑はおそらく自分の子どもに近い存在。その畑を喜んで託してくれることが僕自身も嬉しかった。それから1時間、3枚に分かれた畑の特徴を説明してもらった。僕も畑のレイアウトについて意見した。純粋に野菜作りで話したのはこの時が初めてだったかもしれない。
それからすぐ、大きな課題だった鹿・猪対策の鉄柵を新設し、荒れかかっていた畑を耕し、種まきの準備をした。体調が良い日に外に出ては畑を見ていた小早川さん、実質の畑担当である妹にも体調不良をおしてよく声をかけてくれたようだ。
そして1カ月後、小早川さんは逝った。肉体は儚くなってしまったけど、小早川さんにはまごやさいの中で今後も生き続けて頂く。第1号出荷農家として、出荷農家の理念や方針の象徴として、事業の礎を築いた1人として今後も小早川さんには登場して頂く。まだ楽はさせません、もうひと働きしてもらいますよ。
そして、そのうち僕もそちらに行きます。その時はこの事業がその後どうなったのか、飲めない酒を飲みながらご報告しましょう。もうしばらく待ってて下さい。ひとまず有難うを伝えます。
あなたが居てくれて本当に良かった。
(了)
6/4(土) 18.追憶3 小早川さんとは畑でよく話をした。
初めに相談に行った時は応接で話したが、それ以来一度も家に上がったことは無い。畑作業をしながら相談事を思い付くと、振り返って小早川さんの畑を見る。直線距離で200mぐらい、いつもそこには小早川さんがいた。
自作のHPに出荷してくれる農家さんのことを紹介しようと思い立ち、小早川さんのところに行った時も畑で話を聞いた。生粋の農協人で、営農指導を長く担当した慣行農法のスペシャリスト。農業で生計を立てる方々を主な対象にした、出荷に適う野菜を作り、きちんと収量を確保し採算を取るための、その土地に合った適切な施肥・農薬散布をベースとした農業を指導し、自らも実践してきたという。
定年退職を迎え、第2の人生は農業を思いっきりやりたいと圃場やハウスを準備していた矢先、大病が氏を襲う。死も覚悟したという闘病期間を経て退院、そして畑に帰ってきた時、農業の考え方が全く変わったと、畑を見ながらかみしめるように話す小早川さんの横顔が思い出される。
準備していたハウスの資材は売り渡し、当時の身の丈で出来るだけの畑だけにして、自分が家族が安心して食べることができると思える作り方、採算性の高い野菜ではなく、自分が食べたいと思う野菜、孫が喜んでくれそうな野菜を作ることにしたんじゃ、と少しかすれた声で話してくれた。
この言葉が下敷きとなり、孫野菜に出荷する農家のガイドラインを作成した。今では60軒以上になった出荷農家さん一人一人に、今でも初めにお話しすること。そして「まごやさいとは何?」と聞かれると必ず話すことでもある。
(続)
5/28(土) 17.追憶2 今でもよく思い出す光景がある。
それは7年前、旬の野菜宅配初出荷の日。たった12件。だけど、何をするにも初めてで、ここに至るまで小早川さんに何度も何度も相談した。いつぐらいから始められるか、どんな野菜が揃いそうか、どのようにすれば喜んで頂けるか、値段は?頻度は?パッケージは?配達曜日は?・・・・・。全てが手探り、不安なことがあれば小早川さんに意見を伺うの繰り返し。
まだ内容が固まっていない中で僕は知り合いに宅配の案内を送り、それに反応してくれたのが12件。想定していた数には到底届かなかった。世間の厳しさを痛切に感じつつ、とはいえ、もちろん1件でも注文が入れば手を抜くわけにはいかない。野菜に同封する資料類の準備を1ヶ月前から始め、出荷前日までには用意できた。
問題は野菜で、小早川さんから「たぶんこれこれの野菜は用意出来る」と聞いていたものの、当日にならないと何がくるか分からない状況。一品入ってくる度に手書きの説明を書き、また小早川さんが集配に走る。発送時間は迫ってくるし、想定外のものも入ってきたりと、とにかくバタバタ・ドタバタ。
最後の野菜を小早川さんが汗だくになって軽トラから下ろし、ようやく箱詰め作業に入った。野菜は家のリビングには収まりきれず外にも並んだ。それを満足そうに眺める小早川さんの横顔。1時間程で箱詰め終えて何とか時間内に発送することができた。送り出した後の脱力感、「なかなかのセットができた気がするのう」と小早川さん。握手を交わして初出荷を終えた。
そして翌日、感謝のメールや電話やらがどんどん入ってきた。予想以上の反応、それを紙にまとめて小早川さんの所に持っていった。収穫した野菜の仕分けをしていた手を止め、しばらく静かに読んだ後「やったのう」と一言。その時の小早川さんの笑顔が今でも脳裏に焼き付いている。そして、それこそが僕がこのサービスに確信が持てた瞬間だった。
(続)
5/21(土) 16.追憶1 小早川さんが逝った。
予感があった。5/25、出荷業務で忙しくしている最中、ふと小早川さんに会わなくてはと思い、母に小早川さんの奥さんに電話してもらった、が、出なかった。家に電話しても誰も出ない。嫌な予感を押し止め、たぶん診察中かなんかで出れないんだろうと思い直し業務を再開した。
そして夕方、博さんが血相を変えて帰ってきた。JAに肥料の注文に行ったら、小早川さんがお亡くなりになったという話が聞こえたという。斎場の予約電話が第一報になり、元JAの小早川さんの死は職場の話題になったようだ。
