竹林寺

  5月初旬、秘仏の本尊・千手観音立像のご開帳があり、竹林寺を訪れた。主要伽藍は色鮮やかな斑幕が張り巡らされ、近郷近在の人々がお参りに訪れた所為か境内は明るい雰囲気で、山中にある密教寺院の素朴で厳しい空気は感じられなかった。
 
 過去に2度ほど訪れているがこのたび初めて本尊・千手観音を始め十王像を拝観することが出来た。 (尤も本尊の千手観音立像は暗くてよく拝観出来なかったが)

 篁山竹林寺(東広島市河内町入野)は標高535mの篁山頂上近くにある真言宗の寺院である。 
 境内の竹林寺縁起によれば天平2年(730)行基上人が当地を訪れ、山桜の木で千手観音を刻み、お堂を建て桜山花王寺と名付けたのが始まりとされている。 その後弘法大師が入山し、現在の真言宗に定めたとしている。
(縁起要約)

竹林寺仁王門



 仁王門…三間一戸八脚門、切妻造、桟瓦葺。平成3年9月の台風19号で倒れたが、地元の人々の熱意と努力で平成8年(1996)復元されたとのこと。






八千代橋と大池

八千代橋と池…仁王門と本堂の間にある大池に架かっている屋根付の橋。池の右手は竹林が広がる。大池右側の竹林








                                                   竹林寺本堂



本堂(国重文)…永正8年(1511)建立、平成元年(1989)修理完工。桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、こけら葺。      
竹林寺本堂(2010年5月撮影)







(写真左は1998年7月撮影、右は2010年5月本尊ご開帳日に撮影)
永正8年の建立は地元の入野の大工達により建立されたそうです。

竹林寺護摩堂



 護摩堂…本堂に向って左側にある建物。桁行三間、梁間三間、屋根は寄棟造ですが現在は鉄板(?)で覆われている。(市重文) 本尊は不動明王。





 
                  (クリックで拡大)

十王堂…本堂に向って右手にある。堂内正面の高いところに地蔵菩薩坐像を安置し、その前の山神像を中心に左右に木造十王像が並んで安置されている。(左の写真の1番右の像と中の写真の1番左の像がダブっています) 尚、地蔵菩薩は閻魔王の本地仏です。また、山神像は篁山の山神でしょうか。
 
境内の竹林寺縁起によれば、十王像のうちの1体は小野篁(おののたかむら)の筈、どの像が篁でしようか
 
 縁起にには「・・・・・小野篁は51歳で死去、100年後再びこの世に生まれ僧となり当寺で冥途の十王尊の内9体を刻み、残りの1体は自ら生身の仏となり寺号を篁山竹林寺と改めた」 とある。

 地蔵菩薩坐像、山神像、十王像いずれも江戸時代のものと思われる

※十王…道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う10尊で裁判官的な尊格である。日本では平安末期の末法思想や冥界思想と共に広く浸透した。

※小野篁(802〜852)平安時代初期の官人、学者、歌人、官位は従3位・参議。遣隋使を務めた小野妹子の子孫、小野道風の祖父。(参考:Wikipedia)

 篁堂

 篁堂…護摩堂の左手前のある小堂、 小野篁を祀る。(左写真)
 鐘楼


鐘楼…境内西側の小高い丘上にある



三重塔跡と銅製阿弥陀如来坐像 




三重塔跡…塔は大正年間、強風によって倒れたが、東京・椿山荘に移築され現存するそうです。尚、塔跡には、銅製の阿弥陀如来坐像(像高・台座を含め約6m余)が鎮座している。




七重石塔




七重石塔…名井光叶(みょういみつやす)の墓といわれている。梵字の横に享禄3年(1530)8月と刻まれているそうです。
 名井光叶は平賀氏の重臣で地元中山城の城主だったとのことです。
六字名号碑 




 六字名号碑…南無阿弥陀仏の6文字が刻まれた碑。






小野篁誕生地碑













竹林寺まで0.2kmの案内(写真左)と小野篁誕生地の碑。竹林寺へあと0.2kmの所。

 碑の側面に「あちこちの峯を島かと見するまで霧の海なす篁の里」と刻まれている。

十王像の撮影と掲載は竹林寺の了解を得ています



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