アリ園長の独り言(2013)
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12/27(金) 47.お詫び。
 手違いで消去していました。お読み頂いていた皆様、本当に申し訳ございません。
 2014年は2/7(金)より再開予定です。来年も何卒宜しくお願いいたします。

12/20(金) 46.贈呈式&新たな出会い、そして。。。
 18日の水曜日にひろしまベンチャー育成基金の贈呈式があった。

 会場に着くと70人位の聴衆とマスコミ関係者が沢山。テレビカメラやニュースキャスター(ローカル)も来ており、想像以上に本格的だった。こんなキチンとした助成金(ビジネスコンテストに近い)でよく金賞に選ばれたなと改めて思った。

 表彰されたのは一般12名、学生11名の計23名。うち一般の大賞1名、金賞3名が今度は5分で事業のプレゼンをするという流れ。前回欲張りすぎた反省をもとに、パワーポイントのスライドは1/3まで削り、新たに2枚加えて事業の説明をした。仕組みの説明は3枚のスライドで完結。今後どうしたいか、なぜこのような仕事をしているかということを後半は話した。贈呈式終了後に取材の依頼や色々な方からお声をかけて頂いたことなど、反応から考えると、そこそこ伝わったのではないかと思う。

 翌日は、福屋の販売で知り合った農家さんの所に訪問した。ここから20km程の所にある志和で頑張っている若手農家の森さん。噂は何回かお聞きしたことはあったのだが、たまたま福屋のベジタブルフェアで同じフロアで販売する機会があり、今回訪問する流れとなった。

 衝撃だった。家の周り一面の畑。聞くと10000平米強あり、田んぼが約3000平米。立派なハウスが2棟。よく考えられた栽培レイアウト、栽培品目。就農3年目とは信じられないし、手伝いがあるとはいえ極小人数でできる規模じゃない。聞くと東京からJAのお偉いさんが視察に来たという。彼をモデルに移住してきた新規就農者もかなりいるという。

 農場を歩きながら就農した経緯、以前の仕事、今考えていることなどを話した。まだ30台前半ながら本当にしっかりした考えと実践を重ねており、こちらが教えてもらうことばかり。いつも間にか2時間話していた。

 と、ここらあたりまで書いて、ふとメールを見ると、普段あまり使っていないネット販売の専用アドレスにメールが来ていたのに気付き、空けてみると。。。先日お送りした商品の強烈なご指摘だった。ネット販売を始めて5カ月、初めての出来事だ。ご指摘ただいた所は、本当におっしゃる通りで申し開き用のしようもない。ど〜んと落ち込みながら、すぐに電話をしてみたが繋がらず、取り急ぎメールでご連絡をした。

 気を付けていたつもりでも起きた事実からは逃れられない。調子に乗るなとの神様からの啓示だと思って、もう一度気持ちを入れ直そう。

12/13(金) 45.ホームステイ
 ひろしまベンチャー育成基金の育成部門金賞受賞に際して、沢山の方からお祝いのメッセージを頂戴しました。この紙面を借りて改めてお礼申し上げます。来週18日が授賞式で、その際にもプレゼンしないといけないので(しかも今度は5分なので再度資料作り直しです。泣)少し気が重いですが、良いPRの場と考え、今度は失敗しないように頑張ります。また、異業界の経営者や他の受賞者、金融関係の方々など、普段なかなか接点のない方々も多数いらっしゃるようなので、しっかり交流してみたいと思います。

 さて本題。

 今朝がたハジム君とライハン君の見送りに行ってきた。彼らはシンガポールの中学生で、2泊3日で我が家にホームステイしていたのだ。向原高校が主催した学生交流なので、本来向原高校の在校生宅で預かるべきなのだろうが、なかなか受け入れ先がなく、我々に声がかかったという次第。俊助も佳穂も短期留学でお世話になったので、このような話はなるべく受けるようにしている。

 今回の2人は中近東系の雰囲気のある子どもたちで、宗教上の理由から肉を一切食べない、いわゆるムスリムだった。日本語は3語「こんにちは」「ありがとう」「美味しい」ぐらいしか知らず、いつもの通りカタコト英語での会話。一部に「有政家は両親も含めて英語ペラペラ」という美しき誤解があるようだが、実際は夫婦とも知っている数少ない単語を並べているだけ。たぶん日本語にすると「アナタ ノド カワク ミズ アル アソコニ」てな感じだろう。書くと更に恥ずかしいぞ。

 という訳で、我々夫婦の英語力は記憶力の低下に比例して衰えるばかりであるが、俊助、佳穂は前よりも格段に話すようになった。短期留学して話すことに抵抗が無くなったのも大きいのだろう。発音も(少なくとも僕よりは)そこそこキレイでそれなりに通じているようだ。

 そして知弥。彼の会話は一単語だけ「でりしゃす?」「ぐっと!」「お〜〜」なんだけど、彼が一番心が通い合っていたような感じだった。何と言っても表情が良い。そして相手の顔をグッと見て話す。最後の見送りの時に女の子から写真をせがまれた(別な家に泊まっていた子なのになぜ?)のは彼だけだった。

 これで我々夫婦のホスト役はお役御免だな。今度受け入れた時は料理と送り迎えだけ担当し、後は彼らに任せることにしよう。などと妻と話した。特に何をしたわけではないし、どこに連れていったわけでもない。普段通りの生活の中で彼らが来た感じ。なるべくそうするようにしているし、ホームステイの目的って特別な日本を見せることではないとも考えている。それどころか、今度少し長めに来てくれたら仕事を手伝ってもらうかなと考えている自分がいる。ちょっとやり過ぎかな?

 明日は佳穂の英語暗唱広島県大会。こんなことも日常になってしまった感じがする。できる範囲で頑張ってくれい。

12/6(金) 44.金賞でした!
 師走に入ってあっという間に一週間が過ぎた。

 去年の今頃を思い出す。beの社長を退任して、どうやって野菜を売るか必死に考えていた頃だ。店に立たなくなったぶん時間はできたが、やることがなかなか固まらず、農作業にも身が入らず、事業プランを書いては消しの日々。2年ぶりの自由な時間はほろ苦い思い出しかない。

 一年経って状況は一変。週3回のネット販売と週3回の配達。取引先も増えて(飲食店2件→7件)、個人への販売も始まり、まとまった時間を探すのが難しい状況になった。貧乏暇なしを体現している状態に苦笑いするしかない。できれば金持ち暇なしが良いんだけどな〜。

 てなことを書いていたら、ひろしまベンチャー助成金から封筒が来た。この前、表彰式の参加依頼(寝ぼけていたので訳も分からず分かりましたと言った)があったので、その案内かなと思って封を開けてみると。。。

 2次審査の結果通知だった。内容は「厳正なる審査の結果、『ひろしまベンチャー育成賞(金賞)』の助成が決定しました。」と書いてある。

 一瞬、字は読めても頭に入って来なかった。次にこれは送り先を間違えて来たのではないかと疑った。プレゼンに失敗して完全に駄目だと思っていたので、自分が受賞しているという現実が理解できなかったのだ。何回見返しても宛先は「しょうりき山里公園」で「金賞」と書いてある。ようやく喜びに変わって、真っ先に妻に報告した。そのあと、システム会社、国民金融公庫のご担当者、色々相談に乗ってもらった友人に報告。話しながら膝が震えたのは久しぶりの経験だ。

 今回の嬉しさは2つある。1つは今やっていることが、金融や事業家から「事業として将来性あり」と判断されたこと。これは自分だけでは得られない自信になる。今の方向で頑張ればイケル!と肩を押してもらったような気がして本当に嬉しい。

 そしてもう1つは、現実のお金。システム開発でかなり資金を喰っており、かなり厳しい現状にあったので、返済なしの事業資金が入ってくるのはとても助かる。今回の受賞で開発費用はほぼチャラになった。

 ということで、今回の受賞を紙面でご報告いたします。皆様の支えと応援があってこのような賞を受けることが出来ました。改めてお礼申し上げますと共に、今後も応援頂ければ嬉しいです。

 今日は佳穂にドヤ顔で報告したいと思います。

11/29(金) 43.日常
 昨日は初雪だった。

 ヒラヒラと舞う雪は静寂と儚さを感じさせ、嫌いな風景ではない。雪がずっと続いていたもやもやを少し解消してくれた気がする。「今年も来たか」農家にとって有難いとは言えない存在ではあるが、それでも1年ぶりに会った友人のような感情が湧く。

 昨日は5:20に出発した。6:40発の新幹線に佳穂と妻を乗せるためだ。8月から始まった英語弁論大会の決勝予選会。場所は東京・赤坂区民ホール、全国から150名以上の発表者が集まるので、地域毎でブロック分けし、そこで残れば決勝に進める。佳穂は中部日本ブロック、39名発表し決勝に進むのは7名らしい。

 広島駅に2人を下ろし、beの前に車を停めて30分ほど仮眠。その後、福屋 → Blue Grosso → 魚籠 → シャルボン → 香月産婦人科の順で配達する。今日はいつもより配達先が少なく、8:30には全て納品し終えた。

 今日は特に市内にその他の要件は無く、そのまま向原に帰る。9:30、家に着くと義弟の克くんが来ていた。雪で仕事が中止になったらしい。コーヒーを飲んでしばし歓談。10時から私はたまっているデスクワークを、母・妹・克くんはチャレンジ畑に行ってインゲン豆とキュウリのネットを片付けをした。

 昼食後、少し仮眠をとり、今度は僕も含めてチャレンジ畑に出動。今度は前々回の農業体験で集めたカヤを畑に入れる作業をした。もう1ヶ月以上積んであり、堆肥化途上の特有の匂いがする。中はたっぷり水を含み、フォークで一輪車に積むのにかなりの力を要した。肉体労働系の単純作業、やり終えた時の達成感は格別だ。

 17:00、農具の後片付けを終え、風呂の準備をしていると知弥が帰ってきた。昨日まで期末試験があり、今日からはそのテスト返し。3教科返ってきたという。「どうだった?」と聞くと、保健体育のテストが平均点を越えたと嬉しそうに話してきた。その他の教科も前回よりは点数が伸びている。(それでも平均点以下ではあるが...)

 今年1月、こっちで受けた初めてのテストは全て赤点以下だったことを考えるとかなりの進歩だろう。その時に立てた1年後の目標「全教科平均点以上」はまだ達成できていないけど、手応えは本人も感じているようだ。「園長、週末に数学を教えてもらえませんか」と言ってきたのには少し驚いた。嬉しい変化、そう、勉強はやらされるものではなく、自らやるもの。その意識を持てるかどうかが一番の分かれ道だと思っている。そんな意識を少しでも持ちつつあるようであれば預かった意味がある。

 17:30、予約用の野菜リストの作成にかかる。前回の出荷時に各農家さんヒアリングした出荷予定の野菜・予想収量を管理システムに入力する。作成したリストを各飲食店にFAX、それを並行して夕食準備に取り掛かる。

 夕食はカレー。昨晩妻が作ったものだ。ただ、これだけじゃちょっと寂しい。妻からは惣菜でも買ったらと言われていたが、それもどうかと思い、結局小早川さんからもらった新じゃがをチップスに、うちのサツマイモを天ぷらにすることにした。

 父が仕事から帰ってきて、妻・佳穂がいない少し静かな夕食。特にチップスが好評だった。軽く飲みたいところではあったが、妻が最終便で帰ってくるので迎えにいかないといけずグッと我慢し、食後は写真の整理。野菜写真が溜まりに溜まっており、時間を見つけては少しずつやっている。それでも新たな写真が整理量を完全に超えいるのが頭が痛い。

 そうこうしていたら妻からメールで、佳穂が予選で敗退したとのこと。帰国子女やハーフ系の「日常会話が英語」の面々にはやっぱり敵わなかったようだ。それでも、これまでの中では最も良い出来だったようで、本人的にはやり遂げた感はあったもよう。大声を出すために竹林に中で練習した経験や、全国から集まった発表者やOB大学生との4日間の交流は後の彼女の財産になるはずだ。

 23:15分。妻を向原駅に迎えに行って本日の業務はすべて終了。そんな日常。

11/23(土) 42.プレゼン後
 もうすぐ師走、朝晩の冷え込みが冬になったことを告げている。

 何だかバタバタした一週間だった。充実していたかと言えばそうでもない。一番の原因は水曜日のプレゼン。未消化な感じをそのまま引きづっている。

 準備はそれなりにしたつもりだった。佳穂に負けじと結構練習もやった。前日もぐっすり眠り会場近くに一時間前には到着、車の中で再度練習をして集合時間5分前には控室に入った。ビルの16階で市内が一望に見渡せる広い部屋。眼下の街並みを見ながら、小さく「よし、いける」とつぶやいた。

 30分ぐらい待っていよいよ出番が回ってきた。100人は入りそうなホールの入口近くに演台があり、かなり離れてコの字型にテーブルが配置されている。前の発表者が後片付けをしている後から“有識者の面々を覗き見ると、貫禄のあるご年配がずらり。一気に緊張感が増した。

 銀行の中堅行員と思われる方の「それでは次の方どうぞ」の一言で僕のプレゼンはスタートした。第一のポイントは1枚目のスライド。ここで興味をひけるかどうかがその後の展開に大きく影響する。僕は山頂から取った地元の写真をスクリーンに映して、どういう環境で事業をしているか説明した。

 PPTのアニメーション機能を使い、視覚に訴えながら「へ〜、こんなところで頑張っているんだね」なんて反応を引き出そうとしたのだけどほとんど反応なし。というか、「それが何なの?」というつぶやきが聞こえてきそうな雰囲気になってしまった。

 「ヤバイ、外した」次のスライドを映しながら、どうやってリカバーするか必死に考えるも妙案なし。ならば熱意だけでも伝えようと、一段声を大きくして説明を続けるとそれに乗じて話すスピードも速くなっていった。必死にスライドを説明しているだけで、相手の反応はお構いなし状態。話しに抑揚がなく何がポイントなのか分かりにくかったはずだ。手応えの無さを感じながら、1分ほど時間をオーバーしてプレゼンを終えた。拍手はまばら、疲労感だけが残った。

 その後は質問時間。思ったよりも多くの方から手が挙がった。ただ、その質問内容は事業の本筋とは離れたものばかり。伝えたいことが伝わっていなかったことを改めて痛感してしまった。

 何でこうなっちゃったんだろう。プレゼンだけの問題であれば気分転換出来るのだけど、それだけではない気がしている。それが引っ掛かって今日もまだスッキリしない。

 ただ、元々の目的であった「事業モデルを磨くための機会」という面では大いに意味があった。このプレゼンに至る過程を通じて、現時点の強みや課題、今後のやるべきことはハッキリした。失敗も肥やしにして前に進むべし!自分の成長に期待しよう。

11/15(金) 41.プレゼン
 ひろしまベンチャー育成基金のプレゼン書類を一昨日提出した。

 実際のプレゼンは来週20日なのだが、パワーポイントでプレゼンする人はその1週間前が提出期限だった次第。書類審査結果が分かってから提出まで2週間近くあったにも関わらず、結局最後は徹夜で仕上げる羽目となった。

 今回は別に手を抜いていたわけではなく、力仕事以外の農作業は全て免除してもらい、仕事の合間合間は全て資料作りにあてるなど、時間はそれなりに確保していた。それでもギリギリになった理由、それは切羽詰まらないと“削る”力学が働かないことだ。

 少し補足する。今回の資料はプレゼン用なので、話したい内容=それぞれのスライドになる。資料を作る際にまず考えたのは「何を伝えたいか」。事業を始めた背景・中山間農業の現状・これまで手掛けた事業・ネット販売の目的・実際の仕組み・事業の将来像など、伝えたいことは色々ある。

 それと、「どうやって分かりやすく伝えるか」。伝えたい内容がより分かりやすく伝わるよう、それを補足するスライドだ。例えばプロセスやポイントを図示したものだったり、数字の裏付け資料だったり、現地や人物の画像だったりする。