まごやさいという事業を振り返った時、最も大きな影響を与え貢献してくれたのは間違いなく小早川さんだ。その功績を称え、氏と歩んだ7年半をしばし回想してみたい。
小早川さんと話したのは28年ぶりだったか。Uターンして農業体験と宅配を始めるべく準備をしている時の母の助言が発端となった。「一度、小早川さんに相談してみたら?」
当時小早川さんは母と姉がやっていたロードサイドの小さな農家直売所に出荷していた農家さんの1人だった。家はウチから300m程の所にあり、昔は牛を飼っていて朝の「モ〜」という鳴き声が今でも懐かしく思い出さる。息子さんが僕と年代が近く、小学校の頃はよく遊びに行っていたし、釣りをする時は小早川さんちの牛分堆肥を掘ってミミズを取っていたものだ。強面で言葉のキツメな小早川さんは少年有政にとっては怖い存在で当時話した記憶はほとんどない。
そんなことも背景にあり、初め相談に行った時は緊張した。JAで長く農業指導員をされ、Aコープの店長としても実績を残されたこの世界の大ベテランから見れば、自分のやろうとしていることなんて都会かぶれの絵に描いた餅として一刀両断されるのだろうなと、覚悟して家に伺った。
小春日和の昼下がり、6畳ほどの応接に通され小早川さんと相対した。壁際に置かれている各地の土産物が妙に目に飛び込んでくる。視点の定まらない僕を見据え、少し笑顔で「で、何をしようとしているのか?」の言葉が始まりだった。
30分ぐらい、何でこの事業を始めようと思ったのか、これからどうしようと思うのかを話した。ずっと耳を傾けていた小早川さんが最初に言ったこと。「野菜は作らんでええ。わしが何とかしてやる。雄くんは一生懸命売りんさい。それができれば農家がついてくる」
そして、「この近所にも野菜を上手に作る人はいっぱいおる。けどの、誰も売らん。売れると思っとらん。食べきれんのは近所に配るか畑の肥やしじゃ。それが売れるようになったら、みんなもっと野菜作りを頑張るし空いた畑も減るはずじゃ」
これが全ての始まり。ここからまごやさいはスタートした。
(続)
5/12(木) 15.実は内緒にしてたような。。。 どうも週末にかけて時間が取れそうにないので、今回は2日前倒しで書きます。
それと、5/13(金)22:00〜24:00のRCCラジオ「勝手にトークひろしま!」に生出演します。テーマは『広島の畑で生きる』広島大学の教授やファーマーズレストランの経営者と広島の農業についてあれこれ語り合う企画らしいです。お時間が許せば是非お聞きください
何だか久しぶりに立て込んだ感じになった。
明日は8:00から出荷受け付けが始まり、並行して14時から始まる事業認定現地スクリーニング(※1)の準備〜事業の説明をして、終わったらおそらく溜まっているであろう販売諸々業務を行い、そのまま市内に移動。21:00過ぎにRCCに入りラジオの打ち合わせ、その後出演し終了予定は0:30。またセンターに戻って2:00から出荷検品と伝票作成。舟入市場さんの販促イベントに協力するため野菜がかなり多めでおそらく業務の終了は5:30頃。
博さんと野菜を送り出した後は、家に帰って仮眠をとり、昼から某県内大手小売企業と前職の社長を迎えて、事業の説明やら畑の案内やら四方山話をして、そのまま前職社長はウチに泊まってもらって四方山話第2回戦。そんな時を狙ったかのように中山間の話し合いが夕方入ってしまった。それに入社の準備(※2)が諸々あり、どこでその書類や導入資料を作ろうか悩み中。。。
※の部分はもしかしたら初披露かも。
※1は取得が難しいかもしれないと思いこれまで書くのをためらっていた。経済産業省中国経済産業局主管の「異分野連携新事業分野開拓計画」という事業認定制度で、「中小企業の新たな事業活動の促進に関する法律」に基づいたもの。要は異分野の中小企業が協力して新たな事業を展開出来そうなものを認定して成長の後押しをする国の政策だ。広島県内でも年数件しか認定されないなかなかのハードルの高さ。助成金へつながる認定だが、申請の主目的は事業を磨くことに置いて始めてみたもののこれが予想以上の難しさで、初回の打ち合わせから既に1年近くになっている。
数回の事業審査を経て、ようやく現地スクリーニングまで漕ぎ着けた。明日は中国経済局の方々が3名、支援してくれている中小機構の責任者と担当コンサルタント、連携するシステム会社の社長、資金面の後ろ盾として広島銀行向原支店長という錚々たるメンバーで我々の事業の実態を見て頂く。加えて農政局からも参加したいとの連絡が入ったようで総勢10名。って、書くだけで緊張してきたな。。。まあ、どうなるかは分からないけど、当初の目的は十分達成されつつあるし、結果は気にせず、事業を違う角度で見てもらい、そこからの意見も事業に取り込んでいければいいか、ぐらいの精神状態で臨むことにしよう。
※2は4月に入社した今井文子さん(社内呼称:文さん)に続く2人目の方。文さんは野菜のパッケージや農家さんの対応などのセンター業務を主業務として来て頂いたが、今回の方は販売や納品など現在僕や博さんがやっている仕事への対応を見据えての採用。詳しくはまた追々独り言に書きたいと思う。
という感じで、ぼちぼち事業も変化しつつあります。こんな時は何と言っても体調管理。今日は早めに寝て明日に備えよう。おやすみなさい。
