迷子
生まれてから三十数年、ずっと通い続けた病院、そして、私の眼に今の今までずっと命を
与え続けてくれた病院、右眼の視力を失ったときも、左眼の調子が悪かったときも、辛いこと
悲しいこと、全部見てきてくれた病院…
この春、長く勤められていた先生が退職され、病院は、変わってしまった。
私にとっては、先生の顔ぶれが変わったなどということは関係ない。名札が見えるわけで
もなく、ましてや眼科の検査室は暗室だから先生の顔などわかるわけもなく、ただ、伝わって
くるのは、全く変わってしまった雰囲気、そこに漂う空気の流れだけである。
そして、今私自身自分お行き場所を探さなくてはならない、そんな気がしている。
ずっと思ってきたこと、それは、私のような回復の見込みのない、積極的治療のない患者
は定期的通院の対象からは外れるのかもしれないということだ。治療をすれば、回復の見込が
あり、積極的な治療を要する人が受診をするべきで、専ら現状維持しかしようがない私は、異
常があった時に受診をすればことが足りるのかもしれない。
ただ、今の私に果たして自分自身の眼の異常に気がつくだけの視機能が残されているのか
といえば、正直わからない。しかも、前回左眼が異常を起こしたとき、近医では2ヶ所受診し
ても「異常なし」と判断され、異常を見つけてくれたのは、やはり生まれてからずっと通院し
ているその病院だった。そして、手術日の当日、世が明けたことすらわからなくなっていた左
眼にもう一度太陽の光を見せてくれたのも紛れもないその病院だった。そんなことを思うとき
私の年齢と同じだけ積み重ねられたカルテのあるその病院と、あっさりサヨナラをする勇気も
なく、でも、受診するたびに、何となく場違いなところに来ているようないたたまれない思い
になる状況で受診を続けてもいいのだろうか…
「先生、私は、受診を続けてもいいのですか?」そう聞かなくてはいけないのだろうか?
「いつか見えなくなることは覚悟している」つもりだった。でも、できることなら、少し
でもいいから今の視力を残しておきたい…。
そのためには、どうするべきか。どこの病院に受診するべきか、まるで、行くあてを失っ
たような気がする。まさか、こんな時がくるなんて思ってもいなかった…必ず訪れる現実だと
予測はしていたけれど、それでも、こんな選択を迫られるとは思ってもいなかった。
病院も、ドクターも幾らでもある。そう言う人もいるだろう。でも、本当に、信頼のでき
る病院、ドクターにめぐり合うことは容易いことではない。改めて痛感した。
自問自答してみても、そう簡単には答えは出せそうにもない。
まるで、行き場所を失った迷子のようだ。