 あれも必要、これ大事、など色々考えていたら、どんどん増えて40枚を越えるスライドび下書きがたまっていた。全部作り込んでいたら到底間に合わないし、そもそもプレゼン時間は10分しかない。(しかも時間を過ぎると減点対象になる)スライド1枚25秒で説明なんて到底無理だ。この時点で残り3日。

 こりゃマズイ。。。目標を15枚にして苦渋の削り作業に入る。小さい割には色々手掛けており、且つそれぞれがリンクしているので、我々のことを理解してもらおうとしたら、本来は全て説明する必要があるのだが、ここはエイヤで農業体験を大幅削除で32枚。飲食店がらみを思い切って削って26枚。まだ多い。泣く泣く定期宅配を削って21枚。これ以上削ったらただのネット販売野菜屋さんになってしまう。

 仕方がない、一旦これで作り込んでから再調整することにした。実際、下書きは書いたつもりでも作り始めると色々書きたしたくなったり、分かりやすい図を作ってみたり、結構手間暇かかる。あっという間に2日消費し、いよいよ明日は提出日。この時点でできているスライドは10枚。

 最終日は配達を早めに出発し、速攻で家に帰って資料作りに取り掛かった。頭の中で徐々にプレゼンのストーリーが形成され、それに伴い既に作った画面も修正する。行きつ戻りつ、1枚、また1枚とスライドが出来ていく。「よし、これで完成!」と小さく呟いたのは提出日の朝5時だった。

 少し仮眠を取った後、農作業前の母・妹・妻に時間をもらってプレゼンの練習に付き合ってもらった。かなり内容を凝縮して話したつもりだったが、半分ぐらいの時点でタイムキーパーの妻から「はい10分!」

 げげ、これ以上スライド削るのは無理、これから資料の作り替えも無理、ということはプレゼンの工夫で何とかするしかない。もう一回練習に付き合ってもらうと何とか11分で納めることが出来た。よし、何とかいけそうだ。

 そんなこんなで、何とか期限内に提出できました。来週はプレゼン、聞くところによると審査員が10名以上並ぶ中で話すらしいです。まあ、大きく見せようとしてもバレるので、それよりもきちんと思いが伝わるように頑張ります。

11/8(金) 40.農場視察
 前号はホントひどい内容の独り言でした。睡眠不足・気の焦りが集中力を欠く典型のような内容ですね。書き終わった後もスッキリせず精神衛生上も良くないです。シツレイシマシタ。

 さて、気分を取り直していきましょう!今回は農場視察のことを書きます。

 ここ2カ月、農場の視察が続いている。多くは新たな取引が始まった飲食店の経営者や料理長が現地を確認したいとお申し出を受けてのことだ。僕も新規訪問の際は是非来て頂きたいと言っている。百聞は一見にしかず、いくら言葉を尽くして話しても、現地を見て頂くのが一番我々を理解してもらいやすい。

 特に、我々は特別な珍しい作物を栽培しているわけではない。田舎の自家用野菜の延長で出荷して頂いているので、どうしてもベーシックな野菜が中心となる。料理の土台や副材料となるような野菜であり、メニューの主役となるものは少ない。

 ここでお店の考えが分かれる。土台になる野菜なら価格優先でいくか、土台になる野菜だからこそ良いものにこだわるか。もちろん我々に共感頂くお店は後者。孫野菜は価格的にも高くないので、前者も興味は示してくれるが、やんわりお断りするようにしている。

 そんな中で、心に残った視察を2件紹介したい。

 まず一つ目は袋町公園の前にあるワイン居酒屋の老舗「シャルボン」さん。ニュースかネットかでたまたま孫野菜を見つけ、社長の岡本様から直接ご連絡を頂いたのがお付き合いのきっかけだ。岡本様は元有名ホテルのソムリエで、初回に訪問した際から「あ、この人ちょっと違うな」と感じていた。言葉を選ばす言えば、この業界らしからぬ真っ当さを感じる人なのだ。

 訪問に来られた時にその理由が分かった。何とアルバイトも含めてスタッフ全員で向原まで来られたのだ。これってなかなかできることではない。スケジュール合わせが大変だし、費用もかかるし、何よりスタッフが休みの日に店のことで時間を取ろうとするモチベーションがないと成立しない。

 言い換えれば、スタッフ全員がお店のことを好きだということ。普段を真っ当にしていないとなかなかそんな雰囲気にはならない。今回も、お店に関わる皆が同じ情報を共有してお客様にしっかりお伝えできるようにしたい、お店のこだわりをスタッフ自身が感じる機会にしたい、チームの結束を高める機会にしたい、そんな経営者の考えあって実施した全員視察であろう。

 もう老舗ではあるが、オープン当初は本当に苦労されたらしい。それから地道にお店の力を向上させ現在に至る。一人の才覚者が作る店(このタイプの経営者が非常に多い)ではなく、失敗から学び組織力を高めて成功に導くマネジメント型の経営者。我々としても是非何からのお役に立ちたいと強く感じたお店であり経営者である。

 もう一つは、大分県臼杵市からこられた佐々木さん。60歳を越えた米とカボス農家さんで、元農業委員会の
委員長も務められた恰幅の良い明るい方だ。視察のきっかけは福屋。たまたま催事販売で佐々木さんが来られた際に我々の売場をご覧頂いて「この取り組みに興味がるので、この方を紹介して欲しい」と福屋の部長さんにお申し出になられたらしい。これが5月の話し。その時は都合がつかなかったのだが、今回再度のお申し出があり視察をお受けした。

 実は、初め視察を受けるかどうか悩んだ。同業であり「死ぬ思いでやって掴んだノウハウや考えを簡単に教えて良いのか」ということ。セコイ話でお恥ずかしいが正直な心情だ。「物に金はいるが情報はタダ」的な地方の常識が未だに馴染めないところもある。

 一方、5月と状況が変わったのは「小規模農家直売システム」の有償貸出がだいぶ具体化してきたこと。実際にこれを拡販する際には農家にキチンと説明し申し込み頂く必要があるし、今回はその練習と考えてお受けした。

 待ち合わせは福屋。納品した際に車に同乗してもらってそのまま向原までお連れした。道中の1時間強、臼杵市の農業の現状を色々お聞きできた。農機具の共同利用、市が農産品の認証をしていること(いわゆる有機JIS企画は現実的に運用が難しいため)やJAが小売店と組んで直販をする際の問題点など。こちらと共通する部分もあれば、臼杵特有の課題もあるようだ。

 農場を見た時の第一声は「うちは恵まれている」だった。まさかこんな山の中の狭い畑で作っているとは想像していなかったのだろう。事業運営の基本的な考え、農作業〜販売に至る業務フロー、販路の組み合せ方、販売管理システムなどをお話しする度に「ウチは甘えとる。知恵を絞ればまだまだできることはある」を念仏のように唱えられたのが印象に残った。

 自分自身も、もっとインプットを増やす必要があると改めて思った。佐々木さんの積極的な行動には学ぶべき点が多い。目の前のことに追われ過ぎて視野を狭めていなかったか。良質なアウトプットは豊富なインプットから生まれる、逆にこちらが教えられた視察だった。

11/1(金) 39.ベンチャー育成基金のその後
 何号か前にベンチャー育成基金に応募したことを書いたが、つい先日その結果が来た。

 無事、書類審査は合格。応募後に誤字脱字が次々と発見され(友人から指摘により発覚)、返事もなかなか来ず、こりゃマズイかなと思っていたので、ちょっと嬉しい。
次は面接審査で、「将来性あり」と判断されれば、その期待度合いによって50万円〜200万円の助成金を得ることができる。

 先日の独り言で、応募の目的を
 ■事業モデルを磨くため
 ■投資家から事業の将来性がどう見えるか聞きたいため

 と書いたが、実際のところ助成が受けられればこんな有難いことは無い。今の状況下では例え数万円でも助かる。「なになに」とか独り言を言いながら面接審査の要領を見ると、プレゼン用の資料提出が11/13とある。ゲゲ、待て待て、その間にしないといけないことが結構入っているぞ。などと、また独り言。今週末の地元のイベントに始まり、法人用発注システムの説明が目白押しで、もちろん週3回の販売はあるし、農作業も今やらないとマズイものがかなりある。

 てなことを言っても状況は何も変わらないのでまとまった時間を捻出するしかいない。少なくとも、今みたいな意識朦朧状態では絶対駄目だな。何を言っているのか自分でも分からなくなってきた。もう寝ます。ゴメンナサイ。。。


10/25(金) 38.進捗
 ようやく法人向けの受注システムが動き始めた。ネット販売を始めて3カ月、本来はこちらを先に始める予定であったが、順番が逆に、しかも大幅に遅れてのスタートとなった。

 遅れた原因は、個人販売の準備・対応・修正に手間取り、法人まで手が回らなかったためだ。メディアで取り上げられたこともあり、個人向けの販売日を送られるわけにはいかなかったしわ寄せが法人向けにいったという次第。

 それと、個人販売に比べて業務フローが複雑で、検証にかなり時間を要したことも理由の一つだ。個人向けは週3回の18:00〜23:00まで、その日出荷された野菜の注文受付に対して、法人向けは「当日発注」と「事前予約」の2回で注文を受ける仕組みにしている。

 「当日発注」とは個人向けと同じで、その日出荷されたものを注文する形。販売時間も個人向けと同じだ。

 「事前予約」とは収穫予定の野菜を予め注文して押さえる形式。よって農家が収穫する前に注文を受ける必要があり、出荷日の昼までに農家に情報を流し、注文品は必ず出荷して頂くようにしている。

 実は、この2つを並立させて、且つ運用を軽くするのはかなり難しく、システム設計の際にかなり知恵を絞ったところでもある。キーワードは「時間」と「流用」。何のことか分かんないですよね?この辺りは私自身が農家として、販売者として、飲食店の経営者として経験していなければ出ていなかった発想だと思う。詳細は割愛させて頂くが、吐きそうなぐらい考えてたどり着いた現時点の最適解だと思っている。

 そんなこんなで、大幅に遅れてのスタートとなったが、ようやく先週から2つの法人に絞って運用を開始した。運用しながら修正していくお決まりのパターン。快くご協力頂いた法人様に深くお礼申し上げたい。今のところ大きなトラブルなく運用はできているが、運用してみて気付いたところが色々あり、また、法人からのご要望も上がってきており、これから機能追加や表示画面の変更など、やることが沢山出てきそうだ。

 上記と並行して9月から新規の法人獲得に動いているのは以前ご報告した通りだが、お陰様で順調に増えて第1段階で目標にしていた取引先10法人はクリアできそうだ。有難いことに、法人から逆にお問い合わせを頂く機会も多く、それをお受けできるのは生産のバックボーンである農家さんの存在があってのことだ。

 これでキチンと法人のネット発注が浸透していけば、業務効率が劇的に改善され、その分もっと多くの野菜を運用規模を変えずに販売することができる。そうなれば、今度はまた販売先を増やさないといけず、それが多くなると、また農家さんの生産量を増やさないといけず、それに伴ってもっと効率的な業務システムを考える必要が出てくるのだろう。

 何とか早く上昇の業務スパイラルに持っていきたい。その為にも、今を頑張らないといけない。

10/18(金) 37.2毛作
 家の近くの道路脇に温度計がある。温度が低くなると「凍結注意」とかの表示に変わる標識タイプのヤツだ。

 今日は配達の日で出発は6時半。出発直後にその温度計を見ると5度だった。寒い。ようやく収量が上がってきたトマトやインゲン豆のことが気になる。高温が続くと読んで時期をずらして植えたキュウリも心配。気温が下がってグッと美味しくなる野菜もあれば、一気に駄目になる野菜もある。

 それ以上に、冬場の売り上げ懸念が、寒さをきっかけに頭をもたげる。1月から4月の間、野菜の種類が極端に減るこの時期に、どう数字を作っていくかが毎年の悩みだ。今年のその時期はネット販売の準備で右往左往しており、ある種悩みが緩和されていたところがあったが、来年はこの状況に真正面がら向きあわないといけない。さて、どうすんべえ。そんなことを考えながら霧で視界が悪い道をひたすら南下する。

 露地栽培を基本とする限り、できる野菜が限られる冬場の畑は稼働しない工場と一緒で、それにしがみつくのは無意味だ。取るべき手は「違う方法で稼ぐ」「この時期以外で、この時期分の利益も稼ぐ」が正解なんだろうけど、それが簡単にできれば苦労はしないし、悪あがきしてみたいのも正直な心情。農で生きると決めた限り、この領域で何とか収益化していきたい。

 で、今回やってみるのは2毛作。小学校の社会で習った懐かしい言葉ですね。コメの裏作で違う作物を作ることを表す。新しい畑を借りれないこともないのだが、畑があると、その維持自体にかなりの労力を要するため生産性がかなり落ちる懸念がある。繁忙期には手が回らなくなるのは確実で、それが原因となって質が落ちたら身も蓋もない。

 であれば、農場自体の回転率を上げる、特に田んぼはしょうりき農園最大の面積があり、これが2回転すれば農地面積は増やさずにかなりの生産性UPが図れるはずだ。

 維持労力は増やさずに売上UP、こりゃいいや!な〜んて簡単なことでは実はない。田んぼは稲作に最適化させた農場であるため、基本的に畑作に向かない。具体的には「水はけが悪い」「肥料分が少なすぎる」これをクリアするために、前準備がかなり必要になるのだ。もちろん、生き物相手で理屈通りいかないことも多いだろう。本を見れば栽培可能な野菜は出ているが、実際この土地に合うかどうかは不明。来春、田んぼに戻した際に、稲作にどのような影響が出るのかも懸念が残る。

 とか、色々考えるとやらない方が無難なんだろけど、でもやってみたい。案外上手くいくかもしれんじゃないかと思っちゃう。これって母譲りの性格なのかな。まずは小町の一角でやってみます。来られた際には是非覗いてみて下さい!