5/7(土) 14.久々の。。。 7年間続けた農業体験を今年はしていない。
今でもその判断は正しかったと思っているが、心情的には別。そもそも僕がUターンした第一の理由であり、沢山の子ども達と関わる中で、まだ来たいと思ってくれている子どももいる。スタッフもそう。未だに心の中の大きなパーツが抜け落ちたような感覚がある。
そんな中、実は明日子ども30名強+大人20名強で田植えを行う。取引先の従業員とその家族向けの特別企画。福利厚生的要素が強いものの、研修としての意味合いも持たせており、自院で取り扱う食の意識を高めてもらうと共に、チームワークや達成感・子どもとのふれあいを持つ機会にしようというもの。稲刈りも合わせて年2回、もう5年続く恒例行事になっている。
今日は朝からその準備でバタバタ。妻は総勢70名分のバーベキューの買出しで肉や魚介の買い占めに各スーパーを巡り、僕はプログラムの作成、母は田んぼの水を調整しに行っている。午後は田植えの用の線引きに田んぼに入り(これが結構きつい)、3時ぐらいにスタッフ希望の子ども達を受け入れ、一緒に会場設営、明日のバーベキュー用食材の下処理と作業は夜まで続く。
随時妻から電話が入り、それぞれの食材量の確認、その都度「忙しい」を連呼するもちょっと楽しそうな声。広大生のNくんから電話が入り「明日仲間を誘って助けに行きます!」との申し出が。開催を聞きつけて連絡してくれたようだ。本当に嬉しい&有難いことだ。
明日は天気も良いようだし、田植えだけでなく他にも色々できそう。早めの昼食を取って午後からの肉体労働頑張るべ。
4/30(土) 13.生涯現役 今月で父が会社を辞めた。
これで3度目。16歳から50年勤めた身内の通信会社が1社目。その後同業から声がかかって4年間、途中で大腸がんの手術をしながらも復帰し、70歳を目前に個人事業で何でも屋的なことを始めた。そうこうしていると、また声がかかり会社勤めを始める。ここでは通信工事の補助的な仕事から近隣折衝、重機や機器の修理・メンテナンスなどをしていたようだ。
彼のプライドは年をとっても必要とされる技術や知識をもっていること。70歳になっても雇ってもらえる人がどれだけおるか?が自慢的口癖。人当たりが良く朗らかですぐ手助けをするので親しみを込めて「ターさん」と呼ばれることが多く、冗談を真っ当に受け答えしてしまうのでイジられキャラでもあったようだ。
そんな感じで外面はなかなか良いものの身内となると別。母には要求が厳しく、相手の意向を汲まない行動が多く、それぞれと衝突することもしばしば。その背景にあるのはたぶん「自分が一番仕事をしている」という自負。家族のためにへとへとになるまで働いて帰った時に、暇(のように見えてしまう)な家族を見ると腹を立てたりする。それと、世間体をかなり気にすること。それをしたら近所がどう思うか、とか、自分(達)の見られ方を気にするあまり、変な行動制限をすることがある。
そんな父が仕事をしない状況となる。家でもやることが沢山あるといきがっているが、無理して仕事を作ろうとしてしまい不必要を通り過ぎて迷惑なことをしてしまう可能性大。しかも本人は良かれと思っているからタチが悪い。そんな懸念が渦巻く中で、母が「まごやさいで使ってもらえんかね」と申し出た。
父に意向を確認するとまんざらでもなさそう。農作業から袋詰めまでやるべきことは満載で、やって欲しい仕事は多々ある。とはいえ、向き不向きもあるし、何より家族4人がほぼ24時間同じ場所にいて立場があべこべな状況に不安を覚え、ひとまず一度体験的にやってみたらということにした。
その初日が昨日。主には袋詰めをしてもらった。意外だったのは、その仕事の丁寧さ。真剣に、母のアドバイスを守りながらきちんと行う姿勢に好感が持てた。分からないことはきちんと聞くし、やった仕事は熟練者(この場合は母)に確認を取る。出来る確信が持てると終わるまで黙々と仕事をする。少し時間が空くと自分で出来る仕事を見つけ率先して行う。父が長く会社に請われた理由の一端を見た気がした。
父にとっても息子や母がしていることを理解する良い機会になったようだった。
そして今日、妹家族も交えて父のお疲れさん会を行った。ほのぼのとした温かい時間が流れる。嬉しそうに孫たちと話す父の姿を見ながら思う。「もうひと頑張りしてもらおうかな」
4/23(土) 12.良縁 久々に徹夜の出荷作業になった。
毎年、販促イベントの前や出荷のピーク時(9〜11月)には同様のことが間々起こっていたが、今は野菜が少ない4月、何でこんなことになったのだろうかと出荷金額を確認すると、それもそのはず過去最高に近い数値になっている。月間売上も過去ギネスとなった昨年10月と同等のペース。出荷して頂く農家さんが増えたのが確実に効いてきていることを実感。いや〜生産力が上がってきたな〜。
って、感傷に浸っている場合じゃなくて、このままではオペレーションで事業が破たんしてしまう。人の手当てをしないといけないが、どうしても一般募集をかける気にならなくてここまで来ていた。業務が回っていたので焦りはしなかったものの、いざこの状況になってみると。。。しかも、5月には大きな取引先が増える予定で、宅配も始まり、その前に大きめの案件が2件既にスタートしてしまい、更に出荷量が増えることが予想され、徹夜でも間に合わない状況が来るのはほぼ確実。
