言葉の魔法

 私の瞳、これから先も続く人生の中で太陽の光さへも判らなくなることはあっても、今以上のものを私に見せてくれることはないでしょう、
 それでも、私が、今の私の瞳を愛おしいと思い、嫌いにならないですんでいるのは、この瞳を私と同じ年数だけ診てくださっている一人のドクターのおかげです。
 私の瞳も、私という一人の人間も、これまで、ドクターとしての、そして、一人の人間としてのその先生に何度救われたことでしょう。
 私にとって、その先生の言葉は、ときとしてどんな薬や処置よりも私を楽にしてくれました。
 まるで、魔法でもかけられたように、私の心までも楽にしてくれるのです。
 それは、決して特別な言葉でもなく、私に期待を持たせるようなものでもなく、ごくごくありきたりの自然な言葉なのです。時には、厳しい現実を突きつけられる言葉でもあり、悲しい事実を告げられる言葉でもあります。
 積極的治療方法があるわけでもなく、画期的な回復が見込めるわけでもない、それでも
 「前診たときと変わってないよ」
 「調子が悪かったら、おかしいと思ったらいつでも来なさい」
診察の終わりには、必ずそう言葉をかけてくださるのです。そんな言葉の一つ一つに私は、励まされ、支えられて今日までこれたのです。
 いつの頃からか、先生の表情は私にはわからなくなりました。でも、昔からずっと変わることのない先生の言葉の温かさと優しさは、今でも私の心に魔法をかけ続けてくれるのです。
 私は、患者です。だから、ドクターの仕事の大変さや精神的なストレスなどは、何一つわかりません。ただ、私は、知ってほしいのです。薬や手術だけでは救えない患者の心もあるということ…
 言葉の魔法、ちょっとしたことで、救われる患者の心もあるのです。少なくとも私は、そうでした。
 何気ない一言、言葉をかけてくださる先生の記憶のなかには残ってはいないかもしれない、そんな些細な言葉、会話のやりとり、でも、そんな言葉のおかげで今の私があり、これから先も前を向いてしっかり歩いていこうと思える私が存在することは、紛れもない事実なのです。
 

 「変わりはないよ。調子が悪かったらいつでもおいで」

 この言葉の魔法をいつまで聞き続けられるのかはわかりませんが、きっと私の心の中にはずっとステキな虹を架け続けてくれることと思います。