10/11(金) 36.弁論大会レポート
 佳穂の「高円宮杯 全国中学校英語弁論大会」広島県予選の通過に際して、本当に色々な方からお祝い・励ましの連絡を頂戴しました。本当にありがとうございました。

 私のフェイスブックに投稿したところ、「いいね!」が過去最高の133件(2位は初めての出荷10万円越え:115件、3位は俊助の宇宙服:102件です)、読売新聞の記事を見た方からも多くの連絡を頂き、反響の大きさにちょっと驚きました。

 フェイスブックに一部記載しましたが、これまでの経緯と当日の様子を改めてご報告します。

 まず、参加者の13名は全員中学2〜3年生で、広島学院、ノートルダム清心、広大付属、広島女学院、安田女子、新庄、福山暁の星女子、そして佳穂の通う向原中学校。それぞれが1〜2名参加している。残念ながら我が母校・修道中の参加は0名、どうもカトリック系の学校を中心とした有名私立がほとんどで、毎年の出場が恒例になっている様子。校内セレクションを行っているところもあるようだ。

 一方、公立は「我こそは!」と思うものが参加している。2位で通過した広大付属中の女子は去年に次いで2回目の出場。それは本人の高い意識が背景にあり、学校では参加者を募るようなことはしていないそうだ。では、佳穂がなぜ出場したのか?それは中学校の先生が誘ってくれたからに他ならない。その先生がいなければ、縁遠いどころかその大会の存在すら知らなかったはずだ。たまたま通う中学校に意識の高い先生がいてくれたことが今回の発端となった。

 ちなみに、有政家の英語教育は妻の担当。とはいえ、彼女自体は英語ができるわけではなく、教えるわけでもない。幼稚園のころ(当時は埼玉に住んでいた)、たまたま友達の母親に英語の専門家がおり、その人が主催していた英語サークルに参加して、一緒に遊んでいただけだ。

 しかし、今となって考えれば、これがかなり効いており、その時に佳穂の英語の発音のベースと、英語を発声することを恥ずかしがらない心ができたようだ。何より、英語は楽しいと思えたのが一番大きい気がする。

 田舎に帰った後は、英検が唯一の英語との接点だった。小学校4年生で英検5級、小学校6年で4級を合格することをプロセス目標として、検定試験前にちょこっと勉強していた程度。一応、俊助は中3で英検準2級、佳穂は現在英検3級だ。

 不熱心ではないと思うが、まあこの程度。もちろん塾にも行っていないし、ニュージーランドのホームステイも、たまたま市が開催してくれたから行っただけ。ただ、実際に海外に行って、ネイティブの人と強制的に話す状況ができ、実際に自分の話が通じたことは、それなりに自信になったようだ。

 と言う訳で、決して計画的に英語教育をしたわけではないが、目の前に訪れた機会には積極的に参加してきたのは事実だろう。実際、今回はこの弁論大会だけではなく英語の暗唱大会(10/20)にも出場することになっており、英語だけに限らず、読書感想文のコンテストや青年の主張などにもこれまで参加している。きっかけは先生からの勧めではあるが、その機会を前向きに捉えるのが彼女の特徴といえるだろう。

 実際、弁論大会から帰る車中での彼女の一言がそれを象徴している。「何で参加したのかって?期待されると頑張らなくっちゃと思うのよね。やるからには負けるのは嫌だし、全部自分の為になるんじゃないかと思ってるしね。」

 周囲の期待が反発に変わりがちな年頃、期待されてキツクなったりしないのかと問うたところ「確かにね、おいおい〜、それもやんないといけないのかと思っちゃう。もっと別な人もいるのにとか。しかも、出た時は吐きそうなぐらい緊張するし、準備はキツイし。でも、自分がどこまでできるのか試してみたいとも思うのよね。」

 いずれにせよ、自分のために頑張ろうとする性格が全ての源泉のようだ。事実、家で彼女に「勉強しろ」とか「練習は大丈夫なのか?」とか言った記憶は一切ない。なぜそのような性格が形成されたのか明確な答えは用意できないが、俊助もそのような傾向が強いことを考えると、何らか、育ってきた環境が影響していると思われる。そのうち影響要因を明確にしていきたい。

 で、本番当日。会場は広島テレビの最上階ホール。13時開始で12時20分頃現地に到着した。間もなく参加者と思われる中学生たちが会場に入り始める。ほとんどの学校は外人教師が引率、生徒も明らかに賢そう。ピシッとた制服と皮靴で身を固め、熱心に最後の練習をしている。漏れ聞こえる英語の発音が素晴らしい。一方、お下がりでヨレヨレのポロシャツにスニーカーの佳穂。さすがに“街っ子”との違いを感じたようで、こりゃ勝てそうにないと思ったようだ。

 簡単な開会式の後、早速英語での弁論が始まる。佳穂の順番は2番目。一人目は確かに発音はキレイだったが、少し元気がないような気がした。内容は不明、自らの英語力の無さを嘆く。そして佳穂。壇上に立った佳穂の表情は、かなり緊張しているよう見えた。事実、審査員への初めの礼は無し。これで合格は無いなと思ってしまった。

 スピーチが始まると、ハリのある低音が会場に心地よく響いた。青年の主張で身に付けた(と本人が申しておりました)会場の色んな人に目を配りながら、ここぞという時には正面を見据え手振りを加えてハッキリ伝えることはそれなりにできているように感じた。審査員や大会主催者も「おっ」という表情をしたように見えた。制限時間が5分で、4分半をに予備チャイムが鳴るのだけど、そのタイミングでスピーチを終えた。1人目以外は皆4分半以内だった(緊張してどうしても話が早くなるため)ことを考えると上出来だろう。別件の商談で初めの5人しかスピーチを聞くことができなかったが、その中では、佳穂が一番のように思えた。(身内の贔屓目なので客観的判断からは逸脱している恐れあり)

 商談を終えて再度会場に入ったら既に全スピーチは終わっていた。休憩している佳穂をつかまえて状況を聞いたところ、「後半にむっちゃ上手い人が何人かいた。」ただ、その表情はやり終えた安堵感とそれなりに出来た達成感に満ちていた。そして結果発表の時間、教育委員会のお偉いさんが3位から発表する。

「『Toward independence from nuclear power』の向原中学校、有政佳穂さん」初っ端に名前を呼ばれた。佳穂は一瞬それが信じられないようだった。一呼吸置いて立ち上がり、壇上近くに待機。2位は広大付属中の女子、1位は広島学院中の男子だった。

 表彰・講評が終わったのが16:00、その後新聞社からの取材があり、解放されたのは16:30過ぎだった。真っ先に先生のことろに掛けより、ちょっとウルっときたが踏みとどまってお礼を言い、その後父親(私です)と軽くハイタッチ。解放感満載の表情をしていた。もっと上手い人もいたのに、と何度も話す。自分で順番を付けていたようで自己採点は4番。「でもね、1番だった人には負けていなかったと思うけどな〜」と、ちょっと強気なことも言っていた。

 そして会場を出た直後、「3日後には中間試験か〜。父さん、帰り道で問題出して。っとその前にアイスと干し梅買って」という佳穂は、既に次のターゲットに目線を切り替えたようだった。恐るべし、もう俺からお前に伝えることは無いな。今後も自分のために頑張れ!

 以上、当日のレポートでした。

10/4(金) 35.ベンチャー育成基金
 先週の独り言をすっかり失念していました。ホント、ここまで見事に忘れていたのは初めて。というよりはUPした気でいました。読んで頂いている皆様、大変失礼しました。

 で、先週は何をしていたのかと言うと、「ひろしまベンチャー育成基金」の応募書類を作成していました。9/30が提出締め切りで、金曜日(9/27)に完成したその日が独り言の書く日だったという次第。結構苦労したのでその達成感に他のことが頭から吹っ飛んでしまいました。

 ネット直売所オープン以来、なかなかバタバタした日々を過ごしている中でこれに応募した理由。それは
 ■事業モデルを磨くため
 ■投資家から事業の将来性がどう見えるか聞きたいため

 どうしても自分でやっていると独りよがりになりがちで、自分の知識・思考を越えるものは出来ないのが実情です。且つ、経験則でしか判断できなくなり、大きなジャンプアップは非常に難しい。僕の持っている知識や経験なんて知れています。且つ経営センス的なものがあるとは到底思えないので、他者の力も借りて前に進め必要があると。しかも、もし評価されれば返済の必要のない助成金を得ることができます。これは応募すべきだと、ネット直売所の構想段階から考えていました。

 同基金は毎年2.3社の法人が認定されるそうです。応募数がどれぐらいあるのかとんと見当がつきません。まずは書類選考があって、通過したら学識経験者(誰?)、ベンチャー支援機関、民間企業、金融機関の前でプレゼンして最終結果が出るようです。

 本当は、通過したらご報告しようと思っていんですが、お詫びと言い訳を兼ねてここに記載します。

 書類選考で落ちたら恥ずかしいな〜。。。

9/20(金) 34.閑話
 昨日は中秋の名月。しかも満月。次にこれが重なるのは8年後、オリンピックの後らしい。しかも晴れるかどうか分からない。快晴な今日は、実はかなり貴重な日だったのかもしれない。

 ネット販売を始めたここ2カ月、何だか余裕のない日々を過ごしてきた。週3回の深夜労働が色んなところに影響を及ぼし、バタバタ・イライラの連続。思い通りにいかないことも多く、時に怒り、時に嘆き、時に羨んだ。

 そして、今年も秋が来た。気温30度の予報がウソのように、乾いた風が心地よい。チャレンジ畑での農作業が喜びに変わる。やっぱり僕は体を動かす仕事が合っている、この季節になるとそう思う。

 高い空はどこまでも澄み、セミの声は去り、静かに赤トンボが飛んでいる。

 大雨で洗われた川は透き通り、ハヤがキラリと走る。

 稲刈りの終わった田んぼをサギがうつむきがちに散歩している。

 月光が青い世界を創り出し、夜の主役はスズムシになった。

 何でもない田舎の日常が心に沁みていく。これを侘しいと思ったこともあった。穏やかな時間が性に合わないと感じたこともあった。今はこれがないと自分を維持できない。自身が田舎に回帰していくのが分かる。

 佳穂の発案で団子を作った。米粉と餅粉を水で練って茹でただけのシンプルなもの。醤油と砂糖を煮詰めて冷まし、簡単みたらし団子に熱いお茶を外に持ち出した。月を眺めながら皆で団子を食べる。絵にかいたような田舎の光景。

 こんなことに幸せを感じるようになった。

9/13(金) 33.足りないこと
 “事業を大きく発展できる人”と“いくら頑張っても個人事業の域を出ない人”にどんな差があるのか、なんてことを最近よく考える。

 初めからある程度の事業体を引き継いだ場合、もしくはその事業体の中でTOPまで上り詰めた場合はこんなことなんて考えないだろう。なぜならその事業規模が既に前提になっているから、大きくするか、維持するか、スリムにするかのいずれかで進んでいく。

 そうではなくて、事業を0から始めた場合の話し。これまでは始める段階が一番大変で、その事業が社会的ニーズを的確に捉えていたり、ある一定規模の人々に必要なサービスだったりすれば、事業として発展していくとおぼろげに考えていた。だから、よく事業を離陸させたいという表現を使ってきた。初めのひと転がり(事業を始める)がとても重要且つ大変で、上手くタイヤが転がって行けば(市場ニーズがある)、加速して離陸して大空にはばたく(事業体としてある程度の規模になる)イメージ。

 しかし、最近は事業を始める段階と事業が発展する段階の間に、非常に重要な段階があるのではないかと思っている。事業が離陸するためには、離陸できるような飛行機をキチンと作り上げる必要があり、それには必要な投資があり、それを大胆にできるかどうかということ。よほどその事業に確信があるか、確信なんてなくても(失敗なんて恐れずに)前に進めることができる人でなければ、なかなかそこまで大胆になれないのではないか。

 誤解を恐れず言えば、事業なんて誰でも始めることができるし、身の丈にあった借金であれば誰でも意思決定できる。なぜなら失敗してもリカバーがしやすいからだ。でも、それでは大きく羽ばたくことは難しい。一生のダメージを負うかもしれない負債を背負ってもそれをやるのか、ここには本当の覚悟がいる。この覚悟って、創業から成長期に至るまでは特に、経営者の非常に重要な要素のように思える。

 創業社長なら誰も通ってきた道なんだろう。振り返ると、この事業を始めた頃って、どこかで「失敗したらまた元の世界に帰ればいいか」なんて考えていた気がする。ただ、これをしたらもう途中でやめられないという段階があり、これを踏み越えるには相当な覚悟がいる。そんなこと悩まず軽々越えられれば、もしくは成功を自己暗示できる性格なら良いんだけど。

 こんなことを考えるようでは、まだ覚悟が足りないということ、かな。

9/6(金) 32.一歩前進
 フェイスブックでは既にご報告済みで恐縮だが、新たに弁兵衛さんという著名な炉端焼き屋さんとの取引が始まった。

 この度のシステム開発では個人向けのネット販売と合わせて、法人(飲食店等)向けのWeb発注システムも並行して開発したのは以前ここでも書かせて頂いたが、実はまだ完全にテストが終了しておらず、法人へのご案内ができていない状況が続いている。新システムのご案内に上がりますと言いながらお伺いできずにいる法人の皆様、本当にごめんなさい。

 今回の弁兵衛さんがどのような経緯でお取引が始まったのか少し説明させて頂く。キーパーソンは高校の大先輩M氏。某テレビ局に定年まで勤務され、現在はベンチャー企業の育成に尽力されている方だ。

 話しは一年以上前に遡る。農業研修で一緒に企画を進めた元リクルートのOさんから「ベンチャー事業の勉強会を開くのでパネラーをしないか?」とのお声がかかった。昨年の七夕のことだ。結構大がかりな勉強会で、メインパネラー兼進行は「次世代の日本を担う100名」に選ばれた尾野氏。そして、その運営スタッフの一人がM氏だった。

 成功裏に勉強会は終わり、その後の打ち上げでbeを使ってもらった。僕のしている事業に興味を持てもらったようで、同窓の後輩ということもあり、その後も色んな会合の打ち上げでbeを使ってもらうなど、ずっと気に掛けて頂いていた。そして今年8月、M氏が顧問をされている会社が農業分野の新規事業を検討しており、視察に来たいとM氏から依頼がきた。

 役員クラスが4名もお越しになり(結構気軽に考えていたのでちょっと驚いた)、当方の事業やサービスの仕組みを説明したのだが、そのメンバーの一人に弁兵衛の役員がおられ、当方の野菜に高い興味をお持ち頂いた。ただ、「じゃあ、やりましょう!」とすぐにはいかない。なぜか?

 簡単に言えば、飲食店は「欲しいものを注文する」、我々は「あるものを提供する」。この二つの間に大きな溝があるのだ。実際に飲食店をやっていたから良く分かる。メニューが決まってから必要な食材が決まり、それを必要な量だけ発注するというのが普通の流れ。それでは我々から提供できる野菜は限られるし、店舗側から見ると取引先を増やすと事務作業が増えてしまうので、よほどの理由が無い限り(例えば激安とか)敬遠される。

 今回は「焼き野菜をセットで納品する」ということでお互いの接点を見た。野菜を限定せず、今収穫できる野菜の中で焼き野菜に見合うものを選んでご提供するというのが当面の納品スタイルだ。お客様に、料理人に気に入ってもらえば、また違う切り口で野菜の取引が増えるだろうし、駄目なら口座は閉じる。ここから先は商品力と情報提供力が取引の鍵を握る。

 そんな活動をこれからも1軒1軒、その店舗の事情に合わせて行っていく必要がある。それだけ我々の業務も増えるということだ。早くWeb発注システムを稼働させねば。。。

8/30(金) 31.バタバタ稲刈り
 もう年中行事のようになっているが、今年も稲刈りで右往左往した。まだ終わっていないので、未だ右往左往していると言う方が正確か。

 なぜ右往左往するのか?

 1つは倒伏しやすいコシヒカリを栽培しているから。味がピカイチなので作り続けているが、実れば実るほど倒れ、倒れると稲刈りが非常に難しくなるので、実り具合を見ながらピンポイントで刈るタイミングを計らないといけない。米だけ作っているのであれば何とでもなるが、色々やっているので、日程調整が非常に難しい。

 2つ目は自前の乾燥機を持っていないこと。3年前まではあったのだが、ずっと調子が悪くてメンテナンスに莫大な時間がかかっており、且つ買い替える余裕などなく、結局大きな乾燥機を所有している農家さんにお願いすることにした。すると何が起こったか?乾燥機を持っていない他の農家さんと稲刈りのタイミングが重なってしまい、結局乾燥機を使えないから稲刈りできないという事態に陥ったのだ。稲刈りした後、なるべく早めに乾燥させないと米の品質が著しく低下する。特にあまり乾燥していない状態で刈った米はその懸念が強い。

 ただでさえ日程調整が難しいのに、乾燥機の都合で稲刈りの日程を変えるわけにはいかない。こうして乾燥を受け入れてくれる農家探しが毎年の恒例となった。特に厳しかったのが2年前、雨続きでピンポイントでその日程で稲刈りするしかなく、受け入れ先農家が見つかる前に稲刈りをした。案の定その日程は稲刈りが集中してしまい、最後の最後まで受け入れ農家が見つからなかった。且つ降り続いた雨の影響で乾燥具合のよくない米だった。苦肉の策で倉庫を借りてムシロに米を広げて干す段取りまで組んだ。約4.5tの米をそうやって干すと、後の手間がどれぐらい大変か想像に難くない。まさに倉庫に持ち込もうとした、その時に電話がかかってきて、受け入れ農家が現れた。年に1回しか収穫できない米、既に予約も大量に入っており投げ出すわけにもいかない。もう、あんな思いはしたくない。

 3つ目は天候。またまたなのか、僕が農業を始めてから稲刈りの最適期に晴れ続きのことはほとんどない。週間天気予報ではバッチリのはずが、急に台風が発生して大雨をもたらしたり、急変する秋の天気に「おいおい、急に天気予報を変えるなよ!」とテレビのお天気キャスターに向かって文句を言ったこと、数知れず。