と、そんなタイミングで博さんから天の声「雄一さん、ちょっと会って欲しい人がいるんですけど」。聞くとこの近くにお住まいの同窓・同級の女性が今年仕事を辞めて次を探そうかと思っているとのこと。たまたまウチの話を違う同級生から聞き、博さんに相談されたようだ。
という訳で早速お会いした。食品メーカーに長くお勤めになっており人柄も朗らかで勉強熱心のようだ。メンバーとの折り合いも良さそう。しかも家で野菜も作っている小規模農家でもある。そして何より、ご本人の今後どう働くかという志向と、我々が用意できる仕事環境がマッチするように思えた。
そんな経緯があり、4/25からまごやさいは新しいメンバーを加えます。いや〜、テンション上がるわ。人は活性剤でもありますね。
4/16(土) 11.解体 熊本を中心とした大地震のお見舞い申し上げます。知っている風景の惨状に心が痛みます。熊本の友人、以前取引をして頂いた会社の皆様のご無事を祈るばかりです。
さて本日、旧家の解体が終わった。年末に解体することを決め、複数の会社に見積りを取り、実際に解体が始まったのが3月22日。僕自身は小学校までの12年しか住んでおらず特段感傷めいたものはないが、40年住んでいた両親(しかも半自作なので相当思い入れもあるはず)が日に日に壊れていく家を見てどう思うのかが心配だった。
が、実際のところは杞憂だった。お金が無くて電柱を柱に使ったり身内で棟上げをしたりと素人仕事が随所にあり、10年ぐらい前から雨漏りがひどく、床は抜けるわ、戸は開かないわ、隙間が多くて室内と外の温度がほぼ一緒などなど住居として使うのは既に厳しい状態だった。そんな家を次の世代に引き継ぐのは申し訳ないという気持があったようだった。
ただ、外だけみるとそんなことは分からない。周囲からは「もったいない」とか「まだ使えるのに」とか色々言われた。実際、当初は修繕して事務所や農機具小屋として再活用することも検討した。しかし、予想以上に屋根の損傷がひどく、使えるようにするには300万円以上かかることが判明。話し合いの上、旧家を残すのは厳しいという結論に至った。
そんな経緯を経て、今日初めて旧家の無い更地に立ってみた。結構広くて晴れやかな気分。父も母も嬉しそうだ。利用方法のアイデアがどんどん出てくる。
解体とは、無くすことではなくて、新しい一歩を踏み出す序章なのかな。さて、どうしよう。
4/9(土) 10.鹿にもマケズ、猪にもマケズ 雨上がりの快晴の今日は朝から4人で鹿&猪柵の設営を行った。
新たに請け負うことになった畑の整備第一弾。実はずっとまごやさいを支えて頂いた小早川さんの体調がすぐれず我々が耕作することになったのだ。常時10種類以上の野菜が成っている、且つミミズが沢山いる小早川さんの畑は鹿・猪にとってはレストランみたいなもので、あの手この手で奴らは侵入を試みる。
小早川さんも計3反(約3000平米)の畑一周トタンをぐるっと回してあるのだけれど、そのトタンを猪が突き破り、それで出来た隙間から鹿も入ってくる。そこを補修すると別な場所を襲うの繰り返し。小早川さんも最近は根を上げてしまい、冬場に収穫期を迎えた野菜もほとんど奴らにやられてしまった。
という訳で、この話しが来た時に一番懸念したのは鹿・猪対策だった。約1反の畑が3枚並んでおり、ぐるり一周は約200m。鹿・猪双方を防ぐには鉄のメッシュ柵で高さが2mは必要。2m×2mの鉄柵が約1、000円。それを固定する鉄杭が1本300円。結束バンドも必要で、ざっと試算すると140,000円が必要だ。
それだけじゃない。元の柵の撤去する必要があり、今日の作業進捗から類推すると人手は3人×4日。出来る日は出荷の無い火・木・土・日曜日。それを終えて畑を鋤き、堆肥を撒き、播種をしてようやくスタート。今月半ばからは田んぼの準備をしないといけず、既に時間が押し押し状態。
とまあ、またバタバタしそうだけど、、、これはこれで楽しいな。小早川さんのノウハウもこの機会にきちんと学んで、農業でも利益を出せる。そういうものに、わたしはなりたい。
4/2(土) 9.計画見直し! 気付けば4月。今日は特に暖かく、凍てつく畑で収穫し、凍えながら深夜の検品をしたつい先日までがウソのよう。
気温に合わせて収穫量が増えてくれれば嬉しいけれど、現在ほとんどの農家が仕込みの真っ最中で出荷が厳しい状況。出荷農家数が増えたので、それでも昨対比70%UPぐらいにはなっているのだけど、顧客数も同様に増えているので足りない状況は変わらず。
という訳で、事業的には野菜の少ない1〜4月をどうしのぐかが肝。ということは、その時期の作付の始まる8月末から9月が重要になってくる。その時期は稲刈り〜トース引きがあり、野菜の出荷量も多く、正直畑にかける時間が激減してしまう。それに昨年までは農業体験も重なりほとんど身動きが取れなかったのだけど、今年は肝に銘じて時間を確保しないといけない。
もう1つ大事なこと、種まき・定植する際に畑が空いているかどうか。長く収穫できる野菜(ナス・ピーマン・トマトなど)を植えてしまうと10月まで畑が空かないので、冬野菜を植える場所に何を植えるかを考えないといけない。ということは、3ヶ月前の5月に、その時期に収穫が終わる野菜を選ぶ必要がある。種の発注や畑の準備を考慮するともう時間が無い。