 雨が強く降ってべったり稲が倒れると、稲刈り機では倒れた稲を自動で起こすことができず、手で稲を起こしながら刈るしかない。これが非常に重労働。しかも倒れた稲が蓋のような格好になり、その後いくら晴れても田んぼがなかなか乾かず、当分の間稲刈り機を入れることができない。その間も実りはどんどん進み、熟れて水に浸かると米から芽が出て売り物にならなくなるので、そうなると手で刈るしかない。

 実は解決策は分かっている。簡単なことで倒れにくい米に変えることだ。ちょうど秋晴れの時期に収穫できるし、某農業団体も推奨している。味もそんなに悪くないようだ。

 でも、そうじゃないんだよな。

 父親が当時の農協への出荷を止めて、身内用の米だけ作ることにした時、当時推奨されていた中生新千本からコシヒカリに変えたのだ。作り難いのは父も分かっていた。それでも20年以上作り続けた。これが孫野菜の一つの形なんだと、僕は考えている。

8/23(金) 30.ネット直売所のその後
 ネット直売所を始めて早くも1ヶ月。お盆期間中2回休んだので、実際12回ほど販売したことになる。

 主要な数字を並べてみる。
 ・延べ購買者数:28名(内、近しい知り合い:10名、純粋な新規顧客数:11名、複数回購買者数:4名)
 ・平均単価:2000円
 ・サイト訪問数:Max306(広島テレビ放映時)、Min14(店休日)、販売日平均訪問者数鵜:40(Max数は除外)

 次に、事業計画上の初月の想定数字を以下に記載する。
 ・営業日数:14日
 ・購買者数:14名
 ・平均単価:2500円
 ・月間売上:35000円

 一応、想定した数字はほとんどクリアしていることになる。参考数字が全くない中での想定であり、基準自体の甘い・辛いがあるので、ここでの自己評価はしない。皆さんもこの数字を見てそれぞれの感想をお持ちになるだろう。健闘?期待外れ?何を言われようが甘受。一応、想定通りいけば1年以内には黒字化するはずだ。

 個人的な感想としては、色んな数字から類推するともうちょい売れていても良かったのではないかと思っている。特に訪問者が激増した7/30の広島テレビ「テレビ派」で紹介して頂いた時。この時に会員登録〜販売までの流れがスムーズであれば数字はかなり伸びていたと思われる。途中で購入をあきらめたと言うお声も頂いた。必死に直したが、一度逃げた顧客は帰ってこない。

 唯一嬉しかったことはリピート購買者の存在。これは全て我々と面識のない方が再度買って頂いており、中には既に3回買って頂いた方もいる。純粋に商品やサービスをご評価いただいた結果であり、指標的にもリピート客数・率が最も重要だと考えている。リピート客数をいかに増やし、そのお客様が再度買って頂けるようにサービス・商品をどう磨いていけるか、知恵を絞り続け実際に行動し続けないといけない。

 残念なのは、面識のある方の利用率が非常に低いこと。皆さんのプライベート直売所みたいな感じで使ってもらえればなと思っていたが、そこまでのサービスになっていないということだろう。もちろんPR不足の面も否めない。

 いずれにしても、まだまだやること満載。来週あたりから法人向けのネット注文も稼働させないといけない。多くの農家が利用するパッケージソフトとしても完成度をかなり高めないといけないし、ここ1年はこんな状態が続くんだろうな。

 さあ、今日もネット販売、その前に来客があって、収穫があって、、、。やることがあるって幸せですね。そう思い込んで頑張ります!

8/16(金) 29.焼け跡からの出発
 終戦直後の話ではない。最近のしかも身近で起こった出来事だ。

 孫野菜農園の一員で、ご近所さんでもある奥野さんの家が火事で全焼した。8/13(火)の夜のことだ。

 その日は市内で集まりがあり、ノンアルコールビールで飲んだ気分になっていた20:00過ぎに携帯が鳴った。表示を見ると妻からで、飲み会の席に連絡をしたと言うことは、急ぎの連絡だろうなと思いつつ、席を外して携帯に出ると声が尋常ではない。

 まず脳裏をよぎったことは「母が倒れたか!?」。いや、どうもそうではなく、声にならない叫び声をあげている妻の言葉の断片から、どうやら何かを見ながら話しているようだった。

 「どうした?何を見ている?」「奥野さんが!!奥野さんが!!、、、家が、あ〜。。。」「火事か?」「もう消せそうにないよ。まだ消防車も来ていない、何もできない。。。」「奥野さんは無事か?」「分かんないよ。」「消防車は来ているのか?」「音がしているからもうすぐ、あっ、屋根から火柱が上がった、もう来ても間に合わないよ。」「すぐ帰る!」

 飲み会を中座させて頂き、車を飛ばして帰ったが、急いでも約1時間。帰り着いた頃にはもう消火作業は終わっていた。我家の2件隣り、道路は封鎖されて車が通れないので、少し離れた所に路駐して、急いで現場に駆け付けた。

 照明車の異常に明るい光で現場が照らされている。いつもの見慣れた奥野さんの家は見る影もない。そこにあるのは真黒に焦げた木組みの一部だけ、延焼を免れた納屋の白壁が妙に綺麗に見えた。妻を見つけて奥野さんの消息を尋ねると幸い無事だと言う。お盆で親族一同来られており、皆さん納屋の向こうの畑に避難したらしい。

 その日は地区の集会所が奥野さんの住まいとなった。何かお役に立てればと食事の差し入れをした時に奥野さんにお会いした。奥野さんがポツリと言った。「気付いた時には火の消しようもなかった。恐ろしかった。」僕は声をかけることができなかった。

 翌日、娘さんがご挨拶に来られた。「当面は集会所に住まわせてもらって、また同じ場所に小さな家を作って田んぼと畑をやるようです。雄ちゃん(幼馴染です)宜しくお願いしますね。」聞くと、家事の時に畑に避難したのではなく、納屋の農機具を運びだしていたのだと言う。

 僕は静かに感動した。そして、こんな方の野菜を扱わせてもらっていることに感謝した。微力ながら焼け跡からの出発、そして復活の一助となりたい。

8/9(金) 28.まだまだ発展途上です
 最近ネット直売所のことばかり書いているが、実はまだ機能の1/3しか運用していない。これから運用の乗せることは以下の通り
【その1】法人(飲食店など)向けの注文サイト
【その2】管理・情報分析システム

 個人向けのネット直売所と個人向けの注文サイト、そのデータを元に生成される管理・情報分析システムが連動して作業効率や生産性が大幅に向上するように設計している。それぞれを独立したシステムではなく、時間軸で連携・連動させるのがこのシステムの肝であり、農家が忙しい中でも販売できることを強く意識して設計している。

 農家の畑になっている野菜は、注文の如何に関わらず、ある一定量しか収穫できない。その野菜を法人の注文⇒個人の注文と受ける中で完売させていく。法人は収穫前の予約注文ができるようになっており、締め切り時刻が来ると同時に各農家に予約注文情報が配信される。その後、本日の販売予測情報を流し、農家は予約注文と販売予測情報を元に何をどれぐらい出荷するのか決める。

 重要なのは収穫予測量の正確な把握と販売予測の精度。前者は農家自身が一番よく知っていることであり、どこにも落ちていない情報だ。農家自身が運営するからこそ収集できる情報であり、使い方によっては大きな優位性となり得る。後者は過去の販売データが大きな武器となり、販売を続けるほど精度が増すと考えられる。また、その情報は次の作付計画に活かされる。

 ただし、全てを連動させないと、どれかだけが稼働している状態では、2重作業が大量発生するのも現実。まさに今がこの状態。お恥ずかしながら、現在月・水・金は業務終了が深夜3:00頃になっている。これでは到底長く運用できるシステムとは言えない。

 もう一方で大事なこと。それは顧客をキチンと確保していくことだ。幸い、テレビ2局、新聞で2回それなりに大きく取り上げられたので、全く広告をしていない割には、サイトの訪問数はそれなりに多い方だろう。ただ、それは一過性のものだ。

 農家と顧客は車の両輪、その間をつなぐ車軸がこのシステムであり孫野菜農園と言う事業モデルだ。車軸をキチンと補強しながら、当面は顧客と言う車輪を大きくする必要がある。当面は新規顧客の獲得になるが、常に意識すべきことはリピート頂ける状況を作り上げること。最後はやはり商品力と買い易さがモノを言う。

 幸いにして既に2回目の買い物を頂いたお客様も現れ始めた。知り合いではなくこのサイトで初めて我々の存在を知って頂いた方だ。本当に嬉しいし、1つの自信にもしたい。

 さあ、今日も販売が始まる。キチンと準備して、前回よりもちょっとでも進化できるよう頑張ろう。

8/2(金) 27.進化あるのみ!
 オープンして本日6回目の販売。前回はテレビ&新聞効果もあって、多くの方が「農家直営露地野菜市」に訪れ、これまでで一番の売上になった。本当に有難いことだ。

 実はオープン後にもかなりサイトの中を変えている。お気付きになった方もおられるだろうか。以下に列挙してみる。
・購買手続きボタンを新設
・拡大写真を見ることができる機能を追加
・流れるメッセージボードを新設
・ログアウトボタンの新設
・売り切れるると「完売御礼」を表示
・売場下段にもカテゴリ表示を追加
・紹介VTRの表示方法の変更
・写真撮影方法の変更(順次変更中) などなど

 一方、上手く買えない!というご指摘も頂いた。実際電話もかかってきて、小1時間対応したのだが、話し終わった後に「このような方がもっと沢山いらっしゃるのではないか」という疑念が沸々と湧きあがってきて、到底その日の売上を喜ぶ気にはなれなかった。

 他に、「一度買うと、再度同じ物を買おうとしても買えない」とか、「会員登録の流れが分かり難い」とか、色々なご意見を頂戴する度に落ち込んでいく。翌日システム会社に急きょ訪問し、改善策を話し合った。

 オープンした時から、数々の批判・評論にさらされるのはネットショップに限ったことではない。飲食店もそう、小売店もそう、公共施設だってそうだ。個人消費者が普段利用するようなところ・サービスは常に数々の批判・評論の中で運営されている。

 いちいち気にしていたらやってられない、という意見もある。この方法が我々の信念なので、それに共感する人だけが利用してくれればよい、という考えもある。雑音から耳を閉ざして自己表現に徹する方が結果的に尖ったものができる、あれもこれも取り入れると中途半端になっちゃう、これも事実を含んでいるだろう。

 ただ、自己表現で個性を発揮出来るためには、土台がしっかりしていないと難しい。例えれば、デッサン力や筆使いなど基礎的な描画力があって個性を発揮した絵と、描画力が無いのに個性を発揮しようとした絵は全く別物だ。前者は時に名作と呼ばれ、後者はただの落書きだ。

 翻って今の「農家直営露地野菜市」はどうか?基礎力が無いのに個性を発揮しようとした落書きサイトに近い。今は謙虚に、皆様の声をしっかり聞いて、愚直に直していくことで基礎力を高めるしかない。順番が逆になってしまったけど、時計を元に戻すことはできない。気付いたことはどんどん直すことで土台を固めていかないといけない。

 常々知弥に言っていることがある。「謙虚になれ」と。

 自分の至らないところを知り、至らないところを直し(もしくは伸ばし)、次のステップでまた同じことを繰り返す。そうして1つ1つ階段を上って行こうと。そして、謙虚になるためには「向上心」と「自分を信じること」が必要だと。向上心が無ければ一段上を目指そうと思わないし、自分はできるんだと思えなければ行動が伴わなくなる。

 知弥にそんなことを言いながら、実は自分に言い聞かせている。彼の存在は、大切なことを再認識させてくれ、行動を促してくれる。そんな僕自身の行動が彼にまた良い影響を与えてくれたら、お互いもっと成長していけるだろう。

 と言う訳で、ここ数カ月はサイトの基礎力向上に全神経を集中します。この独り言を見て頂いている皆様、是非「「農家直営露地野菜市」をご覧頂き、できれば一度試して頂き、ご意見を頂戴出来れば嬉しいです。この仕組みは、自分たちだけのものではなく、中小農家・消費者みんなのものにしていきたい。ただ、こうやってスタートしてみて、そこに到達するためには、今の自分では到底考えが及ばないところが沢山ありそうです。

 どうかご協力を何卒宜しくお願いいたします。

7/26(金) 26.追っかけっこ
 何とか孫野菜農園初めての直売所「農家直営露地野菜市」が予定通り7/22にオープンした。

 22、24日を経て、今日3回目の販売となる。この間も色々あった。

 先ずの問題は、“売れる”売場には程遠いこと。店は開いて買い物ができる状態までは持ってくることはできた。しかし、実際買ってもらえるかどうかは話が別だ。
(1)何らで孫野菜を知り、興味を持って販売サイトを訪問する
(2)サイト内を遷移しながら興味のある商品を見つける
(3)買うと判断して買い物カゴに入れる
(4)(2)(3)を何度か繰り返す
(5)購入手続きに進む
(6)必要事項を入力する
(7)決済方法を決めて(今は代引きだけですが、もうすぐクレジットカードの利用が可能になります)購入決定ボタンを押す

 上記のようなプロセスを経て初めて購入確定となる。どこかで1つでも躓くと離脱していく。実店舗であれば「折角入ったし店員の目線も気になるのでちょっとだけも買って帰ろうかしら」なんて心理も働くが、ネット店舗はそんな気兼ね一切なし。実際に売場が動き始めて、そういう観点で改めてこのサイトを見た時、新たに見える問題点が山ほどでてきた。今更何をと思う方もおられるだろう、僕もそんなことは考えて作ったつもりだった。

 でも違うんですね。

 自分の店で「買う」「買わない」と言う現実を見た時、これまで思っていた基準があまりに低すぎたことに気付く。基準が上がれば、改めて見えてくる課題が沢山ある。目の前で離脱していくお客様、折角店まで来てもらったのに、何らかの理由でその期待にお応えできていない現実をまざまざを見せつけられる。一度裏切った期待を挽回するのは容易ではない。そもそも挽回する機会すらないかもしれない。そんな現実の中で我々は商売をやっている。

 僕は、ネットを内を遷ろうユーザーを、あの手この手で絡め取るような商売をするつもりは一切ない。商売の基本は固定顧客。固定顧客がつくかどうかは、結局のところ商品・サービスが本物かどうかだ。それと、今回のネット販売はストレスなく手軽に買えるかどうかというサービス面が加わる。

 落ち込んでいる暇なし!気付いたことはどんどん直すべし!これから先は、先行投資とそれ以上の回収という事業の追っかけっこが始まる。躓いたらThe End。僕により高度な判断力が問われている。自信があるかないかなんて言ってられない。やるしかない。その評価はお客様がしてくれる。自己評価の第1指標をこの1ヶ月は購買者数において頑張ります!

7/19(金) 25.大詰めです!
 いよいよ7/22のオープンに向けて大詰めの段階になった。

 昨日はシステム会社の方2名にきてもらい、システムの最終テストを行った。13:00から始まって23:00まで、途中30分の食事以外はぶっ通し。まあ出るわ出るわ、次から次から問題点が浮かび上がってくる。ホントに22日にオープン出来るのか?何度も頭をよぎっては、それを打ち消す。「やるしかないだろ」心の中で呪文のように繰り返す。

 結局、テスト自体が終わらず今日に持ち越した。新たに作成しないといけないものも出てきて、これからそれに取り掛かる。今日は出荷日なので実質できるのは15:00頃まで。時間との勝負だ。メモ代わりに今日することを下記に揚げてみる。
・注文確認メールの雛型作成
・個人顧客向け納品書雛型の作成
・野菜マスターデータの入力 … 無限にある(泣)
・各野菜のコメント(キャッチコピー・補足説明)の作成 … 全80種強
・農家基本データ、法人顧客基本データの入力

 と言う訳で、これから取りかかります。苦しみが大きいほど、産みの喜びも大きいハズ!「やれば終わる」という母の口癖を借りて、今日一日頑張ります。

 以上、簡単でゴメンナサイ

 そうそう、この独り言をご覧頂いた方のみ、孫野菜農園の紹介VTRを公開します。メインキャストはあの松本裕見子さんです!お手隙の際にご覧頂ければ嬉しいです。
http://youtu.be/vVapshjm8B

7/12(金) 24.幸・不幸を決めるもの
 beをやっていたころ、飲食店ってつくづくリスクの多い商売だと思っていた。食中毒・店舗内での怪我や喧嘩・風評・盗難などなど。

 今、こうして農業に専念して、この業界も負けず劣らずリスクが多いと今更ながら思う。天候、病害虫獣、過剰収穫・相場・事故など枚挙にいとまがない。そしてどの業界にも共通するリスクの1つが「人」であろう。その人のリスクが今回しょうりき山里公園で現実となった。

 母が体調を崩したのだ。1週間前、食事の後に腹痛を訴えた。それ以降、食事の度に腹痛と下痢を繰り返す。しかも母は胃を半分以上切除しているので、一度の食事量が少なく、一日に何回も食事をする必要があり、その度ごとにベッドで横になる状況。さすがに見かねた妻が嫌がる母を病院に連れていくと診断結果は腸炎だった。

 朝5時には起きてずーっと働きずめ、出荷準備のある月・水・金曜は深夜まで作業に付き合う(AM3:00ぐらいになる時もある)という生活をここ2年送っており、過労がその根本原因であることは容易に想像がつく。そのような状態にしてしまっているのは僕であり、批判を受けてもいたしかたない状況だ。

 では、この年まで働きづめの母は現在不幸なのか?身体的な側面から見ると確かにそうだろう。仕事をせず快適な空間で生活する方が楽である。

 一方、僕は母がぽろっとこぼした言葉が頭から外れない。「私しゃ、今が人生の中で一番幸せよ」

 それは、僕に気遣っての言葉ではなく、心底の思いから出た言葉であると信じたい。息子・孫と一緒に生活していることだけでなく、自分のやるべき仕事を決め、楽しみ、役に立っている実感を持ち、自分が関わっている事業の未来に希望が見えたから出た言葉であると信じたい。

 母は、入院を勧める医師に「家でやることがありますので、家で頑張って治します」と言って断ったそうだ。仕事って辛い?仕事ってやらされている作業?母なら笑い飛ばして首を横に振るだろう。僕はそれに甘えず、彼女が長く仕事ができるように気を付けないといけない。

7/5(金) 23.充実? 消化不良?
 昨日は色々あった日だった。

 まず、朝は納品。大雨の予報だったので普段より20分時間を繰り上げて6:20に家を出発。予想通り高陽町〜牛田にかけて渋滞し、福屋さんに着いたら8:00だった。納品していると7/18に特設コーナーで孫野菜の販売ができないかとのご相談あり。雨続きで売上がイマイチ伸びていない現状もあり、お受けする方向で話を進めた。

 その後2件納品に回り、9:00ちょい前に終了。帰り道で携帯が鳴り、出ると今回融資を受けた日本政策金融公庫から。中国新聞に先日作成したプレスリリースの資料を渡してもらったようで、取材を受けて欲しいとのこと。有難くお受けすることにし、早速日程調整をした。

 家に帰りついたのは10:00、福屋さんでの販促の人繰りの相談をしていたら電話が鳴り、前々職の後輩から研修講師の依頼だった。聞くと、名古屋の中堅企業の新規事業研修を請け負っており、ビジネスプランの事例として僕の事業のことを話して欲しいとのこと。もしかしたらネット直売システムのパッケージ拡販につながるかもしれないと淡い期待を抱き、これもお受けする方向で話をした。

 11:00、広島市内から来客。複数の飲食店を経営し、beにもよく遊びに来てくれていた人で、今度オープンする店で使う野菜の相談をしたいとのこと。畑を案内した後、食事をしながら2時間話し込んだ。

 その後は、オンボロパソコン3台を囲んで、スタッフ(といっても妻・母・妹ですが)とネット直売所と販売管理システムの話し合い。実際のサイトを見ながら改善点の洗い出しを2時間かけて行った。これまでは紙ベースでの説明が中心だったが、パソコンで実際の画面を見ながらの確認はよりイメージがしやすかったようで、なかなか有意義な時間だった。

 16:00、しょうりき山里公園のHPの修正に30分使い、その後早めの風呂に入り、上がった後は来週月曜日の宅配用野菜の算段。農家さんに連絡していたら18:30を過ぎてしまい、慌てて事前発注リストを作成してお取引先にFAXを流した。

 夕食&1時間程休憩した後、明日が定期テスト試験最終日の知弥に数学を教えた。あれやこれやあって終わったら1:00。手帳を見たら今日やることに「段ボール」「独り言」「HPの修正」とある。結局今日これまでにやったのはHPの修正のみ。段ボールとは、ネット直売所のオープンに合わせて宅配用段ボールを全面改定したいと考えており、その原案を作ることなのだが、今からやり始めると朝までかかりそう&到底良い発想は出そうにないので、独り言だけは書いて寝ようと決めた。

 で、今に至る。これにて本日終了。サクッと寝て、明日リカバーしよう!

6/28(金) 22.ここ、踏ん張りどころ
 一昨日、サイトの開発をお願いしているシステム会社にお伺いし、オープンまでの最終スケジュールとクリアすべき課題の確認をした。

 これまでもザクッとしたスケジュールは共有していたのだが、スケジュールありきで妥協したものを作るのが嫌で、またやっているうちに新たに気付いたことなどもあり、オープン日はある意味結果論でも良いかなと考えていた。

 ただ、ここにきて出口までの道のりが見えてきたこと、またプロモーションや関係者への説明などを考えるとオープン日をキチンと決める必要があり、システム会社の方と詰めた話し合いが必要だと思ったのだ。

 結局、法人向けの注文サイト開始を7/15(月)、個人向けの販売サイトを7/22(月)とした。ニュースリリースでは個人向けをメインにするので7/22が販売開始日。なぜ22日にしたのか?理由は単純、その日は「友引」なんです。普段は迷信なんてと思っていても、いざ大勝負となると神にも頼みたい気持ちになる。これ正直な心情。

 不思議なものでオープン日が決まると、できていないことが天から山ほど降ってくる。「あれができていない」「これもしなくっちゃ」「ええ〜、こんなこともしないといけないの?」誰がするわけでもない、全部自分がやらないといけないこと。それに押しつぶされ、気持ちが萎えそうになる。

 これ、beを開店する時も全く同じだった。やれどもやれども、本当にオープン出来るんだろうかという不安が付きまとう。何か見落としていないか、もっとやるべきことがあるんじゃないか?これで本当にお客さんに買ってもらえるのか???デジャブーのような感覚。また繰り返している。

 って、弱音を吐いている暇は無い。書いたら少し気分転換できた。粘り腰を見せるべし!

6/21(金) 21.評論家? 当事者?
 先号で雨が降らない話しを書いた直後から、今度はず〜と雨降り。しかも降り方が尋常ではない。カラカラだった畑が今度は一転して水没の危機に。日本の柔らかな、慎み深い気候はどこへ行った??これじゃ、まるで雨季と乾季を繰り返す南国、そのうちこの辺りも亜熱帯地域になるんじゃないか?と思っちゃう。

 さて、ここからが本題。先日NHKさんの取材を受けた。(放送を見て頂いた方有難うございました)実際放送されたのは2分程度だったが、撮影自体は5時間ぐらいあり、作業だけでなく、僕自身に対するインタビューも何度かあった。

 今度始まるインターネット直売所の話しや農業体験、野菜宅配の話はそれなりに受け答えができたのではないかと思ったが、日本の農業に関わることを質問されると、途端に言いたいことが整理できない状況に陥った。普段これについても色々考えているし、その現状を考えた上で事業を構築してきたつもりだったが、からっきしダメ。これ、前に取材を受けた時もそうだった。

 なぜか?たぶん、今後あるべき姿をイメージできていないからだろう。日本の農業の問題点はいくらでも指摘できる。JA、農業政策、国土の特徴、流通、農薬基準、耕作放棄地、所有と利用などなど。では、日本の農業はどうあるべきかという問題に踏み込むと途端に支離滅裂になる。良いことを言おうとしても、付焼き刃では難しい。

 もちろん、僕は日本の農業の未来を考える立場にはない。「農業」=「国力の重要な一要素」として考えると、やはりあるべき未来を考え、決めるのは国であり、時の元首なんだろう。ではこれまで、その目指すべき未来を明確に決めて進めた元首が日本にいたか?僕が知る限り、池田内閣以降は答えは否だろう。農業基本法が策定されて以来、日本の農政は問題点の対処を数限りなく繰り返してきた歴史のように僕には思える。

 話がそれそうになった。日本の農政を批判するために書いているのではなく、リーダーのこと。リーダーは問題点を指摘するのが仕事ではない。あるべき姿=目標を決めて実行に移す人だと僕は考える。これは国だろうが、会社だろうが、個人事業だろうが同じだと思う。ただ、組織の大きさが違うだけだ。

 リーダーの素質みたいなのがあるとすれば、「問題を見つけて大騒ぎしている、指摘して得意になっている人」ではなく、「自分が解決すべき問題と認識し解決しようとする人」なんだろう。鋭い意見を言って頭が切れるように見えて、案外前者の人が多い。

 評論家が多い組織は前に進まない。ましてや、リーダーが評論家になったらその組織は危うい。

6/14(金) 20.今度は猿が、、、
 梅雨入りしたはずなのに雨が全く降らない。同じ町内でも夕立が降った所があるようだが、我がしょうりき地区は全くその気配無し。こうなったら雨乞いするしかないか??

 水が無いと果菜(実がつくヤツです)の成りが極端に悪くなる。定植したばかりの苗は枯れてしまう。水は絶対必要だ。ただ雨を待つだけでは芸が無いので、ここは500Lタンクの出番。水をためるだけで2時間はゆうにかかる大型のタンクで、これにガソリンエンジンのポンプを突っ込み、50mのホースにつないで散水する。大小合わせて畑が6枚。2人がかりで約2時間の作業だ。

 散水に費やした時間が、そのまま本来すべき農作業の時間を圧迫する。暑い日の外作業は涼しい時間帯にすべきなのだが、その時間は散水をする必要があり(暑い時間だと水がお湯になるため)、結局外作業を昼前後にしなくてはいけなくなる。

 その時間帯の作業は本当にきつい。僕でもそう感じるぐらいなので、もうすぐ70歳になる母はどれだけしんどい思いをしているのだろう。その横をモンシロチョウが飛んでいく。本当は追い払いたいんだけど、あまりの暑さにその気力もなく、葉に降りる度に「卵を生むな」と祈るのみ。卵から青虫がかえってしまったら更に多くの作業が発生するにも関わらず。。。

 そんなこんなで夕方になった。明日の出荷用にレタスを採りに行くと、、、80個以上あったはずのレタスが一個もない。今日の出荷だけではなく、宅配にも入れる予定だったのに。

 すぐには事態が飲み込めない。鹿が入った形跡はない。人が盗った感じでもない。人ほど綺麗に採ってはいないが、鹿やタヌキほど雑な食べ方でも無い。もしかして、、、猿か。

 実はレタスを採りに行ったのは弟の畑だ。すぐに弟に状況を伝えると、すぐに現地を見に行き、帰って一言「猿だった」。散乱していたレタスの葉の下に猿のフンがあり、鹿よけの柵をのぼった足跡があったそうだ。彼がどれだけの情熱を持ってこのレタスを作っていたのか知っているだけに、慰めの言葉さえかけられなかった。

 いよいよ猿の害が現実のものとなってきた。対策案はまだない。

6/7(金) 19.知弥続報
 11・12話で、昨年末から預かっている知弥の話を書いたが、今回はその後の変化など。

 期末試験の後、「半年後に平均点」を目標にしたことは以前書いた。それに向けて課したことは「今日やる勉強の計画を事前に立て、毎日それをやり遂げること」。狙いは2つある。
1)やるべきことを明確化し、漏れを防ぐ
2)計画→実行の行動様式を体得し、考えて行動する習慣付けを行う

 具体的には、今日すべき内容を全て箇条書きにし、それぞれの予想所要時間を書き込んで僕か妻に見せる。そして1つの項目が終わる毎に、やったことをどちらかみ見せる、というもの。当初は計画作成自体に非常に時間がかかり、また想定所要時間を大きく超えて計画が全然終わらなかったりしたが、3か月も続けるとたいぶ慣れてきたようだ。副次的効果もある。
1)時間を意識して課題に取り組むので、集中力が増し時間の短縮につながる
2)宿題=義務ではなく、計画=自己目標に置きかえることで達成感を感じやすくなり、学習に対するモチベーションを高める。

 それと、もう1つ課したことは、生活ノートと学校で言われている短文日記の全文園長(私です)チェック。上記の計画は軽く目を通すだけだが、生活ノートは文章をしっかり読みこんで添削をする。これをするきっかけになったのは、彼の練習試合を見たことだ。

 知弥は転校早々から正捕手を任され、彼の野球に対する積極性がチームのムードを変えたと評される程の野球好き。守備体系や走塁などの細かいことも良く知っている。もちろん正キャッチャーとして守備の指示やピッチャーにも声掛けするのだが、そのコミュニケーション力が相当ひどいと感じたのだ。言ってみれば普段の会話の延長。例えば先輩ピッチャーがサインミスすると「キャッチャーの指示に従えよ。それじゃキャッチャーのいる意味無いよ」、守備の指示も、確かに内容はあっているのだが言い方が曖昧でキチンと各人に伝わらない、など。

 普段から先輩後輩の垣根を作らない性格で、それが彼が先輩に可愛がられる要因でもあるのだが、試合ではそれが裏目に出ているように感じた。なぜそうなるのか?その一因が彼の文章力にあるのではないかと思ったのだ。

 試合後、彼に聞いてみた。
「今日のピッチャー、コントロールに苦労してたな」「うん」「知弥はその時何をした?」「ピッチャーを元気付けた」「どうやって?」「ピッチャーに声がけしました」(苦しくなると慣れない敬語を使う傾向がある、苦笑)「どんな言葉をかけた?」「・・・・。」

 具体的に彼がしていたことは、一球ごとに「入った!」という言葉を大声で発することだ。それを言うと彼はあまり覚えていないと言う。そこで「入った!という言葉は誰に対する言葉なのか?」と聞いた。「・・・・・。」「ピッチャーか?」「あっ!、審判です」「だろう。であれば、入った!という言葉を通じて審判に何を伝えたいのか?」「ストライクだということかな。。。」「きわどいボールの時にそれを言ったら審判はどう思うか?知弥ならどうジャッジする?」「ぼくならウザいと思ってボールにするかも」

 ピッチャーを励ますどころか、審判を敵に回す可能性のあることをやっていたことに彼は気付いた。試合の声掛けは会話ではない。何かを伝える文であると考える。文とは目的を持って構成されたもの。誰に対して、どういう状況で、何を伝えるのか。敬語をキチンと使う必要がある時もある。これは野球だけの話ではなく、社会人になってもとても大事なことだ。

 そんな経緯があり、気になって生活ノートを見たら、文章どころか句読点の位置や簡単な漢字のミスも非常に多い。そして文章は全て口語文調で、思いついたことをただ並べているだけ。ここまでとは思っていなかったので、ちょっとショックを受けた。

 それから2ヶ月。句読点の問題は徐々にクリアし、文章の内容向上を意識する段階に入ってきた。前回の定期テストでは、まだ平均には及ばないものの、前々回よりも倍ぐらいの点数がとれるようになった。やった努力は裏切らない。知弥も少しそれが分かりかけている気がする。もうちょい。早く自律走行できるようになろうぜ。

5/31(金) 18.もうすぐ完成のはず??
 ちょっと前に4回連続で書いたネット直売所、いよいよ大詰めの段階まで来た。

 当初は5月半ばに飲食店向けサイトを、末には個人向けサイトをオープンしようと考えていたので、かなり時間が押している。遅れた理由は一重に僕。当初から一応キチンと計画を組んで進めていたので、オープン日ありきで進めていれば十分間に合ったはずだ。

 ただ、開発を進めるうちに、将来的なパッケージ化を視野に入れ、ある程度汎用性を持たせておきたいという気持ちが強くなり、しょうりき独自の業務と一般的に想定される業務の切り分けを行って、それをベースに業務を再構築したことが1つ。