畑がさらに増えそうだし、再度作付計画の見直しをしないといけないかな。今年は農業総力戦、新しいトラクターをフル活用し、頭も目一杯使って農業自体に希望が持てる状況までもっていきたい。
また忙しくなりそうだけど、、、嫌いじゃないかな。
3/26(土) 8.New-comer 先にお知らせです。広島県の定住促進に微力ながら協力させて頂いているのはこれまでもご案内してきましたが、今回は広島の定住促進イメージ映像にちょこっと出ることになりました。2分ほどの画像の中に小間切れで計5秒ほどの登場、しかもほとんど顔なし。もし宜しければご覧下さい。
http://www.hiroshima-hirobiro.jp/concept/#video
さて、今回は締切時間ギリギリの投稿。というのも明日が雨っぽいので今日は集中農作業日にあてて、田んぼのくら返しをやった。田んぼ作業の様子を独り言に書くのは毎年の恒例で作業内容も同じなのだが、今年はちょっとした変化があった。それは新しいトラクター。中古なので新しいという表現は少し変だけれど、これまで40年選手の小さなトラクターを使っていたことを思えば、3年選手は僕的には新品。
たまたま農業を辞める農家さんの話しが入り、買ってほとんど使っていないトラクターを譲り受けることができた。実は数年前から探していたのだけれど、メーカー経由の物は価格的に厳しく、300万円以上する新車なんてもっての他。買った瞬間に農業部門10年間赤字決定だ。
で、本日は新トラクターでの初作業。米作りのプロ、博さんに使い方を教授してもらい、恐る恐る使ってみる。何せ前のトラクターはほとんどが機械制御でそれに慣れてしまっている身からすると、電子制御はあまりに自動すぎて違和感ありまくり、音も静かで振動少なく、始めの設定さえしてしまえばほとんどオートクルーズ状態だ。
博さんに田の鋤き方の奥義も伝授してもらい、そのうち操作にも慣れてくると作業がはかどることこの上なし。作業時間を計測すると3倍速い。恐るべしNew-comer、2枚田んぼを鋤く予定のところを4枚完遂してしまった。
という感じで農作業は快適だったのだが、その間どうも鼻水が止まらない。風邪をひいたわけではなさそうだし、どうも変だと妻に話すと、ニヤニヤしながら「花粉症になったんじゃない?」
いや、そのNew-comerはご遠慮させて頂きたいね。
3/19(土) 7.ご縁 まずは、中国新聞掲載日変更の件から。中国新聞の「中国山地」という連載の第7話にまごやさいが紹介される予定でしたが、高速道路事故の関係で1日延びて明日3/20(日)の朝刊で掲載される予定です。宜しければご覧下さい。
さて、今回はご縁の話しなど。
昨日・本日と名古屋のワイズという会社の視察を受けた。東海地区でココイチというカレー店を複数経営している会社で、社長の山本氏はココイチがまだ喫茶店だった頃から働いたという、ココイチの奇跡の成長物語を伴走してきた方。今回は社長以下4名でお越しになった。
何故、飲食店チェーンがまごやさいの視察をするのか、話しは3年前に遡る。
3年前のちょうどこの頃、僕は4年ぶりに名古屋に降り立った。ワイズ社の「創業塾」という社内研修の講師として招かれたのだ。当時はまだ個人事業で全く知名度もなかった僕になぜ声がかかったのか?その縁を取り持ってくれたのがリクルート関連会社で人事マネジャーをしていた時に採用したT君だった。
彼はリクルート退職後、実家の事業を引き継ぎ、その傍らで人事コンサルとしてワイズ社と関わっていた。そんな彼が広島に帰ってからの僕の活動を見てくれていたようで、従業員の事業家マインドを高めたい同社に、実際に起業しその経緯を等身大で話せそうな(苦労話を楽しく話せそうな?)僕に声をかけてくれたというのが講師に招かれた経緯。
その後、ワイズ社が豊田市の過疎地区の農地を使った社内研修をすることが決まり、その先の事業化も視野に入れて社長自らまごやさいに来たというのが視察の経緯。昨日はVAセンターで実際の出荷業務やシステムを見て頂き、夜は飲みながらの情報交換、朝は農業の座学と実際の農場を見て頂いた。
このご縁は、近い将来大きく発展しそうな気がしてワクワクしている。
つくづく思う、ほとんどのチャンスは人の出会いから生まれる。その出会いはご縁によって引き寄せられる。そしてそのご縁は、局面局面の誠心誠意な行動が転化したものだ。偶然とと思えるご縁も、多分その人の行動次第で生み出すことができる。
3/12(土) 6.力水 はじめに、、、TSSの報道番組「みんなのテレビ」の『七輪さんぽ』というコーナーで、まごやさいの事業・野菜が予定通り紹介されました。お陰様で良い反響を頂き、沢山の方からご連絡も頂戴しました。本当にありがとうございました。
さて、ここから本題。
本日は恒例?の深夜出荷作業を終えてもメンバーなんだか元気。5時半にやってきた博さんも笑顔、博さんと一緒に行く父(途中通過する勤務先で降ろしてもらう)もニコニコ。というのも、今日の夜は取引先のお店に行くことにしており、みんなこの日を楽しみに待っていたようだ。