 農家さんから野菜を全量買い取りし全て売り切るというモデルが、思った以上に複雑な販売経路・需要予測・価格調整を要し、それをシステム化するのがかなり難しかったことが1つ。

 そして、一般向けサイトのTOP画面に一切の妥協をしなかったことが、時間が押した要因だ。

 僕は知っている。かけた情熱や思いがサイトに現れることを。いくら思いがあってもそれが消費者に受け入れられないこともあるだう。ただ、いい加減に作ったサイトでは絶対売れないと、僕も一人のネットユーザーとして断言できる。(デザイナー任せの?)美しいサイトでも駄目。購買と観賞は全く違う行動だ。

 我々が提供できる“価値”と、消費者の求めるお金を払っても欲しい“要望”。価値が要望にダイレクトに刺さればサイトでも買って頂けるはずだ。我々が提供している(と思っている)価値はいくつかある。その全てを伝えたくなるんだけど、多くなるほどぼやけてしまうので思い切って一つに絞ることにした。

 それが「鮮度」。

 我々が本当に自信を持てること、野菜の美味しさの鍵を握り、流通会社や大手の宅配では真似できないことだ。これが消費者の要望に刺さるかどうかは、やってみないと分からない。それでも刺さると信じてやるしかない。バックヤードのシステムも販売サイトも全て鮮度を軸に構築されている。

 我々がお届けしたいのは「普段使いの超新鮮な地元野菜」。おそらく競争相手は産直市でも宅配会社でもなくスーパーだ。だから「リアルな店舗をイメージできるものにしたい」と、システム会社の人にわがままを言い続けた。動きや活気が感じられて、売場をのぞいているような感覚で野菜が選べるネット直売所。相当面倒くさいクライアントだったと思うが、粘り強く付き合って頂き本当に感謝している。

 6月中にはオープンできる予定ですので、もう少しお待ち下さい。あとひと踏ん張りです。

5/26(日) 17.2年間
 毎週金曜日にUPすると心に決めていたのですが、15話目にして早くも崩れ去りました。次回から金曜日に戻しますので、どうか続けてご覧頂ければ幸いです。

 さて、本題。昨日までの3日間、福屋さんのベジタブルフェアで販売をした。普段はB1奥の野菜売場に孫野菜コーナーを設けて頂いているが、この3日間は下りエスカレーターを降りた場所にある催事コーナー、一等地での販売となる。私と妻、母と妹というコンビで3日間売場に立った。

 我々に与えられたスペースは、約3mの平台と冷蔵ケース一台。初めてこのフェアに参加した時は約1mの平台だけだったので、4回のフェアを経てそれなりの期待をかけて頂けるようになったということだろう。有難いし気合も入る半面、それだけの売場面積を埋める野菜の量と種類・商品構成が非常に難しく、どの野菜を誰にお願いするか、畑の状況も確認しながらの作業は地味で難しい。

 具体的には通常の3倍量の野菜を確保しなければならない。80過ぎのおばあちゃん農家にいきなりその量をお願いするのは物理的に無理なので、我々が代理で収穫し袋詰めまで行うことにした。今回売場の目玉の一つに定めたホウレン草はこのおばあちゃんが作っており、120セット作るのに私・母の2馬力で収穫に30分、野菜洗いに2時間、計量・袋詰めに2時間と作業量が指数関数的に増えていった。しかもこの1件だけではない。我々の出荷作業もあり、結局作業が終わったのが明け方になってしまい、寝ずに家を出ることになった。

 6:15出発。睡魔と格闘しながら車を運転し、福屋さんに野菜と妻を下ろしたあと、他の納品に回り、再度福屋さんについた時は8:20を過ぎていた。それからバタバタと売場作り。値札を貼り、売場の構成を決めて、1つ1つ商品を並べていき、何とか売場が完成したのはオープン数分前だった。

 フェア初日。妻と二人で売場に立つ。福屋の社長さんがご挨拶に来られる。以前しょうりきのホタルイベントでうちに来られたことがあり、福屋さんで野菜を売り始めて以降、何かと気に掛けて頂き本当に有難いかぎりだ。社長からの直接のエールに気合が入る。

 が、客数は少ない。勘違いであって欲しいがフェアの集客数が回を追うごとに徐々に減りつつあるような気がする。それでも素通りせずに立ち寄ってくれるお客様比率は高まってきているようで、「いつも買ってんのよー。」言って下さるお客様が多くなってきたことに気付く。福屋さんでの販売を始めて2年。徐々に孫野菜の常連さんが増えてきたことの証左だろう。フェア全体の盛り上がりは??ながら、売場はそこそこ忙しい。多めに用意したつもりだったが売場の野菜が15:00頃には寂しくなってきた。以前は孫野菜単独での売場ではなかったので正確な数字は出せないが、仕入量から逆算して孫野菜単独では過去最高の売上を記録したのは間違いない。単価の関係もありフェア参加他店に売上高1位は譲ってしまったが、購買者数1位はウチだったと思われる。

 2日目、母と妹が売場に立つ。午前中母に電話をしたら「何かお客さん少ないね〜」とのこと。前日早めに切り上げて野菜の確保に走ったのに、売れ残りの不安がよぎる。明日用の仕入判断をするために午後電話をすると忙しくて話せないとのこと。結局ほぼ予想通りの販売量になった。家に帰ってきた母が忙しかったことを嬉しそうに話してくれる。「孫野菜を知っている人が増えたね〜」「色んな人が訪ねに来てくれたんよ」彼女なりに手応えみたいなものを感じたみたいだ。売上も昨日とほぼ同じぐらい。

 3日目、最終日。再度妻と二人で売場に立つ。土曜日、百貨店は人で賑わうが野菜の販売量は落ちる。遊びに街中に出る人は野菜を買わないのだ。常連さんは人込みを避けて来ない。こんな時は集客に目玉商品が必要になることをこれまでの経験で学んだ。今回の目玉は「農家直売価格のホウレン草」「超新鮮アスパラガス」。その他、日持ちしない葉物は仕入量を極力減らし、売れそうな野菜は厚めに用意してみた。明日以降は通常売り場に戻るので大量に野菜が余らないように、でも売場に置くぐらいは残るようにしなくてはいけない。この辺の読み合いみたいなのが結構楽しい。

 結果は、ほぼ想定通り。目玉商品の売り文句に反応して来て頂いたお客様が中心となって安定したペースで売れていく。そして、売場全体を占めていた孫野菜を、売り切れる毎に徐々に狭めていき、空いたスペースに人気野菜のトマトを並べた。事前に青果売場の責任者と打ち合わせておいたシナリオだ。心の中で小さなガッツポーズ。

 この日も色んな知り合いが訪ねて来てくれた。東京・大阪に住んでいる同級生が来てくれたのも嬉しかった。お蔭で疲労感が出がちな最終日も元気を持続できた。本当にありがとう。そんなこんなで、この日もずっとバタバタして、だいぶ縮まった孫野菜売場を見届けて、予定通り16:00に販売を切りあげた。

 帰りの車で妻が嬉しそうにこんなエピソードを話してくれた。
「雄ちゃん(と呼ばれています)が休憩していた時に若い女の人が訪ねて来てくれて、孫野菜農家の方ですか?って聞かれたの。ウチの野菜を食べてからずっと買い続けてくれていて、仕事で普段は来れないので土曜日に電話で野菜の予約してくれるんだって。農家さんが心を込めて作っておられるのがよく分かるんで、他の野菜は買えなくなったって。それで今日も野菜を買いに来たら、今日は孫野菜の農家が来ているって店員さんから聞いて、わざわざお礼を言いに来てくれたのよ。他の農家さんにもぜひ報告しなくっちゃね」

 福屋さんで野菜を売り始めて2年、当初から比べると売る野菜も増えパッケージもだいぶ変わった。でも伝えたいことは、ご提供したいことは全く変わっていない。それに近づけるために徐々に変えてきたと言う方が正確だろう。これからも変わらないために進化しなくては。そんなことを感じた3日間だった。 

5/17(金) 16.大切な人へ
 道路にヘルメットをかぶった女性が倒れている。近くに車が2台止まっており、何人かの大人が心配そうに眺めている。警察はまだ来ていない。「事故したばかりだな」と思いながら横を通り過ぎようとした時、右腕がゆっくりと動いた。ひどく緩慢な動き、かなりの重症と思われる。場所は高陽町のガスト前。先週の土曜の話だ。

 キキーッという音がした後、車の横を人が飛んでいって前でバウンドした。急に左折しようとした車に後ろを走っていたバイクが追突したのだ。場所は戸坂のロイヤルホスト前。その時間はバス専用車線であり、左折した車はずっとその車線を走っていた。飛んだ人は歩道に向かって2、3歩動いた後、倒れた。

 夜の駅前の道、黄色点滅信号の交差点を通っていると、無灯火の自転車が飛び出してきた。急ブレーキを踏んだが間に合わず接触。「ガシャーン!」驚くほど大きな音がして、恐る恐る車の前に回ってみるとグニャグニャになった自転車の前で女子高生が座っていた。「大丈夫ですか?」「飛び出してスイマセンでした。」警察を呼ぼうとしたら、擦り剥いただけだからいいですと言い、帰ろうとした。家まで送って連絡先を伝え、新しい自転車を後日届けた。僕が大学の時の話だ。

 福岡・荒江の交差点。信号待ちをしていたら、赤信号になった後に強引に右折してきたバイクが僕の車に突っ込んできた。止まった車と正面衝突。運転手はフロントガラスに突っ込んでバウンドし、横に落ちた。警察を呼んで実地検分し100%バイクの過失。しかもそのバイク、自賠責保険にも入っていなかった。運転手は学生、修理代の交渉をしたが埒が明かず、親に代わってもらうと、これまたタチが悪い。最後は半ギレになりながら全額現金弁償してもらった。

 僕が通う県道37号線・白木街道には、道路脇に献花してある場所が3か所ある。その1つは小学生の通学列に車が突っ込んで児童複数が亡くなったというもの。僕が小学生の頃の出来事ではあるが今でもそのニュースは鮮明に覚えており、その横を通る時は心で黙とうする。

 そんなことを思いながら車を運転していると、突如サイレン音が鳴った。一時停止で減点2点&罰金7,000円。妙に愛想のよい警察に頭にきた。

 皆さん、運転には十分にご注意を。

5/10(金) 15.特集を見て
 ちょっと前の話しになるが、日経ビジネスで「道の駅」の特集が組まれた。昨年夏に「食料非常事態宣言」という特集も組まれている。20年以上読み続けているが(社会人になって読み続けている唯一のビジネス系読み物です)、この頻度でメイン特集に農業が出てくるのは記憶が無い。それだけ社会的にも関心が高まってきたということだろうか。

 今回の特集はさびゆく地方を道の駅が救うという内容。僕も東京に居る頃なら「へー、そうなんだ。確かにそうだよな。」なんて思っていただろう。力の入った取材であることは良く分かるし、流通コンサルタント氏による覆面調査までして内容に奥行きを持たせている。嘘ではない、確かに流通や事業者からの視点という意味では真実。

 ただし、生産者という視点から見た時に現れる影がある。生鮮農産物に関しては基本的に場所貸し商売。売れた分だけ手数料を差し引いて生産者に還元する仕組みだ。需要が常に供給を上回って入れば問題ない。週末の賑わいを見ると確かにそう見える。

 しかし現実はそうではない。毎日潤沢に集客できる道の駅などほとんどない。しかし野菜は曜日を問わず収穫せざるを得ない。集客が芳しくない場合、一気に野菜がだぶつく。もしくは露地野菜が中心の農家は生産品目が重なり特定品目が供給過剰になる。売れなければお金は入ってこないばかりか、出した野菜を自前で回収しないといけない。(もしくは破棄される)。だから何とか売ろうとする。安くてもお金が入ってこないよりはましだとの心理が働き、過剰な値引き合戦となる。それは、そこに参加する農家同士の削り合いになるだけではなく、野菜の価格そのものにも影響を与える可能性がある。産直市の底値を参考価格にされたら、たぶんほとんどの農家は干上がる。

 他にも真面目にやったら割に合わない現象が起こっているのだが、まあ言ったところでただの不平不満なんで割愛。そのうち「産直市の光と影」というタイトルで特集が組まれるのではないかと密かに思っていたりする。メディアに持ち上げられて突き落とされるのは、繰り返されてきた歴史でもある。

 我々がしようとしていることは、直接的には道の駅や産直市と競合しないので、どうのこうの言っても意味は無いんだけど、たぶんどこかで潤沢な資金を使って、豪華な設備を作って、多くの方を集めることができていることにやっかみもあるのかな。まだまだ小さい男です。

5/3(金) 14.支払の喜び
 月初は副園長(妻)の仕事が忙しくなる。

 彼女は主に経理系の仕事を担当してもらっており、納品先の月次請求の作成はもちろん、随時入金される年会費や米代の確認、そして農家さんへの出荷野菜代金の計算をしないといけない。10数件から出荷される日々の野菜の集計はそれなりに大変らしく、品目数は多いし、計算ミスは許されないし、すぐに入金しないといけないし(月末〆の即払いにしている)で結構気も使うようだ。この辺りの業務は今回のシステム化で一掃する予定ではあるが、それは6月以降の話し。

 彼女に言ったら怒られそうだが、彼女が忙しくなるほど僕は嬉しい。当初は定期宅配のみで、しかも事前の年会費の振込みのみだったので、請求業務はほぼないし、農家から仕入れる野菜も月1回。支払業務もあっという間に終わった。

 それがbeが始まって週3回の出荷をお願いするようになり、福屋さんの取引が始まって一気に出荷量が増え、それに伴って孫野菜農園のグループ農家の数も1件当たりの出荷量も増えた。言ってみれば月初業務の忙しさは事業の拡大に比例している。

 農家の皆さんにお支払いできることが僕の密かな喜びでもある。できれば沢山お支払いしたい。月10万円以上お支払いできる農家さんもおり、できれば今年は20万円以上の出荷してくれる農家さんが現れて欲しい。そのためには我々の販売数を伸ばす必要があり、その手はそれなりに打ってきたつもりだ。

 そして、複数の農家がこの仕組みで生計を立てれるようになった時、参加してくれる全ての農家に頑張った分の利益がキチンと還元できるいようになった時、この取り組みは第2段階に入ることができる。だから僕は支払が嬉しい。副園長、もうちょい頑張ってくれ。月初の支払業務はほぼ自動化を実現するから。ただ、それで空いた時間は次の仕事を考えているので宜しく! 