行く目的は、事業報告と下期の方針共有。前回は僕の家で行ったのだが、今回はお取引先の場を借りることにした。家族同伴は前回同様、どのお店にするかはメンバーの意向を重視した。折角の機会、皆の士気が上がるようにしたい。陰で支えてくれているそれぞれ家族にも、会社の現状をきちんと伝えたい。そして、子どもたちにも会社や仕事のことを知る機会にして欲しい。家族も含めて総勢10名の小さなキックオフ、たった3時間、話しをして食事をするだけなんだけど、それに色々な思いを込めるのは欲張り過ぎかな。
9月から始まったまごやさい法人化2期目、上半期は計画より良かったものの、単月の黒字は2ヶ月のみ、冬場の落ち込みは織り込み済みであるとはいえ、野菜が本格的に収穫でき始める5〜8月に赤字分を挽回しないといけない。黒字を必達目標に掲げている今期、最後の頑張りが相当必要になりそうだ。今回の一番の目的は、それに向けての士気高揚。幸いにして、お取引先数も順調に伸びており、大きな案件も進んでいる。お客様が欲する野菜をきちんと作ることができば、それをキチンと販売に結び付けることができれば十分達成できるはず。やることを明確にして、役割分担して、後はどれだけ情熱を持ってそれにあたることができるか。
美味しい食事とお酒を力水にして目標達成に向けて頑張っていきたい。でも、そうだった、今日の僕は運転手なのでリアルな水が力水だな。妻も同様。スマン、次回は運転手付きで行けるようにしたいね。
3/5(土) 5.話題 今回は最近の我が家の話題などを。
No2は「旧家の解体」。僕が家を建てた後は、旧家にはずっと叔母が一人で住んでいたが、雨漏りと家の傾きがひどく年末に居を移した。解体か再活用か?何回も話題に上がるが結論は出ず、取り合えず納屋兼車庫として再活用するとどれぐらいかかるのか専門家に見てもらうことにした。
何と使えるようにするだけで300万円、ある程度のものにしようとしたら500万円以上かかりそうなことが判明。元々この家は父達が現場の電柱(電話工事の会社をしていたのでほぼ自前調達)などを使って建てた家であり、あちこちで素人的不具合が生じている模様で、屋根自体を葺き替えないと使い物にならないとのこと。雨漏りの影響で床下の劣化もひどく、更地にしてプレハブを建てた方が安く上がりそうだ。
では、解体にはどれぐらいかかるのか?実際に見積もりを取ってみると、会社によってかなり額が違うことが判明。解体して更地にするのなら安い方がいいわけで、父も見積もりを取ってみると言いだし、その話を聞いた近所の皆さんも「あこが安い」やら、「そこが良心的」やら。結果的に色んなところから見積もりが来てしまった。
そうこうしていると、「どうせ解体するなら、家の上り口も広くしたい」とか、「解体した後にも残る納屋にシャワー室やトイレを付けよう」とか、色んな話しが乗っかってきて今夜も喧々諤々。そろそろ決着をつけたいところではあるが、さてどうなることやら。。。
そして、話題No1は「採用」。今は時期的に野菜が少なく余裕を持って仕事が回っている状況ではあるものの、昨年初夏〜秋にかけての殺人的な忙しさの記憶も新しく、おそらくこのままいけば昨年以上に業務量は増えるはずで、且つこれまで販売業務に深く関わっていた僕が外に出ることが多くなっており、手伝ってくれていた克くんも春以降は難しそうで、トリプルパンチでやばい予感。妻から目が合う度に「人を入れないとダメでしょう」と言われ、母は「こんな人が来てくれんかね〜、どっかおらんかね」と呟いている。
「そうだね〜」と生返事をする僕の頭の中には損益の計算式があり、アルバイトを1人入れたら今より売上○○万UP、社員なら○○万UPと勝手に計算されビビっている。それを察したのか、妻が最近「人が入ったらそれ以上に伸びるって」と言うようになった。
傍から彼女がどう見えているかは分からないが、こと事業に関しては安定至上主義。あなたの事業は先が見えないとか散々言われてきた。そんな彼女が希望が持てる状態にまで事業がなってきたのであれば、、、アクセルを踏んでも大丈夫かな。
本気で人探しをすることにしよう。僕や博さんと一緒に事業を推進する人(常勤)と、農家さんの出荷野菜を受け取り野菜のパッケージや仕分けをしてくれる人(週3回アルバイト)。我こそは、もしくはお心当たりの方がおられましたら、是非ご一報ください!(有政携帯:080-6651-0271)
2/27(土) 4.夢?目標? 先にお知らせです。TSSの報道番組「みんなのテレビ」から取材を受けました。『七輪さんぽ』というコーナーで、まごやさい農家・小早川さんの菊芋を取り上げて頂きました。説明は不肖・有政が担当しております。放送予定は3/10(木)17:30頃の予定。宜しければご覧下さい〜。
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さて、先日。母校の向原小学校から電話があった。出ると6年の担任の先生からで、卒業する子ども達に仕事の話しをしてくれないかとのこと。夢を持って仕事に取り組んでいる人の話しを聞いて子どもの将来に繋げていくのが趣旨らしい。これまでやってきた農業体験も趣旨は近く、その学年にはずっと農業体験を手伝ってくれた若菜もおり、お受けすることにした。