4/26(金) 13.件数
 顧客管理簿というエクセルファイルがある。

 この事業を始めた時に作った書類の一つで、年会員の皆様の名前・住所・連絡先などが記載されている。期毎にシートが分かれており、今日は5期目のシートを整理をした。もうすぐ始まる旬の野菜宅配の配達先の情報更新のためだ。

 1期目のシートを見ると宅配先が25件。事業を始めてはみたが本当に注文が入るのか心配していた時期だ。心配というよりは強烈な不安と表現する方が実感に近い。知り合いで10件はすぐ獲得できたが、そこからが伸びず、過去取引のあった方に案内を送ったり、会合に顔を出したりした。それでやっと25件、これじゃ金が続かないと思い、8月にはハローワークの委託職員となって中小企業コーディネーターの仕事をするようになった。

 2期目、30件。1期の方がほとんど継続して頂いたので新規は7件。ほとんどは紹介によるものだ。8月にハローワークの委託職員を辞め、beの開店準備に入った。農業と農業体験とbeの運営が並行し、広島2往復なんて日常茶飯事、居眠り運転しそうなったこと数知れず、耐えきれなくて道端に車を止めて仮眠して見る夢は、いつも居眠り運転している夢だった。

 3期目、38件。この年初めて代理営業を試してみた。入会者を獲得したら一部を還元するという営業形態。確かに有効な面もあったが継続頂いた会員は0。この年は福屋さんへの出荷も始まり、野菜の販売量がかなり増加。仕事の充実感はあった半面、自分が何屋さんなのか見失いつつあった。

 4期目、45件。飲食店向けの販路が広がった。県の助成を受けた体験型農業研修もやった。beの代表は退任した。

 そして5期、現在48件、おそらく宅配が始まる5月末までには50件は越えるだろう。今回からLセットとMセットの2種類とし宅配日も分ける。インターネット直売所も始まる。卸先の飲食店も開拓しないといけない。。。

 そんなこと考えながらやってたら仕事もはかどらんですね。さあ、今日も出荷準備があるし、さっさと片付けてしまおう。

4/19(金) 12.New Face(2)
 (前号の続きです)

 育った環境が全く違う人間と一緒に暮らすのは、当初双方にストレスがかかるものだ。知弥の場合もそうだった。

 受け入れたのは冬休み。転校が重なったので冬休みの宿題は前の学校に提出しなくてよいし、新しい学校からは宿題が出ていない。たぶん本人としてはラッキー状態だったはずだ。宿題はできればやりたくないのが彼の前提。(偉そうに言っているが昔の自分もそうだった)

 残念ながら我々は違う。長期休暇は自分の課題克服のまとまった時間がとれる格好のチャンス。宿題はやって当たり前が前提で、自分のためにするものだ。知弥の親御さんも多くの負担を背負って彼をこっちに出しているし、ついつい我が子以上に力が入ってしまう。

 結局、こっちの宿題をすることで学校にも話を付け、ここから知弥の苦闘が始まる。
「冬休み中に全ての宿題ができるように学習計画を立てよう!」 「えっ?」
「朝は6時起きで、まずは百マス計算を3分やろう!」 「えっ?」
「当分は園長(私のことです)の隣の席で勉強しよう!」 「えっ?」
「前の学校で習っていない宿題は我々のどちらかが教えるので、それももちろんやる!」 「えっ?」
「一日の計画が終わらなければ寝ることはできない」 「えっ?」

 実際に宿題をやっているのを見ると、想像していた以上にひどい。しかも、これまで好きな時に遊び、眠い時は寝ての生活で、家で1時間以上勉強するなんてなかったようだ。それが、来ていきなり10時間以上机に座ることになった。集中すれば2時間ぐらいで出来る量なんだけど、分からない問題が多く、そのうち集中力が切れ、居眠りする、の繰り返し。なかなか終わらず深夜2時を越えることもしばしば。本人相当ストレスを感じたはずだ。もちろん、それに付き合う我々も心身ともにかなりのストレス。職場が家でなかったら、ここまでできていなかった。

 そんな冬休みを過ごし、全ての宿題が終わった時はかなりの達成感と自分自身の変化を感じたのだろう。休み明けすぐに始まる実力テストもある種の期待感を抱いたようだった。しかし、それは幻想に終わる。目も当てられないような散々たる結果。彼は泣いた。

 「これまでテストの結果を見て泣いたことはあったか?」「いいえ。」

 「なぜ泣いた?」「悔しかったから。」

 「なぜ悔しかったのか?」「あんだけ頑張ったのに駄目だったから。」

 うん、知弥。苦手だった勉強を頑張ったからこそ悔しいと思えたんだな。これが第一歩。いい加減に練習しているチームは試合に負けてもへらへらしている。今までは知弥もそうだったかもしれないけど、今回からは違う。次回は笑えるようにもっと頑張っていこう。

 そのあと、彼と半年後の目標を立てた。夏休み明けの実力テストでクラスの平均を越えること。我々は勉強を通じて、具体的な目標を持ち、頑張って結果を出し、それが非常に気持ち良いことだという体験を彼に提供したいと考えている。もちろんこれは彼の大好きな野球にも転用できること。これまで身体能力にかまけていた彼のスタイルも少しは変わるのではないかと思う。そんなことが彼の将来にプラスになってくれたら嬉しいな。


4/11(金) 11.New Face(1)
 知弥を預かってもう5カ月になる。

 彼との出会いは小5の春休みだったか。母方の親戚筋から「春休みで時間を持て余している子どもがいるのだが2,3日預かってくれないか」と相談を受けたのがきっかけだった。人の出入りが頻繁で、誰でも家族同様に接する雰囲気がよほど気に入ったのか、その次からは長期休暇のたびに来るようなった。親御さんもこっちから帰ってからの知弥の変化を好ましく思ったようだ。

 中学校で野球部に入部してからは来れなくなっていたが、中1の秋に親御さんから「知弥がそっちに行きたいと言っている」と相談を受けた。遊びに来る話しかと思っていたらそんな軽いものでなく、こっちに住んで向原中学校に行きたいと言っているらしい。

 聞けば、運動では柔道の大会で優勝したり、ソフトボールでは主力として活躍したりと目立つ存在であったようで、人懐っこく物怖じしない性格から先輩の友達も沢山いたようだ。一方、学習面はからっきしで、中学校に入ってからはよからぬOBとつるんで遊んだりすることも多くなり、本人もそれを止めたいのだが、どうしても断ち切れない状況で、そこから抜け出すにはしょうりきで生活するのが良いのではないかと自分なりに考えたようだった。

 短期的に預かるという話であれば、ある意味お手の物なんだけど、一緒に住むとなると話は違う。親代わりとして彼の人格形成に大きな影響を与える可能性があるし、うちの子どもたちにも影響が出るだろう。部屋を1つ用意するとなると誰かがはじき出されることにもなる。(結局じいちゃんがはじき出され、ばあちゃんの部屋に転がり込むことになった)

 また、beの代表を退任した時期で時間の余裕は少しできたとはいえ、それはあくまで野菜の販売に本腰を入れるためで、且つその当時は違う子どもの家庭教師も夫婦でしており、生活面の余裕もなく、「どうぞ〜」なんて気軽に言える状況ではなかった。ただ、知弥のその気持ちには応えてやりたい、彼の将来に少しでも良い影響を与えることができたら我々としても嬉しい、それが夫婦の気持ちではあった。

 我々の一存で決めるわけにもいかず、まず家族全員で話し合い受け入れの合意形成をした。その後、知弥と家族に来てもらい、知弥が本気でそう思っているのか、本人の自発的な申し出なのか、親御さんは知弥をしょうりきに行かせることで何を望んでいるのか、我々の教育方針に共感できるのかを確認し、12月末からしょうりきでの新生活をスタートすることになった。

(次号に続く)

4/5(金) 10.ネット直売所のことなんぞ(4)
 (前号の続きです)

 一昨日、正式に融資の承認が下りたと金融公庫から連絡があった。確定前にシステム開発を走らしたのでちょっとドキドキしていたが、これで憂いなく開発に集中できる。

 時々ふと考える。この先に何があるんだろうかと。農業体験を始めた時、beをオープンした時、それぞれの時に考えたことでもある。今振り返ってみると、農業体験を始めたころの“先”は頭の中で築き上げた虚像でしかなかった。顧客・サービス・資金・時間・そして人。夢という名の感情で見えなかったものが沢山あった。

 時は経ち、beで個人相手の商売をやり、野菜を作り、運び、売る中で、実際に事業をやるということがどういうことなのか、現実感を伴って理解できるようになった。今考える“先”は以前のものとは違う。フワフワした夢ではなく、具体的なやるべきこととして認識し、そこに至るまでに何をしなくてはいけないかを行動ベースで考えることができる。

 今実現しようとしているのは、10〜30人の小規模農家が自主運営できる野菜を流通させる仕組みだ。商売の規模を追うのではなく、農家自身が無理なく運営でき、それぞれにキチンと利益が上がる状態を実現する1つの方法論。上手くようなら、自身を拡大するのはなく、各地域に仕組みそのものを移植していけばよい。そして、それがネットワークとして繋がった時、新たな、あるべき日本の野菜流通の形として世の中に必要とされるかもしれない。

 僕はそれを実現する先導者となりたい。それにはまずこれからやることが無理なく運営でき、利益が上がることを証明すること。これはもう頑張るしかないでしょう、ってなことを心の拠り所にしながら今仕事をしている。

 一歩、一歩、もう一歩。前に進んでいきます。

3/29(金) 9.ネット直売所のことなんぞ(3)
 (前号の続きです)

 そんなことで、出荷管理システムは設計からプログラムの実装段階に入り、販売サイト(ネット直売所)はコンセプトが固まり、いよいよデザイン段階に入る。

 元々販売サイトありきではなく、業務をシステム化する中で必要となった販売機能をネット化したものなので、一般的な販売サイトとは少し毛色が違うものになった。

 具体的に言うと、販売時間が決まっているのだ。ネットショップなのに24時間いつでも注文できないどころか、週3回のしかも18:00から23:00までのタームセールのみ。それに販売エリアも絞ってしまった。販売先は広島限定、世界に開かれたインターネットでは普通あり得ないことだろう。

 それでも販売時間を決め、エリアも絞ったのは「圧倒的な鮮度で野菜を届ける」を実現するためだ。生産地・集荷地・消費地の物理的距離が近いことを活かし、今日の夕方採った野菜を明日の夕食前には届ける仕組み。しかも、注文から24時間以内に届けるのは現状私の知り限りどの野菜販売サイトでも実現していない。なぜなら、鮮度を“ウリ”にしているサイトは、注文を受けて収穫し、集配して物流拠点に各地から集配して届けるので注文後お届けまで3日ぐらいは必要になる。じゃあ主婦が4日後のメニューを考えて野菜をネット注文するのか?大多数は否だろう。僕の考える鮮度とは収穫→お届けの時間ではなく、注文→お届けの時間だ。これを極限まで短くしないと普段使いの野菜にならないと考える。

 それと品揃え。普段使いの野菜を売ろうとしたら、野菜が選べる状態でないとそもそも買い物して頂けない。なぜなら、メニューを決めて野菜を選ぶ=複数の野菜を組み合わせることだからだ。この点は年間30種類以上の野菜を作る小規模農家の特徴がメリットとして活かせると思う。野菜が少ないと言われる今でも常時20種類以上の野菜が出荷され、最盛期には50種類以上となる。露地野菜中心なので時期より無い野菜もあるのは事実だが、それでも季節に応じた主要な野菜はほぼ揃えることができると思う。

 beを2年間やって思ったこと、それは各項目が平均的に良い店よりも、(仮に各項目は悪くても)明確な特徴がある店の方が続くということ。どんなお客さんにどういう場面で使って欲しいか、それに対して刺さるものをその店が用意できているか。

 僕は「孫野菜農園インターネット直売所」と名付けた販売サイトを、カタログ販売ではなく実店舗に近い存在として運営したいと思っている。農家が立って掘立小屋で野菜を並べて売っているような、新鮮さや安心感、リアルタイム感が伝わるような売場、パッと来てサッと買って帰れるような気軽さ。

 イメージはどんどん湧くんだけど、これを実現するのが難しいんだよな〜。

(スイマセン、もう一回次号に続けます)

3/22(金) 8.ネット直売所のことなんぞ(2)
 (前号の続きです)

 前号で触れた全体構想とは農家・顧客(個人顧客/飲食店/小売)・我々をどう結ぶかということを指す。小規模の百姓農家を組織化し、そこから作り出される野菜の付加価値を伝え、それを売り切るスキーム。規模を拡大しても効率的に事業が回る仕組み。

 TPP問題で急に農業の大規模化がマスコミでも報道され、国としても力を入れてアメリカ並みの50ha規模の経営面積を目指すと某政治家はおっしゃっているが、ハッキリ申し上げてそれは無理だろう。仮に実現できたとしてもアメリカ並みの生産性は実現できないと思われる。理由はここでは割愛するが、区画整理事業のような大愚策だけはしないで欲しいと思う。

 そんなこんなで、僕の考えるモデルは中山間部の小規模農家を活かすことが前提になっている。年間30種類以上の野菜を育てている(家で食べるのが前提なのでどうしても作る野菜が多くなる)昔ながら農家さんから日々出荷される野菜を集荷し、その日のうちに販売し、翌日には顧客に届ける。複数の販売チャネルを組み合わせることで、ロスなく売り切る。それを小人数で運営する。そんな仕組みをどうすればできるのか。。。

 物を売るだけならショッピングモール型のサイトに出店すれば良かったのだろうし、実際そんなアドバイスも数多く頂いた。が、先の事業展開を考えると、野菜がキチンと素早く流れる仕組みを作ることが先決であり、それと連動した販売サイトにするならオリジナルで開発するしかないと考えた。例えれば食品工場の軒先で自社製品を売っている感じ。この近さが鮮度や価格優位性を生むんだけど、工場の業務フローと上手く連動できないとロスや余計なコストが発生する。よって、生産から販売まで一貫して業務フローを設計するのが重要になる。それがパッケージができれば横展開も可能になる。そこに我々の将来がある。

 ご縁とは不思議なもので、このシステムの開発をお願いした(株)ちゃネットの益田さん(ITベンチャーで特番も組まれたほどの有名人)は農業研修のご参加者だ。「農家との夕べ」と称して夕食後に農業のことなどを一緒に話したりするのだが、益田さんと話す中で色々頭の中が整理でき、それがあって今に繋がったといっても過言ではない。しかも、我々の業務を目の前で一日中見て頂いたので現状の課題やシステムとして解決できることも明確になったようだ。また低額の開発予算に関わらずここまで一所懸命して頂けるのも、一緒に生活して何か我々の考えに共感頂いている部分があるからではないかと勝手に思っている。

 また、販売サイト側のアドバイスを頂戴しているのは、昨年の夏にベンチャー企業関連のイベントでパネラーとしてご一緒したアイコスモスの友村さん。自分が開発した撮影キッドを呉から全国にネット販売している根っからのWebっ商売人だ。Webコンサルタントといわれる方は数多いるが、自分で商売して(しかも成功していて)コンサルもできる人は非常に少ない。

 そんなメンバーが一同に会して、昨日初めて販売サイトの打ち合わせを行った。予定の2時間を大きく超え、休憩なしの4時間。お互い忌憚のない意見を言い合い、影響しあって、最後はサイトのあるべき方向性の確定まで昇華できたのではないかと思う。昔ある経営者から聞いた「社長の仕事は適切なメンバーを集めることだ」は今実感として分かる。

(もう一回次号に続きます)

3/15(金) 7.ネット八直売所のことなんぞ(1)
 1話でネット八百屋(→ネット直売所に変えました)のことについて触れましたが、今回はその後の状況を少し。

 結論から申し上げると、それなりに進んでいる。しょうりきを始め以来、毎年新しいことを1〜2つずつ始めているが、今回はbeを立ち上げた時と近い感覚を覚える。たぶん今後の商売のインフラとなる店舗を作ることやそれなりの資金がいることなどが共通するからだろう。

 ただ、beとの決定的な違いが2つある。

 1つ目は(仲間と作ったbeとは違い)意思決定が全て自分にあること。最終判断のスピードは断然速い半面、自己満足的な方向に走りがちになる怖さがある。且つネット販売はずぶの素人だ。なので、実際にネット販売で成功している方にアドバイスを仰ぐことにした。以前ベンチャー事業のパネラーをした時にご一緒した方で、某日本最高学府(T大)を卒業されて以来、ずっとネット販売に携わっているという筋金入りのネット商売人だ。ネット八百屋が上手くいく可能性があるのか不安でたまらず、押しかけて話してみたところ「いけそうな気がしますね」という一言でずいぶん楽になった。

 2つ目は銀行借り入れをする必要があること。これまでは自己資金(beは出資者がいた)で行ってきたが、今回はさすがにそうはいかず、ベンチャー企業を立ち上げた同級生に聞いてみたり、税理士の友人に相談したりして、結局は日本政策金融公庫に相談に行った。折角なので必要な書類や計画書なども全て自分で作ってみた。結果的にお金という面から事業を改めて見ることができて良い機会になったと思う。一応全て必要書類は提出し、本日現地視察の予定。最終承認はその後だ。本当に承認されるのか、実はかなりドキドキしている。