話す日は3/7。それまでに事業認定に向けての書類作成やら、有力農家との連携のための検討事項やら、すべきことはそれなりにあるのだけど、ふと気付くと「何を話そうか」と考えている自分気付く。並行して考えることができるほど器用な頭は持っておらず、切り替えようとしてもまた考えている。
そんな、なんとも中途半端な思考を続けるうちに気付いた。そういえば、昨年この話を受けたのは娘の佳穂だった。娘の2番手が俺だったかと苦笑いしつつ、どんな話をしたのか聞いてみた。すると切り出しは「皆さん、夢を持っていますか?」という質問で、目標を持つ大切さを伝えたとのこと。これって俺が考えていたのと一緒じゃん、親子はこんなところも似るのかと笑ってしまった。
元々は「仕事の楽しさ」に繋がる体験教育をしたくて事業を始めた。紆余曲折あるうちに今は野菜を売ることが主業となり、自分の夢にもなっている。そして、今の仕事が新たな夢を生もうとしている。
そういえば、小学校の卒業文集に書いた夢は「医者になる」だった。それは父が息子に託した夢をそのまま書いたものだ。結局進んだ先は教育大学、その時も父は「有政家から先生が出るか」と喜んだものだ。しかし、その道にも進まず、就職したのは当時悪名の高かったリクルートのしかも関連会社。そこで人材に関わる仕事に出会い、社員教育を担当し、達成感と挫折を味わい、初めて自分の将来と向き合った。
学生の頃から「将来は経営者になる」とほざいていたが、それは単なる格好つけ。社会に出て仕事をし本気で「自分で事業ができるようになりたい」と思うようになり、32歳でベンチャー企業に入った。7年間、本当に色々な経験をさせてもらい、40歳でようやくその一歩を踏み出した。そして今に至る。
夢は「〜したい。なりたい」、目標は「〜する・なる」。夢が目標になった時、意識と行動が変わる。意識は目線を変え、行動が数多くの人の接点と経験をもたらす。それが次に進む原動力になり、更に大きな夢や新たな夢を生む。そして、それは全て仕事の上で展開されていく。
仕事は夢や目標に向かう道程。その仕事ができる為の準備の一つが皆が今やっている勉強だ。勉強が嫌い?確かに俺もそうだった。それが将来に繋がるとはどうしても思えなかったしね。でも、今になって言えるのは、勉強は君の将来に確実に繋がっているということ。35年前の有政少年はそれが分からなかったけど、今こうして話しを聞いてくれた皆さんは、35年前の有政少年とはたぶん違う。勉強も運動も自分で目標を作ってやってみよう。見える世界が違うかもよ。もちろん行動も変わると思うよ。。。
あれれ、いつの間にか講座っぽくなってしまった。しかも小難しくて、繋がりも悪いし、、、これじゃ駄目だな。また今夜も考えちゃいそう。。。
2/20(土) 3.動け 先週に続き、出会いの多い一週間だった。
火曜日、県内主力農家35軒と共に、給食センター・大規模農家の視察
水曜日、廿日市市役所とJAの視察受け入れ
木曜日、僕の尊敬する農家の一人、Mさんが研修生を連れて来社。今後の連携について話し合い
金曜日、中小機構での事業相談、県内有力小売企業の社長との面会
土曜日、某テレビ局との取材打ち合わせ
こうして動けるのも、博さんや妻が販売業務をやってくれているから。半年前では考えられなかった。それぞれで良い出会いがあり、新たな視点を得ることができた。それが今後の事業アイデアに付加されていく。ちょっと詰め込み過ぎた感も否めず、少し整理しないと、またあれもこれも症状が発生しそうで怖い。
大規模にキャベツを作っておられる農家さんの話しは衝撃的だった。畑作を考える地図の縮尺が二桁変わった感じ。それだけ大量に作って全て売り切れるのか心配になったが、それでもまだ足りないという。耕作放棄地になりそうな田んぼを借り受けて圃場を拡大するなど、地域の課題解決にもつながる事業展開はとても参考になった。
またこの間、ようやく腹が固まったことがあった。この事業の広げ方、もう1年以上前から考え続けていることだ。事業の雛型を作って、それをFC形式で展開する。現実的?いや、独自で拠点を出した方が、、、待てよ、他にもっと良い方法は無いのか??ず〜っとこの繰り返し。何度か、よし!これでいこうと思った事もあったが、1日経てば本当にできるのかまた悩んじゃう。もちろん雛型も出来上がっていない段階で自信が無かったこともあるのだけれど、この2週間の色々な刺激と、他者に事業のことを話して自ら整理することでスッと腹に落ちた。
後はやるだけ、動けば変わる。動けば分かる。正解は動きながら作る。
2/13(土) 2.視野 色々あった1週間だった。
時期的に野菜が少なく、年末までの忙しさががウソのような穏やかな日々。(故に業績的心配は募るばかり、、、)販売業務も博さんや妻があらかたできるようになり、自由になった時間を視察や勉強会の参加、先延ばししていた商談に充てることができるのは有難い。動けば新たなチャンスや課題の発見があり、刺激も受ける。内にこもっていないで、出歩くのも自分の仕事だと改めて認識する。
そんな中、半年ぶりに開催された「農産物中間プロデューサー育成会」(中国経済産業局主催)に参加した。講師は岡山の農業に変革をもたらしつつある漂流岡山の阿部社長、西の農業ベンチャーの雄・クロスエイジの藤野社長、仙台からは千葉重というよろず企画企業の千葉社長。イオンの農産バイヤーMgr氏。参加者は10名ほどの小さな会。ほぼサシ状態でこの面々から話しを聞き、ディスカッション出来るのは本当に贅沢な会だ。差し出がましいかもと思いつつ、懇意にして頂いている庄原の農吉・中原代表もお誘いした。