 思い返してみると、ここに至るまでに最も悩んだのは全体構想の明確化だった。ネット直売所をすることが前提だったわけではなく、これからのしょうりきの事業を考える過程の中で「野菜の販売に注力しよう」と決め、であればネットが大きな顧客接点となると考え、ならば業務を定型化しないと拡大できず、定形化できることはシステムに置き換える必要があり、それと販売を連動させれば...などと考える中で浮かび上がったのがネット八百屋だった。今となって書けば簡単なんだけど、「どうすれば良いのだろう」と悶々と悩む日々が相当続いた。beの代表を退任して以来、ほとんどの時間はこれに使ったといっても過言ではない。

(続きは次号で)

3/8(金) 6.斯く斯く鹿鹿(2)
 続きを書く前に、本件をフェイスブックに投稿したところ予想以上の励ましのコメントを頂戴しました。本当に元気を頂戴しました。この場を借りて深くお礼申し上げます。

 さて、前号の続き。鹿対策で山すそをぐるっと鉄柵で囲ったら、逆に一部に被害が集中し始めたという話。対処療法の限界ともいえる。この場合、根本解決は山の鹿を一掃することなんだろうけど、鹿が山からいなくなると別な影響(生態系など)が出る可能性もあり、自然との共存や動物愛護の観点からは相当乱暴な意見だろう。また、山から一掃しようとすると、相当の労力や資金が必要になると思われる。

 昔、中学校(だったような)の国語で読んだ文章を思い出す。自然に生息する動物の個体数は食料の量に因る。仮にAという動物がおり、天敵関係の動物がいた場合、Aが増えれば天敵も増え、それによりAが減少し、それにより天敵も減る。そうやって個体数の調整が自然と行われているという。

 では、鹿の場合はどうか?(たぶん)天敵の熊はこの近くにはいないと思われる。(ここ20年目撃情報が無い)天敵がいない場合、山にある食料が鹿の個体数の上限を決めるのだろうが、現状は里にある畑の野菜も食料に組み込まれてしまい、個体数の増加が起こっているのではないかと思う。

 あくまで想像だが、どんどん増える耕作放棄地が絶好の餌場になっているのではないか。事実、耕作放棄地には鹿の好む柔らかい草が生えやすく、深夜にのんびり草を食んでいる鹿をよく目撃する。それによって増えた鹿が、食料が少なく、子どもが生まれて栄養が必要なこの時期に、何とか食料を得ようとして強引に柵を越えて畑に侵入するようになる。。。

 そんな単純な話ではないだろうが、仮に上記が正しかったとしても、結局今できることは畑をキチンと高い柵で囲って侵入できない状況を作ることしかない。少しでも安くやろうとすれば、近隣の農家と協働して、一枚一枚畑に柵をするのではなく、エリアごとぐるっと囲むこと。そうすれば一軒一軒の負担は減らすことができる。

 柵で囲まれた畑は景観を著しく損なうので正直嫌いなんだけど、今は背に腹は代えられない。しばし事の経過を見守ることにしよう。今回の件は授業料と思うしかないですな。

3/1(金) 5.斯く斯く鹿鹿
 ウチで一番大きな畑(通称:チャレンジ畑)に鹿が入った。4年間やってきて初めてのことだ。フェイスブックに写真とコメントをUPしたので、そちらも参照頂ければ嬉しいが、とにかくショック。これで昨年から4枚ある畑全部に入ったことになる。

 予兆はあった。チャレンジ畑の堆肥用入口(普段は締めてあり、堆肥をトラックで搬入する時だけ開ける)が半開きになっており、動物が入ろうとした形跡があったのだ。近くの協力農家、小早川さんの畑にも鹿が入るようになり困っているという話も聞いた。1.5m以上ある柵を越えて入ってきているようで、ウチも対策を考えないといけないかなと思っていた矢先だった。

 いつものように畑に行ってみると、鹿の足跡が畑のいたるところにあった。「やられた!」足跡の数から考えて1、2頭の話ではないと直感的に分かった。恐る恐る畑を見渡してみると、昨日まであったはずの白菜が跡形もなく消えている。その向こうに目をやると、ニンニクの芽(成長点がある)が綺麗に無くなっている。玉葱も半分以上駄目。もう一度手前に目を移すと、人参の葉もゴボウの葉も見えない。そこにあるのは鹿の足跡だけ。。。

 しばらく頭が真っ白になる。母・妹と「今年は野菜作りを超頑張ろう!」と誓い合ったばかり。その第一弾が上記の野菜たちだった。冬は成長が遅く、もう半年近く畑に植えている。最終工程近くまできている仕掛品を全て盗まれたようなものだ。

 とはいえ、嘆いてだけでは何にもならない。何も対策をしなければ、これから作る野菜も同様の結果となる。なぜ最近こんなに被害が増えたのか?これはあくまで推測であるが、山に鹿の柵を張り巡らせたことが原因であると思われる。

 鹿の被害は今年に始まったことではなく、もう10年以上前から問題になっていた。その対策として市の助成金を使って山に柵を張り巡らせたのだ。山のふもとを約2mの鉄柵で囲むという結構大規模な対策。確かに柵がある所は鹿が出てこない。が、これには落とし穴がある。道などの関係で柵の切れ目ができるのだ。山に食料が無ければ鹿は里に下りてくる。(もしかしたら山に食料があっても、野菜の味を覚えた鹿は下りてくるのかもしれない)ただ、柵があるので里に下りれない。勢い、出口を求めて柵沿いを歩きまわる。そのうち柵の切れ目を見つけて、そこから大挙して鹿が出てくる。事実、山の鉄柵沿いに鹿の通り道ができている。そして、その近くにある畑から一気に餌場となるのだ。

 実は、昨年ここしょうりきの山々も鉄柵で囲まれた。そして、その切れ間がチャレンジ畑からほど近いところにあるのだ。

(続きは次号で)

2/22(金) 4.義母来広
 今日、北九州から義母さんが来られた。

 義父が永眠して約半年、もうそんなに経ったんだなと改めて思う。当初は何かが抜け落ちたような感じになっていた義母も、徐々にその状況を受け入れ、今では新たな生活パターンを築きつつあるようだ。

 元々、家のことが気になって宿泊の旅行なんてする人ではなかったが、一人になったある種の気楽さか、今回は連泊で来てもらえることになった。物忘れがひどくなった(ような気がするだけ?)義母を心配した妻が検査を広島で受けることを勧めて今回の来広になったという次第。義父の死前後から何だか義母と妻の立場が入れ換わって、何かと義母のことを気に掛け、義母もそれを受け入れている感じが微笑ましい。

 息子・娘はもちろん、父・母、新家族の知弥まで義母が来るのを楽しみにしている様子を見て、つくづく人を迎えるのが好きな家族なんだと思う。もちろん僕も楽しい。ただ、仰々しくお迎えするのは好きではないし、あれこれ世話を焼き過ぎると逆に居心地が悪くなることも多いので、振舞いはいたって普段通り。家族が一人増えた感じで特に気も使わず、場合によっては仕事を手伝ってもらったりする。

 幸か不幸か今日は出荷日。入れ替わり立ち替わり来られる農家さんや問い合わせの電話、そのうち子ども達が帰ってきて、何とも賑やかな状況となった。そのうち義母も野菜の梱包を手伝い始めた。我々の仕事を知ってもらう良い機会かなとも思い、厚意に甘えてそのままやってもらっていたら、出荷の準備があっという間に終わってしまった。さすがベテラン主婦、手際が良いし野菜の取り扱いにも慣れている。将来事業が大きくなったらベテラン主婦を雇うのが得策かな、なんて思ってしまった。

 明日は検査。義母には末長く元気でいて欲しいとつくづく思う。

2/15(金) 3.保険のことなど
 保険の見直し提案を受けた。

 日本の保険会社の営業手法にどうしても馴染めず、30才を越えてからはずっとプルデンシャル生保に加入している。広島に帰ってきた時も、ちょうどハンドの先輩が同社に勤務されており、そのまま担当を切り替えてもらって継続している。

 加入当時は某大手人材系子会社に居たこともあり、あまり金額は気にせず貯蓄代わりに加入していたものが多かった。その後転職したベンチャー企業時代は収入がかなり変動し、また途中から単身赴任になり、家を建てと立て続けに状況が変化し、結局住宅ローンを組む時に必要最低限のものだけ残し他は解約した。そして、このしょうりきを始める時、解約返戻金で保険料を支払う形にして、毎月の保険料の支払いが無い状態にした。

 それを4年間続けてきたのだけど、実質は生保からの立て替え払いで金利もかかっており、何より収入状況が一変した現在を心配してくれた先輩が、保険の見直しをした方が良いのではないかと心配してくれて、わざわざしょうりきまで来てくれたという次第。本当に有難いことだ。

 色々話しあった末、休眠していた保険(その存在すら覚えていなかった、苦笑)を解約し、その他はこのままで当分いくことにした。今、僕が死んだら家族はかなり悲惨なことになるだろう。いや、死ななくてもこのままじゃ悲惨な状況に近々なる。不安定で未来が見通せないストレスの高い状況。一家の大黒柱としてお前は何をやっているんだとお叱りを受けても仕方がない。

 生保のキャッチコピーといえば、昔であれば「寄らば大樹の陰」、現在は「生涯設計」や「みらいのかたち」や「人間が求めてやまない安心の形」やらが有名だ。日本人の貯蓄率も非常に高い。未来の安心を重視する国民性なのだろう。僕自身も、できれば未来を心配せず生活したい。

 でも、安心な状況になった途端にやる気を失う自分を感じている。僕は旅行や美味しい食べ物、楽しい遊びで自分自身を満たすことはできない。仕事を通じて実現したい未来をイメージし、それに近づくこと。付加価値を生み、それが結果的に自分に帰ってくる状況になれば、得難い充実感を得ることができるだろうな。そうなったらまたバンバン保険に入ろう。筒井さん、もうちょっと待ってて下さい。

2/8(金) 2.家業の難しさ
 家業を辞書で調べると「一家の職業。生業(なりわい)」とある。

 まさに、今のしょうりきがそれ。家族全員この仕事に関わり、これ一本で生活(しようと)している。現状、生活の安定という面では不安定この上無しで、家族の(特に妻の)ストレスも相当であろうと思うが、一生かけてもやりたいと思える仕事に出会えたという意味では幸せこの上ない訳で、しかもやってみると相当奥行きのある世界であり、やりたいことがどんどん膨らんでくる。“役に立っている感”もあるし、やりたかった個人向けの商売でもある。

 表題の「家業の難しさ」とは、仕事と家・家族が一つになっている状態のことを指している。居心地が良すぎて緊張感を失ってしまいがちで、仕事モードの切り替えが結構難しいのだ。仕事に煮詰まった時もそう。「ちょっと気分転換♪」とか言いながら、その辺りにころがってマンガなんぞを読んだりする。会社ではありえないことが当然のようにできてしまう怖さ。

 うるさい上司がいるわけでもなし、タイムカードがあるわけでもなし、する仕事も自分次第。特に冬場は畑仕事が少なく、雪が降れば外にも出れず、仕事をしない理由なんていくらでも作れる。自由・自由・自由、そんな自由は自己を律することができない人間にとっては毒だ。

 僕も、そんな弱い人間の一人として、この自由と闘うこととなる。では、どうやって闘っているのかというと。

■起きたら服を着替える…アホ見たいに思えるけど、一日中家にいると、だんだん服を着替えなくなる。この状況は非常にヤバイ。一日中気力も思考力も寝起きのまんまなんてことに。。。危な〜い!
■間食をしない…手持無沙汰になると食べ物に手が伸びるという非常にタチの悪い習性があり、更に食べると眠くなるという最悪の生理現象が。。。しかも食べた直後に寝ると寝起きが非常に気分が悪い。これは断固として闘わなければならない。たまに負けて自己嫌悪に陥る
■今日やることを全て書きだす…これ、何気にとても大事。事業も農業もルーチンで回っていく状況を作るまでは仕事自体を作り続けていかないといけない。やりたいイメージを業務レベルに落とし込む、課題を特定・明確化し、解決策を具体化して実行する、日々その連続である。できれば月次・週次・日次ぐらいで出来ると完璧なんだけど、少なくても今日やることが明確にできていないと無為な時間を送ることになりがち。
■今日の行動を記録する…日記を付けている人も多いと思うが、僕の場合はスケジュール帳に今日したこと記載することで行動記録・自己反省材料・次の日のやることチェックにしている。

 結局、弱い人間は自己規制をかけて自分を律する必要があるんだろうけど、どんどん自分ルールが増えても問題なので、十戒ぐらいでやめておこうかな。

2/1(金) 1.近況など
 遅ればせながら明けましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願いします。2013年のご挨拶をUPしましたのでご覧頂ければ幸いです。

 そうそう、HPを改装したのですがお気付きになられたでしょうか。飽きっぽい性格なのか、同じTOP画面が1年以上続くと、どうしても改装したい衝動にかられます。今回は、ネットショップのプロにアドバイスをもらい、スタッフの写真を多めに出すようにしました。あまり自分の写真を露出するのもどうかと思ってこれまでは差し控えてきましたが、背に腹は代えられない状況にもなってきましたので、恥ずかしがらずにどんどん出ていきたいと思います。

 それと、HP開設以来4年間続けてきました「佳穂の週記」を昨年末で終えさせて頂きました。中学校に入ってから勉強やクラブにかなり忙しくなり、それでも何とか続けてみたのですが、どうしても時間が取れないことが多くなってしまいました。どうかご了承頂ければと存じます。変わりに「副園長のブチブチ日記」を提案してみたのですが、速攻で却下され(泣)、当面はこの独り言で頑張っていきます。そのうち、畑の様子などをどんどんUPしていこうと考えています。

 と、前段はこの辺にして、近況などを徒然に。

 まず、野菜作りマジで頑張ります。昨年beの代表を退任してここ4カ月、今後どうすべきか色々考えました。経緯は2013年のご挨拶で触れたのでここでは割愛。気合や掛け声だけでは何も変わらないので、まずは1年を通じて何をどれぐらい作るのか、年間の需要量やこれまでの販売傾向も勘案しながら皆で計画作りから始めました。

 これまで、私の思い付き的な作付が多く、読みが外れたり見通しが甘かったりで、母や妹には多大な迷惑をかけてきたやり方を大幅修正して、需要予測に沿った収穫も作業も先の見通せる状況で、限られた農地を最大活用できるようにしていきます。

 それと、飲食店および個人向けの野菜販売を行うために、ネット八百屋を開設すべく準備を始めています。今でも飲食店や小売店からご注文を受けて野菜を定期的にお届けしていますが、電話・FAXが中心で作業が深夜に及ぶことがしばしばで、これ以上野菜の扱い量を増やすと家族がパンクする状態であり、販売サイトと管理システムの導入により扱い量が増えても大丈夫な状況を作ります。

 もちろん、業務の効率化がネット八百屋を開設する唯一の理由ではありません。「もっと多くの野菜を、より新鮮な状況で、高い頻度で(普段使いの野菜として)お届けするにはどうすれば良いか」の帰結がネット八百屋であり、それをするのであればバックヤードの効率化を図っておかないといかんということでシステム化の必要性を感じたというのがプロセスです。

 月1回の旬の野菜宅配ではなく、普段使いの野菜の領域に踏み込むには、おそらく「選んで買える」が非常に重要だと考えます。もちろん価格や利便性なども選択要素であり、野菜の販売ルートも数多くあります。その中で我々のネット八百屋を選んで頂く状況を作るというのはかなりハードルの高いことだとは思いますが、この中山間の小規模農家の特性を上手く活かし、圧倒的な鮮度をウリにしながら、皆様に支持されるような八百屋を目指したいと思います。

 これを実現するためには、販売サイトの構築もさることながら、各農家のご協力・システムの構築・開発資金の調達・販売先の確保・サイト認知を広げる施策などやること満載です。それを1つ1つ業務に落とし込み、スケジュールを引いて粛々と進めているというのが今の状況です。

 また、上記を実現していくプロセスを、今年行う体験行事にも活用しながら、元々の体験の目的である「働く楽しさ」を伝えていくプログラムに落とし込めればとも考えています。

 進捗状況については、またこの「園長の独り言」でご報告して参りますのでご覧頂ければ嬉しいです。今年も週イチのペースでUPしていきます。

 それではまた次週。


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