千葉社長の話しは初めてだったが、この人がすごい。大企業のCSR部門と組んでの復興支援をベースにした農産地の活性化プロジェクト&商品開発、サッカートレセン形式の農家育成と事業化、仙台市200店舗をネットワーク化しメディアに見立てた販促プロモーション、仙台のインバウンド強化企画、新聞記事の執筆まで、とにかく活動の幅が広くスケールがでかい。こんな人材がいたんだと衝撃を受けた。
会議後の交流会で1時間程話すことができた。昔の仕事柄か、何でそんな人が出来上がったのか、そのプロセスを生い立ちから是非知りたいと思い色々聞いてみた。予想通り波乱万丈。幼少期に夜逃げ寸前の目に会い、小学校から実家の店舗で働き、社会人はシステムエンジニアとしてスタート、アメリカで兄の起業を手伝い、倒産しかかった実家の事業を継いで借金を完済し、BSEで仙台の牛たんが大打撃を受けた時に業界団体と市民団体を同時に立ち上げ風評被害に対抗し、などなど。大変な思いの連続だったようだが、それを湿り気なく語る本質的明るさと、溢れる発想力、視野の広さ。これだと思えるまで考え続ける執念、できるという自信、そして行動力。正直、その才能がうらやましいと思うばかりで、参りました!っていう感想。
何とか黒字という所に考えがとどまり、もし自分に大きな借金があったら今と同じことをしているのか考えてしまった。置かれた環境で目線が変わり、その目線によって見える景色が変わる。もう少し目線を上げて、上空からまごやさいの置かれた環境を見ると、もっと大きな課題が見えてくる。その課題をチャンスに転換し、事業として仕組みを構築できれば、今の何十倍にも、何百倍にもできるはずだ。それが僕に出来るのか、、、。
全く自信なし(苦笑)
2/6(土) 1.背骨 1ヶ月ぶりのご無沙汰です。今年もお付き合い頂ければ嬉しいです。ちなみに園長ではなくなったので、タイトルをちょこっと変えました。以下、今年最初の独り言です。今回はホームページを作りながら思ったことなど。
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この1ヶ月、ホームページの改装にかなりの時間を割いた。毎年それなりに修正しているが、これだけ改装したのは福屋での販売が始まった年以来の2回目だ。農業体験を休止したことがその発端ではあったが、これを機会にホームページの目的そのものを見直した。
具体的にはサービス紹介から企業紹介へ。いわゆる企業カタログ的なホームページに作り変えた。考えてみればホームページも含め、これまで作った資料はほとんどサービスの紹介に関わるものだ。農業体験、宅配、インターネットでの野菜注文、野菜贈答にシステムのレンタル等々。一応法人化したので、まごやさいがどんな会社なのか説明するものがあった方が良いと考えた。
余分なコンテンツはそぎ落とし枚数的には半分以下になった。残したものも内容を全て書き直し、一部は新規に追加。そんな中で一番時間を要したのは「会社概要」ページ内にある『理念と方針』の部分だった。企業理念と事業方針と行動規範に分かれた、たった11行の箇条書き。文字数に直せば約300字。
一般的には、企業理念なんてお題目みたいなもので従業員がそれを意識する機会は少ないだろう。ましてや行動規範なんてなんじゃそれ、って感じ。事実、僕が会社員時代はそうだった。しかし、まがいなりにも会社を興し、それを成長させていこうとした時、それらはとても大事なことだと思うようになった。
企業理念と事業方針は、会社の背骨のようなものではないかと思う。体を支え神経を通す根幹部分。何を成すためにその会社があり、どんな考えで運営されているか。これがしっかりしてるか否かは会社の大小に大いに関係しているのように思える。
例えればナナフシとクジラ。世界でもっとも繁栄していると言われる昆虫は固い皮膚(外骨格)を持つことによりその体を維持している。その最大が50cmになるナナフシの仲間(だったような。間違っていたらスイマセン)。見方を変えれば外骨格で大きくできるのはこれが限界と言える。社長自体が外骨格となり会社の形を決める中小企業のイメージ。社長一人の器が企業の大小を決める。
一方、シロナガスクジラは30m。ナナフシの実に60倍。背骨をもち、そこに神経を通すことによってそれだけの体を形成し維持できるようになった。大きくなった会社に共通する基礎構造、僕の知る限りエクセレントカンパニーと言われている会社はぞれぞれ素晴らしい理念と方針を持っている。そしてそこで働く人々はそれにプライドを持ち、自分たちが何を成そうとしているのか理解し行動している。
いくら素晴らしい理念や方針を持ったとしても、それが働く人々に浸透しないとただのお題目。背骨となりきちんと末端まで神経を通すのは今後僕がすべき大事な仕事だと思う。具体的に何をすればよいかまだよく分からないけれど、ますはみんなにこれを話すことから始めよう。
まだミジンコみたいな会社経営者の妄想的独り言。平成28年はここからスタートです。
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